4-28.ニビル星と地球は永遠の双子(3)



  ⇒[備忘録:(和語忘備録目次).ニビル星と地球は永遠の双子]へ

  1. 富士王朝と高天原の謎
    天照国照彦から、天照大神へ
    大物主神はダビデに乗っ取られた
    大神神社の創建と銅鐸
    一対の狛犬とギルガメッシュ王 … 銅鐸に見る
    縄文模様は蛇飾りだった
    シュメルの神々に導かれたエフライムとユダ
    しめ縄に見るシュメル語 蛇模様
    七五三縄
    共産主義はメシア・キリスト教から神を無くした理論
    神道はキリスト教から原罪と選民意識を取り除いたものに近い
    稲荷神社
    日本=大和朝廷と日高見国の合体
  2. 『神皇紀』「天の世七代」~「天神七代--富士高天原の誕生」
    神武の即位と物部氏の貢献
    欠史八代と物部氏
  3. ウガヤフキアエズ51代
  4. 神武天皇の出自
    『東日流外三郡誌』の日本誕生の秘話
    神社建立による日本統一
    史記の記述はフェイク歴史だった!…「契丹古伝」より
    司馬遷の史記は捏造されている
  5. 徐福伝説 --- 富士高天原へ
    海洋-安曇族と弥生時代について
    大陸から日本への朝鮮ルートは存在しない
    福岡県志賀島と金印
    聖書の「天」は高地のこと
    『外三郡誌』の「日高見国」
    金印「漢委奴国王」は倭の奴国王ではない!
    金印に秘められた謎
  6. 七五三の祭 と 同盟星について … 今後の課題
    浦島伝説「風土記」 … 異星人
  7. 八咫烏 … 白いカラス(山伏) と 黒いカラス(忍者)
    忍者と秦氏 … 聖徳太子
    モンゴル帝国豆知識
                               「2018/06/22 北」

1.富士王朝=高天原の謎

 今回は、『富士王朝の謎と宮下文書(学研)』を主参考文献とし、一部の情報を『弥生時代を拓いた安曇族(龍鳳書房)』『現代訳 神皇記(今日の話題社)』他から参照しました。
 結論として、日本神話と全国津津浦々にまである神社は、関東にあった「高天原(ユダ、祭祀族)、日高見、縄文王国」と出雲(エフライム、縄文人)と大和朝廷が、神武天皇の建国の詔にあるように、一家として仲良く国造りをする為の神話であり、天照大神の皇統により一つにまとまることを目的として作られた誓いの書です。つまり、イスラエルの二氏族、シュメル人、ムー縄文人などにはそれぞれの神話があるが、日本神話にはこれらを融合した形が記述され、各氏族の神話そのものではないにしても、各氏族の神話を知る者が読めば自分たちのことが暗示されていると気が付くように、四方を丸くするように書かれているというわけです。加えて、地神としてシュメル人・縄文人・ムー人などの神々を、ユダ・エフライム系の神と同等に全国の神社で祀った。そこには禁則の地があり、ペテログラフなどの神宝が祀られている。だから、日本神話と全国津々浦々の神社こそが「和」の精神そのものを体現していると言えるでしょう。
 そして、イスラエルの十氏族が北イスラエルが滅亡した時、神の法を実践する為に陸のシルクロードを経由して日本にたどり着く前に、周(シュ⇒ジュ⇒ユダヤ人の国)を建国し、儒教=(ジュ教=ユダの教え)を広め、長江から夏王朝を建国した縄文人と混じり合った。そして、中国王朝の歴史は、十氏族・縄文人と、漢族(カイン、悪魔教徒カナン人)との主導権を掛けての戦いの歴史となった。尚、この縄文人は、前5千年頃の鹿児島沖の大噴火で大陸に移住した人々で、彼らが長江文明を築き、夏を建国しています。
 一方、『日本書紀』によれば、ニニギ(天孫)⇒ヒコホホデミ⇒ウガヤフキアユズ(神武の父)というわずか3代で、180万年もの歳月が流れたとしている。あくまでも神話の世界とはいえ、3代の期間としては長すぎる。
 徐福が日本に渡来し、蓬莱山=富士山にある富士王朝(高天原)に帰順し、記録した古史子伝の一つである宮下文書(当時は神代文字で書かれ、書き写す過程で漢字化され、原本は消失したのだと推測)には、ウガヤフキアエズ王朝は51代とある。他の古史子伝にも、70代などと記されている。
 約2000年前に書かれた「契丹古伝」によれば、「漢字以前の文字を天字といい、天字以前を卜字、卜字というのは殷字であり、殷は元これ倭国(日本)」だと。 
 宮下文書によれば、男系男子だが、皇位は王と女王の両者が引き継ぐとされているので、実質、男王は25代です
 さて、日本神話は有力部族の歴史を加味し、神武天皇の建国の詔のように一家のように仲良くしようとの精神「八紘一宇」=「和の精神」の象徴のようなものです。ですから、ある部族からすれば、ウガヤフキアエズは1代だし、イスラエル系からすれば25代なのです。つまり、宮下文書には多くの事実が述べられている。同じく、各地に残る風土記にもです。
 さて、旧約の皇統からすれば、天御中主=ノア、テラ=イザナギで、神武はヤコブ→ヨセフ→エフライム→エフライムの四男ベリアに相当します。アダムから勘定すると、丁度25代目です。ここで注目して欲しいのは、神武はユダ族やレビ族ではなく、ヤコブから皇統を引き継いだヨセフ・エフライム族だということです──欠史七代を、神武天皇一人の功績として記述し、残りの天皇については、ヨシュア/ダビデ王/ソロモン王/モーセなどを暗喩して、自らの出自を残しています。ところが、出雲神話によれば、神武天皇は七代居て、七代目が強かったと述べているので、この欠史七代の謎が解けます(⇒[神武の侵攻]参照)──。この後、イスラエル王国は南北に分裂し、エフライムを含む十氏族は北イスラエル、ユダ族とレビ族は南ユダ王国に分かれた。この時点で、正当なイスラエルの皇統はユダ族に移っている。従って、ユダ族系であるニニギの命が日本を統一する時、十氏族が支配する日本国内の地域においては、十氏族は皇統を優先し禅譲している
 同じく、日本神話の始まりである高天原についても、各部族で故郷が異なっていますが、高天原として統一したのです。一方、唐などの書物には、日本は大倭日高見国、小国である日高国が大倭を併合したとある。だから、日高見国を明示せず、日高見国を暗示する高天原として、各部族の合意を得たということでしょう
 高天原とは、「高天」地域にある平野のこと高天原はアマテラス系の人々の呼び名で、土地神系の呼び名は「日高」になります。つまり、「日高」や「飛騨」です。イザナギが男性を、イザナミが女性を意味するように、男王国だと「日高木⇒高木神の国」女神国なら「日高見=高木神の皇后」となります。おそらく、この女神国「日高見」の祖は、イザヤ一族を率いて日本に渡来した、イザヤの長女ヘフジバ=女王=ヤハウエの巫女と二人の弟だと思います。ヤハウエの神妻=太陽神の巫女=日巫女(ひみこ)となります。そして、日巫女は巫女天=巫女神となり、彼女のことを女神・天照大神と呼ぶようになったのだと思います。しかし、実際の天照大神は第四代ヤハウエであり、男神です。そして、日巫女は人物名では無く、役職名ですから日巫女は数世代にわたって別人が居るわけです。
 また、後漢書:「その大倭王は、邪馬台(壱)国に居る」とあり、邪馬台国の謎が解けたわけです。

天照国照彦から、天照大神へ

 スサノウの娘スゼリ姫と駆け落ち婚し、その時、スサノウ(スサの王、エフライム)はオオナムチを大国主に就任させる。大国主は役職名ですから、大国主を任命できる権限をスサノウは、クワト大神に就任していたという事だと思います。スサノウはヤマタノオロチ(鉄を精錬する種族)を退治して、クシナダ姫と結婚している。つまり、スサノウもオオナムチも現地の娘と結婚し養子になっているのです。そうしないと、日本に渡来しても現地住民との和睦なしには、生活を営むことができないからです。
 オオナムチは出雲の大国主として、この地域を治めた。そして、スサノウは高天原系の太陽神の巫女・アマテラス(ユダ族)と結婚し、ユダとエフライム二氏族の融合を意味し、神社鳥居の所に配置されている一対の狛犬(1頭はライオンユダ、もう1頭は一角獣でエフライム)に相当している。そして、スサノウの王子である饒速日の尊(天照国照彦=天照大神以前の太陽神 … 属性は「火」)が、出雲と大倭の大王(クワト大神)として治めることになった。因みに、太陽神の巫女・アマテラスとスサノウの誓約の結果生まれた巫女について、太陽の属性としての「火」を冠する名前はスサノウ系で、「日」を関する名前は高天原系(ユダ系)です。だから、女神アマテラスとスサノウは、十二支族としての兄弟です。
 この推測が正しいのなら、クワト大神系の信仰(多神教)と、エフライムの第三代ヤハウェを祭る一神教(旧約は元々古代シュメルの多神教だったが、ダビデが一神教に改竄してしまった)の融合が、出雲の古神道(多神教)という事になる。八百万神とは、神族=王族の若者衆の事で、元々の古代シュメルの髪への信仰に戻っている。尚、古代のシルクロードでは「神」は共通語で、神の部首「ネor示」自体で「カミ」を意味し、右辺の「申」はどの「カミ」なのかを明示している。「申=シン」で、古代シュメルの月神「シン」、即ち地球司令官エンリル=第二代ヤハウェの長子で、第四代ヤハウェの事です。
 そして、神武天皇の建国の詔での「出雲と大倭と高天原(サンカ、アイヌ、エフライム、ユダ)の各民族がいがみ合うことなく、兄弟の様に一家の下で平和に暮らしていこう」との宣言は、多民族国家を安定させるために、道義国家を目指そうとする和朝廷にとっては、切実な問題だったのです。
 秦の徐福が高天原系に合流し、秦一族として、スサノウ系の物部氏とともに大和朝廷を支える。しかし、蘇我氏を中心として仏教を国家宗教とし、天皇家を滅ぼし、蘇我氏が日本を乗っ取ろうとした。そこで、物部氏は滅ぼされた(サタン・ダビデによる仏教革命 … 厩戸皇子はイエスの生まれ変わり)。これを天智天皇と中臣鎌足が阻止した。中臣氏は藤原氏と名を変え、秦氏が藤原氏合流して、日本を支えた。この中臣氏は、天照大神=ハヤウェを主神とする原始キリスト教徒(ユダ)で、七福神とともに船で日本に渡来している。秦氏は旧約のユダ族で、藤原氏は原始キリスト教のユダ族なので、合流して一体化したのです。そして、旧約では第三代ヤハウェ=マルドウク様の時代でしたが、新約からは第四代ヤハウェ=エル・ランティ様に、代替わりしています。この代替わりが、天岩戸神話です。
 物部氏が滅ぼされ、太陽神が「ニギハヤヒの天照国照彦」から「男神・天照大神」を大和朝廷の主神として、旧約の皇統を暗喩しつつ神話を作り、多民族国家の礎としたのです。だから、スサノウを熊野神社に封じ込め、ニギハヤヒノ尊=天照国照彦=太陽神(属性は「火」)を、大物主神として三ノ輪山・大神神社に封じ込めたのです。尚、出雲神話では、熊野大伸=クワト大神なので、熊野神社はじつは「クワト神社」です(⇒[ヒボコ族の渡来と抗争]参照)。

大物主神はダビデに乗っ取られた

 スサノウは第三代マルドウクの民である。マルドウク様は、ベル・マルドウクと呼ばれていたので「主=ベル」の付く神名、また、マルドウク様は太陽神であり、属性として「火」の太陽神なので「火」の付く神名に関係する。日本では「天照国照彦火明奇櫛玉饒速日尊」です。「天照国照彦」と「火」は、マルドウク様を主神とする。「日」は天照大神を意味している。
 古バビロニアでも、新バビロニアでも、エジプトの神名でも、「ナブ」「ナボ」の付く神名は、マルドウク様の正当な王権の継承者である長子・ナブーの支配下にあった。ナブー(輝くもの、水星、図書の神、知恵の神)は古シュメルの神名で、本名はダビデであり、例えば「ダビデ王」など、ダビデやデービッドの付く歴史的人物を支配している。しかも、彼は二代目の大サタンであり、初代の大サタンを殺害し、天上界を滅ぼして、彼の天上界と、彼が創設した地獄・ヨハネの黙示禄・共産主義などをしで、人と霊を支配しようとした。また、アダムとイブを堕落させた「蛇」としても聖書に登場している。
 彼は、ヤハウェを詐称して、旧約聖書では「恨む神・復讐する神・妬む神・呪う神・全知全能の神」として、モーセ様他を誤導している。そして、新約聖書ではイエス母子を彼の傀儡とし、イエスを磔にして殺し、イエスが親しげに「父」と呼んでいたのがダビデだった。
 おそらく、彼は、第四代ヤハウェ=天照大神に国譲りしたスサノウを許せず、スサノウに悪魔としての牛頭王(ニンギシュジッタ … 冥界の神)のイメージとだぶらせ、大物主神を「旧約聖」書と同じく「恨む神」「呪う神」として「記紀」に登場さ、その実態を蛇として記述させている。例えば、『日本書紀・崇神記5年』、国内に疫病が大流行し、死亡するものも多く、百姓が流民しだしたので、原因を占うと「大物主大神を敬い祀れば、自然に良くなる」「天皇よ、国の治まらないのはわが意にみよるものだ。もしわが子の大田田根子に祀らせたら、たちどころによくなるだろう」と、天皇他に告げたので、「大神神社」を創建し、大田田根子(古事記には「三輪君」「加茂君」の始祖だと)に祀らせている。他にも、仲哀天皇が霊言を信じなかったので、暗殺している。まさに、呪う神、復讐する神である。つまり、ダビデがイエスを乗っ取ったように、「天照国照」の饒速日、スサノウを乗っ取ったのです。
 しかも、「大神神宮」は天武天皇の皇后である持統天皇が「伊勢神宮」を奉斎(慎み敬って祀る)するまで、古代天皇家の国家鎮護の最高の神社として敬われることになる。日本全国の神社の中で、“大神”の名を冠しているのは、この一社だけしかないのです。つまり、ダビデが皇室と日本を支配しようとするきりきりの所で、第四代ヤハウエ・天照大神が七福神(七大天使)とキリスト教系の神々と共に船で日本に渡来され、日本神話において日本の主神に鎮座され、ダビデからの支配を阻止されたのです。
 「蛇」は縄文やプレアデスのシンボルですが、ベル・マルドウクの長子サタン・ダビデのシンボルでもあり、他にもベル=主も詐称している。ダビデは、神を詐称して情報を混乱させて何が善で何が悪なのかを分からなくしてしまい、人々を善からとおざけさせて、善人をも真の天を裏切らせる策謀を常套手段とする。その証拠に、スサノウを祭る三ノ輪山は、神奈備山と称されている。「奈備」=「ナビ NABI」は「DABI」であり、ダビデの支配を意味している。他にも、「荼毘」はダビデの暗喩である。 

補足:大神神社の創建と銅鐸

 大神神社が創建され、各地に神社を作った。同時に、前王朝が継承してきた祭神も祭器も一掃した。物部の祭器だった「銅鐸」が捨てられたのもこの時だったそうです。
 下記の二事件を思い出すのですが、結論としては主神の交代である。
 ここで「銅鐸」と「縄文土器」を見比べて欲しい。左が「銅鐸」、真ん中は初期縄文土器を、右は縄文土器を上下ひっくり返したものです。中の縄文土器は停止時のロケットを、右は火炎をふいているロケットを表現している。それは、彼らの神々(遮光土偶に代表される異星人)が天空から飛来していたからだ(⇒詳細は[5.縄文人のルーツは?]参照)。さて、縄文人の神々と祭器を持つ出雲神族は、スサノウの尊を行け入れているから、大国主の制度も、神々の祭器も継承した。ここで、銅鐸を上下ひっくり返した縄文土器を見比べてほしい。輪郭形状がそっくりです。縄文土器の先端部分に、穴を開けて下げにしたのです。そして、銅鐸の鐘の音は、ロッケトが飛び立つときの爆音だと思うのです。
 縄文時代の火炎土器はひっくり返せば、遮光土偶の神々が地球に飛来した時の宇宙船を表わしている。遮光土偶の服装は細部まで宇宙服の模様が描かれており、神々への畏敬の念が伝わってくるようです。下記に、底部の尖った縄文火炎土器と弥生土器を比較してみましょう。ひっくり返せば、縄文の神々(ムー文明の神々、プレアデス)の宇宙船と、弥生の神々(二ビル星)の宇宙船の形状の違いが明らかになります。
  
  一対の狛犬ギルガメッシュ王
 シュメル語の「獅子と戦う王 メ(戦う)・ウル(獅子)・マフ・ギシュ(王)・ク」が、mがgに、gがmに転じる当時の音韻変化により、ギルガメッシュになった。両腕に獅子を抱えるギルガメッシュ王の暗喩として「獅子神」「獅子と獅子」とされ、古代中国にも古代日本の線文字にも残されている。(尚、シュメル語で、ウル=犬、ウル・ク=家犬、ウル・マフ=獅子)
 ユダ族のシンボル「獅子」はエンリルの系統を引くギルガメッシュ王の皇統だと云うことでしょう。そして、ギルガメッシュ王を主神とする種族が古代日本に渡来し、二頭のスフィンクスを真似て、神社の入り口に二頭の狛犬(高麗犬=獅子、双獅子)を置いた(これが南伝に対し、北伝のエンリル族である)。そして、一角獣をシンボルとするエフライム族とユダ族が日本に渡来し、旧約聖書の預言通り、ユダ族とエフライム族の皇統が合体し、大和が建国された。その結果、片方の狛犬の頭に一本角が付加された(登録者)。下記赤丸は日本に渡来したギルガメッシュ王です。
     
 銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。銅矛は主に北九州から出雲周辺、銅鐸は近畿から東海地方にかけての地域で、主神はエンリルで同じだが、南伝エンリルと北伝エンリルの違いがあった。だから、出雲(エフライム族)は大和(ユダ族)に王権を禅譲したのです。

 尚、「熊」は「神」の意味です。物部系の神主で「神代」とかいて「クマシロ」と読みます。つまり、熊野神社は「大神神社」と同じ意味です。また、シカという音の「シ」は肉を意味し、カは神に仕えるを意味している。つまり、鹿島は「神に仕える」島、カ=香なら「火の島」となる。
 出雲神族がプレアデスの守護を受けていたので、蛇(ナーガ、「ナガ」スネヒコ)をそのシンボルとしていた。七色の蛇はプレアデスの意味です。だから、大物主や三ノ輪は「蛇」を祭るのです。それは、縄文土偶に蛇飾りが多いことや、縄文模様もまた蛇飾りの一種かもしれないのです。
 ◆縄文模様は蛇飾りだった … (⇒[世界最古の文字と日本の神々]参照)
 古代の越では、二本の柱を立て、しめ縄を張り、その内側を聖域としていました。まさに日本の神社の原型です。そして、日本ではこれが「鳥居」となりました。私は「鳥」=「天使」だろうと思っていたのですが、間違いで、実は風神のシンボルです。つまり、神社は風神=神風=エンリルを祀る聖域でした。
 そして、越でジャポニカ米ができる頃になると、シュメルの神官テラの子アブラハムの正当な末裔がこの地に渡来し、日本に移住します。テラはシュメル語の読み書きができるので、ここからヘブライ語も派生したと考えると、エンリルを祀る縄文人とヘブライ語は、非常に近かったと考えられます。
 BC1000年以上前には、ヤハウエという言葉は存在せず、イスラエル人の間でも、アン、エンリル、エンキ、等のシュメルの神々が実名で使われていました。地球司令官エンリルは地球上で崇拝される存在でした。しかし、神々の前1900年頃の核戦争直後、マルドウク様が地球司令官に主任し、その後第三代ヤハウエに就任すると、長子ダビデが地球司令官に就任しました。彼は父を早々に引退させ、自分がヤハウエに就任しようと謀略を練ります。そこで、ダビデの野望を阻止するべく、地球に平和と義をもたらすために、エル・ランティ様が養子に迎えられ、地球司令官50に就任します。ですから、古事記に出現する50、60等の神々のランクは、時代により別の人格の神を表現していることに注意してください(ランク60は最高神・天神に与えられるくらいです。即ち、天王ヤハウエです。)。ちなみに、シュメルの神々の呼び名は役職名で、本名ではありません。

シュメルの神々に導かれたエフライムとユダ

 アブラハムの父テラはウルの神官でした。「エンキの記憶」を書き取ったのも神官です。
 王テラはエンリルを主神とし、農民・工人・牧人・官僚を引き連れて、出立しました。これがヘブル人ですから、彼等の言葉はシュメル語=ウル語です。アブラハムに代替わりした頃には、ウル語から少し変形したヘブライ語に変わったかも知れませんが、ほぼ同じでしょう。
 そして、ヤコブの時代になると、エジプトに長期逗留してしまい、エジプトの風俗と言葉を使うようになり、ヘブライ語を忘れてしまいます。
 この時代より前に日本に向けて出発した一族はウル語を覚えており、インド経由でシルクロードの「海の道」を経由して、日本に到着するころには変形して倭語に成っていたことでしょう(エフライム族・神武天皇は、風神エンリルを主神としていた)。
 出エジプト当時、ヤハウエは存在しません。ヤハウエが旧約聖書に出現するのは、捕囚時代だと思われます。ですから、捕囚の前に逃れて日本に出発したユダヤ人(イザヤの民)の主神は、太陽神・マルドウク(第三代ヤハウエ)でした。彼等はシルクロードの「オアシスの道」を経由して日本に渡来します(前660年頃)。
 ローマの支配下にあったユダヤでは、ヘブライ語は失われ、アラム語とギリシャ語が使われています。ローマの迫害を逃れた原始キリスト教徒は秦一族として、日本に渡来し、南伝のエフライム族、北伝のユダ族の王権を統一し大和朝廷をうち立てます。原始キリスト教の主神は第四代ヤハウエです。
 次に、秦一族の除福が日本に渡来した時、北極星である天王を先頭に、北極星を周回する北斗七星(七大天使=七福神)と共に日本に渡来し、天照大神=ヤハウエを日本の主神とするのです。
 ですから、全ての地上の文字と文明と宗教は、シュメル文明とシュメル絵文字と古代シュメルの神々が始まりである。つまり、ニビル星の文明と遺伝子が地球に移植されたと云うことです。
 以上は、二ビル星人・シュメル側から見た歴史ですが、出雲神族・縄文人は、ムー文明の王族であり、シュメルの官僚はアトランティスなど全文明の人々で、二ビル星人が創造した黒い頭の人々は労働者として使役されている。だから、前文明のシュメル人が使っていた古拙シュメル語と、ムー王家の縄文人の言葉は非常に近かったし、遺伝子的にも共通していたと考えて間違いない。というのは、日本人(アイヌ、琉球、大和は、縄文人から見れば兄弟)のYAP遺伝子は、イスラエル人と共通の基盤だからです。

しめ縄に見るシュメル語 蛇模様

 『数の文化史を歩く』によれば、「しめなわ」の語源とその意味を過去に遡ることで、現代語の「しめなわ」が、古事記の天の岩戸神話「シリクメ縄」に由来していること。更に時代を遡ると、シュメル語の蛇(シル)と蛇(ムシュグビ)を重層させたのが、日本語の「シリクメ」だということが明らかになる。さらに、元々の縄のより方は「左縄」であり、出雲の撚り方が天岩戸神話では使われている。つまり、このようにして、シュメル語彙から倭語へと移行し、そして日本語が誕生したのです。
 しめ縄の語源は、蛇と蛇のからみ合った縄である(つまり、DNAの二重螺旋構造を意味している。だから左搓りであり、生命にとって神聖な叡智だ。)。
 以上から、縄文の縄目模様は、プレアデスの守護を受けたこともあり、蛇模様だと考えられる。尚、巫女術にも「753」が現れています([神道は呉越の巫術を受け継いでいる]参照)。
 七五三縄
 「七五三縄」と書くのは縄の形状からきている。「しめなわ」というのは、わらを左縒りに綯ってゆき、その途中、わらの茎を三筋・五筋・七筋と順次に細い放して垂らし、さらに、その間々に紙弊(もとは木綿を用いた)を垂らすわけで、このように三筋・五筋・七筋と垂らす形状から「七五三縄」という表記が当てられたものと思われる。(⇒[七五三の祭 と 同盟星について]参照 … こちらの方が七五三の由来にふさわしい)
 

※魂魄について

 魂は霊体のエネルギーによる活動。
 魄は肉体のエネルギーによる活動。

※物部の「物」について

 武士の中でも「もののふ」は、室町~江戸時代にかけて、武道を修業した戦士や兵士を示す、大和言葉です。5世紀ごろ、「物部(もののべ)」の読み方が「もののふ」へと変化し、そのまま軍事に携わる人を意味するようになりました。
 つまり、「もの」は国軍や軍隊を意味するのに、物質という意味の「物」をあてはめたために、現代では意味が通じなくなってしまいました。釈然としませんが、おそらく、人間の働きを「魂」と「魄」に分けて考えたように、王族の権威と軍部の権威を分けるような意味合いだったのではないでしょうか。
 一方、シュメル語から「部」は集団の意味だそうです。シュメル語で「もの」は「戦う」の意味。また、物部氏の始祖は、ニギハヤヒとナガスネヒコの妹の間に生まれた「ウマシ・マジ」です。シュメル語の「ウマシ」=司祭長マジはギルガメッシュ王の意味で、まとめると、ギルガメッシュ神の司祭長の意味です
 ですから、「物部」は、ギルガメッシュ神の一族で、武人の集団という意味です。彼らは、神武天皇が正当だと認め、後に大和国の武人集団になりました。
 尚、天孫族は、アヌ・エンリル・月神・日神の系列の集団です。一方、古事記に出現する地神は、エンキやニンフルサグ系列の集団の意味だそうです。だから、地神は天孫族を正当な王権として、出雲のように日本の統治権を禅譲したり、合体したりして大和朝廷が建国されたのでしょう。
 和歌によれば、ヤマトは“まほろば”とされていますが、シュメル語で“まほろば”は、たくさんの部族の集団という意味です。初期の大和朝廷が部族制だったことと符合します。
 だから、建国の詔では、このたくさんの部族がいがみ合うこと無く、法の下に、兄弟や家族のように暮らしていこうと、宣言されたのも納得します。
 他には、精霊の意味もある([なぜ媛踏鞴五十鈴媛を正妃に迎えたか])。
  
追記:メ翼:雑メモ 2004/05/25 P119-132 参照
 天上界はシュメールやフェニキアの王族の魂(霊体)で五千年以上の長きに亙って、人類の天への導き手であった事。神々は優れた人の霊魂であり、イザナギ、イザナミの尊など日本古来の神々も共通の霊体であること。それはニビル星より火星や地球に飛来、人類の始祖と成った方々の霊魂と同じだとの事です。古代の粘土板や象形文字等に録された地球人類史にも明らかにされた通りのものです。(※つまり、海洋民族フェニキア人は古代日本に渡来しているので、シュメールやフェニキアの王族が富士王朝に合体している可能性があります。また、スメラ尊は、シュメルの王族という意味ですから、天上界の神々の出自を起源としているのです。実際、テラはウルの神官で王族でした。彼を選んだのはエンリル様でした。バビロン宮殿にある「十六菊花紋([十六菊花紋]参照)」はシュメル王族の印、そして「日の丸([ムー皇室(王室)の紋章]参照)」はムー王族の印ですから、日本の出自を「十六菊花紋」と「日の丸」が明示しているのです。)2019年2月17日,3月2日
  ◆稲荷神社
 秦の伊呂具(イログ)が創建したと伝えられている。
 そのハタは「風神エン・リル」の暗喩「五十」のバビロニア語、ハッシャからハタでした。イログは、シュメール語の「風神エン・リルと地母神・牡牛神」です。そして中国語の秦(シン)も、秦の始皇帝と同じ、そのうえ、始皇帝の姓のエイが、風神エン・リル族の姓でした。つまり、原始キリスト教を伝えた秦氏のイログは、まさに風神の一族だった。※当時の神々のランク50は日神で、ヤハウエは月神だった。つまり、秦一族が月神=ヤハウエと七大天使と共に日本に渡来し、天照大神として日本の主神になった。
 尚、ヘブライ語の「インリ」が訛って、「イナリ」に変化したと云う。そして、「インリ」は「イエス」のことです。秦氏が原始キリスト教徒であれば、イエスを救世主とはみなさず、イエスは人間でメシアの一人だとみなしている。もし、秦氏の第二人が日本に渡来し、彼らがキリスト教徒なら、「イナリ」=「イエス」は理解できる。

 ◇ ◇ 日本=大和朝廷と日高見国の合体 ◇ ◇ 

 ユダヤ教からキリスト教時代には、第四代ヤハウエ=エル・ランティ様と双子の弟サタン・ダビデにおいて、人類の主導権を掛けての闘いが繰り返されている。平行して、三内縄文王国が勃興し、シュメルやエジプトでも太陽神を祭る王国文明が発展している。この世界規模の善と悪の闘いの中で、大和朝廷は日高見国と合体して、日本としてこの荒波を乗り越えようとした。このことを、下記に論じたいと思います。
 富士山への登頂について、江戸時代には甲斐側すなわち富士山北麓の富士吉田から発する登山道を通って山頂を目指すのが、正統だった。そして、この地には、「はるか遠い昔、富士北麓の平原に、神々が来臨した」とする伝説が残されている。伝説によれば、富士山を聖なる山として尊崇の念を抱いた神々は、北麓の地を「高天原」と名づけて住み着き、阿祖谷に荘厳な神宮を創建し、王朝を確立し、富士山を拠点として日本を統治したという。
「護良親王の首級が葬られたという伝承のある小室浅間神社の由来を追究するうちに、たまたま多くの古文書を発見し、夜を徹して調査したところ、その神社は太古の高天原宗廟の元宮阿祖山太神宮と称し、遠く神代の創立であり、天祖天照大御神の神勅を畏(かしこみ)み、地神第2代から神皇第51代に至るまで、いずれもその御神殿において即位式を行っていた、いわゆる神代の賢所(アマテラスを祀る宮中の聖所)であった」(『神皇紀』序)
 ちなみに、「アソ」という言葉はアイヌ語で「燃える山」すなわち活火山を意味するという説がある(「フジ」はアイヌ語で「火山」)。これまで噴火を繰り返してきた火山である富士山に「阿祖」という地名があったのは、理にかなうことになる。また、富士山の山頂や周辺には「浅間(あさま/せんげん)神社」が祀られているが、富士山の異名ともいえる「アサマ(浅間)」もアイヌ語のアソに由来するとする説がある。もっとも、『宮下文書』では、「アソヤマ(阿祖山)」がつづまって「アサマ(浅間)」になったという。九州の阿蘇山も火山であるから、「アソ」が着くのも当然です。
 だが、徐々にその富士王朝は衰え、その血脈は大和の天皇家に取って代わられてゆき、ついには富士山の大噴火(800年頃)によって、かろうじて命脈を保っていた神宮は溶岩と火山灰の下に埋もれ、かつての繁栄の証しは永遠に幻のものとなったそうだ。
 徐福が記したとされる『宮下文書=徐福文書』の全貌を把撞するのはとても容易なことではないが、その一部分のダイジェスト版である『神皇紀』によれば、大まかには4つに分類することができる。その内の一つ「富士王朝伝承関係…太古、富士山麓を拠点に栄えたとする超古代王朝に関する諸記録、年代記」には、富士山麓が高天原と呼ばれた神代、富士山麓から九州高千穂に遷都した神皇時代(神武天皇以前に2700年続いたウガヤフキアユズ51代)、九州から大和に遷都した人皇(天皇)時代、富士山麓の高天原に鎮座する阿祖山太神宮の歴史、富士山の古代の大噴火などに言及する。古代中国から来日した徐福が記録したと伝わる「徐福十二史談(除福伝)」などなどが、記述されている。
  ■共産主義はメシア・キリスト教から神を無くした理論
 イエスを人類の救世主とする強烈で排他的な一神教は、神の絶対性と対比して、非科学的な迷信である原罪をして人類を罪人と裁断しています。だから、善なる神と罪人である人類は対立しており、飛び越えることの出来ない階級差があります。ここに、神に原罪を許されるべき人々が出現し、彼らは神の側に立つ選民意識を持ち、その結果、キリスト教徒では無い人々を奴隷とし虐殺し、植民地を広げてきました。彼らは神の前の平等と云いますが、恩恵にあずかれるのはキリスト教徒だけなのです。
 そして、神の前の平等やモーセの十戒や立法を信じ、王と教会の対立の中で、英国ではマグナカルタを認めさせ、民主主義への育ってゆきます。つまり、欧米人は階級闘争の中で、神と王を捨てませんでした。
 もう一つ、神の前の平等を実現するには、権力者や選民を皆殺しにすれば良い。それには、階級闘争をおこない教会と王族を抹殺すればいい。そして、イエスの代わりにスターリンが、毛沢東が君臨して、民は皆一様に人権も自由も奪われ、隣人愛も失われ、飢える世界が共産主義国家です。

 神道はキリスト教から原罪と選民意識を取り除いたものに近い

 一方、米国が日本を占領していた時、GHQは日本人は皇室に搾取されていると勘違いし、皇室を弱体化し、革命を起こすように仕組みました。しかし、「君臣一体の共治」を天皇制の中に見いだしたモルデカイ・モーセは、これこそユダヤ人が理想とする王政だとして、日本人に対して行ってきた悪行を懺悔しています。
 さらに、キリスト教では神のことを父、神は民のことを子としています。この神と民の関係を実現しているのが、神道です。天皇は民の親として、民を子(御宝)として慈悲と徳の心で接し、民は天皇を親として慕ってきたからです。また、「上の者が和やかで下の者も率直ならば、議論で対立することがあっても、自ずから道理にかない調和する」とあるように、隣人同志の和=調和は、隣人愛にも匹敵する心です。
 加えて、和=調和は、“人はパンのみにて生きるにあらず”のように、精神と肉体のバランスをもたらします。このバランスのことを、仏教用語で「中庸」というのです。そして、仏教は中庸に至る手法として、八正道を提唱しています。正しく見、正しく聞く、正しくしゃべる、正しく仕事するなどは、互いに議論して和(調和)を図る17条憲法の精神と一致しています。
 だからこそ、日本型民主主義は、宗派を超えて調和をもたらすに違い有りません。

2.『神皇紀』「天の世七代」~「天神七代--富士高天原の誕生」

 『神皇紀』の天地開闢の初め「天の世七代」には、まるで石器時代を想像させ、その期間は約1千年(30万日)と記されている。まるで、ムーやアトランティス沈没後に、ムー王家が日本列島に渡来した様子を描いているようにも思われる。
 次に来る「天之御中世火高見十五代」には、天之御中主神は、天之御中比女神をめとり、生まれたのが高皇産穂男神、次に高中守主神、次に高下守王神。このうち、高皇産穂男神が「天つ日嗣」となり、高中守主神は左守大神に、高下守主神は右守大神になり、ともに天つ日嗣である高皇産穂男神に守り仕えた。以後、『神皇紀』では「天つ日嗣」となった神のことを「大御神」と呼んでいる。土器や塩造り、米・粟・稗漆などの農耕が始まっている。
 この天之御中世火高見十五代は約1850年(67万5000日)続いた。天之御中世十五代の最後は、天之田原男神の御子である天之神農氏神で、後に諡(死後に送られる称号)を高皇産霊神といい、実名を農作比古神と霊神(天之神農比女神、諌農作比女神)を后とし、いつも草木の実や根、皮をなめ、塩を口に含んで思索にふけり、病気や傷に効く薬種を定め、子孫に伝えた。高皇産霊神、神皇産霊神は『古事記』では高御産巣日神、神産巣日神と書かれ、天地のはじめに天之御中主神とともに高天原に成った重要な神格である。(*おそらく、日本に縄文時代の稗・粟・米 … をもたらした霊神がオオゲツヒメかもしれない)
 次に来るのは「天神七代--富士高天原の誕生」。火高見十五代の最後の高皇産霊神(農作比古神)と神皇産霊神の間には7人の御子がいたが、5番目の御子は国常立尊で、実名を農立比古尊といい、7番目の御子は国狭槌尊で農佐比古尊といった。それぞれに「農」という字が用いられている。
 ちなみに、国常立尊は『日本書紀』の本文の一番最初に登場する神であり、その次に生り現れるのが、国狭槌尊である。つまり、『日本書紀』の冒頭に現れる「神代七代」の神々が、『宮下文書』では、天之世七代、天之御中世十五代に次ぐ、3つ目の神代にあたる「天神七代」になって登場してくる。

 ※神武の即位と物部氏の貢献 … 『消された大王 饒速日』神一行著より抜粋

 ニギハヤヒ大王の崩御のあと、娘の伊須気依姫の後見人として大和王国の政治を代行していた宇摩志麻治命(ウマシマヂ … ニギハヤヒの子)を祀る神社に書かれてあるのだ。その神社を「物部神社」(島根県大田市)といい、宇摩志麻治命はこの地で死んでいる。
 「物部神社」の社伝によれば、「祭神・宇摩志麻治尊は物部氏の始祖なり。神武天皇大倭国に御遷都のとき大功あり。天皇その功を賞して、布都御魂の神剣を賜う。祭神もまた天祖(須佐之男尊)より拝承せる〝十種の神宝″を奉りたまふ。かくて、辛酉年正月朔日、天皇即位したまう…」とある。あくまでも〝御遷都″であり征伐の記録ではない。「布都御魂の剣」とは、スサノオが八俣大蛇を退治したときの剣で、神武が熊野で苦戦した際に、この剣をウマシマヂの弟である高倉下に授けて、神武の大和入りを救ったいきさつがある。また「十種の神宝(※イスラエルの十氏族の印)」とは、祖神スサノオからニギハヤヒに伝授された王位継承の印のことで、この神宝をウマシマヂが日向御子に渡したことによって、神武は天皇の地位についたのである。
 ここで重要なことは、スサノウ系の王位継承の印が、現在の皇室に伝わる〝三種の神器〟ではなく、〝十種の神宝″であったことだ。この即位のとき、日向御子(神武 … 佐野皇子)とウマシマヂは日向王族と出雲王族の連合政権の証として、重要な約束ごとをしている。それは日向御子と伊須気依姫が結ばれたように、それ以降の天皇位には代々日向王族を立て、皇后位には出雲王族から迎えるという契である。この出雲神族、スサノウ一族、高天原一族の統合の印として、勾玉、剣、鏡を、天皇の王権の印としたのです。(⇒[古代日本とユダ族 24-9.神武天皇を即位させた物部一族 を参照])

 ※欠史八代と物部氏

 『旧事記』によれば、大物主神ははニギハヤヒである。大神神社の主神は大物主神で、日向命とニギハヤヒの娘であるイスケ依姫が、祭られている。古事記でも、日向命=神武天皇はイスケ依姫と結婚している。これが出雲王国と高天原との合流である。この後、欠史八代では高天原の男系に、物部系の姫が嫁いでいる。これが基盤となり、物部氏が権勢を大きくした。藤原氏と同じですね。尚、出雲神話によれば、出雲のホヒが裏切り、神武による再統一が必要となった。神武は役職名で、七代目の神武により再統一されたとある。⇒[神武の侵攻…7代目の神武]参照
 何より、葛城朝9代の中に、「モーセ/ヨシュア/サウル王/ダビデ王/ソロモン王」が暗喩されている。つまり、神々はエジプトで奴隷状態の神の民(ヤマト)の滅亡を惜しんで、モーセをリーダとしてモーセの民を荒野へと導きだした。神々はモーセを通じてモーセの民に十戒と律法を与え、荒野での彷徨の中で奴隷から、独立国を建国できるように精神を導かれた。約束の地カナンを目の前に、モーセ様は昇天された。モーセの後継者であるヨシュアが約束の地への凱旋を果たした。イスラエル民族は、サウルを王にして神の国を建国しようとしたが、周辺諸国の軍事力を畏れ、神に代わる強力な王を熱望した。その結果、ダビデ王がイスラエル王国を建国し、契約の箱を安置したが、彼の罪ゆえに神の神殿の建設は許されなかった。ダビデの王権を引き継いだソロモン王は、神の神殿を建設し、名実ともにイスラエル民族の独立国家を確実なものとした。
 この神民族(モーセの民に対して、大和民族「神の民」)から、神の民の独立国家建国(イスラエル王国に対して、大倭「出雲系と高天原系の合体 … 旧約の予言通り、エフライムとユダが一つの杖「王権」で結ばれたから … 正当な神の国の後継者」)までの歴史が刻まれている。 ⇒ [葛城王朝9代の謎]参照。
「神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、エフライムの杖(王権)と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、私の手の中で一つとする」[エゼキエル書 39章]
  
  

3.ウガヤフキアエズ51代

 『日本書紀』によれば、ニニギ(天孫)⇒ヒコホホデミ⇒ウガヤフキアユズ(神武の父)というわずか3代で、180万年もの歳月が流れたとされている。あくまでも神話の世界とはいえ、3代の期間としては長すぎるが、ウガヤフキアユズが現れてから神武天皇が登場するまでに、長大な期間があったと推測することができる。
 『日本書紀』の紀年に基づくと、神武天皇が大和の橿原宮で初代天皇に即位したのは、紀元前660年とされている。したがって、ウガヤフキアユズ朝が始まったのは、宮下文書を元にすれば51代の期間は約2741年なのでで、紀元前3400年頃ということになる。今から5000年以上の昔で、考古学的には縄文時代の中期ということになる。
 第33代の時、神皇は尾羽張国の津島に祖佐男(スサノウ)命を祀る神社を造営し、津島牛頭天王神社と名づけた。そして社前に法に背いた罪悪神を集め、説教教諭をさせた。これを日本総天獄といい、神社を日本総社といった。それまでは、出雲国の出雲谷の里にある大洞穴に罪悪神を集めて説教教諭をさせていて、これは天照大御神が祖佐男命に勅命して監督させたのがはじまり。そして津島の日本総社を陽総社と名づけたのに対し、出雲の大社は陰大社と呼ばれるようになり、陽総社でも改まらない悪神が出雲に送り込まれることになった。
 さて、イスラエルの立場から、日本神話の皇統と旧約聖書の皇統を比較すると、下記のユダ族の旧約の皇統の中で、ベリアが神武天皇に相当する。旧約聖書によれば、ベリアは前1千年頃の人だが、即位を前660年とすることで、下記のようにイスラエルと縄文日本・火高見国・日高見国との年代的なつじつまが合うように成っている。
 そこで、十氏族の皇統からすれば、ベリアは25代に当たる。ウガヤ王朝は男系男子だが、皇統としては男王と皇后が任命されるので、男王だけだと最後を除けば25代となり一致する。そして、前3400年頃は、二ビル星人が地球に飛来し、黒い頭の人類を創造した当時に当たる
 また、「天之御中世火高見十五代」の1850年と、660年を合算すると、前2500年頃となり、ノアの大洪水時に相当する。つまり、イスラエルからすれば、「天之御中主神」はノアである
 従って、日本において「天の世七代」はムー・縄文人の時代に相当することになる。

旧約聖書の皇統

 1.アダム、2.セト、3.エノス、4.ケナン、5.アハラエル、6.イエレド、7.エノク、
 8.メトシェラ、9.レメク、10.ノア(天御中主)、
 11.セム、12.アルバクシャデ、13.シェラフ、14.エベル、15.ペレグ、16.レウ、
 17.セルグ、18,ナホル、19.テラ(伊弉諾)、20.アブラハム、21.イサク、
 22.ヤコブ(ヨセフ、エフライム[死去は前1516年]、ベリア[神武]、ヨシュア)、
 23.ユダ、24.ペレツ、25.ヘツロン、26.アラム、
 27.アミナダム、28.ナフション、29.サルマ、30.ホアズ
 31.オヘデ、32.エッサイ、33.ダビデ、34.ソロモン、35.レハベアム(ユダ王国)、
 36.アビヤ、37.アサ、38.ヨサパテ、39.ヨラム、40.ウジヤ、
 41.ヨタム、42.アハズ、43.ヒゼキヤ(ヘフジバ王妃)、44.マナセ、45.アモン、
 46.ヨシヤ、47.エホアハズ、48.エホヤキム、49.エホヤキン、50.ゼデキヤ、
 51.ヒゼキア

ヒゼキア王

 在位は紀元前715年、または716年から687年。25歳で王となったとき、ユダ王国はアッシリアの属国状態にあった。ヒゼキヤはエルサレムの明け渡しを要求されるが、これを断ると、センナケリブはエルサレムに入城することなく、軍を撤退させた。このとき、ユダ王国の預言者イザヤは、敵がこの街に入る事は無いと預言している。


4.神武天皇の出自

 神武天皇は、旧約聖書の皇統ではベリアだとしました。神武天皇一行は、デカン高原から海のシルクロードを経由して、日本に渡来したと推測していました。このことに関して、長江流域の呉に貴重な伝承「呉の太伯(泰伯)の弟の子孫が東方に向かって船出し、その血統の者が神武天皇になった」がありました。
 呉とは古代中国の国名だ。中国の歴史では呉という名の国が3つ興亡しているが、ここに挙げられている呉とは、春秋時代(紀元前770~前403年)に長江下流域(江南地方)を拠点とした国で、紀元前6世紀ごろから強大になったが、紀元前473年に隣国の越によって滅ぼされた。この呉の伝説的な始祖王が太伯である。
 『史記』によると、太伯は華北一帯を支配していた周の王子として生まれたが、王位を弟の季歴に譲り、自身は野心のないことを示すために入れ墨・断髪をして、もうひとりの弟とともに野蛮の地に逃れ、呉を興して王となった。太伯には子がいなかったため、太伯の後には弟が王に立った。
 『日本教会史』にある「呉の太伯の弟」とは、太伯とともに江南に逃れた弟を指すのだろう。そして、この古代中国の名門王族の末高が日本列島に渡り、さらにその子孫から初代天皇神武が現れた、というのがロドリゲスが耳にした日本の始祖伝承の骨子である。また、『日本教会史』は、中国人は日本を「姫民国」と呼んだと記している。「姫」は、呉の国姓(帝王の姓)である。したがって、「姫姓をもつ呉の王の子孫が興した国」という意味で日本が「姫民国」と呼ばれたのだろうと考えることができる。
 「周」はユダヤ人の王国ですから、ベリアがこの地を経由して、海洋民族であるである呉人の船で日本に渡来したことが、傍証されたのだと思います。そして、徐福一族はローマの圧政を逃れたイスラエル人達であり、神武天皇の後を追って高天原に住み着き、神の掟を実践する為に、皇統を守りたかったのだと思います。だから、同じ海部族の船で日本に渡来したのでしょう。
 他にも、三国時代の魏に『魏略』がある。卑弥呼に言及していることで有名な『魏志倭人伝』のべーすになっているが、この中に倭人(日本人)に関する次のような記述がある。魏の後に建った晋朝(265~419年)の歴史を記した『晋書』にも、ほぼ同じような記述が見らる。
「倭人の習俗についていうと、男はみな顔やからだに入れ墨をしている。彼らの伝承によると、自分たちは呉の太伯の子孫なのだという」
 日本の卑弥呼が魏に使者を送っていたことはよく知られているが、おそらくそのときの日本からの外交使節が、われわれは呉の始祖王の子孫だ」と中国側に説明していたのではないだろうか。そして、彼らの入れ墨という習俗は、かつて入れ墨をして誠心を示したという遠祖太伯ゆかりのものと信じられ、それを誇りとしていたのだろう。尚、卑弥呼=日巫女であり、神武天皇系の王国だったと推測され、前月と同じく、徐福=高天原もしくは、日高見からの使者だったと推測される(イザナギの長女ヘブジバ女王と弟の二人が、南ユダ国の滅亡直前に日本に渡来している。この女王ヘブジバは太陽神ヤハウエの巫女なので、数世代後の日巫女=卑弥呼のことだろう。)。
 尚、宮下文書には「蓬莱山高天原の天都洲」から伏義(伏義氏)が「大陸の大中原」に天降ってきたとある。『宮下文書』では「蓬莱山」といえば富士山であり、「高天原」といえば富士北麓の神都のことです。しかし、上半身人で下半身がヘビの男女が、下半身が巻き付いているのは、人類を創造したエンキとニンフルサグ、もしくは生命の木七枝樹をシンボルとシュルシュメルの夫婦神のことです。宮下文書のこの記述は、二ビル星人・古代シュメルの神々のことを知らない為の誤記でしょう。
 ◆東日流外三郡誌』の日本誕生の秘話
 海洋民族シュメル人、ソロモン時代のタルシン船、呉の海部族、イスラエル人、などなどが、日本の沿岸に到着し、各部族の来歴を岩に刻んだ。縄文人は山の民族であり、平野に住んでいなかった為、渡来人達は平野で自分たちの王国を建国していった。しかも、渡来人達は、縄文人との交易無しには生活できなかったので、縄文文化を取り入れつつ、国造りを行っていった。というのも、当時の日本には平野が少なく、灌漑もされて居らず、水田を作ることが出来なかった。また、海のシルクロード経由で日本に渡来したイスラエルの民は鉄とジャポニカ米の稲を持っていたが、富士山にある縄文文明と融合し、高天原及び、周辺に日高見国を建国した──七世紀の富士の爆発により、高天原は壊滅した。そこで、大和に移住した残りの人々は十和田湖付近で第二の日高見国を建国している。
 縄文時代から水田稲作は存在していたが、僅かだった。弥生時代に平野で水田が広まったとされているが、米の収穫は部落や都市において、約60日分でしかなく、主食とは成り得なかった。つまり、弥生時代は、縄文文明に水田稲作を付け加えただけでしかなく、主流は縄文文明のままだったのです。神武東征の時期、寒冷化が進みつつあり、東日本には十分な食料があったが、西日本では縄文式生活では食料が不足し始めていたので、水田技術は歓迎されたに違いないです。
 また、関東では大量の鉄器が生成され、農具や生活用品を生み出し、農耕が発達していた。大分の国後半島には前一千年頃、世界最大の製鉄所があったとされ、小倉や吉備にも大きな製鉄所があった日本は世界第三位の砂鉄産出国であり、半島から鉄を輸入する一用はなく、自前の製鉄が行われていた。また、日高見国には、徐福の技術者集団が定着し、稲(シュメル人+苗族)、鉄(草薙の剱、ヒッタイト、ソロモン時代の技術者、エブス)、絹(徐福)、機織り(徐福)という、天照大神由来の日本文化が縄文文化と共存して花開いたのです。尚、2004年頃でしょうか?、日本の製鉄に関してお伺いしたところ、前1千年頃には可能だったと。(⇒[『東日流外三郡誌』ナガスネヒコとアラハバキ王国]参照)
 
 ◆追記:史記の記述はフェイク歴史だった!…「契丹古伝」より
  /『契丹古伝』は942年に編纂された遼(契丹)王家の史書です。
 ノアの洪水以後、その時代から中国に住み始めた西方の人々(漢民族)が中国の歴史と帝王の系図を偽造したこと、そして契丹人と日本人の共通の祖先が禹(ノア)であることが述べられている。(⇒[司馬遷の史記は捏造されている]参照)

◇ ◇ 

 その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変わってしまった。
 この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛り上がり(ヒマラヤの隆起)、南東部で引き裂かれて水没した(フィリピン海溝の形成)……。
 尭・舜(ぎょう・しゅん)の時代に地球全土は戦火に包まれ、南は洪水の後始末に追われた。ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神をまつる者、蛇身人首の鬼をまつる者が西から東へ次々と来たり、われらの地に住みついた。
 そして彼らは、自らをわれら東大古族の神の子孫と偽ったばかりでなく、伏犠や神農、黄帝、少コウなる人物をわれらの王の祖先に仕立てあげて、その系図に自分たちの祖先をつなげ、……これら偽りの神と王に対する崇拝をわれらに強制して、自らを聖帝の子孫なりと誇らしげに語っている。
 けれども彼らは、自らの祖先と思っていた尭と舜が、彼らの思惑に反して東大古族の王であり、われらの祖先であったことをはたして知っているのだろうか。
 西から中国の地に移住して帰化した人々がわれらの王に仕えたのは、尭・舜のときではなく、その後久しく続いた夏王朝の創始者たる禹のとき以来のことである。
 彼らは、われらの王である禹をあたかも彼ら中国人の王であり、中国大陸だけを治めた王であったかのように記しているが、これはとんでもない間違いである。
 というのも、『史記』に記された南は、大洪水を生きのびてテイルムンの楽園に住んだシュルツパタの王ウトナピシュティム(日本の天御中主、ノア)を指しており、彼の治めた地域は、息子ギルガメシュ(日本の高皇産霊)が活躍したメソポタミアのウルク(夏)だけでなく、全世界に及んでいたからだ。われら東大神族の王である禹は、中国だけの王ではない。(追記 2018/02/03)
「その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の地形は
 すっかり変わってしまった。
 この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で盛り上がり
 (ヒマラヤの隆起)、
 南東部で引き裂かれて沈没した(フィリピン海溝の形成) … 。
 ギョウ・シュンの時代に地球の全土は火に包まれ、
 ウは洪水の後始末に追われた。」

❑.海人族の鰐氏(和丹・和瑣・和邇など)

①.殷(ワイ族,ワニ族,シウカラ族(タカラとも呼ぶ)は、殷帝国を構成していた一族で倭人である)は、元は倭人である。
 更に、魏志倭人伝には、当時の日本にある「秦王国」の民は夷州の殷人であると記録している。
②.豊玉姫はウ(兎or卯)ガヤフキアエズを生んだ後、ワニ(=殷族)の姿になった。
③.倭人のワは、「天:ア」に対して「地:ワ」の事であり、アワは神の人=倭人である。つまり、大和と同じ意味です。

『契丹古伝』

 『契丹古伝』によれば、日本は「秋洲」と記され、「阿基氏末(あきしま)」とよばれる。これは、「阿基毗(ひ,たすける)」(アキヒメ)を祖霊とするからである。
 『契丹古伝』によれば、日本は「秋洲」と記され、「阿基氏末(あきしま)」とよばれる。これは、「阿基毗」(アキヒメ)を祖霊とするからである。
 だが、この「阿基毗」を祖とする民族は、「阿斬(あき)」「泱委(わい)」「陽委(やい)」「潢耳(わに)」「伯弭(はに)」「潘耶(はんや)」などがある。そして、「契丹秘史」の「邪摩駘記」の筆者、鵜須弗(うすぼつ)(宝亀四年=七七三年、勃海国使として来朝した烏須勃<うすぼす>のこと)の観察によれば、当時(奈良時代)の日本国民は、この四つの民族から構成されていたという。
 このうち阿斬族は日本に渡来したアキヒ族のうちの最大勢力であり、「素率旦阿擺吐(そすなあきひ)」ともいう。
 つまりスサノオ(出雲王朝)系の諸民族が、中央アジアや中国大陸、あるいはシベリア南部経由で日本列島に渡ってきたということになる。
 なお、准委族(わい)は韓民族であり、陽委族(やい)は殷や周を形成した有力民族、潢耳族(わに)も殷帝国を構成していた河南省の一族、潘耶族(はんや)は貊倭族(はい)であり、扶余族(はい)、泱委族)である。
 これらの諸民族は、中国史では一応「塞(さい)外」の蛮族だが、かつては中原に覇をとなえた強人な民族である。

  (余談)

  夏殷=カイン王朝
  周=ジュ=ユダヤ王朝
  秦=中東民族の王朝
  漢=カイン王朝の再現
  唐=遊牧民との妥協王朝(今後の検討必要)
  元=モンゴル帝国
  明=遊牧民を取り入れた王朝
  清=モンゴル帝国の再来
  共産中国=カイン王朝の再来

5.徐福伝説 --- 富士高天原へ

 徐福は、薬師如来像を抱えて日本に渡来している。薬師如来は、イエスのことだから、徐福一族=秦氏一族は原始キリスト教徒ということになる。
 呉・海部族の船で、紀伊に上陸後、徐福一行は蓬莱山の探索を始め、2年後、ついにあの美しい山容を彼方に見いだした。そして再び船に乗って海を渡り、駿河に上陸。そこから野山を越えて、不二蓬莱山すなわち富士山の北麓に広がる高天原を経て、ようやく阿祖谷小室の家基都(かきつ)にたどり着いた。一行は阿祖山太神宮に拝礼した後、阿祖谷の大室あるいは中室に留まり、その地に住み着くことになった。
 一行の中には、農業・医薬・養蚕・鋳物など大陸の先進文化を身につけた職人・技術者が多くいて、彼らによって現地の人々にもさまざまな技術・職業が伝わることになった。
 ちょうどそのころ、たまたま竹内宿欄(武内宿祢)が阿祖山太神宮への奉幣のために阿祖谷に滞在していた。「秦から渡ってきた徐福という博学の士が阿祖谷にいる」ことを聞き知った竹内宿祢は大いに興味心に駆られ、徐福のもとを訪ね、彼の頭脳に蓄えられている学問の教授を請い願った。後日、息子の央代宿祢も伴って徐福に学んだので、秦(ハタ)出身の徐福にちなみ、息子を羽田(秦)失代宿祢と改称させている。
 さて、『神皇紀』では、徐福とともに来日した童男童女500人(このなかには老人も含まれている)の名を列挙し、さらに徐福の子孫の系譜も記している。
 それによると、徐福には七男三女がいたが、長男福永(後に福岡氏を名乗る)が父の跡を継ぎ、次男福萬は福島と名を改め、父の命を受けて、はじめに一行が上陸して居住した紀伊国の熊野に戻り、その地を開墾して住み着いた
 第4代福岡福仙は、大山祇命の子孫である御身弥男命の娘を妻とし、阿祖山太神宮の神官に任じられた。以後、福岡氏はこの職を代々継承した(全国に「福岡」があるのも頷ける)。

 ◆海洋-安曇族と弥生時代について
 徐福の前、前473年頃、中国の呉から志賀島に船で渡来した人々を「安曇族」と云う。つまり、神武天皇や徐福と同じ海路での渡来した海部族(海洋民族 … 海軍)の一団だ。日本神話では、イザナギから生れた綿津見三神を祖神としている。また、山幸彦を助けた海神でもある。つまり、日本神話では、呉人を海部族として、イザナギから生れた綿津見を祖神として位置づけることで、和を保つようにしている。
 彼らは資金及び軍資金確保のため、日本列島内では、主に沿海産物の塩と内陸部産物の鹿角との交換の伸介を始め、また、中国大陸を相手にした交易も始める。当時の中国大陸は戦国時代で世が乱れ、その乱世から逃れるために亡命を希望する水田稲作農耕民たちを船で日本列島へつれて来て、日本列島の水田稲作適地に入植させ、米づくりを広めた。
 その人植地に、現在でもアヅミに関する地名がある。鳥取県米子市の安曇、兵庫県宍粟市の安積、石川県羽咋市の安津見、滋賀県高島市の安曇川、長野県安曇野市、新潟県関川村の安角、高天原の「明見」などがそれである。
 また、安曇族は、米づくりだけでなく、BC3世紀末に、秦の始皇帝の不老長寿願望に取り入った方士の徐福が率いる技術者集団を有明海北部地域に連れてきて、造船、金属加工をはじめとする本格的な物づくりを日本列島ではじめさせた。この米づくりと物づくりが日本列島に入って来た結果、弥生時代が拓かれた。と言うことで、安曇族は、日本列島に弥生時代を拓いた人たちだったのだ。
 
 
 ◆大陸から日本への朝鮮ルートは存在しない
 大陸から日本へ渡来する場合、地図上の最短距離から単純に朝鮮半島から福岡へというルートが、当然とされてきました。魏志倭人伝でも、朝鮮半島から日本へのルートが前提とされています。
 ところが、海流の関係から、朝鮮半島から日本へのルートは非常に困難です。例えば、北朝鮮からの木造船が、九州では無く、北陸に漂着するのがその証拠です。
 それよりも、越や呉から、福岡、太平洋側へ渡航するのが楽なんです。
 だから、ジャポニカ米も、蚕も、他の文化も、朝鮮経由で日本に入ってきたのでは無いです。稲作を日本に伝えたとされる弥生人が、朝鮮から来たというのは間違いでした。それはジャポニカ米のDNA分析でも、証明されています。
 実は、稲作は縄文人によるものです。今では、大陸からの伝来だとされていた、漆喰、稲作、基礎土木工事 … は、大陸よりも古い日本独自文化だと、縄文遺跡から分っています。
 逆に、古代から非文明地である朝鮮半島には、日本から文明が移植されていることも分っています。

 
 ◆福岡県志賀島と金印
 シカという音の「シ」は肉を意味し、カは神に仕えるを意味している。つまり、鹿島は「神に仕える」島、カ=香なら「火の島」となる。そこで、「志賀島」は、わざわざ「鹿」を使っていないことから、「シ」「カ」島で、「肉を神に奉納する」もしくは「火肉=燔祭」の意味で、どちらにしろ神への奉納を意味している。
 金印は57年、奴国王が後漢の光武帝から貰った。金印だから、後漢と同等の文明国という意味で、朝鮮はあくまでも属国だから与えていない。奴国は現在の福岡市と春日市当たりで、太伯の子孫だとしている。この太伯の子孫だという誇りをもつ海部族・安曇野族が、呉から志賀島に渡来した人々だから、後漢に使者を出したのだと考えられる。
 加えて、福岡県の志賀島に金印があります。志賀島の一族は安曇族で、海洋民族である彼らは母国呉の滅亡に伴い志賀島他に移住している。彼らは、ハイテク技術者集団である徐福一族や、大陸の内乱を避ける稲作水田農民他を日本に亡命させている。日高見の近くにも、「安曇野」「明見(あずみ)」があり安曇族が徐福一族と共に高天原一帯に定住したと考えられる。だとすれば、日巫女は、呉や徐福一族が母国に使者を派遣したときの役職名(本名ではない)と考えられる。彼らは海部族(綿津見三神)として記紀にも記録されている。一方、古代の海洋民族であるシュメル人や、ソロモン王の時代にタルシン船を操ったフェニキア人も海洋民族であり、日本に定着している。つまり、海部族には、アマテラスの皇統に位置する安曇野とシュメルの二部族が居たのだが、シュメル人やイスラエル人は日高見に渡来しているので、彼ら海部族を、綿津見三神と区別する為に「海」ではなく、同じ音の「天」を使ったのだと推測される。勿論、イスラエルには「神=天」の概念もあり、「天」に「天界」「聖書では高地」と「海」の両方の意味を持たせたのだと考えるが妥当だと思います。
聖書の「天」は高地のこと … 『少数の天才 1986年』
 聖書にある「天 ha'shemin」は元来は「高地」を意味し、「地 ha'ares」は「台地」もしくは「低地」を意味していた。 …
『外三郡誌』の「日高見国」
 まず「日高見国解書」に「奥州奥羽を日高見国と称し、渡島(北海道のこと)を日高国と号したるは竹内宿禰なり」とある。これは記紀の竹内宿禰の伝承と同じだが、さらに「日高見国とは日輪の早く昇るる意にして、日出づる処は日高見国(渡島)東日流(津軽)日高見国(奥州奥羽)の順称なり」とある。すなわち、ここでは、日高見国とは荒吐族のテリトリーのことだ。
 高天原は火山の高原地帯のことで、阿蘇(=アイヌ語で火山)の付く地域にアマテラス系の人々が居ることを示している。だから、富士山、阿蘇山、十和田山もその一つだ。
福岡県久留米市にある高良大社
 主神は「高良玉垂尊」、相殿左は「八幡大神」、相殿右は「住吉大神」である。
 原始キリスト教である秦氏一族は海部一族により大陸から、七福神とともに船で日本へ渡来している。徐福は富士王朝に移住している。加えて、水間(三潴)一族が高良大社を創建したとされている。しかも、徐福と同じようにわざわざ富士王朝に渡来した漢の一族、三潴郡古賀の地に移住し、以後「古賀 … 秦一族の血統でしょう」を名乗っている。この水間・古賀合体族は神功皇后を擁立して、皇統の争いに関し、応神天皇の即位に貢献している。つまり、高良大社の主神は生まれたばかりの「応神天皇」である。
 
  ◆金印「漢委奴国王」は倭の奴国王ではない!
 志賀島で発見された金印は「漢委奴国王」であり、「漢倭奴国王」ではありません。つまり、1世紀頃には「倭国」以外に「委奴国」が存在していたと云うことです。
   1-32.支那のユダ
 圧政に苦しむユダヤ人は陸と海のシルクロードを通じ、古代中国に渡来した。彼らは漢字を駆使し、その中に聖書を織り込み、孔子はユダヤ教を儒教としてまとめた。一方、漢民族は、その語源からカインの種族だということが明らかになった。
  10-11.古代中国と最強女神
 支那神話の三皇五帝は旧約聖書では誰なのか。禹が治水した地域はどこなのか。漢民族の始祖・黄帝をノアと仮定すれば、すべての謎が解ける。そして、聖書にある堕天使と交わったカイン族、悪魔教のカナン族、イスラエルが古代シナに定住していた。そして、もう女神を最高神とする魔族には首狩りや食人の風習があり、しかもカイン・カナンとも混交しているのだ。漢民族の始祖は、ノアの次子であるハム族(悪魔崇拝のカナン人で、当然蛇を崇拝していたはず)の末裔だということが明らかになりました漢族とはカイン・カナン人の末裔のことで、これを支配するように封じられたのが楚人=イスラエルの十氏族です。まさに、神と悪魔の闘いの場だったと。
 
 ◆金印に秘められた謎
 夏・殷・周・秦・漢・魏までは、金印(「親魏倭王」「漢倭奴王」)が示すように倭国とは同盟国で最恵国──つまり同等の国同士という意味──で同族だが、隋・唐・清は高度な文明と軍事力を持つ騎馬民族(チベット、モンゴル、契丹)の王国だったので、日本との交易はがらりと変わってしまい、白村江の戦いに敗れてしまう。同時に、日本文明を漢字化・偶像仏教化し、大陸に飲み込ませようとしたが、唐の滅亡も有り、中断された。また、天武天皇により、古事記・日本書紀が編纂されたが、唐の圧力の前に、天照大神が日本固有の女神とされてしまった。(⇒[真実の古事記]参照)
 九州王朝は、二個の金印を漢と魏から貰っている。漢の時代前57年の「漢倭奴国王」、魏の時代239年の「親魏倭王」である。当時の金印は、漢・魏にとって、九州王朝は彼らと同等の同盟国という意味であった。ちなみに、新羅の地位は銅印で、九州王朝の植民地もしくは支配地と見なされていた。
 西方から来た秦氏一族(ユダヤ人)が、秦王朝を建国し、秦氏一族の技術者集団・除福が日本に渡来した。秦が滅んで、中原に土着した秦氏一族の残党から漢王朝が建国される。そして、魏は漢王朝の正統な後継者と自認する。つまり、漢・魏は九州王朝を同盟国とした秦の末裔だと考えれば、何故彼らが日本に金印をもたらしたのか、その理由が明らかになる。
 しかし、秦は秦一族を、唐はユダヤ教や原始キリスト教を弾圧迫害し、天照大神(ヤハウエ)は七福神(七大天使)を伴い、彼らと共に日本に渡来し、大和国=日本が正統なユダヤの後裔となる。日本は旧約の正当な後裔であり、神の民(エフライムとユダ)として日本を発展させていく。つまり、ダビデは、大陸から神の民を日本へと追放したのだ。以前、先生は、日本で「最後の審判」を行うことを提案したのは、ダビデだとおっしゃた言葉に、今やっと納得しました。(⇒[「最後の審判」…「最期の審判」を超えて]参照)
 尚、明の使者が日本に来て、封冊(天子の下す任命書)と金印、冤服(位の高い人の礼装用の冠と衣服)を秀吉に献上しており、当時の民は秀吉の日本を対等な国とみなしていたわけです。
 蛇足ですが、騎馬民族=フビライ族は、それまでの支那の暗黒の時代から、中原に新風をもたらした。専制皇帝を廃し、不自由な漢文や儒教から脱出し、多民族と多宗教と文芸にも優れた世界国家へと飛躍し、暗黒の支那から脱し、欧州ではルネサンスの起爆となる。

 また、徐福の子孫、徐福とともに来日した童男童女の子孫は、阿祖谷の内外に住んで富み栄え、その多くは秦を姓に名乗った。(福岡県は徐福と縁があり、金印が出土したのも頷ける。)
 桓武天皇の延暦19年(800)、富士山が大噴火を起こしたため、高天原(阿祖谷)は溶岩と大量の火山灰の下に埋没し、神代の古跡はことごとく焼失。阿祖山太神宮の大官司宮下源太夫元秀(尾羽張田彦命の子孫)は、第14代福岡徐教らとともに「徐福伝」ほかの古文書・宝物を宝蔵から取りだして、新たに神を勧請した相模国高座郡の寒川神社に宝蔵を造営し、そこに納めた。以後、福岡氏は寒川神社の神官となり、宮司宮下家とともに代々古文書・宝物を守ったとされている。尚、『世界最古の文字と日本の神々』によれば、寒川(サム・カハ)神社:「六十・風」です。
 また、『古事記』では、波多八代宿祢が名乗る波多を、「秦」とは別の一族の氏姓として区別しているが、『宮下文書』では波多(羽田)=秦としている。
 記紀や『新撰姓氏録』によれば、秦氏は秦の始皇帝の末商で、第14代仲哀天皇・第15代応神天皇の時代に渡来した。このうちの和郎王(融通王)は、127県の民を率いて来朝していて、天皇に宝物を献じ、日本に帰化した。そして第16代仁徳天皇の時代には彼らは日本の各地へ移住していった。ちなみに、弓月王は、始皇帝の13世の子孫にあたるという。尚、シュメルで月神を主神とする一族が戦乱を逃れ、月をシンボルとする「月氏国」を建国し、中原付近に「大月氏国」建国している。つまり、月神=シンの読みが同じだと、同じ種族ということだと思います。事実、秦と清は同じ民族だとされています。また、天武天皇は、それまで「おおきみ」「だいおう」「すめらみこと」と呼ばれていたのを「天皇」に統一した。ここで、「すめら」は英語読みではシュメールの事、そして「みこと」は王族の意味です。つまり、シュメル人が日本渡来し日本を支えたということです。

6.七五三の祭 と 同盟星について … 今後の課題

 下記は、『失われた徐福のユダヤ人 「物部氏」の謎 MU BOOKS』から抜粋し、自分なりの意見を加えました。([しめ縄に見るシュメル語・倭語から日本語へ])参照。
 スサノウ命が姉に会う為に高天原にやってきたが、姉アマテラスはスサノウに悪心があるのではと疑っていた。スサノオ命は自らの心にやましいところはないと主張し、潔白を証明するために、二人で神意を明らかにする「誓約」を行い、そこで生まれた神々をもって判断しようと提案する。男神なら正しく、女神であれば正しくないといこと。(*何故、女神だと悪心が無いのか不明。)
 誓約は高天ケ原の天安河をはさんで、その両岸にふたりが立つことで始まった。最初に天照大神が、スサノオ命がもっていた十握剣を三段に折り、それを天真名井の水につけて、そのままばりばりと口の中でくだいた後に大きく息を吹きだした。すると、吐息から3人の女神、田心姫、喘津姫、市杵嶋姫が誕生した。
 対するスサノオ命は天照大神の角髪にあった八坂瓊勾玉をばりばりと口の中でくだき、大きく息を吹きだした。すると、その吐息から5人の男神、すなわち正勝吾勝勝連日天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、括津彦根命、熊野クス日命が誕生する。
 スサノオ命が男神を生んだことで、邪な心がないことが明らかとなった。天照大神もこれを認め、女神達をスサノウの子とし、男神をアマテラスの子とした。
 雛壇飾は、かってはお内裏様とお雛様だけだったものが、時を経て今の三段飾りとなったお内裏様とお雛様の下には「三人官女」が仕え、その下には「五人嚇子」が控えている。これは、アマテラスとスサノウの誓約で生れた神々である
 さて、ご存じのように七夕伝説では天の川を挟んで織姫と彦星が一年に一度出会うといわれている。まさに、これが日本神話において、天安河を挟んで行われた天照大神とスサノオ命の誓約なのだ。織姫とは高天ケ原で機織りをする天照大神のことで、彦星とは牛頭天王の異名をもつスサノオ命のことなのである。したがって、この場合、天照大神は織女星であり、スサノオ命は牽牛星に対応する
 さらに日本神話において、天照大神の5人の息子は夜空に浮かぶ光る5つ星、プレアデス星団として知られる「昂」のこと。昂は6個の星として知られるように、『日本書紀』の一書には、天照大神の息子が6人であると記されている。
 一方のスサノオ命の3人の娘は冬の星座として知られるオリオン座の「三つ星」のことである。オリオン座は「鼓星」ともいわれるように、三つ星の周りに4つの星がある。三つ星の3と周りの星の4を足した合計の7が鼓星の数であり、これが七五三の7の由来ともなっている。
 このように雛祭りには、織女星(琴座α星=ベガ)と牽牛星(鷲座α星=アルタイル)、それにオリオン座とプレアデス星団、昂という壮大なる夜空の星座が、それぞれお内裏様とお雛様、そして三人官女と五人磯子という姿で雛壇に飾られているのである。ちなみに、天の川である天安河は、女の子が飲む「甘酒」という形で流れている。(⇒[七五三縄]参照)

浦島伝説「風土記」と異星人 … Netより

 浦嶋子は、宇良神社(浦島神社)のある丹波与謝郡の人で、「海中に汎び出て釣すると五色の亀を得」ます。「船の中に置きて、やがて寝るに、たちまち婦人と為りぬ。其の容美麗しく、また比ふべきものなかりき」と、ものがたりは始まります。
 次いで、浦嶋子の赴いた蓬山(とこよのくに)、すなわち、蓬莱山は見たことも聞いたこともないような壮麗な宮殿だと次のように描写しています。
 即ち不意の間に海中のひろく大きなる嶋に至りき。
 その地は玉を敷けるが如し、闕臺(うてな)は晻映(かげくら)く、 楼堂(たかど)のは玲瓏(てりかがや)きて、目に見ざりしところ、耳に聞かざりしところなり。
 手を携へて徐(おもぶる)に行きて、一つの太きなる宅の門に到りき。
 その蓬莱山での登場人物は、「浦嶋子亀比賣(乙姫のカップル、そして、「昴星=すばる星」の七人の子供たちと畢星=あめふり星の八人の子供たちです。
 そして、この昴星=ブレィアデスと畢星ヒアデスの両星座の星々はアトラスの娘たちであることをギリシャ神話で伝えていますが、「アトランティス」という言葉は、直訳すると「アトラスの娘たち」という意味なのです。
※つまり、海の中の竜宮城とは、沈没したムーやアトランティスの宮殿。富士「ムー」以外にある2個の神山は、アトランティスとレムリアの神殿でしょう。そして、シュメル人は現地語で「芦原の住人」と自らを呼んでおり、文明は海からの神々──おそらくアトランティス──に伝えられたとある。そして、いまは伊勢神宮の奥の宮とされている伊雑宮があり、伊雑宮は、海人族の居留地である『伊雑宮旧記』を見ると、もともとは龍宮であり、的矢湾の入口の海底深くに石の鳥居があると信じられていたという。この伊雑宮の神主は伊雑のトミノミコト(「富」出雲神族系)なので、出雲神族系です。このように、シュメル人の神話と伊雑宮の社伝はそっくりです。

昴星=ブレィアデスと畢星=ヒアデス

 すばる星=ブレィアデス星団は、アトラスとブレイオネとの間に生まれた七人姉妹で、オリオンに愛されて追いかけられたため、神々に自分たちの姿を変えたいと祈ったので、ゼウスがこの姉妹を鳰鳥あるいは鳩となし、またブレィアデス星団となしたといいます。

あめふり星=ヒアデス星団の神話

 ゼウスがカズモスの娘セイメレ女神との間に生まれたディオニソスの養育をアトラスの娘たちであるニシヤの仙女(天女)たちに委託したので、これらの「乳母」の功を賞して天にあげたというものです。「乳母」という産鉄の隠語がまた登場しました。
 ブレイアデス星団とヒアデス星団は、ともにこの牡牛座(タウロス)にあり、牛の右目の部分の一等星アルデバランを中心としたのがヒアデス星団、そして、牛の肩の部分に広がっているのがブレイアデス星団です。
 雛祭りには、もうひとつ重要な不老長寿の象徴が雛壇に飾られている。それは両脇に置かれたふたつの樹、内裏側から「左近桜」と「右近橘」である。桜=サクラという言葉の「サ」とは山神の精を意味する。春になって、山神であるサが里に降りてきて、それを迎える「座」、すなわち「サ・クラ」が桜なのだ。山の神の娘「木花開耶姫=富士の神」は、文字通り桜の神とされたのである。
 ただし、大山祗神にはもうひとり娘がいた。木花開耶姫の姉の「磐長姫」である。木花開耶姫が花のように容姿が美しいのに対して、磐長姫はそうではなかった。ために大山祗神がふたりの娘を嫁に出したとき、天孫ニニギ命は木花開耶姫だけを選んでしまったのだ。これが原因となり、以後、地上の世界に住む人々の寿命は極端に短くなる。
 雛壇に飾られるふたつの樹は、まさに大山祗神(富士の神)のふたりの娘を意味している。左近桜は木花開耶姫であり、右近橘は磐長姫(橘=常世国)なのだ。

7.八咫烏 … 白いカラス(山伏) と 黒いカラス(忍者)

 三輪山周辺は鉄と水銀の産地、伊勢は水銀の産地である。神武東征の時、鉄(製鉄、鉄器)と水銀(薬)にまつわる種族との関連も重要な要素の一つだ。
 八爬鳥は、『新撰姓氏録』の鴨県主の条に神武天皇が中州に向かう時「神魂命孫・鴨建津之身命」が大きなカラスと化して、天皇を煽動したと伝えている。また、八咫烏は、加茂氏の祖先だというのだ。
(※)加茂氏はスサノウの民で、第三代ヤハウエ=太陽神マルドウク=ラーを主神としている。三本足は第三代ヤハウエをを意味し、太陽の使いであるカラスと合わせると、太陽神第三代ヤハウェ=天照国照を明示している。つまり、高天原系の第四代ヤハウェ=天照大神と区別しているのです。
 鴨氏は古代の宮廷の主殿の役目を受けもっていた。行事のときは松明を持って天皇の行列の先導をつとめるのが鴨氏の役目とされた。古代中国では、鳥は太陽の象徴とされているが、明かりを灯す道案内役という役柄という性質が強調されている。
 吉野の山中だけでなく、ほかの地方にも八咫烏は登場している。『山城国風土記』には、八咫烏とは日向から天孫に従った将で、大伴氏に属して、隼人の兵にカラスの装束をさせて険しい山を探索し、一行を導いたとある。また、神武東征の途上にも八爬烏の伝承は残っていて、瀬戸内海に面した海の拠点、広島県呉市宮原に八咫烏神社がある。
 また、八爬烏とは軍装の名で、黒袍(黒い綿入れの上着)を着て、頭に烏の格好をしたものをかぶって目印にしたという記述もある。熊野には、頭に烏を連想させるものをつけるという発想がある。
 熊野三山では、八爬烏は大きな烏帽子をかぶった山伏であると考えられている。烏帽子は熊野の修験者におけるシンボルなのである。熊野三山では、牛玉宝印の護符が〝カラス文字″で書かれているほどである。
 熊野と矢は八咫烏のつながりは深く、カラス文字で描かれる牛玉宝印を刷るために行なう神事を熊野那智大社では牛玉神璽祭といい、神官は山伏の烏帽子をかぶる。熊野本宮大社では同じく、これをずばり、八爬烏神事といっている。
 さて、黒い装束、頭にかぶる烏のくちばしのような烏帽子、敵対する先住民にまず最初に使いとして出されることなど、これまでみてきたことを振り返ると、ある共通する姿が浮かび上がってくるようだ。
 それは、黒づくめの装束で一行の先遣隊として敵地偵察をする役割、つまり、忍者、探査隊、特殊部隊といったものだ。(『抹殺された古代民族の謎』より抜粋)
 ※義経を鍛えたという黒装束のカラス天狗も、この仲間だったのでしょうか?
 関連して、牛若丸と烏天狗をこの要領で解釈してみましょう。「牛」はエフライム族、「若」は末裔で、「丸」は後継者なので、牛若丸は、「エフライム族の後継者」という意味になります。また、烏天狗は、「烏」は太陽、「天狗」は「天のユダ族」なので、「天のユダ族の太陽神」となり、天照大神=ヤハウェ様のことだと思います。つまり、牛若丸は神に導かれた義人だった。

 ◇ ◇ 忍者と秦氏 … 聖徳太子

 忍者の歴史は古い。文献に残る忍者の初見は聖徳太子が組織したという「志能備」、もしくは「志能便」と表記される組織である。『日本書紀』によると、「大伴細人」なるをもつて「志能備」の任に当たらせたとある。大伴氏は物部氏と並ぶ古代豪族のひとつ。軍事的な力をもっていた。軍事の基本は情報であり、インテリジェンスである。その意味で、大伴氏が諜報活動を行ったという記述は十分、信頼性のあるものだが、忍者の歴史を俯瞰するに、実際の任務を担ったのは実は泰民であることが見てとれる。
 しかし、なかには特別に関所を自由に通行することを許された人々もいる。進行者である。旅芸人をはじめ、いわゆる興業を行う人々は全国を歩き回ることができた。なかでも日本の伝統芸能である「能」は観阿弥、世阿弥によって大成され今日に至っているが、彼らは秦氏であった。「能」「猿楽」「申楽」は、もともと聖徳太子の命によって、彼の側近であり、舎人であった秦河勝が始めたものである。秦河勝の息子が当時、聖徳太子が建立した四天王寺において披露した芸が始まりだとされる。
 能や申楽のほか、田楽などといった庶民の芸能のほか、雅楽もまた、そのほとんどを泰民が担っていた。同じく全国を歩き回ることを許可された民間陰陽師、歩き巫女、香具師といった人々もまた、秦氏の流れを引く者が多い。
 事実、戦国時代から近世に至るまで、歴史の裏で暗躍した忍者の多くは秦氏であった。講談や漫画でもおなじみの忍者「服部半蔵」は、その名の服部が示すように伊賀の棄民であった。伝説的な存在では「百地三太夫」なども有名だが、俳句を詠んで東北を歩いた「松尾芭蕉」を含め、彼ら伊賀忍者はみな秦氏である。ちなみに、松尾氏は京都の松尾大社で知られるように、そのほとんどが秦氏であるといっても過言ではない。
(*尚、イスラエル人がシルクロードを通じて日本に渡来する時、裏の汚れ仕事をする集団がいたそうです。それが、「忍び」となったと云う説もあります。)

 ◇ ◇ モンゴル帝国豆知識

 ノアの子は、セム、ハム、ヤペテです。セムはバビロニア他、旧約聖書の主人公です。ハムはアフリカの黒人種で、エジプトの歴史に登場します。最後にヤペテですが、モンゴル帝国の始祖がなんと、ヤペテでした。
 彼らは遊牧民族で、国土を持たず、軍隊を含む国家が移動しているようなものだった。
 騎馬遊牧民特有の、信仰の自由、寛容な支配、多人種、多国籍、多文明を基本とする国家として、モンゴル帝国を建国した。そこでは、キリスト教、景教、仏教、ユダヤ教、イスラム教が共存し、行動規範を共にすれば、能力と才能のある者がどんどん取り立てられる社会システムでした。
 モンゴル帝国の血統の末裔として、ロシア帝国、大清帝国、オスマン帝国、ティムール・ムガル帝国へと分裂する。モンゴル帝国からすれば、寒冷で貧しいロシアも,中国の中原も重要では無かった。単なる一地方でしかなかった。
 ロシアはモンゴルの傀儡政権として誕生、北京はモンゴルにより建国され、文明化に関しては非常な恩恵を受けている。
 キリスト教の暗黒時代の神聖ローマ帝国時代、十字軍を繰り返しイスラム共に消耗していた。そこに、ヨーロッパと北京を4ヶ月で結ぶ情報ハイウエイと交通網が整備され、宗教の共存、多人種、多言語国家で、活気あふれるモンゴル帝国が圧倒的な強さで出現した。
 暗黒時代のヨーロッパは、モンゴルと比較にならないほど非科学的だった。日本で言えば黒船到来と同じで、この暗黒時代の転換期をもたらし、キリスト教の軛を断ち切り、ルネッサンスへと向かわせたのが、モンゴル帝国でした。
 さらに、モンゴル帝国の神話からマルドウク、月神=エルランティ様に導かれているのは明らかです。丁度、モンゴル帝国の拡大は、信長が日本を統一したのに酷似している。さらに、モンゴル帝国が諸国にもたらしたインパクトは、大日本帝国が東亜の国々から西洋支配を断ち切らせたのと似ている。
 また、大和国の有力氏族は渡来人達で、彼らはシルクロードを通じて、ユーラシア大陸を横断するのに騎馬民族の軍事力と道案内を借りなければなりませんでした。ですから、イスラエル、ユダヤ、バビロニア、等々と騎馬民族文化とはシルクロードで融合していたのです。
 そして、馬と家畜を捨て日本に渡来した大和民族の始祖の面々、加えて同時に騎馬民族が武士階級として家畜と馬を捨て渡来しているのです。

   
  この三つのシルクロードとモンゴル帝国は完全に重なる。

  



(TOPへ)
二ビル星と地球は永遠の双子(2) ⇒サタン・ナブーと共産主義
二ビル星と地球は永遠の双子(4)