2021年9月分 天上界からの伝言板


                      尚、※は北川による。

 千乃正法の法灯を守ろうとして、数名の有志が集まり「善と悪の闘い」を立ち上げて約11年になりました。(R3/7/16)
 これまでなんとか自力でしのいで来ましたが、この武漢ウイルス禍の影響があり、資金が枯渇している実情です。ご支援して頂ける志がある方は、是非、下記のメールアドレスにご連絡をお願いいたします。
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   正法について「基礎編」 … 過去の説明資料より

   神々の苦悶と、人類への励ましの詩篇より

   正法について「社会編」

    5.2019年11月香港人の自由への希求と民族の産声(pdf)(R3/8/8)
     ウイグル・チベット・慰安婦の真実(pdf)(R3/9/20)
    6.君民共治と双子の原理(pdf)(R3/9/2)
     日本国体の創造(pdf)(R3/9/8)
     日本の国旗・国歌の伝統(pdf)(R3/9/13)
     大和朝廷と三種の神器(pdf)(R3/9/24)

    7.サタンと人類史

     (1)サタン・ナブーとの確執と古代文明の興亡(pdf)(R3/9/3)
     (2)サタン・ナブーと歪められた真実(pdf)(R3/9/3)
     (3)サタン・ナブーの支配と善悪二元論(pdf)(R3/9/3)
     (4)サタン・ナブーの復讐と大和民族の出自(pdf)(R3/9/3)
      『補足』サタン・ナブーの復讐と大和民族の出自(pdf)(R3/9/29)
     (5)付録:正法で使われる用語の意味と真実(pdf)(R3/9/3)
     魔族ユダ・カナン人を使役した世界支配(pdf)(R3/9/29)
       [第1編][第2編][第3編][第4編(追記)]
     シッチン氏の悩み … ヤハウエは誰なのか??

  悪魔の血流と「真の信仰」

    Ⅰ.イルミナティの系譜(pdf)(R3/9/14)
    Ⅱ.魔族・カインとカナン(pdf)(R3/9/14)
      『補足』魔族カインとカナン(pdf)(R3/9/29)
    Ⅲ.サタン・ナブーの計略(pdf)(R3/9/14)
    Ⅳ.魔族・漢人と共産主義(pdf)(R3/9/14)
    Ⅴ.悪魔血流・まとめとして(pdf)(R3/9/14)
    Ⅰ.真のキリスト教精神と米国(pdf)(R3/9/14)
    Ⅱ.真の「信仰の自由」と「米国国体」(pdf)(R3/9/14)

  宗教と科学の一致「より正しく理解しようとする姿勢」

  銀河種族:琴座⇒プレアデス⇒ニビル⇒地球

  地球・ニビル人類と同盟星の方々
        (プレアデス/火星/シリウス/オリオソン/琴座)

  神々と人類史:Ⅰ/Ⅱ/Ⅲ/Ⅳ/結び  



2021/09/10 伝言に代えて … (2021/08/09,10~)


美豆良・帽子・顎髭・割礼は、ニビル星人の神々の姿だった

 大和国は、神武天皇の登場と働きによって国の中心となりました。日本は、「大倭」と「日高見国」の二つの国を合わせた国、つまり『大倭日高見国』(『祝詞』)という状態になったのです。
 平安中期の行政規則をまとめた『延喜式』の「祝詞」に「四方の国の中と、大倭日高見之国を安国と定め奉りて」と云う一節があります。日本が「大倭」と「日高見国」の二つの国でできた国であるということは、古来、常識として認識されていました。
 縄文から弥生の時代、西国に帰化人が多くなったことによって東国の移住民との混交が起こりました。これが大和国の勢力です。記紀の中に「日高見国」が登場しないのは、大和国の勢力が日高見国の名を諸記録に残すことを故意に隠そうとしたからです。
 平安時代初期に編纂された氏族名鑑である『新撰姓氏録』を見ると、奈良時代から平安時代にかけて、帰化人の「諸蕃」が3分の1にも達していたことがわかります。『新撰姓氏録』には全部で1182の氏姓が記録され、出自によって「皇別」「神別」「諸蕃」の三つに分類されています。

  1. 日本神話にも語られている「美豆良」
  2. ユダヤ人の姿としての埴輪「美豆良・帽子・顎髭・割礼は、ニビル星人の神々の姿
     イースター島と流刑地
  3. 関東に集中する人物埴輪(多くは武人):天皇制(日本式律令制) … に関与した
     「ノアの予言(呪い)」は、大化の改新時にも、戦後にも成就している
     狛犬(一角獣とライオン)
  4. 「ひだかみ/ひたかみ」の意味についての推測
  5. 縄文神社の紹介
     日本武道の秘宝
     渡来部族と縄文人の融合を証明する『縄文神社(飛鳥新社 武藤郁子著)』
     縄文部族に融合したシュメル人・イスラエル二氏族
  6. 縄文神社、それはシュメル・イスラエルと縄文の融合
     関東を代表する縄文神社 … 武藏一宮氷川神社(さいたま市)
     安房神社 … 海の縄文神社の王(千葉県館山市)
  7. 風神を祀るスサノウ・出雲神族と「サンカ」
     「八雲立つ出雲八重垣」の歌の謎サンカはなぜスサノオを崇めるのか
     数人で動かす足踏み吹子を「たたら」と云う
     出雲の意味
     穴居脱の神 … 縄文から弥生(サンカ)へ
     太陽生活:出雲神族とサンカの融合
     オオゲツヒメの真実
     「アナムチ」とは(袋)のこと
     サンカの結婚式と「イザナミイザナギ」
     縄文時代から存続していたサンカ文字

1.日本神話にも語られている「美豆良」

 『古事記』の「黄泉下り」にこんな記述があります。
 かれ、左の御みずらに剌せる湯つつま櫛の男柱一箇取りかきて、一つ火燈して入り見ます時
 つまり、イザナギが美豆良の髪型をしていた、ということになります。また、『古事記』ではその他に、スサノオの大蛇退治の物語に美豆良は登場します。男性が「角髪(みずら)」に櫛を挿していたのである。
 また、アマテラスとスサノオの誓約の場面でも、女神のアマテラスが「角髪(みずら)」を結うことにより男性的になろうとする、「男まさり」の姿として述べられている。こうした記述を考えると、七世紀末の『古事記』の成立時代の人々が、「角髪」つまり美豆良はアマテラスのおられた「高天原」の時代にもあったのです。
 重要なのは、すでに東国の「日高見国(徐福が合流した富士王朝の系統)」の時代から美豆良が結われていたのです。つまり、弥生時代以前からこうした風俗を持った人々がいたことを示しています。
 なお、『サンカ社会の研究』によれば、社会制度「サンカ」を憲法・掟として持つサンカ族は、「みずら」のことを「耳鬘(みずら)」と書く。それは、上古の男女の髪の結び方で真中から髪の毛を両分けにして、耳のところで結んだ高貴な髪型だからです ── 「耳鬘(かずら、かつら)」は的を得た表現である。ちなみに、スサノウノミコトは日向日天皇の時、穴居していた縄文人を穴居抜(穴居生活から地上生活へ)けを実施した時、全国を回遊して農業者に箕を提供せよと命じられた人々のことで、国津神の後裔です ── つまり十拳剣でヤマタノオロチを退治したスサノウもイスラエル系だった。
 
 

2.ユダヤ人の姿としての埴輪
  美豆良・帽子・顎髭・割礼は、ニビル星人の神々の姿だった

 芝山古墳から出土した「芝山埴輪」の人物埴輪を見てみましょう。美豆良は、帽子と顎髭との三点セットであり、当然、ユダヤ人の姿形を思い起こすはずです。
 角髪(美豆良、みずら)とは日本の古墳時代における貴族男性の髪型で、中国の影響で成人が冠をかぶるようになった後は少年にのみ結われ、幕末頃まで一部で結われた。すなわち中国には無かったのである。
 また、 ユダヤ教徒の髪型ではペイオトと呼ばれている。その起源は旧約聖書のレビ記19章27節「あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。」にあるそうです。

 ニビル星人・エンキとニンフルサグは、ニビル星人の精子と地上の類人猿の卵子から、ニビル星人の母体を通じて人類を創造しました。白髪・金目・真っ白な肌のニビル星人と比べ、人類の男性は髪が黒く、有色、包茎でした ── 加えて、ニビル星人の長命の遺伝子は組み込まれていなかった。
 そこで、サタン・ダビデはユダヤを支配下に置くために、自分自身が神々の頂点に君臨する存在だと虚勢を張るために、美豆良・帽子・顎髭と、残酷な割礼の儀式を与えたのです。
 それは、ニビル星人の神々は自身の神々のランクを明示するために「角の兜」をかぶり、髭をはやしていた。そして、日本の武士は兜を頭で支えるために丁髷を結っていたが、ニビル星人の神々は「角の兜」を頭で支えるための「角髪(みずら)」だったとすれば、実は、角髪・帽子・顎髭・割礼は、ニビル星人の神々の姿だったと推測されるのです。下記の円筒印章からも「美豆良」はニビル星人の神々の伝統だったことが伺えます ── 上は女神ニンフルサグ、下は男神です。
 角の兜を支える髪型を「角髪」と当て字するのは、とても合理的な意訳だと納得できるだろう。また、「みずら」を「御面」と当て字すれば、古代シュメルの神々の顔「角兜・髭・髪型」への憧れや尊称を込めた呼名だったのかもしれません。

 尚、プレアデス星人の流刑地であったイースター島には、母星のプレアデスを見上げる罪人たちの巨大な像=モアイ像が建てられています。モアイ像は帽子をかぶり、目鼻立ちがくっきりとし、耳としては大き過ぎるので、これも「美豆良」の一種でしょう。そして、髭が無く、裸です!! 髭がないのと裸なのは罪人の証なのだと思います。それは、カインが弟殺しの罪の印として神が「髭」を取り去ったからです。加えて、『ユミットからの手紙』 ── プレアデス星人の氏族 ── によれば罪人は裸だそうです。加えて、ノアが裸を見られたことに対して強い嫌悪を示し、ハムに罰を与えたことからも裸を人前に晒すことは罪人への罰に相応しいのに違いないのです。

イースター島と流刑地

 火山により造山したイースター島には、モアイ像がある。この像の高さは5~10Mあり、2~70トンの重さがある。伝承では、太古のホツ・マツアの時代に、すべての彫像は創造神マケマケに命令され、自力で台座に登り、それ以来ずっとそこに立ち続けている。
 イースター島は、かつて罪を犯したプレアデス星人のパイロット達が、島流しにされた流刑地でした(2006年、先生のメモより)。彼ら巨人は母星への郷愁から、空を見上げた像が残されたのでしょう。また、エジプトやインドなどの王族は、優秀な遺伝子の王子を残すために、王妃は異星人(例えば、UFOパイロットなどの軍人)とのハイブリッドを望んでいたが、異星人にしても自らの子孫が地球で王族として残ること、性的な誘惑には打ち勝てなかった者達が軍記違反の犯罪者として流刑されている。
 さらに、三星堆積遺跡の神像を見ると、つり目の特徴を別にすれば、アヌンナキの巨人像ともモアイ像にもそっくりではないか。つまり、聖書に出現する巨人達の姿のが、神像として残されているのです。尚、もっと巨大な巨人族は、プレアデス星末期に出現したミュータントで、プレアデスの高度な科学知識を持つ者達で、聖書では古代の英雄とされています。
 尚、「垂れ目」の方が「つり目」よりも古い種族だから、三星堆積遺跡の「つり目」の神像はプレアデス星末期に出現して地球に移住させられたミュータントだろうと、推測される。

3.関東に集中する人物埴輪(多くは武人)
  天皇制(日本式律令制)、軍事・国防、外交・土木建築・文化・農業・財務に関与した

 大和(やまと)と呼ばれた地方つまり近畿では八一二点の埴輪が出土し、関東では九二二点という具合に、関東でより多く発掘されます。注目すべきは、特に人物埴輪については、ほぼ関東での出土で占められていると云うことです。
 関東で出土する人物埴輪は、従来、武人埴輪と呼ばれてきました。鎧や太刀、馬といった武具を身につけているということが注目されていました ── つまり、人物埴輪に示されるユダヤ人は主に関東にいたのです。そして、秦氏もまた、この例に漏れません。一方、近畿の埴輪は、装飾的な形態や家をかたどったものなどが多いのです。この東西の違いはきわめて顕著なのです。
 奈良時代末期に成立した歌集『万葉集』には「防人」の歌が収録されています。防人は、六六三年の白村江の戦いの後、主に九州の警備にあたった兵士たちです。ほとんどの防人は関東からやってきていました。
 防人の任務にあたった関東の人々こそは、大陸出身の騎馬民族の一部として日本に定着して帰化した、勇敢な人々でした。こうしたこともまた、関東の古墳のありよう、人物埴輪のありようから明らかでしょう。
 ユダヤ系の人々が、機織りの技術や絹の生産技術、あるいは農業技術、灌漑施設の建設、高度な軍事力、高度な技術、独自の社会体制、そして、古墳をつくる土木技術などをもって日本にわたってきたことは明らかです。それは、中国や朝鮮にはない技術です。
 つまり、文化の大和朝廷(天皇制・日本式律令制)を、軍事・国防・文化・技術の面から支えていたのが、人物埴輪が出土している関東にあった「日高見国」だったのです。それは、天皇制は大和が、軍事は「日高見国」が支えているため、戦後の日本の日米体制に酷似しています。

「ノアの予言(呪い)」は、大化の改新時にも、戦後にも成就している

 ノアの大洪水の後、ノアは最初のぶどうの取り入れから出来たぶどう酒を飲み、酔ってしまい、天幕の中で裸になって寝てしまう。カナンの父ハムはノアの裸を見てしまう(一般に旧約聖書の中で「裸を見る」という表現は性的関係をあらわすものとして使われている。つまり、男色を意味しているのでしょう。)。これに対し、ノアはカナンの子孫に対して、兄弟の奴隷になるように呪います。「ノアの呪い(予言)」と呼ばれています。
 「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟達に仕える。
  セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。
  神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。
  カナンはそのしもべとなれ。」[創世記 9章]
 セムの天幕とは、ユダとエフライムの後裔である大和民族(神の民)の国、つまり日本(神の国)は国軍を持たず、戦後において、ヤペテである米軍に保護され続けていて、この予言は成就しています。
 しかし、カナン・カインである中国大陸や朝鮮半島を支配する漢民族は、ノアの予言によれば、日米に従属する存在のはずなのに、「共産主義」「今だけ金だけ自分だけ」により、日米を転覆させようとしている。
 さらに、イスラエルの民は、強力な外敵から身を守るために、イスラエルの神に「王」を求めました。その結果、イスラエル王国が建国され、ダビデ王が誕生しています。大化の改新時、半島や大陸からの軍事的脅威が目前に迫り、大陸や中東他の政治・軍事・社会情勢にも精通しているユダヤ人(秦氏、藤原氏 … ユダ族、神官のレビ族)を迎え入れました。秦氏一族はイスラエル王国のダビデ王体制を理想として、日本に天皇制・日本式律令制を大化の改新・大宝律令を通じて定着させ、日本を統一国家へと改革したのです。だから、イスラエルの二氏族は内外の敵から天皇制を死守しようとしたのでした。
「エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエル諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする。」(エゼキエル書36:19)
※この預言は下記のように一対の狛犬で象徴されています。

狛犬(一角獣とライオン)

 神社を守っている狛犬を、よく見ると「一角獣」と「ライオン」です。シュメルではライオンが居なかったので、初めてライオンを見たとき「大きな犬」と翻訳しました。それで、シュメルの血を受け継ぐ日本でも「狛犬」とされたのです。
 そして、一角獣はエフライム族のシンボルで、ライオンはユダ族のシンボルですから、天照大神を守護しているのはイスラエルの二氏族ということを明示しています。そして、エフライム族は神武天皇に皇位を譲ったニギハヤヒの系統です。
 
 イスラエル王国は、大司祭のもとで神祇が行われ、神の庇護のもとで王が政治を執り行っていました。天皇制は、国体の頂点には君主であり、天照大神の大司祭である万世一系の天皇が皇統を守り、これを補佐し神祇を執り行う左大臣、そして天皇から全権を委ねられて政治を執り行う右大臣という体制なのです。そして、位としては左大臣が右大臣の上位です。

4.「ひだかみ/ひたかみ」の意味についての推測

 「ひだ(ひた)」が、「飛騨/日田/肥田/飛田 … 」の地名が派生したとすれば、「ひだかみ」は「飛騨神」の意味だろう。つまり、「ひだ神」が首都で、「飛騨/日田/肥田/飛田 … 」がその都市名だろう。「ひだ」は「日田」で、日の当たる国の意味だろう。
 高木神は「木」が男性を示すので、「日高み」は「日・高木神」の皇后である女神を意味している。太陽の女神国を意味している。つまり、女神・天照大神=ヤハウエの神妻であるヘフジバの国の意味と解釈されそうです。
                              (2021/08/09,10~ 北)

5.縄文神社の紹介 (R3/8/15~

 天変地異により沈んだ「ムー/アトランティス/レムリア」の皇族を含む人民が日本に移住して、縄文人として根付いた。文明を失い、一から建国を始めなければならなかった彼らは、アマゾン文明やノアの大洪水後の復興同様に、彼らを創造した神々(異星人)に導かれて大自然と共存する文明を日本列島にもたらした。
 清潔で規律の取れた縄文人は、害虫や蛇や害獣の害から部族を守れる地形を選び、清水を大切に守りながら、海辺や河川や大地や山の中で、樹木(木の実、果樹)と畑作(山菜、米、穀類)と狩猟(イノシシ、亀、蛇、鹿)や漁(イルカ、魚、海産物)を営んでいた。
 縄文部族に融合したシュメル人・イスラエル二氏族は、海や山や大地に縄文文明を営む、母系の縄文人と、男子男系の彼らは、互いの太陽神をお互いに認め合うことで融合した ── その融合の象徴が縄文人の居住区に現在も残されている「縄文神社」である。縄文人は穴居生活から脱出し、高床式の生活と金属技術を活用した畑作・稲作中心の文明へと移行していった。
 縄文人のうちで、出雲神族・スサノウにより、穴居生活から脱出し、日本列島での稲作・畑作を援助する箕作をメインの仕事として、全国を移動しながら助ける任務を帯びた一族がいた。彼らは規律と衛生を重んじ、自然の幸を大切にする一族として、「サンカ」と呼ばれた。後には、甲賀や伊賀の隠密部族として生き残っていった。彼らの資料から「出雲親族・スサノウの事実/スサノウとアマテラスの事実/縄文人の生活や文化 … 」を、おぼろげながら知ることができる。

日本武道の秘宝

 サンカの剣術七法は日本武道の秘法で、美濃の斎藤家や、信州の真田家は、いづれもこの中から軍法を編成したが、甲斐の武田家は多くの「丹波者:サンカの剣術士」を抱へた。最後は徳川家が、伊賀者、甲賀者としてこれを抱へた。

渡来部族と縄文人の融合を証明する『縄文神社(飛鳥新社 武藤郁子著)』

 日本には「シュメル人/フェニキア人/イスラエルの二氏族/カナン人」他が渡来してきています。
 渡来民族は新天地である日本にて、母国との気候風土の違い、食料の調達などの必要から、縄文人と交流は必然だったのです。それどころか、交流に失敗すれば、飢えや風土病が待っていたのです。
 縄文遺跡の発掘と調査の結果、縄文人が渡来人により駆逐されたり、奴隷化された痕跡はありません。というよりも、各渡来人の宗教と文化が、「神社」=「社の森」+「神殿」を通じて融合している現実が、今の神社にも、日本神話にもそのままに残されています。無論、温和で自然に溶け込んでいた縄文人が渡来民族を奴隷化したというという事実もありません。
 私達にとって、「神社」の存在は大和朝廷の頃からの日常であり、当たり前のことなので、その事に気が付かないだけなのです。宗教戦争を経験している外国人の方が敏感に感じ取ることでしょう。ちなみに、私自身も数年前までは気が付きませんでした。
 各々の渡来人と縄文人の融和の姿については、『縄文神社』に充分に述べられています。
 縄文人が好む環境は、清水があること、害虫や害獣からの被害が少なく雨風の影響の少ない台地、食料となる森・畑が居住区にあり、猟や漁のできる川や海や山が近くにあることです。
 このような縄文人の集落や縄文の森をそのままに、その出入り口のところに神社「鳥居、狛犬、神殿」を並立して建立したのです。
 縄文人は生命は太陽から生まれ、日光と台地と雨とともに成長し、死後は太陽に帰るという常識がありました ── 日本人の生活に神道が浸透しているように生活の中に溶け込んでいた。そして、魂だけは縄文部落に残ると思われていた ── サンカの思想から。
 だから、イスラエル人やシュメル人が信仰する「太陽神」を、縄文人は素直に受け入れ、縄文人の住居や縄文人の森に「神社」を建立することを許し、縄文の神や精霊と同じく大切にしました。それは、日本神話と三種の神器がその証となりました。
 しかも、イスラエルは男系男子、縄文は母系なので、ニビル星において南北王朝から王と王妃を選出して、統一王朝を創建したように、渡来部族と縄文人は自然に融合していったのです。

縄文部族に融合したシュメル人・イスラエル二氏族

 シュメル人が古拙シュメル文字とともに日本に渡来し、千葉の海辺の縄文部族と融和した(シュメル古拙文字が神代文字の源流…『日本のペテログラフ』)。前千年頃、海洋民族フェニキア人がソロモンの金属精錬部隊と共に日本に渡来し、縄文人の山の民と融合して富士王朝が成立したと推測される。前721年頃、北イスラエルが滅亡し、皇統をもつエフライム族を中心に十氏族が日本に渡来し、出雲やトミ(富)のナガスネヒコなどの縄文人と融合する。前3世紀頃、徐福一族が日本に渡来し、富士王朝と合流する。イザナギ・イザナミ一族がイザナギ夫妻の三兄弟(長女:日向日女天皇=ヤハウエの神妻、二人の弟)をリーダーとして日本に渡来し、日高見国に合流する。

6.縄文神社、それはシュメル・イスラエルと縄文の融合

 縄文の神々は国津神で、日本中にある神社(鳥居と、対の狛犬「ユダ族とエフライム族」)の裏山や禁止域には国津神の神をも一緒に祀っている所が多々ある。つまり、日本の神社の神主は、太陽神・天照大神(第3代・4代のヤハウエ)を祀るとともに、縄文の神々をも一緒に祀ることで、異文化が融合しているのです。一つには、「サンカ」の信仰から縄文の神々は太陽であり、日向日女天皇(イザナギの長女ヘフジバで第3代ヤハウエの神妻)を縄文人は太陽神と認めて彼らの信仰は融合したのです。そして、男系男子のイスラエル族と、母系の国津神・縄文人は互いの皇統を融合することにも成功したのです ── 神武天皇が国津神の姫を娶って融和しているが、それは神武が国津神を支配したのでも、国津神が神武を支配したのでもなく、互いに融和したのです。ちなみに、出雲神族の「諏訪神社」もまた、縄文神社の典型(縄文人の住居・遺跡/森/泉/社)です。
 尚、穴居生活から開放された「サンカ」は、出雲族の社会体制を模倣しました。
出雲神族の伝承出雲神族の渡来出雲神族の習俗と祭祀
スサノオの侵攻出雲大社の創建クナト大神(出雲神族の神々)

 以降、『縄文神社』飛鳥新社 武藤郁子著より、縄文神社について紹介します。

関東を代表する縄文神社 … 武藏一宮氷川神社(さいたま市)
  /スサノウの前はアラバキ神を祀っていた[氷川神社はアラバキ神社だった]参照

 武蔵一宮氷川神社(以下、氷川神社)は武蔵国の一宮であり名神大社で、名実ともに武蔵国第一の名社です。
 氷川神社を創建した人々(出雲族)が、「簸川の川上にある「杵築(きづき)の大社」を移したから、「簸(氷)川」という名前になった。また、氷川神社の周辺には「高鼻」と」と言います。
 「氷川神社」は、埼玉県や束京都、神奈川県に約280も鎮座しているため、関東地方南部の人にとっては、馴染みのある神社であります。本「氷川神社」はそんな氷川神社グループの元締めであり、全国から多くの人が訪れる場所です。
 氷川神社がある大宮台地は、縄文時代にはずっと陸地で、川(支流)も側にあるという縄文人にとっては好立地(湧き水、台地:害虫や蛇や鳥などから身を守る、樹木:食物)。氷川神社本殿付近から縄文後期・晩期の氷川神社遺跡が発見されています
 さらにその遺跡は、盛り上がり部分が馬の蹄のように本殿を囲んで巡っていて、中央の低い部分がちょうど本殿のあたりになります。このような盛土を「環状盛土遺構」と言い、だいたい中央の低いところ(広場)で、祭祀が行われていたようなのです。
 したがって、日本の神社が森で囲まれているのは、縄文人の生活環境に、太陽神を祀るイスラエルの鳥居と社を建てたということです。この氷川神社の姿こそが、国津神と天孫族の融和の集大成だったのです。そして、アラハバキの社に祀られているアラハバキの神「『東日流外三郡誌』ナガスネヒコとアラハバキ王国」(荒吐神とは荒吐神の信仰と社会体制富士王朝の後継者「十和田王朝」)は縄文の神です。
 つまり、今の氷川神社にとって最も重要な場所である本殿付近で、縄文時代にも祭祀が行われていたということになります。とすると、私たちが本殿にお詣りする時、縄文の人々とほぼ同じ場所でお祈りしていることになります。これこそまさしく「縄文神社」ではないでしょうか。
 氷川神社の境内はとても広く、本殿の外側、向かって左奥にある「蛇の池」と呼ばれる湧水があります。本殿の正面にも「神池」という池があり、今はもうなくなってしまった見沼の名残と考えられているので、こちらも大切な場所ですが、その水源が蛇の池なのです。そして、この湧水こそ、氷川神社の根源で、縄文人はこの清水の湧き水が生活の基本として大切にしていたはずです。
 「ヒカワ」については、弥生時代に氷川神社を創建した人々(出雲族)が「簸川」の川上にあったとされる杵築大社を遷したから、「氷川」という名前になったという説があります。また、スサノウノミコトが稲田姫を見初めて、大蛇を切って結婚されたのが「ヒノカワ … 砂鉄が取れる」である。
 新天地に移住する人が、故郷と似ている風景に同じ名前をつけようとすることはよくありますから、故郷の簸川流域と似ている光景だったので。同じ名前にしたという可能性はあります。
 

安房神社 … 海の縄文神社の王(千葉県館山市)

 安房神社は、名神大社で、安房国の一宮、房総半烏を開拓した忌部氏が上陸した場所に鎮座するという、関東でも屈指の名社です。
 忌部氏が上陸したのはおそらく弥生時代前のことですが、房総半島には縄文遺跡が数多く・発見されており、縄文時代から栄えていた場所であったことがわかっています。
 これまでご紹介してきた埼玉、東京、神奈川は、出雲系の影響が大きい地域で、北陸や長野の影響を感じる社が多かったのですが、房総半島は一気に系統が変わります。※房総半島には古拙シュメル語やシュメル文字の影響が色濃く残っています。ちなみに「南総里見八犬伝」の「犬」はシュメル語だと「ライオン」の意味です。
 さらに外洋に接している地域(外房)と。東京湾岸に接する地域(内房)でも系統が異なります。そのためでしょうか。土地の雰囲気も何か違います。
 海は海でも、外海に暮ら民族と、内海に暮らす民族では、テイストがかなり違うんです。特に外房の地城は、フェニキア人がソロモンの民を運んできています。他にも、縄文人は海洋民族で、中東以外にも、アメリタの太平洋側にも進出しています。
 

7.風神を祀るスサノウ・出雲神族と「サンカ」(2021/08/17,18~)

 ◆数人で動かす足踏み吹子を「たたら」と云う

 フイゴのことを、彼らはシナド(吹子)といふ。それは、風で火を起す、つまり風の紳(スサノウは第二代ヤハウエである風神=エンリルの民)の力で火を起すからで、カミフタミとも呼んでゐる。カミは「一」、フタは「ニ」、ミは「三」である。一ニ三といふのは、幅が一、高さが二、長さが三といふことで。その製法寸法のことである。
 「とんでもない、高天原では、二枚板に狸の皮を張って、中に竹を仕掛けたシナド(鞴ふいご)を使って。炭火で鉄をとかしたんです。ムラクモノツルギは、スサノヲ(進男)さまが、出雲から高天原への土産になさったもので、あれはカハスナノツルギ(川砂剣)といって、砂鉄で鍛へた業物でございます。それから考へても、鉄を作るのに、シナド(吹子)がなくちや、熔解の火が燃えんでせう」「わしらサンカの祖先は、神武さんが東征にいかっしやるときに、おほかた連れていかれたんだが、ゆくさきざきで、剣やヤリ(鏃のこと)を打った。石のヤリでむがってきても、鉄の(ガネ、マガネ(鋼、眞鉄)の矢に打ち負かされて、まつろはぬ賊どもは皆平らにされてしまった。」「それから考へても、神武さんのときには、いまの吹子があつた。スサノヲ(進男)さんから、神武さんは末も末、何百代も経ってませう。高天原からいへば、神武さんから今上天皇さんまでは、短い間ですよ。」

 ◆出雲の意味

 出雲が日本最古の製鉄地であり、その砂鉄鋼の素晴らしさは世界の専門家も驚嘆している。
 サンカ社会では細い鋸の目立てをすることを「イヅモ」または「オヤシ」と呼んでいる。彼らの云う「イヅモ」はすべての生命の発生とか、成長のことを意味している。だから、「芽を出す」=「芽出」⇒「出芽いづめ」⇒「いづも」であり、前途に希望を持つという意味である。
 おそらく、スサノウが渡来した日本の居留地に希望を見出し、「いづも」と命名したのでしょう。
※サンカ:神坐原 … ゴ・ト・バル
 バルは軍の駐留する幕府だから、神を頂く軍隊という意味だ。
 尚、九州には「原」と書いて「バル」と読ませる地域が多々あります
※大和言葉で「日本書紀」は「ヤマトフミ」
※大和言葉で「古事記」は「カミツコトノフミ」

 ◆穴居脱の神 … 縄文から弥生(サンカ)へ

 日本民族の母体族である国津神は,すべて穴居していた。それを攝政進界命(スサノウ)が大山見命に勅命されて穴居脱して、庵/布張させて、人民を地上に出した。その大山見命の形貌がこれである。彼らサンカの遊芸のなかの、これは出雲遊芸である。(昭和23年2月15日、東京にて撮影)

 上代は民家がこのとほりの穴居脱のままであったので、鳥蟲害もはなはだ多く ── 昆蟲など剌したり噛む蟲の禍、雷の禍、大わし・大たか・カラス・マムシなどの禍、罪ある者ほどそれらの害毒を身に受け苦しんだ。そこで、この罪科を祓ふために「罪祓」といふ風穴を作って、「ミチヨロヅ」の天神地祇を迎へて加護を祈ったのである。ミチヨロヅとは、八百萬と同意で、天神千五百萬、地祇千五百萬、合はせて三千萬の神祇を現はした言葉である。
 だから、これらの害の極力少ない台地、清水のある場所を選んで移住した。

 ◆太陽生活:出雲神族とサンカの融合

 一般社会とちがっているのは、人間の源生観で、彼らサンカは、自分たちは、両親によって太陽から生まれて来たと信じ、その生き方も、太陽の運行にしたがって生活するとする信条である。ここに彼らに自然の逞しさが育成されているのである。
 彼らは、天然山野生の薬草を保健料としていることが常識になっているし、その薬草は二百余種にのぼつている。これを詳述すれば、優に一冊の文献となるが、紙数の関係で省略する。かくして彼らは、自然の中にそれらの知識を身につけ、生活しているのである。
※アマゾン文明(『アマゾン文明の研究』現代書館 実松克義著)も太陽を信仰し、自然と共存する文明を築いている。アマゾンの密林にある多数の薬草や食料にも精通している。だから、渡来部族は縄文人との融和・共存が必須だったのです。
 万象の根源としての「」すなはち、太陽に対する信念は、サンカにとっては、太陽宗(中心となる教義)ともいふべきものである。サンカの太陽に対する信念七箇条。
  1. 人間は太陽によって生まれ、生かされている。
  2. 太陽は火と水のもとで、万物の生かし主である。
  3. 太陽がなくなれば.万物は皆死んでしまう。
  4. 自分たちの先祖はみな太陽から生まれて、太陽に戻り、
  5. 心だけは.サンカの子孫に残されて生き続ける。
  6. それで、太陽がモトタマである。
  7. それで、日向方日女(ヒムカタヒメ)天皇を天照大紳とあがめ、われわれの祖神(オヤガミ)にしているのだ。なお、日向日女天皇は天照大紳のことで、彼らサンカはイザナギノミコトが初代天皇で、天照大紳は二代天皇と信じている。
 ただし、特記すべきことは.日向方日女天皇(ヒムカタヒメ)に對する祖神とする信念について、天孫降臨はない。※サンカの初代天皇を「イザナギ夫婦神(イザヤ夫婦)」としており、その娘である長女ヘフジバは第三代ヤハウエの巫女=妻神であり、二人の弟と共に日本に渡来しているので、「イザナミ夫妻神」の孫の天孫降臨は存在しない。

※ア:太陽について

 日本語の場合、先頭のL音やR音が発音されない場合が多い。つまり、「ラ:太陽」が、「ア」に転訛したと推測される。

 ◆オオゲツヒメの真実

 大食作尊(オオゲツの尊)をして、人民の生命である幸の食物を下さった。大食作尊は、天照大神の御世にトヨタナツモノ(十四穀物の神)として、人民の生命の守神に任じられた。この尊神の下に、大食、山見の二神が農事を掌(神道用語:つかさど)った。その神に仕へて、実殼別(ミカラワケ … 箕)を作って来たサンカは、山幸、野幸を、大食作の神として感謝して「幸祈」をするのである。
 オゲツは、蚕をはじめて日向日女天皇に献じた豊日国(とよ=14)の中津のオホゲツヒメノミコト(大食作姫命)である。この姫は蚕と一緒に、十四種の穀物を献上した。これから養蚕が天下に及ぼされることになる。また、一切の穀物をトヨタナツモノと呼ばれる語源も、十四の
十四種から起きた呼称だといふ。
※尚、徐福や秦一族にしても、養蚕や絹織物、農業の技術は持っていたが、日本に適応した穀類や蚕を入手できなければ技術を活かすことはできなかった、つまり飢えた。加えて、優秀な土木や建築技術にしても、縄文人との共存がなければ無用の長物だった。

❒古事記のオオゲツヒメより

 乱暴もののスサノオノミコトは高天原で狼藉をした結果、ついに追放されました。スサノオは母のいる根の国に行く途中に大気都比売神(オオゲツヒメノカミ)を訪れました。
 オオゲツヒメはスサノオに美味しい物をたくさんご馳走をします。しかしスサノオがふと、料理を準備中の台所を覗くと、オオゲツヒメが鼻、口、尻から汚物を吐き出しているではないですか!どうやらオオゲツヒメは自分の体から出したものを料理して、スサノオに美味しいものをご馳走しているようでした。
 スサノオは「よくも、そんな、きたないものを俺にくわせたな!」
 スサノオはオオゲツヒメの命を絶ってしまいました。
 そのなきがらから、つぎつぎと蚕や穀物が生まれます。

 ◆「アナムチ」とは(袋)のこと

 「因幡の白兎」の物語で、末っ子の大穴牟遅神は兄弟の最後尾に並び、麻や木綿で作った大きな袋を背負って歩いている。これは原則として、サンカが正月などに七草を摘みに兄弟全員で出かける時の掟である。つまり、出雲神族の掟をサンカがそのまま取り入れた。

 ◆サンカの結婚式と「イザナミイザナギ」
   縄文時代から存続していたサンカ文字

 サンカの結婚の儀式の中の一つとして、仲人は懐中から歌紙を取り出して、ウメガイ(サンカ独特の両刃ナイフ)にのせて花嫁に渡す。花嫁はそれをひらいて、花婿に渡す。
 紙には紳代のサンカ文字で書かれた「一音一文字」で書かれた婚姻の法歌が書かれている。
 新郎は、それを目八分に両手でささげ、花嫁にも見えるやうに向けて、
   いざなぎて いざなみちぎる ひなたかげ
     よつぎのこりを あめつちにのる
 といふ法歌を、先づ新郎が、竹笛に合はせて、
   いざなぎてエー
 と声高らかに上の五文字を読むと、花嫁はそのとおり、夫と共に、
   いざなぎてエー
 と唱和する。次いで新郎が次の七文字と五文字を読み、夫婦で唱和する。このやうにして繰返し唱和して竹笛の伴奏で誓うのである。
 これが終ると、仲人はウメガイを鞘に納めて、自分の坐に戻る。
 婚姻の法歌を解説すると。次の意味である。
 さあおいでなさい。はいはい仰言るようにいたしましょう。よき子孫を後の世にのこすよう、いまここで天地神明に祈念します。いっぺん結婚したら、死ぬまで離れません、という意味である。
 いっぺん結婚したが最後、死ぬまで離婚のできないサンカ社会の夫婦に結ばれたのであるから、これこそ命がけの結婚式で、まったく神権の意気込みというべきである。尚、サンカは絶対的な一夫一婦制である!!
   

参考文献:
 『発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く』(勉誠出版 田中英道著)
 『地球の主 エンキの失われた記憶』(徳間書店 ゼカリア・シッチン著)
 『高天原は関東にあった』(勉誠出版 田中英道著)
 『天上界メッセージ集 各巻』
 『縄文神社』飛鳥新社 武藤郁子著
 『サンカ社会の研究 三角寛サンカ選集』 現代書館 三角寛著
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