4-3.皇室とフセイン大統領、十六菊花紋の由来
フセイン大統領は、テレビ報道の時に、腕に十六菊花紋をしていた。質問すると、これは古代からの紋章だという。アッシュール神は、当初エンリルとニヌルタの合体した神であった。その後、アダトとマルドウクが協定をしたことが、
十六菊花紋の発祥の由縁です。二ビル星から見て、火星は第六番惑で、その星火星司令官マルドウクを表すシンボルは6なのです。それに、アダトの神々のランクは10を加えた16が、この二神の同盟を意味している。
少し追加説明すると、当時のエンキの王子マルドウクには、神々のランクは付与されていない。しかし、エンキから火星司令官を引き継いでおりニビル星から見て第六番目の惑星という意味で、エンキがそうしていたように「6」を彼のシンボルとしていたと思われます。その子ナブーも「6」を引き継ぎ、合計すると666となる。つまり、ナブーが聖書に出現するサタンなのです。
- 皇室の「菊の御紋」とエルサレム「ヘロデ門の紋」は同じです
666の意味
同じ三種の神器
シュメル王の一族は船団を組んで、日本へ着いた
鳥浜遺跡の縄文人は、インドにもアフリカにも、中南米にも航海していた
縄文時代の独自の高度な文化
縄文人が福建省に移住した時期について
シュメル語と日本語は似ている
神代文字について
神代文字と甲骨文字の関係
八咫烏
金色の鳶
「稲光のような鋭い光」は護身用の目くらましだった
一万年前後の古代文明は、大サタン出現までは、のどかな善の世界であった
- 下鴨神社に注連縄で祀られている「さざれ石」
知っておきたい「君が代」の意味
縄文文化と一神教の融合が「神道」
親日外国人の見る日本
20年前の親日と現在の親日は別物
縄文人の出自探しは振り出しに
1.皇室の「菊の御紋」とエルサレム「ヘロデ門の紋」は同じです。
◇.世界最古のペトリグリフは日本。※ペトリグリフ=線刻,岩刻。
/日本の三種の神器&菊花紋とシュメルの三種&菊花紋の神器。
⇒[皇室の「菊の御紋」とエルサレム「ヘロデ門の紋」は同じです]
/前5千年頃に縄文人⇒中国大陸、シュメル他へ。
/天皇は、日本語で「スメラミコト」、シュメル語で「スメラ」。
/言語と信仰形態が似ている。
以前イラン・イラク戦争の時、ヨーロッパの記者が、イラクのフセイン大統領の腕輪のデザインが十六菊花紋であるのを見て、大統領に「日本の皇室の物とよく似ておりますが、何か日本と関係があるのですか?」と聞いた。
するとフセイン大統領は、「この紋章は、我が国の祖先が世界最古の文明を築いたシュメル王朝時代に用いていた、王家の紋章だ」と答えたという。十六菊花紋は、エジプトや、イスラエル、バビロンのイシュタル門にも見られ、中近東からイスラエルにかけて用いられた王家の紋章なのです。尚、フセイン大統領は自分は古代バビロニア帝国の皇帝ネブカドネザルの生まれ変わりだと信じていたそうだ。ネブカドネザルの意味は、ネボ=水星のことで、ベル神(マルドウク=木星)の子(ナブー=死後サタン・ダビデ)を指し、「ネボよ、我が国を守り給え」となる。つまり、フセインは自らを神の子と言っているのである。
また、アブラハムの父のテラはシュメルの神官=シュメル人であり、イスラエルは正当なシュメールを引き継いでいると考えられます。そのシュメル王族の中で、十六菊花紋を王家の文様とする王族(バビロンの主神はマルドウク様で、第四代ヤハウエ)こそ、現天上界の王家の方々だったことでしょう。また、テラの子アブラハムもシュメル人ですから、彼の子(セム・ハム・ヤペテ)もシュメル人であり、十二支族の源流はシュメル人なのです。
下図は、皇室と古代シュメルの子孫フセインが、同じ十六菊花紋を家紋としている証拠として、[聖書の国日本]から抜粋しました。十六菊花紋を受け継いだイスラエルの正当な末裔が日本に渡来し、この紋章を天照大神=ヤハウエの民の証としたのだと思います。
ダビデの六芒星は古くは、女神イナンナの紋章として現れ、古代イスラエルのダビデ王に由来するとされるが、歴史的に実在した実際のダビデ王との関連を示す証拠は無いのですが、サタン・ダビデが自分を旧約聖書の中で「666」と暗示し、その紋章として好んで使っていた([666の意味]参照)。現在は、1948年に建国されたイスラエル共和国の国旗として採用されている。
一方、十六菊花紋とダビデの星は伊勢神宮に奉納されている石灯籠に刻まれているのは有名ですが、この灯籠は元伊勢・伊雑宮から提供されたとのこと。そして、この灯籠を作成した関係者の話では、十六菊花紋の原型は菊というより、ヘロデの紋章であるヒマワリ紋に近かったのだそうです。そして、ダビデの星もまた、伊雑宮の紋章なのだそうです。
つまり、第三代ヤハウエ・マルドウクと第四代ヤハウエ(天照大神と)の民(ユダ・レビ族)と、マルドウクの長子ナブー(サタン・ダビデ)の民(十氏族)が、モーセの民がカナンに導かれたように、それぞれに導かれて日本に渡来してきたことを表している。だから、ユダ・レビの民は移動地点に定住したり、、土地土地の民とは交わらなかったのです。その証拠がYAP染色体の分布に現れている。
尚、火星司令官の数値「6」は、祖父エンキ・父マルドウク、そしてマルドウクの王位第一継承者ナブー(本名ダビデ)へ引き継がれ、これがサタン「666」の正体です。
また、△は天上、▽は天下を意味し、その合体は数値「6」で、図柄としてはダビデの紋章となります。この「ダビデ」はダビデ王ではなく、サタン・ダビデを指すものです。(追記:2022/04/30)
シュメル文明には「日像(がた)鏡」「月像の首飾り」「武神の剣」という三種の神器が存在していたという。また、「武神の剣」は7首を持つ竜「ムシ ュマッヘ」を倒した時に入手したとされている。
- ❑.皇室と英国王室
- 英国の紋章を見てください。簡単に説明すると、ライオンはイングランド、一角獣はスコットランドを表します。ライオンと一角獣の間の紋章は、簡単に言えば領土です。つまり、英国はライオンと一角獣の土地だと述べていることになります(下左図)。下右図は皇室の紋章。


一方、日本の神社には一対の狛犬が居ます。この狛犬の一方はライオン、もう一つは一角獣です。先生は[証 正法及び用語解説]で、「日本に移住したアブラハムの孫十二氏族のうちの二つの流れは日本で神道として、天照大神を祖とし、継承されて来ました。」とあります。

十二氏族の紋章で、ライオンはユダ族、一角獣はエフライム族を意味しています。つまり、神道も英国皇室も、ユダとエフライムの流れを継承していると云うことです。
- ◆シュメル王の一族は船団を組んで、日本へ着いた。
- 前1千年頃から前800年頃にかけて、シュメル王族は船団を組んでビルマ、マレーシアを経由して、縄文時代の日本に着いた。加えて、流浪の十氏族(エフライム族)もまた、インド経由の海路、陸路で縄文時代の日本に渡来している。最後に、イザヤの民=ユダヤ人がユダ王国滅亡直前に縄文時代の日本に渡来している。他にも、ソロモン王の時代、鉄器技術者が日本に渡来している。
岩田明氏は「今からおよそ4000年前、シュメル人は海を渡り、1000年をかけて南インドから東南アジアを経由し、行く先々に根拠地をつくりながら日本に渡来した。……私は、自ら立てたこの仮説を実証するため、古代シュメル船[帆船]を復元し[シュメール古書のなかの造船方法を記述したものを翻訳し、南インドの造船所でそのとおりに建造した。33トン、船長15メートル、船幅4.27メートル]……インドから日本までの実験航海に挑戦した」(『消えたシュメール人の謎』九ページ、徳間書店)と述べている。この航海は、1992年3月17日から6月17日まで3カ月、4032海里を走行し、沖縄久米島沖で転覆、海上漂流中、航空自衛隊機に発見され救助されたと、記されている。岩田氏は船乗り(東京商船大学卒業、三井船舶入社、一等航海士、海上勤務)の経歴ゆえの快挙というべきでしょう。

同氏は、シュメールおよびスメル系部族の移動ルート(BC7000年~AD500年)を、『消えたシュメール人の謎』のなかで図示している。

- ◆海と陸のシルクロード
- 紀元前から金属文化伝播も含めて、サラセン商人は往復とも海路を利用していた。そして、陸路を利用していたのはユダヤ商人だけだったことを、かつて在京のユダヤ教のラビ、トケイヤー氏がその著書に詳しく述べている(箱崎総一訳『ユダヤと日本 謎の古代史』)。
陸のシルクロードの場合については、「歴史の父」ヘロドトス(前四八四~前四二五頃)も記しているように、黒海沿岸からシベリア方面にまで、毛皮と金を求めるためのルートが開かれていた。日本の金がこのルートで、商売されている。それで、義経は金と一族を引き連れて、奥羽からシベリアに出て、この資産を元に一大民族を形成したと言われている。
海路は、旧石器時代のことはわからないが、古代メソポタミアやエジプトの航海者、その後継者であるインダス(モヘンジョダロ)の航海者、さらにはフェニキア人という、いわゆる「古代航海民」によって開発されていた。
当初はオリエントとインダス河口の貴金石交易、それからセイロン(スリランカ)の真珠、インド半島の宝石、象牙、孔雀の羽根など、そしてマライ周辺の珍しい猿などが、黄金と奴隷以外の交易品目となった。尚、中華帝国には絹以外に商売できる物品はなかった。
日神崇拝、巨石文化、蛇神信仰、シンボルとしての卍などは、これらの交易船によってインド以東にもたらされたものである。
これらの「古代航海民」のなかでも、エジプトの船団の影響は、世界各地の造船に多大々彫響を与えている。世界の古代船の主要部位マスト・帆・舵などの形体や位置には、エジプト海人の知恵が投影されている。航海技術では、フェニキア人がとくにすぐれ、その名声は、舟乗りの指針である北極星が、「フェニキアの星」とよばれていたことからもわかる。
フェニキア人は旧約聖書の時代以前から、紅海や地中海だけでなく、大西洋まで乗り出していた。また、ソロモン王の栄華を物質的に支えたソロモンの交易船団 ── タルシシ船とよばれる ── に乗り組み、インドから東南アジア、さらには太平洋海域にまで進出していた。インドヽネシアのボルネオには、ソロモン王の商館があって、東洋や南洋の珍奇な財貨を取り扱っていたのである ── 金属技術者を海外に現地派遣して現地物資と交易をして、ソロモン宮殿に送っていた。日本では赤鬼(銅)と青鬼(鉄)だ。
彼らは黄金や象牙や孔雀の羽根以外に、真珠をソロモンの宮殿にもたらしていた。この真珠探索者の開いた航路を利用して、ウガヤ民族の相当部分が日本列島に渡来したということは、大いにありうることだ。
- ◆鳥浜遺跡の縄文人は、インドにもアフリカにも、中南米にも航海していた
- 昭和三十六年(一九六一)のこと--福井県・三方湖の近くを流れる、小さな川の床下から滅多にない遺跡が発見された。
草創期の爪形文土器、多縄文土器、そして、早期の押型文土器、前期の諸形式の土器とそれぞれ順序よく堆積するだけでなく、漆塗りの櫛や盆、装飾性の高い弓、斧の木柄、籠、糸、それに丸木舟などが次々に姿を現わし、あたかも古墳時代(紀元五世紀前後)の遺跡ではないか、と勘違いさせられるような状況がみられた。(縄文時代草創期:約1万5千年前から約1万1千年前~晩期:前1300年~前950年)
なかでも、注目を集めたのは丸木舟である。全長6メートル、最大幅0.63メートル、深さ0.26メートル。平底の浅いタイプの舟で、全体がスリムに仕上げられている。それを見た発掘関係者は「まるで117クーペを連想させる流線型のデザインだね」と口走ったらしい。たちまち、丸木舟は「117クーペ」と呼ばれるようになった。
その「117クーペ」に乗って、鳥浜縄文人たちは川から湖を足り抜け、海に入り、思うがままに動き回ったのであろう。つまり、シュメル人が日本に渡来する前から、縄文人はすでに航海していた可能性があります。
この舟と一緒にインド原産のリョクトウ(豆)やアフリカ原産のヒョウタンが出土したのも決して偶然のことではない。鳥浜縄文人は、われわれ現代人の想像をはるかに超えるかたちで、自由自在に行動した可能性がある。
古代海洋学の権威である嵐在寅男氏(東海大学名誉教授)は、縄文の昔、「現在も南方の島々で利用されているアウトリガー・カヌー(腕木浮木付きの刳舟<くりぶね>)や双胴舟が広く使用されていた可能性がある」と語る。その種の舟を利用すれば、航海上、なんの支障もなく、安全性は無論のこと、たくさんの人と荷物を運ぶことができたはずだ、と。
実際のところ、茂在氏は昭和五十二年(一九七七)五月、角川春樹氏の依頼を受けてアウトリガー式カヌーを設計・製作。これを「野性号H」と名づけ、フィリピン島アパリから鹿児島県開聞岬まで四十四日で走破させている。古代舟の航海能力をみごとに実証しているのである。


- ◆縄文時代の独自の高度な文化 … ⇒(縄文人のルーツは?)
- ※寺野東遺跡の「環状盛土遺構」は、厚さ0.5~2メートル、幅15~30メートル、直径180メートル余りの円形広場だ。これだけの高度な土木技術が縄文時代にあった。
※山内丸縄文遺跡の漆技術は中国と同時期だが、技術的な質は日本の方が優れている。
※山内丸遺跡に直径2メートル余りの柱穴が6個発見、高度な土木技術があった。
※亀岡縄文遺跡の遮光土偶は、鉄製かと思われるほど薄く固い。この高度な技術は、植物繊維を混入して練りを強化した「炭素繊維法」とハイテク・セラミック工法で作られている。
※縄文時代には餅鉄を使った独自製鉄技術があり、これが出雲に伝わり、タタラ製鉄へと移行した。
※神代文字は甲骨文字と、音も形もそっくりです。つまり、甲骨文字は神代文字から派生した。
- ◆縄文人が福建省に移住した時期について
- 約7千3百年前、鹿児島沖でアカホヤの大噴火が起こっています。四国の半分くらいもある巨大な島が、まるごと吹き飛んだとされています。現在は薩摩硫黄島や薩摩竹島として、かろうじて水面の上に出ています。その時、九州の縄文は滅亡したとされています。この時、九州の縄文人は福建省へ、本州の方へと移住したのだと推測されます。
しかも、長江文明は前5千年とも3千年とも言われており、夏王朝は前1900年頃~前1600年頃だそうで、丁度長江文明の発祥時期とアカホヤの大噴火との時期が重なっているのです。尚、中国の羅家角遺跡(長江流域)から見つかった7000年以上前の水田区画は数平方メートルで、短い水路でつなぐように配置されていた。長江流域の遺跡ですから、縄文人が渡来していた可能性があります。他にも、製鉄、漆、航海技術、木造建築及び土木技術等々も日本から伝えられたに違いありません。
つまり、アカホヤの大噴火と、寒冷化に伴い、縄文人が大陸に移動すると同時に、日本の縄文文化が一度退化した。加えて、弥生時代に大陸からの渡来人との間に戦争が勃発し、さらに縄文文化は衰退した。そして、奈良明日香に至って、衰退した縄文文化が復活したのだと思われる。
大噴火に伴い、九州の縄文人が大陸に移住すると共に、台湾や関東などにも以上したと推測される。事実、台湾北部の先住民タイヤル族のDNAは縄文人に最も近く、縄文文化の遺跡も発掘されている。つまり、超古代台湾は沖縄・九州と同一文化圏だった。
尚、大陸の戦乱を逃れた武装難民は、武器を持たない縄文日本に戦乱をもたらした。この弥生時代の混乱を鎮めたのが、「五十御神」だと銅鐸に神代文字で刻まれている。この銅鐸に刻まれた神代文字は「国建てし、五十男御神を、伊勢宮に祀る」とあり、明らかに「五十御神」は、当時の神々のランク50の「エル・ランティ様」に他ならない。
- ◆シュメル語と日本語は似ている
- われわれ日本人は漢字仮名まじり文章で生活しており、日本語の文法は膠着語(膠で接着するの意で、テニヲハの接着語によって単語がペったりとくっつくさまを示す)系統に属する。さらにわれわれの日本語は、母音が非常に強調される特色がある。
ところが、二〇世紀になって欧米考古学者、言語学者、オリエント史学者によって解読されはじめたシュメル人の文字と言語について、下記が明らかにされている。
- シュメルの楔形文字は、漢字の形成(象形・指示・会意・形声・転注・仮借)とほぼ同じ過程をへて成立した。
- シュメル文字は現代日本語の漢字仮名まじりと同じ構造をもつ。
- シュメル文字は子音のみならず母音をも記す(シュメール周辺のセム系言語の文字は、子音のみを表記する)。
- シュメル語は膠着語である。
⇒(異星人が残したペテログラフ)参照
⇒(日彦島に残る最古のペテログラフ)参照
- ◆神代文字について … ⇒(神代文字を抹殺した黒い勢力)
- 桜ケ丘遺跡の対岸、四国の香川県から出土したといわれる銅鐸には、「国建てし 五十男御神を 伊勢宮にまつる」とある。ということは、弥生時代の西日本で国造りをしたのは、伊勢神宮ゆかりの「五十男御神」であったことがわかる。この銅鐸は五十男御神を称えるために作られ、伊勢(元伊勢宮)の祭りにつかわれたことを物語っている。つまり、大陸の戦乱を逃れた武装難民は、武器を持たない縄文文明に戦乱をもたらした。これを鎮めたのが当時、神々のランク50だったEL様だった。
このような事実をふまえて日本の歴史の見直しを進めてみるとどうか。古墳時代と弥生時代に神代文字がつかわれていたなら、それ以前の縄文時代にも神代文字がつかわれていた可能性は十分にある。
さて、亀ケ丘出土の土面に刻まれた入れ墨のような文様は、目をよくこらして見るとアヒルクサ文字であることがわかる。そこにはなんと、アヒルクサ文字で、「吾をまつれ、饗をばまつれ」と記されていたのだ。

縄文時代の文字の例は、ほかにもある。たとえば、山梨県坂井遺跡出土の〝五千年前″の釣手土器や、神奈川県長者が原遺跡畑土の〝八千年前″の土器がそれである。
両者ともトヨクニ文字で、それぞれ、「宮をまつり贄をまつらむ」「神に栄え賜はらむ」という祈りの言葉が記されていた。
- ◆神代文字と甲骨文字の関係 … 『日本超古代文明のすべて』より抜粋
- 私たちが知っている中国の古い文字といえば、牛骨や亀甲に刻まれた甲骨文字である。
甲骨文字は、中国の学者によれば“三千年”以上前の般の時代につくられ、それがそのまま漢字のもとになったという。
しかし、この甲骨文字は、日本の神代文字の一種であるアヒルクサ文字と、その形・音の両方が対応する。つまり、アヒルクサ文字と甲骨文字の起源は同じで、縄文文明の方が古いと云うことだ。下図は、アヒルクサ文字と甲骨文字の対応表です。そして、漢字を発達させたのは、シルクロードの交易を支配したイスラエル人でした。例えば、大型の船は、舟に、八人の口とあり、明らかにノアの方舟を表現していることからも、イスラエル人が漢字を発展させている。
関連して、有名な「ギルガメッシュ叙事詩」には、とメソポタミアの半神半人・ギルガメッシュ王の物語です。彼にはアヌンナキ(ニビル星人)神の血が流れており、立派な若者に成長します。英雄ギルガメッシュ王は、イナンナ女神の求婚を断り、これを憎んだ女神イナンナは天王アヌに告げ口をし、仕返しにギルガメッシュ王の親友の命を奪ってしまいます。親友の死を境に、ギルガメッシュ王は永遠の命を求めノアを探す旅に出かけます。このギルガメッシュ王は、両腕にライオンを抱えた勇者の姿で現されています。
もしかしたら天皇家の王冠は、シュメルの正当な王である半神半人のギルガメッシュを、十六菊花紋として、その両側のライオンを狛犬として表現していたのかもしれません。だとすれば、十六菊花紋はアヌンナキ王族を暗示していることになります。しかし、シッチン氏のシュメール古文書には、16に関連した数字は見あたらないので、ここで改めて推測してみましょう。
ニヌルタがマルドゥクを破り、地球司令官50=大天使長の地位を獲得して、自分の神殿の建設指示をで当時の王に夢で伝えました。そのイメージは、神の嵐の鳥と、足下の左右にライオンが伏せていたとのこと。つまり、一対の狛犬は、スフィンクスの時代から王権の印だったと推測されますが、十六菊花紋についてはエンリル系の紋章ではなかった。
太陽系外から地球を訪れたアヌンナキにとって、火星は第六番惑星、地球は第七番惑星です。また、マルドゥクは火星の統治者で、エジプトではアメン・ラーとして太陽神でした。さらに、放浪していたアメン・ラーはアダトの領地から現れました。アダトはアヌンナキの系統では、10の地位でした。このことから、16菊花紋は、マルドゥクとアダトの合体(10+6=16)したシンボルではないでしょうか。
また、
ダビデの六芒星は、火星の6を意味しており、火星の王であること、つまり正当な地球のエンキ・マルドゥクの血統だということを意味していると思われます。つまり、666です。
- ■八咫烏
- 古代のシュメル人やバビロニア人は、太陽の中にある黒点を観察し、その黒点を「黒い鳥・鴉(カラス)」と解釈していた。更に、七枝樹二神の男神側に三枝があるのは、男性性器の表現で有り、太陽神の使い八咫烏の三本足は天照大神が男神であることを表現している。加えて、三本足は古事記の基点である三柱のみ柱や、三種の神器を意味しており、八咫烏が太陽神・天照大神の使いであることを意味している。(⇒[世界最古の文字と日本の神々])。
- ■金色の鳶
- 日本では、金色の鳶ですが、人に飼われた鳶や鷲を「鷹」と呼んでいます。イラクのフセイン大統領は、十六菊花門の腕輪をして記者会見に臨み、「この紋章は、我が国の祖先が世界最古の文明を築いたシュメル王朝時代に用いていた、王家の紋章だ」と述べています。
加えて、当時のUFO艦隊は、鷹や鳶の二枚羽をシンボルとしていました。UFO艦隊の長官は、エンリルの長子・月神から、その長子・太陽神へと指揮権が交替しています。この月神(紀元前50年頃、第四代ヤハウエに就任)で、古代シュメルの太陽神(父の後を継ぎ、ミカエル様が大天使長に就任)です。
月神の義父・マルドウクは、エジプトの太陽神・ラー(もしくはアメン・ラー)で、前1900年頃の神々の核戦争直後に、地球司令官(=大天使長)に就任します。その後、天王(=ヤハウエ)に就任すると、長子・ダビデが地球司令官となり、父を退位に追い込み、天王=ヤハウエの座を奪おうとしました。
そこで、マルドウクは月神をBC500年頃に養子とされ、大天使長とされました。
当時から、人類に王権を授けるのは月神によるとされ、二枚の羽を持つ有翼円盤をそのシンボルとしていました。長くなりましたが、金色の鳶は、天照大神(=太陽神を禅譲された月神)の使いで、王権を神武天皇に授けることを意味しています。
- ■「稲光のような鋭い光」は護身用の目くらましだった。
- 古事記には「一羽の金色の鳶が飛んできて、神倭彦の弓矢の先に止まり、稲光のような鋭い光を発しました。その部族の軍は、眼がくらみ戦う気力を失ってしまいました。」とある。
「金色の鳶」については、王権の授与を意味することを説明しました。王権の印は、古代シュメルの時から、「有翼円盤」で、王権を授けるのは月神でした。(尚、[天の奇蹟
下]「問14解答.有翼円盤はやはりその昔地球を訪れた私達のUFOの姿をペルシャのダレイオス大王を通じて岸壁に刻ませ、真実の神として崇めさせました。何故乗り物がそのような形をしているのかは、後世において人々の文明の発展と共に明らかになるであろうと科学者の望みを託して-。」とある。一方、地球に最初に飛来したアラル王は、大気圏を抜け、カプセルのパラシュートを開いて着水しています。UFOはその後の開発でしょう。追記
2015/12/09)
次に、「稲光のような鋭い光」で「目がくらんだ」という箇所については、旧約聖書にも同じ事例があります。
それは、天使がソドムの地に住むロトを訪ねたときに使った武器と同じで、一時的に視力を失わせる護身用のものです。ですから、殺傷したり怪我させたりする武器ではありません。この物語は、神武天皇が正当な王位継承者だと云うことを伝えたものです。
ただし、当時は白村江の戦いに敗れ、唐の植民地支配を一部受け入れ、日本古来の文字や風俗を禁止され、漢字化と仏教化を強制されていました。髪型も髭も禁止されたので、髪型も服装も替わりました。そして、国名を「日本」に改め、唐が滅亡した後、古来の風俗が許可になったのですが、戻ることはありませんでした。
また、当時の唐は外来宗教(ユダヤ教、イスラム教、シュメルの神々、…)を徹底的に弾圧していたため、王権の印を直接書くことができなかったので、このような表現になったのでしょう。だから天上界がUFO等を駆使して戦闘に直接荷担していたわけではありません。
旧約聖書にあるモーセの奇跡についても、ほとんどが後世に追加されたおとぎ話です。新約聖書の多くがおとぎ話であるのと同じです。
「メⅣ.エル・ランティ様(1997/05/31)P179」は下記のように概略述べられています。
- 実は私はヤハウェ名を継承しておりますが、四代目であり、エル・ソラッティーヤ王(私の父・マルドウク … 義父)が三代目、モーセ様の時代のヤハウェである。
- サタン・ダビデの先代の大サタン(ニビル星を支配していた者)が追放されて、やはりこの地球に来ておりました。古代の残虐な民族性や、マヤ・アステカ文明などの野蛮で残酷な民族の習性は悪霊として、長く生き延びたこの大サタンによるものなのです。
- 私が四代目のヤハウェとして天を治めるべく王位を継承したのは、西暦前二年です。それと共に七大天使も(※役職名を継承して)世代交代をしたのです。
- 更に霊の世界と宇宙船や宇宙飛行士の世界とは協力しつつ、お互いに異次元の世界であり、善なる者には善霊が、悪なる者には悪霊のそそのかしがあったこと。しかし一万年前後の古代文明は、大サタン出現までは、のどかな善の世界であったことをお教えしておきましょう。
※この「のどかな善の世界であった」というのは、武具を持たず平和な縄文文明、中南米の古代文明(イカ、ティティカカコ、アマゾン)も武器を持たなかった。アマゾン文明と縄文文明は、環境と共存する持続型文明である。(2022/5/17 北)
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前5200年頃:鹿児島沖でアカホヤの大爆発
九州の縄文人が滅んでしまい、大陸に移動する。ちょうどその頃長江文明や、シュメル文明が突然に勃興する。長江文明・夏・殷は縄文人による文明だった
── つまり、漢字は中国で発明されたとされていたが、甲骨文字は神代文字の合体文字として発達したのです。尚、縄文人は太平洋を超え、移住している。
『契丹古伝』によれば、「殷もこれ倭国なり」「漢字以前の文字を天字といい、天字以前を卜字、卜字というのは殷字であり、殷は元これ倭国(日本)」だと。
2.下鴨神社に注連縄で祀られている「さざれ石」
日本神道は原始キリスト教で、イエスを人類の救世主としては認めていません。
原始キリスト教は、イエスの弟の義人ヤコブに引き継がれ、イエス・キリストを人間とし、預言者の一人と見ており、人類の救世主とはしていない。このため、[古代日本と七大天使]のヘブライ語訳に、おかしなところが出てきています。
日本国歌「君が代は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて、苔のむすまで」のヘブライ語訳を[http://www.naritacity.com/bbs/bbs/BBSDispMessage.asp?ThreadNo=34]
から参照しました。
私たち大和民族は、ヤハウエにより、将来人類を救うと預言されているのです。すばらしい、歌謡ではないでしょうか。だから、このヘブライ語訳の意味を忘却しても、いずれはその使命を思い出すことができるように、古代日本から和歌として連綿と受け継がれ、国家として用いられるように、神々が計画されたのだと思います。他にも、ユダヤ人は何千年も渡って、彼らの聖書を一字一句違えること無く守り続けてきました。それは必要なときに聖書に隠された預言を公表するためでした。同じように神ヤハウエの預言が、日本歌謡のヘブライ語訳にも隠されていたのです。
「立ち上がれ ! 神を讃えよ ! 神の選民であるシオンの民は、選民として喜べ !
人類に救いが訪れ、神の予言が成就した。全地あまねく宣べ伝えよ ! 」
君が代は、 「立ち上がって神を誉めよ!」
千代に 「シオンの民」
八千代に 「神の選民」
さざれ石の 「人類を救う残された民として喜べ!」
巌となりて、 「神の証」「成就した!」
苔のむすまで 「全地に語られる」

下鴨神社HPより
- ■知っておきたい「君が代」の意味 [https://www.youtube.com/watch?v=L-l6RId9xrg]
- 「君が代」の意味をご存じでしょうか?世の中には国歌斉唱時に、席を立たないとか、謳わないとか、間違った解釈で誤解している人が沢山居るようですが、本当の意味を知ればそのような態度はとらなくなるはずです。
世の中で云われているように天皇崇拝の歌であるという節に耳を奪われがちですが、深く探求するとそうではありませんでした。
「君が代」は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だという人がいますが、じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」の成り立ちは、戦前からの僅か70~80年の歴史ではありません。今から千年以上もの歴史のある歌です。
「君が代」の文字としての初出は平安時代初期の延喜5年(905年)です。この年に編纂された「古今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表として納められています。「古今和歌集」は、後醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。公的な和歌集で、万葉の時代から撰者達の時代までの140年間の代表的作品を集めまたものです。執筆者は紀貫之です。
その中に「読み人知らず」として掲載されていると云うことは、すでにこの時点で多くの人に愛されていた歌だったことを示しています。後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族達にとって「古今和歌集」の暗唱は常識だったそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが「君が代」です。
つまり「君が代」は、貴族達の慶駕の歌としても、常識だったわけです。それだけではありません。「君が代」は、その後に編纂された「新饌和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。つまり、そうしなければならないほど、今から千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったと云うことです。
ではなぜ「君が代」は、歌い継がれてきたのでしょうか。
理由の一つに「君(きみ)」があります。「君」は君主をあらわすという人がいますが、それは間違いです。
漢字の「クン」は、「口」偏と「尹」の組み合わせた文字です。「尹」は手に杖を持っている姿で、これは「聖職者」をあらわします。「口」はその聖職者が何かを説いているという意味で、「クン」という文字は、高貴な人をあらわす文字です。読みは「クン」で、「君主」となると高貴な人を意味します。つまり「君」は高貴な人であるから、源氏物語には、「朝顔の君」など、美しい女性達にも「君」の尊称を付けています「君」が天皇をあらわすのなら、源氏物語の女性達は全員、天皇と云うことになってしまいます。
この「君」という漢字に、古代日本人は、もとからの日本語にあたる「きみ」という読みを当てました。「君が代」の「きみ」です。
その「きみ」とは、どういういみなのでしょうか。
実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。日本神話に登場する最初の男女神は、男神イザナギの「キ」、女神イザナミの「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=媼」という言葉もあります。
イザナギとイザナミの神は、天つ御柱で出会い、キ「我、成り成りて、成り余るところあり」、ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」と声を掛け合い、互いの足りないところを補い合い、子を産みます。「成り」というのは、完全にという意味で、「成り成り」は完全に成長したことを意味します。このことは、私達にとっても大切なことを教えてくれています。神々でさえ、成人してから男女のまぐあいをもったのです神々の子孫である人間も同じだと、教えているからです。
つまり「きみ」というのは、男女、それも「成り成りた」男女のことです。また、「完全に成長した」は、尊敬の対象でもありますから、「きみ」は「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、めでたい、相手を敬う言葉となったのです。従って、「きみが代」は、「完全に成長し成熟した尊敬する男女の時代」という意味になります。
「さざれ石」の正式名称は「礫岩」で、細かな石が長い年月を掛けて固まって巌となった岩石です。つまり、「千代に八千代にさざれ石の巌となりて」は、「きみ」の結束、子らや親戚そのすべての人々が長く団結しあい協力するという意味です。
最期に「苔のむすまで」の「むす」とは天地に最初に現れた3柱の神のうちの2柱、タカミムスヒ、カミムスヒのムスを指します。「ムス」にコがつくと「ムスコ」、メがつくと「ムスメ」になります。また「ムス」を漢字で書くと「生」となります。
つまり、「苔のむすまで」とは、古いものが土と成り、新しいものを産み育てて繁栄しましょうという意味なのです。子孫繁栄を示しているのです。
千年の時を超えて、祝歌として歌い継がれる歌を、我が国の国家としていること自体、すごいと思うし、さらにもっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、次に千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、とてつもない日本文化の愛の深さと、暖かみを感じます。
- ■縄文文化と一神教の融合が「神道」!? ⇒(日高見国と縄文時代)
- 縄文時代は、私達が教科書で習ったような毛皮を着ての狩猟採集の時代とは全く違っている事が分かりかけています。また、2015年の縄文人の核DNA解析により、縄文人は中国やベトナムなどとは別の系統で、アフリカ由来の人類とは別系統なのかもしれないと云うことも判明し、日本人のルール探しは振り出しに戻ったそうです。尚、Y遺伝子の解析からは、ユダヤ人との相関が著しいそうです。
縄文人は、英国のストーンサークルのように、環状列石を立て、その中に埋葬していた。これを囲むように竪穴住居が建ち並び、各家庭には水が引かれ、中心には囲炉裏があり、主婦がその中心でした。女性は18歳前後で結婚し、平均4~5人の子を産み、60過ぎた人が3割程度居たそうです。三世代同居しながら、平均労働時間は一日4時間程度で、医療は現代より低いですが、福祉環境もあり豊かな生活だったようです。
また、住居を囲むように、里山を営み、菜園を作っていた。米もです。里山と菜園では日々の糧だけではなく、薬草を育て、余った木の実や海産物を保存食としていた。
手工芸品には、スプーン、耳飾り、腕輪、漆、石油製品、弓、鍬、土器などなどがあり、工場化されていて基本的な文明が構築されていた。また、三内遺跡などには、木造の巨大な建造物も建てられていました。
ここに、最初は、イスラエル人やシュメル人などが、陸路と海路で渡来しましたが、母国と生活環境が余りに違うので、縄文人の協力を得ないと、毒草や毒キノコの見分けも付かず、猪や鹿を狩ることもできず、食料の調達もできなかったでしょう。だから、神武天皇は縄文人と和睦を結びながら、つまり縄文人の文明を取り入れ、イスラエルの金属技術や建築技術を教えたのだと思います。そうしないと、生きていけなかった。
ところが、混交した現在にまで残っている日本文化は、外来文化を日本化して柔軟に取り入れている。この点は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の排他的、一神教とは一線を画しています。彼等は、国を追われても、宗教を護り続ける民であり、ガンゴ一徹だからです。
ここに、様々な宗教を背負った渡来人集団(部族)と縄文人文化との融和が起こり、つまり多国籍部族間の文化交流と衝突の末に、太子の十二条憲法「神に仕える掟」となって結実したのかも知れません。
尚、“いただきます”“ごちそうさま”の伝統は、聖書の民が食事の前に神への感謝を捧げますが、これを受け継いだのでしょう。まずは両手の握りが現代では手を広げていますが、これはおそらく仏教のせいで、縄文時代にはキリスト教徒のような握りの合掌土偶があります。
そして、神への感謝の言葉が、縄文人と融合し、“いただきます”“ごちそうさまに”に、変化していったのかも知れません。そして、日本人に刻まれている特有の遺伝子、垂れ目で、和を愛する心は、人類を創造したニビル星人の祖父であるプレアデス星人の遺伝子を濃く引き継いだものだとも云われています。つまり、縄文人は、アトランティスの末裔で、ノアの大洪水後に生き残った人々なのでしょう。(2015/10/24追加)
(追記)
竪穴住居というと、汚いくらいイメージがありますが、実際は違います。
1~2Mの円状の穴を掘り、周囲に木材で屋根となる部分を組み立てます。これは通常の木造建築とおなじです。そのうえに泥を被せてしまいます。
中に入ると、一年を通じて、気温と湿度が保たれます。土蔵と同じ原理です。それに、かわらぶき屋根と違い、火事にめっぽう強い。
中心の囲炉裏からの煙で、保存食を作ったり、屋根の泥が蒸されたりと、白川郷の合掌造りと基本的にはほぼ同じだと思います。穴の底には、布や木の皮などが敷き詰められ、三世代が同居し、水が引かれていた。
ただし、風呂と便所をどうしていたのかは、空想されているだけで、本当は不明なのだそうです。埋葬された遺骨から、福祉環境もあったそうです。
そして、石油製品や腕輪などの貴重品は、海路で1000KM離れた所にも運ばれていたそうです。
- ■親日外国人の見る日本 … 読者より
- YouTubeで親日外国人の動画を見ていると面白いです。
北朝鮮と中国からの脅威に対して、日米英仏の軍事訓練というか、実践さながらの動画が世界中に配信されています。親日の人々からは、好意的に受け取られています。
でも、親日軍人の中には、“眠れる虎を覚ますな”との声もあります。それは、日本人が本気で軍備をしたら、鞄に持ち運びできる超小型の核兵器を開発するに違いない。それが、テロリストに渡ったらどうするのだ”と。だから、小型で超高性能な電卓を作っていてもらいたいと(笑)。
他にも、長く日本で暮らしているトルコ人男性は、お世辞を言わず、率直な性格だそうです。彼が近代建築や美術を学びながら、古都の精巧さを見てつぶやいたそうです。“人間が一生懸命やれば、ここまで出来るんだというお手本として、神は日本を示されたのだ”と。
つまり、彼がつぶやきは、日本人は日本人の魂の原型を連綿と残してきた。しかも、古いものを原型として見知らぬものを取り入れ、新しいものを生み出してきたと、云うことです。
考えてみれば、日本の魂の原型は、どんどんたどることが出来ます。そして、民族の原型としては日本神話に行き着き、国家としては神武天皇の建国の詔にたどり着きます。
ところが、例えば米国であれば、清教徒が英国から逃げ出し、米国に着いたところから始まります。だが、米国人は米国の土地の原住民ではなく、ただの支配者に過ぎません。
同じように、中国も英国もフランスも異民族が侵入して、軍事支配し、原住民を出したり、奴隷化したり、虐殺するするところから歴史が始まります。この原住民も元をたどれば、異民族の支配者です。そして、キリスト教が歴史を分断してしまいます。ですから、フランス人も英国人も、中国人
… も、結局は異民族の支配者で、彼らの魂の原型は残っていないのです。
だから、彼ら親日外国人の人々は、日本の中に古いもの新しいもの、古代の外国のものが現代に生きずいているのに対して、本能的に感激し、興味を覚えるのだと思います。例えば、中国は王朝が変わるごとに文明を破壊し、中国の歴史を知りたければ、日本に行けというジョークまがいの笑い話が、米国にもあるほどです。
外国人が親日になるのは、それが彼らの魂の原型を探る旅でもあり、彼らが彼らの手で魂の原型を残そうとする、第一歩でもあるのだと思います。その為の日本であることはすばらしいと思います。極論すれば、戦いと勝者の価値観が、「君が代」の示す生き方に変わってしまうからです。
- ■20年前の親日と現在の親日は別物 … 読者より
- 昔の親日は、日本に在住し日本人の良さを感じた人たちばかりでした。エリート的なほんの一部の人たちだけです。駐日大使とが学者等々 … トムクルーズやガガのよな
… 。
日本人は宣伝が下手で、というより自分のことを遜るのが美徳ですから、宣伝しません。だから、日本は世界の一般大衆には理解できない国とされていました。
ところが、アニメが世界中に広まり、こんな面白いもの発想は俺達にはできないと、正直に若者は思うのです。そして、ネットを通じて自分の見た効いた体験を発進し始めました。そこには、白人特有の優越感や、敗戦国をさげすむ気持ちはそこにはありません。
例えば、アニメでおにぎりを食べているのですが、彼らには何だかさっぱりです。そこで、ネットであれ何と質問すると、国籍を問わず日本在住者などからこれこれだと返信が来る。そうすると、日本の手軽な食べ物だと…それじゃ俺もアタシも一度食べてみたいと、興味を持つ。
アニメでは必ず飲むあれは何だと質問すると、あれは麦茶といって、日本では夏に飲むんだと。売ってるのか?簡単に作れるよ。…と話が弾む。
アニメに出てくる、巫女さんとか、弓道とか神社とかは本当か?めったに見ないけど実在だよ。どこで見れる?結婚式の動画をアップするのでこれ見くれ。巫女さんも結婚式も伝統と奥深さを感じるし、巫女さんや結婚式を見たい!
アニメにお遍路って出てくるけどあれ何?巡礼と同じだよ。じゃあ、俺も一度参加したい。実際参加する外人もいる。結構評判がいい。
アニメの世界が現実に近いことにビックリし、日本の景色や、文化の奥深さに触れたいという外人が多くいるんです。
そこで、日本の特徴を教えてくれと書き込むと、体験談がたくさん書き込まれたり、日本旅行の時の画像や動画がアップされ、どんどん話が弾む。
だから、私のように50を超えた年代だと、外人さんには理解できないし、説明もできないと思っている事柄でも、アニメファンには分かってもらえるというわけです。恐るべしです。
最後に、アニメというとお宅の代名詞です。でも、技術バカや学者バカは職がありますが、アニメ馬鹿には職がなかったから、貧乏しながらバイトをしながらアニメを書き、親に怒られながら書いていた人たちばかりでした。教えてくれる人もなく、彼らは独自で技術を磨いた結果が、独創性豊かなアニメを生み続けています。だから、中韓人には真似できないんです。
そのことを、アニメファンは知っています。だからこそ、日本文化を知りたいと思うので、女子高生の多種多様な制服に興味を持ちAMAZONで買って着たり、特に袴にあこがれてしまうようです。
卒業式で女子生徒の袴姿の動画を見て、きれいだあれ何?卒業式に着る袴と云うんだ。私も着たい。袴について調べた云々……。
外人は既に、日本の制服に違和感を抱いていないし、窮屈とも思っていない。こうやって、アニメを通じて、ネットで対話し、動画を見ながら、交流することで、日本の特異性を違和感としてではなく、興味ある対象として、また学ぶ価値のあるものとしてとらえているようです。
そのうち、日本人が置いて行かれてしまうかもしれません。
掃除をする小学生、譲り合う子供達
親日外国人がビックリするのは、地下鉄が綺麗、浮浪者がいないし物乞いしない。町にゴミがなく綺麗、きちんと列に並ぶ、自動販売機が壊されない … 治安が良く、親切、仕事を一生懸命にやるなどです。
小学生の時に日本で暮らした外国人が、日本ではみんなで学校の掃除をするんだと、その様子を動画で投稿していて、良い経験だったと述べています。
これにたいして、諸外国から書き込みがあり、自分が掃除したらゴミを落としたくないし、綺麗にしたいよねと。続いて、だから日本人はゴミを捨てないし、きれい好きなんだと、納得したんです。彼らは、アニメの世界で生徒が掃除するのを知っていたのですが、それが現実で、しかもアニメを通じ会話することで、不思議の国日本を理解しているのです。
それから、イベント会場に子供用の遊具があり、日本人の子供達が整列して順番を待つ姿がアップされていました。
この姿を見て、日本人は秩序を重んじるという感想だけではなく、遊んでいる子供が遊具を独占せずに、遊んだら次の人に譲っている。そして、もっと遊びたければ、また列に並んでいる姿を見て、外国人の夫婦はカルチャー・ショックを受けていました。また、この夫婦は少し内向的な少女ずれで、母国では遊び相手が乱暴で嫌がるのですが、日本の環境では喜んで並んで遊んだそうです。
彼は自国の誰もが俺様最優先文化と比較して、理由を考えます。彼は、日本人は生まれた時から誰もが平等だと躾けられているに違いないと思ったそうです。
しかし、日本人なら、自分だけではなく他の子も遊びたいのだから、譲っているのだと、ごく自然に理解しています。
ここに、西洋文明と日本文明の大きな違いがあります。つまり、「思いやり」という考えが、西洋文明にも中華にもほとんど存在せず、平等という言葉でしか、表現できないんです。「思いやり」=人への優しさは、日本式民主主義の原点であり、人権・自由を支えている根本だと云うことを、思い知らされました。
この思いやりに一番遠いのが、北朝鮮や韓国や中国です。彼らにとっての人権や平等という概念は、俺様の下位に位置しているからです。
欧米にはキリスト教の「隣人愛」があるから、「思いやり」の本質に気づいているのでしょう。だから、信頼し合えるのだと思います。
- ■縄文人の出自探しは振り出しに … 読者より
- 2015年、日本の研究者が、縄文人の核遺伝子を調査した。これまでは、細胞の中のミトコンドリアDNAや、Y染色体などの比較的短い遺伝子による出自探しでした。細部核には全遺伝子が含まれており、民族の差異を完全に比較できるというわけです。
この研究成果によれば、縄文人は中国やベトナムや南方の民族とは明らかに異なるという事が判明してしまいました。だから、アフリカで創造された人類が、拡散して日本にまでたどり着いたというモデルに従えば、縄文人の出自探しは振り出しに戻ったということになりました。
また、日本人のY遺伝子はユダヤ人などと共有しており、日本の周辺諸国とは別人種でした。
そこで、研究者の仮説として、アフリカで創造された人類が、地球に広がった行ったというこれまでの人類の移動とは別系統の人類が縄文人ではないのかという可能性もあると述べていました。
垂れ目で和の精神を遺伝子として持つ大和民族は、縄文人とイスラル二氏族の融合だと思っています。一方、ユダヤ民族の歴史の中で、和の精神を旧約聖の中で見出すことはできません。また、垂れ目の遺伝子は吊り目の遺伝子の種族よりも古い種族の遺伝子です。加えて、先生の手記から、先生はアトランティスの出自だそうですから、縄文人はアトランティスの出自で、垂れ目で和の精神を遺伝子として持っていたと推測されます。つまり、ニビル星人の祖父であるより古い種族であるプレアデス星人の和の精神が遺伝子として受け継がれていると考えられるのです。つまり、ニビル星人とプレアデス星人の直接の合体だということです。
尚、プレアデス星人は大まかに二種族に分けられます。プレアデス星に戦乱があり、これを嫌って平和を求めて地球に飛来し、地球環境に順応するために地球の生命体の遺伝子を取り込んでいった地球系のプレアデス星人。それと、純粋のプレアデス星人です。後に、地球型プレアデス星人は、母星の危機を救おうとして、地球を離れて帰郷しています
おそらく、ニビル星人を創造したのは、純粋なプレアデス星人で、縄文人の垂れ目と和の精神(=平和の愛する心)は地球型プレアデス星人の遺伝子でしょう。(2017/05/05)