[スイス民間防衛]を読んで
[民間防衛](原書房 第26版)を読んで、政府と国民が危機管理を行うのは、独立と自由を守るために当然としています。また、原子爆弾が投下されたときの対処方法について述べており、敵に占領されたときの心構えと、抵抗運動にまで言及されている。特に、放射線・放射能への対処について、本書に述べられている基礎知識を被災者の方々に素早く伝えられていれば、被害はもっともっと少なくてすんだと思います。当然これらの知識は原発関連学者・官僚・東電は知っていたはずなのですから、残念でなりません。
311において、東北の方々は、日本人として尊敬すべき行為を示されましたが、政府・東電・御用学者は、民主党政府の人災までをも隠蔽しようとさえしています。
武田教授は[2015年放射能クライシス]の中で、LEVEL7の核汚染に対して、何の対応もしなかったことから、福島などの子供達が2015年に甲状腺癌が多く発症する可能性が大きいと、チェルノブイリの結果から述べています。更に、政府に対する不審から社会不安を煽られに違いないこと、加えて今生陛下が崩御されていれば日本人の精神的な支柱の危機にもなりかねません。
下記抜粋ですが、是非、原著を読んで平和ボケにカツを!
◆まえがき
国土の防衛は、わがスイスに昔から伝わっている伝統であり、わが連邦の存在そのものにかかわるものです。そのため、武器をとり得るすべての国民によって組織され、近代戦用に装備された強力な軍のみが、侵略者の意図をくじき得るのであり、これによって、われわれにとって最も大きな財産である自由と独立が保障されるのです。
今日では、戦争は全国民と関係を持っています。国土防衛のために武装し訓練された国民一人一人には、『軍人操典』を与えられますが、『民間防衛』というこの本は、わが国民全部に話しかけるためのものです。ニの2冊の本は同じ目的を持っています。つま り、どこから来るものであろうとも、あらゆる侵略の試みに対して有効な抵抗を準備するのに役立つということです。
われわれは、脅威に、いま、直面しているわけではありません。この本は危急を告げるものではありません。しかしながら、国民に対して、責任を持つ政府当局の義務は、最悪の事態を予測し、準備することです。軍は、背後の国民の士気がぐらついていては頑張ることができません。その上、近代戦では、戦線はいたるところに生ずるものであり、空からの攻撃があるかと思えば、すぐに他の所が攻撃を受けます。軍の防衛線のはるか後方の都市や農村が侵略者の餌食になることもあります。どの家族も、防衛に任ずる軍の後方に隠れていれば安全だと感じることはできなくなりました。
一方、戦争は武器だけで行なわれるものではなくなりまLた。戦争は心理的なものになりました。作戦実施のずっと以前から行なわれる陰険で周到な宣伝は、国民の抵抗意志をくじくことができます。精神−心がくじけたときに、腕力があったとて何の役に立つでしょうか。反対に、全国民が、決意を固めた指導者のまわりに団結したとき、だれが彼らを屈服させることができましようか。
◆われわれは危険な状態にあるのだろうか
この本は、わが国が将来脅威を受けるものと仮定して書かれたものである。
われわれが永久に平和を保障されるものとしたら、軍事的防衛や民間防衛の必要があるだろうか。すべての人々は平和を望んでいる。にもかかわらず、戦争に備える義務から解放されていると感じている人は、だれもいない。歴史がわれわれにそれを教えているからである。
スイスは、侵略を行なうなどという夢想を決して持ってはいない。しかし、生き抜くことを望んでいる。スイスは、どの隣国の権利も尊重する。しかし、隣国によって踏みにじられることは断じて欲しない。
スイスは、世界中で人類が行なうあらゆる建設的行為には全力を尽くして協力する。しかし、みずから行なうべきことを他人からさしずされたくはない。工業国、商業国としてのスイスは、自由競争の条件のもとで全世界と貿易をしており、スイス製品は−般の高い評価を受け、わが国民の職業的良心を立証している。
しかし、このような評価によって、スイスが、起こり得る大戦争の局外に立ち得るわけではない。われわれは、あらゆる事態の発生に対して準備せざるを得ないというのが、最も単純な現実なのである。
- 親たちがわれわれのことを心配してくれたように、子供たちのことを考えよう。
- 自由と独立は、われわれの財産の中で最も尊いものである。
- 自由と独立は、断じて、与えられるものではない。
- 共同体全体の自由があって、初めて各人の自由がある。
自由と独立は、絶えず守らねばならない権利であり、ことばや抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器を持て要求して、初めて得られるものである。
◆国家がうまく機能するために
法は、われわれすべてを拘束するが、われわれを守るものでもある。われわれも法の制定に参加せねばならない。もし、制度の改善のために何もせず、共同体の管理に参加しないならば、自分たちの制度について不平を言う資格はない。
賢明な異議申し立ては、必要な改善を促し、この改善によって共同体の安全平穏がはかられる。消極的逃避や組織的反抗は、有益な努力を無駄にし、妨害し、意味ないものとする。
とは言っても、自由とは無政府主義ではない。無政府主義は、国家に関するすべての義務を全面的に否定するものである。各個人の政治的自由は、精神的家族感あるいは経済的家族感というワク組みの中で現わされねばならない。このようなワク組みは、その中の各自の意見と利益を守るに足るものである。このような共同体生活のきまりの外で権力がふるわれると、秩序が失われ、効果がなくなり、弱く、不安定となり、効率が悪くなる。
もし、固く団結した多数派によって事に対する決定の責任がとられないならば、生き生きとした民主主義は存在しなくなる。また、もし多数派が、その力を勝手気ままに乱用して、すべての国民の持つ合法的権利を国民の一部に対しては否定する、とするならば、その国には平和がなくなってしまう。
◆良心の自由
わが連邦憲法は、「全能なる神の御名によって‥‥」ということばで始まる。スイスの州の大部分は正式にキリスト教会を認めている。われわれは過去において宗教戦争によって大変な被害を受けたので、宗教と宗教との間の平和のありがたさを知っている。
われわれは、あらゆる宗教上の信念に対して、単なる寛容にとどまることなく、心から尊敬の念を払う義務がある。
◆受諾できない解決方法
彼らは全体主義国に目を向けて、力による解決方法を選ばうとするが、このような解決方法は、みずからの道は自分自身で決定することを伝統として尊重する国民大多数が、嫌うところである。
わが国が、その必要に基っいて連邦制をとっており、政治形態が民主制であり、そして何よりも自由と独立を重んずる以上、このような、わが国で実行不可能な全体主義的イテオロギーは、単なる常識あるいはちょっとした観察力に照らしても非難される。
われわれは、本能的に、個人の独裁や一党独裁制を嫌い、憎む、したがって、政府の施政や行動を、国民とその代表者が監督するにあたって、そこに何らかの妨害を受けることは、断じて認めることができない。
◆自由に決定すること
国を愛するということは、何も、その風景だけを愛することではない。美しい国土は、その場所で各自の能力をより大きく発揮し得る、道徳的、精神的な建物の土台であるに過ぎない。
人間は社会生活を営むようにできており、人間相互の関係は、法律に定められている。一国が、国民をその国に強くつなぎとめるのは、その国の法律がどれだけ人道的であるかによるのである。
わが国の風景と同じくらい魅力のある風景は、世界中至る所にある。しかし、わが国の法律や制度は、われわれに則してつくられたものである。われわれが、わが国で、どこよりも、しあわせに感ずるのは、このわれわれの法律や制度のおかげである。
国家の価値は、国民の能力に比例する。制度や法律も、寛大で、信念を持った国民によって運用されるのでなければ、何の役にも立たない。利己主義は、破壊と荒廃に導く主義である。
「わが国では決して戦争はない」と断定するのは軽率であり、結果的には大変な災難をもたらしかねないことになってしまう。
◆国土の防衛と女性
わが国の人口は少ない。したがって、自由と独立を維持しつつ、わが国土をわれわれの子孫に受け継がせていくためには、国家の危急存亡にかかわる重大なときに、すべての国民は、人口の多い他の国々以上に、あらゆる力を国土の防衛に集中しなければならない。男子は、必要な場合には、軍服を着て前線に立ち、生命を賭けて戦う。経済の分野においては、男性も女性も、ともに困難にたえ、食程を確保し、国や民間のいろいろな企業が活動を停止することのないように努力しなければならない。このような場合に、女性の果たすべき任務と責任は、きわめて重要である。
新聞などには、時折り、ある国のこととして、兵隊にとることのできる男子の数が少ない祖国を守るために、女性が銃をかついで訓練を受けている写真が掲載されているが、われわれは、このようなことをわが国の女性に期待しているわけではない。軍というものは、単に兵士ばかりでなく、多くの補助員、後方勤務者を必要とするのであり、さらに、これらの人々が強い精神力を持っていなければならないのである。
民間防災組織は、非常の場合に女性がその任務を達成するために必要な、いろいろな技術や知識を習得するための組織である。この組織で、必要な技術や知識を充分に身につけた女性が、家庭にあって、自分自身および子供たちの生命をしっかりと守っていることを知っただけで、男子は、いかなる戦いをも戦い抜く意志と力を持つことができる。これこそ、国土の防衛にあたって女性が行なうことのできる最大の貢献である。民間防災組織における女性の勤務は志願制であるが、このような、生命の保護を目的とする組織には、すべての女性が喜んで参加するであろう。
◆自由と責任
民主主掛ま個人の意見を尊重する。これが民主主義の最も大きい長所の一つである。
民主主義国家では、個人の私的な官行にまで介入することはない。報道、ラジオ、テレビは自由である。各人は、平時には少しの困難もなく外国へ行くことができる。各人は、自己の気に入った政党を選ぶことができる。“自由”が空虚なことばでない国、自由の内容がちゃんと充実している国では、このようになっている。
しかし、国家は共同社会を守らなくてはならない。そのため、国家は、特にスパイ行為と戦う義務を持つ。スイスには思想に関する罪というものはないが、しかし、われわれの防衛力を弱めようとする連中は、監視しなければならない。内部から国を崩壊させようとする作業が、公共精神を麻痺させる者によって企てられる可能性が常にある。
自由はよい。だからといって、無秩序はいけない。
故に、国家的独立の意志をなくしてわれわれを弱体化させようとするイデオロギ一に対して、人々の注意を喚起する必要がある。教育者、政党、組合、愛国的グループなど、世論に影響を及ぼす立場にある人々は、すべて、みずからの責任を絶えず自覚しなければならない。
- ■戦争のもう一つの様相
- 戦争のもう一つの様相は、それが目に見えないものであり、偽装されているものであるだけに、いっそう危険である。また、それは国外から来るようには見えない。カムフラージュされて、さまざまな姿で、こっそりと国の中に忍び込んでくるのである。そして、われわれのあらゆる制度、あらゆる生活様式をひっくり返そうとする。
このやり方は、最初はだれにも不安を起こさせないように、注意深く前進してくる。その勝利は血なまぐさくはない。そして、多くの場合、暴力を用いないで目的を達する。これに対しても、また、しっかりと身を守ることが必要である。
われわれは絶えず警戒を怠ってはならない。この方法による戦争に勝つ道は、武器や軍隊の力によってではなく、わ れわれの道徳的な力、抵抗の意志によるほかない。
- ■敵は意外なやり方で攻めてくる
- われわれは、勝利に到達するまでわが道を倦むことなく歩み続ける。われわれは敵を憎む。彼らを容赦なく滅ぼそう。武器による戦いに比べ費用 のかからぬやり方で、敵を滅ぼすことができるのだ。「魅力」で魅きつける宣伝は、われわれの手の中にある効果的な武器だ。われわれは、われわれの意図するところを、美しい装飾で包み隠さなくてはならない。文化は立派な隠れ蓑に利用できる。
音楽、芸術、旅行などの口実で、仲間をつくろう。展覧会とスポーツの祭典を組織し、利用しよう。わが国に旅行者を引き寄せ、彼らにわれわれの優越性を納得させよう。これらの「文化交流」は、事実は一方通行としなければならぬ。わが国に、われわれの教養や生活様式にとって好ましくない退廃的思想、新聞、書籍、映画、ラジオ放送、テレビ放送などの、どのようなものも入れさせないようにしよう。
科学の面では、できるだけ多く受け取り、少なく与えるようにしよう。彼らは愚かで退廃的だ から、われわれの企てのなすがままになるだろう。われわれが彼らに与えるフリをすれば、いい気持になってしまうだろう。彼らは、われわれの政治的思想は信じまいとするが、だんだんそれに侵されていくだろう。このようにして、われわれは、彼らの心をとらえていく。彼らはワナに陥り、われわれは、彼らの首に彼らを締め付ける輪をかけるのだ……。
- ■敵の策略(敵は同調者を求めている)
- 「ヨーロッパ征服を夢みる、ある国家の元首が、小さなスイスを武器で従わせるのは無駄だと判断することは、だれにも納得できる話である。単なる宣伝の力だけでスイスをいわゆる「新秩序」の下に置くことができると思われるときに、少しばかりの成果をあげるために軍隊を動かしてみたところで、何の役に立つだろうか。
国を内部から崩壊させるための活動は、スパイと新秩序のイデオロギーを信奉する者の秘密地下組織をつくることから始まる。この地下組織は、最も活動的で、かつ、危険なメンバーを、国の政治上層部に潜り込ませるようとするのである。彼らの餌食となって利用される「革新者」や「進歩主義者」なるものは、新しいものを待つ構えだけはあるが社会生活の具体的問題の解決には不慣れな知識階級の中から、目をつけられて引き入れられることが、よくあるもんだということを忘れてはならない。
数多くの組織が、巧みに偽装して、社会的進歩とか、正義、すべての人人の福祉の追求、平和という口実のものに、いわゆる「新秩序」の思想を少しずつ宣伝していく。この「新秩序」は、すべての社会的不平等に終止符を打つとか、世界を地上の楽園に変えるとか、文化的な仕事を重んじるとか、 知識階級の耳に入りやすい美辞麗句を用いて……。
不満な者、欺かれた者、弱い者、理解されない者、落伍した者、こういう人たちは、すべて、このような美しいことばが気に入るに違いない。ジャーナリスト、作家、教授たちを引き入れることは、秘密組織にとって重要なことである。彼らの言動は、せっかちに黄金時代を夢見る青年たちに対して、特に効果的であり、影響力が強いから。
また、これらのインテリたちは、ほんとうに非合法な激しい活動はすべて避けるから、ますます多くの同調者を引きつけるに違いない。彼らの活動は、”表現の自由”の名のもとに行われるのだ。
- ■敵の策略(外国の宣伝の力)
- 国民をして戦うことをあきらめさせれば、その抵抗を打ち破ることができる。軍は、飛行機、装甲車、訓練された軍隊を持っているが、こんなものはすべて役に立たないということを、一国の国民に納得させることができれば、火器の訓練を経ることなくして打ち破ることができる……。このことは、巧妙な宣伝の結果、可能となるのである。
- ■敵はわれわれの抵抗意志を挫こうとする
- そして美しい仮面をかぶった誘惑のことばを並べる。核武装反対、それはスイスにふさわしくない。農民たち!装甲車を諸君の土地に入れさせるな。軍事費削減のためのイニシアティブをこれらに要する巨額の金をすべてわれわれは、大衆のための家を建てるために、各人に休暇を与えるために、未亡人、孤児および不具者の年金を上げるために、労働時間を減らすために、税金を安くするために、使わなければならない。よりよき未来に賛成!平和のためのキリスト教者たちの大会
汝 殺すなかれ婦人たちは、とりわけ、戦争に反対する運動をおこなわなければならない。(平和擁護のためのグループ結成の会) 平和、平和を!
◆原爆の出す力
原爆の恐るべき力は、大体次の三つである。放射能、熱、圧力。われわれはこれらの性質と影響について充分に知っておかねばならない。
■一次放射線
爆発に際して生ずる一次放射線は、きわめて強い浸透力を持っているが、放射線の出ている時間は僅か数秒間である。爆発の地点から離れるにつれて放射線の量は減っていく。人体の受けた放射線の暮はレントゲン単位(レム)で示されるが、5レム以下なら危険はない。1回の放射線圭が100レム以下なら人体への害はまだ少ないと思われるが、400レムになると放射線を浴びた者の半分が死亡する。600レムを越えれば全員が死ぬ。放射能は、放射線病という人体への有害な作用のほかに、高い放射線量を受ければ生殖機能に重大な障害を起こす。
爆心地の付近では、−次放射線の浸透した土地は放射能を帯びる。つまり、その土地自身が放射線を出し始めるのであるが、ニの放射能は、時間がたつにつれて急速に減っていき、爆発後数日でほとんど危険性はなくなる。
500キロトン原子爆弾(※登録者:広島原発20キロトン)が咋裂した場合に生ずる一次放射線によって、われわれが浴びる放射量は次のとおりである。

どんな物質でも、多少は放射線を弱めることができる。その物質の密度が高いほど放射線を弱める度合が大きくなる。1メートルのコンクリートで固めた覆いがあれば、一次放射能は200分の1に、1メートルの厚さの土なら150分の1になる。
■永続的または二次的放射線
核爆発に際しては、放射性物質いわゆる核分裂物質ができる。地下や地表での爆発では、この核分裂物質の一部は、上空に舞い上がった土と破片に付着する。
風向きや風速によって、それらは爆発点から近くにも遠くにも降下し、土地を放射能で汚染する。その広さは数百から数千平方キロにも及ぶことがある。破片の中で大きいものや重いものは、爆発点付近の地上に落ちるが、小さいものや軽いものは、上昇する原子雲に巻き込まれて、その高さによって、時間がたつにつれて地表に舞い降りてくる。爆発点の付近は放射能に最も強く汚染されるが、そこから離れるにつれて減っていくのである。放射線は、1時間当たりのレントゲン単位を基準にして測定される線暮(R/h)で示されるが、これは、時とともに、初めは急速に、それから緩慢なスピードで減っていく。
ごく小さい放射性のチリは、数カ月にわたってはるか上空に浮いており、雨とともに降下して、地表を汚染する。そのため、革、野菜、果実、ときには飲料水まで汚染されることもある。

放射能による汚染が強い場合には、鉄道や郵便、その他いろいろな企業も、数日間活動を停止しなければならないので、食料その他の供給もストップする。家畜は死ぬか、あるいは死ななくても飼料や飲み水を通じて放射性物質が体内に入るので、肉やミルクは食用に適さなくなることもある。
■二次放射能に対する防護
二次的放射線は、どんな物質を使っても、一次放射線よりもはるかに効果的に弱めることができる。
もし爆発が身近で起きたら、放射性降下物を身体に受けたものと考えて、衣服をぬぎ捨てるとともに、身体の露出した部分を徹底的に洗うか,シャワーを浴びなければならない。
われわれは、何日も、何週間も、放射能の汚染を受けない備蓄品だけで生活できるように準備しておく必要がある。放射能で汚染されるおそれのある生肉、野菜、果実、卵、牛乳などの食料品は、当局によって封鎖されて、検査した後、害がないとわかれば封鎖が解かれるが、その間は店で買うことはできない。これらの食料品の封鎖や検査は、民間防災組織の中の対核・化学兵器対策班の任務である。しかし、包装がしっかりしたものや、密閉された戸棚に保存されている食料品は、食べても差しつかえない。長い間、避難所生活をしなければならない場合に備えて、避難所にはできるだけ食料品を貯えておいたほうがよい。
- いつもガスマスクを持っているいること
- すべての窓は固く閉めなさい
- 飲料水を蓄えること
- 食料品はホコリの入らないように、ように、しっかりと包装しておくこと
- 露出している井戸にはプラスチックの覆いをかぶせて、放射性物質の降下を防ぐこと
- 家畜が放射性のチリを受けないように、小屋の覆いをすること
- 機械類や用具類に覆いをすること
- 物を洗う用具を準備すること
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下記、『国際法で読み解く世界史の真実 PHP新書』から抜粋しました。加えて、『日本は世界の悪を撃退できる テキサス親父著』を併せて読んでいただければ幸いです。
◇ ◇ 口だけ中立の愚かしさ
「味方」「敵」「中立」「同盟」というのは、戦時国際法において非常に重要な事項です。
宣戦布告の瞬間から、当事国と同盟関係にある国は味方となります。交戦相手国とその同盟関係にある国は敵となります。
味方と敵はわかりやすいのですが、問題は中立です。
「中立」の本質は、「味方にとっても、敵にとっても、敵である」ということです。
両方と仲良くすることを中立と誤解している日本人が非常に多いのですが、中立とはどちらにも手を貸さないことです。
中立を認められるには、中立義務を果たさなければなりません。この義務を果たすためには、双方の敵である意志を示し、その能力がなければなりません。これを守ることができた国の典型が第二次世界大戦でのスイスです。ドイツの戦闘機メッサーシュミットが来ても、イギリスの戦闘機スピットファイヤーが来ても、国を挙げて迎撃しに行きます。何人死人が出てもスイスの中立を守るために戦いに行くのです。
スイスの中立は、非武装ではありません。自国を守れる前提がない中立は、中立とはいえません。
非武装中立で失敗したのがデンマークとベルギーです。二つの世界大戦で、いずれも戦争当事国の行動範囲の中に位置しており、非武装中立を宣言しますが、自国を守る能力がなかったので潰されてしまいます。
日清戦争、日露戦争当時の李氏朝鮮が「中立」だといっていたことがありますが、口でいえば済むほど簡単なことではありません。日清戦争は清が約束を破って日本に通告せずに軍を朝鮮に入れたことから始まっています。朝鮮は、中立だというのなら自力で清軍を追い払わなければいけませんでした。また、日露戦争の前には、朝鮮の国王がロシアの公使館に入り、そこで政務をとっていました。これのどこが中立なのでしょう。何一つ中立義務を果たしていないのです。
しかし、今の日本も人のことは笑えません。
戦後一貫して、日本国内に米軍基地を置いておきながら、「中立」であるとか「集団的自衛権を行使していない」などとうそぶくのは、李氏朝鮮と同じ理屈を並べているようなものです。
中立と同じく、日本人が誤解しているのが同盟です。
同盟というのは「一緒に戦う仲間」です。同盟関係にある国と同じ立場に立つことが前提となります。
日本がアメリカと日米同盟の関係にある以上、中立だなどということはできないのです。
敵、味方の両方に対していい顔をした国もありますが、成功しているのはパーマストンが外相だったときのイギリス、宰相がビスマルクだったときのドイツくらいです。「敵味方の両方から恨みを買っても撥ねつけられるだけの軍事力を持ち、外交交渉の議長国ができるだけの実力がある国」であれば、の話なのです。
軍事力と外交交渉力の二つは同じものです。
議長国というのは、自分の国益のためにやるものです。外交交渉では、厳正中立(どちらの味方もしない)であるという建前を守ることができなければなりません。
たとえば、日英同盟のイギリスは、日露戦争では中立国です。この同盟では、一騎打ちの場合は中立を守り、敵の同盟国が助太刀してくるときは助太刀しますという内容でした。日露戦争は日本とロシアの一騎打ちだったので、イギリスは出てこなかったのです。これを日本に対する好意的中立と称します。
◇ ◇ 駐中国大使の驚くべき発言
志太勤氏が立ち上げた一般財団法人に、「希望日本投票者の会」があり、有識者の講演などを行っています。あるとき志太ざんが、若い学生たちに、「もし、日本が中国に占領されてもいいのか」と問いかけました。すると一人の学生が、「いまの生活が維持されるなら、それでもいい」と答えたそうです。
私はその話を聞いて博然としました。GHQのWQIPによる洗脳工作に加えて、中国の情報戦によってここまで平和ボケが浸透してしまったのかと、恐怖感すら覚えました。
もし、
日本が中国の一部になり、「日本自治区」や「日本省」となってしまったら、日本人が現在の生活を維持できるはずがありません。
チベットのように信仰を弾圧されたり、あるいはグーグルもヤフーもフェイスブックもツイッターも使えなくなることは確実です。
公共機関や学校教育の現場では日本語が禁止され、
各試験は中国語で行われます。
もちろん就職等でも、元日本人ということで差別されます。もし、
それらに対してデモ活動などで不平や不満を訴えたければ、殺される覚悟が必要です。
チベットやウイグルでどれほどの残虐行為が行われてきたのか、その現実を見れば、いくら平和ボケした頭でも、中国の一部となった日本の悲惨さを想像できるのではないでしょうか。
『対日政治工作 中国共産党「日本解放第二期工作要綱」』にも、「日本が現在保有している国力のすべてを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある」とあります。
もし中国が対外的な戦争でも始めれば、最前線に送られるのは、占領下にある日本人なのです。
実際、
中国(共産党軍)は朝鮮戦争に参戦しましたが、国共内戦で捕虜にした国民党軍の兵士を、後ろからライフルで脅しながら、地雷原へと突き進ませました。近年になっても、「
法輪功」という気功サークルの会員が増え過ぎて、このままでは共産党政権に対する脅威になりかねないという理由だけで、罪もない人民を拘束し、身体を切り刻み、移植用の臓器として売りざばいていた国なのです。
「安保法で徴兵制が復活する!」などというのは、社民党や共産党に煽られた平和ボケの寝言に過ぎませんが、中国に支配されれば、平和で平穏な生活などまったく幻想でしかなくなります。
しかも、一般市民ならともかく、それなりの地位にあった有識者の口から、中国に対する憧れのような言葉が出て来るのには呆れてしまいます。
伊藤忠商事の元会長で、のちに民間から初めて中国大便に任じられた、丹羽宇一郎氏という方がいます。この人物のトンデモ発言を、雑誌「WiLL」(二〇一二年七月号)が暴露しています。伊藤忠商事時代に作家の深田祐介氏との対談で、「将来は大中華圏の時代が到来します」「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」と発言し、深由さんが、「日本は中国の属国にならなくちゃならないんですか」と疑問を呈すると、「それが日本が幸福かつ安全に生きる造です」と述べている。
目先のビジネスの為に、より重要な国益を損ね、日本国民を不幸に陥れようとする経済人は昔からいました(※商人国家日本と揶揄されています)。自分たちの利益や権利が守られれば、国家の主権すら侵害されてもかまわないという売国奴に対して、日本人は厳しい目を向けなければなりません。