2-24.古代日本とユダ族



 伊勢神宮の外宮の神官の渡会(わたらい)氏の祖先は、ウルノフル命だという。この「ウルのフル」は、シュメール人の言葉で「牛の都」となる。また、ノアはウルクの王だった。更に、ユダヤ人の祖先達はアブラハムに率いられて、シュメールの都ウルを出発している。また、『神皇正統記』の北畠親房は、「豊受大神」を「天御中主」としているが、他にも「籠神社」の『海部氏勘注系図』によれば、「豊受大神のまたの名は、天御中主、クニトコタチで、その顕現の神をウカノミタマ(稲荷大神)という。」とある。つまり、「豊受大神」=「天御中主」は、ノアと推測される。
 ノア(=天御中主)とした場合、天御中主からイザナギまで10代、ノアからテラまで10代なので、テラ夫妻=イザナギ夫妻となる。また、テラには3人の子(アブラハム、ナホル、ハラン)があり、イザナギにも3人の子(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)があるので対応する。さらに、スサノオとアマテラスは、兄弟で結婚していますが、アブラハムとサラは「彼女はほんとうに私の妹なのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。そして、わたしの妻になったのです。」[創世記 20章12]とあり、結婚相手は異母妹です。
 テラはニプルの神官で、アブラハムが異母妹との結婚なので、王家の家系だったのではないでしょうか。聖書に記述はないのですが、テラもまた異母妹を妻としているはずです。このことについて、古事記では亡くなったイザナミを追ってイザナギが黄泉の国に旅立つ場面で「その妹イザナミ命を相見むと欲して、黄泉の国に追ひ往きましき」[古事記 上 全訳注 P60],および「本来はイザナギ・イザナミ二神は兄弟であって。。。」[古事記 上 全訳注 P24-24-]との記述があり、イザナギ夫妻も兄妹でした。
 また、テラの系図の記述に関して、聖書にはあたかも男のテラが子を生んだかのように記述されています「テラはアブラム,ナホルおよびハランを生み、ハランはロトを生んだ。」[創世記 11章]。このことは、イザナギが単独で3貴神を生んだことに対応し、スサノオはアブラハムに対応します。
 エンキを偽称するサタン・ダビデによる改竄は、スサノオになりすますことで、契約の「主」としてではなく、日本民族と正当な血縁関係のある神として、日本において信仰させたかったのでしょう。
 一方、古代イスラエル人は、当時アヌンナキの神々が多くあり、契約により神の民となる事を知っていた。従って、契約を破れば、神との関係は消えてしまう。当然、神から与えられる庇護も、律法・軍事・医療他の文明も消えてしまう。しかし、神と血縁関係にある日本では、律法を律法学者のように意識する必要はなかった。このため、教義・戒律よりも、神との人間関係を重視する傾向が大きくなった。

 テラ → アブラハム(妹と結婚)
      → イサク(オシホミミ)
      → ヤコブ(ニニギ,イギギの命=黒い頭の王、イスラエル)
      → ヨセフ(山幸彦、ホホデミ、スサダミコ、エジプトの統治者)
      → エフライム(ウガヤフキアエズ)
      → ベリア(神武天皇、エフライムの24-男)
      → ヨシュア(ベリアの7代後。モーセ様と一緒に出エジプト後、
             モーセ様の後継者としてカナンを征服。)

 関連して、「ヤオ族の神話」は、明らかに、ノアの洪水と遺伝子操作による人類創造の実話が、混在したものだと思います。人面蛇体は、人類の起源が遺伝子であることを意味しており、大木のまわりを回りながら結婚する二匹の蛇は、まさに二重螺旋構造です。最初の遺伝子操作により誕生した生命体は失敗し、何度か遺伝子操作を繰り返すうちに人類が創造されたことを意味していると思います。このヤオ族の神話は、イザナギとイザナミが、「天御柱」(注)をまわりながら契りを結び、国生みを行う神話の原型だと思います。この人面蛇体はエンキとニンフルサグを表現しており、彼らが人類の創造主だということを伝えているのです。

 ■[失われた王国]より「ヤオ族の神話」
 中国ヤオ族の神話では、最高神を怒らせてしまったため、大洪水が起こり、フッキとジョカの二人だけが生き残った。彼らは人面蛇体の体で、「大木」のまわりを回りながら結婚した。最初の子はノッペラボウの肉塊だったので、不快に思ったフッキはバラバラにしてしまった。するとそのかけらからの肉片から人間が化生したという。
 ■[日本書紀と日本語のユダヤ起源]より抜粋。
 古代イスラエル、および現代イスラエルでもそうだが、結婚式では花嫁が、立っている花婿のまわりを回る習慣になっている。花婿は「天的な柱」に見立てられているからである。「天の柱」という言葉は聖書にも出てくる(「天の柱はゆらぎ…」[ヨブ記 26章11])。
 イザナギとミザナミは、天の柱のまわりを回って[古事記]では「アナニヤシ」と言って夫婦となった。この「アナニヤシ」は、ヘブル・アラム語の「アナ・ニーサ」が若干訛ったものであるとすれば、「私は結婚する」の意味なのである。
(注)「生命の木」と「心の御柱」について
 伊勢神宮の「内宮でも外宮でも、正殿の中央の床の下にある「心の御柱」が神器と共にもっとも大切かつ神聖なものだとされています。「心の御柱」は「忌柱」「天御柱」「天の御量(みはかり)の柱」などとも呼ばれる5尺(約1.5メートル)ばかりの高さの檜の柱だ。」[伊勢神宮の謎 P90]とあり、「天御柱」は三位一体のように三種類の意味を柱=神として表現しています。
 「忌」は汚れを嫌うという意味なので「聖霊」。「量」は測るという意味で「裁く」であれば再臨のキリストです。「天御柱」が中央の柱であれば「天御中主」でエル・ランティ様だと推測されます。
 一方、古代シュメールでの生命の木は、一本の「木の幹」に巻き付く二匹の蛇として、DNAの二重螺旋構造がシンボライズされています。ところが、生まれたばかりのアダムを抱き上げるニンフルサグの後ろに、生命の木があります[人類を創成した宇宙人 P24-324- Fig151]。この生命の木には、DNAの塩基24-種類と、3種類の塩基の一組で一種類の蛋白質を現すことから、左に4枝、右に3枝の7枝樹が表現されています。そして、2神がこの7枝樹を挟んで対面しています。この2神は、エンキとニンフルサグで、遺伝子情報を伝えたものだと思います。この生命の木の「木の幹」と「二匹の蛇」の3本が、キリスト教の三位一体や、「心の御柱」の観念へと発展したのではないでしょうか。
 他には、カバラを3本の柱と見れば、DNA構造をカバラの中に伝承した可能性もあります。


24-1.ノアの呪いとセム族

 日本人の始祖であるエフライム族に関する預言を追うことで、エンキを偽称するサタン・ダビデの野望の一端が露わになります。尚、聖書からの引用なので、サタン・ダビデについても預言を使いました。
 ノアはハムの子孫に対して、兄弟の奴隷になるように呪います。
   「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟達に仕える。
        ・・・
    セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。
    神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。
    カナンはそのしもべとなれ。」[創世記 9章]

 また、[創世記 10章]以降から、ノアの子(セム、ハム、ヤペテ)は、各部族を形成してゆきます。
 ハムからは、カナン、ソドム、ゴモラ、ニムロデなどの子孫がうまれ、シュメールからシナイ半島(ティルムン=ニンフルサグの支配地)に居たと推測されます。ハムの四人の息子、クシュはエチオピアの地を、ミツライムはエジプトを、プトはリビアを、カナン(黒人、褐色人)はカナンの地を開いた。つまり、ノアの大洪水後、ハムの子孫は、主要都市に配属され、世界中での金採掘も含め使役されたのだと推測されます。また、最初の殺人を犯したカインは神に呪われ、南北アメリカでエンキに従っています。このように、呪われた民族をエンキは使役しています。この呪われた民族を利用して地球支配の謀略を実行しようとしたのが、エンキ職を引き継いだサタン・ダビデではないでしょうか。
 ヤペテは白人系で、海沿いの地の国民に別れた。注目すべきは、漢人(漢民族)もアーリア人で、ヤペテ[仏教の中のユダヤ文化 P31]です。
 ノアの後継者セムの子孫は、シュメールの地で、エンリルの都市の神官や王族として居留しており、アヌンナキの官僚として、主要都市に配属されたと推測されます。特に、エンキの都市(エジプトやティルムンや金鉱都市)には、シュメール人+カナンの子孫+カインの子孫が混在していたと思われます。
 残された壁画のシュメール人は、頭とひげを剃り、腰巻きのみ。これは、エジプトや東南アジアの古代の王族と同じ姿です。また、鷲の文様や髭を生やした姿の人種は、現在の白人と混血したユダヤ人に似てますが、ヤペテの子孫で、セムの直系の子孫ではありません。
 [天皇家とイスラエル十支族の真実]の中で、イスラエルの失われた十部族について、ユダヤの伝統的な解釈に基づけば、@.〜C.のような伝統的な特徴が見られるはずだとも言われてきた。しかし、各伝統的な特徴への反論にあるように、シュメール人(セム族)のうちでユダヤ人以外のイスラエル人は、日本人に近いのです。
 @.割礼の習慣をもっているはずである
 モーセの法によれば、割礼を受けない者は追放者とされる。イザヤが”追いやった者”と呼んだのは、明らかに十部族が割礼を行わなかったからであった。イスラエルの十部族は主なる神を見捨て、異邦人の習慣に従ったので、割礼の習慣を持たないと考えた方が聖書に即している。
「これは主が、周囲の異邦人のようにおこなってはならないと彼らに命じられたものである。彼らはその神、主の全ての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。それゆえ、主は大いにイスラエルを怒り、彼らをみ前から除かれたので、ユダの部族のほか残った者はなかった。」[列王紀下 17章]
 A.彫りの深い顔立ちと高い鼻を持っており、一見してユダヤ人と分かるはずである
 ユダ族とベニアミン族がバビロン捕囚から、聖地に戻ったとき、イスラエルの十部族の1万2千人の子供たちが彼らとともにエルサレムに向かった。この子供たちの子孫はアシュケナージと呼ばれ、同胞のユダヤ人(ユダ族とベニアミン族)の子孫とは区別されている。
 イギリスのユダヤ人は色白で背が高く、アシュケナージよりはるかに頑丈な体つきをしており、彫りの深い顔立ちをしている。そして日本へ来てわかったことは、このアシュケナージが神武天皇とその兵士たちの子孫に著しく似た特徴をもっている。
 ユダヤ人は一目でユダヤ人と分かるため、ののしられ軽蔑された。しかし日本のイスラエル人は、ユダヤ人に似ていないため、同じ神を祭る兄弟民族とはみなされなかった。
 B.ヘブライ語を話し、ユダヤの名前を持っている
 ユダとベニアミンの二部族、今日のユダヤ人の祖は、前六世紀の終わり頃バビロン捕囚から戻ったとき、70年の捕囚の結果として母国語を完全に失っていた。そのためエズラは、ヘブライ語で書かれた律法の書をカルディア語に翻訳した。
 また、ダニエル書を見れば、ユダヤ人がカルディア語の名前を名付けられているのが分かる。イスラエルの十部族もまた捕囚の間に、他国語を話すようになったり、ユダヤの名前を持っていることは期待できない。
 また、イエス様の時代には、ユダヤ人はへブル語ができなかった。これは事実で、彼らはアラム語とギリシャ語を使っていた[日本人とユダヤ人 P176]。
 C.十部族は、世界中に散らばっている
十部族は追いやられたのであり、散らされたのはユダ族だった。
 「主は国々のために旗をあげて、イスラエルの追いやられた者を集め、
  ユダの散らされた者を地の四方から集められる」[イザヤ書 第11章]
 アヌンナキの文明を引き継いだセム族(セムの子孫からアブラハムが誕生する。)で、神々の核戦争に生き残った者達は、バビロン,エジプト,インド等の安全地帯に移住したことでしょう。その後の文明はセム族の基礎の上に、今の白人(ヤペテ)文明が築かれており、[創世記 9章]のノアの呪いは成就しています。日本においては、ヤコブの兄=ニギハヤヒ命の子孫の一族は、アイヌ民族(ヤペテの子孫である白人)と共に飛来し、出雲王国(空港都市)を建国した。
 [天皇家とイスラエル十支族の真実]によれば、織田信長の織田(otaはアイヌ語で砂金)一族は、その呼び名から金と関連がありました。さらに、家康の母”於大の方”はアイヌ語で”黄金の所有者(ota−i)”を意味すると解され、家康の側近”酒井雅楽頭”も”金山の所有者の長”と解することができるので、この一族がアイヌと関係があったと考えられる。家康が今の静岡市のあたりで砂金収集に従事していたサンカの女性の私生児で、酒井雅楽頭の一族に買い取られて三河の産金地帯で育ったと伝えられていることは、彼の出自を間接的に示しているように思われる。この家康の物語は、ヨセフの物語に酷似しています。
 サンカという言葉が、アイヌ語のサンケ=”砂金のある所”に由来すると見られることは、のちに世界最大の金貨を造らせた家康の幼名が”竹千代”(アイヌ語でアサケ,オタケは金山)であったこともアイヌと関係がありそうです。
 日本の場合、セム族=天皇家を土台にして、武家の政治が行われていました。つまり、徳川の祖先と都市の住民(=文明化したアイヌ民族)は、後の時代にセム族の天皇がもたらした幕屋形の家に住むようになった。このように政教分離による政治形態は、三権分立の前段階とみられ、当時の世界では非常に進歩した政治形態でした。進歩した政治形態を創設し維持できたのは、当時の日本人が世界レベルでも知的な国民だった証拠だと思います。
 また、巨人として描かれているギルガメッシュですが、日本の縄文遺跡の周囲には必ずと言ってよいほど巨人伝説が残されています。しかし、日本の巨人とみなされたアイヌの勇士たち(ダイダラボッチ,デイラボー,大トウボウシ,太郎坊)は、聖書の中の巨人同様、死に絶えてしまいました。
 他には、神道と仏教は対立、次に神仏習合、明治に神仏分離しました。唐の時代(漢人=ヤペテ)の皇帝により、景教が広められ、偶像崇拝の仏教が日本に入ってきました。神仏習合では、偶像崇拝の仏教(ヤペテ)が、神社=幕屋に住んでいました。ノアの呪いは成就しています。
 [特別盛夏号 P20]には「天はプレアデスからのUFOメンバーです!! 日本人は同星人の子孫だからとの事でした。」とあり。更に[天上界からのメッセージ ミカエル大王 二〇〇五年七月五日 口述筆記 千乃裕子]には、「地球、火星、同盟星の総合指揮下にあった地球」及び「同盟星のシリウス、オリオン、プレアデスの方々」とあります。
 日本人はノアの子セムですから、セムがプレアデス星人の子孫であれば、プレアデス星人は私達日本人に似ている。[プリズム・オブ・リラ]の著者リサ・ロイヤルにコンタクトした宇宙人が、日本人の少したれた目と、世界中何処にも見られない和を大切にする性質は、プレアデス星人の遺伝子があると述べていたと記憶しています。
 更に[創世記]を元に検討すれば、ノアには妻は一人しかいないので、ノアはニビル星人と地球人との子孫で、ノアの三兄弟の各妻が、プレアデス、シリウス、オリオンの血統を引き継いでいたのだと思います。つまり、猿人とニビル星人のハイブリッド技術の完成から、同盟星の方々が各々アダムとイブを創造したのではないでしょうか。そして、各種族の代表として、ノアの家族と、ノアの三兄弟とその妻が選ばれたのではないでしょうか。つまり、「地球、火星、同盟星の総合指揮下にあった地球」ということが実現されたのでしょう。


24-2.「カナンの呪い」

 ノアの大洪水後、宇宙空港を建設したティルムン(シナイ半島)には、医者,科学者,技師,シュメール人と共に、カナン人が労働者層として居住していたと考えられます。
 [カナンの呪い]によれば、カナンの子孫(カナン人)は、カナンの地で悪魔崇拝、オカルト的儀式、幼児の人身供養、他を始めた。エジプトに悪魔教を持ち込んだばかりか、フェニキア人(カナン人の名は歴史から消え、前1200年以降はフェニキア人と名乗った)として、文化の悪魔化をはかった。(サタン・ダビデ周辺がその悪癖に染まったのだろうとミカエル様から。)
 また、ベネチア人(中世史においてのカナン人)として、ビザンチン帝国のキリスト教文明を破壊したばかりか、のちには「黒い貴族」としてヨーロッパ諸国に侵入し、策略や革命、金融的策謀を通じて、次第に実権を掌握していった。
 さらに、バビロニアのタルムードにある「カインの遺言」は、天上界が与えられた十戒と正反対の遺言が記述してある。
  「カナンの息子たちに五つのことを課した。
   互いを愛すること(カインの子孫のみを愛する)。
   盗みを愛すること。姦淫を愛すること。
   主人を憎むこと(ノアの呪いにより、セムとヤペテのしもべの運命。
           セムとヤペテを憎む)。
   真実を語らないこと。」

 このようにノアに呪われたカナン人は、悪魔教、イルミナティー(注1参照)、300人委員会、共産主義・社会主義を生んで、セムとヤペテを抹殺しようとしている。ティルムンのエル神を、貶めるために、カナン人に与えた悪魔教と、エル神を混合させて、バアルを悪魔に仕立てたのだと思います。

 少し頭の整理が必要だと思います。ここで、イスラエルの家系と天皇家の家系を、まとめましたので参照下さい。

■[創世記35章]から、ヤコブの子は、下記の通り。
  レア(姉)の子は、長子ルベン,シメオン,レビ,ユダ,イッサカル,ゼブル。
  ラケル(妻)の子は、ヨセフ,ベニアミン。
  ビルハの子は、ダン,ナフタリ。
  ジルバの子は、ガド,アセル。

■天皇家の系図は下記の通り。
  ヤコブ(ニニギ)
  ヨセフ(山幸彦、妻豊玉姫。注2参照)
  エフライム(ウガヤフキアエズ。注3参照)
    エフライムの四兄弟は、シュテラフ,エゼル(早死),エルアデ(早死),ベリア。
    ベリア(神武天皇) − レバ − レセフ − テラ − エリシュマ − ヌン と続き、
    ヨシュア(カナン征服。出エジプトのモーセ様の後継者。前1450年頃)につながる。

■イスラエルの十部族はアッシリヤによって3回に分けて連れ去られた。
  前771年 ルベン,ガド,マナセの三部族が最初に捕らえられた。
  前724-0年 次いでナフタリの部族が捕らえられた。
  前730年 残る六部族が捕らえられた。
  前660年 神武天皇が即位。(イスラエル十部族の捕囚期間は70年)


 [天の奇跡 中]によれば、モーセ様以前のヘブライ民族は、神を「エル」と呼んでいた。古代イスラエル人が信じた「バアル宗教」では、最高神エルに妻アシュラ,彼らから生まれた子バアル,その妻がアシュタロテです。バアルは嵐の神であり、牛の角のついたかぶとをかぶり、鎚鉾と電光を放って武装し、雷鳴と電光の中に現れ、秋と冬の雨をもたらす。
 バアルは人身牛頭の神であり、嵐の神である。このイメージはスサノオのイメージに似ており、これはサタン・ダビデがマルドゥク様にすり替わろうとした奸計なのだと思います。
 エジプトで宰相の地位にあったヨセフだが、エジプト人からは「牡牛座」を代表する者と思われていた。なぜエフライム族の長は、出エジプトの時に「金の子牛を作ろう」と言ったのでしょうか。エフライム族の祖ヨセフのシンボルは野牛だったからです。(かも知れない。ミカエル) これは、エフライム族の象徴であるユニコーン(一角獣)が、「一角牛」に由来するからだと考えられます。つまり、エフライム族は、バアル神に導かれた民族だという意味だと思います。
 日本各地の天神社に牛の像があること。また、四国、紀伊半島、北陸、東北地方に牛人、牛鬼、牛女伝説、あるいは赤牛信仰が残っているのは、昔の日本でも”天の牛”が崇拝されたことを意味している。豊岡盆踊歌「べーろ・やー、べろ・べーろ・やー」という囃子詞がヘブライ語で「バアルはヤハウェなり、バアルはバアルヤハウェなり」という意味とのこと。しかし、素人目から見ても、「バアルはヤハウェなり、ベルはバアルなり、バアルはヤハウェなり」と解釈する方が正しいのではないかと推測します。だとすれば、バアル=ベル(マルドゥク)=ヤハウェ(エル・ランティ様)を意味しており、エル・ランティ様のことだと推測しました。
 これに対して2005年9月22日に、ミカエル大王様から「ヤハウェは絶対神を表すが、プタハ(エンキ)はヤハウェを自らと同一視させようとした者で、エンキの化身であるバアルとは邪心と野心の表れと言うべきでしょう。しかし、絶対神はエル・ソラティア王であり、エル・ランティ前王である。世襲制の継承権を持つ者のみが許される尊称です。バアルやエンキでは有りません。」との概要のコメントを頂きました。つまり、エル神はアヌで、その子バアルはエンキ。バアルは頭牛王であり、スサノウとイメージがダッブています(付録5.もう一人の牛頭王参照)。
 結論として、アブラハムの妻であり妹を、天照大神として隠蔽したため、本当の男神である天照大神が失われてしまった。そして、サタン・ダビデのイメージを持つスサノウが、イスラエルと天皇家の正当な神祖であり、その子の大物主神(後述の「24-.7 大物主神の正体」参照)が正当な天孫降臨族だと偽装することに成功した。まさに、[竹下文書]から発生した大本教の主張通りで、これがサタン・ダビデの日本国と千乃正法潰しの為の謀略だったことは明らかです。
 一方、イルミナティはルシファー信仰だと言われているが、本当の神は、バアル=プタハ(エンキ)=ヤハウェとのことで、いずれの神をもサタン・ダビデは偽称しています。そして、サタン・ダビデがすり替わったバアルはみずからを、天と地の創造者として、ヤハウェに向けられるべき祈りを自分に向けさせ、偶像をつくらせて、これを崇拝させ、エル・ランティ様に対抗したのでしょう。

 (注1)[日本固有の文明の謎はユダヤで解ける]より
 ヨセフの妻豊玉姫(日本では海神の娘。エジプトでは、太陽神の祭司の娘アセナテ=ヨセフの妻は、太陽神の巫女。)は、竜の姿になって子を産み、生まれた子がウガヤフキアエズ(エフライム)で、天皇家が竜の子孫として描かれています。
 ここでも、エル・ランティ様がエンキ系に御養子に成られた様に、出雲と邪馬台国の婚姻同様,ヨセフ(エンリル系の男子)は、エジプトの神官の娘(エンキ系)に養子になりました。
 つまり、ヨセフの子孫のエフライム族とマナセ族には、エジプト人の血が混じっています。また、妻豊玉姫について、古事記では巫女だと述べており(「玉」は神霊の依り代を表わす。天の神の神霊の依りつく姫。[古事記 全訳注 上 P199])、アセナテと同じ巫女です。
 (注2)イスラエル王国は、南王国(ユダが祖)と、北王国(ルベンが祖)に分裂した。
 ヨセフの子エフライムとマナセが、後の北イスラエル王国の主要構成部族となり、エフライム族が北イスラエル10部族の王家の部族となった。


24-3.聖書の中のエフライム族への預言

 [創世記 24-9章]では、ヤコブはその子らを呼んで、後の日に起こることを告げたました。その中で、ヨセフ(エフライム族の始祖)は、兄弟に奴隷としてエジプトに売られましたが、最後には兄弟の頭になり、預言は成就しています。
    「ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。
     その枝は、かきねを越えるだろう。
     射る者は彼を激しく攻め、彼を射、彼をいたく悩ました。
     しかし彼の弓はなお強く、彼の腕は素早い。
     これはヤコブの全能者の手により、
     イスラエルの岩なる牧者の名により、
     また上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、
     乳ぶさと胎の祝福をもって、
     あなたを恵まれる全能者による。
     あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、
     永久の丘の賜物にまさる。
     これらの祝福はヨセフのかしらに帰し、
     その兄弟たちの君たる者の頭の頂きに帰する。」

 [申命記 28章]には、日本に特徴的な習慣の預言があります。
   「あなたの牛が目の前でほふられても、あなたはそれを食べることができず、
    あなたのろばが目の前で奪われても、返されないであろう。あなたの羊が
    敵のものになっても、それを救ってあなたに返す者はいないであろう。」

 徳川時代まで、日本人は牛を食べなかった。牛を食べたのはもっぱら外国人だけだった。また、徳川時代が終わるまで、誰もろばを持っていなかった。日本の歴史で羊を飼っていた人たちがいたことはまったく知られていない。ところが、中国には昔も今も羊はたくさんいる。しかもその羊は現在パレスチナにいる羊と同じ種類なのである。日本人がこれまで、羊とろばを家畜として飼わなかったことはきわめて特徴的なことである[日本人とユダヤ人]。サタン・ダビデは、日本人を農民としたかったのだと思います。カインは農民だった。ノアの呪いを受けたカナンは、召使いの立場なので、労働に従事していた。

 [申命記 28章]には、偶像崇拝の日本仏教について預言されており、日本において成就しています。
 「主はあなたとあなたが立てた王とを携えて、あなたもあなたの祖先も知らない
  国に移されるであろう。あなたはそこで木や石で造ったほかの神々に仕えるであろう。」

 日本のみではなく、ユダヤ人やイスラエルの十部族もまた偶像を崇拝していました。ユダヤの多くの町で「天の女王」を崇拝した[エレミア書 7章18, 25章]。女神シャパシ[列王記 23章11,5],ダゴン[サムエル記 1章5],アシラ[列王記上 18章19],アシュタルト[サムエル 12章10],アユタル[列王記上 11章7],アナト[ヨシュア記 21章18]などの、カナン神話の神々を崇拝していた。その中で、王位を継承したバアル[列王記上 16章31,32章,18章19,21章,22章,25章,26章,24-0章]、つまり延期とサタン・ダビデを最も崇拝していた。
 キリスト教においては、イスラエルの十部族,ユダヤ人,原始キリスト教徒が、東に逃げ延びた時、インド仏教やヘレニズム文化の影響を受け、偶像化してしまった。インド付近のユダヤ人やイスラエル十部族の人々は、阿弥陀如来(エル・ランティ様)、大日如来(ミカエル様)、弥勒菩薩(救世主)として、仏教を取り入れ、ヘレニズム文化の影響により、偶像化した密教となった。また、原始キリスト教は景教として、秦氏一団としてシルクロードを通じて、日本に渡来した。
 日本仏教について[仏教の中のユダヤ文化]から説明します。空海が日本で仏教を学んだ僧侶は、秦氏です。開祖釈迦は死者の葬儀をしなかった。しかし、儒教の中国では祖先を大切にしない仏教に対して、批判的だった。そこで、仏教に無関係なソグド人の風習を取り込み、中国で不空金剛がお盆を始めた。その孫弟子が空海である。仏教の葬儀には、位牌や戒名(洗礼名)を伴うが、これは景教の形式を取り入れたものだった。ただ、洗礼は無料だが、改名にはお金が掛かる。密教は、仏陀様の説かれた仏教とは全く異なってしまい形骸化し、人気取りのために見境もなくキリスト教の形式を取り込んでゆきます。
 ただし、盆については、元々は「仮庵の祭」の日だったことが、レビ記から分かります。仏教に取り入れられたときから、日本では「仮庵の祭」が隠蔽されてしまった。
 「七月の十五日は仮庵の祭である。七日の間、主の前にそれを守らなければならない。
  初めの日に聖会を開かねばならない。
  どのような労働もしてはならない。」[レビ記 23章34-35]

 更に、秦氏の母を持つ法然、その弟子親鸞は、他力信仰を打ち立てました。即ち”南無阿弥陀仏”を唱えるだけで救われるというもので、これは仏陀様の仏教と全く無関係の代物です。この他力信仰は「主の名を呼び求めるものは、誰でも救われる(ローマ人への手紙)」が元になり、密教徒が景教をまねて仏教に取り入れたものです。「また悪人なおもて往生す」は、「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」[マタイによる福音書 9章],「悪人に手向かうな」[マタイによる福音書 5章]に由来していると云われており、他力信仰も含め、サタン・ダビデが与えたのでしょう。
 つまり、原始キリスト教が出現したローマ帝国下のイエス様とヤハウェ様の関係が、日本密教では、唐帝国(第2代と第3代皇帝が、景経を中国に流布し広めた)下の聖徳太子(弥勒菩薩、薬師如来)と大日如来(ヤハウェ様)に対応します。つまり、密教というサタン・ダビデが打ち立てたまったくとんちんかんなヴァーチャルの世界を、不幸なことに日本人は毎日拝んでいるのです。
 インドや中国の仏教僧は、キリスト教に人気を奪われてしまいつつあったが故に、イエス・キリストの伝記(福音書)の表現を借りて、釈迦の伝記を創作してしまった。同じように、日本で偶像化した密教を広め国教化するために、聖徳太子(注1参照)は利用された。この為、密教は一時日本の国教のような地位にまで登りつめてしまいました。この影響を受け続けてきた現在の日本は、左翼教育の浸透もあり、現天上界の神々による正法流布に対して、正法が理解できない民族に変貌させられてしまったのかも知れません。
 一方、織田信長をはじめ戦国武将たちは、日本仏教に対する根強い反発を持っていた。彼らにとって、日本仏教は迷信的な邪説で民衆を惑わせ、国家統一を妨げる前時代的な宗教であった。徳川家康が押し進めた政策は、日本仏教に代わって儒教を国教とすることだった。日本仏教は支配者の宗教としては相応しくない。支配者は理性の教え、儒教で心を武装しなければならないと、考えたのでした。
 徳川時代に、儒学者・林羅山が、聖徳太子を厳しく批判しています。聖徳太子は、天皇を殺害した蘇我馬子と連帯して政治を行い、彼とともに密教を日本に広めた。この日本仏教は迷信であり、民を惑わせる邪教である。それによって、日本の理性は曇ってしまった、と林羅山は批判しました。聖徳太子批判はいわれのない濡れ衣だとしても、それ以外はまったくその通りだと思います。

 ■篤く三法を敬え
 聖徳太子の「篤く三法を敬え。三法とは儒・仏・神である」と説いたのであるが、日本書紀の中で「篤く三法を敬え。三法とは仏・法・僧である」にすり替えられたと云われています。藤原不比等が仏僧の道慈を登用し、道慈がすり替えたとのこと[仏教の中のユダヤ文化]。

 [申命記 32章]の「彼らを遠く散らし、彼らのことを人々が記憶しないようにしよう」及び、[ホセア書 2章]の「わたしは彼女のすべての楽しみ、すなわち祝、新月、安息日、すべての祭をやめさせる」の預言は成就され、イスラエルの十部族は日本へ追いやられ、日本各地に散らされ、イスラエルの習慣・言葉を失った日本人は、2千5百年以上も世界から忘れ去られていました。

 [列王紀下 17章]に、イスラエルの十部族が主を怒らせた理由が記述されています。
   「これは主が、周囲の異邦人のようにおこなってはならないと彼らに命じられた
    ものである。彼らはその神、主の全ての戒めを捨て、自分のために二つの子牛
    の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、
    またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、
    主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。それゆえ、
    主は大いにイスラエルを怒り、彼らをみ前から除かれたので、ユダの部族の
    ほか残った者はなかった。」

 [エズラ書 12章]によれば、イスラエルの十部族のうち、神に従う者達が、日本に向けて旅立つ決意について記述されています。
  「そしてあなたも見たとおり、”彼”は平和を好むもうひとつの民を集められました。
   それはオセア王(イスラエル最後の王ホセア)の時代に自らの地よりとらわれ
   人として連れ去られた十部族です。
   アッシリア王シャルマネサルはオセア王を捕らえ、王の民を海の向こうへ連れ去り
   ました。そこで彼らは別の地に来たのです。
   しかし彼らは相談し合って次のように決めました−−我らは異教の民から離れて
   さらに遠い所へ行こう、これまで誰も住んだことがない彼方の国へ、と。
   そこでなら、父祖の地で我らが守り通すことのできなかった掟を守ることができる
   かもしれれない。」

 この旅立ちは、時のエジプトのラーに使役されていたイスラエル人達を連れ、カナン人の住むカナンの地に向けて旅立ったモーセの出エジプトに似ています。つまり、エジプト・イスラエル人・モーセ・カナン人の対比として、イスラエル十部族を捕囚したアッシリア・イスラエル十部族・エフライムのリーダ・大和国のように対応してしているように思われます。歴史は繰り返されるとよく言われますが、不思議なことに聖書の中では、同じようなことが時代を変えて何度も繰り返されています。サタン・ダビデが自分の予言の成就に執着し、舞台設定を行ってきたからではないでしょうか。異常な執着心を持つ性格だと思います。

 移動先については、東の海との記述が[イザヤ書]にありますが、海を越えた東の地に移住したことが分かります。関連する記述を抜粋しました。
  「それゆえ、東で主をあがめ、海沿いの国々でイスラエルの神、主の名をあがめよ。
   われわれは地の果から、さんびの歌を聞いた。」[第二四章]
  「だれが東から人を起こしたのか。
   かれはその行く所で勝利をもって迎えられ、…その足のまだ踏んだことのない道を、
   安らかに過ぎゆく。…海沿いの国々は見て恐れ、地の果ては、
   おののき、近づいて来た。」[第四一章]
  「わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。
   わたしはわが霊を彼に与えた。
   …かれは真実をもって道をしめす。
   彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。
   海沿いの国々はその教えを待ち望む。」[第四二章]
  「律法はわたしから出、わが道はもろもろの民の光となる。
   わが義はすみやかに近づき、わが救は出ていった。
   わが腕はもろもろの民を治める。
   海沿いの国々はわたしを待ち望み、わが腕により頼む。」[第五〇章]

 [エゼキエル書 39章]にエフライム族とユダ族による王権の実現が述べられ、日本で成就しています。
  「神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、エフライムの杖(王権)と、
   それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、
   一本の杖とし、私の手の中で一つとする」

 大和朝廷のエフライムとニギハヤヒ命の部族に、原始キリスト教徒の秦氏(レビ族とユダ族)が渡来して、秦氏は裏で科学技術・事業他を含め、ニギハヤヒ系の部族を退け、天皇家の祭祀をも牛耳った。そして、秦氏が日本に、偶像崇拝の密教を導入した。おそらく、サタン・ダビデはエフライム族が、エジプト・インドを経て、海路でアジア諸国から日本に渡来する現天上界の御計画を知り、これを利用して日本で自分の王国を築こうとしたのだと思います。この謀略は、日本への密教の導入と浸透で成功し、戦国武将により阻止されました。
 更に、[秦氏が祭る神の国・その謎 P22-23]には、秦河勝を筆頭とする秦氏一族は、太秦公一族で、太秦公,酒公と言われていた。大秦はローマのことなので、秦氏一族は、ローマから来た、原始キリスト教徒、即ちユダヤ人とレビ人だったと推測されます。大が太になっているのは、秦一族に神が宿っていることを意味している。つまり、秦氏一族は神と共に、日本に渡来した。この神こそ天照大神と原始キリスト教の神々だと思います。天照大神とスサノウの命の高天原での神話の中に、機織りと馬が出てきます。どちらも、秦氏の仕事であり、天照大神と秦氏との関連を残したのでしょう。
 よく考えると、イスラエル十部族が出発し、エジプト・インド経由で日本に渡来した後、日本において、ヨセフと徳川家康,モーセ様と秦河勝,イエス様と聖徳太子の物語りが、よく似ており、聖書の内容が日本で繰り返えされているように感じられます。つまり、サタン・ダビデは彼の想像した物語を細部まで完璧に仕上げ、最後に絶対神として君臨したかったのではないでしょうか。この心理は、完璧犯罪者と同じ心理で、自分の完璧な計画の実現のためには手段を選ばない。また、一度失敗しても、成功するまで何度でも同じ計画を繰り返すのです。この手の知的なサイコパスは、普段はおとなしく、隣近所でも模範の市民で、気さくで明るい性格を装っている。しかし、犯罪に関しては、非常に冷酷で残忍になり、目的の達成のためには手段を選ばない。おそらく、脳の一部が萎縮もしくは壊れていたのではないでしょうか。


24-4.古史古伝について簡単に紹介いたします。

 [天皇家とイスラエル十支族の真実]によれば、日本の古代文字は、古代オリエント文字と似ている。古代エジプトの象形文字や古代イスラエルのアルファベット(ヘブライ文字)と多くの共通点を持っている事実を確かめることができた。アヒルクサ文字は、ニギハヤヒ(ニニギの兄)を神祖とする物部一族の文字と考えられ、フィリピンやマレー、アラビアの古字と同系だと北里闌博士によって論証されている。上記の記録用文字として知られるトヨクニ文字は、象形神字をカタカナと呼んでいる。この文字の古体はエジプトの象形文字、新体はヘブライ文字とよく似ている。トヨクニ文字がテーベの象形文字と一致する。奈良時代に吉備真備がつくったといわれる片仮名は、1868年に死海の東岸から見つかったモアブ石の文字と多くの点で似通っている。北海道異体文字が、インダス文字やイースター島文字と似通っている(東京人類学会誌18号。坪井博士)とのこと。つまり、本著者は結論として、神代文字が漢字以前の日本で使われていたことを述べています。
 また、神代文字で記述されていた古史古伝が正しく伝承され、正しく翻訳されたかについては疑問ですが、[超新論古史古伝]によれば、主な古史古伝の概略は下記の通りです。また、神代文字については[LR第二十九巻特別クリスマス・新年号 神代文字が語り始めた真実の日本史]を参照下さい。
  竹内文書(物部氏 ):竹内すくね(物部氏)の子孫が、神代文字で書いた。
  秀真伝 (物部氏 ):大物主神系が、神代文字(秀真文字)で書いた。
  九鬼文書(エジプト):天児屋根(注1参照)が、神代文字で書いた。
             これを、藤原不比等が漢字へ翻訳した。
  上記  (エジプト):源頼朝の庶子(大友能直)が神代文字(豊国文字)で、書いた。
  宮下文書(ヘブライ):除福文献。徐福は、秦氏一族(原始キリスト教徒)。

 [日本固有の文明の謎はユダヤで解ける]によれば、藤原氏の始祖アメノコヤネが、エジプトのアモン神殿の祭司長であったことは、彼がつくったといわれる春日象形文字がエジプトの神官文字と基本的に一致すること、藤原氏三代は中尊寺にエジプトと同じ手法でミイラとして保管されており、エジプト文明との関連が強いことは明らかです。更に、「ヤコブの十二人の息子は、防腐処理をほどこした父親の遺体を運んでいく」[創世記 50章]とあり、ファラオの棺を担ぐ神官達と同じ姿です。聖書によれば、イスラエル人はエジプトに2400年以上も逗留しており、エジプトと同じ風習があったと考えられます。
 関連して、アクエンアテンは、エジプトに一神教を広め宗教改革を断行しました。アクエンアテンと妻のネフェルティティの横顔の肖像([異星文明の巨大証拠群]フェイス篇、[火星の巨大UFO証拠写真])が、火星にあります。また、[天の奇跡 上]によれば、精神的すぎるが天の擁護された王のようです。一方、アテン神と同じ太陽円盤をシンボルとするアシュール神(前1900年頃で、アテン信仰より古い。)は、アダトとニヌルタによる創案であり、サタン・ダビデとは無関係だとすれば、火星文明を含む現天上界は当時既にエンキとサタン・ダビデを嫌っていたのではないでしょうか。そして、火星とエジプト間を宇宙船で往復していたのではないかと推測されます。その証拠としてフェイスを残されたのではないでしょうか。


(注1)天照大神と部族
天児屋命(アメノコヤネ、神道の司祭一族である中臣連の祖神)と、布刀玉命(フトダマ、 忌部,海部の祖神)は、宮廷祭儀をこの二氏で分掌した。天皇の即位式(大嘗祭)では、中臣大嶋が太祝詩を唱え、忌部色夫知が剣と鏡を天皇に奉ったという、持統天皇の即位儀礼と密接に関連している。

■ヘブル語との対応
 [日本書紀と日本語のユダヤ起源]によれば、司祭を意味する「コヘン」は、日本人でもカタカナで読めて、「コハノ」と読むだろう。真ん中の「ハ」は漢数字の「八」に近く「ヤ」とも読めて、「コヤノ」の発音が、訛って「コヤネ」になった可能性がある。
 社務所
 「シャマッシュ」からであれば、「仕える」という意味。今日でもユダヤ教会には、シャマッシュがあり、そこで事務的な仕事が行われている。
 ヤマト
 「ヤー・ウマト」の二語は、続けて「ヤー・マト」と発音する。これは「ヤハウェの民」。
 勾玉
 ヘブル文字の「ヨッド」に似ており、それは「ヤー」とも発音される。伝統的に神の御名を表す文字。例えば、「ハレル・ヤ」は「ヤハウェをほめよ」。
 絵馬
 神道では太陽神天照大神に、、馬を捧げてきた。同じく「彼はユダの王たちが太陽にささげて、主の神殿の入口…の傍らに置いた馬を除き去った」[列王記下 23章11]とある。また、天照大神が籠もった岩戸の前で、天児屋命が「ひい、ふう、みい…」と祝詞を述べた。ヘブル語では「誰がその美しいかたを出すのでしょう。彼女に出ていただくために、いかなる言葉をかけたらいいのでしょう」の意味である。
 天宇受売命(アメノウズメ)は、巫女神であって、鎮魂祭に奉仕した猿女君の祖神。
 五十鈴川の左岸に猿田彦神社があり、境内に天宇受売命を祀っている。天宇受売命の子孫が猿女君とされている。また、伊勢の氏族で、朝廷祭祀の舞などに奉仕する女を猿女という。その一族の一部は倭国稗田(現在の奈良県大和郡)に移り、稗田と名乗った。この一族から天武天皇の舎人、稗田阿礼が出た。「帝記」「旧辞」を暗唱しており、これを太安万侶がまとめて「古事記」を編纂した。
 天手力男神(タジカラ神)は、伊勢の佐那県に鎮座している。
(筆者注)タジカラ神は天の岩戸を開きました。おそらく、土木関連の役職だと思います。
 イシコリドメ命は、作鏡連の祖神。
(筆者注)「作鏡」、すなわち鏡造りの役職だと思います。鏡が通信機器であれば、通信技術者です。
 タマノオヤ命は、玉祖連の祖神。
(筆者注)「玉祖」、すなわち玉を作る役職だと思います。玉は電池のようなエネルギー源だとすれば、物性技術者です。


24-5.秦氏が日本神道を潰したのか!?

 崇神天皇のとき、それまで皇居の中に祀られていた天照大神の御神体を、その神威を恐れて移すことにした。だが次の垂仁天皇の代には、皇女・倭姫命(注参照)を大神につけ、鎮座にふさわしい土地を求めさせた。倭姫は、近江、美濃などを巡歴した後、最終的に現在の場所、伊勢国の五十鈴川の川上に至り、そこに宮を建てた。これが内宮のおこりだという。
 [謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経]によれば、聖徳太子は、神代文字で書かれた貴重なものが、日本の密教化・漢字化に伴い忘れ去られるのを恐れ、推古天皇に[旧事本紀]の作成を申し出た。そして、蘇我馬子,秦河勝(注1参照)と共に、天皇家と六家(吾道,物部,忌部,ト部,出雲,三輪。注3参照)に伝わる秘伝書(各部族ごとに異なった神代文字で記述され、他の部族には知られないように工夫されている。)を集め、聖徳太子の死後1年後に、秦河勝により[旧事本紀」が完成した。
    「天皇陛下、今しかありません。先の世の正しい叡智をそのまま記録して後代
     の永遠の指針としましょう。そうしないと神の道(これは今で言う神道とは
     字は同じだが、意味は違う。日本神道というのは本来宗教や信仰ではなく、
     正しく生きるための実践的な道である。)は紛れて、大切な部分が廃れてし
     まうでしょう。それは陛下にとっても嘆かわしいことであるはずです。」

 六家の秘伝を収集する途中で、秘伝の入った箱に、50個の土簡(文字を刻んだ粘土板のような物)が見つかった。
 関連して、除福(=秦氏)の求めた「不老不死の薬」とは、イスラエルの各部族に伝わる秘法の事だったのかも知れません。秦氏は[旧事本紀]を完成して、イスラエルの十部族の秘法を手に入れ、宮中で今日も雅楽を担当している。各部族に伝わる秘法は、それぞれ異なり、暦法、医術、天文、祭祀法、兵法、気象、物理、金属精錬など様々だった。これらの秘法は、人体はミクロコスモス=「宇宙と人体は相似であり、すべての物事は生成と死を繰り返している」という考え方を踏襲している。この考え方を、多方面の一面から見たものが各部族に秘法として伝わった。例えば、人体だと医術,星空だと天文や暦というように。従って、[謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経]の著者が主張されるように、神代文字の翻訳の正誤は別として、古史古伝は、イスラエルの各部族に伝わった秘法だったのではないでしょうか。[民数記 第36章]に、「イスラエルの人々の嗣業は、部族から部族に移るようなことはないであろう。イスラエルの人々は、おのおのその父祖の部族の嗣業をかたく保つべきだからである」と、各部族が各部族内で、秘法を正しく伝授することが述べられています。
 ところが、秦氏はイスラエルの秘法を独占し、サタン・ダビデの予言(前述した[申命記 28章][ホセア書 2章][エゼキエル書 39章])の通り、エフライム族とユダ族による王権を確立し、一方で、秦氏の一族は、密教を日本に定着させた。そして、極端な言い方ですが、サタン・ダビデは唐の日本植民地化政策と秦氏を使って、神道を皇室のみの行事にすり替え、人民から神道を遠ざけ、日本を密教国とし、神代文字ではなく漢字を常用する国とした。このため、神道は日本人を積極的に救うものではなくなってしまったのだと思う。
 [旧事本紀]の完成は[旧事本紀]の序文によれば、[古事記]よりも90年も前に成立しています。また、[旧事本紀]のミクロコスモスの考え方は、トートのヘルメス文書,インディアンの思想、アーユルベーダ、東洋占星術などと同じだと思います。この考え方の中には、サタン・ダビデの目指した、全知全能の神は存在しない。だから、[旧事本紀]の真実が、サタン・ダビデに破壊される心配があります。
 おそらくサタン・ダビデの恐ろしさを知っている推古天皇は、この書を失わないためにどうすれば良いかの神託を仰いだのだと思います。神託に従い、「五十宮」「三輪宮」「四天王寺」に隠した。おそらく、50はヤハウェ様を,3+4=7は7大天使を現しているように推測します(注2参照)。
 「三輪宮(大神神社)」
三輪山を御神体とするため本殿が無く、三ツ鳥居(キリスト教の三位一体の教義)がある。
 「四天王寺(宮中図書館)」
未来に向けて「旧事本紀」を隠し安置する。

 このように[旧事本紀]については、50という数が目に付きます。これは、エル・ランティ様が介在されたことの証明だと思います。関連して、ユダヤ人の最後の王ヘロデ・アグリッパの後、ローマに併合された。そして、紀元66年に、ローマ第一次ユダヤ反乱が起こった(ユダヤ人にとってあくまでも独立戦争であった)。抗戦四年、エルサレムは陥落し、一部のユダヤ人はマサダの砦に立てこもり、三年に渡って抗戦したが全員が玉砕した。ついで60年後に、第二次ユダヤ反乱が起こった。自分の貨幣を発行していることから、独立を回復し得たといわれている。このユダヤの独立戦争には、「抗戦四年」「マサダの抗戦三年」「60年後の独立」のように、「四天王寺」「三輪宮」「五十宮」と数字の並びがそっくりで、60はアヌですが、このユダヤの独立戦争はエル・ランティ様が守護されたのではないでしょうか。おそらく、第二次ユダヤ反乱の前後、紀元66年前後に、エル・ランティ様は地球の司令官(50)と天の司令官(60)の両役職を兼ねられたのではないでしょうか。
 まとめると、聖徳太子は、夢殿に籠もり、日本の将来と最後の時のために、イスラエルの秘法を一文字もたがわずに写させ、漢字化させて[旧事本紀]を残した。そして、秦一族がこれを踏襲し、皇室行事を取り仕切った。一方で、皇室行事と国民を切り離し、秦一族は中国から偶像崇拝の密教を導入し、サタン・ダビデの予言を成就させた。そして、UFOとの交流を通じて技術を習得し、当時の日本の産業,土木建築,金属精錬などを一手に引き受け莫大な財と権力を手中にし、目立たないように日本を裏から牛耳った。おそらく多くのハムの子孫を使役していたのだと推測されます。また、藤原不比等により、聖徳太子がまるで仏教徒のように偽装された。
 [太古、日本の王は世界を治めた]によれば、アヒルクサ文字やイヅモ文字で「天照大神 藤原不比等」,「日継尊 源頼朝」,「天宇受売命 藤原忠文」,「天津児屋根命」が、伊勢神宮の神宮文庫に奉納されています。元々藤原氏は、エフライムの兄弟であり、天皇家を支える役割です。しかし、藤原不比等が天照大神だと不遜にも記述しているように、権力に溺れてしまったのだと思われます。従って、ユダ族の秦氏一族と、中臣鎌足(百済の王子と云われている)とその子藤原不比等が、サタン・ダビデの手足となって、古代日本人(イスラエル人)の理性を曇らせてしまったのでしょう。


 ■補足:日本の言霊について
 日本の言霊信仰は、マハーバーラタ(ちくま学芸文庫)を読むと、呪いの言葉、祝福の言葉、マントラが、そのまま現実の現象となる。そして、この呪いを打ち消す方法を探し出すことに翻弄しています。また、旧約聖書でも「ノアの呪い」や「主の呪い」、新約聖書においては奇跡を起こす前に様々な言葉を語ります。この伝統が日本(神武天皇がインド経由で日本へ)に引き継がれたのだと思います。また、「当時、詩人の呪言は矢よりも恐ろしい武器とされていた」[コーラン 中 P226]とあり、アラブ人にも言霊の影響があったのだと思われます。
 ニンフルサグは人類創造の時に祈祷しながら作業しています。また、[申命記]には動物の死体に少しでも触れただけで、午後まで汚れるという表現が幾度も記述されています。また[申命記]には、「のろう神」「ねたむ神」の表現が幾度も記述されています。
 [記紀]を読むと、憤死した怨霊の祟り、死に対する汚れについては、異常です。この怨霊の祟りを鎮めるために、原始仏教にはない葬儀と呪術を取り込んだ密教が日本に定着した。元々原始仏教は死者のためではなく、生きた人の悟りのための教えであった。神道もまた、聖書を読めば分かるように、死者の為の書ではない。
 おそらく、怨霊の祟りや、怨霊の呪いは、日本に形骸化した仏教を定着させ、黄泉を広げることで、日本を支配するためのサタン・ダビデの手段だったのでしょう。例えば、加持祈祷、陰陽道、呪術などで、如何に強力な怨霊になるかを教える。次ぎに、疫病や悲惨な状況を引き起こし、もしくは自然現象を利用して、祟りだと思わせる。混乱した時の政権に、お告げの形で命令を出し国政と天皇を操ってきた。このような事例は、大国主命,菅原道真,崇徳上皇他、「記紀」の中にたくさんあります。これら日本の悪魔達は、いまだに天皇家を呪い、日本を支配しようとしているのでしょうか。
 また、神道で死を嫌うのは、モーセの律法[ユダヤ古代誌T 司祭に関する特別の立法 P318]の中に、大司祭だけは死体に近づくことが許されない。ただし、一般の司祭の場合には、兄弟や両親や子どもが死亡したとき、それに近づくことが認められており。また、モーセは司祭に常人二倍する純潔を要求した。奴隷の女、戦争で捕虜になった女、水商売や客商売で生計を立てている女、理由の如何に問わず夫に離縁された女と、司祭が結婚することを禁じた。また大司祭の場合は、寡婦との結婚も許されず、結婚相手は同じ部族の処女だけに限られた。このようなモーセの律法を引き継いだのだと思われます。

 ■倭姫についての補足([天照の謎と正体]より抜粋)
 [伊勢風土記]によれば、「倭姫は飯野の高丘にお入りになり、機屋を作って大神の御衣服を織らせた」とあり、天照大神の食事、衣服、神殿を整えた。これは、現在(2006年以前)の先生のお姿にもお見受けされます。
 「皇太神宮儀式帳」「倭姫命世記」によれば、倭姫の巡幸は伊勢の地を目指して、34年間も彷徨した。この天照大神とその巫女である倭姫に、阿部臣,ワニ臣,中臣連,物部連,大伴連の遠祖達が随行した。そして、巡幸した地域を恭順させながら進んだが、伊勢国は特に豪族の勢力が強く、「伊勢風土記」によれば激しい戦いがあった。つまり、倭姫は自ら天照大神を祭り従いながら、戦いの最高司令官として戦闘をも指揮した。
 この事実は、モーセ様の出エジプトでは、ヤハウェ様に従い、荒野を24-0年間彷徨い、カナンの地を目指されました当時と同じだと思います。そして、S波攻撃を避けるためキャラバンを続けられていた先生のお姿と重なって見えます。
 また、古代では、戦場に男女一対で赴くことが許されていた。女性は霊力が優れ、祭祀は男性よりも女性の役目だった。また、百姓の家庭では、家の祭祀をとり行うのは妻の役目であった。時代がさかのぼると、政治を行う男性よりも、祭祀を行う女性の方が地位は高かった。その政治形態は、邪馬台国の女王卑弥呼とその弟のように、姉が祭祀を、弟が政治を行うことが多く見られる。

 ■(注1)
 秦河勝の出自は不明で、モーセ様のように川に流されたが負けなかったというので、河勝という名前で呼ばれた。モーセ様の時に聖書の暗号化がなされたとのことでしたから、[旧事本紀]を完成させた秦河勝は、モーセ様と何らかの関係があったのでしょう。

 ■(注2)
 神道家・長野采女と潮音が、[旧事本紀]を江戸時代に出版。
[旧事本紀]の中に、伊勢の皇大神宮の別宮とされている伊雑宮の方が古いとする記述があったことを理由に、皇大神宮の神官たちが激昂し、「旧事本紀」の詮議を幕府に申し立てた。1681年、幕府は[旧事本紀]を偽書と断じ、発禁処分とした。長野采女と潮音、伊雑宮神官は流罪と決まった。しかし、潮音だけは時の将軍綱吉の生母・桂昌院の取りなしにより、謹慎五十日の後、黒竜山不動寺に身柄を移された。
 この事例にもある50については、五十鈴川、50個の土簡なども含め、エル・ランティ様の関与があったと、解釈しています。

 ■(注3)[旧事本紀]の六家に関連して
 [古事記 全訳注 上]の天照大神の天の岩戸神話に出てくる六神は、それぞれに役割が決まっています。おそらく、これら六神の子孫が、(吾道,物部,忌部,ト部,出雲,三輪)に相当するのではないでしょうか。  高御産巣日神(タカミムスヒ)の子で、ニニギノ命の母(アラムびとのラバン)の兄の思金神は、天照大神が岩戸に隠れたときの天の岩戸開きの作戦を考え、豊葦原統治の段取りを天照大神と一緒に実現を指揮した。思慮を兼ね備えた智力の神と言う意味で、天照大神は「私の祭りに関することを取り扱って政事を行いさない」と仰せられたとあります。また、五十鈴宮に、天照大神と思金神が祭ってあります。
 天照大神と思金神が五十鈴宮に祭ってあるので、エル・ランティ様の御希望だと思われます。政治関連を行う思金神とは、神社伝承で建築と知恵の神(思兼の「カネ」はカネジャクの「カネ」に通じ、これは曲尺、短尺のこと。この曲尺は直角に曲がった物差しで、大工金とも呼ばれる大工道具の中では一番大切な物。)で、トート関連の方のように思われます。

 ■(補足)五瀬の命について
 神武天皇の兄弟の、「五瀬(いつせ)の命」の呼び名が、「伊勢の命」と同じように感じられます。また、イスラエルを、イス・ラー・エルに分解し、イスをイセに変えると、イセ・ラー・エルになります。ラーは太陽、エルは神だとすれば、イセ・エルで、太陽神(50)を祭る伊勢神宮と同義になると考えられます(イスラエルのエジプト語の意味は、「ラーと神の息子」です。[出エジプト記の秘密 P118])。くわえて、数値5に同音の午には、くまのごおうほういん(熊野牛王宝印の神札)のように牛の意味もあり、エフライム族のシンボルです。従って、五瀬の命は、エフライム族の御子という意味だと思います。

 ■(補足)スメラミコトの由来について
 スメラは3千年前のサマリア(北イスラエル)に由来するものではなく、更に古いシュメール、バビロニア時代に使われた言葉に由来するという。古代バビロニアのセム語で”神”を意味するスメルと”天降るもの”を意味するミグトが結びついて訛ったもので、本来は”天降れる神”の意であった。エジプトの第18王朝アメンホテプ四世(アクエンアテン)の時代から発見された文書にはサマリアがスムル(Sumur)と記されていることに基づけば、2千8百年前から、3千年前の事だったかもしれない[日本固有の文明の謎はユダヤで解ける]。
 以上から、日本人は古来自分達を「天孫降臨族」と呼んでおり、古代バビロニアのセム語での解釈”天降れるもの”と似た意味だと思います。そして、アヌンナキもまた“天降れるもの“で、アヌンナキとエフライムを同じ”天降れるもの”だと少し違和感があります。やはり、エフライムは“天降れるもの“の”子孫”という意味が正しく、スメラミコトの解釈としてはこれでよろしいでしょうか。
 関連して、[日本書紀と日本語のユダヤ起源]の中で、著者ヨセフ・アイデルバーグは、古代日本の伝統、宗教的儀式、俳句、民謡までもが、ヘブル語起源であり、「古代サマリヤ(北王国イスラエル)」との強いつながりを示していることを、記述しています。一例ですが、他にも多くの事例が掲載されています。

「天孫民族」
 聖書では「あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである」[申命記 14章1]。
「神道」
 聖書では「わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むのなら」[列王記上3章14]
 とあり。「わたしの道」=「神の道」、すなわち「神道」である。
 つまり、祖先が行ってきた道を着実に執り行うことが神道の本質である。
 その事によって、神の守護を得ることができる。
「神道の供え物」
  餅(種なしパン)、酒、初物は、イスラエル人の供え物と同じ。イスラエル人が
 正月に種なしパンを食べるように、日本人も餅を食べ、休日を過ごす。
  「正月の十四日の夕は主の過越の祭りである。…あなたがたは七日の間は種入れぬ
   パンを食べなければならない。その初めの日に聖会を開かねばならない。
   どんな労働もしてはならない。…第七日には、
   また聖会を開き、どのような労働もしてはならない。」[レビ記 23章5-8]
  「彼らは正月の十五日にラメセスを出立した。」[民数記 33章3]
 また、イスラエルの供え物には、必ず塩が付されたように、神道にも付される。
  「あなたの素祭に、あなたの神の契約の塩を欠いてはならない。すべての、
   あなたの供物は、塩を添えてささげなければならない。」[レビ記 2章13]


24-6.古代日本と七大天使から

 「24-5.秦氏が日本神道を潰したのか!?」にて、聖徳太子は、夢殿に籠もり、日本の将来と最後の時のために、イスラエルの秘法を一文字もたがわずに写させ、漢字化させて[旧事本紀]を残した。そして、秦一族がこれを踏襲し、皇室行事を取り仕切った。一方で、皇室行事と国民を切り離し、原始キリスト教徒の秦一族は中国から偶像崇拝の密教を導入し、サタン・ダビデの予言を成就させた。そして、UFOとの交流を通じて技術を習得し、当時の日本の産業,土木建築などを一手に引き受け莫大な財と権力を手中にし、目立たないように日本を裏から牛耳ったのではないかと、推測しました。
 [天の奇跡 下 ガブリエル様 問四解答 P158]に、「総ての黙示は天から与えられ、エル・ランティ=ヤーウェ=エホバ様からのものもあれば、サタン・ダビデのものもありました。」とあり、同一人物でもエル・ランティ様とサタン・ダビデ両者のメッセージを記述した方も居られる事でしょう。
 エンキとサタン・ダビデの王位継承の怨念については、日本では南北朝の戦い、古事記や日本書紀に見る王位継承の争乱を見れば、明らかです。なかでも、父に鳥羽天皇をもつ崇徳上皇は、祖父の白河法皇と母との子で、父は崇徳上皇のことを叔父子と呼び嫌っていた。この為、崇徳を天皇とせず、彼の弟を後白河天皇とした。鳥羽天皇が死去し、崇徳上皇と後白河天皇との乱戦となり、破れた崇徳上皇は讃岐へ配流となる。崇徳上皇は望郷の念から都に手紙を出すが、冷たくあしらわれる。この仕打ちに激怒し、崇徳上皇は舌を食い破った血で写経に、「われ、日本国の大悪魔となりて人の世を呪わん。人の世のつづくかぎり、人と人とを争わせ、その血みどろを魔界から喜ばん」と記し、海に沈めた。それ以来、髪と爪をのびるにまかせ、悲憤憤慨しながら死んだ。非業の死を遂げた崇徳上皇の怨霊が、その後直ぐに都に現れ様々な害をなしたと云う。このような魔界の亡者を増やし、魔界を支配して、サタン・ダビデは、地球に君臨しようとしたのだと思います。
 おそらく、サタン・ダビデは、天照大神の再臨計画、つまり最後の審判時に日本に現れる、ミカエル様に守護された人類の救世主の出現の御計画を、エル・ランティ様の黙示により知り、これを潰して、乗っ取りたかったのだと思います。
 一方、「神楽歌と呼ばれる神前で奏する楽舞に伴って唱和される歌謡のことですが、ここに挙げる宮中神楽歌は、現在の「正法」にとってもかなり重要な内容を含んでおり、見逃すことの出来ない歌謡でもあります。」[古代日本と七大天使 神代編 P16]とあり、引き続いて、ミカエル様の大王就任や、次期大王としてガブリエル様であること他が、記述されています。
 結局、預言者を有する秦氏等を通じて、エル・ランティ様が日本における黙示「エル・ランティ様御自身が、天の正しい御方針を巧みに伝えるあらゆる場を捕らえて実行なさっておられた」[天の奇跡 下 問十六解答 ガブリエル様 P324-3]を歌謡に封じ込めたり、預言を実行した。このことを知ったサタン・ダビデもまた、同様の手法で秦氏に予言を行い、実行させたのだと思います。
 その証拠の一つとして、秦氏は八幡神社を全国に建設しました。八幡の八は、ヤでヤハウェ様を意味します。更に、幡=秦=旗については、「ヤハウェわが旗」[出エジプト記 第17章]とあり、「わが旗、私達の一族。すなわち、私達の島もろもろの計画と証言としてのもろもろの計画。そして救い主の潔白。王位の潔白。火としての潔白。私達のその火、モーセ。」[古代日本と七大天使 神代編 P65]と記述があります。つまり、八幡神社は、ヤハウェと、ヤハウェの元にモーセ様に導かれたイスラエル人という意味で、天照大神=ヤハウェ様を祀っているのだと思います。そしてエル・ランティ様のメッセージは、秦氏に守られて封印されていたのかも知れません。
 本来であれば、日本歌謡に封じられたエル・ランティ様のメッセージ[古代日本と七大天使 神代編]と、古代日本の歴史・旧約新約聖書・現正法の天国シリーズやメッセージ集とを比較検討すべきですが、現在の自分には能力が無く、[古代日本と七大天使 神代編]の中で重要と思われる箇所を抜粋しました。


24-6.ミカエル様の大王御就任の預言

 下記の歌謡には、ミカエル様が大王に就任されること、及びミカエル大王様が前王エル・ランティ様から王位を引き継がれた後、裁かれること=最期の審判の実行が預言されており、現在成就されています。
 「天使ミカエルは、神故に王に位する。あなたは計画を立てるだろう。」[P19]
 「裁く方は告示するだろう。」「証言する方としてのあなたは怒るだろう。その時に、
  私達のミカエル、彼は移す。神は裁く方であり私達の助力者でもある。」[P18]
 また、ヨハネの福音書には、「父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。総ての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。」[ヨハネ 第5章]とあり、エル・ランティ様の子であるミカエル大王様御夫妻に裁きを委ねられ、これも現在成就しております。


■毒麦の譬え

 最後の審判時に行われる新約聖書の毒麦の譬えに相当する記述を紹介します。
 「正道を踏みはずす者、彼は嫌悪されるだろう。
  ミカエルは私の代わりであり聞きいれる。
  彼らが罪を犯した時、彼らは揺らぐだろう。
  同情し、引き抜くべく彼は厳しくさせるだろう。」[P224-]


■現天上界の潔白と忌み嫌われたサタン・ダビデ

 現天上界は20世紀に、高橋信次氏を通じて現れ、元七大天使と仏陀様、イエス様、モーセ様の十人の方々による天の正しさの証言と、サタン・ダビデの過去とこれからの悪魔の謀略を証言される計画については、天国シリーズで成就されています。
 「私は、私達の起つ方の敵を引き出すだろう。
  高慢な敵は一族の者だ。
  神であるところの私はくじけさすだろう。
  神は起つ方であり、なすりつける方として、島は計られる。」[P55]
 「わが旗、私達の一族。
  すなわち、私達の島もろもろの計画と証言としてのもろもろの計画。
  そして救い主の潔白。王位の潔白。火としての潔白。
  私達のその火、モーセ。」[P65]

 一方、サタン・ダビデは、古代日本人に嫌われていた。そして、エル・ランティ様を恐れるサタン・ダビデは、巧妙に立ち回り、現天上界を滅ぼそうと計略を進めていた。
 「彼(ダビデ)は、事を計った。
  彼はヤハウェ、エル・ランティを恐れた。
  ……ここで、彼は忌み嫌われた。」[P126]


■誘い寄せられるサタン・ダビデ

 最期の審判をサタン・ダビデも含め行うことが決定された。サタン・ダビデは、現天上界に滅ぼされずに一度は逃げた。そして、囮の団体GLAに現れた。
下記のガブリエル様の王位踏襲の歌謡の中の「彼は」はサタン・ダビデだと思います。一度逃げたサタン・ダビデを呼び戻すための罠だったのかも知れません。
 「しるしはエル、ガブリエル。
  そのあなたは、神としての二番目を踏襲するだろう。
  あなたは順番を望むだろう。
  彼は、あなたを待ち望むだろう。」[P112]


■滅ぼされるサタン・ダビデ

 天使方はサタン・ダビデを常に見張り続けられた。そして、サタン・ダビデの正体が明かされた。敵サタン・ダビデは、エルの「同族」で、しかも「彼の叔父だ」だった。
 「あなた方は、探る者を見張るだろう。
  すなわち、探る者とは翼であり、天使を任じられた者だ。
  欲望である彼は批判するであろう。
  高ぶる者、そのエルは敵だ。
  私達同族の方を批判する者であり、エルであってエルでなく、
  彼の叔父だ。
  敵は、エルであってエルでないダビデだ。
  彼は拒むだろうが、私達は知らせるだろう。
  私達の溶鉱炉としての神、彼の敵である正道を踏みはずす者を。」[P189]

 最後に、サタン・ダビデは、エル・ランティ様に滅ぼされ、成就しております。
 「あなたのサタンを私達の高ぶる者として、私は滅ぼし、
  助力者であるあなた方は告げるだろう。」[P29]


24-7.大物主神の正体

 大物主神について、記紀と神社伝承法の手法を元に書かれた[消された大王ニギハヤヒ]を通して、その正体を紹介いたします。この過程で、サタン・ダビデが、日本の古代史を改竄した事が推定されます。⇒[神代文字の真実と二度の出エジプト]参照

 邪馬台国(三世紀中葉)より以前の弥生中期(紀元前一世紀〜紀元一世紀)頃既に、青銅器を生産する小国家が、大和地方に誕生していた。これが「唐古・鍵遺跡」で、三世紀末まで存続したと推測されている。また、銅剣・銅鐸・青銅の矢じりの鋳型が発見されており、巨大な青銅器工房があったとされている。その後、三世紀中葉から「まき向遺跡」へ移住し、わが国最大の大型前方後円墳である箸墓古墳をつくって全盛期を迎えた。この「まき向遺跡」は、三輪山周辺にあるので、ここを支配した崇神天皇を中心とする“三輪山王朝”と呼ぶ者もいる。
  魏志倭人伝には、卑弥呼が女王だと記載されている。これは、中国では、神が預言者を通じて民を導く、もしくは国王を導く国家形態を理解できていなからだと思われます。史記本記にあるように中国では、王位は民を思う徳により決まり、前王を滅ぼして王位に就きます。だから、日神子(ヒミコ)の預言者としての卑弥呼=日巫女を、女王と勘違いしてしまったのだと推測されます。
 大国主命は神武天皇に大和国を譲った。神武天皇は大国主命の娘(姫タタライ五十鈴命)を妻としています。この出雲の大神は、日本最古の神社と言われる大神神社に祀られています。ちなみに、天武天皇の妻の持統女帝は、[日本書紀]の編纂を引き継いだが、691年、大神神社と石上神宮の古文書と、十六家の系図を没収し、抹殺している。
 大物主神の摂・末社には、大物主神や姫タタライ五十鈴命、日向の御子神などが祀られています。この日向の御子神が、神武天皇のことなので、ご養子になられたのだと思います。
 福井県小浜市加茂にある「弥和神社」の祭神は、大歳彦大明神(大明神とは、年代が古く由緒の正しい神々のこと)で、由来は「大和の大三輪神をここに祀れるなるべし」とあり、大物主は別名として大歳彦をもっていた。
 [古事記]によれば、大歳彦は、スサノウが大山津の娘(神大市比売)をめとって生ませた子である。大歳がスサノウの子であることは、祇園祭で有名な八坂神社に、スサノウの五番目の子として祭られている。また島根県飯石郡三刀屋町の大歳神社の[神国島根]によれば、「須佐之男、出雲において大歳生み給い」と記されている。
 島根県八束郡八雲村にあるスサノウの御陵に建てられた「熊野神社」には、スサノウ命は「神祖熊野大神櫛御食野尊」とある。大神神社には大物主神は「大物櫛ミカ玉命」とある。
 生駒山山麓の東大阪市東石切町にある石切剣ヤ命神社の祭神は、ニギヤハヒ命と、ニギハヤヒ命の子のウマシマジ命です。ニギヤハヒ命は「天照国照彦天火明櫛ミカ玉ニギハヤヒ命」とあり、大物主神と「櫛ミカ玉」が同じことから、本著者は、ニギヤハヒ命=大物主神と同定している。
 ニギハヤヒ命は、弟のヤコブに、イスラエルの王位を譲っています。その後、ニギハヤヒ一族はシナイ半島に居住し繁栄していたのでしょう。そして、ヨセフを忘れたエジプト王が、エジプト居留のイスラエル人達を酷使し始めた。そこで、イスラエル人の一部が、ニギハヤヒ命一族の居留地に移住した。そして、石切剣ヤノ命神社の社伝によれば「神武天皇二年、天神から十種の瑞宝を賜り、天磐船に乗って河内の哮峰に降臨したニギハヤヒ命とウマシマジを祀った。」とあり、ニギハヤヒ一族は日本へ移住し、王位を神武天皇に譲ったことを意味していると思います。一つの証拠として、大神神社の鳥居は、二本の杉にしめ縄が張ってあるだけで、決して出エジプト時の「過ぎ越」を象徴する赤い柱ではないので、ニギハヤヒ命の一族は出エジプト前に日本に飛来したのではないでしょうか。
 結局神話に封印された内容は、ヤコブ兄弟の王位の禅譲、大国主命の神武天皇への王権の禅譲、日本の島根にある出雲王国と神武系氏族との統一王朝の三重構造になっており、非常に複雑です。
 このように、聖書に記述のない、事柄が、記紀や神社の伝承として残されており、日本は聖書の正当な民であることの一つの証だと思います。また、「わたしがイスラエルの父であり、エフライムはわたしの長子だからである。」[エレミヤ書 31章9]とあり、エフライムがヤコブの正当な後継者なのです。
 そして、日本神話を正しく解読する者があれば、それは現天上界のご指導によるものでしょう。また、スサノウ=救世主とし、天照大神を否定する者があれば、それはサタン・ダビデの申し子です。現天上界の御計画を傍証することは、サタン・ダビデの謀略を暴くことは明らかです。ところが、この使命を与えられていた、岩間氏と西沢氏、及びUFOカメラマンの一条氏は、サタン・ダビデの奸計を見抜けず、毒麦となって抜き取られてしまいました。UFO写真家の三浦様は、毒麦と成らなかった故に、かえって亡くなられましたが、本当に残念です。
 [旧事本紀]を隠した「三輪宮」は大物主を祀っています。また、大物主=ニギハヤヒ命の子孫であれば、即ち、出雲系の神々、「主」関連の神々は、ヤハウェ様の命に従ったのだと思います。


24-7.ニギハヤヒ一族の降臨

 丹後国一の宮とされ、国宝や重要文化財も多くある籠神社の祭神は、「彦火明命」。相神に天照大神と豊受大神、他二神とあり、「彦火明命」の方が、天照大神と豊受大神よりも上位に位置している。籠神社の宮司の海部氏によれば、「彦火明命」は「当社のいいつたえによれば、彦火火出見尊の別名」とのこと。しかし、彦火火出見尊=ニニギ尊(ヤコブ)は、天照大神の孫に当たり、上位ではない。かつ尊は天皇家を表し、命は非天皇家を表していることが多く、別人だと思われます。
 更に宮司は「当社では彦火明命を彦火火出見尊の別名とみなし、養老元年(717年)以前までは彦火火出見尊を主神としてきましたが、その後は系図から祖先をとって彦火明命が主神にかわっています。」、また海部氏系図によれば、先祖の「彦火明命」は天孫降臨したニニギ命の弟となっている(日本書紀ではニニギの命の兄となっており、こちらが正しいと思います)。
 このように、籠神社は、祭神がニギハヤヒ命であることを隠し、ニニギ尊を祀っているかのように見せかけている。
 愛知県一宮市大宮町に、尾張の国一の宮である真澄田神社がある。草薙の剣が奉納されているという名古屋市の熱田神社は三宮で、古代においては真澄田神社の方が上位の神社だった。その真澄田神社の祭神は「天火明命」(彦は天皇の御子のことを表します)で、その社伝は「天火明命は尾張開拓の祖神で、総産土神である。祭神の子・天香山命は、大和葛城国より当地に来て建国の基をさだめ、この地を尾張の国と名づけ、御父君天火明命の神霊を祀られた。時に神武天皇三三年」とある。
 神武天皇二年にニギハヤヒ一族(32神と25部の物部集団)が河内の哮峰に飛来し、三三年にはその子が尾張の国を建国しており、非常に興味深い。
 また、河内に祭神をニギハヤヒ命とする天磐船神社がある。ここは生駒山脈の北部で、天野川の上流にある巨石に囲まれている。この地は交野台地があり、かつては物部氏の本拠地で、大和へ入る要地とされた。巨石に囲まれた台地であれば、天磐船の着陸地には適当な場所だったのではないでしょうか。他にはこの近くに、祭神を登美ニギハヤヒ命とする登美神社があり、記紀に「登美の長髄彦」の記述があり、この地方はかつて長髄彦の領地だったのだと思われます。


■大和の三大神社の社伝

 古代に置いて天皇の行幸か一番多かったのは、大和の三大神社で「大神神社」「石上神宮」「大和神社」であった。大和神社の祭神は、右にヤチホコ大神、中央に大和大国魂大神、左に御年大神とある。
 ヤチホコ大神は、諏訪の八剱神社などでスサノウ(ニギハヤヒ命の父)の別称としている。また、古事記の御年神は、大歳神(ニギハヤヒ命)の生んだ子とあり、この親子関係から、中央の大和大国魂大神はニギハヤヒ命だと分かる。社伝には「上古、大和大国魂大神は天照大神と共に宮中の天皇の大殿に並斉されていたが、崇神天皇の五年、国内に疫病多く、死亡者が続出し、翌六年、天皇はこの二神が同床にあられるのはおそれ多いと、それぞれの場所に移した」とある。
 また、石神神宮の祭神はフツノミタマ大神、創祀は神武天皇即位元年(宮中に奉祀)、鎮座は崇神天皇七年とある。天香山命は記紀によれば、神武東征のおり神武が熊野で倒れたとき、それを霊剣のフツツノミタマ剣で救出した神として記述されている。また社伝には「神武天皇の東征のみぎり、紀の国熊野において遭難のおり、天つ神のみことのりにより、ふたたび天降り給い、邪神賊徒をたいらげ建国の基礎を定めた。神武天皇は即位のあと、その功績を称えて、長らく宮中に奉祀されていたが、第十代崇神天皇七年に物部氏の祖、イカガシコオ命が勅により現地石上布留の高庭に鎮め祀り、石上大神と称えまつったのが当宮の創である。」とあり、明らかにニギハヤヒ命の子天香山命を祭神としている。


■神武天皇を即位させた物部一族

 石上神社の由緒は、ニギハヤヒ命の長男ウマシマジ命が、神武天皇に王位を譲り、神武天皇即位時に、ニギハヤヒ命から授けられた王のしるしである十種神宝を渡したことを述べている。つまり、記紀では、神武天皇が武力でニギハヤヒ一族を滅ぼしたことになっているが、事実は王位を譲ったのである。
 「ウマシマジ命は、父ニギハヤヒ命の薨去のあと、瑞宝を受けてその遺業を継ぎ、中州の開拓に
つとめられたが、神武天皇の大和入りにあたり、天皇を迎えて忠誠を尽くし給い、天皇の即位
の元年にその瑞宝を奉り、鎮魂の神業を以て祈り奉った。これが鎮魂祭の始めである。天皇は
ミコトの忠誠を喜ばれ、武臣の首座として即位の威儀に立たしめ給いた。その建国に功績を称
えて祭祀される」
 更に、ウマシマジ命が生涯を終えた地の島根県太田市に建てられた「物部神社」の社伝にも「天皇(神武)をウネビノカシハラ宮にて天位につかせ給うとき、祭神(ウマシマジ命)は十種神宝を安置し、神楯を竪て斉い奉る」、「ウマシマジ尊は物部氏の始祖なり。神武天皇大倭国に御遷都のとき大功あり。天皇その功を賞して、フツのミタマの神剣を賜う。祭神もまた天祖(スサノオ尊)より拝承せる十種の神宝を奉りたまう。かくて、天皇即位したまう…」とある。
 従って、天皇家は、すべてニギハヤヒ命ゆかりの大和の三大神社を行幸し、祀ったのだと考えられます。また、[出雲国造神賀詩]には「国造りをした大国主命が子孫の神々を天皇家の守り神として奉って、自分は出雲大社に身を隠した」[古代七大王国の謎 P124-6-124-7]とあり、ニギハヤヒ一族もまた、天皇家を守護していた。
 更に、本著書では天照神社、天照御魂神社、天照国照神社関連を調査したが、祭神は天照大神ではなく、ニギハヤヒ命だと突き止められている。そして、三輪にある太陽神信仰の神がニギハヤヒ命であり、ニギハヤヒ命は太陽神だったことを述べています
 このことは、私には、マルドゥク様から、エル・ランティ様に、王位が継承されたことを暗示しているように思えてならない。つまり、神武天皇即位時にマルドゥク様が、エル・ランティ様に王位を継承されたのではないでしょうか。

 (補足)日本の由来
 [日本書紀 神武紀]に、「ニギハヤヒ命、天磐船に乗り、太虚(おおぞら)をめぐりゆきて、この郷をおせりて天降りたまうとき、名づけて「虚空見日本国(そらみつやまとのくに)」という」とある。
 (補足)十種の神宝について
 ニギハヤヒ命が大和の地に遠征したとき、父スサノウはわが子に祖先から伝わる十種神宝をもたせ、蘇生の術を教えた。この呪文は物部氏の石切剣ヤ命神社に伝わっており、この神社は傷が治る神社として知られている。また、[鎮魂の祝詞]には皇祖神が鋳造された十種の神宝をニギハヤヒ命に授けて、皇祖神がいわれるには、「ニギハヤヒよ、この十種の宝をもち、か弱き国民が病になったときは、この十種の宝を用いて『ひと ふた み よ いつ む なな は ここの たり』と唱えよ。これを唱えるなら、死人も生き返るだろう」[神道行法の本 P78]とある。また、ウマシマジ尊は神宝だけではなく、鎮魂法も伝えたとされ、これが天武天皇に伝承されて鎮魂祭につながったと云われています。


■天照大神は男神

 スサノオ尊=アブラハム、その妻を天照大神と偽証したことにより、混乱が生まれた。本来であれば、イザナギ=テラの子としてアブラハム、アブラハムの子孫としてニギハヤヒとニニギというように史実通りに伝承する。更に、太陽神・天照大御神は、マルドゥク様からエル・ランティ様に、王位が継承されたと伝えれば、何の問題もなかった。
 ところが、アブラハムの妻を天照大神と偽り、天照大御神を歴史から抹殺しようとした。かつ、ニギハヤヒ命とその子、ウマシマジ命、天香山命は、神武天皇を救い協力し、王権を禅譲して即位させた事実を歪めた。ニギハヤヒ命とその子、ウマシマジ命と天香山命を、大国主神とその子、コトシロヌシ神とタケミナカタ神と名前を変えて、ニギハヤヒ命一族の国譲りを、大国主神の国譲りの物語のように、神武朝の力による支配、タケミナカタ神が敗走し諏訪神社へ逃げ込んだように改竄した。つまり、エサウがヤコブに王位を禅譲し、その後エサウ一族がヤコブ一族を滅ぼそうとしたが、失敗し、その後エサウ一族がヤコブ一族を支援することになった(補足参照)ことを、隠蔽した。
 しかも、天皇家を守護しているニギハヤヒ命一族を、大国主神が蛇神で、しかも呪う神、黄泉の神として描いた。さらに、物部守屋と蘇我馬子を戦わせ、形骸化した葬式仏教(解脱を求める原始仏教には葬式はない。)=密教を日本に導入して、神道の教義を隠蔽してしまった。
 ここで[聖徳太子の秘密]から、物部守屋と蘇我馬子の宗教戦争はなかったことを説明します。[日本書紀]には、聖徳太子は、仏教推進派の蘇我馬子につき従い、廃仏派の物部守屋を倒したとある。ところが、蘇我入鹿神社では、蘇我入鹿と素戔嗚尊を祀っており、蘇我氏が物部氏と祖先は同じであることが分かる。また、この神社の正面には「聖徳太子御自作大日如来仏起山普賢寺」とあり、蘇我入鹿は聖徳太子の末裔を滅ぼした人物であるにもかかわらず、聖徳太子を大切にしている。ちなみに、大日如来信仰は、平安時代以降に密教と共に持ち込まれたもので、太子の作品ではない。
 蘇我氏に近い立場で書かれたと思われる[元興寺縁起]によれば、物部氏の仏教推進派に対する迫害は確かにあったが、決定的な対決ではなく、和解したと書かれている。さらに、物部氏系の文書[先代旧事本記]には、蘇我氏との仏教戦争に触れていないばかりか、物部守屋と蘇我馬子が対立したかどうかも明らかではない。[先代旧事本記]では守屋は物部氏の傍流であり、本流は長く存続したと記述されている。そして、蘇我馬子・入鹿を物部氏の系譜に載せている。つまり、唐の植民地化政策である葬式仏教と漢字化に対して、日本を守るために真実が隠蔽されたのだが、同時に日本人はエフライム族の正当な末裔であることを忘却してしまった(注参照)。
 結局、バアル=スサノウ=頭天王=マルドゥクを偽装し、更にヤハウェを偽装したサタン・ダビデが、呪う神・祟る神・蛇神として天皇家を影で操ろうと画策した。最終的には救世主スサノウを装い、天照大神の子孫を滅ぼし、スサノウ・大国主神の支配する日本として乗っ取る謀略だったことが、理解される。
 この謀略に関して、現在天皇家には男子の世継ぎが絶えつつあります。もし、応神天皇や継体天皇の時のように、スサノウや大国主神の系統の男子が養子として迎えられた場合、スサノウ・大国主神の王権が確立します。更に、女系を認めれば、天皇家の崩壊に繋がります。
「昭和上皇様ももちろん女系天皇制反対です。そして次のように申されました。万世一系の代々の天皇方による皇室の成り立ちが女系に切り替わると、(愛子[内親王]様はお子様だけれども)どういった者が現れるか、分かりません。…神から与えられる皇位の継承者は、男系男子から変わっては成りません!…それを破るのは日本が共産国になる時のみ!と昭和上皇様が仰っています。」[エルアール瓦版 第一号より抜粋]

 そして、これがサタン・ダビデの謀略であれば、当然スサノウ救世主、正当な天孫降臨族は大国主神の子孫だと主張することでしょう。最期の審判は、サタン・ダビデにとって、神と人類に対する復讐であり、報復なのです。この世の最後はエサウ=大国主神で終わることが、[第四エズラ書]に予言されている。しかし、2006年2月7日、「秋篠宮妃紀子さま、ご懐妊」の報道があり、皇室問題にも大きく影響を及ぼすことでしょう。
「いつ第一の時が終わり、つぎの時がはじまるのですか。
 アブラハムからアブラハムまでだ。つまり中間の時はないにひとしい。
 アブラハムからはヤコブとエサウが生まれたが、ヤコブの手ははじめから
 エサウの踵をつかんでいた。
 第一の時の踵とはエサウであり、第二の時の手はヤコブである。
 ひとりの人のはじまりはその手であり、
 終末はその踵である。」[第四エズラ書 時の区分について]

 おそらく、サタン・ダビデのストーリは、ヒットラーの支配するドイツを、日本で実現することだったのではないでしょうか。オカルト的錬金術を信じ、悪魔に支配されていたヒットラーは、彼の周りに錬金術師達を集め、ドイツ国民を煽動し、世界大戦を引き起こしました。もし、スサノウの分身=サタン・ダビデの化身が天皇を継承した場合、日本の錬金術師達が彼を取り巻き、竹内文書に述べているように、スサノウが救世主で、日本の天皇こそが世界の王だと述べることでしょう。さらに神器を見せ、日本人を洗脳し、中東の混乱と共に、ヒットラーの時のように世界戦争を引き起こしてしまうかも知れません。しかし、竹内文書が発見された当時ならまだしも、現在の日本では、このようなことが起こらないことを願います。


 (注)「白村江の会戦」で日本は唐の植民地化政策を受け入れた
 天智天皇の時、「白村江の会戦」で、日本・百済軍が、唐・新羅軍に敗北した後、おそらく唐からの侵略を恐れ築城した後、都を近江に移し、そこで即位された。その間に、唐から全部で二百五四人が日本に到着し、約三ヶ月滞在したが、目的及び何を行ったか全く不明です。
 例えば、神よりも仏教を信仰した慈悲のある天皇として紹介されている孝徳天皇の時、[明神として天下の治める日本天皇は…][日本書記 下P169]とあり、この記述の後段には古代中国の皇帝の功績の紹介とともに、彼らの徳政に習ったとの記述があります。この「明神」という神は、日本古来の由緒正しき崇敬の神々という意味です。また、「日本天皇」という響きには、天地を創造した皇祖神ではなく、日本に閉じられた天皇であり、この天皇をまとめる大天皇が、別途存在しているように受けとられます。
 おそらく、「白村江の会戦」で敗北した日本は、唐の植民地化政策を受け入れさせられた。この米軍のGHQに相当する者達が、天武天皇の時代に来日したのだと推測されます。このため、[明神として天下の治める日本天皇は…]の下りは、日本の独立と、中国の植民地としてのバランスを勘案した記述のように思われます。
 この唐の植民地化政策により、日本における、神代文字が廃れ漢字化へ、神道が廃れ仏教国化へと向かわざる得なかった(詳しくは付録参照)。


■ニニギ命の天孫降臨で、アブラハムはヤコブを愛し、イサクはヤコブを祝福した。

 ニニギ命(ヤコブ)の天孫降臨の様子は、[古事記 上171-172]にあります。概略、天照大神と高木神は、ホシオミミ命(イサク)に、葦原中国を平定したので、天降って統治しなさいと命じた。しかし、ホシオミミと高木神の娘との間には、兄のホアカリ命と次男のニニギ命があり、次男を降臨させましょうと申し上げた。そこで、豊葦原の水穂国に天降ったとあります。
 聖書においては、アブラハムと神との契約は「私の契約は、来年の今頃サラがきみに産むところのイサクとたてることにする。」[ヨベル書 15章21]と述べ、一旦イサクが神の契約者と見なされた。しかし、後継者については、イサクはアブラハムの兄弟ナホルの子、ベトエルの娘リベカとの間に、イサクに可愛がられた兄エサウ、アブラハムとリベカに可愛がられたは弟のヤコブがいた。結局、イサクはヤコブを祝福したとあります。
 また、ニギハヤヒ命には、ウマシマジ命、天香山命の二人の子があるが、エサウにも、母違いのエリパズ、リウエルの二人の子[創世記 第36章10]があります。
 一方、エサウの子孫が陰府に落ちたていることが、「その所(陰府)にエドムとその王たちと、そのすべての君たちがおる。」[エゼキエル書 第32章29]と記されています。エドム一族=ヤコブの兄エサウの一族=ニギハヤヒ命一族=天皇家を守護する物部一族が、陰府に落ちているのかも知れない。更に「わたしはエサウを裸にし、その隠れるところを現したので、彼はその身を隠すことができない。その子どもたちも、兄弟も、隣り人も滅ぼされる。そして彼はいなくなる。」[エレミヤ書 24-9章10]とあり、他にも、エサウが断たれる予言は下記の通りです。
 加えて、ヤコブがその一族を連れて、父イサクの元に帰る途中エサウは喜んでヤコブを迎えます[創世記 第33章24-]、また父イサクの前でエサウはヤコブに王位を禅譲し、「弟ヤコブに悪意は一生いだかないと誓った」[ヨベル書 37-38章]とあるが、イサクが亡くなると弟ヤコブへの憤怒が満ち、ヤコブを攻めた。そして、ヤコブは停戦を求めたが拒否され、やむなくヤコブによりエサウは射殺され、エサウの子孫は「ヤコブとその子らに一生年貢を納めることとした。彼らはヤコブがエジプトの地へくだるときまで貢をヤコブに納め続けた。」[ヨベル書 37-38章]とあります。大国主命の国譲、即ち神武天皇に神器を捧げ、神武天皇を即位させたニギハヤヒ命一族が、物部氏として天皇家を永代に渡り守護したことは、エサウとヤコブの双子を身ごもった母リベカへの主の預言が、成就したのだと理解できます。
 関連して、エドム人の王に「ハダト」[創世記 36章]の名の付いた王が居た。ソロモン王の時代にも居た[列王記上36章]。おそらく、アダトがエドム人を守護していたのだと思われ、物部氏をも守護されていたのではないでしょうか。


■大化改新はヤマト(ヤハウェの民)の復活だった

 大化改新の主要な目的は、天照大神(エル・ランティ様)の元、神道を、日本の国家的な宗教の座に回復させる事にあった。[日本書記]の大化改新について、[日本書紀と日本語のユダヤ起源]の中に、旧約聖書との関連が証明されております。日本書紀と旧約聖書を読んでいても、意識して関連づけなければ、思いもよらない結末です。
 例えば、武烈天皇(在位24-98年〜506年)に関して、「長じて裁きごとや処罰を好まれ、法令にも詳しかった」とあるが、「法令」は書かれたもののことで、漢字渡来以前に日本固有の文字が有ったことの証拠の一つ。また、日本で18は長寿を示しているが、なぜなら「生きている」を意味するヘブル単語「ハイ」の数値は18だからである。俳句の17字、十七条憲法のように、17は「良い兆し」を示すとされているが、「良い」を意味するヘブル語「トープ」の数値は17である。さらにヘブル文字に酷似したカナ文字を使う日本人は、ヘブル文字を知っていたと述べています。
 本書は非常に簡明で説得力があるので、これを抜粋して紹介いたします。

・大化時代の開始
 皇極天皇の治世第四年の七月一日に始まった。
 七月一日は、ユダヤでは新年にあたる。聖書ではこの日を「聖なる集会」の日としている。
 「第七の一日の安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としな
 さい」[レビ記 23章224-]

・捧げ物
 七月十四日に使節を遣わし、神道の神々に捧げるための捧げ物を集めた。
 聖書では、ユダヤ歴七月十四日の夕方から「仮庵の祭」が始まる。
 その時、神殿に捧げ物がされるので、十四日にはその捧げ物が用意された。

・奴隷の子
 大化の政府は、男女に関する法の中で、「もし二つの家の間で男奴隷と女奴隷が子を
 生んだなら、その子は母につけよ」としている。
 [出エジプト記 21章24-]では、もし主人が男奴隷に女奴隷を妻として与え、彼らが
 子を生んだ場合、子は母につけよとしている。

・土地再分配
 大化の政府は「班田収授法」を作った。これは六年ごとに、農業用地を人々に再分配す
 るものだった。
 [レビ記 25章3-24-]では、六年の間収穫し、七年目には土地に安息を与えるとある。

・人数に応じた土地
 大化の土地配分は、戸籍に基づき、家族の人数に応じてなされた。
 [民数記 26章524-]では、「人数の多い部族には多くの、少ない部族には少しの嗣業の
 土地を与えなさい。嗣業の土地はそれぞれ、登録された者に応じて与えられねばならない」。

・親族の死
 大化改新では、「死者のために生きている者が断髪したり、股を刺したりて、しのびこと
 を述べたりする旧俗は、ことごとくみなやめよ」としている。
 親族が死んだとき、「自分の頭髪の一部を剃り上げたり、髭の両端をそり落としたり、
 身を傷つけたりしてはならない」[レビ記 21章5]としている。

・嘘言
 大化改新では、「見ていながら見ないと言ったり、見ないのに見たと言ったり、聞いて
 いながら聞かなかったと言ったり、聞いてないのに聞いたなどと言う者がある。正しく
 語り正しく見ることなくして、巧みに偽る者も多い」と述べ、嘘を禁じている。
 [レビ記19章11]に、「盗んではならない。うそをついてはならない。互いに欺いては
 ならない」と述べている。

・証人
 大化改新では、妻を疑って、三人の証言があっても皆で相談した後、官に訴えるべきで
 あると述べている。
 [申命記17章6]に、「死刑に処せられるには、二人ないし三人の証言を必要とする。
 一人の証言で死刑に処せられてはならない」と述べている。

・宴会
 大化改新では「農耕の月には田作りに専念させ、美物(魚)や酒を食することを禁ずる」
 と述べている。
 聖書にはないが、古代イスラエルの伝統によれば、例えば収穫をしてから七週間は、
 いかなる宴会も慎まなければならなかった。

・地域の監視
 大化改新では、「京師を創設し…区画ごとに長を一人置き、四つの区画に令一人を置き、
 戸口を管理し、正しくないことをする者を監視せよ」と述べている。
 [申命記16章18]に、「主が部族ごとに与えられるすべての町に、裁判人と役人を置き、
 正しい裁判をもって民を裁かせなさい」と述べている。

・二倍の償い
 大化改新では、「不当に自分の身に入れたものは、倍にして徴収せよ」と述べている。
 [出エジプト記 22章8]に、紛失物での言い争いについて、「神が有罪とした者が、
 二倍の償いをせねばならない。」と述べられている。

・カタカナとひらがな
 カタカナはヘブル文字に酷似している。「カタカナ」は、「カナンの文字」を意味する
 ヘブル語「クタ・カナン」が若干訛ったものではないだろうか。
 また、「ひらがな」は、ヘブル・アラム語の「絡み合った」を意味する
 「エーラ・クタ・カナン」(絡み合ったカタカナ)が、後に「エーラ・カナ」となり、
 これが短く訛ったものではないかいだろうか。


■大化改新の正体はイスラエルの秘宝(モーセの律法に立ち返る)!?

 蘇我入鹿は、皇極天皇(後の斉明天皇)の前で殺された。この時、女帝に対して、息子の中大兄皇子は入鹿を非難し、「皇室が乗っ取られようとしているのです」と訴えた。日本史では、律令制(土地の再配分、租税、戸籍)に反対する蘇我氏を、中臣鎌足と藤原不比等が成敗すると記述されています。
 ところが、律令制度の導入の直前、蘇我氏は天皇家の直轄領(屯倉)の設置に奔走していたことがハッキリしており、当時蘇我氏の専横という[日本書紀]の記述はおかしい。この後、「白村江の会戦」、壬申の乱へと移っていくが、大化改新による改革は成功した。
おそらく、「白村江の会戦」で敗北し、唐の植民地政策である漢字化と仏教化を受け入れざる得なくなった。そこで、日本の独自性を保つため、聖徳太子という仮名を作り出し、蘇我馬子・蘇我入鹿を悪者にして、仏教を導入し漢字化を進めたように歴史を改竄した。そして、壬申の乱にて、独立を獲得したのではないでしょうか。(⇒[聖徳太子の出自と謎解き])
 聖徳太子の死後1年後に、秦河勝により完成したと言われる[旧事本紀]こそが、つまりイスラエルの各部族の秘宝こそが、大化改新の核心だったのではないでしょうか。
 神武天皇の強権により押し進められた律令制が、藤原不比等一族により、私物化されてしまいます。参考文献によれば、[日本書紀]には中臣鎌足の両親の名は無く、天児屋命からの系譜も無い、まるで降って湧いたように、中臣氏が登場している。中大兄皇子の懐刀であった中臣鎌足であったが、「白村江の会戦」の時、日本書紀の記述にその名が無く、会戦終了後戻ってくる。ちょうど「白村江の会戦」の直前、日本に人質として滞在していた百済王子(豊璋)が、百済に帰った。そして、会戦終了後、日本に戻っている。このことから、豊璋=中臣鎌足だと思われる。
つまり、この中臣鎌足、その子藤原不比等一族は、百済王家であり、天児屋命を始祖とするその一族ではな無かったのだと思います。


■[ユダヤ製国家日本]より

 本書によれば、日清戦争では、神戸に寄留してシェル石油会社を開いたユダヤ人・マーカス・サミュエルの支援があった。そして、日露戦争では膨大な戦費の半分以上が、ロシアに虐げられていたユダヤ人達、及びユダヤ人・ヤコブ・シフにより調達された。そして、シフへの感謝を明治天皇も、昭和天皇も忘れることはなかった。更に、明治憲法は、ユダヤ人・アルベルト・モッセの忠告を受け入れ、立憲君主制度を柱として、きわめて民主的な憲法となった。モッセは明治憲法の父と呼ばれている。このように、明治初期に、多くのユダヤ人が、西洋の学問や技術や芸術を日本へ伝えるのに貢献している。そして、敗戦後の日本国憲法・農地改革他に、ユダヤ人の多くが、差別の激しかったアメリカでは実現することができなかった社会改革の夢を、持ち込んだ。
 明治の日本は、後に新生ユダヤ人国家であるイスラエルが建国されるのに当たって、大きな精神的影響を及ぼして、貢献した。その仲介役が日露戦争時に、日本の捕虜となった「片腕の英雄」「イスラエル軍の父」と呼ばれているヨセフ・トランペドールだ。日本でいえば、坂本龍馬か、吉田松陰のような存在であろう。トランペールは、日本語を喋り、サムライの精神をイスラエル建国の柱とした。今日、イスラエルではどのような小さな村でも、かならず日本の武道が行われている。東と西に遠く離れて、同じ魂が脈打っているのだ。
 更に興味深いことに、秦氏は多くの氏族を持ち、伊賀の服部、宇佐の辛島、田川の赤染、長光、松尾、赤松、物集、島津、長宗我部、呉、等々。しかも、各氏族が、養蚕・畜産・鍛金・治水・土木・修験・芸能など産業の専門である。能の世阿弥、松尾芭蕉、服部半蔵、薩摩の島津家も、秦氏=ユダ族・レビ族である。


24-8.大和民族の元をたどればシュメール人だった

 シュメール時代には、王権は天から与えられたと考えられていた。王はティアマトとの戦いにおいて、そしてイナンナとの聖婚(王はドゥムジを体現する)において、神を具現する儀式があった。また、新年には、ティアマトとの戦いを朗読する。神道では神話を物語にして唱える(付録2.神道についての補足説明参照)。王は神と人間との間の仲介者であった。王は神の前で民を代表していた。臣下の罪をあがなうのも王であった。また、神像に毎日捧げられる料理を食べるのは、王とその廷臣であった[世界宗教史 Tより抜粋]。このシュメール時代に続けられていた神からの王権の授与が、大嘗祭の儀式と似ていると思います。この儀式は古代バビロニアが滅ぶまで続けられていた。しかし、この儀式は聖書には見られない。
 また、シュメールの楔形文字は、表意文字と音節文字を併用していた。それは、漢字とカナまじりの日本語と同じ要領で書かれていた。また、シュメール文字には簡単な文字から複雑な形状の三種類があり、簡単な第一種文字については、24-2文字で、カナ文字の個数に近い。しかも、楔形文字の表意文字は、漢字と同じ要領で構成され、合成語も作られる。また、この第三種の楔形文字は、セム語族の文字であるヘブライ語,アラム語,アラビア語に属することが分かっている。更に、古代の楔形文字は、日本と同じく、縦書きで右から左に書かれていた。しかし早い段階の粘土板から左横書きとなった。
 ウルはシュメール名をナンナル、アッカド名をシンと呼ぶ「月神」を主神とする古代都市であり、アブラハムの故郷として知られている。このウルからも多くの楔形文字の粘土板が出土しており、ウルの神官であるアブラハムの父テラは、楔形文字を習得していたと思われます。おそらく、楔形文字から、ヘブライ語や表音文字が作られたのだと思われます。そして、ヘブライ文字からカナ文字が作られた。この表音文字は、後に漢字として人類に与えられたのだと思います。
 シュメール人と日本人は共に黒い頭であり、髭を剃る習慣があった。それだけではなく、シュメールの人々は粘土をこねた日干し煉瓦を、文字を記録する粘土板や家屋の建材として使っていた。古代エジプトの「石の文化」に対して、「土の文化」といわれるゆえんである。日本家屋も竹や材木に泥壁(粘土と藁)で家屋を作っており、これもまた共通している。
 日本人が漢字を採用したのは、楔形文字をまったく言語の違うバビロニア人やアッシリア人が採用したことによく似ている。バビロニアやアッシリアの文字は、シュメール読みと、彼ら独自の読みの二通りがあります。これは、日本語に音読みと訓読みがあるのと同じです。
 つまり、アブラハムからの正統なシュメールの血統は、失われた十部族に流れ、大和民族となったのだと思います。ヤマト人が、シュメール語やヘブライ語を熟知していたからこそ、漢字とカナ文字混じりの記述方法、即ち新シュメール語として日本語を定着させることができた。大和民族は、三種の神器だけではなく、アブラハムから引き継がれたシュメールの知識・秘宝をも、守ってきたのだと思います。
 ヘブル人は楔形文字の表音文字であるヘブライ語のみを使っていた。表意文字は秘密にされたか、使われなくなってしまったのだろう。また、ヘブライ語と日本語には似た言葉が多くあるにもかかわらず、楔形文字のシュメール語発音は、日本語と全く似ていない。
 では、何故シュメール語を、ヘブライ語のように、大きく変化させる必要があったのでしょうか。旧約聖書には、「そこで彼らの言葉を乱し、互いに通じないようにしよう。こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。」[創世記 11章9]とあり、その証拠なのかも知れません。
 結局、楔形文字を使うシュメール語から、表音文字、表意文字、単音文字(エジプト文字のことで、後にアルファベットとなる)が派生し、現在使われている言語に進化した。シュメール語や日本語のように、表音文字と表意文字混じりの言葉は、非常に高度な言語体系だと思います。日本人にはプレアデス星人の遺伝子が含まれているのだから、シュメール語はプレアデスや琴座の言語体系だったのだと思います。例えば、火星語は、空気が薄くなって通常の発音が難しくなり、ブッシュマンのような発生方法になったと、以前教えていただきました。その星々の環境により、言語体系は変わらないが、発声方法の違いによる発音や、文字の形が変化することは十分にあり得ると思います。
 高橋良典氏は、世界中の未解読の古代文字の中には、日本の神代文字で解読でき、その読みもまた日本語で読めると、及びインドのタルミ語については、日本語と文法や言葉が一つ一つ法則的に対応すると述べています。古代日本語の使用されていた地域は、シナイ半島だけではないので、黒い頭のシュメール人が点在していた地域で、使われていたのだと推測されます。おそらく、シュメール語には二種類あって、シュメール発音と楔形文字と同等の言語として、古代日本語が使い分けられていたのではないでしょうか。例えば、琴座語と、これから派生したプレアデス語のような関係ではないでしょうか。出エジプトを決行されたのはプレアデスの方ですから、古代日本語は、プレアデス語に近い。そして、ヘブライ語は、古代日本語の表音文字から発生して生まれたのでしょう。
 これまで不思議でしたが、合体表だけを見るとガブリエル様は、日本人に合体されておられませんが、日本語をマスターされておられます。また、ヴァル様も日本語を直ぐにマスターされておられます。自分のように、語学が苦手な者にとっては不思議でなりませんでした。霊能がテレパシー通信と云うことだけではなく、やはり一つには、日本語が、シュメール語,プレアデス語,火星語に近かったからではないでしょうか。
                   (2006年 北)


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