2−4章.葛城王朝9代(神武天皇から開化天皇)の謎



 下記に、葛城王朝9代(神武天皇から開化天皇)までを[古事記]に従い書き出しました。
 3代天皇以後総てに、「日子」の文字があり、太陽神(エル・ランティ様)の日継を表していると思われます。また、ヨシュアは神武天皇から7代目ですから、孝元天皇に当たります。孝元天皇は孝霊天皇の時に、吉備国を平定しており符合します。
 しかも、この孝元天皇と孝霊天皇には、「根子日子」の文字が入っており、根の国=エジプトの御子であり、エジプトの太陽神ラーから太陽神の御子でもあることを象徴していると思われます。血統の絶えない万世一系の皇室であれば、モーセを孝霊天皇として、婉曲に天皇記の中に記述したのではないでしょうか。つまり、出エジプト時に、エジプトと関係のあるヤハウエの皇統については、天皇名の「根子日子」はエジプトから日子(約束の地カナン)への移動という意味なのだと思います。しかも、モーセはアロンの弟で、孝霊天皇は次男であり、兄弟関係に対応があります。
 従って、孝霊天皇,孝元天皇,開化天皇は、それぞれモーセ,ヨシュア,ユダに、吉備国はカナンの地に相当することを暗に述べているのだと思います。
 さらに、崇神天皇と崇神天皇の子である垂仁天皇には、根子の代わりに、イリビコ(入日子)が入っており、カナンの地に入ったことを意味していると推測されます。

 不思議なことに、神武天皇と崇神天皇が、両者共に建国者として記録されております。おそらく、ヨシュア後、元々エサウ一族の領地内ではあるが、この地でイスラエル人の集団により神権的な王国が形成され、その初代が神武天皇だったのでしょう。北イスラエル滅亡後、エジプト・インド・海経由で、日本に向け移住し、崇神天皇の時に日本国が形成されたのだと思います。尚、サウル王にも、ダビデ王にも、『国の創建者』の称号が与えられており、「記紀」にも「国の創建者」=「御肇国天皇」の称号を持つ二人の天皇=王が存在しているのは、偶然の一致であるはずが、ありません。
 それで、ダビデ王は2代目の王ですが、イスラエル王国を実質的に建国したので、「御肇国天皇」に相当し、崇神天皇とダブって見えます。さらに、ダビデの子ソロモンは、神の神殿を建築したので、伊勢神宮を建造した崇神天皇の子垂仁天皇とダブって見えます
 ところが、初代イスラエル王国のサウル王に当たる開化天皇については、[記紀]共に殆ど記述がありません。サウル王は「彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」[サムエル記9章2]とあり、かつダビデを憎み神の意志に反してダビデを殺そうとした。仲哀天皇に関しては、[古事記]では神託を無視したために神に殺されたとあり、[日本書紀]には「天皇は容姿端正で、身丈は十尺(約3M)あった」と記述されており、サウル王と非常に似ています──サウルについて聖書には「美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルには誰もいなかった。民の誰よりも肩から上の分だけ背が高かった」とある──。加えて、仲哀天皇は「アナト(穴戸)に葬られたとあるが、エルサレムの近くの古代町「アナト」は、サウルの出身支族であるべニアミンの領地でした。
 ■(平成十八年 ミカエル様からのメモ)
 日本人はヘブル人(ユダ族)の子孫だということ、仲哀天皇はナブー=ダビデに殺されたとありました。つまり、仲哀天皇をサウルと仮定すれば、ぴったり符合してしまいます。
 このように天照大~の皇統には、モーセから始まるヤハウエの皇統に関連した史実が、暗黙の内に反映されていると思われるのです
 何より、葛城朝9代の中に、「モーセ/ヨシュア/サウル王/ダビデ王/ソロモン王」が暗喩されている。つまり、神々はエジプトで奴隷状態の神の民(ヤマト)の滅亡を惜しんで、モーセをリーダとしてモーセの民を荒野へと導きだした。神々はモーセを通じてモーセの民に十戒と律法を与え、荒野での方向の中で奴隷から、独立国を建国できるように精神を導かれた。約束の地カナンの目の前に、モーセ様は昇天された。モーセの後継者であるヨシュアが約束の地への凱旋を果たした。イスラエル民族は、サウルを王にして神の国を建国しようとしたが、周辺諸国の軍事力を畏れ、神に代わる強力な王を熱望した。その結果、ダビデ王がイスラエル王国を建国し、契約の櫃を安置したが、彼の罪ゆえに神の神殿の建設は許されなかった。ダビデの王権を引き継いだソロモン王は、神の神殿を建設し、名実ともにイスラエル民族の独立国家を確実なものとした。
 この神民族(モーセの民に対して、大和民族「神の民」)から、神の民の独立国家建国(イスラエル王国に対して、大倭=日本)までの歴史が刻まれている。日本において、「出雲系と高天原系」が合体したのは、旧約の予言通り、エフライムとユダが一つの杖「王権」で結ばれるが成就したのです。たから、日本は「正当な神の国の後継者」(⇒[古代日本とユダ族]参照)に他ならない。結局、葛城9代の実績を神武天皇の所に記述し、他は大和民族の出自を残すために「モーセ/ヨシュア/サウル王/ダビデ王/ソロモン王」を暗喩したのだと思います。それだからこそ、日本は「最後の審判」に備えられるべき宿命でもあったのでしょう(記 2019/02/27)。
 加えて、サンカの言い伝えでは、神武天皇は7代たとしていることから、この葛城9代が実質「ウガヤ・フキアエズ王朝」を記述しているのでしょう。何故、初代神武天皇を明記しなければならなかったのかと言うと、前713年南ユダ王国の滅亡から、イザヤ王家の三兄弟が一族を引き連れて出ユダ、そして日本に渡来して初代神武天皇に就任したからなのでしょう。(追記 2023/12/05)
 日本人は神の民である。ヤマト=ヤー・ウマトウ、つまりへブル語で「ヤハウェの民」なのである。日本人は大きな使命を負っている。
 失われたイスラエル10支族の内でエフライムを中心とした王家の氏族、及びユダヤを中心とした二氏族が、日本にやってきた。天武天皇により、聖徳太子の「日出国」の習いとして日本と命名された。
 さらにニホンという音にも、じつは秘儀がある。以前エルサレムのヘブライ大学で東アジア学を教えるベン・アミ・シロニー教授が、「ニホン(NIHON)をへブル語で書くと、「」となりますが、真ん中の三文字に神の御名が入っているのですよ」と、教えてくれた。
 神の御名ヤハウェは、正式にはへブル語で「」と書き、4文字である。その短縮形で最初の2文字も、よく使われる。しかし、人名や何かの名のなかに神の御名を含めるときは、最初の3文字「」がよく使われる
 たとえば「イザヤ」は「ヤハウェの救い」という意味、「エレミヤ」は「ヤハウェは高くしたまわんことを」の意味だが、いずれもその人名に神の御名の3文字が入っている。その3文字が、「ニホン」を表すへブル語の5文字の真ん中に入っている。
 残りの2文字、すなわち「ニホン」の両端の文字は、両方ともへブル語アルファベットの「ヌン 」である(「」はその語尾形。英語のNに相当する)。ヘブル語アルファベットには、それ自体に意味があって、ヌンには「忠実」「忠実な相続者」の意味がある。
 すなわち「ニホン」という呼び名には、ヤハウェを中心とし、そのまわりを忠実な着たちが取り囲むという国家理想が込められている。「われわれはヤハウェを中心とする国」の意味が入っているのだ。まさに古代日本にきたイスラエル人のメッセージが、そこから聞こえてくるようだ。
 ニホンは「神ヤハウェの国」?(※これは、天皇制国家として実現されてきた。アインシュタインがユダ王国の理想を日本に見出したように … )
 日本人のアイデンティティはそこにある。遺伝子もそれを示している。日本人が今日荒廃しつつあるとすれば、(※戦後自虐史観により)それはこのアイデンティティを見失っているからである。日本人の本来の姿の復興のためには、このアイデンティティ(※「神道」「日本神話」「神武天皇の建国の詔」「十七条憲法」「教育勅語」「五カ条のご誓文」)の自覚が不可欠である。(※ただし、科学時代にふさわしい形式で!) … 『日本とユダヤ 運命の遺伝子 久保有政著』より抜粋
 尚、「倭」は、卑弥呼と同じく蔑称で、本当は大和言葉の「WA」で「我ら」の意味である。

  1.神武天皇(カムイワレビコ:神倭伊波礼毘古命)
      137才(4子の末子)
    神武天皇:神から与えられた大和の地に入った。
    ベリア:神から与えられたカナン(ヘブライ語で「葦原」)の地に入った。

  2.綏靖天皇(カムヌナカハミミ:神沼河耳命)
      45才(3子の末子)

  3.安寧天皇(シキツヒコタマデミ:師木津日子玉手見命)
      49才(1子のみ)

  4.懿徳天皇(オホヤマトヒコスキトモ:大倭日子スキ友命)
      45才(4子の次男。末子が双子。)

  5.孝昭天皇(ミマツヒコカエシネ:御真津日子訶恵志泥命)
      93才(2子、長男)

  6.孝安天皇(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト:大倭帯日子国押人命)
     123才(2子、長男)

  7.孝霊天皇(オホヤマトネコヒコフトニ:大倭根子日子賦斗ニ命)
     106才(2子、次男)孝霊天皇のカ所に、孝元天皇が、吉備国を平定。
     ⇒モーセを暗喩で表している。旧約では120才。
      40年の彷徨は誤りで、実際は85歳程度。

  8.孝元天皇(オホヤマトネコヒコクニクル:大倭根子日子国玖琉命)
      52才(8子、長男)
     ⇒ヨシュアを暗喩で表している。旧約では110才。

  9.開化天皇(ワカヤマトネコヒコオホビビ:若倭根子日子大毘々命)
      63才(5子、三男)

 10.崇神天皇(ミマキイリビコ:御真木入日子命)
   119才。
   古事記に「初国知らしし御真木天皇」、書記の崇神紀十二年の条にも「御肇国天皇」
   よと称えられた。古事記に「神武天皇」は「神倭伊波礼毘古命」と記され、書記には
   「初馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と記述されている。
   ⇒ダビデ王を暗喩で表している。旧約では71才。
 聖書によれば、ダビデ王の治世に、3年間の飢饉があり、その後、ダビデ王は人口調査を行っている。崇仁天皇の治世にも、3年に及ぶ災厄が続いた。その後、人口調査を行っている。
 崇仁天皇の夢は、日本語で「太占 … フトマニ」と呼ばれる儀式(単なる占いだけではなく、さまざまな儀式と会議も行われる)でによって解かれた。「フトマニ」がヘブル語の「ポテル・ニム」が由来であれば、「夢解き」「幻を解く」の意味である。また、夢を解く者、夢解きの儀式を行う者を、日本語では「戸座 … ヘザ」と呼ぶが、ヘブル語では「予言者」「先見者」「夢見る者」の意味になる。占いや言霊の源流はシュメルにあり、シュメルでも似たような儀式が存在していたのだろう。例えば、日本では「新嘗祭」、ユダヤでは「仮庵の祭」にて、初穂を神にささげる。最初に、自らの神に初穂を捧げたのは、カインとアベルである。だから、シュメルの王族であるテラもまた、初穂を神にささげていたに違いないのです。
 そして、シュメル以来の伝統や儀式や立法や国法をも、モーセの律法には含められているのだと思います。つまり、モーセの律法に記述があるからと云って、それはモーセの律法が源流だとは限らないのです。古拙シュメル文字を操るシュメル人やフェニキア人が日本に渡来し、地神として神社に祀られているので、モーセの律法以前に日本にこれらの秘宝が渡来しているのです。だから、シュメル時の王族であるテラの血統であるユダとエフライムが日本に渡来し、モーセの律法を伝えたとしても、理解できたはずです。なぜなら、旧約の時代のヤハウェは第三代目の太陽神・マルドウクで、新約時代のヤハウエは第四代目の太陽神・天照大神であり、彼らは古代シュメルの王族だから当然のことなのです。旧約、新約、記紀と、人類の区分は分かれていても、神々は人類創生の時から現在まで、同じ天上界に属する至高の神々だからです。結局、時代と地域が異なっても、宗教と学問の源は同じ天上界の神々からもたらされたものなのです。
 尚、日本語の多くは、ヘブライ語の母音操作と、日本語では先頭の「L」が取り除かれることにより、同じ言葉だと分かります。

 11.垂仁天皇(イクメイリビコイサチ:伊久米伊理毘古伊佐知命)
   138才。
   垂仁紀には、倭姫命は天照大神の神霊を奉じて、鎮め祭るところを求めて大和の宇陀・
   近江・美濃をへて伊勢国に至ったと記している。これは伊勢神宮の紀元として記され
   たものである。伊勢神宮が皇室と関係の深い神として祭られるようになったのは六世
   紀頃からであり、伊勢神宮が皇室の氏の神を祭る神社となったのは、壬申の乱以後で
   あろうと推定されている(天智天皇−天武天皇−持統天皇の時代です)。
   垂仁天皇は、皇后に「すべての子の名は、かならず母親が名づけるものであるが、何
   とこの子の名前をつけたらよいであろうか」と仰せになっています。
  (この風習と同じことを、旧約聖書の風習としてシッチン氏が述べております。筆者注)
  ⇒ソロモン王を暗喩で表している。旧約では80才。
 ソロモン王は。かつてエブス(日本ではエビス)の地エルサレムに、最初の神殿・ソロモン神殿(主神は第三代ヤハウエ・太陽神・マルドウク)を建立した。崇仁天皇は、伊勢神宮(主神は天照大神・第四代ヤハウエ・シュメルの月神)を最初に建立した。
 聖書によれば、神はソロモン王の夢に現れて「もしあなたが … 私の道に歩んで、私の定めと命令とを守るならば、私はあなたの日を長くするであろう」と述べている。「神の道」すなわち、神の道、「神道」である。同様に、崇仁天皇に対して神のお告げがあり、「あなたが神祗をよく祀れば、汝の命も永く、天かも平定であろう」と、述べている。つまり、日本の「神道=神々の道」も聖書の「神の道」も、同じ「道」なのです。
 崇仁天皇は武器を神々に奉納しているが、ソロモン王も全く同じだ。
 崇仁天皇は、ヤマトの御殿に天照大神と倭大国魂神の二神を共に祀っていたので、これを分離して祀った。そして、災厄を避けるために、大田田根子を大物主大神を祀る祭主とする。つまり、この大物主大神は「祟る神」であり、ダビデです。ソロモンに出現した申命記の神はダビデです。
 12.景行天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト:大足彦忍代別天皇)
   崇仁天皇の第三子で、日本武尊の父。
 景行天皇(垂仁天皇の王子)の時代、戦闘の舞台となった地名は『ノボ (ヘブル語のノブ)』、『アノト(アナトテ)』、『伊吹山(ヤボク山)』など、すべてイスラエルの地に存在する名称である。
 古代イスラエルではソロモン王の亡きあと、不安定な土師時代になったが、日本書紀によれば、景行天皇の時代、ヤマトの国はまだまだ不安定だった。これは聖書の土師記に描かれている土師時代のイスラエルの様子と、よく似ている。
 ヤマトタケル(景行天皇の皇子)は、相武の地の支配者たちを滅ばした。古事記には、『彼はすべての反乱者の集団を、火で焼き滅ぼした。そしてこの地は今日まで焼津(ヤキッ)と呼ばれている』と記されているが、ヘブル語で『ヤキード・ズ』は『彼はそれを焼いた』の意味である」
 ヤマトタケルの一行は、ヤマトの地にある『ノボ(能褒)』という野に到着したが、突然つぎのような歌をうたった。
 驚かされるのは、この地域の描写がエルサレム近郊のノブの地(祭司の町)と、あまりに似ていることである。
 ヤマトタケルが亡くなったとき、その霊魂は『カワチ(河内)』まで飛んで行ったという。そこに彼の陵墓がつくられた。『カワチ』はヘブル語の『カー・フォー・ハイ』と読めば、「霊魂はここで生きている」と、言う意味になる。 … Netより

※欠史八代

 『旧事記』によれば、大物主神ははニギハヤヒである。大神神社の主神は大物主神で、日向命とニギハヤヒの娘であるイスケ依姫が、祭られている。古事記でも、日向命=神武天皇はイスケ依姫と結婚している。これが出雲王国と高天原との合流である。この後、欠史八代では高天原の男系に、物部系の姫が嫁いでいる。これが基盤となり、物部氏が権勢を大きくした。藤原氏と同じですね。
  
  
※「孝安/孝霊/孝元」と「持統/文武/元明/元正」には、「ヤマトネコ」が含まれている。文武天皇以外は女帝です。尚、ヤマトとネコの両方が入っているのは、大和と物部氏の両者の支援があるという意味で、葛城王朝九代の王妃は物部氏から娶っています。丁度、藤原氏と同じような立場です!
 尚、トヨやタラシは出雲系を意味しており、以下の四天皇は、大和・出雲・物部・藤原の合体という意味で、挙国一致で危機を乗り越えようとしたのだと思います。2019年時点の安倍政権が改憲を目指しているのと同じ状況なのかもしれません。
 さて、大化の改新にて、天皇は大王から、本来の「大司祭」へと、日本式律令制が宣言されました。ダビデは大王としての天皇を支配して、聖書の予言(ユダとエフライムの王権を一つにして、その王がイスラエルに帰還する。その過程で「ヨハネの黙示禄」を通じて、ダビデの悪魔の王国を実現する)を実現したかったのですが、これを阻止しようとしたのです。
 天智天皇と藤原鎌足による英断で、大化の改新が断行されたのですが、実質は地方豪族からの反乱を畏れ、実が伴いませんでした。壬申の乱により、天智天皇から天武天皇が王権を奪ったように記述されていますが、天武天皇・持統天皇を通じて、天智天皇の大化の改新は断行され続けているというより、天智天皇・藤原鎌足の意志をついているとしか言いようがありません。ですから、壬申の乱は「大化の改新」を阻止しようとする勢力に対しての茶番だったのではないかと思われます。
 天武天皇の時代、藤原氏が摂関として強権を持つ時代です。この時、大和朝廷・大倭から、日本に国名を変更し、藤原京へ遷都して、天照大神を日本の主神に据えました。それにより、ダビデが支配する大物主大神に支配されそうな大和を、危機一髪で離脱させました。
 天武天皇の時代、天智天皇が始めた大化の改新を、藤原氏をバックに進めました。
 そして、父は天智天皇で夫は天武天皇を持つ持統天皇が女帝として登場し、701年の「大宝律令」を断行し、大化の改新の完遂を目指します。
 持統天皇の後継者と目された草壁御子を含め御子が次々に夭折し、皇室内の攻防もあり、ようやく「文武」天皇が即位しますが、その後、持統天皇の姉で天武天皇の子・草壁御子の妃である「元明」、草壁御子の子「元正」と女帝が続き、なんとか大化の改新=「モーセの律法に戻る … 第三代ヤハウエから第四代ヤハウエへの代替わり」を残すことができたのです。
  


■日本神話に見るエフライムの系図

 『聖書』のヤコブ〜ヨセフ〜エフライムの系図と、日本の天孫民族の祖ニニギ〜現皇室へ至る系図を比較すると、両者はきわめて類似している。
 固有名詞は変えられている。だが、系図の骨子があまりによく似ている。つまり、エフライム族の系図をもとに天皇の系図がつくられたが、一般にはイスラエル起源とわからないように、固有名詞はたくみに変えられたという印象である。カムフラージュされているのだ。
 事実、天皇家は世界最長の皇室であるし、『聖書』の預言によれば「神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、私の手の中でひとつとする」(「エゼキュル書」第37章19節)。そして、「杖」は王権を意味する(「創世記」第49章10節)。王は杖を持ち、杖は権威を表している。つまり将来神は、エフライムに代表される北王国イスラエルの子孫と、ユダに代表される南王国ユダの子孫をひとつにするという。この預言は、大和朝廷にてこの予言は成就しています。というのも、以下のように、ユダ族が日本に渡来し、出雲王国の禅譲により、ユダとエフライムの王権は一つになったからです。
 北イスラエル王国が滅亡した時、エフライム・スサノウ一族が日本に渡来し、出雲神族を併合して出雲王国建国した。次に、ニギハヤヒ尊がやってきて、出雲王国・ナガスネヒコの娘を娶り、九州にまで領地を広げて「大倭」を開いた。
 南ユダ王国が滅亡する寸前、伊弉冉伊弉諾の一族(姉と弟二人、姉は太陽神の巫女)が、富士王朝・高天原に移住した。そして、出雲系・ニギハヤヒ尊と太陽神の巫女が結婚し、大和が開かれる。ニギハヤヒ尊の死後、七代 の神武──欠史七代、葛城王朝九代──が九州から東征を開始し、大和朝廷が建国される。
 その後、秦の徐福一族が富士王朝に合流、原始キリスト教徒の秦氏一族が大和に合流し、男神・天照大神を主神とし、全国に神社を建立して高天原系と同様に地神をも祀って、日本を平和裏に統一へと向かう。(追記 2019年3月12日)


吉備国について

 上述では、吉備国は、モーセとヨシュアが支配したカナンの地に相当するとしました。ここでは、日本の吉備国の様子を[古代七大王国の謎]から抜粋して紹介します。
 紀元4から6世紀、岡山県と広島東部を含めた一帯に、高度な製鉄技術で繁栄し、日本で四番目に大きな前方後円墳と巨石墳を造った吉備国がありました。当時の鉄は、農業や開墾の土木器具、武器として使われ、支配層の富と権力の象徴でした。また、土器づくりや製塩、ガラス生産が盛んでした。隣の島根県にある出雲王国では、日本最大の銅剣が出土しています。この大量の銅は中国からの輸入だったことが分かっています。
 「真金吹く吉備の山中帯にせる細川谷のおとのさやけさ」[古今和歌集]とあり、吉備の枕詞の「真金」は鉄、「吹く」は精錬のことで、吉備が製鉄の産地として知られていたことが分かります。
 [日本書紀]によれば、崇神天皇は、孝霊天皇の子の五十狭芹彦を派遣し、吉備の温羅(ウラ)を討ち取り、武力征服したと述べている。そして、日本武尊の名の由来と同じパターンですが、ウラを討ち取ると、ウラの恭順の印として、吉備の名を五十狭芹彦に与え、以後吉備津彦と名乗る。吉備臣の祖となった。余談ですが、この吉備の子孫と阿倍仲麻呂が、日本最大の陰陽師安倍清明と深く関わっている。さらに、記紀によれば、景行天皇、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、雄略天皇、舒明天皇がそれぞれ吉備出身の女を妃としたとある。つまり、二つの王朝が平和裏に一つの統一王朝に融合したことを意味している。
 以上のことから、出雲から王妃を神武朝から王を出し、統一王国として大和朝廷が成立したケースと同じだと考えられます。更に、神社の伝承から、ニギハヤヒ命の子孫の物部氏は、神武天皇を即位させており、協力関係にあった。また、先土器時代の遺跡があり、石器が出土している事から、吉備国はノアの大洪水以前からの鉱山地帯で、ニギハヤヒ命の飛来以前から金属精錬の技術者とその民(カナン、カイン、ハム一族)が定住していたと推測されます。だとすれば、ニギハヤヒ命の出雲国が吉備国を従えていたように、皇室もまた、吉備国を武力ではなく統一王朝の形式で平和裏に融合した。つまり、主系(地球の主=エンキ、ベル・マルドウク=主・マルドウク、アン・バル=天の金属=技術者集団)と天神系(アン、ヤハウエ=天照)との合体を意味する。
 結局、出雲神話に封印された内容は、兄エサウの弟ヤコブへの王位禅譲、大国主命の神武天皇への王権禅譲、出雲王国と神武系氏族との統一王朝の三重構造になっていたのと同様に、吉備神話もまた、ノアの大洪水以前に在った鉱山、ヨシュアのカナン入り、日本の岡山にある吉備王国と神武系氏族との統一王朝の三重構造になっています。同じ天皇記なのに、[古事記]と[日本書紀]で異なった記述があたとしても不思議ではない。
 従って、出雲国も吉備国も、神武王朝に恭順した形で大和国の建国を補佐したとすれば、大国主命が呪う必要はない。つまり、大物主神の代わりに、大国主命を新たに設けた。それは、ニギハヤヒ系一族と神武系一族を反目させ、大国主命をサタン・ダビデの化身=呪う神としたかったのだと思います。
 他にも、[古事記]には、日本武尊は自分の刀を木刀に代え、出雲建と刀を交換し、出雲建を討ち取る物語があります。[日本書紀]では、出雲フルネは自分の刀を木刀に代え、兄弟で刀を交換し、兄が弟を討ち取る話とそっくりです。ちなみに、出雲フルネの弟は、崇神天皇の命令に従い、兄が留守であったが、出雲神宮に奉納されている神宝を渡している。この事に怒った兄は、弟を殺してしまう。日本武尊の物語は、この兄弟の物語を取り込み、故意に出雲と神武氏族の反目を伝えたのかもしれません。
   (中略)
 伝説によると「ウラは鬼だった。崇神天皇の頃、異国から鬼神が空を飛び続け、吉備にやってきた。この鬼神はウラといい、「吉備冠者」とも呼ばれた。ウラの身長は、約4.2メートル。両眼は虎や狼のように光り輝き、ぼうぼうと茂る顎髭、頭髪は赤い。」とある。そしてウラは鬼の城を築いたという。つまり、ウラはUFOで吉備に飛来し、製鉄技術を伝えた巨人=赤鬼だったのだろう。
 「ウラ」に関連して、「浦島太郎」の本名は「浦(ウラ)の嶋子」で、「ウラ」を鬼に変えると、「ウラの島子」は「鬼ヶ島の子」に成る。おそらく、製鉄や精銅を行っていた「鬼ヶ島」の男子が、UFOで竜宮城へ行き、その技術を習得する物語なのかも知れません。もしかしたら、浦島太郎はヤペテの子孫で、製錬技術の習得と外国暮らしもあり、髪の毛が赤く焼け、目の色が薄くなったのではないでしょうか。


司馬遷の史記は捏造されている
         (⇒史記の記述はフェイク歴史だった!…「契丹古伝」より)参照
 縄文時代の資料などから、古代中国王朝が中国固有の物だと云うのは、司馬遷のというか、司馬遷がそのように書かされた捏造だと思いました。
 戦国時代まで福井、石川、富山三県は、一つの「越の国」でした。余りに強大なので、家康が分割したんです。
 大戦前までは、ベトナムを南越と呼び、その少し北側の地域を「越」と呼んでました。
 長江文明は「越」から始まったとされ、そこではジャポニカ米が創造され、青銅器文明を引き下げて、彼らは北上し、黄河流域に「夏」を建国しました。
 一方、東南アジアから、前3500年頃の青銅器が発見されています。古代シュメルの青銅器文明は前2500年頃ですから、東南アジアの方が速いんです。
 この「越」こそが工業文明の発祥地であり、韓半島を経由せずに日本へ渡来しています。というのも、ジャポニカ米は越と日本にしか無いからです。ここまでは、本に書かれています。付け加えると、原始キリスト教徒の除福(秦氏一族)他も、このルートで七福神と一緒に、日本に渡来していたと思います。なお、ヤコブの正当な後継者エフライム族である神武天皇は海のシルクロードを経由して日本に渡来しているので、越を経由して日向に着いたのだと思います。ソロモンの時代には彼のタルシン船団が海のシルクロード経由で日本にも渡来しています。彼が派遣する鉄器部族は、海のシルクロードで鉱山を見付けてはそこにソロモンの植民地を作り、鉄器を生成して交易を行っていたそうです。日本に伝わる鬼伝説で、赤鬼は青銅器技術者、青鬼は鉄器技術者でしょう。
 旧約聖書外典によれば、前2500年頃にノアの大洪水があった。ミカエル大王様もそうだとおしゃていますので、これを信じます。
 ノアの大洪水は、土星に彗星が飛び込み、このショックで、木星から灼熱の金星が飛び出し、月に大接近しました。その時、空洞の月の内部に蓄えられていた水や氷が地球に降り注いだのが原因です。
 その後、月は地球から離れていったんですが、ニビル星の接近と重なり、月は現在の位置に留められました。というのは、プレアデス星人が宇宙船に改造して使っているからです。
 大洪水後、地球の海水は50〜100メートルほど上昇し、増えた水の分だけ海底が押され、アンデスやヒマラヤが隆起し、島々がぶつかり合って日本列島が誕生します。
 同時に、大地だった地域は水没し、ミクロネシアは高い山の頂きだけが海面上に現れました。彼らの神話にも大洪水の記憶があり、実際、山の頂上に密閉した洞窟を作り、ここに避難した遺跡が残っています。ですから、ノアの大洪水で生き残った人類は、ノア一族だけではありませんでした。
 ノア一族は当時の王族であり、陛下同様に農業については知っていたと思いますが、金属製錬技術は持っていませんでした。ノア一族はアララト山に到着し、神々の地球復興計画に協力しています。
 一方、生き残ったミクロネシアの人々の一部が、大洪水後の地球の復興のために、神々に導かれて、船に乗り「越」に上陸し、青銅器やジャポニカ米を創造したのだと思われます。
 その一部の人々が、激しい地殻変動で形成された日本列島に来たのは、貴金属を採集するためだったことでしょう。激しい地殻変動の地域には希少金属や貴金属が豊富に生成されるからです。
 縄文時代にすでに稲作が行われ、果樹園を経営していたことが分かっています。しかも、江戸時代まで日本は金と銀の最大保有国でした。だから、文明は中国大陸→朝鮮半島→日本というのは、真っ赤な嘘です。それは古墳時代でも証明されており、この時代に朝鮮半島に文明を持ち込んだのは、倭人でした。
 それから、司馬遷の史記にある中国古代王朝が、いかにも中国大陸固有のものだと主張しているのも、歴史の捏造だというのが、これではっきりしました。つまり、秦の始皇帝は焚書坑儒を行うまでは、もしかしたらノアの洪水以前の知識と「シュメルの神々→越→夏→殷」という人類の歴史が残っていたのかも知れません。ですが、ノアの洪水以前の知識と神々の事実を完全に削除し、中国固有の物語を、左翼学者がマルクス史観で捏造したように、皇帝思想と儒教思想に塗り変えてしまった。日本の場合、白村江の戦いに敗北し、頭の植民地化政策で皇室が滅ぼされるのを恐れ、天照大~を日本固有の女神に変え、ノアを天御中主とし、テラ夫妻を伊弉諾伊弉冉夫妻に変え、葛城王朝にモーセ〜ソロモンの歴史を暗喩し、男女和合と誓約を国造りの基盤とする日本神話を残しました。おそらく、司馬遷の時代もまた真実の歴史を残すことが出来なかったのでしょう。ですが、中国神話の「皇帝と儒教」は「暴力と汚職と奴隷」の歴史をもたらし、日本神話の「男女和合と誓約」は「自由と理性」の文化をもたらしました。
 稗田阿礼が暗殺されたように、司馬遷(前86年頃)を脅迫していたのだ誰なのだろうかという、疑問が残ります。
 それでは、秦の始皇帝(前260年頃)は焚書坑儒(前210年頃)を行いつつ、有用な科学知識の本は残し、法家を徴用して自ら皇帝に即位し、法治国家を目ざしたとも云われている。そもそも、漢の武帝が儒教を国教化する以前、孔子(前550年頃)の儒教は弱者の教えとして、始皇帝及び諸侯の王から馬鹿にされ嫌われていた。だから、孔子は職に就けなかったのです。
 ところが、漢の武帝時代の前130年頃、儒学の官学化・儒教の国教化が実現化しと言われている。儒教の迫害から国教化については、キリスト教の迫害からローマの国教化に居たる歴史と重なってしまうのです。そして、「皇帝と儒教」は現在の中国共産党の支配原理(神を否定)であり、キリスト教のヨハネの黙示録は神を殺した共産主義に至ったとされており、どちらも大サタンの地球支配の陰謀がちらついてしまいます。(2015/05/26 追記)
 最後に、月が空洞になったのは、バビロニアの[太陽系創造神話]によれば、ニビル星が生命の母・惑星ティアマトを砕くと同時に、ティアマトの最大衛星キングを空洞にした。ティアマトの半分が時点と共に丸くなり冷えて地球になり、空洞のキングが地球の衛星・月となったのです。

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