第10-15.神代文字の真実と二度の出エジプト



 結論として、皇室が旧約聖書の正当な末裔で有り、神代文字(漢字が伝わる以前から実在した日本固有の文字のこと)と日本語がノアの大洪水以前の世界共通語であった。そして、地球司令官・エンリル(二代目ヤハウエ)は、マルドウク(三代目ヤハウエ)が作り出したバベルの塔(宇宙港)を破壊した時、人類が共通の言葉を乱されたのだ。その目的は、民族の体質や風土に合った言葉を与えることで、人類の精神的な発達を促されようとしたのだ。(⇒[ニビル星人の紹介])
 卑弥呼の時代、北九州はシルクロードの終着点だった。当時から、日本は貿易の決済を砂金で行っていた。ノアの大洪水以前、日本に埋蔵されている豊富な金庫脈を求めて、ニビル星人は、中南米に建国した古代文明同様の神殿を、沖縄の海底や琵琶湖の湖底に建設して、金の集配所に使っていたに違いない。ノアの大洪水後、日本の金採集神殿の再建を縄文人と共に行った。
 ところが、神々の核戦争後、神々の支配から徐々に、地球が人間の支配に移行し、神々の支援が薄れるに従い、神々に捧げる金よりも、人類同士の戦争や農業の発展のために、青銅器や鉄器が権力の象徴として貴重となった。
 日本には銅や鉄が産出(砂鉄は大量にある)しないので、縄文人は海を越え、稲作と青銅器技術を携え、越を建国した。越人は、大陸のシルクロードの終点である黄河流域へ移住し、夏人として夏帝国を建国し、稲作と青銅と甲骨文字を殷帝国にもたらしたと思われるのだ。この甲骨文字は、縄文人が使用していた神代文字を元にしたものだった。
 以上の事実と、古事記の記述をかみ合わせると、モーセの出エジプトの前に、ヘブル人(イスラエル)の正当な末裔であるエフライム一族が、殷帝国を経由して、日本の出雲に渡来していることが明らかとなった。つまり、最初の出エジプトにより、出雲帝国は建国されたのだ。
 尚、[天国の奇跡 中]「問19解答」に貴重な証言があります。つまり、エジプトに四百年も居れば、エジプト文化に殆ど同化してしまい、神殿建設などで神聖文字の読み書きも出来たことでしょう。従って、エジプト逗留以前に日本に渡来したイスラエル人やシュル人などは、楔形文字を使っていた。出エジプト当時であれば、神聖文字を使っていた。イスラエル王国以後の渡来ならヘブル文字を使っていたと、考えられます。
「十戒に刻まれた文字は、モーセ様が良く理解し得るように神聖文字(ヒエログリフ…神の言葉)を用いました。日本にあるというような説もありますが。神聖文字であったからこそ多くの者も読むことが出来、モーセ様と私達を信じたのです。意義は今、正法者のあなた方が法を私達から与えられ、教えられているのと同じです。」

  1. シルクロードの終着点
  2. 出エジプトは二度行われた
  3. 縄文人は日本語(神代文字)を話していた
  4. 抜粋:中国・戦国時代の斉は出雲の国のことだった!?
  5. 抜粋:紀元前の中国史を書き替えた〝西から来た人″!?
    人身牛首は冥界の王ネルガル
    エンリル神とニンリル女神
    エレシュキガル[冥府の女王]
    ネルガル
    七枝樹二神の神について
  6. 抜粋:世界最古の地理書『山海経』
  7. 抜粋:仮名文字の発生は紀元前七世紀ではない
  8. 神代文字 … データ集
    伊勢神宮・神宮文庫に奉納された神代文字
    日本語に似たタルク語を話す“使主の都”からの渡来人
    神代文字は本物
    神代文字は古代オリエントと似ている
    サーンチー文字が神代文字で読めた
    『姓氏録』とデカン高原
    古代日本の三代民族
    ノアの呪いと祝福の預言が日本で成就している
    アイヌはヤペテの子孫である
    龍神とワニ


1.シルクロードの終点

 卑弥呼の時代から、日本の貿易決済は砂金だった。というのは、江戸時代には大量の金が有り、金と銀の価格差が貿易として成り立っていた。また、マルコポーロの時代は銀で、その後は銅の国だった。(⇒[古代日本の有力氏族は渡来人だった])
 縄文時代には、豊富な砂金が有り、都市生活を営む縄文人(おそらくサンカ)が、砂金を収拾していたと思われる。中南米のマヤなどの巨大宮殿は、水の力を利用して、鉱石を分離して、貴金属他を採集していたことが分かっている。しかし、ノアの大洪水後の日本の場合、山々が持ち上がり、豊富な流水が有り、自然に砂金として採集できるのだから、沖縄の海底神殿や琵琶湖の湖底にある巨大神殿は必要なかった。


2.出エジプトは二度行われた

 日本神話の神武天皇を、イスラエルの皇統に当てはめると、エジプトの宰相となったヨセフの二代後に相当します(ニニギ:ヤコブ→山幸彦:ヨセフ→ウガヤフキアエズ:エフライム→神武天皇:ベリア…⇒[真実の古事記][歴代天皇と旧約聖書])。エジプトの太陽神の巫女と結婚した賢人ヨセフの死後、エジプト人はヨセフの恩を忘れ、イスラエル人は奴隷化されてゆきます。イスラエル人は母国語を忘れエジプト語化されてしまう。例えば、ヤコブの葬式はすでに、エジプト式でミイラ化されてしまいました。それだけ、イスラエル人(ヘブル人)はエジプト化されてしまっていたのです。
 神の民であるヘブル人が神を忘れてしまう前に、ベリアの時、第一回目の出エジプトが決行されます(前1500年頃)。イスラエルの正当な末裔であるエフライムの皇統であるベリアを筆頭に、神々に守護されながら、殷帝国を経由して、出雲に到着します。彼らエフライム族は、ヨセフがエジプト太陽神の巫女を妻としたように、「セム族+古代エジプト人」の血を持ち、殷帝国の白人を伴い、日本全土に散らばりました。アイヌ民族には蒙古斑が出ず、目も青目で、白人種族です。
 その後、エジプトに残ったヘブル人はエジプトの中で自然消滅する恐れがあり、モーセの出エジプトが、金星の大接近とニビル星の接近を利用して、神々により決行されました。前1450年頃です。この時すでに正統な皇統は日本に移動していたので、新たな皇統としてモーセを任命し、イスラエルの民はモーセの民として、神と新しい契約を行った。それが、モーセの十戒である。
 記紀を基にすれば、アブラハムから始まるイスラエルの正統な皇統は、エジプトから日本に渡来しています。即ち、アブラハム→イサク→ヤコブ→エフライム→ベリア→日本です。ですから、正統な皇統がいなくなったエジプトに残ったヘブル人が、滅んでしまう前に、出エジプトさせるには、新たなリーダが必要でした。それがモーセです。ですから、モーセを皇統とするモーセの民は、アブラハムの皇統とは別王朝なのです。モーセの民が、ユダ王国を建国しますが、この皇統は同じイスラエル人ではありますが、モーセを基点とする王朝であり、アブラハム王朝ではないのです。
 新バビロン捕囚の直前、イザヤの子らが(姉、弟二人で、これが女性天照とスサノウと月読に相当する。)日本に向け脱出します(⇒[神々と人類の暦])。前660年頃です。これが大和建国につながる本当の神武東征で、エジプト→印度→海路で日向へ到着した。つまり、ユダ族とレビ族が前660頃に日本に渡来し、ユダとエフライムが合体した大和朝廷が出来上がります。だから日本において、聖書の預言通りに、改めてアブラハムの皇統が正式に復活したといえるのです。まさに、神の民です。ところが、この正統なモーセの民・ユダヤ・レビ一族の日本渡来が、古事記には隠蔽されてしまっているのです。
 更に、秦帝国、唐帝国の時に、旧約の民・秦氏一族(ユダと司祭一族)や除福一族、さらには原始キリスト教徒が日本に渡来して、「和を以て貴しとする」に従い、日本を共同で建国します。


3.縄文人は日本語(神代文字)を話していた

 さて、問題は、何故日本に日本語が定着したかです。縄文人は日本語をしゃべっていたとしても、勝者である大和朝廷(エフライムとユダの正当な末裔)は、ヘブライ語を話していたと想定すると、どうしても納得できないのです。
 ノアの大洪水以前、沖縄の海底神殿、大鏡にある琵琶湖の湖底の大神殿などから、日本にはアヌンナキの大神殿があった。おそらく金採掘のためでしょう。人類の時代に移行するにつて、戦争や農業のために、青銅器や鉄器が権力の象徴として重宝されたので、縄文人が海路で越に移動し、越人が黄河流域に移動して夏殷を建国し、青銅器と稲作と漢字をもたらした。つまり、彼ら縄文人は大洪水後も、日本語を話していた。彼らの文字が神代文字で、海経由でシナ大陸に移動し、神代文字を基盤にして甲骨文字を発明した。だから、文明は大陸からと云うのは間違いです。
 英語は24文字で、日本語は母音を含む15文字で、会話を全て表現できる。両者共に、とても知的な人工言語だと思います。だから、日本語はアルファベット同様に、自然発生的な言語だとは到底思えないのです。それゆえ、縄文人(サンカ)が使っていた日本語は、ノアの大洪水以前から、アヌンナキ神殿で使われていたのだと推測されます。
 イスラエルの始祖・テラは、シュメルの古都ウルの神官で王でした。ですから、アブラハムの父・テラ一族の話し言葉と文字は、シュメル語だったのではないでしょうか。彼らがエジプトに定着し、奴隷化された故に、母国語を忘れてしまい、エジプト語を話し、ピラミッドの神官に伝わる暗号のようなヘブライ文字を使うようになったのではないでしょうか。ですから、ベリアが日本へ渡来した当時、彼らはノアの大洪水前のバビルの塔以前の世界共通語を使っていたと考えれば、縄文人とも会話が通じるわけです。それが、ノアの大洪水以前のシュメル語であり、日本語(神代文字)だったのでしょう。ノアの大洪水以後の楔形文字は、人類が使うために漢字同様に神代文字から派生してもたらされたのでしょう。だから日本語と神代文字を忘れてしまったユダヤの民だが、日本に渡来した時、それ以前から日本に定着していたエフライムと縄文人の共通語を知り、大和朝廷の共通語として日本語を採用し使ったのだと推測できるのです
 ところが、白村江の戦いに敗れ、漢字化を強制され、焚書の強制により古代日本の歴史(縄文人の歴史、イスラエル民族の歴史)が失われてしまう恐れがあった。そこで、焚書の前に、神代文字で書かれた神話を、漢文を書けない稗田阿礼が記憶し、読み上げた。神代文字を読めない太安万侶が、これを聞いて、得意の漢文に直し、古事記として記録したと考えられます
 ■白村江の戦い
 日本書紀によれば、敗戦後、唐の使節団が当初は254人だったが、次の年には二千人にふくれあがる。同時に、唐が常駐した九州の太宰府が「筑都督府」に呼び名が変わった。これは唐が占領した都を「××都督府」と称したことからも、唐軍はGHQと同じ占領軍だった。GHQの日本支配により、日本解体を目論み日本の歴史が改竄されたように、唐の支配により、漢字化が強制され、日本語の書物が焚書された。だから、記紀は漢字で記述したのだ。
 聖徳太子が唐の支配前に完成させた、「帝紀」「旧辞」は、神代文字で書かれたと思われ、この内容を神代文字を知る稗田のあれば読み上げ、漢字を知る太安万侶が漢字化した。尚、「帝紀」「旧辞」は焼失したとされ、稗田阿礼も殺されたは、有名である。
 天智天皇の時、「白村江の会戦」で、日本・百済軍が、唐・新羅軍に敗北した後、おそらく唐からの侵略を恐れ築城した後、都を近江に移し、そこで即位された。その間に、唐から全部で二百五四人が日本に到着し、約三ヶ月滞在したが、目的及び何を行ったか全く不明です。
 例えば、神よりも仏教を信仰した慈悲のある天皇として紹介されている孝徳天皇の時、[明神として天下の治める日本天皇は…][日本書記 下P169]とあり、この記述の後段には古代中国の皇帝の功績の紹介とともに、彼らの徳政に習ったとの記述があります。この「明神」という神は、日本古来の由緒正しき崇敬の神々という意味です。また、「日本天皇」という響きには、天地を創造した皇祖神ではなく、日本に閉じられた天皇であり、この天皇をまとめる大天皇が、別途存在しているように受けとられます。
 おそらく、「白村江の会戦」で敗北した日本は、唐の植民地化政策を受け入れさせられた。この米軍のGHQに相当する者達が、天武天皇の時代に来日したのだと推測されます。このため、[明神として天下の治める日本天皇は…]の下りは、日本の独立と、中国の植民地としてのバランスを勘案した記述のように思われます。
 この唐の植民地化政策により、日本における、神代文字が廃れ漢字化へ、神道が廃れ仏教国化へと向かわざる得なかった(詳しくは付録参照)。
 その後、日本語に漢字を取り込むのだが、非常に不便なので、神代文字から平仮名が発生し、ヘブライ文字からカタカナが発生して、神代の歴史やヘブライの歴史やヤハウエの預言を日本歌謡などに暗号化して隠蔽したと推測されます(⇒[日本歌謡と七大天使])。
 尚、以前に平仮名と片仮名を発明したのはどなたでしょうかと、先生にお伺いした時、エル・ランティ様(第四代ヤハウエ=天照大神)だとメモがありました。その後、ハルマゲドン(異星人の霊を含む善霊と悪霊軍団の死闘⇒[古代日本歌謡:正法再建の合図])の最中に、再度お伺いしたところ、さて誰なのか知らないとのご返信でした。その時には、この全く異なるご返信の意味が分かりませんでしたが、日本語には以上のような非常に重要な意味があるのだということが明らかになり、当時はそれを秘匿しておく必要があったのだと理解できました。


4.抜粋:中国・戦国時代の斉は出雲の国のことだった!?

 古代中国に日本人がいた。しかもこの日本人は漢字の発明者らしい。
 私は不思議に思って、改めて日本神話と斉の国の神話を読み直してみることにした。すると、日本神話と斉の国の記録のなかにみられる「国譲り」の話が驚くほどよく似ていることだ。かいつまんで話すと、こうなる。
 斉の最後の王である王建は、秦の始皇帝に国譲りをしている。一方、出雲神話の中にもオオクニヌシがニニギノミコトに国譲りをしたという話がある。
 そこに登場するオオクニヌシの祖父はサシクニヲホといい、母はサシクニワカヒメという。この二人の名前を北海道異体文字で表わしてみると、「きょう」「君王后」という字になる。
 もうお気づきだろう。斉の最後の王、王建の祖父と母は、オオクニヌシの祖父および母と、ピッタリー致してしまうのだ。日本神話のイナサノヲバマが斉の「荊」に、タギシノヲバマが「松柏」という字になるのである。
 このことは何を意味しているのだろうか。これは、中国大陸を舞台とした出雲のかつての真実の歴史が、のちに漢字に書き改められ、中国の歴史にすり替えられてしまった、ということを意味していないか。
 さらに、この頃(戦国時代)の貨幣を調べてみると、戦国諸国が現在の中国大陸にあったなら、当然、それぞれ独自の貨幣をもっていたはずなのに、どれも斉貨幣と同じものを使用していたことが判明している。しかも奇妙なことに、その貨幣にはすべて、たとえば「アマフユキヌ」のように、当時の出雲の王の名が神代文字で刻まれているのだ。
 この事実からも、戦国時代の斉の正体は、日本神話でいままでその実在性が疑問視されてきた出雲の国だったことがよくわかるのである。が、決定的なのは次の事実だ。
     
 出雲を神代文字で表わし、それを組み合わせてみると、なんと〝斉″という字になる。これをみれば、中国の歴史がすり替えられたことは一目瞭然である。どうやら中国においても、『史記』以前の記録のすり替えが行なわれたことは間違いないようだ。
 いってしまえば、漢の武帝が紀元前108年頃、司馬遷に書かせた『史記』とは、とんでもないクワセモノということになる
 司馬遷は『史記』の執筆中、獄につながれていた。完成後には解放される約束であったにもかかわらず、まもなく殺されてしまった
 これはちょうど、『古事記』の編纂に携わった稗田阿礼が、やはり『古事記】完成後に殺されたという事情とよく似ている。両者は偶然の一致とは思えない。日本の太古史と中国の古い歴史を抹殺しようとした勢力が、それぞれの背後にあったことは間違いない


5.抜粋:紀元前の中国史を書き替えた〝西から来た人″!?

 『契丹古伝』が語るところを引用してみよう。
「 その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変わってしまった。
 この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛り上がり(ヒマラヤの隆起)、南東部で引き裂かれて沈没した(フィリピン海溝の形成)……。
 尭・舜の時代に地球の全土は戦火に包ま、ウは洪水の後始末に追われた。
 ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祀るもの、蛇身人首の鬼を祀るも(注.「人身牛首」参照)のが、西から東へ次々とやって来て、我らの地に住みついた……。」
 前述したように、『契丹古伝』はここで、紀元前の中国大陸のもともとの主人公は今の中国人ではなかった、と述べている。現在では漢民族が最初から中国五千年の歴史の主人公であったかのように説かれているが、それは事実ではないらしい。紀元前の中国の歴史は、西から来た人々によって書き換えられてしまった、というのである。
 彼らはみずからを我ら東大古族の神の子孫と偽ったばかりでなく、伏羲や神農、黄帝なる人物を、我らの王の祖先に仕立て上げ、その系図に自分たちの祖先をつなげて、これら偽りの神と王に対する崇拝を我らに強制して、みずからを聖帝の子孫なりと誇らしげに語っている。つまり、系図や歴史までもでっち上げているのだ


 ■注.人身牛首は冥界の王ネルガルです。
  ◇『エンリル神とニンリル女神
 エンリルが清らかな乙女ニンリル女神をヌンビルドゥ運河の堤で強姦し、その罪のゆえに最高位の神であるにもかかわらず他の神々によって罰せられ、冥界へ追放されることになる。ニンリルは月神ナンナルを身ごもっていたが、エンリルの後を追う。
 息子が冥界に住まねばならぬ不幸を避けるために、エンリルは複雑に込み入った企みでさらにニンリルと交わり、三柱の子を妊ませてナンナルの身代わりとする。これによりナンナルは天に昇れることとなった。
 代わりに冥界に住むこととなった三柱の神々はネルガル神ニンアズ神、そして文書が欠損しているがエレシュキガル女王である。
 
  ◇エレシュキガル[冥府の女王][大いなる地(冥界)の女主人]
 配偶神は古バビロニア時代以降はネルガル。
 大地の甘い水の下に位置する、 乾燥した塵だらけの土地「帰還する事のない土地(クル・ヌ・ギ・ア)」を支配する「死の女主人」。
 「天の女主人」であるイナンナとは姉妹であるが、 光を司るイナンナに対し、エレシュキガルは闇を司っている。 そして二人は敵同士でもある。
 別名、アルルの女主人エレシュキガル、ニンキガルとも呼ばれる。
 
  ◇ネルガル
 シュメールの冥界神・冥界の王。また、太陽神であり戦争、病気、そして大洪水をも司る神である。配偶女神はエレシュ・キ・ガル。天体は火星。冥府の王となったのは、エレシュ・キ・ガルの配偶神になったため。ところで、ニビル星の守護神・ガルズはニビル星の冥界の統治者でもあるのですが、「ガル」の付く者達(冥界の王ネル・ガル、冥界の女王エレシュキガル、月神の皇后ニン・ガル…)は、ガルズ王朝の後継者である。
 追記:ネルガルについて … Netより
 ネルガル(Nelgal Latin:Nelgel)またはニルゲル神とはメソポタミア神話に登場する水の神エアの子です。元は太陽の神でしたが、冥界クル・ヌ・ギアの女王エレシキガルが送った使者を侮辱したために謝罪要求のため冥界に来ることを要求します。エア神はネルガルの非礼を詫びて天界一時追放処分とし、14人の病魔神をネルガルの護衛につけた上で冥界へ一時追放します。冥界で怒り狂う冥女王エレシュキガルはネルガルを殺すつもりでした。冥界の食事を口にしたものは地上や天界にも戻れないのでビールやパンを振舞いますが一切ネルガルは口にしませんでした。しかし、沐浴の姿を見てネルガルはエレシュキガルに恋をして6日共にします。7日目に天界に帰ります。しかし、今度はネルガルの美貌にほれた冥界女王エレシュキガルは再びネルガルを天界を脅してまで冥界に呼びつけます。しかし長いこと冥界の空気を吸ったネルガルは凶暴になり、冥界の女王の座を引きずりおろし、自分が冥王となりました。しかし、ネルガルは心の広い神でエレシュキガルの行いを許し、なおかつほれていたのでエレシュキガルを冥王の妻とし、結婚しました。冥界の王としてのお仕事は現世における命の管理です。死神でもあります。
 ネルガルが一時天界に戻るの理由は地上の豊穣や命の循環が止まるためにやむなく天界に戻るからです。ですからネルガルは冥界の神にして天空神です。これは、ローマ神話のプロセルビナに通じるものがあります。
 太陽神としてのネルガルは獅子で表現し、冥王としてのネルガルは黒い鳥人で表現します。「列王記 下」17章30で聖書にも登場し、クタの人々に信仰されているようです。
 神話的に大変貴重なのは冥王の地位が入れ替わっている事と、敵だった女王を妻とした点にあります。一神教と違い冥界の王=悪というわけじゃありません。ギリシャ神話に登場するハーデースにも似たような説話があります。
追記:七枝樹二神の神について
 七枝樹二神の内、牛の角2本を持つ神は、ネルガル。ヘビ女神はエレシュキガルです。おそらく、マルドウクが地球司令官の王座に就任した時、ネルガルが神々のランク20(日神)を所有したのだと推測されます。彼が牛頭王、炎帝であり、偽スサノウとして古事記に登場します。


6.抜粋:世界最古の地理書『山海経』

 地球各地から月や火星に飛んだ古代の航空機はどこへ。
 中国に伝わる世界最古の地理書『山海経』を素直に読み解けば、当時の飛行ルートは明らかにこうなる。※尚、本内容は、シッチン氏のシュメル古文書とほぼ一致する!非常に信頼性の高い内容です。
 アンデスのティアワナコ遺跡(ボリビア)から飛び立ったヴィマナは、イースター島に着陸し、そこから南太平洋のトンガに飛行した。それからニューギニア上空を越えて、ヒマラヤ山中の神々の地下の館を目指した。当時ヒマラヤにあったシャンバラ(仙洞)と呼ばれる都からヨルダンのパールベック宇宙港に立ち寄ったのち、さらにエジプトやガーナを経てティアワナコの宇宙港に戻った。
 当時の航空機は地上に着陸するとき、ナスカ(ペル-)やソールズベリ(イギリス)、あるいはコーカサス山脈東麓のウスチュルト台地に描かれた地上絵を航空標識として利用していた。
 『山海経』にはこれらの山脈に“天帝の秘密の都”と“天帝の下界の都”があり、神々の地下の館(地下都市)が地上の航空標識やピラミッド、人造湖をともなって、世界各地に作られたと記されている。(※つまり、神々の地下都市にUFOが隠されている。この具体的な内容は『大統領に会った宇宙人』『ラムー船長から人類への警告』に記述されている。尚、ラムー船長は、大統領に会った宇宙人ヴァル様の副官で、ヴァル様は大天使長に就任されています。現在は大天使長がお二人就任され、太陽系霊団と力を合わせ、地球人類の守護をされています。)……
 現在、ヨガや経絡としてかろうじて伝承されている高度な知識は、当時の宇宙飛行士のために組まれた健康法の一部なのであった。


7.抜粋:仮名文字の発生は紀元前七世紀ではない

 これらの日本の古代文字は、今から二千年以上も前にすでに日本以外の土地では使われなくなった古代オリエント文字とよく似ていることを知った。
 さらに、それらの古代文字の中には、のちの時代に仮名を生み出すもとになったと考えられる表音文字がすでにあり、しかもそれらが古代エジプトの象形文字や古代イスラエルのアルファベット(ヘブライ文字)と多くの共通点を持っている。
 これまで日本人の多くは、漢字の伝来以前に日本に文字はなく、日本固有の文字である平仮名や片仮名は、中国が生み出した漢字を借りて八~九世紀につくりあげられたと考えてきた。しかし、実際に調べてみると、日本には、これらの仮名が成立する遙か以前から、これらの仮名によく似た文字を、仮名と同じように音をあらわす符合として使う伝統があった。下記は、『大和民族はユダヤ人だった』より。
 
 日本古来の“ひふみ歌”をヘブライ語で解いたヨセフ・アイデルバーグは、この数え歌が太陽神アマテラスの復活を願う美しいヘブライ語の祈祷文に由来することを明らかにしている。
 日本の仮名は、吉備真備が漢字の一部をとって片仮名をつくり、弘法大師が漢字の草書体をさらに崩して平仮名をつくつたと考えられているが、これでは仮名が成立する十二世紀前、あるいは王仁による漢字の将来より九世紀以上も前に、すでに仮名に近い文字が日本にあったことをうまく説明できない(註:仮名の成立を八〇〇年前後、漢字の伝来を四〇〇年前後とみれば、著者は日本の古代文字がすでに紀元前四〇〇年か五〇〇年ころにはあったと考えていたことがわかる。縄文時代の日本に文字があったと著者は主張している。)
 日本に伝たる象形神文字がエジプトの象形文字やモアブ石のヘブライ文字ときわめて近い関係にあることは、この文字を日本へもたらしたのが神武天皇(ホホデミ)に率いられたイスラエルであることを物語ってはいないだろうか(註:上記の記録用文字として知られるヨクニ文字は、象形文字をカタカナと呼んでいる。この文字には古体と新体はエジプトの象形文字、新体はヘブライ文字とよく似ている。奈良時代の片促名の半数近くがトヨクニ新体文字と一致することは、日本の片仮名成立の背景に、漢字だけではなくトヨクニ文字やヘブライ文字の影響があったことを示している。)

                        以上 2013/04/12 北



 初めて、皇室が旧約聖書の正当な末裔で有り、神代文字と日本語がノアの大洪水以前の世界での世界共通語であったと云うことは、にわかには信じられないと思います。
 そこで以下には、[神代文字の真実と二度の出エジプト]の推論と考察を裏付けるための資料集です。下記、[太古日本の王は世界を治めた]他の資料を抜粋しています。

◆ロスチャイルドが狙う古代の至宝
東京にあるソフトメーカがアヒル草文字のソフト二千本を作ったというのだが、すべてロスチャイルド家他の欧州に輸出された。それは、UFO、有翼円盤、テラピム、ヴィマナ、天鳥船、天磐船を、求めてのことだったようだ。
◆イスラエルの至宝
モーセの三種の神器
聖櫃/モーセの杖/火の蛇/十戒を刻んだ石版。
ソロモンの至宝
賢者の石。
日本の三種の神器
勾玉/鏡/剣。ソロモンの至宝=賢者の石。
山幸彦の宝
山幸彦が海神の娘・豊玉姫と結婚し、海神から「潮満つ玉」「潮干る玉」を貰い受ける。考えてみると、この二つの玉を使えば、海を割ったモーセの奇跡を引き起こすことができるのだ。
 

8.神代文字データ集

伊勢神宮・神宮文庫に奉納された神代文字
 これまでに確認された神代文字の奉納文は99点あり、藤原鎌足、和気清麻呂、後醍醐天皇、他にも記紀編纂に携わった稗田阿礼、太安万侶、舎人親王なども名を連ねている。アヒルクサ文字(薩人書):57点、アヒル文字(肥人書):16点、アワ文字:6点、タネコ文字:6点、絵文字:5点、イズモ文字:2点、その他:7点。時代としては、奈良から江戸に掛けて。
  ①.天照大神、藤原不平
  ②.日継尊 源頼朝
  ③.アメノウズメ命 藤原忠文
  ④.天のコヤネ命
 
 
  
 日本の縄文遺跡から、甲骨文字とみられる異物が次々に発見されている。だから、アヒルクサ文字も少なくとも、殷の時代まで遡るのは、当然だ。

  
 江戸時代の国文学者・平田篤胤の[神字日文伝]にあるトヨクニ文字が、一番古いと考えている。また、イズモ文字とインドのブラーフミー文字は兄弟である。
 
 日本語に似たタルク語を話す“使主の都”からの渡来人
 インドの学者は、ダウリのアショーカ王碑文に記されたトーサリーがシシュパールの地にあったと考えているが、もしもそうだとすれば、トーサリーは『新撰姓氏録』の「大和国諸蕃」の項に日置造の同族として記されている高麗国人、鳥井宿禰の〝鳥井〟と対応している。[謎の新選姓氏録]から抜粋。
 トーサリーTosaliがトリイ(鳥井)だといえば乱暴な話だと思われるかもしれないが、インドのアショーカ王Asokaが中国や日本でアイク、阿育王と記されていることに比べれば、別にオカシイことではない。インドの人名や地名が漢字で表わされるときには、rだけでなく、Sの音が省略される傾向がある。
 しかも、この鳥井宿禰と同じ日置造の同族、栄井宿禰は、「伊利須の使主の男、麻て位の後」だと書かれている。麻テ位とは何かそのマテヰ(麻テ位)のヰをYa、Yi、Yu、Ye、YoのYiとみなせば、マテヰは何と、オリッサ州の西どなりにあるデカン高原の大州、マディヤ・プラデシユのマディヤMadhyaを意味する。彼はどうやらマディヤの地を支配する長だったらしい。⇒[『姓氏録』とデカン高原]参照
 これは、マディヤ州の州都ボーパールの北東にあって、シャカの仏塔の地として有名なサーンチーとともにかつて栄えたサガアルSagaarの、そのrが脱落したサガアSagaaがサカイ(栄井)になっていることをみれば、大いにありうることだ。
 『新撰姓氏録』の記事でわれわれが無視できないのは、右にみた八坂造や日置造、大狛連、鳥井宿禰、螢井宿禰のいずれもが〝オリッサのシシュ″(伊利須使主)の子孫とされていることである。使主はふつう、なぜかオミと読まれているが、これを文字どおり読めば、シンュである。シシュといえば、〝シシュパール〟の〝シシュ”になるではないか。パールは、古代のインドや朝鮮、日本でプル、プラ、弗流、布留、原などとよばれた“邑”や“町”、“都”を表わす言葉だから、シシュバールは“使主の都”だったといえる。
 しかも、伊利須使主がいたオリッサのシシュパールはインド史上のカリンガの都として知られている。そのカリンガKalingaが訛ったコリングKolingのアナグラム、コルグニKolgniに高(kO)、麗(l)、国(guni)の漢字をあてはめたものが高麗国になるのは、明らかに日本や朝鮮、中国にいた高麗人のふるさとがインドのカリンガにあったことを示している。現に、オリッサで今も使われているタルク語(ドラヴィダ語のひとつ)は日本語とそっくりである。
 タルク語をふくむドラヴィダ語がどれほど日本語によく似ているかは、左に掲げた名詞や動詞のサンプルを見ていただけば、一目瞭然だと思う。ドラヴィダ語と日本語はひとつひとつの言葉がよく似ているだけでなく、語順も同じだ。タルク語には日本語の疑問助詞〝か″と同じkaを疑問文の最後につける用法もあれば、受身の助動詞〝る″〝らる″に対応する語尾もある。発音のしかたも、日本語と同じ子音+母音の組み合わせが基本になっている
 オリッサの北東にあるアッサム州のkuクルク族は、つい最近まで、日本の〝サク″とよばれた入れ墨と同じ習慣を〝サック″という言葉とともに保存していたし、オリッサの祭りは日本の祭りと同じだ。ブバネシュワルに行かれた方なら、この地方の祭りで〝ラタ″とよばれている神輿(神の乗り物)が、日本各地の祇園祭りでみられる“山車”とそっくりだということをごぞんじのはずだ。タイにもオリッサや日本の祭りと同じ神輿祭りがある。
 このようなことを考えてみると、インドのクル族がオリッサからアッサムを経てタイのチェンマイに、中国の呉に(江西省清江県県城のあたりに)、朝鮮の弗流に(朝鮮と中国の国境地帯を流れる鴨緑江の流域に)、そして日本の淀川や木津川、大和川の流域にやってきたことはまちがいないのである。

※世界中の氏族が日本を目指した!
 例えば秦一族(ユダとレビ、エフライム)がローマ付近を出発し、陸のシルクロード経由で日本へ、同時にインドから海のシルクロードで日本へ移住した証拠だ。おそらく、流浪のユダヤ人だけではなく、世界中に散在しているイスラエルの十二氏族が迫害を受け始めたので、神々の導きを受け、至る所から日本に向けて移住してきたことの証明だ。


神代文字は本物
 神宮皇学館の元学長・山田孝雄博士〈故人〉は、様々な研究者がこの問題に立ち入る。とを封じるために、早速、1953年の『芸林』誌上で「いわゆる神代文字の論」を発表した。彼はまず、これらの奉納文を調査した結果、「その紙質、墨色を見るに明治の初年頃を下るものであろうが、それを上ることのないのは明らかである」として、それらは書写年代が新しいから偽作物だと断定している。(※大東亜戦争敗戦後、ロスチャイルドからモーセの三種の神器を返せとの依頼があった。他にも日本をイスラエルの末裔だと信じる欧米諸国の要求から、皇室と日本の歴史を守るために、神代文字は存在せずと主張したのです。)
 彼の論法に従え愕江戸時代の初めに名古屋の其福寺で見つかった言事記の写本も、奈良時代の原本そのものではないからニセモノだということになる。奉納文の紙質や墨色がたとえ明治初年のものだとしても、そこに書かれた内容が原本と同じであれば、千古不易の価値をもつ。だから、日本の古代文字は「見つかっていない」のではなく、「見つけようとしない」から、これまで存在しないことになっていたのだ。
 本著者は世界各地の遺跡や異物の未解読文字を、神代文字で解読できることを発見している。

神代文字は古代オリエントと似ている
 対馬の阿比留家(アヒル家)に伝わるアヒルクサ文字をさす。同文字は出雲大社や三輪神社、鹿島神社、伊夜比古神社などの由緒ある神社の神璽に用いられているほか、長野県美女森神社の神宝や筑波のヤタ鏡、紀州熊野神社の宝剣などに刻まれている。アヒルクサ文字はニギハヤヒを祖神とする物部一族の文字と考えられ、フィリピンやマレー、アラビアの古宇と同系であることが北里博士によって論証されている。中国の岐山文字とも関係が深い。
 古代アッシリヤの都ニネヴュやバビロンで使われた楔形文字と同じものである。私はこの楔形文字のいくつかが長州(山口)や薩摩(鹿児島)の古い神社の石に刻まれているのを発見した。同書にはその読み方が片仮名で記されている(註:この楔形文字は、竹内古文書に六種ほど載せられている。その中でキネクサビ文字と称されたものは、前七世紀ころまで今のトルコのヴアン湖周辺に住んでいたフルリ・ミタンニ系のウラルトウ人の文字や、アッシュルバニパルのエジプト遠征を記すアッシリヤ語碑文の文字とよく似ている。本書にしばしば登場する十七世紀の日本研究者E・ケンペルは、日本の漢字カナまじり文と同じ構造をもつシュメール語の碑文にいち早く注目し、初めて楔形文字という言葉を使った。このケンペルの影響で、著者もまた日本の古代文字に大きな関心をもつたとみられる)。日本とオリエントの古代文字が予想以上に大きな共通点を発見した。

 ところで、漢字は絵文字に属する象形文字の一種であるから、エラム文字、エジプト文字、インダス文字の系譜に属し、これらの文字の担い手はエラム・ドラヴィタ語族と云うことになる。下図では、インダス文字と古代中国文字(甲骨文字より古い)が酷似していることを示している。
 ドラビタ族はシュメールからインド方面に居住したが、モヘンジョダロなどが滅び、仏教が起こる頃には少数民族となっていたが、神武天皇などはこの地でドラビタ族と交わり、海のシルクロード経由で日本に渡来した。だから日本語はドラビタ語とそっくりなんです。ドラビタ語の語源が古代シュメルだからこそ、日本語とシュメル語の構造もとても似ている。
 つまり、中国人は漢字を作ったのでは無く、漢字を教えられたのです。旧約の民・新約の民が陸のシルクロードを経由して渡来するときにも、聖書の内容を漢字(船…ノアの箱船のこと)として残している。加えて、明治期の日本は欧米文明を日本語化し、欧米思想を漢字化している。
 

愛知県・樹ノ本古墳の獣帯鏡

 従来の下図解読(左:旧来の解読、右:古代文字)では、意味が不明だ。神代文字で解読すると、ニニギヲタタエマツレ。
  

東京国立博物館:「単圏銘帯鏡」と名づけられた前漢時代の古鏡

 従来の下図解読(左:旧来の解読、右:古代文字)では、意味が不明だ。神代文字で解読すると、ヒツキヲアタヘム。
  


サーンチー文字が神代文字で読めた

 印度美術を代表するサーンチーの仏塔の一部に、インダス文字とかなりよく似た文字が刻まれているのを発見した。しかもその文字は、日本の片仮名にもいくらか似ていた。片仮名は平安初期に漢字の一部から派生したものといわれているが、日本に古くから伝わるトヨタニ文字にもその原型がみられる。
 さて、サーンチーの仏塔で発見したこの文字は、どうやらその下に彫られている動物の名を表わしているらしい。この動物は額に角をはやした馬のような動物で、どことなくギリシア神話に登場するユニコーンという一角獣に似ている。いや、もしかしたらユニコーンそのものではないかと思われた。
  


『姓氏録』とデカン高原

 そして、『姓氏録』は神別(神から分かれた家系)・皇別(天皇家から分かれた家系)・諸事(渡来人の家系)に類別した千百八十二氏を扱っているが、追い進めていくとどうやら、すべてがインドのデカン高原に関連してくる。
  
  
  
  ソロモンの時代、ソロモンのタルシン船はフェニキア人他の海族に操られて、
  海のシルクロードを経由して、日本にも交易を求めて渡来していた。その国々
  に金属精錬の工場を建て、本国から人材を派遣し、盛んに交易を行っていた。
  つまり、当時から、彼らは日本への海路と位置を熟知していたのです。ちなみ
  に、前2300年頃からアラビアなどの海族がすでにこの海のシルクロードを航海
  していたそうです。
  そうです、出雲王国と吉備王国はイスラエル王国からの出島だった可能性が大
  なのです。
  だから、北イスラエル滅亡時に、10部族が神の法を行える土地を求めて、インド
  経由で日本に渡来しても不思議ではない。加えて、南ユダ王国滅亡時に、ユダ
  族が日本に渡来しても当然なのです。

◆白山信仰:菊理姫(ククリヒメ)
全国に2717社を数える毛族の白山社の祭神は、加賀国の菊理姫である。彼女は、伊弉諾と伊弉冉の別離の時に現れ、この夫婦を結びつけたと云うので、ククリ姫と呼ばれる和合の神である。



 そこで以下には、[神代文字の真実と二度の出エジプト]の推論と考察を裏付けるための資料集です。下記、[天皇家とイスラエル十支族の真実]他の資料を抜粋しています。

古代日本の三代民族
 日本人に最も近い血液分布を示すのは、A型40%、O型30%、B型20%の比率を持ったパレスチナの人々であるという。
・アイヌ民族(毛人) 北方ユーラシアの民族…ヤペテ族。
・ヘブライ民族    前660年頃から数次、ユダ・レビ族、エフライム族が
           日本に渡来。セム族。
・小人族       南方オーストロネシア系。ハム族。
・縄文人       ノアの大洪水直後からの住民。サンカ族。
   

ノアの呪いと祝福の預言が日本で成就している
 日本の天皇は、源頼朝によって政治の実権を奪われた(日本式政教分離)。しかし、家康が徳川幕府を始めるまでは、ユダヤ民族の諸侯(皇室、公家、皇室に繋がる武家=セム族)が全て拘束されることはなかった。尚、武士はアイヌとの混血で、ヤペテの血統である。
 ■家康の出自
家康の母、“オタイの方”はアイヌ語で“黄金の所有者”を意味する。つまり、武家は黄金を持つアイヌを妻として迎えた。
 創世記9章に、ノアがその子等、セム・ハム・ヤペテに与えた預言がある。ノアが大洪水後の最初のワインの収穫を祝い、裸で酔いつぶれてしまう。父の裸を見たカナンを、ノアは呪うのである。尚、セムは父の裸を見ることはなかった。(⇒[ノアの呪いとセム族][カナンの呪い]参照)
  • カナンは呪われよ。
  • 彼はしもべとなって、その兄たちに仕える。……
  • セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。
  • 神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。
  • カナンはそのしもべとなれ。

アイヌはヤペテの子孫である
 もともとは、縄文人が越を経由して、黄河流域に青銅文明の殷をもたらした。その頃、セム族のエフライム一族が殷帝国を経由し、殷帝国に居たヤペテを引き連れて、出雲に渡来した。このヤペテがアイヌである。
 アイヌの酋長はイスラエルの神官が身につけるエフォドに似た服を着ている。それ以外にも、アイヌが白人と同じ習慣を持つ代表例としては、ハンモックを挙げることができる(アイヌ語のハンモックは、「木の葉の下」という意味で、ヨーロッパのハンモックhammockの語源をなしている)。
 彼らは四角い丈夫な布の両端に棒をとりつけて長い綱で天井から下げ、この中に赤ん坊を寝かせる。ハンモックが必要に応じて上げ下げできるようになつているのは、昔のヨーロッパと同じである。彼らは白人と同じように木で皿やお椀をつくり、食事に使う。
 またアイヌの死者の埋葬法もヨーロッパと同じである。遺体は黒と自の布に包まれて棺の中に横たえられ、土の中に埋められる。墓には、ヨーロッパの通常の墓地と同じように、木片が立てられる。そして親族は三十日間の喪に服し、髪の毛は一部しか切らない。しかも男は二年、女は三年間やもめでいなければならない。
 私の見るところ、アイヌ社会に犯罪といえるものはほとんどなく、彼らは正直で屈託のない民族という印象を受けた。北海道にいる人々は、どちらかと言えば本州に住む文明化したアイヌより毛深い。
 アイヌの言い伝えによれば、アイヌはかつて義経に征服されたとき、多くのものを奪われたという。その中には金・銀でできた道具類や古い時代の記録がふくまれていたといわれる。私には昔のアイヌが文字をもっていたとは信じられないが、いずれにせよ現在のアイヌにその文字は伝わつていない(註:坪井正五郎博士が東京人類学会ま二八号に寄せた論文によれば、北海道異体文字と名づけられた古い文字が北海道の各地で見つかっている。これをただちにアイヌ文字とみなすわけにはいかないが、中には今から二千年以前のものと考えられる六角柱の石片に刻み込まれた文字も有り、今後の研究が期待されている。北海道遺体文字がインダス文字やイースター島文字と共通の要素をもっていることは注目される。

龍神とワニ
 ワニは龍神の使いで有り、移動手段のこと。温暖だった縄文時代には、日本にワニが多数いたことが遺物から分かっている。龍神は、元をただせば、ニヌルタのシンボルで、これをエジプトの太陽神であるマルドウク=アメン・ラーが引き継いだ。マルドウクは第三代のヤハウエであり、龍or蛇と太陽がヤハウエの民の象徴として使われたのだろう。
 旧約の大予言者・ダニエルは、ネブカドネザルから“龍神”と呼ばれ、その子・ナボニドスは“竜王”と称していた。このナボはサタンダビデを示している。
 尚、サタン系の悪霊もまた、龍や蛇をシンボルとして使うので、全ての龍や蛇が天の使いというわけではない。


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