6−1章.神々との契約、アダムからノアまで




 最初は、地球に降りたアヌンナキ(実は、パイロト)の代わりとして、金採集の労働力として創造された人類だったが、人類を産む女神達の負担が大きいので、エンキとニンフルサグが、エンリルの反対を知りながらも、人類に生殖能力を与えます。その結果、[創世記 第3章]には、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」と神が言われた。アダムとイブはエデンの園から追放され、かつ「わたしは恨みをおく、おまえ(蛇)と女のあいだに、おまえのすえと女のすえの間に。・・・」と続く神の呪いにより、産みの苦しみが増すこと,苦しんで地から食物を取ること,死ぬことが、人類に宿命付けられたと聖書は告げています。この原罰は、サタンの戯言であり真実無意味なのですが、聖書を信じる者にとって、彼らの精神に重くのしかかり続けているのです。

 地球にまだ穀物も家畜も存在しないとき、エンリルとエンキが、地球での食料調達の任を引き受けます。エンリルは穀物と水そして畑作器具を創造して、人類に与えます。エンキは羊を創造して、家畜の飼育方法などを人類に与えます。
 アダムとイブに、アベル(農業)とカイン(放牧)が生まれた。兄弟が主に供え物をしたが、「主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた」[創世記 第四章]とあり、このことが原因で弟を殺してしまう。これに対して、主は「あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは土地の放浪者となるでしょう。」とカインを罰した。カインは自分が放浪者となったら、人から殺されるのではないかとの不安を神にうち明けた。主は「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」とカインに告げています。
 また、使徒ユダ・トマスの行伝に出てくる黒い蛇は「全被造物を支配する権力を与えられた者の子だ。」、そして「カインを唆し自分の兄弟を殺させた者だ」と述べている。これが本当であれば、カインに兄弟を殺させた張本人は、エンキではなかったのかとの憶測もあります。それはカイン一族を末代まで支配するための計略だったというわけです。ところが、[失われたエンキの記憶]ではこの兄弟殺しに対して、エンキは愕然としと記述されており、エンキに都合の良い記述になっているのかもしれません。

 シッチン氏によれば、一度は人類を滅ぼそうと決意したアヌンナキの神々ではあったが、ノアの大洪水後の地球復興のことをも踏まえれば、人類との共存が必要不可欠だったと。その理由を考えると、地球に飛来したニビル星人の多くがすでに霊体となっていたからなのです。
 ノアの大洪水直後、ノアが主に対して祭壇に供え物をした(※)。[創世記 第九章]には、神はノアとその子らを祝福して、箱船から出てきた全生命に対して「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。」と言われた後、神はノアと彼の子らに契約される。「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなた方と共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべての箱船から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起こらないであろう。」、さらに永遠の契約の印として雲の中に虹を置かれた。つまり、野田の大洪水以前では雲が厚く立ちこめ虹は出現できなかったが、ノアノ大洪水以後空は青く、虹が出現するようになった。

 聖書を日本語訳した翻訳者は、「神」=「主」として翻訳されたと思います。しかし、カインを殺人へ導き、放浪者とし、復讐を行う「主」はエンキとナブーです。そして、箱船の生命を祝福し、契約の虹を立てられた「神」はエンリルであり、別人格なのです。
 更に、神が人類に永遠の契約をしただけではなく、ノアもまた主なる神の前で、永遠に及ぶ契約を結んだ。その内容は、「恥部を覆い、異教徒達のように露出させない」[ヨベル書 3章34]ことを含み、「神を祝福し、父母を敬い、隣人同士愛し合い、いっさいの淫行、いっさいの穢れと暴虐から魂を守る」[ヨベル書 7章]ことだった。神と人類とのすばらしい契約だった。


(※)主へのささげ物について

 アベルの供物である穀類を顧みられた神エンリルは、生命の源である水を管理しているからだと説明する。ところが、私達のイメージでは、ユダヤ人の捧げ物は、羊や鳥などの動物のイメージがあります。つまり、エンキ系の神へ奉納していることを象徴しているのではないでしょうか。神への豊作の感謝が、いつの間にか己の罪の身代わりとしての生贄という無意味な概念に置き換わってしまっているのです。
 一方、日本の奉納の場合、初穂と魚を神前に捧げる。犠牲ではなく、神への感謝の意味である。初穂はエンリルへ、二匹の魚は同じ魚座のエンキとイエスの化身ナブーへの奉納なのでしょう。


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