6−4章.神々との契約、モーセ



 出エジプトを決行されたのは、プレアデス・ニビル星など祖先の方々が、イスラエル人を“神の民”として取り戻そうとされ決行されたのだと、先生から聞きました。

 出エジプトの民は約60万人と記述されていますが、この60は当時のアヌ(ヤハウエ)が指揮されたことを記録として留めたもので、実際の民の総数としてはもっと少なかったと思います。

 関連して、下記は[旧約偽典 十二族長の遺言]からの抜粋です。おそらく後世の追記もあると思いますが、十二部族の各族長が子孫へ送る遺言の中に、自分の犯した罪を後悔しながら生きてきた実体験が語られ、さらに子孫の堕落について預言を通じて知りながらも、神により救われよと、謙虚に切実に物語っておられます。人々の心と社会の平和を実現する神の智恵を強く求め、純真で謙虚な人々だったからこそ、神々はエジプトで奴隷状態だったイスラエルの民を再び神の民とみなされ救おうとされたのだと思います。


 ルベン :思慮が欠けていたことを告白し、これを悔いて二度と同じ過ちを
      行わなかった。隣人に真実をなし、兄弟愛し合うことを命じた。
      謙遜して司祭としてのレビと王となるユダに、精神的に近づくことを
      命じた。

 シメオン:ヨセフへの嫉妬から罪を犯したことを告白した。
      兄弟愛し合うこと、主の前に心を善くすることを命じた。
      レビとユダの言うことを聞くように命じた。

 レビ  :神から司祭に選ばれた経緯を述べ、二心なく主の律法に従って歩む
      ことを命じた。世々の終わりに、子孫が悪に染まり、異邦人にばかに
      されると忠告する。
      そして、光か闇か、主の律法かベリアルの業か、自ら選べと命じた。

 ユダ  :高慢になって自分の欲望に従って歩くな。強さを自慢するな。
      酒に酔ってはならない。主の総ての定めを行い、神の命令に服従せよ。
      レビを愛し、そむくな。

 イッサカル:神の命令を守り、ふた心をなくし、正直に歩め。主と隣人を愛し、
      貧しい者や弱い者に同情せよ。レビとユダに従え。

 ゼブルン:主の誡命を守り、隣人に情けをかけるように命じた。人だけではなく、
      動物にもすべてのものに同情せよ。

 ダン  :ヨセフへの嫉妬から罪を犯したことを告白した。そして、怒りと嘘を
      退け、真実と忍耐を愛せよ。不義を離れ、神の義にすがりつけ。

 ナフタリ:父にヨセフが生きている事を、兄弟が怖くて告げられなかった事を悔
      いている。主がお前たちを愛して下さるように、神にあって賢く、思
      慮深く、主の誡命の秩序とすべての行為の法則をわきまえよ。

 ガド  :神に対するおそれが憎しみにうちかつので聖なる人をあざけらない。
      主を怒らせることをおそれているので、心の中ですら決して人に悪事
      を働こうとはしない。これらのことはヨセフの件で悔い改めて初めて
      知ったのである。
      隣人同士愛しあい、心から憎しみを退けよ。行為と言葉と心の思いで
      互いに愛しあえ。ユダとレビを尊敬するように。

 アセル :善だけに固着せよ。善行をもって悪しき思いを打ち壊し悪から逃れよ。
      二つの顔を持つ者は、神に属する者のではなく、自分の欲望の奴隷に
      なっている。

 ヨセフ :忍耐と祈りをもって貞節と純潔とを追い求めるならば、主は貞節を喜
      ばれるのだから、お前たちの中に住んでくださるだろう。イスラエル
      のすくいがあらわれるレビとユダを敬え。

 ベニヤミン:正しくて敬虔な人、ヨセフにならって天と地の主なる神を愛し、
      その誡命を実行せよ。主をおそれ隣人を愛せよ。


 出エジプト時には、神々が先導され、途中からサタン・ナブーの介在が激しくなった。おそらくサタン・ナブーは、出エジプトに関しては想定外だった。彼はイスラエル人をエジプトの奴隷のままで滅ぼしてしまおうと企てていたのだと思います。
 ところが、金星の接近に伴う天変地異を利用され、モーセを指導者として、遂に奴隷だったイスラエル人はエジプトの混乱に乗じて、出国することが出来た。このモーセの民を救いだした奇跡を、サタン・ナブーは自分の功績とするため、誇大に誇張して旧約聖書に書かせた。だから、出エジプトの奇跡の多くが、エジプト側の記録には見出されなのです。そして、NHKで2006年10月に放映されたジェームズキャメロン監督の「出エジプト記」には、エジプト側に「出エジプト」の奇跡の証拠ではなく、出エジプトが有ったことの証拠が残っていることを論証しており、奇跡は別としても出エジプトそのものは歴史的な事実だった。

 モーセの十戒は天上界からのものでは在るが、天上界の会議では当時の人類には厳し過ぎるとされていた。サタン・ナブーはモーセの民との契約において、彼の命令(十戒)の忠実な僕として実行支配しようとした。掟を忠実に実行すれば、土地・食料・長命と人口増加が約束される。しかし、財産が増えゆとりが出来ると、サタン・ナブーへの感謝を忘れてしまう。忘れた者や彼の命令に違反した者に対しては厳罰を与え、恐怖を伴う復讐で人々を恐怖と共に彼の支配下に縛った。

 例えば、「わたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、それについて語り、また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない」[申命記 第11章]のような徹底した教育を施した。まさに、毛沢東の思想教育そのもので、つまり共産主義は悪魔の手による産物である。

 また、レビに対して「あなたが世に生きながらえている間、レビびとを捨てないようにしなければならない。」[申命記 第17]とし、レビに対して税を納めさせた。かつ罪の贖いをするにはレビに従い燔祭を行うことを義務付けた。裁判については、「十戒,定め,おきて」を一字一句間違えずに行うことが、レビの役割でした。つまり、政治と宗教が完全に一体となった組織で、そのトップがサタン・ナブーである。ナブーは神であり法であり、正義・公平であり、恐れの対象であるので、霊が導く完全な独裁国家の建国を目指した。これが第一で、次ぎに契約を守る民の生活だった。この契約を守る人々は、神に服従して「パンのみにて生きる」ことを強要されたのです。

 ナブーの支配の見本は[申命記 第11彰]にある。そこには、聞き従わなければ呪いを受けるであろうと脅すのである。
 「わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く。」
 「主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう。」

 このように祝福か呪いかの二者択一に追い込み、蛇に睨まれたカエルよろしく、「ねたむ神」「のろう神」「復習する神」を崇め恐れよと繰り返す。主(全知全能の神、「全知」については全知の神エンキの子孫だと言うこと)は、主の保護を求めるのか、怒りを受け落ちぶれ滅ぼされたいのかを迫るのだ。だから、ユダヤ人は、神を恐れ、申し開きのために、律法を一字一句守るような人々になった、というより成らざる得なかった。

 「主」は、気にくわないと、すぐに罰を下す。機嫌がよいと、好条件となるが、何時も最後に滅びるぞと脅す。だから、人間本来の資質や尊厳よりも、「主」に気に入られるように、機嫌を取ることに徹したのだと思われます。ナブーに導かれた民は、内面の破壊衝動が増大しても人前では隠し続け、内心では主と人々を強烈に呪ってきた。このような人々は、ヒステリー性格に当てはまるのだと思います。そしてこの破壊衝動は、実現不可能な理想であっても、これを実現するためなら如何なる手段をも許されるとする共産主義思想により助長され、ついには育成された殺人集団により、地上は地獄と化してしまうのです。2009年に政権を奪取した、ヒステリー集団・偽善者集団の民主党政権がいい見本です。それからもう一つ、サタン・ナブーの特徴としては、同じ内容のことを何度も何度も繰り返します。現在のマスコミや中国共産党と同じ手法で、嘘も百回言えば本当になる方式の洗脳手法です。

 さらに、レビによる支配を[申命記 第17章]より抜粋すると、「彼ら(レビ人である祭司と、その時の裁判人)はあなたに判決の言葉を告げるであろう。…すなわち彼らが教える律法と、彼らが告げる判決とに従って行わなければならない。彼らが告げる言葉にそむいて、右にも左にもかたよってはならない。もし人がほしいままにふるまい、聞き従わなないならば、その人を殺して、イスラエルのうちから悪を除かなければならない。そうすれば民は皆、聞いて恐れ、重ねてほしいままにふるまうことをしないであろう。」とあり、ナブーの与える律法が何においても優先するのです。この中で、「右にも左にもかたよってはならない。」とあるのは、公平という意味ではなく、律法への絶対服従を意味しています。関連して、この絶対服従の形は、秘密結社への入会儀式や掟に似ている。つまりは、サタンが悪魔教を育てたからで、上位者への無条件の絶対服従を強いられるのです。

 一方、善なる神の裁きと比較すると、ナブーの残忍性が際立っています。
 「もし彼ら(証人)の言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。
  もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に
  扱いなさい。」[マタイ 第18章]

 モーセ様がシナイ山に一人で登られて石板を頂戴した時、四〇日四〇夜雲に覆われたとある。これに関して、[コーラン 上 P224]には、神々とモーセ様は三〇夜契約を取り決め、さらにこれに一〇夜を加えて、主の指定期間は四〇夜となったと記述されています。つまり、モーセ様に十戒を与えられたのは三〇のミカエル様、一〇のラファエル様だったのですが、これをナブーがミカエル様とラファエル様を隠蔽し、かつあたかも四〇の自分が与えたように記述させたのです。

 サタンとの契約は、あくまでもサタンが与える命令・定め・掟を、イスラエル人とその子孫に至るまで一字一句違えずに忠実に従わせることです。契約を守れば、土地・食料・長命が与えられる。サタン・ダビデの贖いには、愛や慈悲は無い。罪をあがなうことは、身代わりに燔祭をささげることでしかない。身代わり、人身御供、スケープゴートを差し出し、己の罪の許しを請う。それは悪魔教でしかない。
 「あなたは祭壇に近づき、あなたの罪祭と燔祭をささげ、あなたのため、
  また民のためにあがないをし、また民の供え物をささげて、彼らのために
  あがないをし、すべて主がお命じになったようにしなさい。」
 「罪祭のやぎをとってこれをほふり、前のようにこれを罪のためにささげた。
  また燔祭をささげた。」[レビ記 第9章]

 サタンに従わない者、彼の気に入らない者に対しては、徹底的に滅ぼします。下記の無慈悲な霊言は神を詐称するサタンによるものです。彼らは、十戒の“殺すなかれ”の諫めをなんとも思わないのです。
 「主が彼を渡されたので…。すべての町を取り、そのすべての町の男、女および
  子供を全く滅ぼして、ひとりをも残さなかった」[申命記 第2章]
 「主が我々の手に渡されたので、われわれはこれを打ち殺して、ひとりをも残さ
  なかった。…そのすべての町の男、女および子供をことごとく滅ぼした。」
                       [申命記 第3章]
 「主が彼らを渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなけ
  ればならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。また彼らと婚姻を
  してはならない。」[申命記 第7章]

 サタン・ナブーの性格は、ねたみ深く、残酷な性格です。
 「主が禁じられたどんな形の刻んだ像をも造ってはならない。あなたの神、
  主は焼きつくす火、ねたむ神である」[申命記 4章23]
 「主である私は、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に
  報いて三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には恵みを
  施して千代に至るであろう。」[申命記 5章9]
 「主はねたむ神であるから、おそらく、あなたに向かって怒りを発し、地のお
  もてからあなたを滅ぼし去られるであろう」[申命記 第6章]
 「主は自分を憎む者には猶予することなく、めいめいに報いられる。それゆえ、
  きょうわたしがあなたに命じる命令と、定めと、おきてを守って、これを行
  わなければならない。」[申命記 第7章]

 ナブーはレビ人に、大声でイスラエルの人々に告げることを命じます。呪いにより人類を呪縛する([申命記 第27章])ことで、人類の精神的な進歩を阻害し続けるので、神無くしては現代文明と民主主義国家を築くことは決して出来ませんでした。つまり、呪いの代わりに、正義の裁きが必要なのです。
  「工人の手の作である刻んだ像は、・・・ 主が憎まれるものであるから、
   それを造って、ひそかに安置するものはのろわれる。」
  「父や母を軽んずる者はのろわれる。」
  「隣人との土地の境を移す者はのろわれる。」
  「盲人を道に惑わす者はのろわれる。」
  「寄留の他国人や孤児、寡婦のさばきを曲げる者はのろわれる。」
  「父の妻を犯す者は、父を恥ずかしめるのであるからのろわれる。」
  「すべて獣を犯す者はのろわれる。」
  「父の娘、または母の娘である自分の姉妹を犯す者はのろわれる。」
  「妻の母を犯す者はのろわれる。」
  「まいないを取って罪なき者を殺す者はのろわれる。」
  「この律法の言葉を守り行わない者はのろわれる。」

 一方[レビ記19章]の中で、善神だと思いますが、兄弟愛と隣人愛について述べられておられます。しかし、いかなる不法な迫害にも、一切抵抗するなと洗脳しているようにも受け取れます。
  「あなたは心に兄弟を憎んではならない。…あなたはあだを返してはならない。
   あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなた自身のようにあなたの隣
   人を愛さなければならない。
   わたしは主である。」


(追記)
 ナブーは、「ヤコブの腰から出たものは、合わせて七〇人」[出エジプト記 第1章]というのを踏まえて、「あなたの祖先たちは、わずか七〇人でエジプトに下ったが、あなたの神、主はあなたを天の星のように多くされた。」[申命記 第10章]と述べていますが、これは彼による恵みではなく、ヨセフがエジプトの宰相となり、ファラオがイスラエル人の肥沃な土地への入植を許可したからです。この70は、アヌのランク60よりも上位なので、自らはアヌを越えた存在だと傲慢にも主張しているようにも思われます。


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