2-8.神武天皇を即位させた物部一族



 石上神社の由緒は、ニギハヤヒ命の長男ウマシマジ命が、神武天皇に王位を譲り、神武天皇即位時に、ニギハヤヒ命から授けられた王のしるしである十種神宝を渡したことを述べています。つまり、記紀では、神武天皇が武力でニギハヤヒ一族を滅ぼしたことになっているが、事実は王位を譲ったことが分かります。
 「ウマシマジ命は、父ニギハヤヒ命の薨去のあと、瑞宝を受けてその遺業を継ぎ、
  中州の開拓につとめられたが、神武天皇の大和入りにあたり、天皇を迎えて忠誠
  を尽くし給い、天皇の即位の元年にその瑞宝を奉り、鎮魂の神業を以て祈り奉っ
  た。これが鎮魂祭の始めである。
  天皇はミコトの忠誠を喜ばれ、武臣の首座として即位の威儀に立たしめ給いた。
  その建国に功績を称えて祭祀される」

 更に、ウマシマジ命が生涯を終えた地の島根県太田市に建てられた「物部神社」の社伝にも「天皇(神武)をウネビノカシハラ宮にて天位につかせ給うとき、祭神(ウマシマジ命)は十種神宝を安置し、神楯を竪て斉い奉る」、「ウマシマジ尊は物部氏の始祖なり。神武天皇大倭国に御遷都のとき大功あり。天皇その功を賞して、フツのミタマの神剣を賜う。祭神もまた天祖(スサノオ尊)より拝承せる十種の神宝を奉りたまう。かくて、天皇即位したまう…」とあります。
 従って、皇室は恩義を感じ、ニギハヤヒ命ゆかりの大和の三大神社を行幸し、祀ったのだと考えられます。また、[出雲国造神賀詩]には「国造りをした大国主命が子孫の神々を天皇家の守り神として奉って、自分は出雲大社に身を隠した」[古代七大王国の謎 P146-147]とあり、ニギハヤヒ一族もまた、天皇家を守護していました。
 更に、天照神社、天照御魂神社、天照国照神社関連を調査したが、祭神は天照大神ではなく、ニギハヤヒ命だと突き止められている。そして、三輪にある太陽神信仰の神がニギハヤヒ命であり、ニギハヤヒ命は太陽神だったことを述べています


■日本の由来

 [日本書紀 神武紀]に、「ニギハヤヒ命、天磐船に乗り、太虚(おおぞら)をめぐりゆきて、この郷をおせりて天降りたまうとき、名づけて「虚空見日本国(そらみつやまとのくに)」という」とある。


十種の神宝について

 ニギハヤヒ命が大和の地に遠征したとき、父スサノオはわが子に祖先から伝わる十種神宝をもたせ、蘇生の術を教えた。この呪文は物部氏の石切剣箭命神社に伝わっており、この神社は傷が治る神社として知られている。また、[鎮魂の祝詞]には皇祖神が鋳造された十種の神宝をニギハヤヒ命に授けて、皇祖神がいわれるには、「ニギハヤヒよ、この十種の宝をもち、か弱き国民が病になったときは、この十種の宝を用いて『ひと ふた み よ いつ む なな は ここの たり』と唱えよ。これを唱えるなら、死人も生き返るだろう」[神道行法の本 P78]とある。
 また、ウマシマジ尊は神宝だけではなく、鎮魂法も伝えたとされ、これが天武天皇に伝承されて鎮魂祭につながったと云われている。


「物部」の語源

 シュメル語から「部」は集団の意味だそうです。シュメル語で「もの」は「戦う」の意味。また、物部氏の始祖は、ニギハヤヒとナガスネヒコの妹の間に生まれた「ウマシ・マジ」です。シュメル語の「ウマシ」=司祭長、マジはギルガメッシュ王の意味で、まとめると、ギルガメッシュ神の司祭長の意味です。
 ですから、「物部」は、ギルガメッシュ神の一族で、武人の集団という意味です。彼らは、神武天皇が正当だと認め、後に大和国の武人集団になりました。
 尚、天孫族は、アヌ・エンリル・月神・日神の系列の集団です。一方、古事記に出現する地神は、エンキやニンフルサグ系列の集団の意味だそうです。だから、地神は天孫族を正当な王権として、出雲のように日本の統治権を禅譲したり、合体したりして大和朝廷が建国されたのでしょう。
 和歌によれば、ヤマトは“まほろば”とされていますが、シュメル語で“まほろば”は、たくさんの部族の集団という意味です。初期の大和朝廷が部族制だったことと符合します。
 だから、建国の詔では、このたくさんの部族がいがみ合うこと無く、法の下に、兄弟や家族のように暮らしていこうと、宣言されたのも納得します。


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