1-32.支那に渡来したユダ




 遠くは、シュメル、マケドニア、エジプト、ユダヤ、ローマ他の一部の部族は、その圧制を逃れ、新天地を目指し、シルクロードを通じてユーラシア大陸を東に移動し、中国全土に散らばった。古代中国には、漢民族は存在せず、モザイク状の多民族国家だった。
 明代に「重建清真寺記碑(1489年)」の石碑が出土。漢王朝(前202年~)に、ユダヤ人がインド経由でやって来たと記述されている。石碑には、阿無羅漢(アブラハム)の時代から、モーセ、バビロン捕囚時代の預言者エズラまで、旧約聖書の伝承が刻み込まれている。しかも、宋(439年~)の皇帝にユダヤ人が謁見し、漢姓を賜ったことが、70名の氏名と共に書かれている。ユダヤ人十七の漢姓が書かれており、金、石、高、文、李、張、趙の八家を含んでいる。他にも、イスラエルの民が南宋軍の兵士として共に戦ったことが書かれており、圧制を逃れ、理想の国を求めて逃亡したイスラエル人を保護したのが、宗家である。この事は、ヴァル様の養子先がソー家である事と、無関係ではないと思われます。

 捕囚のイスラエル人は新天地を求め、中国へ渡来。旧約聖書にあるユーフラテス川、チグリス川の四個の川になぞらえ、エデンの園に見立て、四川と名付けて定着。単純な構造の漢字に、旧約聖書を折り込みながら新しい漢字単語を創造した。当時の中国は、多民族国家でした。これを欧州になぞらえれれば、出欧州したフロンティア精神の米国と、新天地を求めたイスラエル人達が渡来した日本もまた多民族国家であり、フロンティア精神に満ちていた。新興国米国と気脈が通じるはずです。

 ソロモン時代から、中国にユダヤ教の寺院があった。仏教よりも先に、ユダヤ教徒が漢字用語を発明しており、ユダヤ教やキリスト教の用語が出来上がっていた。つまり、僧侶、寺などは、ユダヤ教の中国語訳だった。その後、中国に仏教が入り、仏教にもユダヤ教の用語を使った、拝借した。その為、日本ではユダヤ教・キリスト教・仏教の区別がつかなくなってしまい、日本式仏教として日本に定着してしまった。しかも、大虐殺の文化大革命を経て、中国の古代文明が破壊されてしまったことの影響もあり、元々の中国の国教が、ユダヤ教、そして景教だったことが歴史から抹殺されてしまった。西方浄土と言えば、インドの事と思うのだが、そうでは無い。中国から西に向かえばシナイ半島であり、神の約束の地であるカナンの事なのです。仏教という漢字は、唐の時代に出現した新しい作り文字です。仏のムは、△を意味し、神という意味だと云う、神も仏も同じ意味です。

 前五百年頃、日本では聖人とされている儒教の孔子は、2m30cmもの長身だったという。一般に仏教の寺門は南を向いている。しかし孔子寺は、ソロモン宮殿、エジプトのピラミッド同様、太陽の登る東向きなのです。正当なシナゴーグはすべて東向きです。1663年清真寺の再建記念石碑では、ユダヤ教と孔子の儒教が、同一だと主張しています。
 儒教のジュはユダヤを指す。つまり、孔子は当時中国内にあったユダヤ教を、儒教としてまとめて編纂した。しかし、孔子の儒教は、血族最優先です。父が亡くなれば、公務の最中でも帰郷する。身内が罪を犯せば、かくまう為に嘘をつくことを勧めている。これは、カナンの教えにあり、カイン一族と交わり悪魔教へ、そして300へと繋がります。将に十戒に対し、反十戒です。日本の儒教は、孔子の儒教とは異なり、日本の国体理念を儒教を使って現したもので、まったく別物です。しかも、古の皇帝を夏、殷、ウとし、ウ=ノアに見せかけ、夏、殷をあたかも旧約聖書の正当な王朝だと虚言している。夏、殷は、一つの言葉で、夏殷=カインでしょう。つまり、古代中国はエンキの支配する商業・工業都市だった。
 尚、ソロモンの当時、商業はカナン人の仕事として軽蔑されていた。尚、堕天使が交わったカインは、カナン人と交わり悪魔教を広めている。また、イスラエルがカナン地方を征服するまで、カナンの都市国家は「通商の王」とされており、中原と全く同じです。だから、漢=カンの語源は、カナンもしくはカインだと思われます。



ノアの呪い

 ノアは最初のぶどうの取り入れから出来たぶどう酒を飲み、酔って天幕の中で裸になって寝てしまう。カナンの父ハムはノアの裸を見てしまう。これに対し、ノアはカナンの子孫に対して、兄弟の奴隷になるように呪います。
  「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟達に仕える。
      ・・・
   セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。
   神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。
   カナンはそのしもべとなれ。」[創世記 9章]

 一方、カインの呪いが悪魔教ひいては300人委員会に繋がります。
 バビロニアのタルムードにある「カインの遺言」には、天上界から与えられた十戒と正反対の遺言の記述がある。つまり、血族のみを愛し、他からは搾取せよと述べているのです。この思想が、孔子の思想であり、共産主義の布石でもある。
  「カナンの息子たちに五つのことを課した。
    互いを愛すること(カインの子孫のみを愛する)。
    盗みを愛すること。
    姦淫を愛すること。
    主人を憎むこと(ノアの呪いにより、セムとヤペテのしもべの運命。
            セムとヤペテを憎む)。
    真実を語らないこと。」

 呪いにより人類を呪縛する([申命記 第27章])ことは、サタン・ナブーに独裁国家をもたらします。そして人類の精神的な進歩を阻害し、現代文明と自由民主主義国家を築くことは永遠に不可能になってしまう。
   「工人の手の作である刻んだ像、または鋳た像は、主が憎まれるものであるから、
    それを造って、ひそかに安置するものはのろわれる。」
   「父や母を軽んずる者はのろわれる。」
   「隣人との土地の境を移す者はのろわれる。」
   「盲人を道に惑わす者はのろわれる。」
   「寄留の他国人や孤児、寡婦のさばきを曲げる者はのろわれる。」
   「父の妻を犯す者は、父を恥ずかしめるのであるからのろわれる。」
   「すべて獣を犯す者はのろわれる。」
   「父の娘、または母の娘である自分の姉妹を犯す者はのろわれる。」
   「妻の母を犯す者はのろわれる。」
   「まいないを取って罪なき者を殺す者はのろわれる。」
   「この律法の言葉を守り行わない者はのろわれる。」

 この様な悪魔教は、長男を生贄にし、キリスト教の儀式同様、人肉を食っていた。孔子は、人肉を毎日好んで食いながら、血族最優先を儒教=ユダヤ教として広めたのです。日本仏教が原始仏教と別物な様に、日中の儒教は同じ用語ですが、似て非なるものです。



1.「大秦景教流行中国碑」

 この碑には、原始キリスト教の用語が記されている。一般に、私達が、仏教用語とみなしており、誤解してしまっています。

   景教    ・・・ 原始キリスト教
   大秦寺   ・・・ 教会 ⇒ 八幡神社も同じ
   真宗、達娑 ・・・ 原始キリスト教信者
   童女    ・・・ マリア
   初人    ・・・ アダム
   浴水    ・・・ 洗礼
        ・・・ 精霊
   羅含    ・・・ アブラハム
   業利    ・・・ ガブリエル
   沙門    ・・・ 仏教の出家僧ではなく、原始キリスト教徒

 更に、ローマ(大秦)との間に数千人規模のキリスト教徒の交換を行っていたことも記述されている。
 秦の始皇帝(前221年~)亡き後、宦官は皇帝の死を長い間伏せ、始皇帝の遺書を焼き捨て、始皇帝が世継ぎに指定した長男を抹殺し、弟を玉座に座らせた。しかも、この皇帝を処刑し、宦官が皇帝のように振る舞いだし、皇帝など理想で自分達こそが権力だと述べており、ローマ傀儡政権である秦が如何に圧政を行ったのかが理解できる。
 特に、マリアを童女としている。聖徳太子は童子の姿で描かれており、これは呪いだとの説もあるが、やはりマリアに対しイエスを意味するものでしょう。

 日本書紀、692年の持統6年に次の記述があります。
 「筑紫太宰府率河内王等に曰く“沙門を大隅と阿多とに遣して、仏教を伝ふべし。
  復、大唐の大使が、御近江大津宮皇の為に造れる阿弥陀像上送れ”とのたまふ。」



2.大和民族と韓国

 3世紀頃、秦氏の民が秦の強制労働に耐えかねて馬韓に亡命した。その後、彼等は、辰韓、弁辰(弁韓)を建国する。馬韓人は裸族に近く、辰韓人は清潔で服を着用し、礼節をわきまえていたと[三国志魏書]に書かれている。

 “シン”という音は何れも、ローマを意味しており、日本語へのヘブライ語隠蔽と同じ手法が、既に使われている。大秦(ローマ)→秦→辰→新羅→清は、どれも秦を意味する。しかも、四代目新羅王、脱解(57年~)の生まれは倭国だと、[三国志]に書かれており、大和朝廷とは親族に当たる。
 徐福は、秦から辰韓に到達し、日本に向かった秦氏一族(景教徒)であり、日本に高度な技術をもたらした。大雑把に、秦国系一族は日本海側に潜入し、百済系は九州に入り込んだ。スサノオは新羅を経由して、日本に渡来。出雲に出現したスサノオの勢力は秦氏一族であり、越の国もまた秦氏の王国である。

 一方、九州の倭国、邪馬台国は、百済系に属しています。だから、神宮皇后は、九州の大和族を滅ぼし、新羅を救ったのです。応神天皇は、宋に朝鮮半島の支配権を認めさせ、秦氏一族と手を携えたのでした。
 神武天皇系が、大和朝廷となる。カム・ヤマト・イワレ・ビコは、ヘブライ語で、集める・神の民・ユダヤ・長男と訳せて、神の民を集めた、ユダヤ民族の長男という意味です。また、ミズホラ=日の昇る国=瑞穂の国となり、大国主命が建国した国でもあります。更に、カヌ・ナー=葦の原=葦原の国=カナンの事で、つまり、スサノオはカナンから追放され、新羅に至り、日本に渡来しています。この箇所については、非常に重要で、[古代日本と七大天使]の修正が必要となるので、別途説明します。



3.聖徳太子と天武天皇

 秦氏は聖徳太子のスポンサーで、平安京を建立している。天智天皇=百済系は、白村江の戦い(663年)で、唐・新羅軍に敗北し、百済は滅亡した。ところが、壬申の乱(672年)で、大海人皇子が復権し天武天皇として即位する。
 新羅系の天武天皇(和号に真人を含む)が始めて天皇を名乗り、国名を日本とした。つまり、日本国初代天皇です。そして、毎年五ヶ月間肉食を禁じただけではなく、古代日本独特のヘアースタイルから、髷に改めさせたことからも、明らかに王朝が異なる。
 概略、日本国は、邪馬台国→倭→大倭→大和朝廷(崇神天皇)→日本へと王朝が変わった。一般に、神の付く天皇名が王朝とも言える。尚、新羅系=秦氏系の物部氏を滅ぼした蘇我氏が、百済系に相当する。(⇒[世界最古の文字と日本の神々の5章]参照)
■天皇という言葉を使う以前は、“院”と呼ばれていた。
 死後は尊称として諡に天皇を付されていた(後醍醐天皇だけは例外)。つまり、死後に天上の一員になるという意味です。日本では、天上の政府を地上に反映させた形で、地上に諡として天皇の称号を持つ支配者が居る。つまり、天上界の形態を、地上に反映させたものとも捉えられていたようです。この天上の神々は、天照大神をはじめとする皇祖皇宗ということになります。
 天皇という言葉は最初に道教に出てきます。宇宙の最高神は天皇大帝で、高級官僚が“真人”、低級官僚が“仙人”でした。天皇帝がヤハウエ=天照大神、真人が大天使、仙人が天使に当たるのでしょうか。天皇大帝は官僚達に命じて地上を善導しているとされていた。この天皇という意味は、天の支配する物の意味で、生きている人間に対する言葉ではなかったのですが、後々尊称として拝借したようです。
 古来シナでは天皇大帝は元々北極星を指していた。それが東方世界の最高支配者を指すようになる。そして、天皇は、太陽が昇る「日の下」「扶桑」「方丈」を治めていると云われていた。つまり、道教に詳しかった天武天皇は、「日の下」→「日本」としたのだ。⇒2019年7月日本人は神の民である─NIHONとは』(pdf)
 また、終戦の詔は昭和20年8月15日です。昭和12年の文部省通達に『・・・皇祖皇宗がその神裔にあらせられる天皇に現れまし、天皇と皇祖皇宗は一体・・・』という文章があるそうです。[日本人とは何か]を参照しました。

 数代にわたって唐(618年~)の皇帝は、景教の寺を奨励した。アッシリアの宣教師アブラハム、漢名・阿羅本に「鎮国大法王」の称号を与えている。空海は唐からの帰国直後、九州に鎮国寺を建立。空海の中国での師匠は、西明寺の般若三蔵で「大秦景教流行中国碑」の聖書部分を書いた本人の一人だった。大秦寺のみならず、光明寺、大慈恩寺、西明寺、鎮国寺すらキリスト教教会だった。
 最澄は、遣唐使として、旧約聖書を日本に復活させた。空海の高野山には「大秦景教流行中国碑」があり、新約聖書を日本にもたらした。高野山は浄土真宗で、親鸞・法然へとつながる。ここで注意が必要なのは、秦氏一族には三種類あることだ。出雲王国を建国したスサノオ・大国主系の秦氏=物部氏、平安京を建立した越の国の秦氏一族、技術者集団として秦から亡命した徐福の秦氏一族である。

 聖徳太子の時代、ユダヤ教・原始キリスト教の日本に、ユダヤ教の発展系として新約聖書がもたらされた場合、神道は崩壊し、日本はキリスト教国に変貌していたことでしょう。当時、ローマ帝国はキリスト教に改宗、中国では景教が国教化していた。つまり、日本で聖徳太子=イエスが再来すれば、世界中がキリスト教により、支配されてしまっていたのです。ところが、キリスト教ではなく、一見キリスト教と無関係な密教という形式で新約聖書=空海=親鸞に引き継がれた為、神道は滅ばされず残った。しかも、聖徳太子がイエスの再臨として出現することも阻止され、ヨハネの黙示録の計略はここで一旦失敗した。そこで、サタン・ナブーはノストラダムスに、1999年悪魔の大王(=イエスの再来)の降臨を予告させたのです。



4.漢民族の出自

 漢民族は、古代中国史の何処にも出てこない。黄河周辺、現在の河南省の一体に屯していた有形無形の未開人で、種族をなすほどの勢力ではなかったからです。彼らを最初に支配したのは、殷、次に周だった。清王朝(1644年~)の時代に漢族という名前が表舞台に出てくる。当時の清では、王朝の柵の外に追い出した人々を、漠然と漢族と呼んだ。漢民族は、北京原人の末裔と云われ、異常に活発で、生殖が大きいのが特徴。人類の中では新しい種族です。
 また、KAIN→訛ってKAN→漢(もしくは、KANAN→訛ってKAN→漢)で、漢民族の正体は明らかで、漢字を自在に操るイスラエル人の知恵がその出自を呼び名として残したのです。

 中国の伝説に、女蟐(ジョカ)が居る。彼女は、泥をこねて人を作った。更に、洪水からも人を救います。彼女には伏義という兄または夫が居て、二人の下半身は絡み合う蛇の姿で描かれています。しかも、女?はコンパスを、伏義は直角定規を手にしている。フリーメーソンのシンボルである。伏義は月と蛙、伏義は太陽と烏がシンボルである。人類を創造したエンキとニンフルサグであり、他の神々をも己として、その偉大さを誇示したものでしょう。
 太陽,月,カラスは天皇家のシンボルでも在り、神々が日本に渡来されている事が分かります。

       



5.天皇制を利用する中国共産党

 仏教も儒教も聖徳太子も神が無い。仏教は、柔軟な心のみを説いており、個人の生活規範の一つであり、国防をないがしろにしており、国家制度に適用するようなものではない。おかげで、武士階級が崩壊し、釈迦国は滅びてしまった。将に、憲法第九条の古代版です。つまり、仏教を宗教まで発展させ国を滅ぼしたのは、ダビデでしょう。

 現在、中国は自国の利益の為に、政治的に天皇制を最大限に利用しており、天皇制を最も擁護している。天皇制を信じる日本国民を、非理性的な国民感情と見なし、天皇の最大利用者は、中国である。
 天皇には何時までも無条件の平和を唱えてもらう。非核非戦を誓った平和憲法を守ってもらう。天皇が平和を望むと述べるだけで、中国は強国日本に気を遣うことも、金を使うことも無い。天安門事件後の欧米経済封鎖の一穴として、困窮した中国は、宮沢首相,渡辺外相に日中友好を働きかけ、天皇訪中を政治的に利用し、大成功を収めた。更に、中国は小鳩政権に天皇謁見を指示し、実現させている。

 しかし、利用価値がなくなれば、つまり中国が軍事大国になれば、真っ先に日本民族を併合し、皇室を完全に滅ぼし、日本民族はチベット・ウイグルのホロコーストを味わうことになるのです。



6.[漢字に秘められた聖書物語]を読んで

 本書を読めば、著者が控えめに述べている通り、漢字や甲骨文字は旧約聖書の物語を具象化しているのだと確信させられる。儒教や仏教の前、唯一神を祀っていたことが明確に理解できる。元々、チャイナは旧約の国家であり、イスラエル人やユダヤ人が、国を造り、バベルの塔の破壊後に漢字を造った。ここで、少し例を紹介します。
 巨大な舟は「船」と書きますが、右側は八人の口で、ノアの箱舟に乗り込んだ八名を意味している。即ち「船」はノアの箱舟をイメージしたものです。
 「鬼」とは神に敵対する神のことで、サタンを意味します。「魔」は誘惑する者の意味で、サタンの上に二本の木があり、これは生命の木と智恵の木です。蛇サタンが、アダムとイブを誘惑した事をイメージしています。

 幸せには、「幸」「仕合わせ」「祉」の三通りが有ります。「辛」は、十字の上に立つの意味で、十字架を背負った姿です。「幸」は「辛」に横線が増えており、これが神の栄光を意味しており、神とのかかわりにおいて、個人の内面的な喜びを表している。「仕合わせ」の「仕」は、人と「土」アダムの事で、アダムと他の人との関わり上の喜びを表している。「祉」は、神が止まる事を意味し、神の臨在による喜びを表している。更に、「止(とどまる)」は神の右足の跡の事。更に、「止」に神の光を加えると「正」と成る。関連して、「禁止」は、神の二本の木を、神はアダムとイブに禁じられた事を意味している。

 まつるには、「政」「祠」の区別が有ります。「政」は、左辺「正」で神が居られる様を、右辺は「手に打つ棒を持つ形」を表し、神の元で武力を有する権力を意味している。「祠」は、左辺は神ご自身を、右辺は人と口を表し、神に使え神の言葉を伝える事を意味している。納得できる説明です。
 「天」は人の形をした神の事です。「皇」は、「旦」と「土」から構成されている。「旦」は朝日が昇る様で、神の輝きを表している。「土」は神から祝福された人アダムの事で、神からの祝福された人の事。「天皇」は、神から祝福を受けた人の事を意味しています。
 上記のように、甲骨文字の時代から、旧約聖書の物語の内容が漢字を組み立てており、常に神と人との関係を意識し、同じ発音でも神との関連で異なった形の漢字を想像している事は明らかです。

 ダビデの星、ピラミッドアイを、漢字で読み解くことが出来ました。このことからも、漢字や甲骨文字のような古代文字が、イスラエル人が創造したことを傍証している。
 ダビデの星は、△▽で構成されている。△は神が地上に語りかけている様を、▽は人が天に話し掛けている様を表している。この三角形を合わせたダビデの星は、天と地の融合を意味している。
 ピラミッドアイは、△と目で構成されている。△は神を表している。目の古代文字は、□の中に神の栄光=唯一神◎が入った形で表されている。つまり、△と目の組み合わせで、神々の中の最高神であるヤハウエを表している。つまり、サタン・ダビデはヤハウエを偽装している。
 読者の方から、「古代ユダヤの紋章はメノラーでは??」の質問がありましたが、似たような情報を本で読んだ記憶があるのですが、探し出せませんでした。そうしたところ、ネット上の記事を教えて頂きました。この記事を読むと、イスラエル共和国がサタン側の計略だったという事が頷けます。
 これまで、イスラエル共和の建国は、サタン側の計略ではないのかと思っていました。それは、人間の方が活動して神を動かすという思想(シオニズムの政治運動、これを支援したロスチャイルド)は、聖書の中には記されていないからです。それで、他に証拠が無いのかと探していましたが、見つけられずにいました。
 旧約に出て来る「呪う神」「復讐する神」「全知全能の神」は、善神ヤハウエを詐称したサタンです。そのサタンの名前がダビデ=デービッドです。役職名は、古代シュメル時代には「ナブー」で、彼は天の王の右に座し、光り輝く者という意味です。
 ナブーは、古バビロニアを支配したマルドウク(第三代ヤハウェ)の第一王位継承者です。マルドウクの父は、古代シュメルの王位第二継承者のエンキ(地球の科学長官、海の支配者)です。エンキは初代の火星司令官で、火星は太陽系外から数えて第六番惑星なので、エンキのシンボルとして神々のランク「40」以外に、「6」が与えられています。
 そして、マルドウクは火星司令官の地位を継ぎ、ナブーも継ぎました。つまり、ナブーこそは、聖書に出て来る悪魔のシンボル「666」です。このナブー=ダビデが、ダビデの星や、ピラミッド・アイをシンボルとしており、イスラエル共和国建国時にシオニズムとロスチャイルドにより、ダビデの星を国旗としたとすれば、しかも、王国や神権国家ではなく、理念的には神を否定する共和制と言うのも、悪魔の計画だったことの証拠でしょう。(2019年6月23日)
 以下、「Net:六芒星型のダヴィデの星 ダビデの星 がユダヤ人のしるしになってまだ数百年」からの抜粋です。
 歴史的にはダビデの星とユダヤ人が結びつくようになったのは、ごく最近のことだそうです。 ダビデの星は中東や北アフリカで広く使われた護符の形で、ユダヤ人関連では紀元前6世紀のパレスチナで封印や、2世紀のシナゴーグ(ユダヤ教の教会)にも描かれていますが、それは装飾の一つとしてでした。 当時のユダヤ人のシンボルとして最もポピュラーだったのは、メノラと呼ばれる7本枝の燭台でした…
 中世末期からはユダヤ人の旗やエンブレムに使われるようになりますが、ユダヤとダビデの星との結びつきが一般的に認められるようになったのは17世紀になってからです。ダビデの星はこの頃からシナゴーグの外にも取り付けられましたが、なぜこのシンボルが選ばれたのかは、よく分かっていません。 1897年にシオン(エルサレムの雅名)の地に国家を建てようというシオニズム運動が始まった時にそのシンボルとなり1948年にイスラエルが建国された時に国旗となりました。 しかしこの時にも、あまり伝統のないダビデの星を国旗に採用すべきか論争になったそうです。
 元々、ユダヤ教では「ダヴィデの星」ではなく、7枝の燭台「メノラー」がシンボルとして使われていました。ユダヤ教においては数字の7が神に関わる数字として神聖視されていました。そのため六芒星の「ダヴィデの星」がユダヤ人のシンボルとなったのは非常に遅く、17世紀のことです。プラハのユダヤ人が30年戦争に協力したことへの感謝の印として、神聖ローマ皇帝フェルディナント三世がユダヤ人のために名誉ある旗印をつくりたいという意向を示し、その時に採用された紋章が六芒星、いわゆる「ダヴィデの星」だったのです。これがヨーロッパの他のユダヤ人共同体にも広まっていったのですが、ユダヤ教のラビたちは、この紋章が異教起源であることを理由に採用に強固に反対したくらいでした。しかし、ロスチャイルド家がこの紋章を採用したことでユダヤ人の間でこの紋章が人気となったのです。しかし、ロスチャイルド家はユダヤ教を信奉していませんでした。そして、ロスチャイルド家がシオニスト運動を後援していたことから、1897年にシオニストたちがこのマークを採用し、シオニズム運動のシンボルマークとなったのです。

 蛇足ですが、イエスの墓の紋章は、「へ」の下に「○」です。神代文字で神ラー=太陽と訳しましたが、漢字では「へ」は人です。問題は「○」です。「◎」「●」には神の輝き、生命と言った意味があります。「○」だと、鬼を構成する「ム」や「口」の意味になります。
 「ヘ」「ム」だと、神に反抗する人。「へ」「口」だと、神の言葉ではなく、人の言葉を表しています。どちらにしても、メシアではない。
 一方、「合」は、「ヘ」の下に「一」で神の語りかけを、「□」は人なので、神が人に語りかける、もしくは神の語る言葉を人が話すという意味合いです。「一」の有無で、本当に大きく意味が異なってしまいます。



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