開戦70周年、大東亜戦争の意義を見直す
  〜開戦70年にしてはじめて明らかになる皇軍の大義〜





 FDR(フランクリン・ルーズベルト大統領)を「日本を戦争に巻き込むという陰謀を図った狂気の男」とフーバー元大統領が辛辣に批判していた事実が、ようやく明らかになった。この大統領のメモは米国内で、ながく禁書扱いを受けていたからだ(詳しくは産経12月8日付け紙面)。
 大東亜戦争は日本の自衛の戦争であり、米国との決戦は不可避的だった。直前に日本から様々な和平工作がなされたが、それらは結果的に米国による茶番であり、ルーズベルトその人がどんな謀略を行使しても、日本と戦争しなければならないという確固たる信念の持ち主であったから、戦争回避工作は徒労に終わった。


※ 昭和天皇と皇軍は、人類滅亡を阻止した!!

 大東亜戦争当時、米英国共に戦時内閣であり、日本も同じだった。
 日本では戦時中であっても天皇の名の下に公平な裁判が行われ、しかも特高に於いて一人も共産主義者が処刑されていない。比べ、米英ソは共同謀議を行い、チャーチルは自分を美化した本を出して死後までその罪を持っていった。東京裁判にて、ただの政治家のグループ“大政翼賛会”をナチスに見立て、東條英機をヒットラーとし、強大な軍国主義により日本国民は被害者とされたのです。
 東京裁判では「平和の罪」「人道による罪」「共同謀議による罪」という国際法には存在しない冤罪により、日本の指導者が無実の罪で処刑され、連合国は再び己の神を殺したのです。そして、この東京裁判=魔女狩り=私刑において、日本が自分は侵略者で、指導者を裁いて欲しいと連合国に差し出さない限り、連合国は永遠にサタンに魂を売りつけており、それは自らの神イエスを処刑し、良心の呵責に耐えきれずに、悪魔の名の下に共産主義を人類に与え、地球と神を破壊しようとしたことと重なる。だからこそ、心の深層では神を恐れつつも、悪魔に仕えんが為に、徹底的に日本人に東京裁判史観を洗脳したのでした。東京裁判の多くの関係者が、その後後悔していることでも、明らかになっています。
 東京裁判にて、冤罪の皇軍軍人と外国人を含む弁護団が、冒頭陳述と宣誓供述書にて、死を覚悟の上で、正々堂々と東京裁判を連合国の間違いだと断定した。しかし、ポツダム宣言は無条件降伏(人権と言論の自由、政府を成す自由の保障有り)では無いこと、この冒頭陳述・宣誓供述書は徹底した検閲により日本人には一切知らされなかった。それ故、マッカーサ憲法とGHQ教育基本法を押しつけられ、大和民族の魂は自虐史観と左翼思想で汚染されてしまった。その結果が、反日国家・反日団体の傀儡である左翼民主党政権の樹立であり、人類史に汚点を残すことにったのである。
 サタン・ダビデは、イエスを処刑し、ユダヤ人をイエス殺しのエスケープゴートに仕立て上げ、メシア・キリスト教徒の手でユダヤ人を抹殺しようとし、続いて東京裁判で大和民族までも滅ぼしてしまおうとした。しかし、天上界の守護の下、東京裁判では天皇と皇軍軍人と弁護団がこれをかろうじて阻止したのです。もし、当時の日本人が東京裁判は当然として受け入れていたら、つまり地球に唯一の強者独裁体制が樹立していたことでしょう。そして、アジア諸国の独立もあり得ず、旧ソ連と米国を中心とする独裁国家による第三次世界大戦へと突入していた。これがサタン・ナブーの人類支配・人類滅亡の謀略でした。
 以上、先生の助言を得て概略記述しました。    2011/12/11 北



『ソルジェニーツインは警告する』
     〜共産主義の本質について〜

                          井上茂信著 より抜粋

 かつてのソ連を今の中国と置き換えて読んでもらっても十分意味が通じます。
 神の存在を前提とする道徳主義が氏の価値論の根幹である。現在の世界は歴史的転換に直面しており、人類は上へ上へと精神的に抑揚する以外に道はなく、共産主義という「外敵の脅威」と道徳的退廃という「内なる脅威」に直面していると警告している。今でも氏は私達に、“神に帰れ”と叫び続けているのです。
 ソ連は崩壊したよう見えますが、ロシアと名を変えただけでその本質は変わらない。再び共産中国の手招きで共産主義体制へ逆戻りすることも十分考えられる。 鷹


1)共産主義の最大特色は、反宗教性である。
 弁証法的唯物論と国際主義から出発している為、宗教と民族的自覚を敵視し、神もなく同胞も存在しないから平気で自国民をも大量殺人できる。


2)共産主義は、全人類を死に至らしめる病である。
 どのような個々の国も、共産主義的政権を飽食させることはできない。・・・共産主義の主たる目的は、周辺の領土と住民を出来るだけたくさん、いや、その欲する所によれば、この地球全体をも食べ尽くそうという狂気的な渇望なのである。共産主義は命の否定であり、全人類の死である。そして、この地上には共産主義に対して免疫のある国家は一つもない。


3)共産主義はエネルギーのブラックホールのようなものである。
 現代ロシアの頭脳の一人で、既に6年、強制収容所で苦しんでいる物理学者ユーリー・オルロフ言っている。完全な社会主義は必然的に全体主義になると。そして全体主義と言うのはエネルギーのブラックホールのようなものだ。その中に転げ落ちるのは簡単だが、抜け出すには異常な努力と最高の条件を必要とする。


4)共産主義は嘘が不可避で、誰も正直に働こうとせず、人々が盗みをする体制である。
 政府は土地からそして住民から、数千億ルーブルにも相当するものを搾取している。弾圧されている住民たちに出来る唯一の現実の抵抗方法は、逆に政府から自分の糧を盗み取ることである。ロシアでは大昔から、盗みは極めて重い罪とされてきた。だが、今や国家のものを盗むことは、誰でも納得できる普遍的生活であり、それなくしては暮らして行けないのである。自分のものを盗むことによって、国民は自分の権利の一部を取り戻しているのである。


5)共産党はカースト的特権階級である。
 打ちひしがれている国民の上に、彼らを弾圧している党官僚が、宣伝と弾圧の専門家と共に、そびえ立ち、その数は三百万人に及んでいる。それは一種のカーストであり、彼らには全てのものが保障されている。


6)共産主義者は皆、同じ穴のムジナどもであり「スターリニズム」など存在し得ない。
 スターリン時代はレーニン時代の直接の継続である。歴史の上でも、実際面でも「スターリズム」など決して存在しなかった。「スターリズム」とか「スターリン時代」・・・・という発想は、共産主義の『理想』を救済する方法として、1956年にヨーロッパの左翼によって、考え出されたものであった。またスターリンを「ロシア民族主義者」などと呼ぶのは、とんでもないことだ。彼は、ロシアの農民千五百万人を殺し、ロシアの背骨を折り、第二次大戦では、ロシア人三千万人以上を犠牲にした男なのだ。


7)「良い共産主義者」などあり得ない。
 「共産主義を良いものと、悪いものとに、また侵略的なものと、平和愛好的なものとに分けるのは極めて危険な幻想である。共産主義はすべて反人間的なものである。もし、ある種の共産主義者がおとなしい外見を持っているとしたら、それは単にまだ軍事力を持っていないためであるに過ぎない。


8)共産主義は狂気のイデオロギーである。
 その捕らわれ人である共産党幹部にはハト派などあり得ないし、共産主義者には改善の可能性も自己崩壊の可能性もない。
 一体、なぜ彼らは全世界を侵略しようとしているのか。彼らを駆り立てているのは、共産主義の狂気なのだ。そして彼らもまたイデオロギー体制の捕われ人なのだ。彼れは、その抑制の利かぬ軍事力を国際政治の手の中に収めている。これらの指導者の交代によって、軟化が生まれると、西欧の人々が考えるとしたらそれは空疎な期待である。


9)共産主義のイデオロギーは死んでいない。
 ソ連その他の共産主義国家において「共産主義イデオロギーは死んだ」とか「もう誰も信じていない」とか言って、西側を言いくるめる人達を決して信じてはならない。共産主義の国民自体が共産主義を信じていないことは事実だが、彼らは何が起ころうとも、何ら影響力を与えることはできない。また、指導者たちが共産主義を信じていようが、いまいが、大して意味はない。共産主義の鉄の結束のもと、外政、内政、行政のあらゆる政策面で、厳重にマルクス主義の公式に則って、彼らは行動するのだ。


10)共産主義は癌細胞のようなもので、それとの共存は不可能である。
 よりよい種類の共産主義などあり得ないし、共産主義が穏健なものになることも不可能である。共産主義は恐怖を使うことなくしては、生き長らえられないイデオロギーである。従って、同じ惑星上で共産主義と共存することは不可能である。共産主義が人類を滅亡させるために癌細胞のように広がるか、それとも、人類が共産主義を取り除くかのどちらかである。


11)デタントはソ連にとり侵略の力をためる休養期間である。
 デタンとに希望を託すように、我々は求められている。デタンとはソ連の指導者たちによって、侵略と次の侵略との間に必要なすべてのものをあがない、整える機会である。だからデタントの回復程彼らにより喜ばしいことはなかったのだ。


12)共産主義との関係であり得るのは、共産主義側の完全勝利か、彼らの全面崩壊かのどちらかである。
 共産主義に関して、ソフトなアプローチや譲歩的な表現で、それを鎮静化出来るとの幻想を抱くことは、全く破滅的である。そうでなく、皆に聞こえるような大声で、その害悪を世界中に向かって叫ぶことが大切である。それによって多少なりとも、共産主義を抑制することが出来る。コミュニスト達自身はどんなデタントの時代にあっても、決してイデオロギー戦争の遂行を手控えたりはしない。いつも相手を殲滅することしか考えていない。


■まとめとしてさらに同氏は次のように警告する。

 『世界中で今国家も人民も体制も皆、道徳的に立派なものを欠いていると思う。人類全体が病気に罹っている状態だ。ソ連とアメリカという両体制の中で、崩壊という、共通の事態が生じている。家庭の崩壊、労働意欲の喪失、教育の悪化などだ。異なる両体制がいずれも「宗教なきヒューマ二ズム」を出発点にしているからだ。我々が完全かつ至高のものを持たない限り、共産主義の脅威がなくても、やがて世界は崩壊するだろう』

◇赤の広場で ロシア人将兵98人の帰郷:2012/09/17産経
 愛媛県の「坊っちゃん劇場」が日露戦争期のロシア人捕虜と日本人看護師の愛を描いたミュージカル「誓いのコイン」をモスクワで上演し、好評を博した。松山の陸軍病院跡で見つかった帝政ロシア時代の金貨に、ロシア人将校と日本人看護師の名が刻まれていたことに題材を得た作品だ。
 その公演が行われた劇場に、2冊のアルバムを携えた松山赤十字病院の前看護部長、光峰常美さん(62)の姿があった。アルバムに収められていたのは、丁寧に撮影されたロシア人の墓98基。同病院の初代総婦長が日露戦争当時、傷病捕虜の看護にあたっていた縁があり、「(先輩が)祖国に帰してあげられなかった人たちをぜひ一緒に連れてきたかった」という。
 日露戦争期の松山には、のべ約6千人の捕虜が収容された。市民は敵国の捕虜ながらロシア人に温かく接し、医療関係者は献身的な治療・看護をしたことが知られている。捕虜に関する国際法を遵守するとの政府方針に加え、市民にも「彼らとて自分の意思で戦ったわけであるまい」との寛容さがあった。
 松山に没した98人の墓地では今も、地元の中学生や有志が清掃や献花を絶やさずにいる。ミュージカルの素晴らしさもさることながら、松山市民の気持ちもまた、ロシア人の胸に響いたに違いない。(遠藤良介)



日中戦争の真実

日本は、内戦に明け暮れる中国を救おうとした
ローマ法王も、日本の行動を支持していた


日本兵らと遊ぶ中国人児童ら(1937年)
日本兵たちは中国の民衆からは温かく迎えられていた。

             (http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htm)より
           本HPには他にも有用な資料が沢山掲載されています。
           ご一読をおすすめいたします。

■ローマ法王は日本の行動を支持した

 もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
 日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
 ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である1937年10月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ11世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。法王は、
 「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。
  日本は共産主義を排除するために戦っている。
  共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、
  遠慮なく日本軍に協力せよ

 といった内容の声明を出しています。



ローマ法王ピオ11世。日本軍の行動を理解し、
全カトリック教徒に、日本軍への協力を呼びかけた

 この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。新聞は、
  「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、
   知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。
   英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」
と歓迎の意を表しています。
 ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。けれども、そのピオ11世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。




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