27-11.12面体宇宙論とメビウスの表と裏



 冬の日本海、天上からの木漏れ日を見た時、人それぞれ思いがよぎることだろう。ある人は、神の面前に迎えられたような荘厳な気分に浸る。ある人は、冬の厳しさに身震いするだろう。今回お話しする宇宙の物語もまた、人それぞれ受ける印象が異なることだろう。ある人は、珍説として退けたり、あるいは面白がられたりすることだろう。しかし、真実の一片を発見しているのかもしれないのだ。
 それでは、2006年3月号の月刊ムーに「宇宙は正十二面体だった!!」と題した興味深い論文の紹介から始めることにしよう。


1.12面体の宇宙

 本論文はパリ天文台の研究者によるもので、ネイチャーに掲載されている。概要としては、「宇宙の遠方まで観察すると、おおまかに宇宙はなめらかで、ビッグバン宇宙は間違いである。」,「宇宙はこれまで考えられていたよりずっと小さく、有限である。」,「このような宇宙を遠くから眺めることができたとしたら、・・・まさに十二面体である。」と述べられている。
 こんな常識の範疇外の宇宙論を、読者の方々は信じられるだろうか。
 ご存じのように正十二面体は、正五角形十二個からできている。12という数は、超古代から伝わる不思議な数なのである。例えば、一日は午前中が12時間で、午後が12時間の合計24時間。黄道は12星座に分けられている。太陽系惑星は、古代では12個(地球,月,水星,金星,太陽,火星,木星,土星,天王星,海王星,冥王星)だったのです。このように12は、宇宙に関連して神秘的な基本数なのです。
 更に、アヌンナキ(ニビル星人の王族)は黄道12星座や、太陽系の各惑星に神々を対応させていた。しかも聖なる12人でアヌンナキ評議会を構成していたのだ。また、60はアヌンナキの神々の最高ランクで、アヌに相当するのだ。なぜ60が最高ランクなのだろうか。いまでは、アンナキの神々にその理由を問いただすこともできない。ところが、正十二面体は5角形が12個で、合計60になるのだ。おそらく偶然ではないのだと思うのだが、如何だろうか。
 生命に関して、タンパク質は、4種類の塩基(AGCT)の3個の組み合わせからできている。つまり、タンパク質は、4×3で12という数と関連している。また、通常人体にあるチャクラは、経験的に7個だとされているが、詳しくは惑星に関連した12個あり、人間の脳を含む臓器が太陽系惑星と同様なシステムを構成しているとも伝えられているのだ。
 偶然なのか必然なのか、この4種類の3段階システムは、素粒子の世界にも当てはまる。究極の物質として、次の3世代が確認されている。第1世代がアップ・クオーク,ダウン・クオーク,電子,電子ニュートリノ、第2世代がチャーム・クオーク,ストレンジネス・クオーク,ミューオン,ミューオン・ニュートリノ、第3世代がトップ・クオーク,ボトム・クオーク,タウ,タウ・ニュートリノの合計12個なのである。
 そして、究極の物質を見ることと、宇宙の果てを見ることは、宇宙の時間発展を逆向きに追い、ビッグバンの起こった創世記の宇宙まで遡ることと同じなのだ。つまり、最小のミクロと最大のマクロの研究は同じものだと、「はじめての<超ひも理論>」の物理学者は述べている。この物理学者は、我々の宇宙はビッグバンとビッグクランチを過去に49回繰り返し、現宇宙はエントロピーの関係から、第50世代目だと計算している。世代を重ねるごとにエントロピーが増え、宇宙は大きくなっており、前世代の宇宙では地球が誕生するほど大きくなれずに収縮してしまった。更にビッグバンとビッグクランチは宇宙の双対性を表しているとも述べており、非常に興味深い。
 どうだろうか、12面体は、生命を含くむ極大から極小までの全宇宙のキーワードだということが、少しだけだが明らかになってきたと思うのだが、如何だろうか。


2.宇宙はメビウスの帯だ?!

 ここで更なる珍説を述べたいと思う。
 つまり、最小のミクロと最大のマクロは同じものだろうを更に発展させ、同じものだと仮定してみよう。この仮定を的外れだと思われることだろうが、ここで一つ考えて貰いたい。
 もしもビッグバンが宇宙の始まりだとして、一番最初の極小の特異点の内部は、現在でも誰にも分かっていない。今、我々は特異点の外部からこれを眺めるとして、ビッグバン後の様子は、こと特異点の内部を覗いているのと同じなのです。では、地球から宇宙最初の特異点を見ようとして、天文学者達は宇宙の最遠部を観測している。つまり、宇宙の遠くを見れば見るほど、観測される宇宙の姿は過去に遡るのだ。結局最大マクロを見ることは、最小ミクロを見ることと同じなのだ。不思議だが、これもまた事実ではなかろうか。
 さて、今のところクオークは単体で取り出せないのだから、最小ミクロではない。更に、電子は、中性子の陽子への崩壊時に放出されるのだから、部品ではあっても最小ミクロではない。ここでは宇宙の最小ミクロを、仮に中性子としよう。宇宙の最大部分、即ち最遠部と、宇宙の最小部分である中性子の内部が同じだと言うことだ。つまり、どんどんミクロに入り込むと、ついには宇宙の最遠部に到達する。また、どんどん宇宙の果てに進んでいくと、ついには中性子の中からびっくり箱のように飛び出すのだ。この構造は、三次元のクラインの壺であり、メビウスの帯なのだ。
 更に、中性子の内部にはクォーク3個が結合している。宇宙の最遠部は12面体なのだから、クォーク一個を正四面体ととらえられないだろうか。これは、宇宙を常識の範囲内でとらえ直そうとしている著者の単なる夢想なのだろうか。


3.地球は正12面体なのか!?

 地球や太陽系が、正多面体として捉えられることをご存じだろうか。すでにご存じの方もおられると思うが、簡単に紹介しよう。
 旧ソ連科学アカデミー発行の科学雑誌によれば、地球は元々対照的に調和のとれた結晶体として生まれた。この結晶体は十二面体で、十二個の正五角形の平板で構成されているという。
 巨石文明がよく栄えた、エジプト、インダス川流域、ペルー、イースター島、イギリス、鉱床地帯大断層や、台風やハリケーン、サイクロトロンの発生地が地球の結晶の目の線と良く一致すると言われている。また、大西洋のバミューダ海域、モロッコとアルジェリアの国境付近、アフガニスタン、小笠原諸島近海なども含まれているのだ。
 この旧ソ連の科学者の発想は、ケプラーの創案したピタゴラスの正多面体を使った太陽系模型と同様だと思われる。地球の軌道に外接する正十二面体を描くと、それを包む球は火星の軌道となる。次に火星の軌道に外接する正四面体を描くと、この四面体を包む球は木星の軌道となる。さらに木星の軌道に外接する正六面体を描くと、この正六面体を包む球は土星の軌道となる。また、地球の軌道を正十二面体の中に置くと、そのなかに内接する球は金星の軌道となる。金星の軌道に内接する正八面体を描くと、それは水星の軌道となる。
 つまり、地球だけではなく、太陽系全体までもが、正多面体の結晶として捉えられると言うことなのだ。だったら、クォーク一個を正四面体と見なす試みも、案外真実の一部を表しているのかもしれない。そして、将来我々が太陽系内の惑星を探検するとしよう。その時代には、惑星を結晶体と見なし、結晶の頂点や稜線を中心にして資源探査を行い、宇宙旅行さえこの要領で運行されるのかもしれない。


4.メビウスの帯の表と裏の世界ってどんな世界

 我々の世界は、ミクロから広がり、最大外縁部に到達する。そして、メビウスの帯の裏側を通過して、クオークの運動やエネルギーとしてこの物質界に戻って来るのだ。だから、このメビウスの帯の裏側の世界は、我々物質宇宙と重なり合っているのだ。
 メビウスの帯をご存じだと思うが、表に描かれた上下左右の4本の矢印を、一周して、その真裏まで移動すると、矢印の回転方向が逆向きになる。不思議な現象だが、事実なのだ。だから、メビウスの帯の裏側の世界は、我々の物質世界と重なり合っており、かつ少なくとも自転公転が逆向きなのだ。
 この興味深いメビウスの帯の裏側の世界は、もしかしたら鏡の王国のように奇想天外な世界なのかもしれない。そして、この世界の一部を覗く顕微鏡が、江崎玲於奈博士が発見されたトンネル効果なのだ。
 トンネル効果とは、ミクロの世界の量子力学に現れる特有の現象だ。このトンネル効果を説明する比喩として、猛スピードで富士山の麓に車で突っ込むが、この車は何度同じ事をやっても富士山の頂上を越えることは出来ない。それは、この車が富士山を越えるだけの運動エネルギーを作り出せないからだ。ところがミクロの世界では、電子が越える事の出来ない高い障壁があったとしても、トンネル効果が働けば、この障壁を乗り越えるのではなく、その内部を通過してしまうのだ。本当に不思議な現象だ。
 量子力学によれば、波動関数から求められる電子の運動量や位置は、当然のことだが実数となる。この実数は、我々の物質世界に存在している事を意味している。ところがだ、トンネル効果時の波動関数は特殊で、その時の運動量と位置を求めると、簡単な計算だが、計算が間違っていなければ、虚数解となる。信じられるだろうか。
 最初に二次方程式の解を習った時に、虚数が出てきた時の困惑を覚えておられるだろうか。虚数の世界は純粋に数学的な世界で、余りにも不思議なので、手に負えなくなってしまった。そして、虚数の世界は、物理世界には存在しないものだと思い込んできたのだ。
 このトンネル効果は、電子を物質として捉えた場合、決して納得できない。しかし、物質電子が障壁に触れた途端に、この障壁を振るわす波動に化身する。そして、障壁の向こう側まで伝搬し、そこで物質電子に再度戻ったと考えられないだろうか。一般に、物理世界では、虚数は円運動に伴う波動やその位相などを表現する。つまり、私たちの世界から虚数の世界は、重なり合っており、波動のように振る舞うのだと思われる。逆に、虚数の世界から見れば、我々の世界こそが波動の世界なのだ。この裏表の関係は、白に注目すれば、カップに見えるのだが、黒に注目すると二人が向き合っているように見える絵に例えることが出来る。だとすれば、量子力学で表現される虚数の世界は、物質世界の物理量を計算するための便宜上の道具ではなく、メビウスの帯の裏側の世界を表現しているのだと、私は推論するのだ。他にも、家電製品からコンピュータまで現代科学文明を支えている電子・電気理論では、量子力学同様に便宜上の物として、虚数世界をごく当たり前のように取り扱っているのだ。
 これまでの物語から、私たちが見ている物質宇宙と重なるメビウスの帯の裏側の世界は、物質が波動に、波動が物質に変換され、自転公転が逆向きの世界だと思われる。
 クオークから放射されるエネルギーは、核力となり、拡散して電磁力となり、宇宙の最遠部では中性化して重力へと化身する。そして宇宙の果てからメビウスの帯を通じて虚の世界に入る。この虚の世界では渦の方向が逆転してしまう。そして、クオークから再び、物理世界に入ると逆渦となりエネルギーとして放射される。このようなエネルギーの循環により、宇宙の活動が支えられているのではないだろうか。例えば、電磁誘導は右手系の法則だが、虚の世界では左手系の法則となる。そして、虚の世界の左手系の電磁波がクオークから放射される時に、我々の物質世界では核力として現れているのだと、推測するのだが、如何だろうか。


5.生命とメビウスの帯

 さて、これまでの考察から、我々の物質宇宙は、メビウスの帯の表に描かれた模様と、虚の世界の波動が重なり合った物だった。それでは、物質から進化した生命はどのようなものなのだろうか。まずは、白黒反転で異なって見える画像の要領で、生命を見直してみよう。
 植物は、地下に根を張り、幹が伸び枝葉が広がっている。このように植物を植物の外側から眺めると、上下に凸状であることが分かるだろう。一方、動物の肺を外側から見ると、肺胞の山々が凹に見える。ところが、肺の空洞の中から、肺胞を見ると、凸に見える。この事情は腸についても同じだ。つまり、動物と植物を幾何学的に見た場合、観察する視点を体内にするのか、外部にするのかの違いなのです。
 ところが脳を見ると、そのしわの凸凹は、外部から見ると植物同様凸に見えるのだが、何を意味しているのだろうか。植物の場合、太陽からの光を受けて、これを電気エネルギーに変換し、光合成を行っている。光合成で生成された養分は、蓄えられている。だから、脳は大気から光を含む何らかのエネルギーを受信し、脳活動のエネルギー源として利用しているのだろうと、推測できる。そして、人と対峙する会話の中では、脳は相手から脳波を受信し、そして相手に送信しながら、言葉や気持ちだけではなく、植物と同じように、お互いの間でエネルギーもまた循環させているのだ。
 切り花を大切にして、毎日長生きしてねと愛情を込めて話しかけてみる。そうすれば、愛情をかけない切り花よりも元気で長生きすることが、経験的に知られている。この事実を説明するのに、光線治療をご存じだろうか。カーボンの放電光を患部に当てて治療するもので、光の色により効果が異なっている。もし、人体内のエネルギー源であるAMPと共鳴する主は数の光を当て、ATPに化学変化させることができるのであれば、食物からではなく光線からエネルギーである生命力を得たことになるのだ。ご存じだろうか、ATPもGTPもUTPも、太古の生命にとっては、光エネルギーを蓄積する蓄電池だったことを。そして、これらの蓄電池がRNAや遺伝子をも構築しているのだ。つまり、遺伝子を構築しているAGCTは、各々が光の周波数に対応している。例えば、AGCTを、光の三原色などに対応させて、遺伝子を光でイメージすれば、荘厳な神殿のように見えるのかもしれない。
 おそらく、愛情のこもった脳波(もしくは念波)は、細胞内に吸収され、細胞内で電圧に変化し、エネルギーとして細胞に取り込まれるのではないかと推測する。だから、愛情のこもった念波が、植物に生命力を与え続けたのだ。念波こそが生命力の本質のようにも思われるのです。脳から放出される念波に対して、体細胞から吸放出される同等のものを区別して“気”と呼ぶことにする。
 そして、オーラやエーテルを人体を包み込む波動として捉えれば、念波も気もこれの一部であり、人体に浸透して肉体と重なり合っている波動である。人体を物質宇宙と見なせば、その虚の部分は波動であるオーラやエーテルではないだろうか。つまり、知的生命体はメビウスの表と裏をリンクするインターネットの役割を果たしているのだ。
 この“気”,“念波”の物理的な正体こそが、メビウスの帯の正体なのである。


6.エーテルはメビウスの帯だった

 現代科学の測定手法は、電場磁場を基本としているが、“気”や“念波”をその実体として測定することには成功していない。この不可思議なものは、人体ではオーラともエーテルとも呼ばれ、宇宙空間を満たし地球にもしみ込んでいると考えられていたエーテルであろう。このエーテルを一枚の布とするメビウスの帯の表に、我々の物質宇宙が描かれている。そして、裏の虚の世界と重なり合っているが、少なくとも物質と波動の反転、自転公転が反転している。つまり、メビウスの帯の捻れと反対方向に、エーテル界は捻れているのだ。
 このエーテルについては、古代人がすでに発見し、大橋正男氏,テスラー氏,ベアデン氏等々が再発見している。しかし、新約旧約聖書他、様々な古文書に現れる奇跡を信じるとすれば、神々は既にこの技術をご存じだったと思われるのだ。堕天使が人類の女達に教えた魔術、マーハバーラタに記述された想像を絶する戦闘、シッチン氏が述べている神々の核戦争が、事実だとすれば、時空を捻るエルドリッジ号の悲劇もまたこの技術の延長線上にあるのだ。
 この後、これまで考察してきたことを元に、物質界、生命界、宇宙について多々述べたいのだが、今回はここで筆を置かせていただきたい。
 最後に、このエーテルの渦動は、物質となり、生命力となり、人類に永遠の恵みを与えてくれることだろう。しかし、悪用すれば、人の想念を支配し、生命力を奪ってしまうことも可能なのだ。


参考文献
 [クォーク 第2版]講談社 南部 陽一郎
 [はじめての<超ひも理論>]講談社現代親書 川合 光

以上   2006年10月

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