第10-21.仏教と天使についての小検討



 インド古来の神々が仏教に取り込まれたように、トマスの行伝によりキリスト教の神々が仏教に取り込まれてしまった。これら仏教の神々と日本に渡来した七福神との関連を調査しましたが、知識が不足しており、明確な結論には至りませんでした。
 まとめると、アブラハムから始まるセム族の末裔を、天王ヤハウエ=エル・ランティ様と元七大天使の方々が守護されてきたという非常に簡明な事実が、サタン・ダビデの奸智に長けた関与により、偽の神々が出現して真実の神々がどなたなのかということが分からなくなってしまったということです。
 尚、先生から伺ったところでは、ヤハウエ=エル・ランティ様が大日如来、ミカエル様が大黒天だそうです。ここを起点に考察しました。


 [旧約聖書外典 下 エノク書 P236]には「四人の大天使」、「エチオピア語エノク書 20章、40章」に「六人の大天使」の方々の紹介があります。

 ミカエル :諸霊の主を永遠に祝福した。慈悲深く忍耐強いもの。
    人類の中で最も優秀な部分、すなわち神の民をゆだねられている。

 ラファエル:「選びの者」と、諸霊の主によりたのむ選民とを祝福するので
    あった。
    人間の子らの病や傷を癒す役目を持つ。
    人間の霊魂を見守る。

 ガブリエル:地上に住む者のために祈り、とりなし、諸霊の主の名によって
    嘆願していた。
    権力を治めるために立てられた。
    蛇とエデンの園とケルビムを見守る。

 ファヌエル:サタンどもを追い払い、彼らが地上に住む者を告発するために諸
    霊の主の前に来るのをとどめていた。
    悔い改めをつかさどり、永遠の生命をうけつぐ人びとに希望を与える者。

 ウリエル :世界とタルタロスを見守る。

 ラグエル :世界と光に復讐する。

 サラカエル:霊魂を罪にいざなう人の子らの霊魂を見守る。


 このうち「四人の大天使」の方々は、帝釈天に仕えて、四方を守る神を四天王だと推測します。であれば、バラモン教の神で、破壊と創造の神であるシバァ神の子である帝釈天は、エル・ランティ様だと推測されます。つまり、仏陀様に現れ悟りを与えた神でもある(尚、四天王の由来はバビロニアです)。


 下記の毘沙門天の所の説明にありますが、毘沙門天=多聞天で、毘沙門天は悪霊を退散させるので、ファヌエル様です。また、[フリー百科事典『ウィキペディア』]の抜粋から検討すると、あくまで推測ですが、持国天はミカエル様で、後のお二方については穴埋め式に、広目天はラファエル様、増長天はガブリエル様ではないでしょうか。


 持国天:東方を守る。
   古代インド神話に登場する雷神インドラの配下のダータラシュトラ神。
   ダータラシュトラとは「国を支える者」という意味。
   長剣を構えて邪鬼を踏みつける姿が一般的である。

 広目天:西方を守る。
   古代インド神話に登場するヴィルパクシャ神。
   ヴィルパクシャとは「千里眼を持つ者」という意味であり、ここから
   広目天の和名が生まれた。
   この世の真実を書き留めるために巻き物と筆を持ち、邪鬼を踏みつけ
   た姿で表現されるのが一般的である。

 多聞天:北方を守る
   多聞はその訳「すべてを一切聞きもらさぬ知恵者」の意である。
   七福神では「毘沙門天」と呼ぶ。

 増長天:南方を守る。
   古代インド神話に登場する鬼神(ヴィルーダッカ)。
   ヴィルーダッカとは「大きく育つ」という意味であり、増長天の和名は
   ここから来ている。
   憤怒の相を表しており、一般的に長槍(矛)を持って邪鬼を踏みつける
   姿が一般的である。


 そこで、船に乗り海外から渡来した七福神他の神々と、四大天使の方々の特徴を比較するために、[日本の神々と仏]から概要を抜粋しながら、「四人の大天使」との対応を検討しました。
 大黒天は、実は最澄が延暦寺に祀ったものです。大黒柱が家の中心を意味することから、四大天使の中心、つまり次の司令官ですから、当時大天使長のミカエル様でしょう。


 大黒天=大物主神=大国主命[日本の神々と仏 P62]
   有徳、財宝、闘戦の神様で、二俵の米俵に立ち糧食を司る神様。

 金比羅
   琴平、金比羅、金刀比羅などがあり、本家は香川の金刀比羅宮である。
   主神は、大物主神。
   金比羅は、サンスクリット語の「クンビーラ」からきた言葉である。
   クンビーラはガンジス川に住むワニの神の名前である。
   ワニは水辺にいることから、竜神、海神という水に縁のある神となり、
   航海の神となった。

 恵比寿は、大国主命の御子=ミカエル様の後継者であればガブリエル様です。
   大きな鯛を抱え、釣り竿を肩にかけている。
   清廉、漁業、商売繁盛、交易の神様と言われる。

 毘沙門天=多聞天で、悪霊を退散させ財宝をさずけるといいます。
   ファヌエル様だと思います。

 弁財天は唯一の女性で、サリエル様だと思います。
   弁天様古代インドの神で、インドの大河の女神だった。
   その後、仏教に取り入れられ、吉祥天と混同される。
   その後、人に才能や在を授ける弁財天となる。

 福禄寿は、どの大天使なのか見当が付きません。
   中国の神様で、人々というより中国道教の理想である幸福、俸禄の意味を持
   ち南極老人星の化現として現れた神とされています。大望、長命を与える。

 寿老人は、治療の神で、ラファエル様だと思います。
   寿老神とも書きます。長寿の神様で老子の化身の神とも言われています。

 布袋和尚は、どの大天使なのか見当が付きません。
   中国五代聖人の一人である弥靭菩薩の化身ともいわれ、堪忍と和合を教えて
   くれる神様です。同像は広く親しまれ尊敬されています。


 また、薬師如来は、正式名を「薬師瑠璃光如来」といい、治癒の神様で、多くの奇跡を行われたイエス様です。また、観音菩薩は、母マリヤ様です。
 薬師如来は、左に日光菩薩、右に月光菩薩を配し、薬師三尊といわれています。三位一体で、父と子と聖霊を表しているので、明らかに原始仏教ではなく、メシア・キリスト教を同化させてしまった密教なのです。

 関連して、十一面観音菩薩はインドで誕生した。玄奘の十一面観音に関する経のひとつに、十一面観音像は、「前面の三面は慈悲相、左辺の三面は悪い衆生を見て怒りをもって仏道に入らせる、右辺の三面は清らかな行いの者を見て仏道を勧める、後方の一面は悪を改め仏道に導く、頂上に仏面(究極の理想としての悟り)を作る。」とされている。おそらく、仏面はエル・ランティ様、後方の一面はミカエル様、前面の三面はイエス様,モーセ様、仏陀様だと思います。残りの6名は、大天使の方々でしょう。
 聖数11に関連して、弘法大師ゆかりの四国霊場88(11×8)箇所、他に西国33(11×3)箇所観音、板東33箇所観音、秩父34箇所観音の霊場巡りがあります。
 更に、定林寺は御本尊を十二面観音とし、聖観音、大日如来、薬師如来など十二体が祭られている。おそらく、11面に救世主の一名を加えた12名を意味し、聖なる12人のアヌンナキ評議会と同等だということを表しているのだと思います。




 閻魔大王と地蔵菩薩は同一神で、地獄で苦しめる神と地獄から救う神です。そして、地蔵菩薩は、仏陀様入滅後から、弥勒菩薩の誕生までの間、人々を救済する。つまり最終的には、閻魔大王と弥勒菩薩の組み合わせが、人々を救済することを意味しています。地蔵菩薩は慈母神なので、ニンフルサグもしくは、マリヤ様。もし、マリヤ様であれば、弥勒菩薩はイエス様です。つまり、悪魔(サタン、閻魔大王)と至高神(再臨のイエス、弥勒菩薩)の両方を演出した、サタン・ダビデの謀略だということが分かります。

 関連して、大日如来を本尊とする真言宗の密蔵院ではなく、石仏のある横浜の密蔵院は、布袋和尚(弥勒の化身)の寺なのですが、不思議なことに、不動明王を本尊としている。重要なことは、人間が冥土で10人の王に裁かれる「十王思想」に基づいて、閻魔大王と十王像の11名が安置されている事です。つまり、聖なる11名の神々に対応する、地獄の黒天使達です。


 閻魔大王
 サンスクリット語の「ヤマ」から来ている。古代インドでは「ヤマ」は最初の死者とされた。当時は単なる死者であったが、中国に伝わり仏教に取り込まれてから、人を裁く恐ろしい地獄の大王へと変わっていた。
 経典には、地蔵菩薩の化身となっている。地獄で苦しめる閻魔大王と、地獄の苦しみから救う地蔵菩薩が同一人物。
 
 ■ウリエルはギルガメッシュ王か!
 インドの梵語、ヒンディ語、バーリ語においても、ギルガメッシュ王の暗喩は「獅子と獅子」であった。この「獅子と獅子」が転じて、ヤマからエンマとなった。この閻魔王はインド最古の神で、死者・死神の統治者とされている。
 一方で、閻魔大王は冥府の王であり、罪ある者を裁く。嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれるといった説話は、大天使ウリエルの仏教版です。従って、黄泉を支配しようとしたサタン・ナブーは、大天使ウリエルを抹殺し、すり替わることを企んでいた。天上界最高次元の神々は古代シュメルの王族だと千乃先生を通じてメッセージされているので、ギルガメッシュ王が即ち、大天使ウリエル様だということです。また、大天使ウリエルは七福神では、布袋(弥勒の化身)に対応している。(⇒[世界最古の文字と日本の神々]参照)
 
 ■大天使ガブリエルはエジプトの大地の神ゲプか!
 ゲプ神は、大気の神シューと湿気の神テフヌトの息子。妹でもある妻、天空の神ヌートとの間に、オシリス、イシス、セト、ネフティスをもうける。妻のヌートと抱き合っている所を無理矢理シューによって引き離され、天と地とが分かれたとされる。 エジプト語の「日の出の日神」は、グプ・ラー → ガブ・ラー → ガブ・リー と転じる。末尾に天使を意味するエルを付ければ、ガブリ・エルその人となる。(⇒[世界最古の文字と日本の神々]参照)
 
 ■[天の奇蹟 下]ガブリエル様による「問五解答」
 ダニエルはBC2360年頃のラガッシュ王・ウルカギナで、ウガリット文書に“神は裁く”ダニ・エルとして描かれ、聖書に取り上げられた『ダニエル書』としても歴史に残されています。
 ダニエル大天使は、エッセネ派教徒に「義の教師」の範として崇められ、大司祭オニアス三世が天上界に上がり、天使の一人となられた後、大天使に昇格されたのです。※つまり、オニアス三世は、ラグエル様もしくは、パヌエル様でしょう!?

 

 地蔵菩薩
   古代インドバラモン教の神々の一人であった。
   地蔵の仲間には、日蔵、月蔵、天蔵がいた。
   大地は母性の象徴である。つまり地蔵は、母なる大地の慈愛に満ち、
   人々の苦しみを救うと信じられていた。
   仏教に取り込まれ、釈迦入滅から、弥勒菩薩出生までの無仏の期間、
   その世界に住んで人々を救済する菩薩とした。
   地蔵菩薩の教えでは、私達は死後に冥土で閻魔さまに裁かれ、地獄の責め
   苦を受けたあと、地蔵の慈悲で救われるという


 以上の検討結果について、七福神を表の形式でまとめました(敬称略)が、文献などの明確な証拠を発見したわけではなく、あくまでも推測によるもので、今後更に調査検討が必要です。

 七福神  元七大天使  四天王  四大天使の特徴
 大黒天  ミカエル  持国天  慈悲深く忍耐強い
 恵比寿  ガブリエル(大地の神ゲプ)  増長天  権力を治める
 毘沙門天  ファヌエル  多聞天  サタンを退ける
 弁財天  サリエル    
 福禄寿  ラグエル    
 寿老人  ラファエル  広目天  病や傷を癒す
 布袋(弥勒の化身)  ウリエル(ギルガメッシュ王)    



◆蛇足

 「八戸ふるさと検定 」の本によりますと、えんぶりの歴史は、いつ頃から始まったのかは、定かではないとされています。由来は、伝説も含めて諸説あるそうですが、代表的なのが、800年前、甲斐の国からやってきた南部光行の家来達によって始められたという説です。
 頼朝から奥州糠部郡を拝領した南部光行が下向して、奥州で迎える初めての正月に、酒の勢いで抜刀乱舞となった家来たちの騒ぎを、機転を利かせた農民、藤九郎が賑やかに田植え唄をうたい、農具を手にしておどり、その場を収めました。踊り終えた藤九郎が祝福の口上を述べたところ、それが吉例となって行われるようになったというものです。
 「えぶり」は、水田の土を平にならすためのT字型の農具なのだそうです。それを使い稲の豊作を祈願する神事芸能であることは、確かだと思われるとのこと。他方、「えぶり」の言葉は、動詞の「いぶり=動り」「ゆすぶり」と同じで、「えんぶり摺り」は、大地の中に眠っている霊をゆすぶり起こし、土の中に豊作をもたらす霊力を祝い込める宗教的な行為ともされるとのことだそうです。
 イネの、豊作を祈る強い気持ちが、田植えなどの農耕行事を唄や独特のしぐさで演じる、「田遊び」となり、全国に様々な形で残されているそうですが、東北地方ではこれが「田植踊り」となり、八戸地方で発達したのが、「えんぶり」だそうです。
 それで、えんぶりの、文書としての初の記録は、1715(正徳5)年の八戸藩の藩日記に、正月15日に「田植」が参上したとの記録があり、また、1794(寛政6)年、下北半島にやって来た、江戸の民俗学者の紀行文には、下北の「田名部のえんぶり」として図入りの記録が残され、えんぶりは田植唄、田植え踊りとも表現されているそうです。
 これらのことから、2月は、旧暦でのお正月の期間で、そこから、春を待ちわびる気持ちや、新しい年を祝いながら、また今年の田植えの時期に土地神様と一緒に豊作を願う、縁起ものとしての意味合いがあるんじゃないかと……思いました。

 石川県には、「動橋(イブリバシ)」という地名があります。
 「動」を「イブリ」と発音するのは、地元に育たないと誰も読めない。それに「ガブリ」に近いので、以前から何らかの関連があるのではないかと思ってました。
 エジプトに大地の神「ゲプ・ラー」がいます。ゲプは大地、ラーは神の意味です。グプ・ラー → ガブ・ラー → ガブ・リー と転じます。末尾に天使を意味するエルを付ければ、ガブリ・エルその人となります。
 また、ガブリエル様は、[旧約聖書外典 下 エノク書 P236]によれば、「地上に住む者のために祈り、とりなし、諸霊の主の名によって嘆願していた。」と、あります。
 つまり、ガブリが、イブリ転じたとすれば、出エジプト時代なら、大地の神であり、地上に住む人々にとっては神への取りなしの神ですから、天と地の惠をもたらす神とも言えるでしょう。だとすれば、地の恵みの「豊作」「祝」と関連しています。
 それから、モーセは、出エジプトの月を、強制的に「正月」としています。日本では正月には門松と餅(種なしパン)ですが、これはモーセの民が出エジプトを祝った行事なんです。
 エンブリ=エン・ブリ=主・大地と云う意味で、この祭りの最後に子供達も引き連れて去って行くのは、出エジプトをイメージしてしまいました。この行事が、日本に渡来し、稲作と習合したのではないかと思われます。
 つまり、出エジプト時代に、モーセの民が祀っていた神々は、旧約聖書にあるようなヤハウエでは無いと云うことです。それは「モーセと一神教」にも書かれているし、旧約聖書は時代時代に応じて書き足されていて、ヤハウエは前900年頃に書き足されていることからも、明らかです(⇒[サタンはモーセ五書の編纂を主導した]参照)。だから、日本のこの地(越の国)に渡来した民は、ヤハウエ神を知らないモーセの民であり、もしかしたらエフライム族なのかもしれません。「アラハバキ」神と関連しているのかも知れません。
 他にも、御輿を担いで、川や海に入るのは、モーセの奇跡を意味しています。もしくは、神ヤハウエ(天照大~)が七福神を引き連れて、日本に渡来する様を表現したものでしょう。
 御輿を担いで、奉納するのは、ダビデ王の時代に、聖櫃(=御輿)をダビデ王の神殿に安置する意味です。


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