民族絶滅の危機



 2009年に発刊された[7.5 ウイグル虐殺の真実][中国の狙いは民族絶滅]を紹介致します。尖閣のみ成らず、2013/05/09には沖縄までも、日本が支那から奪ったと、支那は公式に声明を出しました。勿論、中韓が揺さぶりを掛けても動じない安倍政権への外交圧力で、史実的根拠はまったくありません。もしあるのなら国際裁判所に提訴すればよいのです。
 しかし、シナの謀略を侮ってはいけないこと、甘く見ていると日本全体が、チベットやウイグルの悲劇を繰り返すことにも成りかねません。新しい被害者は何も日本だけとは限らないのです。だから、日米安保を基軸とし、価値を同じくする国々と協力しながら、支那と北朝鮮を封じ込め、支那に追従する韓国を叱りつけてあげる必要があるのです。



前書き

 我々四族(台湾、チベット、ウイグル、南モンゴル)にある武器は何かというと、それは「中国のことを知っている」との一言に尽きる。その怖さも脆弱さも、ともに知っている。中国問題の根源は、自己増殖によるそのバカでかい図体にある。中国はその大きさゆえに、あらゆる問題を生じさせている。そして問題解決の手段を領土拡張に求めるのが、中華帝国の常套手段である。それが中国の拡張主義の原点であり、膨張と崩壊が繰り返される悪循環の出発点でもあるのだ。
 中国を無害化する方法はたった一つ。それは中国をバラバラに分裂させることであろう。そして実はその方法はいたって簡単、中国に民主化と自由化を推し進めるだけである。極端な個人主義的性格を持つ中国人に民主と自由を与えれば、それ自体が分裂を意味する。
 中国当局はそれをいちばんよく知っているからこそ、人民には経済的恩恵は与えても、自由と民主だけは決して与えようとしないのだ。しかし、民主化の要求は高まるばかりであり、その民主化の波をいつまで拒否できるかは、中国の指導者たちもわからないはずだ。
 この日本の地における四民族の連帯は、世界へ発信するメッセージになろう。もちろんそれには、日本に対する大いなる期待も含まれている。
     ⇒(Youtube[中国共産党、人権弾圧の実態 ~厳戒態勢のウイグル自治区])
   



東トルキスタン:シルクロードに散った独立国


 現在、中国の国土の六分の一を占める「新娼ウイグル自治区」は、かつて東トルキスタンと呼ばれた国だった。
 「東トルキスタン」と言っても、多くの日本人にはまだ聞き慣れない名称だろう。
 「トルキスタン」は「テユルク人の土地」を意味するペルシャ語である。
 テエルク人とは、テユルク諸語を母語とする人々で、中央アジアを中心とする広範な地域に一億三〇〇〇万人が存在する。そのうち五〇〇〇万人以上がトルコ共和国に住むトルコ人で、ウイグル人もテユルク人の一つである。
 またテエルクは、古代中国で「突厭」とも呼ばれていた。突廠はさまざまな諸族から構成され、ウイグル人はそのなかの一つの部族だったと考えられている。
 さて東があるのだから西もある。同じテユルク人であるカザフ人、キルギス人、ウズベク人などが居住する地域を「西トルキスタン」と呼ぶ。つまりソ連崩壊後に独立したカザフスタン、キルギス、ウズベキスタンなどの中央アジア諸国が、西トルキスタンなのである。
      

◇すべてを奪いつくす中国

 ウイグル人と中国人とは民族性もまったく異なる。たとえば野外で珍しい動物を見かけたとしよう。中国人なら、それをどうやって食べるかを考える。しかしウイグル人はそれをどうやって守るかを考える。
 われわれが先祖から教わったのは、いかに自然と仲よくするかを考えることなのだ。
 木を一本切るなら、その代わりに二本、三本を新たに植えるのがウイグル人である。しかし中国人は乱伐することしか知らない。だから中国では砂漠化が猛スピードで進んでいるのである。要するに目の前の利益しか目に入らないのだ。もし彼らが私たちと同じように自然と仲よくできるなら、中国はいまのようになっていないだろう。
 ウィグル人は、よそ者が困った顔をしていると、その人を助けようと近づいていく。しかし中国人なら逃げる。面倒に巻き込まれたくないとの考えだ。
 このようなウイグル人の民族性が、現在のような悲劇を招いた一因だったのかもしれない。
 中国の自治区とされた東トルキスタンには大量の漢民族が植民してきた。
 自治区発足以前の一九五三年、東トルキスタンの人口は四二〇万人だった。ウイグル族、カザフ族、ウズベク族、タタール族、回族、瀕民族など十以上の民族が共存し、その多くはテユルク系で、ウイグル語が通じた。そのなかで最多のウイグル人は三五〇万人で、漢民族は五パーセントにも満たない、二十万人に過ぎなかった。
 ところが現在では漢民族が五十九パーセントを占めるに至っている。中国のやり方は、漢民族を増やして、その土地を自分のものにするというものだ。
 漢民族の人口が増えるということは、土地もそれだけ彼らに奪われるということだ。
 漢民族の入植が本格化したのは一九五七午からだが、それに先攻つ五五年、日本でいえば屯田兵のような半軍半農の新娼生産建設兵団が綿々と作られ、タリム河流域の愚かな土地を占領しはじめた。その後、移民として軍人以外の漢民族も入り込んできた。
 山の雪解け水を使うのがウイグルの農民だが、川の下流は兵団に奪われている。耕作地も潅漑用水も原生林も、みな彼らの手中に落ちた。ウイグル人は下流で残りの水しか使えなくなり、漁労や森林での胡桃の採取なども禁じられた。
 そのため、生存を脅かされるに至った農民と漢民族との間で紛争が絶えなくなった。今日では漢民族のために川は汚染され、原生林も乱伐され、深刻な環境破壊が進んでいるが、漢民族はそれをウイグル人の責任にし、大勢の人々を逮捕までする始末だ。
 一九六〇年代に入ると、街中でも漢民族の人口は全体の三分の一を占めるに至った。そして九〇年代には天然ガス、石油などたくさんの地下資源が発見されたため、江沢民の西部大開発計画によって、労働者などを含め、さらに大量の漢民族が送り込まれてきたが、ウイグル人はほとんど雇用されていない。開発計画は貧困の解消のためだと政治的な宣伝が行われているが、とんでもないことだ。
 本当の目的は天然資源の略奪だ。タクラマカン砂漠の真ん中や周囲を回る道路建設も行われているが、こうした工事にすら、ウイグル人を人も働かせていない。ウイグル人には仕事がまわってこないため、貧困の要因の一つとなっている。新彊ウイグル自治区のトップ、新彊ウイグル自治区中国共産党政治委員会書記の王楽泉は、故郷の山東省から企業を招嘱し、労働者も連れて来ている。
 クムルでは、漢民族の人口は一九四九年には二パーセントだったが、二〇〇六年には八十七パーセントになっている。広さは開東地方ほどだが、水が足りないので五十万人以上は住めない。それでも中国政府は無理やり人を、漢民族を移民させている。
 資源確保のために、漢民族による地域支配の強化を進めているのは明白だ。そこではウイグル人などの異民族は不安定要素として見られるようになった。
 「自治区」などとは言うが、自治など最初からなく、束トルキスタンは漢民族の植民地であるに過ぎない。
 それでは漢民族は植民地支配者として、どのような特権を享受しているのだろうか。まず政府の関係機関は漢民族に押さえられている。
 漢民族は目に見えない特権を持っている。何しろ社会のトップは同じ瀕民族だから、何をやるにしても漢民族は条件がよく、優遇されるのだ。こうした優遇はウイグル人は受けることがない。だから「われわれの土地なのに、どうしてこうなるのか」という不満の声は日常的に聞かれる。
 たとえば漢民族がウイグルにやって来て企業を作るとき、銀行からとてもいい条件で融資を受けることができる。しかし、われわれの場合はそうしたことはない。
 だから漢民族は何も持たずにやって来ても、一、二年で成功し、トップになるというケースは珍しくない。逆にウイグル人は、苦からその地で商売をしていても、いつまでたっても昔のままだ。
 漢民族の企業には、ウイグル人はほとんどいない。企業が採用しないからだ。現在はウイグル人の大きな企業も出てきたが、わずかな金持ちのウイグル人が金を出し合ったものだ。
 ただウイグル人企業の場合、よほど注意しないと、共産党に無実の罪を着せられて、財産を奪われるという詰も少なくない。


◇「ウイグルの母」、ラビア・カーディル
                    (⇒[東京での世界ウイグル会議]へ)
 ノーベル平和賞の候補にもなった、ラビア・カーディルという女性がいる。
 一九四七年、北部のアルタイ市の生まれで、実業家として成功し、各団体、各界の代表で構成される全国統一組織「中国人民政治協商会議」の委員を務めるなど、ウイグル人を代表する人物だった。中国の所得ランキングでもベストテンに入ったこともあり、中国政府からは法律を守って納税した優秀な人物として表彰もされている。
 ラビア・カーディル氏はウイグル人の悲惨な現状を回復するために奮闘し、当初は中国人との共生を考えていた。しかしそれは一向に改善されず、九〇年代後半ごろから、政治協商会議でウイグル人の現状を訴えるようになっていった。
 ところがそれは中国共産党批判に当たる。彼女は後に、政府での地位をすべて剥奪され、投獄された。また彼女の全財産も没収された。
 ウイグル人が大きな力を持つことを中国は許さない。そして中国はウイグル人の生活を向上させる政策をことごとく潰してきた。だからウイグル人は非常に慎重だ。


◇ウイグル史のタブー、イリ事件、一九九七年二月五日

 若いウイグル人はなかなか職を見つけることができない。とくにイリ地区がそうだったが、犯罪や麻薬に走る者も多かった。そうでない者でも将来への不安、政府への苛立ちに溢れていた。
 ある若者が罪を犯し、その母親が子どもの身代わりになったのではないかと思うが、事件に関連して逮捕され、刑務所に入った。ところが数日後に遺体となって帰ってきた。これで若者たちの怒りは頂点に達した。デモは一〇〇〇人規模に膨れ上がった。中国はこれに対して無差別に銃撃し、大量に逮捕した。
 そのためその日はイリの刑務所だけではなく、兵団の刑務所まで満員になったそうだ。逮捕者は過酷な拷問に遭い、二五〇人もが殺された。零下二十度の中、裸で外に放り出され、冷水をかけられ、凍死させられたともいわれている。彼らは反政府、分裂主義者(独立主義者)として粛清されたのだ。彼らを治療したウイグル人の医師たちまでもが逮捕され、その後、釈放はされたが、職を失った。
 ある女性は逮捕されてから数カ月後に釈放されたが、すでに発狂していた。そしてそれから二、三日後に交通事故で亡くなったのだが、そのときにわかったことは、彼女が刑務所の中で妊娠させられていたことだ。
 これは民主主義国家、いや、中国以外の国家ではありえないことだろう。
 この事件をきっかけに東トルキスタン全体が厳しく統制された。中国は事件を隠すため、イリヘの人の出入りを禁じ、数カ月をかけて証拠を隠滅した。
 そのため事件の情報がほかの地域に伝わるのに数カ月かかった。海外で知られるようになったのは三年後だった。
 いまでもこの事件を語るのは、反政府的な言動ということでタブーになっている。だからいまの若い人は、このことを知らないかもしれない。


◇被爆国は日本だけではない

 日本人はシルクロードと聞くとロマンチックな印象を受けるし、愛着もあるようだ。それは仏教東漸(とうぜん)のルートだからだろう。
 井上靖の小説『敦煙』で有名になった楼蘭も東トルキスタンにある。しかしあの地域で中国が何を行ってきたかというと、それは核実験だ。
 一九六四年十月十六日、すなわち平和の祭典であるオリンピックが東京で開催された七日目の日、中国は東トルキスタンにおいて初めての核実験を行った。この地上実験を行うに当たり、中国は住民を避難させることはいっさいなかった。これを見れば、彼らがわれわれを人として扱っていないことがわかるはずだ。
 中国はそれから一九九六年までの間、核実験を四十六回行った。そのうち十一回は地下実験だったが、三十五回は地上や空中で行い、場所はすべて束トルキスタンだった。私は核実験が行われたことはニュース映画などで知っていたが、そこが自分たちの土地だったとはまったく知らなかった。
 住民には核実験の予告もまったくしない。たしかに小学丘年のときに大きな砂嵐が起こり、五十センチ先の人の顔すら見えないことがあったのだが、まさにあのときだったのだ。しかしわれわれウイグル人は、それが核実験の後の嵐だとは誰も知らなかった。
 九〇年代、東トルキスタンの南部にだけ、原因不明の奇病が見られるようになった。それにかかると長くても半年で亡くなってしまう。中国政府も原因は不明だと説明していた。ただ「一号病」「二号病」などと呼ぶだけだった。
 私は日本へ来てからそれが何であるのかが、ようやくわかった。つまりそのときの核実験の影響だったのだ。病気発生の時期と実験の時期はちょうど重なっていた。
 私が住む東部には、そのような被害はなかった。なぜなら核実験は、風が東から西、つまり中央アジアに向かって吹くときだけに行われるからだ。東の中国に向かって吹くときは、やらないのである。私は日本で調べて初めてわかった。被爆が多かったのは南部だった。


◇ウイグル人が消えてしまう日

 強制移住の問題もある。ウイグル自治区の実質的な巌商権力者である王楽泉党書記は、二〇〇六年から農村のウイグル人女性のうち十五歳から、つまり中学校を卒業した省から二十五歳に至るまでの未婚者を、「仕事を紹介する」との名目で、年間八万人のペースで強制的に山東省など中国本土へ連れて行き、三年間にわたって手工業工場で奴隷のように働かされている。
 月給はわずか八〇〇元(約一方五〇〇〇円)。ちなみに中国では会社員の平均月収が三〇〇〇元だ。つまり給料が低すぎて、漢民族がやりたがらない仕事をやらせているのだ。しかも給料も毎月ではなく、年末に一括して渡すのだが、手取りはたったの四〇〇〇元だ。なぜなら住居費、食費などが差し引かれているからだ。ウイグル人は漢民族によって、奴隷の扱いを受けている。日本に氾濫するメイド・イン・チャイナの製品のなかには、彼女たちが作ったものもあると思う。
 なお 「工場で働く」という契約を自治区政府と結びながら、中国本土へ行ったら、売春をさせられているとの情報も入っている。
 工場は農村にあるケースが多い。これは一人っ子政策の弊害なのだが、中国の農村では男の子が生まれれば歓迎するが、女の子だと自分の子どもでも売り飛ばしたり、殺したりしている。だから男性が女性よりも圧倒的に多い。漢民族の男女の人口バランスが崩れている。そこでありあまった独身男性に、ウイグル人女性を「あてがう」のだ。
 連れてこられたウイグル人女性もみな結婚適齢期だ。中国本土へ連れて来られたのは政府の命令によってだ。これから結婚も強制するようになるのではないかと思う。
 これは同化政策であり、民族を絶滅させる第一歩でもある。
 現在は農村の女性が連れて行かれるが、これで反発が少なければ、中国は都市部の女性にも手をつけることになるだろう。いや、すでに始まっているとも言える。
 以前の対象地域は南部の農村だけだった。しかし最近現地の知人との電話で聞いたのだが、いまでは人口五十万人を超えるトルファンでも対象になっているそうだ。たぶん私の故郷クムルでも始まっているのではないかと思う。
 まず「政府の政策だからやむをえない」という意識を持たせてから、対象地域をだんだん都市部へと広げていこうとしているのだ。
 年間八万人とは言っても、五年で四十万人、十年で八十万人になる。
 そうなれば、それだけのウイグル人男性が結婚できなくなる。この独身男性のうちおよそ半数はほかの民族の女性、その多くは漢民族と結婚することになるだろう。これでは民族の子孫を残せなくなる。今後、本当にそうなってしまうのではないだろうか。
 最近、あるウイグル人女性が中国本土へ連れて行かれることになった。しかし彼女には病気で寝込む七十歳の母親がおり、「私がいなければ母は死ぬしかない」と言い、行くことを拒否した。そうすると警察が来た。ちょうど結婚して家を出ていた兄が戻っていて、警官と喧嘩になった。結局、女性は連行され、兄は公務執行妨害の罪で三年の刑を受け、母親は家に取り残されたのだ。
 二〇〇六年当初は「三年で帰れる」と言われ、女性たちは連れて行かれた。それが本当かどぅかは、二〇〇八年末にどれだけ戻ってきたかで明らかになるのだが、中国政府が発表する数値はでたらめが多いので、実態を知るのは難しいだろう。
 王楽泉は二〇〇八年二月、「新彊ウイグル自治区は、二、三十年後には完全に安定化する」と自信満々に世界に宣言した。「安定化」とはどういう意味か。要するに「漢民族の地域」になるということだ。


◇言語、宗教から民族浄化をはかる中国

 ヒトラーがユダヤ人に対して行ったホロコーストのようなことは、さすがの中国もできないだろう。しかし、民族を抹殺するのにはそうした手段だけではない。民族文化を撲滅すればいい。ウイグル語は早くも消滅の道を歩んでいる。
 二〇〇〇年、大学でウイグル語の授業が禁止され、〇二年には高校で、〇三年には中学校でもそれぞれ禁止され、さらに〇六年には小学校や幼稚園でも禁止となった。このようにすべての教育は中国語で行われるようになったのだ。
 学校でウイグル語を話すと先生に叱られ、それはまた成績にも影響することになる。
 困るのは生徒だけではない。教師のおよそ八十パーセントはウイグル語で教えていたので、中国語では授業をするめは困難だ。そこで六カ月間の中国語研修が行われたのだが、その程度で授業ができるようにならないことは最初からわかっている。結果、多くのウイグル人教師が辞めざるをえないことになった。その代わりに中国本土から、大学も卒業していない農村の漢民族の人間が連れて来られ、授業を行っている。
 イスラム教信仰はウイグル文化とは切っても切り離すことのできないものだが、それへの規制や弾圧も厳しい。たしかに苦からそれはあったが、最近はさらに強化されている。
 たとえばモスクに十八歳以下の者、学生、政府機関の関係者、退職公務員、女性は立ち入り禁止とされている。幼いころから礼拝に行っていなければ、その後そうした習慣が身につくのは難しい。結局、モスクには高齢者しかいなくなってしまっている。最近ではモスクのそばに「立ち入り禁止」の看板まで掲げられるようになった。
 中国は、ウイグル人がモスクに集まって情報交換をするのを怖がっているのだ。
 中国の法律で宗教の自由は認められてはいるが、それは国外向けのポーズに過ぎない。地方政府までに徹底されることはなく、ウイグル、チベットでは人々の生活と宗教が切り離されていっている。
 イスラムの教えは、いまや自分の子どもにしか教えられない。二〇〇四年には、生徒にイスラム教を教えた先生が三年の刑で投獄されたほどだ。
 イスラム教徒の義務の一つに、ラマダン(日の出から日の入りまでの断食)がある。しかし断食すれば、職場、学校から追い出されてしまう。また職場では集団昼食を強制したり、街の食堂にも営業を強要する。非常にえげつないやり方だ。
 信仰心がウイグル人の民族意識だ。中国はそれを撲滅しようと必死だ。もしそれに反発したら、「民族主義者」のレッテルが貼られ、弾圧の対象となってしまう。


◇三度日の東トルキスタン独立へ

 国連などの活動の下でウイグルの現状を調べてほしい。外からの支援がなければ、ウイグル人は滅びるだけだからだ。東トルキスタンの民族間題を解決するには、国際社会に介入してもらうしかないのだ。
 「新彊ウイグル自治区」にはウイグル人だけでなく、カザフ人、ウズベク人、キルギス人なども住んでいる。どの民族も中国人から差別されてはいるが、しかしウイグル人ほどの迫害は受けていない。それは同じ民族である、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスの大統領が中国を訪問するたびに、「特別待遇をしてほしい」と要望しているからなのだ。われわれウイグル人には拠って立つ国がない。
 もっともそうした国々は、その一方で中国の要求も呑まなければならない。たとえば以前はウイグル人の亡命を受け入れてきたが、最近では自国の国益のため、中国に引き渡すのである。同じイスラム教国であるパキスタンも同様だ。もちろん送還されたウイグル人を待つものは授獄で、その半数は死刑である。
  :
 とくに北京オリンピックの開催が近づくと、ウイグル人への人権迫害を世界に訴えられることを恐れ、「ウイグル人はテロリスト」との宣伝を強化した。
 孟宏偉公安部副部長は二〇〇七年七月、「現在、ウイグル人テロ組織がもたらす攻撃の脅威にさらされているが、中国は強力な措置で対応するので、オリンピックを安全に開催することを保証する」と表明した。
 そして実際に中国は「テロの脅威との戦い」を展開し、ウイグル人を逮捕、投獄した。しかし本当に相手はテロリストなのだろうか。
 逮捕したウイグル人をテロリストや分裂主義者だとし、ろくな裁判も受けさせず、住民を集めた公開銃殺が行われている。これはウイグル人への見せしめだ。実際に罪のない人々がたくさん逮捕されている。こんな状況のなかで、彼らの言を真に受けることなどできない。
 二〇〇八年三月、十八歳のウイグル人の女性が、北京行きの飛行機を爆破しようとしてガソリンを所持し、機内で逮捕されたと報道された。
 しかしウイグル人の場合、搭乗前に三回も荷物チェックを受けるのに、なぜガソリンを持ち込めたのか。また飛行機は蘭州空港に緊急着陸し、その女性を降ろしたのだが、そのまま予定どおりに北京へ飛んだなど不可思議な点が多い。この逮捕劇は中国当局の自作自演ではないかと疑ってしまう。
 同年七月には、ウルムチ市内のアパートに集まっていた男女十五人のウイグル人テロリストグループが異教徒を殺害して新国家を作ることを計画し、実際に人を殺したなどの理由で警官隊の攻撃を受け、五人が殺されたとされる。しかし、在米ウイグル人協会が収集した現地での情報によると、男女は一般の人たちで、逃げ出したところを機銃掃射されたのだそうだ。
 八月にはカシュガルで、二人のウイグル人が武装警察隊にトラックで突っ込み、刃物や爆弾で三十二人を殺傷したと報じられたが、目撃していたアメリカ人観光客がそのときに撮影した写真だと、犯人もまた武装警察の制服を着ている。また爆発も起こらなかったとも証言している。
 いずれもさまざまな証言が出てきており、真相が究明されていない。それなのに何が何でもウイグル人をテロリストに仕立て上げようとする、そうした意図も垣間見られる。
 あるモスクでは、オリンピックの標語を掲げることを拒否したというだけで、不法に建築を修繕したとか、遵法な宗教活動を行ったとか、コーランを所持していたとかなどの理由で取り壊しを受けているほどだ。
 本当にウイグル人による「テロ」といえるのだろうか。
 しかし私はそれらが事実だとしても、けっして不思議ではないとも考える。たとえば最近、カシュガルで一三〇人以上ものウイグル人が、理由を聞かされることなく逮捕され、そのうち二十六人が遺体となって家へ戻された。両親でさえ、なぜ逮捕されたのかすら当局に質問する勇気がない。なぜならそうすること自体が罪になるからなのだ。
 このような状況だから、暴力的手段を用いても「何とかすることはできないか」と考える人が増えてくるのもまた事実である。
 「テロ以外に方法はないのか」と言う人もいるが、これはテロではない。レジスタンス(侵略者や占領軍に対する抵抗運動)だ。もしも彼らのようなレジスタンスがなければ、日本をはじめとした世界はいまごろ東トルキスタンを見捨てていただろう
 ウィグル人にはもはや基本的人権すら認められていない。「生きている価値はない」「死ぬなら民族のため、中国人を何人か巻き込んでやる」と考えたレジスタンスは今後、さらに増えるものと確信している。

 ■トゥール・ムハメット氏のツィートより 2013/11/12
 
    
   




チベット:踏みにじられた仏教国


◇チベット騒乱はなぜ起こつたか--チベット侵略鉄道

 二〇〇八年の三月十日、これまでにない大規模なデモがチベットで起こり、日本、そして世界が注目した。マスコミはラサでのデモばかりを報道していたが、実はそれだけではなく、かってチベット領土であったカムとアムドでも同時に起こった。こんなことは中国に統治されてからのチベットでは初めてのことだった。
 なぜここまでチベット人は反抗したのか。最大の原因は中国とチベットを結ぶ青蔵鉄道の開通にある。
 青蔵鉄道は現在の青海省のシリン(中国名・西寧)とラサ間、二〇〇〇キロの距離を結び、世界一の高所を走る鉄道といわれ、二〇〇六年に開通した。しかし乗客のほとんどは中国人だ。ラサへの移住者であったり、観光客であったりする。そして軍人が多い。鉄道の目的はチベットに観光客を呼んで、利益を落とさせるというものではない。たしかに鉄道の開通で街は出来るし、ホテルも出来る。しかし、ホテルやレストランの経営者のほとんどは中国人であり、観光収入はチベット人には回ってこない。
 青蔵鉄道の本当の目的は、チベットの豊富な天然資源を持ち出すこと、国境の軍事力強化、そして中国人のチベットヘの移民の三つだ
    
 中国はチベットの天然資源を十分調査した上で鉄道を敷いているのは、あの鉄道の路線を見ればすぐにそれがわかる。また対インドのために軍隊を運び、国境の軍事力強化を進め、そして中国人を大量に移民させて、チベット民族を全滅させようとしている。
 移民はだまされた気の毒な人々といえるかもしれない。生活苦に喘いでいた彼らは、お金や仕事が手に入るといわれてチベットに来たのだが、そう簡単にはいかないだろう。
 しかしもっと苦しんでいるのはもちろんチベット人だ。中国人の大量移住と、政府による彼らへの優遇政策で、先祖代々の商売も土地も失うことになった。
 これではチベット人はたまらない。それが大規模なデモヘとつながった。言論の自由などない中国の統治下では、もちろんみな命がけだ。チベット人がそこまで追いつめられていることの証明である。
 デモが行われたのが、三月十日だったというのには理由がある。一九五九年のその日、ラサでチベット独立を訴える民族蜂起があったからだ。それ以来、規模や形はさまざまだが、毎年この日にはチベット人によるデモが、主にラサで行われている。
 当初はチベットの独立が訴えられていた。ところが、インドにあるチベット亡命政府が一九七四年以来、独立ではなく「高度な自治」を求める中道政策を採りはじめ、デモの加えもそのような方向に変わったが、やはり人々が心から望んでいるのは独立だ。チベットが中国に統治されなければならない理由はどこにもないからだ。
 その後、インターネットの発達などで、二〇〇〇年ごろからチベットにも多くの情報が入ってくるようになり、外部とも簡単に情報のやりとりをすることができるようになった。
 そういう状況にも目が着けられたのだと思うが、中国は二〇〇二年以降、チベット人に対するさまざまな規制を厳しくし、集会もできなくなった。たとえ巡礼者であっても、何人かが同じ場所に集まることすら禁じられるようになった。だからとてもデモを行えるような状況ではなくなったのだ。
 またこの年から、中国軍の国境警備隊がチベットとネパールとの国境での警備を強化しはじめた。それまでチベット全土からインドヘ亡命する人間は、毎年二〇〇〇人から三〇〇〇人いた。その六割は子どもで、四割は僧侶、尼僧、巡礼者だった。
 ところがチベット人がよく使う亡命ルートの途上にあるヒマラヤのナンバラで警備が固められるようになり、年間の亡命者数も三〇〇人ぐらいにまで落ち込んだ。大規模デモが起こつた二〇〇八年は、九月現在でわずか六人だ。
 チベット人への取り締まりや、弾圧が強化されるなかで開通したのが青蔵鉄道だった。それがチベット人の怒り、危機感に拍車をかけ、あのような行動につながったのだと思う。

 ■香港時事:デモ隊に発砲、60人負傷=チベット自治区
 「フリー・チベット」のサイトなどが9日までに伝えたところによると、チベット自治区のナクチュ地区ディル県で6日、警官隊がチベット族のデモ隊に発砲し、少なくとも60人が負傷した。一部は重体で、ラサの病院に搬送されたという。また、8日に再びデモがあり、3人が警官隊に射殺されたとの情報もある。
 今月1日の国慶節(建国記念日)を控えた9月末に地元当局がチベット族の各家庭に中国国旗掲揚を強要したことに対し、住民側が反発。抗議活動に参加した男性が拘束されたことから、6日に釈放を要求するデモが起きた。(2013/10/10)


◇奪われる遊牧民の生活

 「フリーチベット」「チベットに自由を」が世界中で叫ばれているように、チベット人には自由がない。まず宗教の自由、言論の自由がないが、これがもちろんいちばん大きい。そして移動の自由がない。チベット人の人口の六割は遊牧民にもかかわらず。
 遊牧民はとくに草原の広がるカムとアムドに大勢居住し、季節ごとに自由に移動し、羊、ヤク、馬などを放牧してきた。そして米がほしくなれば街に家畜や華や毛皮を持っていってお金と替え、それで買っていた。彼らは自給自足の生活をおくり、なに不自由のない人々だったのだ。
 中国の支配下でも、税として羊やヤクを納めて暮らしてきた。家族の人数に応じて何頭と定められているのだ。こうした家畜が何万頭、何十万頭と集められ、屠殺される。中国では、羊毛も羊肉も牛肉もほとんどがチベットから来ていた。
 ところが一九九七年か九八年ごろから、放牧が禁止され始めたのだ。当局は「柵を買え」と強要した。そして最初は資金を出すのだが、あとは自己負担とされた。遊牧による自然破壊から守るためとも言われているようだが、けっしてそのようなことはない。放牧されていては、自由に資源が掘れなくなるからだろう。
 加えてデモのあと、県にあった中学校や高校が州に移されてしまった。県に中、高がなくなるということは、農村の人はそこへ通えなくなるということだ。そして村や町にあった小学校は県に移された。そのため農民や遊牧民の子どもたちは小学校へ通えなくなった。そこで遊牧民は家畜を売り払い、街へ移住せぎるを得なくなる。
 つまり人々をコントロールしやすい街におびき出すわけだ。
 そしてチベット人がいなくなった土地で金、銀、銅、鉄等々、さまざまな地下資源を収奪するという、一石二鳥の策略である。街へ移住した遊牧民はアパートに住まわされる。その際政府は「住居費の半分は政府が負担する」というのだが、実際には全額を負担させられている。
 結局だまされた遊牧民は街に来て何もできない。中国語を話せるわけでもなく、商売もできない。仕事もないから、みな貧乏になり、物乞いをするしかない
 中国はチベット人から元来の生活基盤を奪い、民族のアイデンティティまで奪おうとしているのだ。
 ■アムチョクで新たな焼身抗議 12月19日、内地124人目。2014/01/04
 ツルティム・ギャンツォ(アムチョク僧院ギュパ学堂の僧侶で43歳)の遺体は部隊に奪われることなく、チベット人たちによりアムチョク僧院に運び込まれ、現在400人ほどの僧侶が集まり法要が営まれているという。遺書には「中国の圧政の下にチベット人が苦しみを味わっている今、ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになり、パンチェン・ラマ11世が解放されるため、600万チベット人の苦しみが晴らされるために自分は焼身する」と焼身の目的を明記し、また「チベット人の団結」も願っている。
    
 


◇日本は中国に譲歩してはいけない

 日本人がもし日本を愛し、誇りを持っているなら、けっして中国に侮られないことだ。中国との関係を切ってしまってもいい、とするくらいの意気込みがないと、中国はますます傲慢に出てくる。彼らはそうした民族性を持っている。日本人としての誇りがあるなら、絶対に譲歩してはいけない。国益を守るとはそういうことなのだ。政治家も選挙では当選しても、その後は何もしないというのでは、本当の日本人とは言えないと思う。
 そのように見ると、やはり小泉元首相のようなリーダーが必要だろう。少なくとも中国に対しては。小泉氏は靖国神社への参拝を繰り返したが、それが日本経済に悪影響を与えただろうか。中国は日中関係が覆るなどと脅迫したが、口だけだ。中国人も内心では、さまざまな面で日本のすばらしさを認めている。ただ公の場でそれを発言することはできず、黙っている。
 中国は日本の資本と技術をほしがっている。だから盛んに産業スパイを送り込んでいるのではないか。日本は経済カードなどを切りながら、政治の面でももっと勢いを示せばいい。これで関係が悪化するということはない。むしろ関係がおかしくなって困るのは中国なのだから、きっと折れてくることだろう。
 要するに日本に必要なのは勇気なのだ。小泉氏は勇気があったと思う。
 何も中国に大きく依存し、そのために首根っこをつかまれているネパールの真似などする必要はないのだ。ネパールはすでに中国の傘下にあり、ネパール人はあたかも中国の五十七番目の民族、つまり「中国ネパール族」さながらだ。五十年後、一〇〇年後に、日本がそのようにならないことを祈りたい。
 チベット人のデモに端を発した二〇〇八年の争乱だが、チベットでのデモは、死ぬ覚悟がないとできない。追いつめられた人々のこのような勇気ある行動があるからこそ、日本人を含む世界の人々は応援してくれるのだろう。武器も持たずに「チベットに言論の自由を」などと叫んで多くが弾圧され、殺されたからこそ、世界にチベットの真実が伝わったのだ。
 「彼らはこれからもっと追いつめられ、最悪のドン底に落ちていくはずだ。だから彼らの犠牲を無駄にしてはならない」と考えてくれたのだと思う。
 もちろんチベットの人々も、世界が一所懸命応援してくれていることを知っている。そして「だから捕まっても、処刑されることはないだろう」と勇気を与えられている
 大勢の日本人がチベットの応援してくれたことは嬉しいし、もっとチベットのことを理解してほしい。そして人権、生命の尊さもだ。
 中国に対して人権の尊重を強く主張することは、日本の国益にもつながるものと信じている




南モンゴル:併呑されたもう一つのモンゴル


◇砂漠化が進む遊牧民の国

 モンゴルの名を聞くと、特別な親しみを抱く日本人は多いのではないだろうか。最近ではモンゴル人力士の活躍が注目を集めている。しかしモンゴルといえば、モンゴル国、つまり北モンゴル(外モンゴル)を思い浮かべるが、その南に隣接する南モンゴル(内モンゴル)、つまり中国側の言う「内モンゴル自治区」のことはあまり知らないようだ。
 それは万里の長城の北に位置し、三日月状の細長く広大な土地で、日本の三倍の面積を有している。日本からの直行便はないので、北京や大連などで乗り換えることになるだろう。
      
 もともとは遊牧民であるモンゴル人の土地だが、漢民族の移民が進んだ結果、漢民族が人口の七十九パーセント近くを占めるに至っている。しかもそれは中国政府が発表した数字で、実際は九十パーセントぐらいだと推測されている。移民は当初は農民ばかりだった。彼らは草原を開拓して農地とする。しかしモンゴルは降水量が少なく、春は風が強いので、もともと農耕には適さない土地ばかりである。
 漢民族の農民は最初の三年間は耕作できても、場所によってはやがてその土地は耕作不能になるところも多い。そこで彼らは二、三年ごとにほかの場所へ移っていき、次々と土地を荒廃させてきた。牧草地の面積は清朝末期から今日に至るまで、漢民族の人口が増えるにつれ、ずっと減少している。そのためいまでは遊牧はほとんどできなくなってしまった。
 そしていまやもう自然破壊が深刻な状況となっている。
 移民は清の末期(十九世紀後半)から始まった。それまで漢民族の移民を禁止していた政策を改め、北方のロシアの南下を防ぐため、この地を漢民族で埋めようと考えたのだ。
 これは毛沢東時代も同じだったが、同時に知識人が下放(思想改造を目的として、主に青年層を農村へ送り、労働に従事させた政策。教育を受ける機会が失われ、学問の崩壊を招いた)されてきた。その数は五十万人以上とも言われている。
 当時、地理学者らは自然破壊を目の当たりにし、「農民を入れてはだめだ。最後に黄砂などの被害を受けるのはわれわれだ」と警告を発していたものの、毛沢東はそれを聞き入れなかった。いまや黄砂は中国だけでなく、韓国、日本にも飛来し、健康被害を起こしている。
 中国政府が事の重大さに気がついたのは、最近になってからだ。
 そこで慌てて農耕を止めさせようとしているのだが、一緒に遊牧まで禁止しようとしている。遊牧をしては草がなくなり、ますます荒廃するとの考えからだ。この原因は何なのか。中国政府はそのことを言おうとしない。
 本来なら漢民族が開墾した土地を草原に戻すべきではないか。それには遊牧を復活させればいいのである。モンゴル人は何千年も遊牧をやってきた。言わば自然と共生する知恵を持っている。 もしそれらの土地が漢民族に侵食されることなく牧草地のままだったら、そこから北の南モンゴルはいまでも牧草地のままだっただろう。つまり草原が十分だから、過剰放牧が生じることもなかったからである。


◇中国がひた隠すモンゴル近代史

 モンゴル人の土地の所有制度は総有制度だ。土地は部族全体のもので、誰でも使うことができたのだ。たとえば、その土地を朝一番に放牧を始めた人が、その日はその人が使う。明日はまた一番に来た人が使う。遅れて来た人は隣の空いてる牧草地を利用することになる。もちろん王や貴族には優先使用権はあったが、所有権はなかった。
 しかしそこへ漢民族が入ってきた。そのとき彼らがやったことは土地の私有化だ。フェンスで土地を囲んで、「これは俺のものだ」と言いだした。そのため遊牧民は他へ移動しなければならなくなったのだが、どんどん農民が入ってきて草原が少なくなっていく。そこで発生したのが開拓を求める漢民族と、入植を防ぎたいモンゴル人との殺し合いの紛争だ。こうした状況は中華人民共和国が成立するまで続いた。
 このころモンゴルには漢民族が洪水のように流れ込んでいた。当時中国の人口は四億人。それに対してモンゴル人は南北を合わせても二〇〇万人に満たなかった。このままではいずれ呑み込まれてしまう。
 これを防ぐには武器を持って戦うだけではだめだ。独立国家を追って国境線を引くことが必要不可欠だと、「モンゴルの坂本能馬」ハイサンは考えたのだ。それまで南モンゴルは三〇〇年間、北モンゴルは二百数十年間、清朝の支配下にあったが、皇帝には優遇され、文化消滅の危機もなかったが、「いまは適う」と彼は説いて回った。
 当時は辛亥革命前の一九〇七年。モンゴル人から見れば勇敢でもなく戦争の下手な漢民族だが、西洋兵器を手にした新式軍隊を編成し、さすがのモンゴル人も馬や弓では太刀打ちできなくなっていた。もはやモンゴル人だけでは独立戦争に勝てないと気がついたハイサンは、「日本やロシアの助けが必要だ」と考えた。
 そこで日本とロシアに、両国が南モンゴルに持つ権益の拡大を認めるが、その代わりに外交的、軍事的な支援を求めようと画策した。日本とロシアの勢力範囲に組み込まれてもいい、植民地になってもかまわない、とまで考えていた。
 仮にそうなっても、日本人やロシア人がモンゴルの地に大量に流れ込むわけでもなく、同化させられることもないのだから、モンゴル文化が守られるとハイサンは知っていたからだ。しかし、日露は互いに不信感を持ち日露同盟は実現しなかった。
 辛亥革命ののち、中華民国が樹立する。北モンゴルは独立を宣言していたが、しかし中国はそれを認めず、「独立戦争」へと突入する。
 北モンゴルはロシアの影響下にあったため、一九一七年、ロシア革命が起こると、北モンゴルにもその影響が波及した。モンゴル人民革命党は「二つ目の社会主義国を造りたい」とレーニンに訴え、ソ連の支援を求めた。ソ連はモンゴルに介入し、一九二一年、北モンゴルはチベット仏教の活仏のホトクト八世を君主とする、立憲君主国として独立を果たす。君主の死後、社会主義革命が起こり、一党独裁の社会主義国「モンゴル人民共和国」を建国した。当時、それを承認したのはソ連だけだったが、北モンゴルは独立に成功した。
 しかし、日本が南モンゴルを独立させることはなかった。間もなくして満州国が成立し、日本は南モンゴルをも勢力下に置くことになる。南モンゴル東部の一部は満州国に組み込まれたが、モンゴル人に自治政府を設置させた。首班の徳王は完全な独立を求めたが、一九三九年、蒙古連合自治政府が樹立されたものの、日本は完全な独立を認めず、汪兆銘の中華民国南京政府の下の自治政府にした。つまり中国の一部としたのだ。
 そこで私が思ったのは「チベットが世界から同情されても、アメリカや日本などが兵士を派遣しないかぎり、独立は難しい。台湾もそうだ。もしアメリカや日本の軍隊があそこに駐屯していれば、どういう効果があるだろう。中国は勝手に威嚇できなくなるのではないか」ということだ。
 南モンゴルは自力では中国に勝てないので、その一部になった。そして独立運動が始まった一九〇七年から一〇〇年たったいま、ハイサンが心配したように、言語が消えつつある。中国領内にいる六〇〇万人のモンゴル人のうち、二〇〇万人もがモンゴル語をしやべれないのだ。しかもその数は猛スピードで増えている。
 スターリンに「南モンゴルを編入したのち、ソ連の十六番日の共和国にしてほしい」と申し出た。これには中国による文化的同化政策への恐怖感から、それだけは絶対に阻止したいとの考えが反映されていた。社会主義を受け入れてもいい。しかし言語と国境だけは守りたいと必死だったのである。「中国からモンゴルを守るためなら、他国の一部になってもかまわない」というハイサンの考え方が、モンゴル人の間で受け継がれていたのである
 それほど中国人の文化的同化に対する恐怖心は大きかったのだ。
 しかしスターリンは西側世論への配慮などから、「編入は無理だ」と答え、モンゴル人による自治を提案し、毛沢東にも持ちかけた。そしてその結果おかしなことに、中華人民共和国が建国される前々年の一九四七年、早くも「内モンゴル自治区」が成立したのだった。


◇モンゴル人を襲った大虐殺-新内人党事件

 内モンゴル自治区では主席、党書記長、軍区総司令官、すべてをモンゴル人のウランフが兼任した。この地で官僚になろうとする漢民族の共産主義者は少なかったのだ。
 南モンゴルは独立ができない以上、清の時代にモンゴル人貴族が清朝から優遇されたように、「赤い貴族」となり、中国の同化政策から自分たちの権益を守るため、中国に忠誠を尽くした。社会主義自治は一九六八年まで続いた。なぜ、「まで」なのか。その年、「新内人党事件」が発生したのである。
 漢民族はモンゴル人から実権を奪いたかつたが、モンゴル人が忠誠を尽くしている以上、何らかの口実が必要だった。そこで罪をでっちあげた
 中国共産党延安派に属する勢力の一つに、先述の「内モンゴル人民革命党(内人党)」があった。これは四七年にウランフがモンゴル人の自治を訴え、説得して解散させたものだった。
 ところが新たに、「新内モンゴル人民革命党(新内人党)」が秘密組織として存在し、軍と党に浸透し、ソ連軍が中国に攻めてきたら呼応し、反乱を起こそうとしているといった作り話が流され、もともと同党とはまったく関係のないウランフが首謀者とされた。ウランフは中国に忠誠を尽くした人間なのに、だ。
 そして八十万人もが逮捕され、殺害された者の数は、中国政府は一万六〇〇〇人と言っているが、実際には六万人にも及んでいる。
 殺害方法は残虐を極めた。ナイフで肉を切り裂き塩をかけたり、アイロンを当てるなど、まったく聞くに堪えないものだった。女性に対しては性的な暴力を加えた。
 中国人の目的は、これまで独立のために戦ってきたモンゴル人から、その意欲を奪うことだった。「なぜそこまで残虐なことをするのか。銃殺すればそれですむことではないか」との声もあったが、ある中国人は「それは違う」と言った。そして「民族の魂を消すため、肉と皮を傷めるのだ」と強調したという。そこまでやらなくてはならないのだと。実際にそれは効果はあった。
 母から聞いたが、当時自治区では、街を歩いていると拷問で苦しむ人たちの叫び声が、あちらこちらから聞こえたそうだ。それは知り合いの声かも知れず、誰もがたとえようもない恐怖に襲われた。
 ある中国人の知識人女性は手記の中で、「モンゴル人は自殺するために逃げる。なぜなのか理解できない」と書いていたが、モンゴル人は実際に逃亡すると、どこかに隠れるのではなく、自殺したのだ。本当に恐怖で逃げても隠れるのではなく、自殺を選ぶ人が続出したのだ。つまり死よりも投獄、拷問を恐れたのである
 知識人の運命は過酷だった。かつていかなる分野であれ、蒋介石や江兆銘などの中華民国や日本に協力した人々は、ほとんどが処刑された。また内モンゴル自治区が出来てから、迫害を恐れて北モンゴルに逃げた人も、結局は現地で信用されずに南モンゴルに送還され、再教育を受けながらも、みな刑務所に送られている。
 自分たちの軍事力では独立できず、大国の勢力下に入って自分たちの生存と文化を確保してきたモンゴル人だったが、近現代史の流れのなかで中国と出逢ったばかりに、このような悲劇に見舞われることになったのだ。

 ■時事「江沢民氏らに逮捕状=チベットでの“大虐殺”容疑」
 スペインの全国管区裁判所は2013/11/19日、中国の江沢民元国家主席、李鵬元首相ら政権幹部経験者5人の逮捕状を出した。刑事告発した人権団体メンバーにスペイン国籍を持つ亡命チベット人がおり、江氏らが1980~90年代にチベットでの「大虐殺、人道に対する罪、拷問、テロ」に関与した容疑とされる。下図は、Netでチベット人虐殺の証拠として掲載されていた。
   


◇詐欺と賄賂がまかり通る中国文化

 南モンゴルに下放された経験を持つ知識人の話しだ。「漢民族はウソつきで弱い老いじめをするので嫌いだ。モンゴル人が大好きだ」と。そしてこんな目撃談を話してくれた。「私は漢民族の村と隣接するモンゴル人の村に下放された。両方の村の間に牧草地があり、毎年秋に牧草を刈るとき、きまって漢民族とモンゴル人との争いが起こった。ある日、争いのあと、臨時の境界線を引くことで和解した。ところが後になってモンゴル人が寝ていると、漢民族が襲撃してきた」。そうして漢民族が嫌いになったという。「これは個人の問題ではなく、民族の問題だ」と。
 私から見れば中国文化は二〇〇〇年来の賄賂、汚職に代表されるウソつき文化だ。あそこで正直者は生きていけない。胡耀邦も趙紫陽も正直者だから失脚した。彼らが少しでもウソをつければ生きていけた。汚職もしないようなまっとうな人間が排除されるのが中国社会だ。
 だからモンゴル人は純朴で素直な民族性を保ち続ける限り、いつまでも馬鹿にされなければならない。モンゴル人がだまされても、中国人からは「あなたが馬鹿だからだ。何で人を信用するのか」と言われるだけだ。
 北京で国際電話をかけたとき、電話局に請求金額をごまかされた。私が抗議すると、漢民族の友人は「大した金額でもないのに、なぜ道理にこだわるのか」と不思議がられた。つまり中国人には「道理」が通じないのだ。
 しかしいくらモンゴル人でも、そうした中国文化に屈してしまうことがある。
 私の母が入院したとき、騒々しい部屋から個室に移してもらおうと思ったが、正常な手続きでは簡単にはいかない。そこで金を包んで送ったら、翌日移ることができた。初めての贈賄だった。とても気分は悪かったが、母のために仕方がないと思った。悪いことをしなければ、汚職大国では生きていけないのだ。医者自身、賄賂で医者になっている。すべてが賄賂で決まるのが中国なのだ。
 そのような国だから、モンゴル人もそうならぎるを得ない。「漢民族のようだ」は馬る言葉だったのに、いまや「要領がいい」「頭がいい」といった褒め請菓になりつつある。
 しかし全モンゴル人がそうなってしまったら、これほどの悲劇はない。文化を失うだけではない。汚い文化に吸収されたことになるからだ。
 中国人で民主化を求めている人たちは、人権、民主を強調するが、モンゴルやチベット、ウィグルなどの諸民族に対しては「独立反対」と言って「中国統一」を訴える。
 私は外国では「国籍は中国だが、中国人ではない」と言わないと、何事でも問題が解決しない。「ウソツキの中国人」と誤解されるからだ。部屋を借りるときも、「中国人ではない。彼らとは違うのだ」と言って、初めて契約をすることができた。どうもその大家さんは中国人女性の入居者にだまされて嫌な目にあったことがあるらしい。
 南モンゴル人、そしてウイグル人、チベット人を合わせると一五〇〇万人になる。もし百万人が毎月デモをすれば、彼らも現実に向き合わざるを得なくなる。


◇モンゴル人にとっての日本

 日本人は南モンゴルでたくさんの小学校を建てたが、西部の学校の先生は、みな東部の出身だった。つまり満州国から来たのである。日本人は満州でもたくさん学校を作り、そこで学んだモンゴル人が教えに来ていたのだった。
 日本の若い兵隊は背丈は平均的に低いが、体はしっかりしていた。どこかに駐屯しても、勝手に村には入らず、その周辺に留まった。村に入るのは水を沈むときなどだ。民家に来て「お願いします」といって桶を借りていく。返すときは桶に水を満たして返し、「ありがとうございました」と言った。老人は「こんな規律正しい軍隊は見たことがない」と言っていたと母は話してくれた。
 後にやってきたソ連軍は、そのようなことはなかった。国民党軍に至っては略奪をした。共産党軍は盗みはしなかったが、逆らう者は殺した。
 ところがその後突然、日本ブームが起きた。サラリーマンや高層ビルが建つ現代日本の風景が紹介されるようになった。人々は裕福な生活を送り、きれいな家に住み、きれいな単に乗っている。それに比べて当時の中国では乗り物といえば自転車で、しかも配給制だった。


◇中国の横暴抑止には日本の力が必要

 私は大学時代から個人主義を学んだ。だから日本で独立運動を始めたのも、個人の思想によるところが大きい。
 最初はインターネットで自分の考えることを、ニックネームを使って中国語、日本語で書いていた。そうすると中国の国家安全局にマークされ、民族分裂主義者だとして脅迫を受けるようになった。実名もインターネットで公表されたりした。
 これで私は特定された。本国の勤め先である短大の人事部に警察が行き、「この人間が日本から帰国したらすぐ報告しろ」と言ったそうだ。同僚も心配して「何をしたのだ」と連絡をくれた。これも脅しだったのだろう。
 しかし私は悪いことはしていない。個人が書いた意見に国家権力が圧力を加えてくるなど許すことができなかった。
 それから日本人にもわれわれのことを理解してもらいたい。日本人がモンゴル人、そしてチベット人、ウイグル人を支持してくれることは、中国の横暴を抑止する効果がある。これは日本の国益にもつながるはずだ。
 また日本にとっては弱い民族を助けるという正義の問題にもなるだろう。五輪開催中に北京でチベット旗を掲げた日本人がいたが、あれで日本人は金儲けだけの民族ではないということがはっきりした。弱者を応援することは格好いいことではないだろうか。
 そして日本人はこと中国のこととなると、過去の戦争のことを考えて思考を停止してしまう。「中国に正義を訴える前に、まずは自分の反省が先だ」という感じだが、中国から見れば、これが日本の弱みだ。
 しかしそれは六十年前のことで、いまの日本人には関係のないことだ。それよりいまの中国で現実に起こつていることを考えてはどうだろう。
 できれば日本政府には、南モンゴル人の移民をたくさん受け人れてほしい。それは彼らを中国の弾圧から救うということだけでなく、独立を願うモンゴル人にも大きな力を与える。日本にいるモンゴル人が反日だとか、差別を受けたといった話は聞いたことがないだろう。日本社会になじみやすい民族だと思う。
 日本はアジアでいちばんの民主国で経済大国だが、おかしいのはアジアに対して政治的影響力がほとんどゼロであることだ。
 米軍は日本に駐留しているが、これはおかしいことだ。いつまで日本は面倒を見てもらうつもりなのか。いつ自分の責任を果たすのか。
 これだけの経済力、そして軍事力を日本は持っているのだから、憲法第九条のようなどこの国にもないおかしなものは改め、米軍とともに東アジアの安全保障にもっと積極的に参加するべきだと思う。
 私はモンゴル人だが、東アジアの安全保障において、台湾は非常に重要な存在だと認識している。台湾を中国の手に落としてはいけない。それは東アジア全体に影響を及ぼすばかりか、中国はますます自意識を肥大させ、われわれへの弾圧を強めてくることだろう。
 日本とアメリカが、台湾を確実に守るとの決意を表明すれば、中国はけっして動かない。なぜなら中国は打算的民族の国なので、すぐわかる。勝算のない戦いはしないのだ。


◇モンゴルから見た「慰安婦問題」
                   産経:2013/12/19
 中国・内モンゴル自治区出身の文化人類学者で、現在は日本に帰化して静岡大の教壇に立つ大野旭(ペンネーム・楊海英)教授から近著が送られてきた。書名は『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(5)』(風響社)といい、モンゴル人女性たちが中国人から受けた性的被害を記した記録である。添えられた手紙にはこうしたためられていた。
「朝日新聞による(慰安婦報道の)でっちあげとは異なり、私は長年にわたって調査研究してきております」「戦時ではなく、平時における中国政府と中国人による性犯罪をこれから、国際社会は裁くべきだ」
 大野氏が調べた中国政府の公式見解によると、文化大革命時に内モンゴル自治区では34万人が逮捕され、2万7千人が殺害されたほか、12万人が身体に障害が残る傷を負った。当時、自治区で暮らしていたモンゴル人の実に50人に1人が殺された計算となる。
 そしてその過程で、「(妊娠中の女性に対し)手を陰部から入れて子宮から4カ月になる胎児を引き出した」「女性の下着を脱がせて、水に漬かった麻縄で会陰部を前後に鋸(のこぎり)のように引く」(ともに同書から引用)などの残虐行為が繰り返されたのだという。
 こうした原体験を持つモンゴルでは、韓国などが非難する慰安婦問題はどう映るのか。大野氏に聞くと、こんな答えが返ってきた。
「先の大戦では、戦勝国側も日本と似たシステムで女性の性を利用していた。韓国もベトナム戦争時に戦場の性の問題を起こしており、それを封印して慰安婦問題で日本批判のキャンペーンをするのは国際的に公正ではない」
「中国はモンゴルだけでなくチベット、ウイグルでも平時に性的犯罪を行っている。それに対して謝罪も賠償もされていない。それを省みず、日本だけを批判するのは問題だ」
 物事は第三者の立場でみると理解しやすい。韓国の朴槿恵大統領はバイデン米副大統領と6日に会談した際、「安倍晋三首相の歴史認識が変わらない限り、会っても成果がない」と述べたとされる。もっと謙虚に歴史を直視すべきだろう。
 慰安婦問題では、日本の軍・官憲が組織的に韓国人女性を強制連行した資料・証拠は何も見つかっていない。この点について大野氏は「かなりいいかげんな話だ。一方、私の本は被害者、加害者双方の名前入りの中国政府に事実認定された1次資料だ」と語った。
 また、大野氏は「戦後、満州などから引き揚げた日本人居留民が朝鮮半島や中国で受けた犯罪を、日本はずっと不問にしてきた」と指摘し、日本のメディアのあり方にも矛先を向けた。
「慰安婦問題が政治問題化したのは朝日の偏向報道がきっかけであり、それに一部の左派研究者もくみした。彼らは中国が私たちマイノリティー(少数民族)に対してやったことは正面から取り上げない。それはフェアじゃない」
 大野氏の労作は、現在進行形の犯罪には頬かむりし、事実関係の怪しい過去の掘り起こしに血道をあげることの愚かさを教えてくれる。(政治部編集委員)




台湾:迷走する独立への道


◇台湾を占領した「もう一つの中国」

 中国は台湾を「不可分の領土」だと主張しているが、中華人民共和国は一秒たりとも台湾を統治したことはない。また台湾はいま中華民国(シナ共和国)の国号を掲げているが、だからといって台湾が中国の部であるわけでもない。
 台湾の帰属先の問題は簡単明瞭だ。一八九五年、日清戦争の講和条約である下開条約によって、台湾は清から日本へ永久割譲され、日本の領土として近代化が進められ、台湾人も近代教育を受けた近代的な国民となった。だが日本が一九四五年の敗戦で連合国の占領下に置かれると、日本本土と南朝鮮はアメリカ軍が、北朝鮮はソ連軍が、そして台湾は蒋介石の中華民国軍がそれぞれ占領を受け持った。
   
 ところが台湾を占領した中華民国は、ただちに越権行為に出た。つまり台湾の領土編入を一方的に宣言し、台湾人に中華民国国籍を付与したのである。しかし法治社会で生活してきた台湾人にとって、前近代的な人治しか知らない中国人の不条理にして残酷な台湾支配には我慢ならなかった。そこで中国人の暴政への不満が爆発して起こったのが一九四七年の二二八事件の騒乱である。政府に抗議する台湾民衆へ機関銃が向けられ、全島規模の反乱を引き起こすこととなった。そして鎮圧という名のもとに、中華民国政府軍、警察による住民大虐殺に繋がり、死者は約三万人ともいわれている。
 愚民統治しか知らない中華民国政府が最も恐れたのが、日本時代以来、台湾人が持つ先進的な近代文明である。そこで日本文化=近代文化の掃が試みられた。台湾の近代文化は日本文化であると同時に台湾自身の文化となっていた。それを払拭して「中華文化」なるものを注入しょぅとしたわけだから、これは中国人化という同化政策でもあった。


◇台湾文化へのジェノサイド

 さて、当時私たちが受けた教育は、同化政策下での中国人化教育だった。
 あのころの総統(大統領)は蒋介石で、彼は本気で中国を取り戻そうとしていたと思う。だから台湾は彼が目指す、中国大陸への反攻基地となったわけだが、そのためには人口の圧倒的多数を占める台湾人には反抗しない従順な民になってもらわなければならない。そして大陸反攻に協力する忠良なる戦士にもなってもらわなければならない。
 そこで先ほどのように日本文化を取り除く必要があった。先進的な近代文化は、愚民統治には最大の障害となる。もちろん台湾の土着文化も否定の対象だ。台湾語を忘れて中国語を話させる、そして台湾を忘れさせ、中国の復興だけを考えさせる。
 このように、いま思えば中国人化教育の目的は、台湾文化へのジェノサイド(子孫根絶)、そして日本、日本文化との分断だった。
 大学を卒業するまで、国語や思想教育である倫理、高校での三民主義(孫文が提唱した中国革命の基本理論。民族主義、民権主義、民生主義の三つから成り立つ)、大学での国父思想(中華民国を建国した孫文の思想)などの授業の先生はすべて中国人だった。このようにして私たちは、自然に中国的なものを受け入れていったのだ。
     
 中国人化教育で日本的なものはほぼ払拭され、同様に台湾的なものもしだいに払拭されていった。ただ徹底的に払拭されたわけではない。
 たとえば歌仔戯(台湾オペラ)や布袋戯(台湾人形劇)などは、巧妙に残された。それらをテレビで放映するとき、中国人化教育を受けていないため中国語がわからず、台湾語しかできない層をターゲットに、限られた短い時間で流すのだ。視聴者は教育レベルの低い人が対象だから、わざと質が低く下品な内容の番組を作る。そうすると教育を受けた人間がそれを見ると、「台湾文化とはこんな下品ででたらめなものなのか」との印象を植えつけられてしまう。
 台湾に来た中国国民党の台湾人支配はここまで巧妙で、宣伝に長けていた。このように台湾人が劣等感を抱くような空気が意図的につくられていったのだ。
 中華民国は台湾しか支配していなかったが、建前では台湾省を含め、三十六省あることになっていて、それぞれの省の人口比で合格者数を決めるのだ。たとえば台湾省の場合、もちろん出身者は圧倒的に多いはずだが、他省と比べて人口がいちばん少ない。そこで合格者数は、台湾省が五人なら河北省は十人といったぐあいに定められるというわけだ。たとえ受験者数で台湾省が五〇〇〇人で河北省が人だとしても、その枠は変わらない。だから河北省の出身者は、○点だったとしても合格するという仕組みである。
 医学部卒業者の医師国家試験以外に、国が特別に認定するという医事人員特別試験もある。そのため医学部を出ていない者でも合格することができた。何しろ毎年の医学部の卒業生は五〇〇名なのに、特別試験の合格枠はそれ以上にあった。かつて軍で衛生兵を務めていたというだけで特別試験を受け、この枠によって医者として合格したのは、中国出身者がほとんどだ。こうしたことが、台湾人である李登輝氏が総統になるまで続いていたのである。
 これを見てもわかるように、中国人化教育とは、中国人を貴族とし、台湾人を奴隷とする社会のなかで、「奴隷は貴族になれるよう勉強しろ」ということだ。台湾人は日本の「奴隷化教育」を受けた存在、日本文化に染まった汚れた民だと見なされていたからだ。


◇監獄島となる台湾

 私たちの世代は、親から「政治のことは語るな、関心を持つな」と厳しく言われていた。なぜなら国民党独裁政権が、白色テロで人民を桐喝していた時代である。白色テロとは為政者による反政府運動への弾圧である。国民政府は一九四九年から八七年まで、世界最長となる戒厳令をしき、二十万人以上を投獄、処刑した。その多くが無実だった。
 親の世代は、たとえば二二八事件で、家族、親戚、友人、知人、あるいは自分自身が被害を受けながらも、そのことは一切言わない。
 私の学生のころまでは警備総部という恐ろしい機関があった。これは軍の機関だったが、軍、司法、警察の権力が集中しているようなところでもあった。これが「一人を逮捕するために疑わしい一〇〇人を捕らえろ」 の方針で、令状もなしで人を逮捕したり、尋問したり、場合によっては殺害もした。
 いちばん有名な例は数学者の陳文成殺害事件だろう。陳文成は米国カーネギーメロン大学の助教授で、国民党政権を批判していた。一九八一年、台湾へ一時帰国していた際、警備総部から呼び出され、そのまま行方がわからなくなり、翌日、ムH湾大学構内で死体で発見されたのだった。
 こうした機関があるから人々は怖がった。たとえば、誰かが子どもや学生に日本語を教えたとする。すると子どもや学生のうち、誰かがそれを監視し、そして報告するのだ。そこで調査に来るのは調査局、情報局、あるいは警備総部で、警備総部が乗り出してくると、「これは殺される」と感じるわけだ。
 これは目に見えない無言の圧力のようなもので、「誰だれが捕まった」と噂が流されるだけで、みな脅え、自己抑制をするのだった。
 いまの北朝鮮をも超えるかというような統制を受け、台湾全土が恐怖の空気に包まれるなか、台湾人はすっかり反抗する意欲を失ってしまった。檻のない監獄生活である。
 このように政治、軍事、司法は、その内部をのぞくことのできない恐ろしい城という感じだった。もちろん台湾人はその城には入ろうとはしない。これは中国人から見れば、台湾人は挑戦しようとはしないということになる。このように国民党は台湾人に恐怖を植えつけながら支配していったわけだ。


◇中国人の本質は、カネ、カネ、カネだ。

 私が日本へ来た一九八七年のことだが、一年間のうちに何回もハイジャック事件があった。
 最初の事件は六名の中国人が国内でハイジャックし、韓国を経由し、台湾へやってきた。当時台湾政府は、中国人がハイジャックをして台湾へ逃げてくることを奨励していた。つまり中華民国を支持する「反共義士」の存在を宣伝したかったのだ。そこで犯人には「義士」の称号とともに五〇〇〇万台湾ドルの報奨金を与えるなどしていた。五〇〇〇万ドルといえば、当時の台湾人なら一生かかっても稼げない額だった。
 ハイジャックを奨励する台湾政府も、それに応じる中国人も、いずれもとても中国的だったと言えるだろう。要するに金で釣り、金目当てで釣られ、釣られた後はお互いに騙し合い、殺し合ったわけだ。政府にしても、わざわざ犯罪を引き起こすような政策を行ったわけだから、その責任は大きい。
 ちなみに政府が二二八事件のことを初めて認めたのは、私が日本に来たあとだ。李登輝総統時代の一九八八年、認めたといっても「国民党が虐殺を行った」と認めたのではなく、「たしかに暴動があった」と認めたに過ぎなかった。
 そもそも台湾人は温和で反骨精神に欠け、権力に立ち向かうという民族ではない。非常に素直に現状を受け入れる。不公平な待遇があっても、仕方がないと諦める民族性がある。だから中国が台湾に脅威を与えている。その中国に立ち向かわない、刺激をしないで生きようというのが台湾人の主流だが、知識人には知識人の責任がある。このままでは台湾から台湾人の民族としての魂が消えてなくなると思ったのだ。民族の魂を失えば、世界から尊敬される民族になれるはずがない。


◇台湾が進むべき道

 今日では台湾の重要性はますます高まる方だ。日米など海洋勢力からすれば中国の膨張封じ込めのために、あるいは中国からすれば海洋進出のために、けっしてなくてはならない存在である。うっかりしていたら、かつてアメリカに呑み込まれたハワイ王国のように、中国に呑み込まれないとも限らない。
 そうならないようにするために、台湾人には台湾人としてのアイデンティティ、台湾の国の主としての自覚をしっかり持ち、こうしたパワーバランスのなかで生きていこうとの強い意志が求められているのだ。単に豊かな生活だけを重視するのではなく、台湾人の尊厳とは何か、生命を捨ててでも守るべきものは何かを考えなくてはならないし、もちろん民主、自由、人権という価値観同盟の一員としての立場の堅持が必要だ。自国の民主を守るだけでは、周りから尊敬される民族にもなれない。
 さらに進んで中国に迫害されながら自由を求めるチベット人、ウイグル人、モンゴル人、さらには中国の民衆に対しても関心を持ち、支援の手を差し伸べるほどにならなくてはならない。これは魂、そして気概の問題だ。
 隣の中国で発生した「災害」は、海を越えて台湾にもやってくる。将来的に考えられる環境問題、難民問題には国境はないものだ。
 ヨーロッパ文明で尊敬できる点は、実利や生命をも犠牲にできる伝道精神、布教精神だが、こうした形而上のものは台湾にはなかった。
 日本にも人民を束ねる天皇、神道というものがあるが、台湾にはそういう精神的なものもない。
 それほどの気概や信念を持たなければ、国などは造れないだろう。そして世界から尊敬される国にならなければ、各国も台湾を助けてくれない。台湾は価値観同盟に加わって、やっていかなくてはいけないと考えている。


◇台湾人は漢民族ではない

 清や中華民国の台湾人支配は、アメリカにおける白人のインディアン支配よりも巧妙で悪質だった。白人は肌の色の適うインディアンに、「お前は白人だ」という嘘をつくことができなかったが、中国人は台湾の原住民に、自分を中国人と思わせ、抵抗する力を奪ったのだ。
 原住民は中国人に同化され、同化された者は支配者の顔をして、同化されていない人々を差別した。
 台湾人は自分を漢民族だと思っているし、世界中の人もそう思っているが、実際近年の遺伝子調査の結果、今日の外省人を除いた約八割の台湾人のうち、その九十七パーセントが原住民、あるいはその子孫であることがわかっている。血統的には古代の越族、つまり現在のベトナム人などに近いことがわかっている。(※越人が稲作と青銅器文明を持ち、黄河へ向かい夏人として夏王国を建国した。西からの蛮族により殷王国が建国された。越人と縄文人は強いつながりが有る。)
 清の時代に大量の漢民族の移民が台湾へやって来て、それが台湾人の先祖になったといわれているが、その見方は修正を求められている。


◇中国との新たな戦い方

 日本政府はアメリカにならって北朝鮮人権法を制定したが、今度は中国人人権法を制定すればいいのではないだろうか。中国の民主化を促進するという主旨を前面に押し出し、中国の人権活動家を保護、庇護し、応援すればいい。
 なぜ中国は台湾を取ろうとするのか。一〇〇パーセント中国の立場に立って考えてみよう。まず中国の国を守るという観点からいえば、台湾は、中国に対する自由と人権の発信源として、一党独裁体制を揺さぶりかねない存在である。
 台湾という発信源は、日本、アメリカといったほかの発信源よりもはるかに強烈だ。中国政府は人民に 「台湾人も中国人だ、同胞だ」と敢えてきたが、その「中国人」「同胞」が自由と民主を享受しているのだ。中国の人々がこれを知れば、「台湾にできるなら大陸でもでき渇はずだ」と思い、自由への希望を抱くことだろう。
 また地政学的に見て台湾は、中国が海洋に出る通路を挺す要衝だ。この国の潜水艦が太平洋に出るには、まず台湾軍の守備範囲を通過しなくてはならない。
 私には、台湾は中国の横腹に突きつけた短剣のように見える。中国にしてみれば、中国への攻撃基地ともなり得て放置できない。上海、広東といった中国経済の三分の二を占める中心地の沿海部は、もし台湾が中距離ミサイルを開発すれば、すべてその射程距離内に収まることになる。伝統的に北の守りばかりを重視してきた中国は、海上からの攻撃には国を守ってきたことがない。もちろんこの地域はミサイル攻撃には完全に無防備だ。
 次に逆に中国が攻撃するという観点から見てみよう。もし台湾を取れば、日本のシーレーンを手中にすることになり、それで日本は中国に隷属するも同然ということになる。
 太平洋にも自由自在に進出することができる。こうなると日本だけではない。いちばん困るのはアメリカだ。そこに中国の潜水艦が潜むだけで、アメリカには多大な脅威となる。中国が台湾を核ミサイル搭載の潜水艦の基地にすれば、水深のある太平洋に身を沈め、米軍も所在を把握できなくなるのではないだろうか。
 日本もアメリカも手が出せなくなる。そしてもちろん東シナ海、南シナ海は「中国の海」となる。アセアン諸国の周辺海域は中国海軍の勢力下に陥ることになるだろう。
 そして中国の内政の観点から見よう。台湾を併合すれば、人民の団結はより高まることになるだろう。中共政権安定のためにも「台湾」は必要といえるのだ。
 こうした三つの要素から見ても、中国が絶対に台湾併呑をあきらめることはないことは明らかだ。これまで台湾の独立派は「台湾は中国領ではない」(台湾人は中国人ではない)と主張してきたが、中国には決して通じない。

 ■西村幸祐 ‏2014/05/03のツィートより

 この写真は2012年11月現在の、中国共産党の侵略、弾圧に抗議するチベット人の焼身抗議者の方々です。2009年から始まったチベット人の支那への焼身抗議はすでにこの4年間で130名を超えています。



(反安倍・自民へ)
(TOPへ)
(目標は天皇の処刑へ)