7-17.世界最古の文字と日本の神々
これまでの考察から、古代日本にはまずはシュメル・バビロニアからの移民が渡来し、旧約の民と原始キリスト教の民により、部族制の元に統一されて大和国が樹立されました(⇒[
古代日本と流浪のユダヤ人][
古代日本と有力氏族][
猿から創造された人類と女王])。その後、記紀の編纂により、日本は「天照大神」を日本の主神とし、皇室がこれを祀る神権国家として誕生しました。
また、イスラエルの父であるテラはシュメル・ウルの神官で有り、シュメルの神・エンリルを祀っていた。知的階級の神官を中心に、楔形文字、官僚制国家、諸々の文明と一緒にエンリルの守護の元、旅だったのです。ですから、旧約の民と云ってもヤハウエが出現するのは、紀元前一千年頃なので、それ以前に日本に渡来した旧約の民はヤハウエという神を知らず、文字は楔形文字を使用し、シュメルの神々を主神としていました。つまり、本著者は「日本の地名の大半は、BC三千年紀のシュメル語、バビロニア語に由来するといっても過言ではない。中国においてもしかりである。」と結論している。さらに、日本の神々をシュメル語で解読することにより、天皇の和風号とは、天皇=大和の大王を支える複数部族の主神名を並べたものだったということが、明らかになります。
また、イスラエル人はウルの言葉を話し、楔形文字を使っており、これが発展して、独自のヘブライ語とヘブライ文字が誕生しました。しかし、出エジプト時代後には、エジプト文明化されており、ブライ語とヘブライ文字もかなり忘れ去られていたようです。その後、二度の捕囚期間に旧約聖書の多くが完成し、ヤハウエを主神とするユダヤ教、即ち旧約の民が誕生することになります。
ですから、3世紀以前の古代日本に渡来したシュメルの神々を主神とする部族の言葉は、旧約の民の言葉と酷似していたことが推測されるのです。
今回、[世界最古の文字と日本の神々]を基本資料として、上記の内容を確信致しました。
例えば、「神風」の由来について説明しましょう。
通常は、二度の元寇を打ち破った台風を称して「神風」と云うのだと思っていました。しかし本書によれば、
本当はシュメルの地球司令官・エンリルに祈願していたのです。
紀元前2千年頃、越の国に文明が起こりました。ウルの神官をトップにした移民がこの地に移住し、シュメルの絵文字と青銅器文明と官僚制と稲作を持ち込みました。
ウルの神官はアブラハムの父・テラと同様に、地球司令官であるエン・リルを祀っていて、この民族はエン・リルの神に導かれていました。
古代の越では、二本の柱を立て、しめ縄を張り、その内側を聖域としていました。まさに日本の神社の原型です。そして、日本ではこれが「鳥居」となりました。私は「鳥」=「天使」だろうと思っていたんですが、間違いで、
実は風神のシンボルです。つまり、神社は風神=神風=エンリルを祀る聖域でした。
さて、
シュメル語で「エン」=「神」、「リル」=「風」です。日本語では「神風」で、風神です。この風神部族は、佐賀の吉野ヶ里遺跡他にも渡来しており、風を吹き出すように口をとがらせている「ひょっとこ」がその印でした。同時に、
越人(エンリルの略)は、夏人として北上し、夏・殷帝国を建国し、シュメルの絵文字から、甲骨文字が発達します。
そして、越でジャポニカ米ができる頃になると、シュメルの神官テラの子アブラハムの正当な末裔がこの地に渡来し、弥生以前に日本に移住します。
テラはシュメル語の読み書きができるので、ここからヘブライ語も派生したと考えると、エンリルを祀る縄文人とヘブライ語は、非常に近かったと考えられます。
さて、エル・ランティ様の都である古代シュメルの地はウルクです。そうギルガメッシュ王の活躍した王国でした。神社拝殿の入り口に建てられている二頭の狛犬は、二頭のライオンのことで、ギルガメッシュ王のシンボルです。それが、
日本にエフライム族、後にユダ族が渡来し、大和を建国する頃になると、狛犬の一方が一角獣に変わった。つまり、ライオンを家紋とするユダ族、一角獣を家紋とするエフライム族の正当な末裔が皇室である。以上のように、日本はノアの大洪水後から、役職名「エンリル=神風」に守護された地域でした。
もう少し説明を加えると、天照大神は、エル・ランティ様その人です。エル・ランティ様が歴史に出現するのはウルクの月神として、バビロニアでは正義の神としてです。その後、義父マルドウク様の養子となり、神々のランク50(最高神の次の位で、地球司令官、即ち大天使です。尚、神々のランク及び神々の説明は[
ニビル星人の紹介]を参照)を受け継ぎます(BC550年頃)。マルドウク様に代わり、ヤハウエ=天王=天照大神に就任されたのが、前2年頃です。(⇒[
神々の暦]参照)
BC1000年以上前には、ヤハウエという言葉は存在せず、イスラエル人の間でも、アン、エンリル、エンキ、等のシュメルの神々が実名で使われていました。地球司令官エンリルは地球上で崇拝される存在でした。しかし、神々の前1900年頃の核戦争直後、マルドウク様が地球司令官に主任し、その後第三代ヤハウエに就任すると、長子ダビデが地球司令官に就任しました。彼は父を早々に引退させ、自分がヤハウエに就任しようと謀略を練ります。そこで、ダビデの野望を阻止するべく、地球に平和と義をもたらすために、エル・ランティ様が養子に迎えられ、地球司令官50に就任します。ですから、
古事記に出現する50、60等の神々のランクは、時代により別の人格の神を表現していることに注意してください(ランク60は最高神・天神に与えられるくらいです。即ち、天王ヤハウエです。)。この点を加味しないと、本書を読んでも間違った結論に達してしまいます。
歴史上にエル・ランティ様が登場するのは、旧約聖書と新約聖書にそれと分からないくらいで、ほとんどありません。常に陰の助力者でした。
そのエル・ランティ様が、キリスト教の神々を引き連れて、日本に渡来され、天照大神として日本の守護神と成られました。ですから、エル・ランティ様が第四代ヤハウエであることを知る民族は大和民族だけです。白村江の戦いに敗れ、唐の植民地政策を受け入れた後、日本民族は記紀の表面だけが引き継がれ、その真相を忘却してしまいました。
ちなみに、
シュメルの神々の呼び名は役職名で、本名ではありません。
ところが、神々のランクは時代に応じて変わります。例えば、エンリルが地球司令官50でしたが、マルドウクが50を獲得します。その後、月神に50を禅譲します。このように、神々のランクは変わっても、役職名はそのまま引き継がれてしまいました。ですから、同じ神50を祀る民族であっても、その神は時代に応じて別人格の可能性があります。
天照=アマ・テル・アスと分解でき、アマ=神、テル=輝く、アス=50の意味です。つまり、バビロニア語で当時の50であるエル・ランティ様のことで、天照大神は男神です。
また、日本語の「神」は、シュメル語の「60」から派生した言葉で、日本が天王=エル・ランティ様(マルドウク様の養子になられた後、60に就任されました)を祀る民族であることの証明です。つまり、神道とは、天王もしくは天神ヤハウエの法=天照大神の法という意味です。つまりは、初代ヤハウエ・アヌから、二代目ヤハウエ・エンリルから、旧約聖書の神・三代目ヤハウエ・マルドウクから、新約の神・四代目ヤハウエから引き継がれた、神々の法が神道という訳です。天王=アヌは、天と地の王ですから、日本語で当てるには「天照地照大神」でしょう。以前から何故に天照だけなのか不思議でした。現在はミカエル様が大王に就任されているので、これを知るのは千乃正法(エル・ランティの法)だけです。
結論として、アマゾン文明やムー・アトランティスやイカ文明は別として、地球文明の全てはシュメル文明を与えたニビル星の高度文明から始まったと云うことです。最後に、千乃はエンリルから、派生した日本語だということをお知らせします。
⇒ムー・アトランティ、イカ文明については[地球と二ビルは永遠の双子(1)]参照。
- 漢字の使い方はアルファベット代わり
赤い麦が米の語源
神武系は海のシルクロードを経由して日本に渡来
シュメル語の草原(エディン)
中国の越人(南方からのエンリル信仰)
天神アンは北極星(バビロニア語でアヌ)
- 記紀を理解するのに重要な語彙集
- しめ縄に見るシュメル語・倭語から日本語へ
標縄
注連縄
七五三縄 ⇒ 神道は呉越の巫術を受け継いでいる
- 古事記と日本書紀の著者は南朝と北朝
古事記の場合
日本書紀の場合
- 道教について
神道は呉越の巫術を受け継いでいる
「易経」の起源
天皇は道教用語
鬼神とは、ギルガメシュ英雄王の中国式表現である
鬼道とは、宗教共和国を建設した五斗米道教団の神々
- 謎の神 アラバハキ
アラハバキは天神・地母神の子の意味
アヒルクサ文字はインド文字の一種
第三代ヤハウエとミカエルが日本に渡来していた
アイヌとドラビタ族
殯(もがり)の荒城(アラキ)
族長・司祭について
神武天皇と日向(ひゅうが)
- [光の神話考古]を読み替えてみる
- ◇まとめ
- アブラハムの父テラはウルの神官でした。「エンキの記憶」を書き取ったのも神官です。
王テラはエンリルを主神とし、農民・工人・牧人・官僚を引き連れて、出立しました。これがヘブル人ですから、彼等の言葉はシュメル語=ウル語です。アブラハムに代替わりした頃には、ウル語から少し変形したヘブライ語に変わったかも知れませんが、ほぼ同じでしょう。
そして、ヤコブの時代になると、エジプトに長期逗留してしまい、エジプトの風俗と言葉を使うようになり、ヘブライ語を忘れてしまいます。
この時代より前に日本に向けて出発した一族はウル語を覚えており、インド経由でシルクロードの「海の道」を経由して、日本に到着するころには変形して倭語に成っていたことでしょう(エフライム族・神武天皇は、風神エンリルを主神としていた)。
出エジプト当時、ヤハウエは存在しません。ヤハウエが旧約聖書に出現するのは、捕囚時代だと思われます。ですから、捕囚の前に逃れて日本に出発したユダヤ人(イザヤの民)の主神は、太陽神・マルドウクでした。彼等はシルクロードの「オアシスの道」を経由して日本に渡来します(前660年頃)。
ローマの支配下にあったユダヤでは、ヘブライ語は失われ、アラム語とギリシャ語が使われています。ローマの迫害を逃れた原始キリスト教徒は秦一族として、日本に渡来し、南伝のエフライム族、北伝のユダ族の王権を統一し大和朝廷をうち立てます。原始キリスト教の主神はヤハウエです。
次に、秦一族の除福が日本に渡来した時、北極星である天王を先頭に、北極星を周回する北斗七星(七大天使=七福神)と共に日本に渡来し、天照大神=ヤハウエを日本の主神とするのです。
ですから、全ての地上の文字と文明と宗教は、シュメル文明とシュメル絵文字と古代シュメルの神々が始まりである。つまり、ニビル星の文明と遺伝子が地球に移植されたと云うことです。
※以上は、二ビル星人・シュメル側から見た歴史ですが、出雲神族・縄文人は、ムー文明の王族であり、シュメルの官僚はアトランティスなど全文明の人々で、二ビル星人が創造した黒い頭の人々は労働者として使役されている。だから、前文明のシュメル人が使っていた古拙シュメル語と、ムー王家の縄文人の言葉は非常に近かったし、遺伝子的にも共通していたと考えて間違いない。というのは、日本人(アイヌ、琉球、大和は、縄文人から見れば兄弟)のYAP遺伝子は、イスラエル人と共通の基盤だからです。(追記
2019年2月27日)
1.漢字の使い方はアルファベット代わり
現代日本語では解読できない古事記の不可思議な当て字漢字の呼び名は、シュメル語や甲骨文字で読解できると云うことを意味しています。日本の神話時代は、トーテミズム制度社会だったので、神名は、即、部族名になりえたし、事実そうだった。日本の神名は、当時、アルファベットも、カタカナもなかったので、すべて漢字をアルファベット代わりにして表記していた。その資料として、下記本書から重要と思われる箇所の抜粋です。尚、神代文字はシュメルの絵文字が日本に渡来する間に、各部族で独自に派生した文字(ヘブライ語の成立過程に似た)だったのではないかと推測されます。そしてキーとなるのがウルクで祀られていた「七枝樹二神」なのですが、この「七枝樹」を生命の木とも呼ばれ、人類を創造した女神になぞらえ遺伝子という説もありま

すが、個人的にはそれは間違いだと思います。「七枝樹二神」の夫妻神は、北極星として祀られている天王=ヤハウエ夫妻を表し、七枝樹は天王に従う七大天使だと思われます。ですから、神々の最高ランク60は、初代がアン夫妻、二代目がエンリル夫妻、三代目がマルドウク夫妻、四代目がエル・ランティ夫妻(ウルクの守護神であり、当時は月神夫妻)へと禅譲されています。
右図が
女媧(ジョカ)と
庖犠(ほうぎ)であれば、二匹の絡み合う蛇、即ち二重螺旋のDNAを表しており、人類を創造したニンフルサグとエンキに相当する。しかし、彼等はウルもしくはウルクの主神では無いのです。おそらく、中国でイルミナティを創設した大サタンが七枝樹二神=天王夫妻を詐称するために、改竄したのでしょう。(その通りですと、ミカエル様から
2014/01/08))
- ■赤い麦が米の語源。
- 現在は赤米と呼ばれる陸稲のことです。ジャポニカ米とは異なり、玄米の河の部分にアントシアニンが含まれています。縄文時代の米は、陸稲を中心として、水田の両方だったようです。尚、中国の越でジャポニカ米に改良されると、これが日本に渡来し弥生文化となる(※九州の縄文人が越に移住し、ジャポニカ米になった可能性もあります)。なお、部族が移動すると地名・文化も移動する、。赤米稲作耕法は天神エンリル・トーテム部族と共に沖縄から種子島、そして日本へ船で運ばれた。一方、赤米信仰は種子島と対馬に残されており、南方経由のエンリル部族と、北方経由のエンリル部族によりもたらされている。
- ■神武系は海のシルクロードを経由して日本に渡来
- 神武系=エフライム族(当時はイスラエルの正当な末裔)はエンリルを主神とし、エジプトの宰相であるヨセフの死の直後頃に、エジプトからインド経由で、海のシルクロードを伝って日本に渡来している。そして、出雲王国を建国した。
- ■豊満神社の主神・玉より姫
- 豊満神社は種子島に多く、九州にもある。主神・玉より姫は神武天皇の妃でもある。更に「豊満」はエンリルの暗喩であり、つまり、神武天皇は海路で、日本に渡来した。
- ■シュメル語の草原(エディン)
- バビロニアに入るとエディヌ、ヘブライ語に入るとエデン、即ち「エデンの園」となった。古代印度や中国では、エディンが縮まりディンになり、これが「デン=田」である。
- ■中国の越人(南方からのエンリル信仰)
- 越人は鳥をトーテムとし、鳥霊信仰が盛んだった。鳥は風神エンリルのシンボルで、鳥トーテム民族はエンリル信仰族で、卵生神話を伝承している。越には、エンリル(バビロニアではエンリラ)の名を持つ「エンリラ城跡」がある。BC500年頃、越はクハルルと読み、その意味は「風」であった。現代中国では、越を「ベト」と読み、「越南」をベトナムと云うようになった。この系統のエンリル信仰を南方からのエンリル信仰と呼ぶ。尚、日本の越国を建国したのは、除福一族の技術集団で、旧約の民・秦氏一族(ローマ方面から移動してきた部族で、風神・エンリルを主神とする)です。ということで、日本と中国の類似は、韓国よりも濃い。
尚、欧米列強は朝鮮半島を植民地にすることを嫌がり、逃げ出した。それは、朝鮮半島に資源はなく、朝鮮人は土人同様だったからです。大日本帝国が朝鮮半島に文明をもたらしました。加えて、古代日本から古代朝鮮半島へ文明は移動しています(⇒[本当の半島の歴史]参照)(※登録者)。
- ■天神アンは北極星(バビロニア語でアヌ)
- メソポタミアでは天神アンは北極星になぞられ神々の主座であった。そして、北斗七星が七大天使で有り、この思想が道教の基本となったと推測される。天神アンの神々のランクは60で、天父神ともいわれる。60のシュメル語・アッシャムは、インドのアッサム地方の名となり、語頭母音aの落ちたシャムがタイ国の旧号、そして「父・60・天神アン」が中国でアウラクラ国(今は、広西・広東省)になっている。そして、北極星・天神=ヤハウエが七大天使を引き連れて、つまり七福神と共に船で日本に渡来した。
- ■アイヌは倭人を「シャモ」と呼ぶ
- 「シャモ」は60の「アッシャム」→「シャム」から転じた「倭人」の呼称である。要するに倭人は「天神族」だと云うことだ。最高神・天神は代替わりするので、日本の場合の天神は、エンリルの長子・月神=第四代ヤハウエ(新約聖書に出現する善神・ヤハウエ)=エル・ランティ様である。
- ■日本の神は最高神「60」を指す
- アッシャム(60)→アッカム→カム→カム・イ(60・50)→カミへと転じた。紀元前であれば、「60」は第三代ヤハウエ・マルドウク、「50」はマルドウクの後継者で養子の月神である。マルドウクは後に月神に「60」を禅譲する。つまり、日本の「神」は天上界の最高神のことで、皇室が祀る神は最高神である。神道とは、最高神の教えという意味で、旧約聖書の教え、新約聖書の教えの正当な後継差である。そして、神道の正当な後継者が千乃正法(=月神の法=エル・ランティの法)である。
- ■天照(アマ・テラス)
- アマテラスは、「アマ・テル・アス」の日本語訛りだとすれば、「天神・神殿or輝く・50」である。つまり、第三代・ヤハウエ・マルドウクと第四代ヤハウエ・月神を意味している。
- ■弾琴巫女術
- 仲哀天皇記で神功皇后も行っているが、古代日本の独創ではなく、古代中国から渡来した「神降ろしの巫女術」であった。そしてその源流は。BC四千年紀のシュメルにあった。
- ■司祭記(エンシドゥブザル)
- BC3千年頃から用いられたシュメル文字の祈願は、アッカド、バビロン、アッシリアを経て、紀元前6百年頃までの粘土板に書かれている。中国へは、司祭記がトーテム族を束ねて移動してきて陶器や亀甲や牛骨や石や青銅器に文字を書き込んでいる(テラも同じですね)。殷では司祭記をエンシドゥブシンと読み、、後には簡略化されて「司徒」となった。文部大臣の高官である三司「司馬、司徒、司空」の内の「司徒」である。尚、「エンキの失われた記憶」も司祭記が記録している。
- ■世界最古の文字から各民族独特の文字が派生した。
- シュメルの絵文字(象形文字)が最初に誕生した。シュメルの神を中心とする部族が、司祭を頭として各地に移動していった。そしてその土地に定住する種族は、シュメルの絵文字から独特の象形文字を派生させていった。例えば、シュメルではシュメル絵文字から楔形文字を作りウルやウルクから日本へ渡来した。エジプトではシュメル絵文字からエジプト象形文字を作り、後にアルファベットへと変形していった。中国では越に移住した風神種族が、シュメル絵文字から甲骨文字を作り、甲骨文字と青銅器文明を黄河地域に持ち込み夏王朝を建国した。イスラエル人はシュメル絵文字からヘブライ文字を派生させた。インドではシュメル絵文字からドラビタ文字や梵字が派生した。ドラビタ文字に最も影響を与えたのは、シュメル語であり、次にアッカド・バビロニア語であり、次にエジプト語であった。ドラビタ語に近い日本語にも当てはまると思われる。
- ■女媧(上半身女性で、下半身が蛇の女神)
- 女媧という中国神話の女神は、七枝樹二神の蛇女神(ニンフルサグ)であり、同時に地母神でもある。女神女媧は独身の神で、夫が居ないのに九人の子を産んだという。ニンフルサグは一生独身で、エンリルとの間にニヌルタを、エンキトの間に6名以上の娘と息子を儲けている。ウルク市の七枝樹二神とは別人の神ににすり替わっている。
- ■七枝樹二神とコンパス
- 七枝樹二神の三枝が男神を指しているが、漢以降では、この「三枝」が「コンパス」に変えられてしまう。蛇眼とコンパスは、全てを見通す目「ピラミッドアイ」と「コンパス」に相当し、マルドウクの長子ナブー(=大サタン)が創設したイルミナティーはこれをシンボルとしたのでしょう。つまり、イルミナティーの始まりは、漢民族(=魔族カインとカナンの子孫)から始まったのです。(⇒[魔族カナン人の正体)参照]
- ■七枝樹二神の改竄の証拠
- 七枝樹二神はウルクの主神である。それがBC3000年の粘土板に刻まれており、天の中心である北極星とされる天王夫妻と、その真ん中の七枝は北極星を周回する北斗七星として七大天使を意味している。
ところが、魔族カインとカナン人が統治する殷では、七枝が「子」に改竄されている。更に漢の時代になると、女媧と庖犠は二匹の絡み合う蛇に、三枝がコンパスに改竄されている。つまり、人類を創造したのはニンフルサグとエンキが、天王だと詐称しているのである。しかも、四枝を図柄から削除しているのは、男神こそが人類を創造した神だと強調している。この改竄は、エンキの孫である大サタン・ダビデ(ナブー)が、人類を創造した天王に成り代わろうとした証拠である。そして、大サタンは、旧約聖書において己を全知全能の神=ヤハウエと詐称している。

その後、七枝樹二神の男神の王冠には、羊の角ではなく、牛の角二本であることから、エンキでは無い。地球飛来時の12神は羊の角で神々のランクを表現していましたが、神々の核戦争以後、この12神は表舞台から去り、小神に王権を譲っています。そこで、大神と小神を区別するために、小神の王冠の角は羊を止めて、牛の角となりました。いろいろ検討した結果、この男神はネルガル、ヘビ女神はエレシュキガルだと思います。従って、ウルクの七枝樹二神と、殷の七枝樹二神とは、別神です。(2015/04/06追記)
- ■悪魔の数字666
- 大サタン・ダビデ(もしくはナブー)の出自は、人類を創造したエンキの孫で、彼の父第三代ヤハウエ・マルドウクはエンキの長子で、彼はマルドウクの長子で正当な王位継承権を有していました。エンキは火星司令官を長子マルドウクに、マルドウクは長子ナブーに禅譲します。火星は第十二番惑星にビルから見て、太陽系第六番惑星なので、数値6をそのシンボルとしていました。だから、ナブーは666で、聖書に出現するヤハウエを詐称する大サタン「呪う神、妬む神、復讐する神、全知全能の神」その人でもあります。(※登録者)
- ■シュメル文字 と 日本の縄文後期の群馬県 月夜野町 八瀬の線刻石との比較
- (1)ウブ:向き合う、(2)イミン:七、(3)ハル:牡牛、(4)キ:地母神
この(1)~(4)の組み合わせ文字を、別の表現に変えるとすれば、「甲乙丙丁」になる。
失瀬線刻石の最下端にある十は、甲骨文字「十」(七)そのものであり、一方、線刻文字「七」イミンは、漢字「甲」の初文ともいえよう。中国では、甲骨文字「十」が、一つは漢字の「七」になり、一つは漢字の「甲」になった。そして「七」の字音シツ、「甲」の字音カフも、中国自生のことばではなかった。英語「七」のセブンと同祖語だった。
- ■文字の変遷
- 問題は「農場」「農地」をサバンナ文化人が何と呼んだかということである。一万年以前の耕作地は川の流れに沿って存在した。川の上流で大雨が降り、川の水が氾濫し、その氾濫水が退いた後のぬかるんだ冠水地が種を蒔くに都合のよい「農地」であった。サバンナ文化の直系である古代エジプト人は、その「農地」をシャ、shaとよび、象形文字は次であった。
右のエジプト文字は(1)が音符のシャ、(2)が「土地」の意味符、(3)が「農場」「農地」の意味符、すなわち農場の絵文字である。


- ■伊弉諾・伊弉冉の語源
- 「三と四の男」がイザナキ、「三と四の女」がイザナミの祖語である。
(1) 三と四の男 エシユ・ア・ラム・ギシュ
(2) 七枝樹の男 エシユ・ア・ナン・ギ
→ イシャ・・・ナ・・ギ
→ イザ・・・・ナ・・キ
「男」というシュメル語のギシュは、「木」のギシュと同一文字である。したがって、そのギシュは、日本において、ギ、キ、コと転じる。伊邪那岐の岐は、その「木」「男」のキ(岐)なのだ。一方、「女」(女陰)のシュメル語「ミ」は、日本において、ミのままの場合と、メに転靴した場合の双方があり、前者のミは「美」、後者のメは「賣or売」に宛てるのが一般だった。
で、「三と四の女」は、イシヤナミからイザナミへ転じ、伊邪那美と漢字表記されたのである。
このように、ウヌグ・キ(ウルク市)の創生神であり守護神でもあった七枝樹二神は紀元前二〇〇〇年の中国の丁公村陶片文字群の中
にあっても「祈る」文字のすぐ近くにあり、『楚辞』天問篇では蛇女神の女岐が〝子生み〟の創生神の位置にあり、殷では「夫婦子」の画像銘文が青銅器に鋳込まれており、そして当時の日本列島内に「祈る・七枝樹二神」の石碑が祭壇に立っていた。このような歴史的事実を踏まえて、『記・紀』神話の〝国生み・神生み″のイザナキ・イザナミ男女二神の出自が七枝樹二神を祀るウルクもしくはウルだと断定したのである。中国には中国なりの中国化があり、日本には日本なりの日本化があった。しかし、だからといって、表現法の基本であるウヌグ・キ(ウルグ市)の円筒印章印影図とシュメル語の規範から、大きく逸脱してはいない。伝続の守るべきものは、日中ともにきちっと守っていたのである。
※(登録者)「七枝樹」については、石上神社の宝剣として納められている「七支(枝)刀」が有名です。著者によれば、この宝剣に刻まれた「泰」の文字は感じではなく「七個の文字から成る」とし、意味は「霊験あらたかな七枝樹に向かい合い牡牛神ハルと蛇女神キ」と解読している。納得です。
※(登録者)尚、日本の皇統を旧約聖書の皇統と比較すると、「天の御中主」が「ノア」に、「伊弉諾と伊弉冉」が「テラ夫妻」に相当する。
- ■伊弉諾の冥界下り
- 七枝樹二神は、最初は天神アン夫妻だったが、後にエンリル夫妻に代わった。つまり、神々のランク60が、アンからエンリルに禅譲されたのです。最初の冥界の女王は、人類を創造したニンフルサグです。独身で地球に飛来した王子エンリルは、未来の正妻を強姦してしまい、ニビル星の法に従い王位を剥奪され、冥界に幽閉された。哀れんだエンリルの異母兄エンキは彼女を説得し、彼女は冥界に下り、エンリルと結ばれる。ところが冥界の掟に従い、エンリル夫妻は長女を冥界に残し、冥界を去り、エンリルは復位する。このエンリルの長女が、二代目の冥界の女王に就任する。男女の違いはあるが、伊弉諾が冥界に下り、伊弉冉は冥界の女王になっているので、物語の原点はエンリルの冥界下りである。(※登録者)
- ■日神は独身
- ウルの皇統はアンの長子エンリルから、エンリルの長子・月神ナンナルから、月神の長子・日神ウツから、日神の双子の妹イナンナへと続いていった。イナンナが女王に就任した時に、ニンフルサグの称号金星の女神を禅譲されている。さて、エン・リルの妃はニン・リルで、ニンを付ける。ところが、日神と金星の女神を夫婦神としている。だが、イナンナは後にドウムジと婚約するのだから、日神は独身だったことになる。つまり、大天使ミカエル(現在は大王ミカエル様)は生前、独身だったと言うことだ(千乃先生を通じて発表されているとおりでした)。(※登録者)
- ■八咫烏
- 古代のシュメル人やバビロニア人は、太陽の中にある黒点を観察し、その黒点を「黒い鳥・鴉(カラス)」と解釈していた。更に、七枝樹二神の男神側に三枝があるのは、男性性器の表現で有り、太陽神の使い八咫烏の三本足は天照大神が男神であることを表現している(登録者)。
- ■一対の狛犬とギルガメッシュ王
- シュメル語の「獅子と戦う王 メ(戦う)・ウル(獅子)・マフ・ギシュ(王)・ク」が、mがgに、gがmに転じる当時の音韻変化により、ギルガメッシュになった。両腕に獅子を抱えるギルガメッシュ王の暗喩として「獅子神」「獅子と獅子」とされ、古代中国にも古代日本の線文字にも残されている。(尚、シュメル語で、ウル=犬、ウル・ク=家犬、ウル・マフ=獅子)
ユダ族のシンボル「獅子」はエンリルの系統を引くギルガメッシュ王の皇統だと云うことでしょう。そして、ギルガメッシュ王を主神とする種族が古代日本に渡来し、二頭のスフィンクスを真似て、神社の入り口に二頭の狛犬(高麗犬=獅子、双獅子)を置いた(これが南伝に対し、北伝のエンリル族である)。そして、一角獣をシンボルとするエフライム族とユダ族が日本に渡来し、旧約聖書の預言通り、ユダ族とエフライム族の皇統が合体し、大和が建国された。その結果、片方の狛犬の頭に一本角が付加された(登録者)。下記赤丸は日本に渡来したギルガメッシュ王です。

銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。銅矛は主に北九州から出雲周辺、銅鐸は近畿から東海地方にかけての地域で、主神はエンリルで同じだが、南伝エンリルと北伝エンリルの違いがあった。だから、出雲(エフライム族)は大和(ユダ族)に王権を禅譲したのです。
- ■大天使ウリエルは、ギルガメッシュ王か!
- インドの梵語、ヒンディ語、バーリ語においても、ギルガメッシュ王の暗喩は「獅子と獅子」であった。この「獅子と獅子」が転じて、ヤマからエンマとなった。この閻魔王はインド最古の神で、死者・死に神の統治者とされている。
一方で、閻魔大王は冥府の王であり、罪ある者を裁く。嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれるといった説話は、大天使ウリエルの仏教版です。従って、黄泉を支配しようとしたサタン・ナブーは、大天使ウリエルを抹殺し、すり替わることを企んでいた。天上界最高次元の神々は古代シュメルの王族だと千乃先生を通じてメッセージされているので、ギルガメッシュ王が即ち、大天使ウリエル様だということです。また、大天使ウリエルは七福神では、布袋(弥勒の化身)に対応している。(⇒[仏教と天使についての小検討]参照)(※登録者)
- ■エジプトのゲプ神はガブリエル大天使か!?
- ゲプ神は、大気の神シューと湿気の神テフヌトの息子。妹でもある妻、天空の神ヌートとの間に、オシリス、イシス、セト、ネフティスをもうける。妻のヌートと抱き合っている所を無理矢理シューによって引き離され、天と地とが分かれたとされる。
エジプト語の「日の出の日神」は、グプ・ラー → ガブ・ラー → ガブ・リー と転じる。末尾に天使を意味するエルを付ければ、ガブリ・エルその人となる。
テフヌト(Tefnut)
古代エジプト神話の湿気の女神で、雌ライオンもしくはライオンの頭を持った女神として描かれる。兄でもある夫、大気の神シューとの間に、大地の神ゲブと天空の女神ヌトをもうける。
- ■中国の風神「インインアウ」が、ひょっとこ面の祖型だった。
- BC千年紀の中国の風神を「因因呼(インインアウorイインクァウ)」と云う。インインはシュメル語の「イムイム(風・風)」の中国訛りである。クァウは「越」のことで、越から来た風神を意味する。下記の風神の面は「秦僮(シンドウ)」と云われ、秦一族も「越の風神」を主神とし、日本に渡来したときにこの面を持ち込んだ物でしょう。

古代中国の文献等に登場する風神の種々相を示しておこう。日本語「風」のかぜ「加是」「志那(しな)」も同じである。
風神・因因乎 … 『山海経』
風神・飛廉(ヒレン)… 『楚辞』 ※蛮廉とも書く。
風神・淹里羅(エンリラ)… 殷のの金石文。城名。
風神・風乍天子 … 周の甲骨文。風神は天神の子という意味。
風神・五十 … 周の金文。風神の神々のランクは50という意味。
尚、淹里羅城は、佐賀県吉野ヶ里の祖型とも言われている都城なのだが、淹城遺跡に入る門に『里羅城』と書いてあった。そもそも、淹国は越の一国で、越は風神を主神としていた。つまり、吉野ヶ里遺跡は風神を主神としていた。
- ■南伝と北伝の皇統
- 伊弉諾・伊弉冉の神統系は、ウルク系の「七枝樹二神」・「女十五神・父日神」に属する、即ち崇神天皇系(ユダ族)である。アキツ男神と女神は、ウル系(海路の海系)の「天父アンと地母神キ」・「越の淹里羅」系に属している、即ち神武天皇系(エフライム族)である。つまり、大和は南朝と北朝が合体して建国された。
シルクロードは、「オアシスの道」「草原の道」「海の道」の三通りがあり、これを経由して古代日本にシュメルの神々が渡来した。つまり、シュメル文化やアッカド文化を持った「農民」「工人」「牧民」「官僚」などが、王・司祭者の統一の元に、主神の守護を信じて、西から東へ移動していったという民族移動の歴史があった。主神としては「双子獅子」「七枝樹二神」「女十五・父日神」「天地風」諸々をトーテムとする民族が居たのである。
ちなみに、風神アネモスは、ウル市から中央アジア、アルタイ、モンゴル、扶余(満州)を経て、日本へ伝わったものである(つまり、草原の道=北伝)。
- ■「越族」の信仰
- 越族のトーテム(主神)の一つは「蛇」(⇒[古代中国と最高神・女神]参照)で、並んで「鳥」が崇拝されていた。「鳥」「白い鳥(ハト、鷲…など)」が風神の使者、あるいは風神の権化とされていた。シュメルでは“神鳥”、それも“旋風の神鳥”という文字があり、それは風神エンリルの侍大将・長子ニヌルタである。剣神である“旋風の神鳥”の眷属は、しばしば「梟」で表現されていた。また、「黒い鳥」の鴉が日神の権化とされていた。
- ■カッパの由来
- 九州・八代市に『オレ・オレ・デーラータまつり』があり、球磨川川口の堤上に、祭りの由来を書いた碑が建っている。私は、その碑を見に行ったが、碑文には「河童三千匹上陸」とあり、河童たちが口々に「オレ、オレ、デーラータ」と叫びながら上陸したとある。まさか、想像上の生物である河童が人間に近いことばを発するとは思えないが、多分、この河童は、お河童頭をした異国の水人(海人)だったのではないか。とすれば、「オレ・オレ・デーラータ」は、「ワレ・ワレ・ディラ・イダン」に近いことばであったろう。意味は、「我、我、風の共同体」、つまり「我々は風神族だー」である。※本書によれば、「かつ」はシュメル語の「風」なので、カッパの「カツ」=風神です。更に、風神の面は「秦僮(シンドウ)」と云われているので、「河童」は「風神」の一族と考えられる。
- ■風神・天の子・アネモス(ギリシア)
- 崇神天皇名、垂仁天皇名に入っている「五十」を根本的かつ綜合的に説明する時が来た。
問題の「五十」は、風神アネモスの暗喩でもある。シュメル、バビロン、バクトリア、西域北道、西域南道、中国、蒙古、満洲、韓国、日本の全てで通用した風神アネモスの暗喩。そして、パクトリア以東は、風神像がギリシア・スタイルになって、日本列島にまで及んだ。
紀元前三〇〇〇年紀のウル入社会に一つのコンセンサスがあった。人間界の王の王権は風神エン・リルから授かる。神名のエン・リルは、神・風というウル語であり、そのエン・リルの父を天神アン、母を地神キ(またはク)といった。当時のウル語では、この天地風の三神を[バ・アン・ク・リル(神・天・地・風)」のようにいうこともできた。
紀元前十世紀後半、中央アジアのアラル海付近では、右のバ・アン・ク・リルからパクトリアという国名が生まれた。首都の名はパクトラ。しかし、パクトリアは、ギリシアのアレクサンダー大王軍によって征服され以後、固有の文化がギリシア化された。ついで、グレコ・パクトリア朝の文化を継承したクシャン朝のカニシュカ一世の時代になると、風神アネモスの神像と、ギリシャ文字でアネモスと銘打たれた金貨が発行された。いわゆる風神アネモス金貨であり、BC二世紀半ばとされる。
では、ウル語でエン・リル、パクトリア語でバ・リル(またはバ・エン・リル)と呼ばれていた風神の名が、何故、ギリシア語でアネモスと変わったのか。その答えはいたって簡単で、風神エン・リルが天神アンの子、息子だったからである。
古代ギリシアにはウル語、シュメル語、アッカド語、バビロニア語、フェニキア語等が洪水の如くに流入していた。ギリシアの自由都市テーパイの建国王はフェニキアの王子でカド・モスといったが、そのカド・モスというフェニキア語はウル語のメス・バッダ(神の申し子)の逆順語、すなわちバッダ・メスから、「p→t→k」の法則通りに転靴したところのカド・モスだった。
同じように、ウル語の風神エン・リルの暗喩としてのアン(天神)ネ(の)メス(子)も、ギリシアへ入って、アネモスと変化した。グレコ・パクトリア語で「風神」の名が、バ・エン・リルからアネモスへと変化した背景には、上述のような言語史があった。
クシャン王カニシュカ一世の金貨に天駆ける風神アネモスの像、その足下にギリシア文字で「Anemos」とあったことは、ウル文化東漸のあかし、まさに歴史が浮き彫りになった金貨といえよう。
ここで尾形光琳描くところの江戸期の風神図を見ていただきたい。ギリシア人が紀元前十世紀後半に措いた風神アネモスの像が、中央アジアからシルクロードを東漸してはるかなる日本にまで到達していたことが如実にわかるであろう。尚、風神は白鳥を権化とし、口から風を吐いていたが、風神アネモスの場合、風のシンボルとして両手に布を持っているのが特徴です。尾形光琳の風神もまさに、両手に風神のシンボルである布を持っている。つまり、尾形光琳の風神がシュメルのエンリルである。

- ■アラルと七枝樹二神
- 水が減少して漁業も困難になってきたアラル海の「アラル」は、「三と四」の「七」で、七枝樹の暗喩であった。そして、アラル海附近では「河」をダリアというのだが、アラル海にそそぐ二大河のアム・ダリア、シル・ダリアは、アムが荒々しい牡牛、シルが蛇というシュメル語であった。
さらに、第九代ニビル星の統一王の名がアラル王である。もし、両者の「アラル」が同じ意味であれば、「七枝樹二神」は神々のランク「60」を持つ最高神夫婦のことである。そして、アラル王が地球を発見し、火星で亡くなった後に人類は創造されているので、60夫婦神の間にある「七枝樹」は、遺伝子を意味する生命の木では無い。七大天使の意味だと思われる。
契丹民族の『神話』によると西域の五地区に先住民がおり、そのなかに「鳥人・クメヂヨ族」がいたとある。クメヂヨとは天(アン)地(ク)風神(バ・エン・リル・ラ)の転靴語で、庫車(クチャ)と同根。そして鳥人とは、漢語の「白雉」「赤雉」の「雉」に相当し、鳥トーテム族をさす。なお赤雉とは太陽のなかの鵜をさす。また蒙古高原に生活基盤をおいた七枝樹二神族は宇文、鮮卑などである。
2.記紀を理解するのに重要な語彙集
大和言葉とヘブライ語については「
大和言葉とユダヤ語」「
カタカナ/ひらがな」参照してください。
本書より、記紀を読むのに重要と思われる語彙を集めてみました。これまで、記紀では歴代天皇名などが、倭語を漢字による当て字で表現しているため、摩訶不思議でなりませんでした。だから、記紀は本物だろうかとも思ってしまうのですが、その疑念の一部を解決してくれています。
- ウラ(浦)
- シュメル語の「父・60」。
- オソフ(襲)
- シュメル語の「50・吹く風」で、熊襲もエンリルが主神である。
- ネコ(根子、泥古)
- シュメル語からの派生で、水田、稲の意味。
- クキナガ
- シュメル語の「50・天・地の子」…エンリルは神々のランク50で、天=アンと地=ニンフルサグの長子である。
- タカンラ(宝、高良、財)
- シュメル語の「父60・父・天神アン」…エンリルのこと。
- ム・イツ(美津、満)
- シュメル語の「吹く・風」…エンリルのこと。
- 豊玉姫
- アンの娘・ニンフルサグ…エンリルと異母妹。
- 玉より姫
- エンリルの正妻ニンリルのこと。
- いかが
- シュメル語の「イル・ガ・ガ」=シュメル語で祈る。
- うらなふ(宇良奈布)
- シュメル語で「神に祈願・ウル・巫術」のこと。
- おがむ(拝む)
- シュメル語の腰シをかがめて礼拝する「ガム」が、日本語の「おがむ」の語源である。
- きがん(祈願)
- シュメル語の「祈・礼拝」のこと。
- ほ(火、菩)
- ウルクの七樹二神の牡牛神ホルのこと。スサノウの命の子孫名に「ほ」がある。
- ちぎり(契)
- 七樹二神のホルと女神キの契約の文字化である。
- 十干
- 最初の四文字は、甲(七)、乙(向き合う)、丙(牡牛神ハル)、丁(地母神蛇女)である。殷の主神がエンリルだから、殷王室の姓が「子」なのである。
- なめ(新嘗祭、神嘗祭のなめ)
- 七樹二神の四枝側に座る地母神キの倭人語です。
- オノゴ・ロ
- メソポタミアのウヌグ・キ(バビロニア語ではウルク市、現在ではワルカ)の倭人訛りである。
- 天の沼矛
- 七枝樹二神の神名「キ・ハル・キ・ハル」から創作された。
- 塩コヲロ
- 七枝樹二神の神名「キ・ハル・キ・ハル」から創作された。
- 女神イナンナの和語
- 古代日本ではイナンナを略して「イナ」と読んだ。イナ(伊那)、伊那目、稲田、稲城、稲葉、因幡の白ウサギ、稲水命(神武天皇の兄)。
- たける(武、建、タキル)
- シュメル語の「強い獅子を退治する」が転じ、タキル、タケル(建)、タケ(武)になった。つまり将軍という意味で、例えば「建速須佐之男命」は「牡牛神の海軍大将」である。他にも、竹内、竹田、武田、建部、武部などの苗字は、将軍号か、ギルガメッシュ系の部族名のどちらかだろう。
- わか(若、幼、稚、和歌、護加)
- シュメル語「父・60」が転じて、ワカとなる。すなわち天神アンの隠語である。この場合、形容詞の「若い」ではない。例えば、ワカ・タキル大王とは、天神アンを主神とするウルク系の大将軍である。
- かつ(勝)
- シュメル語のリルが「風」で、更に転じて「カツ」になった。
- インドラ
- インダス文明における風神エン・リラから派生したイン・ディラが、雷神イン・ドラである。このイン・ドラからインドの国名となった。尚、バクトリア南方の遊牧民のアーリアンは、印度に侵入してインド・アーリアンとなった。彼等は、イン・ドラ神(雷神)とアグニ神(火神)を崇拝していた。
- あきつ(安芸津、秋津、秋)
- 風神・エンリルを「天地の子」「天子」という意味で「秋津根別」という風神名も記紀にある。秋津は「天父神・地母神」である。
- はや(速、早)
- 「海員」の意味。建速スサノウ命、ニギ速日命などの「ハヤ」は「海員」なのである。
- ひこ(比古、彦、日子、毘)
- 男王の意味。
- ひめ(比売、姫、媛)
- 女性の王の意味。
- やつしろ(八代)
- 八代では“やっちろ”と発音し、バビロンの風神エン・リラの訛りである。
- ちの(茅野、千野、千乃)
- 風神エン・リラが、「や・っしろ」となり、「やっ」が抜けて「しろ」が「ちの」と簡略化された。
- さむかわ(寒川)
- サム・カワは「60・風」である。
- 天安門
- 「天安」は天神アンを意味している。
- モンゴル
- モンゴルとは、ブリヤートや匈奴(自称フンヌ)と同じ意味で、「吹く・天空・風」が訛ったものだ。つまり、モンゴル人はエンリルを主神とする。
- 輝く
- 十字が象形文字の「輝く」。その十字はシュメル語で“バル”と読む。そこから、日神はバ・バル(輝く・輝く)と呼ばれた。このバルがタル、テルと変化した。
さて、[大統領に会った宇宙人]に登場するヴァリアント・ソーは、自分のことをヴァルと呼んでいた。彼は強いキリスト教信者で有り、イエス・キリストから使命を与えられ、火星おUFO艦隊の司令官として地球に飛来し、米国大統領と会った。死後、ヤハウエの元を訪ね、地球霊団の大天使長に就任した。様々な事柄から推測するに、イエスに与えられた使命とは、UFOを駆使して、イエスの再臨時の空中携挙を実現することだったように思われる。だから、彼が自分のことを好んで“ヴァル”と呼んだのは、キリスト教の十字架=輝き=バルにちなんでのことであろう。(ヴァル様から、その通りだと。2014/01/08)
- 北九州の伊都国
- 筑紫の伊都県主の祖を五十迹手(いとて)と言う。国名の「イト」「イツ」は、すべて風神の暗喩「50」、イ・シュからの転訛語だった。つまり、魏志倭人伝にある倭国は30の国々から成るとしているが、各国は主神を持つトーテム族であった。
- にぬり(丹塗り)
- これは「50(ニヌ)・風(リル)」である。
- 丹塗矢神話
- 『古事記』に記されている伝説では、大物主大神が美しい勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)を見初めて、姫が厠に入った時に丹塗矢になって溝から流れ下り、姫のほとを突きました。驚いた姫がその矢をもってきて床のそばに置いたところ、矢はたちまちに麗しい男性となり、姫はその男性と結婚しました。そして生まれた子の名は富登多多良伊須須岐比売(ホトタタライスケヨリヒメ)と言います。この姫が成長して三輪山の麓で七媛女の一人として遊んでいるのを初代神武天皇に見初められ、結婚することになります。※つまり、大物主大神は風神だと云うこと。
- あすか(明日香、飛鳥)
- 明日香は「50(イ・シュア)・風(カバラン)」→「(アス)・(カ)」に転じた。蘇我馬子の石舞台には、巨大な石に2m大の剣を持つ風神アネモス像が刻まれている。つまり、蘇我氏は北伝風神系である。風神アネモス(=風神エンリル)はクトリアからの伝来で有り、巨大な石を使うのはペルシャ人の技術でなので、拝火教の影響もあると思われる。尚、拝火教はヤハウエと七大天使が出現している。
- エンヤラヤ
- 「エイクーリ」は、ロシア語だと「エイコーラ」、日本語だと「エンヤコーラ」となる。「エイクーリ」は、「風神エンリル・天神アン・地母神キ・ウル」から転じたもの。
- ウマシ(宇摩志)
- シュメル語「ウムン」が転じたもので、意味は「主」。
- 息長(おきなが)
- 「十五(イムヌ)・神(イル)・天(アン)・の(ナ)」が転じたもの。
- 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
- 「マサカツ・アカツ・カチ・ハヤヒ・アメのオン・ホ・ミミのミコト」は、天照大神の太子である。名の構成は「父60・風・風・風・船員・天の50・牡牛神・15女神・神の申し子」となる。
- 芦辺(あしべ)、芦原(あしはら)、芦川(あしかわ)
- アシベは「50・吹く・天空」から転じた「風神」である。「葦原」「芦川」「芦川原」と同祖語である。だから「芦原」はエンリルの都である「ウル」のこと。
- 秦の始皇帝
- 崇神天皇、垂仁天皇とその一族の名にあるイ・リ(伊理、入)は、エン・リル→エ・イ→イ・リというように転じている。秦の始皇帝の姓はエ・イなので、風神エン・リル族だったのです。当時、ローマを大秦と呼び、秦はローマの近くから渡来した人という意味だった。ローマ人の始まりはエンリルの長子月神を信仰しており、シュメルの神々が崇拝されていた。後にギリシャの神々やエジプトの神々も祀られた。
- 崎(さき),唐津(からつ)
- 佐賀県の神崎のサキは「60神」であり、カラツが「風神50」である。
- みまな(任那)
- 「風神50(ニヌ)・の(ナ)・部族(ウク・ウル)」の下略である。つまり、ニヌ・ナが転じて、ミ・マナになった。
- 原初
- 「げんしょ」と読めば始まりのことだが、「ウルク」のことである。
- 卑弥呼、卑弥弓
- ヒミコは「王(ビリグ)・王(ギシュク)・天神アン(アン)」が「ヒ・ミ・ク・ア」となり転じた女王名であると、本著者は述べている。しかし、女性であれば伊弉冉や姫の様に女性を示す単語がついているはずだと思う。だから、卑弥呼=日巫女の方が正しいのだろう。ちなみに、卑弥弓は男王のことである。
- 天の香具山
- 「天の60(アッシャム)・山」が転じたもの。
- かぐや姫
- 香具が「天の60」で、ヤが家だから、カグヤは「天の60・神殿or基地」である。天王の基地の管理者という意味だろう。※登録者
- 邪馬(やま)
- ヤマは「獅子(ウル)・獅子(マフ)」から転じたもの。
- 三ノ輪山
- 「獅子と闘う」山の意味。御諸山も同じ意味。
- まほろば(麻本呂婆)
- 強大な共同体国家という意味。
※聖徳太子の時代、部族長制の国だった。
- みかど(帝)、みこと(命、尊)
- ミカドもミコトも、シュメル語のメス・バッタから転じたもの。メス・バッタは神の申し子という意味で、ウル王族の尊称である。ミカドは天皇のこと、ミコトは神の申し子の意味で、王族(皇室)の尊称である。
- ほほでみ(火火手見)=山幸彦
- デミはシュメル語の神・デミルの下略である。火火で炎なので、炎帝神農の日本語版だろうと、著者は述べている。しかし、どうも炎のところが、納得できない。
山=「獅子(ウル)・獅子(マフ)」、サチ=サキ=天60、彦=男王とすれば、北伝50と60の男王という意味になる。バクトリアは拝火教に関連しているとすれば、片方の火=拝火教、もう一つの火=牡牛神ホルだろう。そう考えれば、北伝50と60の男王という意味とホホデミが合致するだろう。
- ◇農神のニン・ギジツダ
- 農神のニン・ギジツダとギジツダは蛇の雌雄であらわされ、時にはからみ合った姿、時には柱にまきついた姿で表わされていた。日本の尻久米縄(シリ・クメ縄、略してシメ縄)は、雌雄の大蛇のからみ合いだが、雌雄のニンギジツダとは別神である。神社や仏閣によく見かける、左右の柱、あるいは鳥居の柱にまきついた二頭の竜は、いうまでもなく、天宮の門衛神であり農神でもあったギジツダ両神の日本的表現である。
- おししろ(忍代)
- 景行天皇の名にある「忍代」は、オソ・シロと読むが、「50・風」という意味である。
- 崇神天皇の和風号ミマキ(御間城、御真木)
- ミマキは「天神・地母神の子」という意味。
- 崇神王朝の天皇名や皇子名のたらし(足、帯、多羅斯)
- タラシは、隋書では多利思(タラシ)、三国史記では太良洲(タラシュ)となっている。「父(アズ)・60(アッシャム)・50(イシュ)」が転じたもの。
つまり隋書で有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや」の「タリシヒコ」は、天神・風神を主神とする男王だった(⇒[聖徳太子の出自と謎解き]参照)。従って、崇神天皇の和風号ミマキ・イリ・ヒコと、隋書の倭王の字タリシヒコと、記紀に出てくるタリシヒコは、全て同一の内容だった。
- 景行天皇の和風号
- 大足彦忍代別天皇(オホタラシ・ヒコ・オシロ・ワケ)と表記されている。以上から、「父60・50」「男王」「風50」「父60」である。つまり、景行天皇の和風号の意味する所は、部族の大王という意味である。従って、天皇の和風号とは、天皇=大和の大王を支える複数部族の主神名を並べたものだった。
- 猿田(サルタ)
- シュメルの蛇神ガムッシュが、バビロニアでサル・バニツムに転じ、下略。
- 油(あぶら)
- 「父・日(ラー)」=アブ・ラーのこと。ラーはエジプトの太陽神で、シュメルではマルドウクです。また、ラーは冤罪のためにエジプトから追放され、彷徨していた時代があり、アメン・ラー(隠れた太陽神)とも呼ばれている。このアメンが聖書の民が神に祈るときの言葉“アーメン”である。
- 宇摩志、宇迦斯、優呼臣、ウカシ
- シュメル語の司祭書記エン・シが転靴したもので、司祭長、王、族長の意味。
- 素戔嗚尊(スサノオ命)
- 司馬貞は『史記』の冒頭「三皇本紀。炎帝神農。」にこう書き加えている。
炎帝神農は人身牛首である(中略)。木を切って鋤をつくり、木をたわめて鋤の柄をつくり、鋤の使用法を万人にしめして、初めて耕作を教えた。それゆえに号を神農氏という(後略)。
この牛首の炎帝神農を高句麗語ではスサといった。今も北朝鮮語でスサという。が、よく考えるとこのスサは、シュメール語の牡牛神シュウシュハルから転じたスサ、そして日本の牛頭天王といわれるスサノヲ命のスサ(須佐)、スサン(素箋)とも同系語であった。ということになると、中国語の(ライ、レイ、ルイ、リ)、辰(シソ)がバビロニア語系、究極的にはシュメール語系であったということも肯けよう。さらにシュメールには牡牛神のハル(シュウシュハル)がいた。中国の商代甲骨文字の「丙」、金文では「夫婦好」(七枝樹二神)の、あの牡牛のハル神がウルク市の守護神だったのだ。…登録者:説得力に欠ける。
- 乙姫(おとひめ)
- シュメール語の「日」のウツは、古代中国でイツに転じ、甲骨文字で「ミ」(漢字で乙)と書いた。古代日本では、オツ、あるいはオトへと転じた。乙姫(オトヒメ)のオトは「日・太陽」である。なお、宇都宮の宇都も、当然「日」であり、宇都宮は「日神宮」である。
3.しめ縄に見るシュメル語・倭語から日本語へ
[数の文化史を歩く]によれば、「しめなわ」の語源とその意味を過去に遡ることで、現代語の「しめなわ」が、古事記の天の岩戸神話「シリクメ縄」に由来していること。更に時代を遡ると、
シュメル語の蛇(シル)と蛇(ムシュグビ)を重層させたのが、日本語の「シリクメ」のシリ・タメだということが明らかになる。つまり、このようにして、シュメル語彙から倭語へと移行し、そして日本語が誕生したのです。
下記資料はすべて[数の文化史を歩く]より抜粋しました。
「しめなわ」は江戸時代からのもので、漢字で「標縄」「注連縄」「七五三縄」と書く。その意味は下記の通りですが、天皇の和風号と同じで「しめなわ」の意味を、それぞれ三種類の漢字に当て字して説明しているとしか思われないのです。
- 「標縄」
- “標の内”“標の外”という言葉があり、神社の境内の内また境内の外を指す。つまり、神域の内と外ということである。こうした用法から「標縄」の語釈は「神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄」(広辞苑)ということになる。
- 「注連縄」
- “注”は水を注ぐことで、「注連」とは、漢和辞典によれば「水をそそいで清め、連ねて張る縄。出棺後、死者の魂が家に帰ってこないように家の出入口に張る」とあり、これは中国の用語の類似的な意味を借りたものであろう。
- 「七五三縄」
- 「七五三縄」と書くのは縄の形状からきている。「しめなわ」というのは、わらを左縒りに綯ってゆき、その途中、わらの茎を三筋・五筋・七筋と順次に細い放して垂らし、さらに、その間々に紙弊(もとは木綿を用いた)を垂らすわけで、このように三筋・五筋・七筋と垂らす形状から「七五三縄」という表記が当てられたものと思われる。(※DNAは左巻きなので、出雲式しめ縄の方が正しい。)
さて「しめなわ」はいつ頃から日本に登場したのだろうか。
古事記の「天の岩屋戸」の場面に「しりくめなは」という言葉が出てくる。表記は「尻久米縄」である。「しめなは」は「しりくめなは」と同じであり、また「しめなは」は「しりくめなは」の略であると解されている。
アマテラスがスサノヲの乱暴な振舞を見て恐れ、岩屋戸に身を隠してこもってしまったため、「八百万の神」が集まって、いろいろ工夫をし、ふたたび
アマテラスが岩屋戸から姿を現わしたさいに、アマテラスの後ろに「尻久米縄」を引き渡して、「これより内にな還り入りそ」(ここから内にはお戻りなさいますな)と申し上げた、というあの神話である。
古事記の「しりくめなは」には、その形状の記述が見られないが、日本書紀を読むと、同じ「天石窟」の場面に「しりくめなは」が出てきて、その表記は「端出之縄」となっており、それには注記が付いていて、その縄の形状と語の訓みが記されている。「端出之縄」という表記が縄の形状からきていることが分かる。縄の形状として分かるのは、「左縄」であるというのと、「端出す」という作りだという二点だけである。
「左縄」というのは、ふつうは右搓りに綯うのを、それとは逆に左搓りに細った縄ということで特記されているわけだろう。その意味は、神域への立ち入りを禁止する神聖な縄だからということだろう。「端出す」というのは、縄の端を切らずに細い放しにするということで、その意味も「左縄」の場合と同じようなことであろう。
では、「しりくめなは」の語源をシュメル語から見てみよう。
「巳」の中国語音シはシュメル語の蛇「シル」に由来していた。一方、日本語の蛇(巳)の語源はシュメル語のもう一つの蛇のムシュグビである。
シル :蛇(シュメル語)。バビロニア語でシール。中国語ではシ。
ムシュグビ:蛇(シュメル語)。バビロニア語ではクップー。日本古語ではクビ。
このムシュグビが、日本ではムシ(虫)とクビ(蛇)に二分された。
ムシュ:虫。這う虫(シュメル語)
ムシ :虫。這う虫。飛ぶ虫(日本語)
このように、シュメル語の「虫」は、ほとんどもとの音のままで、日本語になっていた。グビ(蛇)も日本でクビ(蛇)になり、ついで音転で、クミ(宛て字は酌)、クメ(宛て字は“久米”)になり、最後には後尾の「ミ」だけでも「蛇」「巳」として通用するようになった。
なお、
シュメル語の蛇(シル)と蛇(ムシュグビ)を重層させたのが、倭語の尻久米縄のシリ・タメ→シリ・クメである。日本人ならば、注連縄、尻久米縄の形態が、どのようなものであるかよわきまく弁えていよう。
蛇と蛇のからみ合った縄である(
つまり、DNAの二重螺旋構造を意味している。だから左搓りであり、生命にとって神聖な叡智だ。)。だが、そのシリ・クメは言語の面からいえばシュメル語の蛇(シル)と蛇(グビ)を重ね合わせたものだった。〔註・新潟県頚城郡のクビ・キは「蛇・地母神」である。また注連縄(シメナワ)は尻久米縄の省略語である〕)
それでは、誰が「シリクメ縄」の作り方を教えたのだろうか。それは、シュメルの神であった。だから、「七五三縄(=しめ縄)」の「七五三」については、
七は七枝樹二神を、
五は「50:風神エンリル」、
「30:エンリルの長子・正義を照らす・月神」を意味しているから、357ではなく、貴い順から「七五三」と云うのだと思われるのです。また、日本でこの「七五三」を尊ぶのは、北極星を天皇天帝とする道教から伝来したと云われている。他には、([
七五三の祭と同盟星について … 今後の課題])参照。
つまり、天の岩戸神話を伝えた種族の主神(天照大神)は、雌雄の蛇が絡み合う姿で、人類を創造した神々への崇敬を込めて、DNAの二重螺旋構造を神聖な知識を、人類の未来への希望として伝授していたのでしょう。
大和民族は神々から「しめ縄」を伝授され、心と精神の浄化された場所を聖域とし、そこに「しめ縄」を張り、穢れを嫌ったのです。その聖域では、貧富の差や社会的地位の違いとは無関係に、良心の前に平等が存在していた。この皇室の伝統を武士道が受け継ぎ、庶民は暖簾の内側を聖域と見なし、損得を抜きにした「もてなし」を行ってきた。だから、日本人は職場では威儀を正し、何も買わない客に対しても礼を言うのです。(⇒[
日本神話に刻まれた神々の叡智]参照)
従って、神聖な神宮の入り口である「鳥居」は「風神・エンリル」を意味し、本殿入り口の「対の狛犬」は「ギルガメッシュ王」「ユダ族とエフライム族」を意味し、本殿の「しめ縄」は「七枝樹二神=初代もしくは二代目の天神夫妻」を意味している。つまり、本殿の奥に四代目の天神=天照大神が祀られていると云うわけです。
4.古事記と日本書紀の著者は南朝と北朝
古事記と日本書紀の「神代七世」の独身神と夫婦神の数を比較して貰いたい。古事記の場合には、7=2+5で、「七枝樹二神」の数え方からウルク系である。日本書紀の場合、7=3+4で、「七枝樹二神」の数え方から非ウルク系である。だから、倭語の使い方も異なっていると思われる。ちなみに、第四代ヤハウエ=シュメルの月神=天照大神の神殿はウルにある。また、ウルクの都市神は月神の娘イナンナ女神である。だから、同じ天照大神を主神とする種族であっても、
古事記を編纂した太安万侶と稗田阿礼は海路で渡来したウル・ウルク系(南伝)で、
日本書紀は中国大陸経由の除福や秦氏一族(オアシス経由 … 原始キリスト教・景教系)だと区別できるのです。だから、日本書紀には陰陽説や五行説が神代編にふんだんに取り入れられて、古事記は当て字の漢文だったのに対し、堂々とした漢文で書かれていたのでしょう。それは、白村江の戦いに敗れた日本は当時唐軍の植民地政策を受け入れ、文字を漢字化、歴史の唐化を強制されていた事にも関連しています(⇒[
真実の古事記]参照)。
ですから、
皇室が一度南北朝に別れる以前から、天皇には南北朝が交互に即位していたし、顔つきも異なっていたのだと思います。逆に、南北朝が統一された現在の皇室は、正当なウル・ウルク系だと思われます。
◇古事記の場合
天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したもの。712年に献上された。
- 別天つ神(べつあまつかみ)
-
- アメノミナカヌシ …原初の神
- タカミムスヒ …原初の神
- カムムスヒ …原初の神
- ウマシアシカビヒコ …二番目に現れる神
- アメノトコタチ …二番目に現れる神
- 神代七世(かみよななよ)
-
- クニノトコタチ …独身
- トヨクモノ …独身
- ウヒヂチ ・スヒヂニ …対偶神
- ツノグヒ ・イクグヒ …対偶神
- オホトノヂ・オホトノベ …対偶神
- オモダル ・アヤカシコネ …対偶神
- イザナギ ・イザナミ …対偶神
◇日本書紀の場合
奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。
- 別天つ神(べつあまつかみ) …記述無し
- 神代七世
-
- クニノトコタチ …独身
- クニノサツチ …独身
- トヨクムヌ …独身
- ウヒヂチ ・スヒヂニ …対偶神
- オホトノヂ・オホトマベ …対偶神
- オモダル ・カシコネ …対偶神
- イザナギ ・イザナミ …対偶神
(注)
日本書紀・巻第一の冒頭が「古に天地未だ剖れず、陰陽分れざりしとき」で始まるこが、この文が『准南子』「真訓」の中の「天地未だ剖れず、陰陽未だ判れず」と同文であることは研究者の指摘するところであり、また易に関しても例を挙げて「日本書紀の編者は易学に深い人であったことがうかがわれる」と指摘する研究者もいる。
5.道教について
天皇という言葉を使う以前は、“院”と呼ばれていた。 死後は尊称として諡に天皇を付されていた(後醍醐天皇だけは例外)。つまり、死後に天上の一員になるという意味です。日本では、天上の政府を地上に反映させた形で、地上に諡として天皇の称号を持つ支配者が居る。つまり、天上界の形態を、地上に反映させたものとも捉えられていたようです。この天上の神々は、天照大神をはじめとする皇祖皇宗ということになります。
天皇という言葉は最初に道教に出てきます。
宇宙の最高神は天皇大帝で、
高級官僚が“真人”、低級官僚が“仙人”でした。天皇大帝がヤハウエ=天照大神、真人が大天使、仙人が天使に当たるのでしょうか。天皇大帝は官僚達に命じて地上を善導しているとされていた。この天皇という意味は、天の支配する者の意味で、生きている人間に対する言葉ではなかったのですが、後々尊称として拝借したようです。
古来シナでは
天皇大帝は元々北極星を指していた。それが東方世界の最高支配者を指すようになる。そして、天皇は、太陽が昇る「日の下」「扶桑」「方丈」を治めていると云われていた。つまり、新羅系の天武天皇(和号に真人を含む)が始めて天皇を名乗り、道教に詳しかった天武天皇は、「日の下」→「日本」としたという説があるが間違いである(神の忠実な相続者の意味で[
ヘブル語の「日本 NIHON」]参照)。つまり、日本国初代天皇です。そして、毎年五ヶ月間肉食を禁じただけではなく、古代日本独特のヘアースタイルから、髷に改めさせたことからも、明らかにこれまでと王朝が異なる。
- ■神道は呉越の巫術を受け継いでいる
- 福永説によれば「伊勢神宮を筆頭とする日本の神社・神宮、はその殆どが中国土着の呪術信仰、宗教思想を集大成する道教と密接な関連を持つ」ということである。古来、中国の江南(呉)の道教が日本文化にいろいろ影響を与えていることが考証されているが、七・五・三の数に関連して次のようなことにも言及されている。
江南の道教のいちばんの基盤をなすものは、西暦前一世紀に善かれた司馬遷の『史記』などに記述されています呉巫ないし呉越の巫術です。呉越の巫術というのは、神に仕えて祭事・神事を掌り、降神、祝祷、禁呪、治病などの道術を行いますが、巫女は朱色の袴をはき、「帯に十余の小鈴をかけ」、もしくは「鈴を手に握り」、「鈴を振る」などと記述されています。このような呉越の巫女の流れを汲むと見られるものは現在の日本にもたくさんあります。
たとえば、奈良の大神神社や京都大阪の古くて由緒ある神社にお参りすると、巫女さんは朱の袴をはいて、金属製の鈴を持っていますが、その鈴は上中下の三段になっていて、いちばん下は七個、真ん中は五個、いちばん上は三個といったように七・五・三の構成です。
- ■『老子』第四十二章
- 有名な「道は一を生ず。一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」という一文は易の考え方を踏まえている。
陰陽二気の相互関係については「天文訓」に「天地は、以て分を設けて陰陽と為す。陽は陰に生じ、陰は陽に生ず。陰陽相交わりて、四隅すなわち通じ、或は死し、或は生じて、万物すなわち成る」とあり、陰陽は相互に孤立して対立するものではなく、陽があって陰が生じ、陰があって陽が生じるというように相互連関の中にあるものであって、陰陽の二気が相交わることによって万物が生成するのだ、と述べている。これもやはり、『老子』に「万物は陰を負うて陽を抱く。沖気(ちゅうき)は以て和を為す」とあるのと照応するものであろう。「沖気は以て和を為す」とは、陰陽二気が相交わることによって天地間万物の調和が生じるということであろう。
※真空は空では無くゼロ点エネルギーに満ちているとする、現代素粒子論の考えとそっくりである。そこでは、不確定性原理からエネルギー補ソンの法則が敗れ、極微の時間であれば、仮想粒子対やゼロ点エネルギーが生成・消滅を繰り返している。それにより、諸々の引力と斥力が生じ、粒子が生成され、我々の宇宙の運行は保たれているのです。しかし、一体誰がこの高度な知識を教えたのでしょうか?
- ■「易経」の起源
- 「易経」は周時代に大成され、「周易」と云う。他にも、夏易・殷易と云うものがあったとされている。おそらく、夏を建国した越人が持ち込んだものでしょう。この「易経」や「陰陽説」の高度な理論を基盤とする数学的・計算的な性質は、同じく高度な太陽系科学に基盤を置くマヤ暦に似ているように思うのです。であれば、越の主神は風神エンリルが、越に基地を建設するときエンキ系の科学技術者が、これらの知識を必要に応じて教えたのだと推測されます。当時の神殿建設の責任者はトートで、彼はピラミッドやマヤの神殿・マヤ暦を人類に与えています。
- ■天皇は道教用語
- 日本の古代文化と道教との関連性について福永光司『道教と古代日本』においては、《日本の古代文化が中国の土着思想である道教の思想信仰と明確な関連性を持ち始めるのは、それまで「きみ」とか「おほきみ」とか呼ばれていたこの国の元首を新しく道教の神学用語である「天皇」概念を用いて、おごそかに、またすがすがしく呼び改めた時期からである》と述べられており、その時期については、「道教との文献実証的に確実な関係ということになると」七世紀後半の「天武・持続の頃」としている。そして文献実証的な例証を挙げて次のように記している。
《持統天皇を生母として天武の皇太子であった草壁皇子の西暦689年4月の若き死を悼んで、当時の宮廷歌人・柿本人麻呂の作った挽歌(『万葉集一巻二)に、「清御原の宮に神ながら太敷(ふとしき)まして天皇の敷きます国」とあるのがそれであり、この挽歌に用いられている「天皇」の語はその五年前、天武十三年(六八四)に制定された「八色(やくさ)の姓」が、中国の道教の神学で神仙世界の高級官僚を意味し、最高神の「天皇」とセットにされている「真人」の称号を、日本の天皇家の一族にのみ賜わる「姓」として採用していることと緊密に対応する。》
「八色の姓」というのは「真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなき)」の人種の姓のことである。「八色」の「八」は実数であるが、同時に聖数的性格も帯び、道教と関連づけられていると思われる。天武天皇は道教と深い関係をもっていたようで、その諡として用いられた「おきの真人」という称号も道教に由来するもので、(「おきの真人」というのも道教の神学で「えい州」と呼ばれる海中の神山に住む世界の高級者という意味である)ということである。ちなみに、「えい州」に関しては『史記』にも「海中に三神山あり、名づけて蓬来・方丈・えい州といふ。仙人これに居る」とあり、中国の伝説的三神山の一つで仙人が住んでいると伝えられている。
記紀に見られるこうした「八角形」宇宙観・世界観とでも呼ぶべき表現が何を意味するのかといえば、「道教の神学における宇宙の最高神・天皇(天皇大帝)の、八紘(八荒と同義で、世界の全体を意味する)すなわち無限大の八角形の中心に高御座を置いて全宇宙(世界)を一宇(一家)として統治する神聖な政治理想を意味するものにほかならない」と捉えられている。
(2014/01/07~09,~12 北)
※卑弥呼の鬼道 未完成 2013/04/14~
- ■老子の道教[老子 ちくま学芸文庫]
- インドではカースト制度が完全に支配しており、生まれによる差別が社会を完全に牛耳っていた。そこで、神々は狭いインド社会を離れた広い宇宙の立場から、人は生まれではなく、その魂のあり方によるのだと、ブッダを通じて人々に諭したのだ。この仏教の役割が、専制皇帝制と儒教による暗黒時代に苦しむシナ人に対する道教の役割と似ている。
インドでは天の女王イナンナによる高度な文明を基盤としており、宇宙の立場から己の内面を見つめることが可能な知的水準だった。だが、シナでは漢字には文法が無く、自分の内面を見つめるだけの知性が育って居らず、伝承者が居なければ、個人個人の勝手な解釈がまかり通る社会だった。だから、専制皇帝・儒教の絶対支配から抜け出すために、対面や富や地位に見向きもしない、無為と水の流れを模範とする心の状態を説いたのだ。そのことを端的に示しているのが、下記の老子の一文だ。
為政者が聖智のさかしらを無用として、それを棄ててしまえば、人民の福利は百倍する。
為政者が仁義の道徳を無用として、それを棄ててしまえば、人民はもとの孝慈に立ち返る。
為政者が功利のからくりを無用として、それを棄ててしまえば、世の中に盗賊など居なくなる。
この三つの文章では無為がまだ主体的に語られていず、説明が不十分だと考える。
だから次の言葉にこれを繋げよう。
素ごころもあからさまに、あるがままなる己れを守り、私情を抑えて我欲を少なくするのだ、と。
- ■鬼神とは、ギルガメシュ英雄王の中国式表現である。
- 紀元前千三百年ごろ、「鬼方」という部族が黄河中流から上流にかけて住んでいた。むろん、甲骨文字に刻まれていた部族であるが、鬼方の「方」は邦(国)と同義なので、鬼方は鬼国と同義ということになる。鬼方の「鬼」という文字の成立過程をいうと、「獅子と格闘する英雄」「獅子を両脇にかかえる英雄」が初文であり、その初文から次第に変形して、ついに漢字の「鬼」となった。
- ■鬼道とは、宗教共和国を建設した五斗米道教団の神々のことである。
- 五斗米道(190~215年)とは、後漢の時代の中国で張陵が起こした道教集団である。張陵という人が現在の四川省で太上老君のお告げを受けて、天師の位と正一盟威(しょういつめいい)の道を授けられ、はじまったとされる。
張魯が張陵を『天師』として崇めたことから、後には『天師道』という呼称に変わり、さらに正一教と名を変えて現代まで残る。呪術的な儀式で信徒の病気の治癒をし、流民に対し無償で食料を提供する場を設けた。悪事を行ったものは罪人とせず3度まで許し、4度目になると罪人と評して道路工事などの軽い労働を課した。これらのことにより信仰を集め、さらに信者から構成される強固な自治組織が形成されていった。一般信者を鬼卒、それをまとめるものを祭酒、更にその上に治君・師君(張魯が号した)を置く階級制があった。
- ■現在の道教の教派は全真教(全眞敎)と正一教の二つに大別されている。
- 全真教(ぜんしんきょう)は、金の支配下にあった中国の華北の人、王重陽(1112年~1170年)が開いた道教の一派である。七真人と呼ばれる七人の開祖の高弟たちが教勢の拡大につとめ、次第に教団としての体制を整えていった。…チンギスハンの時代
その教理の根本は、王重陽の作とされる『重陽立教十五論』の中に述べられているが、その中で説かれている内容は、もはや道教本来の不老長生を求めるのみではなく、仏教とりわけ禅宗の影響が色濃く見受けられる。なお、後代南宋の朱子(1130年
- 1200年)が打ち立てた新しい儒教の朱子学からも影響を受けた。そのことは、王重陽が、盛んに儒仏道の「三教一致」を標榜したことに、容易に見て取れる。
- ■天皇と皇帝
- 道教に天皇大帝と出てくる。秦の始皇帝が、諸国を統一した時、何という呼び名にしようかと相談した。天皇、地皇、泰皇の三者がいて、泰皇が一番尊いとされている。始皇帝はこれらに変わり、皇帝(大地母神の伴侶)と名乗った。
天皇、地皇、泰皇 ⇒ アヌ、エンリル、エンキ。
皇帝、大地母神 ⇒ エンキ、ニンフルサグ or ナブー、サルパトニ
- ■シルクロードの終点・日本は金銀が豊かだった
- ・卑弥呼の時代から、日本の貿易は、砂金。→日本にアヌンナキの基地があった! 前5千年頃、九州全域が住めなくなるほどの大爆発があり、九州の縄文人は
越も含め移住した。越⇒夏人へと移住していった。
・江戸時代は大量の金が有り、金と銀の価格差が貿易として成り立っていた。
マルコポーロの時代は銀で、その後は銅。
・縄文時代の日本列島は、金・銀・翡翠の産出国。
アヌンナキ宮殿→高度な縄文文明。シナは銅と鉄。
6.謎の神 アラバハキ
これまで数冊程度ですがアラバハキについて読みましたが、納得できませんでした。しかし、本書[謎の神アラバハキ ロッコウブックス 川崎真治著]を読んで多く納得しました。その中で、非常に興味を引かれたのは、シュメルの日神ウツとエジプトの太陽神・ラーを古代日本人がきちんと分けて理解していたこと、そして神代文字の一つとされる「アヒルクサ文字」がインドのアショカ王文字の一種であること、さらにはアイヌ民族がインドのドラビタ族だと云うことを、日本に残る線刻文字を通じて主張しているところです。尚、下記の資料は全て本書からの抜粋です。(⇒[
神武以前の部族]参照)
6-1.アラハバキは天神・地母神の子の意味
アラハバキという神の名をまだ知らなかった昭和五十年の夏、私ほ遮光器土偶([
亀ヶ岡文化と遮光土偶の神々]参照)の謎にひかれて津軽を旅したことがある。
拙著『土偶の謎』(昭和五十年十二月、二見書房刊)の中で、その考察の結果を述べたが、要するに、縄文後期の作といわれる津軽の遮光器土偶は、その文化的系譜が紀元前三千年紀の古代オリエント、紀元前二千年紀の中国文化につながっていたのである。
アラバハキ神の本質は父が天神(もしくは獅子神)、母が地母神、その両親のあいだに生まれたのがアラハバキ神(アラ・ハバ・キ=アラ・ハハ・キ=天神・母・地母神)。この神統譜こそ『東日流外三郡誌』の真髄だったのである。
問題は、上古の日本に父が天神(もしくは獅子神)、母が地母神、その子神がアラハバキ神という〝神″が存在したか否かである。存在証明が言語学的に、神話学的に、文化人類学的に、民俗学的に、はたまた考古学的に、なされれは、『東日流外三郡誌』の記事のかなりの部分が〝真の歴史〟といえるのである。
また、『古事記』『日本書紀』に登場する長髄彦と『記紀』には登場しない安日(あび)彦とが、東北地方に荒吐王国を樹立したと『東日流外三郡誌』にはあるが、では、その荒吐王国を『記紀』のほうでは、どういう国名で表現していたのか。それが判明すれば、アラハバキの実存性が、古代文献の上でも、証明されたことになる。
さて、荒吐王国の中心地、ツガル、津軽、ツカリ、津刈、トカルだった。七、八世紀の大和朝廷では、そのツガルの荒吐王国の国人を蝦夷(ゑみし)と呼んでいた。七、八世紀のころ、荒蝦夷(アラ・ヱミシ)と和蝦夷(ニギ・ヱミシ)が東北にいた。前者は大和朝廷に服しない蝦夷であり、後者は大和朝廷に服し、平和的に田夷(たゑみし・水田耕作民)となったものである。
ところが、
舒明天皇、皇極女帝時代、天皇家をしのぐ勢いとなった蘇我の大臣の当主の名が蝦夷(ゑみし)であった。本来なら、蝦夷は忌むべき名であったと思うのだが、それがそうではなくて蘇我蝦夷である。これは、いったい、どういうわけなのか。
理由は、蝦夷の字音の「クハイ」と訓音の「ゑみし」、それに蘇我(ショガ、そが)という名にあった。 まず「クハイ」が日本で「ゑ」に転託する例を示そう。絵画(クハイ・ガ)。絵(ゑ)。回(クハイ)。回向(ゑこう)。この転訛ぐせによって、「獅子と獅子(ウプ・ア・リー)」「母・地(アマ・キ)」のウグ・ア・リー・アマ・キが、ウガリー・エメ・キ
→ クハイ・メ・シ → 「ゑみし」と転じたのである。そして、クハイに漢字の蝦夷が宛てられた。つまり、「ゑみし」は、アラハバキと同義の日本古語だったのだ。
一方、蘇我蝦夷の蘇我の「蘇」は、阿蘇辺族の蘇とか、阿蘇山の蘇と同じで「獅子神アラ」からだった。次に蘇我の「我」ほ、ウガリー(獅子と獅子)のガ、ツガル(男・獅子と獅子)のガ、賀茂の賀と同じであった。要するに氏名の蘇我は、中国の姓でいえば「姒」と同じであり、「公孫」氏と同じであり、黄帝系の氏名であったのだ。
したがって、舒明天皇、皇極女帝時代の大臣であった蘇我氏の当主の名に蝦夷があっても当然なのである。いうなれば蘇我氏の「通し名」としての「獅子と獅子」の一表現が蝦夷、そういうことだったのだ。
6-2.アヒルクサ文字はインド文字の一種
神奈川県座間市大山の阿夫利(あふり=「父(アブ)・日(リーorラー)」)神社の線刻石は、文字の書体の系統としては(1)中国甲骨文字系、(2)印度・阿育(アシヨカ)王文字系のアヒル草文字、(3)エジプト象形文字系と三つの系統が混在していた。が、この三系統混在はたいして気にかける必要ほない。なぜかといえば、われわれ日本人が、今日でも中国の漢字と、平仮名、片仮名とローマ文字を平気で一つの文章の中で使っているからだ。
大山の阿夫利神社の神璽に印度阿育王文字系のアヒル草文字が印刷されていることは、昭和七年、宮崎小八郎氏の発見で、私も承知している。そのアヒル草文字の「た」と「な」の二字が、大山の阿夫利神社へ登る女坂の石段の一つの石に彫られていた。
- ■第三代ヤハウエとミカエルが日本に渡来していた(登録者)
- 下記のように、エジプトの太陽神・ラーと、アヒルクサ文字、七枝樹二神が、刻まれている。また、アヒルクサ文字「た」は、シュメルの日神(ウツorウタ)である。従って、「父日(ラー)日(ウツ)」という並びになる。しかも、日(ウツ)の左に七枝樹二神が添えられているのは、ウツが七枝樹二神の孫だという出自を表している。そして、第三代天王ヤハウエ(神々のランク60)=マルドウク=ラー=アメン・ラーは、水神エンキの長子でありながら、風神エンリルの長子でウルの主神・月神を養子に迎える。BC555年頃に、月神は地球司令官(神々のランク50)に就任する。月神の長子・日神(ウツ)は、ラーとは義理の爺様に相当するのだ。だから、「父日(ラー)日(ウツ)」と刻まれた神名は正しいのです。つまり、第三代ヤハウエとウツ(聖書ではミカエル)を守護神とする民族が日本に渡来していたのである。
6-3.アイヌとドラビタ族
シュメル人とバビロニア人(バビロニアはマルドウクの都)の融合、混血民族が紀元前二千年以降のインドのドラヴィダ民族であり、アイヌ人は、そのドラヴィタ民族のうち、バビロニア系の血の濃い人々の子孫だった。なぜそういえるのかというと、バビロニア語の「男」「人」のアピール、アピール、アヰール、アイールの語尾ル(lu)がヌ(nu)に転じたのが「アイーヌ」「アイヌ」だったからである。つまり、アイヌとは「人」、バビロニア語系の「人」。だからこそ、バビロニア語の「新」「新鮮」のエッシュが、はんの少しなまっただけのアッシン---それでもってアイヌ語の「新しい」になりえたのだ。
それにひきかえ、日本語の場合には、シューメル語とパピロア語の双方の「新」「新鮮」が、今でも使われている。
ニヒ(新)……語源はシュメル語のギ・ビル。英語のニュウと同源。
アラ(新)……語源はバビロニア語のエッシュの重畳語。
英語のフレッシュのエツシュと同源。
荒吐神、アラ・ハバキ・カムイのアラとのかかわりにおいて、日本語アラの語源の種々相を紹介してきたが、「新」のアラはシュメル語でなくパピロア語のエッシュが語源であった。
※ちなみに、アイヌ人には蒙古斑が無く、白人系です。おまけに、よく見ると青い瞳をしています。だから、出自がどこなのか分からずにいましたが、本書の説明で納得できるのではないでしょうか。(登録者)
※アイヌの出自については、「
出雲神族の伝承」の方に軍配を上げます。
6-4.殯(もがり)の荒城(アラキ)
国語辞典をひくと、あら・き、荒城が、こう説明されている。
上代、貴人を葬る前に、遺体を棺におさめて、仮に安置すること。
一方、もがり、殯は、次のように説明されている。
天皇崩御の直後、枢(ひつぎ)を安置しておくこと。荒城(あらき)。
語源を先に示すと、「葬儀」「人の死」のシュメル語アドゥと、同じくバビロニア語のバグルである。

楔形文字から説明すると、先の文字が「男」「人」「羊」「四」「多数の」であり、後の文字が「死」である。また、「死」の字音は、シュメル語が「バドゥ」「バ」「ビ」「べ」などであり、「人」の字音は、シュメル語が「ル」、バビアニア語が「アメール」「アピール」等である。そして、以上の「人」と「死」を合成した「葬儀」を、シュメル語ではアドゥといい、パピロニア語でほバグルといったのだが、そのバビロニア語のバグルは、バ(死)アメール(人)からm→g転託したバァグール、パゲル、バグルであった。
次に、日本語の場合には、語頭音bが鼻音代償でmにかわってマァゲール、モガール、モガル、モガリとなった。シュメル語のアドゥの後に「人」を付したアドゥ・アメールから、d→l転により生まれた日本語が、アラケ→アラキであった。
6-5.族長・司祭について
古代中国の殷に、シュメルの司祭書記が住んでいたことを(夫)婦好墓から出土した青銅器や石牛の銘文によって証明した。
一方、古代の日本列島にも、じつは司祭者エン・シが沖縄から東北にいたるまでの各地に住んでいた。そのことが、言語、地名から知れたのである。
まず、沖縄からいうと、エン・シがアン・シへ転靴し、漢字の『按司』が宛てられていた。近年では按司をアジとよんでいるが、正しくはアン・シである。もちろん、沖縄の按司は古代から近年にいたるまで、司祭者、為政者、首長、王という意味で使われていた。
では、日本本土では、司祭者のエン・シがどのように転靴し、どのような漢字に宛てられていたのか。
司祭長ということばがシュメル語にあった。ウ・ムソアといったのだが、この「司祭長」が日本本土へ入ると、ウ・マ・シとちぢまり、漢字で宇摩志(『古事記』)と書かれていた。また子音m→g→khの転でウマシがウカシになった。『古事記』では宇迦斯、『日本書紀』では猾(ウカシ)と表記している。またアイヌ語にもウカシがあり、首長とか酋長と訳されている。
一方、三世紀の韓の臣智(王にあたる)の別号とされていた優呼臣(ウカシソ)も、同様に「司祭長」という意味である。
このように紀元前三千年紀のシュメル語の司祭長ウ・ムソ・エソシは紀元前後に宇摩志、宇迦斯、優呼臣、ウカシとなって、倭・韓・アイヌの国々を統治する為政者、王をさす語になっていた。
さらにまた、神意を占なう司祭者というシュメール語を祖語とする中国語、韓語、日本語があった。パドゥ(神意を占う)エン・シ(司祭者)。
このシュメル語は、シュメル語内でパ・テ・シと変化し、そのパ・テ・シを単にエン・シと呼ぶ習慣があった。
四世紀末の百済では、元の語のパドゥ・エン・シからパテンシ、テンシと変化させ、漢字では腆支これが百済七支刀を持って倭王旨(神功皇后)のもとへ質子として来た、あの腆支太子(テンシ太子はのちの王)の腆支である。
6-6.神武天皇と日向(ひゅうが)
日向・ヒムカとヒナタ。そもそも、九州でヒムカ、もしくはヒユーガといっている日向を、なぜ、関東ではヒナタといっているのか。それを説明しよう。
◆アヅマ(東)
紀元前三千年紀のシュメール人は、背を北に向け顔を南に向けて、すなわち南面して、左腕の方向を「東」と名づけた。その左方、東というシュメール語はア・グプ・バといったが、楔形文字を見ると、アが「腕」、グブが「左」であった。つまり南面して「腕・左」が「東」というわけなのだが、そのシュメール人の制定した「東」の定義が四千年も前の楔形文字から今のわれわれにも判るのである。
日本語のア・ヅマ、吾嬬、吾妻、東は、このア・グブ・バが祖語。子音のgがdzにかわり、bが鼻音代償でmになった、それだけの転靴のアヅマ(東)だったのである。
一方、シュメール語の「右方」「西」は、ア・ジッダ(腕・右の)といったが、日本へ入ると西に転じた。
中国でも西という文字が死の意味を内包していた。古代エジプトでもナイル川の西方が死の世界と認識されていた。理由は何か。日没の方向が西だったからである。
◆ヒガシ(東)、ニシ(西)
紀元前二千年紀初頭のバビロニア人たちは、方向(イム)日の出(アスー)で東(イム・アスー)とし、方向(イム)反対(ヌ)日の出(アスー)で西(イム・ヌ・アスー)としていた。日の出の方向が東、日没の方向が西という考え方である。
古代の日本人も、これとまったく同じ考え方で、しかもバビロニア人と同じ東西を使っていた。ただし、それらのことばは三千年、四千年という長い間に次のように変化した。
イム・アスー → ヒム・アスー → ヒソグ・アスー → ヒソガスー → ヒソガシ → ヒガシ、東
バビロニア語の東のイム・アスーは、このようにして日本語の「ヒンガシ」「ヒガシ」になったのである。そしてまた、東(ヒガシ)の反対の西(ニシ)もバビロニア語からだった。
◆ヒナタ(日向)
また、シュメール語の「日」のウツは、古代中国でイツに転じ、甲骨文字で「ミ」(漢字で乙)と書いた。古代日本では、オツ、あるいはオトへと転じた。
乙姫(オトヒメ)のオトは「日・太陽」である。なお、宇都宮の宇都も、当然「日」であり、宇都宮は「日神宮」である。日光二荒山。さらにまた、ウツの語頭に子音hをつけたフツもまた「日」で、そのフツを神名の場合、経津と書く。香取神宮の祭神、経津主命(ふつぬしのみこと)の経津(ふつ)である。また、千葉県の富津、静岡県伊豆の富戸(ふと)も、同様に「日」であり、意味するところは、日神トーテム族の住む土地、港であった。
なお、東京の下町に、朝日新聞をアサヒ・シンブンと読まずにアサシ・シンブンと読む人がかなりいる。いわゆる江戸方言、東京下町方言の「シ」であって、日比谷公園もシビヤコーエソである。もちろん、日本標準語の「日」はヒなのだが、そのヒ、hiに転じる直前の日本語の「日」が、先に述べたようにシであった。そのシが、つまり日より古い音の日が、今でも東京の下町に残っている、そういうわけなのである。
九州のヒユーガ(日向)、関東のヒナタ(日向)のヒ(日)も、一見、ラー、リー、シー、シ、のヒと受けとられそうだ。が、同一文字の日向でありながら、その読みにヒムカ、ヒユーガ、ヒナタと三通りもあるのは、なぜなのか。じつは
日向(ひむかい)の日は、文字通りに「日」であった。それは「父・日神(ラー)・の・母・地」、アブ・リー・ヌ・アマ・キの中の日神だったのである。(※つまり、神武天皇一族は太陽神ラーを守護神としている。尚、記紀による歴史の改竄があり、正しくは、神武天皇に相当するベリアが、ヨブ一族を従えて日本に向け出立した前1500年頃に相当する。神武天皇は当時イスラエルの正当な末裔であるエフライム族である。当時のイスラエル族は、第三代ヤハウエ・マルドウク・ラーに導かれていたので、この記述は正しい。)
日向族といえば神武天皇四兄弟が、その代表だと思うが、長兄の五瀬(イツセ)命は、中国語の乙日と同じで、語源のウツ・リーから転じたイツ・シェー、イッセである。つまり、「日神・日神」がイツ・セ、五瀬なのである。また、五瀬命の弟の稲氷命のイナ・ヒは「母・地」である。イナは、フィリピソ、台湾、日本を通じての「母」であり、わが国ではそのイナに「伊那」、「稲」を宛てている。また「地母神」の「地」は、キ、チ、シ、ヒと転じ、そのヒに「肥」「比」「氷」などが宛てられていた。したがって、五瀬と稲氷は、「父・日神・の・母・地」を語源としたヒナカ、ヒムカ、日向と内容の面で一致する。 (2014/01/16
北)
[光の神話考古]に掲載されている主に縄文期に作成されたとされる土偶を独断と偏見で解釈しました。その一例です。独断と偏見の解釈の元ネタは、[世界最古の文字と日本の神々]にある古代文字の解釈を使って、素人なりに土偶の模様を咀嚼してみました。まだまだ、20分の一くらいしか進んでません。
ただし、本書では、縄文土器の起源は中国から来たとの前提をしており、日本神話をもとに解釈しようとしています。しかし、現在では、日本の縄文文化は世界最古に属し、中国よりも古い。しかも、日本神話の起源は、大和民族(旧約聖書の民)が日本に渡来し、自民族の由来と移住してきた歴史を、男女和合と日本独自の自由・平等と八紘一宇の精神で描き出したものです。ですから、興味深い点はありますが、的外れといえるでしょう。
例えば、この女性土偶の特徴は、M字型眉です。このM字型は、天の女王=女神イナンナを示します。また、左頬にある縦二本棒は神々のランク20を意味している。右の画像は、女性土偶の髪型で、一匹の蛇です。通常は、女性の蛇は人類を創造した女神ニンフルサグのシンボルです。以上より、おそらく、女神イナンナと、彼女を守護している彼女の兄と、義理の母のニンフルサグを意味していると推測されます。

「伏義と女媧」は、中国最古の3帝王の一人(夫婦神)です。通説では、女神・女媧の持つコンパス、男神・伏義の持つのは定規とされ、コンパスと定規をシンボルとするイルミナティーと関連があるとも噂されています。しかし、この絡み合う蛇は、DNAを意味し、二人の神は人類を想像したニンフルサグとエンキを意味しています。
女神の持つコンパスの形は、古代文字で「母」や「女神」の意味です。男神の持つ定規の形は、「父」の意味です。つまり、人類の父母を意味しています。

縄文時代の壺らしいです。現代感覚からすれば、摩訶不思議な形状をしています。眉のMは、イナンナ。トンボメガネの形は、神々のランク20。鳥の足のような三本指は、神々のランク30.つまり、シュメルの月神信仰です。父月神(EL様)、長男太陽神(20)、娘の女神のお三方を表現しています。

環状列石は、英国のストーンサークルルを含め、日時計とか、神々を祭る祭壇とか、歴を調べるものとか、いろいろと説はあるようです。
私には、この環状列石は太陽系の惑星図に見えます。中心に立っている石が太陽で、円周上に並べてある丸い岩が惑星です。というのも、古代シュメルの惑星図とそっくりなんです。シュメルの太陽系惑星図は、惑星間隔を円周の半径の大きさで表現せず、同じ円周上に大きさの違いで表現しています。

- ■読売:沖縄・サキタリ洞遺跡で、世界最古の釣り針が出土。2016/09/20
- 沖縄県立博物館・美術館は19日、サキタリ洞遺跡で、約2万3000年前の旧石器時代の貝製の釣り針が見つかったと発表。東南アジア・東ティモール出土
のものと並ぶ世界最古級で、材料や加工法も共通しており、同館は「沖縄の旧石器人の先進性を示す」としている。
釣り針は円錐形の巻き貝の底を円弧状に加工し、一方の先端をとがらせたもので、円弧の直径は1.4センチ、厚さは1.5ミリ。付け根にひもを巻き付け、同じ地層で骨が出ているウナギなどを釣っていたとみられる。
日本本土で釣り針が使用されるのは縄文時代早期からで、これを1万年以上さかのぼることになる。下層からは国内で2番目に古い約3万年前の人骨が出土した。(※通常、カエシの無い釣り針では魚は釣れない。魚が釣れないのに、釣りをする馬鹿は古代人でも居なかったに違いない。[世界最古の文字と日本の神々 P189]によれば、「釣り針の形(犂)」の左側に「大(男)」の字で、ギルガメッシュ王のことだそうです。つまり、己の守護神を表現する飾りの一部だったのではないでしょうか。もしくは、この「釣り針」一つで、数字の10を意味し、この釣り針を数個集めて、主神の神々のランクを表現したのかもしれないです。そして、マガタマ(勾玉)も同じような意味だと思うのです。)
- ■「第9惑星」日米研究グループがすばる望遠鏡で探索へ。2016/09/05
- ことし1月、アメリカの研究グループが存在を予測した太陽系の新たな惑星「第9惑星」。予測では、太陽系で海王星よりはるかに遠くにあり、直径が地球の2倍から4倍、質量が地球のおよそ10倍で、太陽の周りを1万年から2万年の周期で回っているとされています。
観測のリーダーを務める国立天文台の吉田二美専門研究職員は、「もし第9惑星が見つかれば、謎の多い太陽系の最も外側の様子や、太陽系の成り立ちを明らかにできる可能性がある。1年ほどの期間で発見を目指したい」と話しています。※冥王星が惑星ならば、第十番惑星となり、人類の起源を示す惑星Xの正体に迫る大発見となる。
