4−4.日本国憲法の深読み



 共産主義を発注した流浪の民=タルムード・ユダヤ人の立場から、日本国憲法を読み直してみて、初めて気がついたのですが、国家の安全と国民の生命財産を他国に差し出して、誰が一番徳をするかということです。日本人としての誇り、祖先の取り組んできた栄光が微塵も感じられません。国民を対象にしているのか、誰を対象にしていの憲法なのだろうか。共産主義の脅威と国家の安全の前に、自由・平等・権利があり、しかも義務が無い。祖先の残した日本を愛し、子孫の安全と幸福を希求する憲法では、国民主権では決してありませんでした。モルデカイ・モーゼ氏の指摘の通りだと思います。
 結局、個人の自由と平等が何を差し置いても守られており、国家に対し納税の義務だけで他の義務と責任を負っていない。皆平等なので、声が大きい方に傾く。マスコミを味方につけた方が、また権力を手中にすればそれだけ、無制限の自由を謳歌できる。そのわがまま放題こそが、民主党政権そのものだと思いました。それは、あたかも皇室を牛耳ってりた藤原氏に似ているのです。

 よく考えると、皇室に寄生し我が世の春を謳歌した藤原氏一族は、皇室や貴族の中に潜り込んだ。そして、室町時代、なんと軍を不要のものとしてしまった。国内治安は乱れ、元寇に対しても中央からの指令はなく、自らの判断で元寇を押し返した国家的英雄・鎌倉幕府に対し、中央は報償も何もしなかった。幕府と皇室が頼りにならないものだから、各自が自らの身を守る目的で武士が勃興し、戦国時代へと移行した。日本国憲法第九条のみならず、“日本人自らが軍を放棄”した時代が過去にもあったのです。軍を放棄させた寄生虫精神は、最も大切な日本精神(大和魂=君臣共治の国体)を朽ちさせるために、GHQが日本国憲法を強要したときに、我が意を得たりとばかりにこれを崇めている集団に、この遺伝子は生き続けていたのです。彼らを種として、GHQの容共政策により、日本中の法曹・政治・教育・企業・マスコミに共産主義がはびこってしまった。
 詳しくお知りになりたい方には、「[帝国憲法の真実]扶桑社 倉山満著」「[本当は怖ろしい日本国憲法]ビジネス社 長谷川三千子・倉山満著」を、おすすめ致します。
 個人的には「天皇機関説」「天皇主権説」は、当時の欧米流の中で、無理やり日本の国体「天皇は大司祭、その元に左大臣(天皇の勅命で祭儀を取り仕切る)と政治を司る右大臣(政治は右大臣に任せる)。そして、天王は人民を我子のように、人民は天皇を親の様に信頼しあう関係であり、伊弉諾伊弉冉のような補完関係だという事です。」をあてはめようとしたのだと思います。私としては、日本の国体を天皇制と呼ぶことにして、「天皇制主権説」を主張したいと思います。(2019年1月30日)

◇日本国憲法の正当性?

 前文に、明治憲法73条に従い、議会の承認経て、明治憲法の改正として、日本国憲法を公布すると陛下の署名がある。明治憲法は、神霊と臣民祖先が築いてきた君臣共治の国体を引き継ぎ、さらなる進歩を謳っている。

 「我が神霊なる祖宗の威徳と並びに臣民の忠実勇武にして国を愛し公に従う、
  以てこの光輝ある国史を今に残された。」

 加えて、明治憲法には、「日本臣民は安寧秩序を妨げず、及び臣民たる義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有する」「日本臣民は法律の範囲内において、言論著作出版集会及び結社の自由を有す」と有り、対象は臣民で、人民に対して国の安全が担保されている。

 これに対し日本国憲法では、祖先に対する言葉がない、公共の福祉という言葉の内容が不明、「われわれ」「何人も」とあるが一体誰を指しているのだろうか
 他にも、自由について、
  第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」
  第20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」
  第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、
       これを保障する」
  第23条「学問の自由はこれを保証する」
 とあるが、国家の安全という前提条件はどこにもなく、誰に対して保証しているのかも不明なのだ。もし全人類に対して日本国民が権利を保証しているというのであれば、日本に来れば何でもやり放題で、これを止める法律は存在しないのです。つまり、寄生虫が宿主を滅ぼしてしまってもかまわないのです。

 更に、自由・平等・基本的人権、民主主義のどれ一つを挙げても、国家の安全がなければ担保されるはずはないのです。しかし、日本国憲法では、国家の安全の担保も無しに、無条件に全人類への自由・平等・基本的人権を無制限の前提としている。
 しかも、ここがポイントだが、日本国憲法は日本国民への呼びかけではないということです。その証拠に、民主主義という言葉、軍事、安全保障ということが論じられておらず、これがなければ国の基盤は存在しないのですから、いくら理想的な文言を並べ立てたとしても、砂上の楼閣でしか無い。それが日本国憲法であり、この考え方こそが、寄留地での自由と人権が保証され、もし寄留地の国家が滅んでも、他に移ればよしとする国際金融家や流浪の民の発想であるのではないか。
 それ故、国家の安全と国民の生命財産は担保されないのにもかかわらず、自由と平和を叫べば誰にも批判されず、悪の思想・言動・研究であっても被害が出るまでは取り締まることができず、世界一新興宗教が栄え、スパイ天国であり、正論と軍人が疎んじられてしまうのです。つまり、日本人そのものが、国民・臣民ではなく、単なる居留者・市民であり、永遠に米軍に寄生し続ける寄生虫であり、精神的にも無国籍の流浪の民なのです。これがまさに、米軍を追い出しシナに朝貢した鳩山・小沢・輿石氏、核汚染を拡大させた管・仙石・枝野氏の犯罪者的特徴です。

 最後に、第22条をよく読んで頂きたい。自由に関連する箇所は全て主語と前提が無かったのですが、この条項にのみ「公共の福祉」という前提がある。移転、居住、職業選択の自由のなかった流浪のユダヤ人だからこそ。この前提が挿入されたのです。自由競争の中で、経済活動により無国籍に国を支配する彼らに取って、自分の所有地や職業や財産を奪われたくないからだと思うのです。

 第22条
 ・何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 ・何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。



■ 何故天皇制を残したのか

 天皇制を残したのは、統治するのに天皇の利用価値があったというのが定説ですが、モルデカイ氏はそうではないと断言する。
 ユダヤ人ルソーは、民主主義を超える政治システムは無いとして、国民を意思の無いロボット化してしまう社会契約論を構築した。そのルソーでさえ、もし天皇制を知っていれば、社会契約論を書くのを止めたことだろうとまで、モルデカイ氏は述べている。つまり、狂気のルソーでさえ君臣共治のシステムを思いつかなかった。だから、彼は不満でしようがないけど、他にないので民主主義を選ぶしか無かったのです。

 天皇とマッカーサーとの会見において、天皇制こそは、彼らユダヤ人の求める理想的な政治形態だと気がついた。だから、ニューディール派の中でもこのことに気がついた者との間で論争となり、やっと残せたと、モルデカイ氏は述べている

 さらに、ナチスはユダヤ人を虐殺したので、ドイツ人に対して憎しみがあり、戦後処理においてドイツ人殲滅までやろうとした。しかし、日本人に対しては、憎しみは無く、欧州と同じく日本国民が虐げられていると思い込み、革命を起こさせるために日本国憲法を押し付けた。革命が起これば、国民主権の憲法を作ればよいと思っていたとの事。だから、日本人に謝りたいのだと。日本人ではなく、彼らの神に懺悔したいのです。
 私達からすると、少し身勝手に思うのですが、事実を知らせてくださったことに感謝します。
                            2011/07/11 北



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