東京裁判:清瀬弁護人の冒頭陳述より抜粋



 本冒頭陳述を読むだけで、大東亜戦争は自尊自衛の戦争で有り、東京裁判=自虐史観は嘘だったと胸を張って反論できます。
 つまり、東京裁判批判の原点は、東京裁判の外国人を含む弁護人集団と無実の被告人達との英知の結晶です。まさに、神々が日本を悪魔の魔手から救いださんが為に、理性と愛国心を持って東京裁判に臨まれたことは明らかだと思います。
 清瀬弁護人の冒頭陳述では、日本の立場を明確に打ち出し、英米ソの非を述べ、東京裁判の手法が過ちだと断言しています。くわえて、現在又は将来の世代のために恒久平和への方向と努力の方途を示している。これこそ、本来の日本人の姿ではないでしょうか。
 GQHにより、“大和魂”“東京裁判批判”“大東亜共栄”“GHQ批判”などを強制的に禁じられた。戦後の自虐史観により、日本の常識は世界の非常識だと言われています。
 ブッシュ大統領が当時の小泉首相随伴での靖国参拝を申し出た。これは、米国までもが、速く東京裁判史観から抜け出して欲しいとのメッセージです。ところが、政府と官僚は、靖国を明治神宮に変更し、しかも小泉首相は随伴しなかった。自虐史観から抜け出せないでいた。米国も情けない気持ちだったことでしょう。
 「白村江」「元寇」「明治維新」「日清・日露戦争」「第一次世界大戦」「大東亜戦争」などの国難に当たり、私達大和民族は、つねに神武天皇の精神に立ち戻り、国内体制の変革を断行してきました。
 現在の左翼政権下での変革、即ち「東京裁判史観」からの脱却、神武天皇の精神(建国の精神 … 十七条憲法、教育勅語、五箇条のご誓文 … 昭和天皇の新建国の精神)を取り戻すときです。中韓以外の世界中の良識が応援してくれることでしょう。
 尚、下記は自分の好みで[東京裁判 幻の弁護側資料]から抜粋しました。冒頭陳述は検察側の立証の構成順序に合わせ、下記の五部構成で検察側へ反論を提示しておられ、何処をとっても、重要な部分ばかりです。是非、是非、本文を一度読まれることをお薦め致します。




第一部:一般問題


■独立国家への希求
 日本国民的特徴の第一は、日本国民は此の国家を完全なる独立国家として保持して行きたいと云ふ熾烈なる念願であります。ペルリ提督と徳川将軍との間に結ばれましたかの安政条約は一方に於ては治外法権を認めて国家主権を傷害し、他方においては自主権を侵犯いたしました。それ故にこれは深刻なる国民の苦悩でありました。明治時代を通じて日本の有力指導者の念願は此国の地位を向上進展せしめて完全なる独立の自主の国家たらしむるにあつたのであります。此の理想は前大戦の後のウイルソン大統領に依て唱導せられました主義とも相合するものでありますから、この正当性については容易に当法廷の御承認を受け得ると思つてをります。


■人種差別廃止の主張
 その二は人種差別廃止の主張であります。一体差別待遇は之を為すものよりも受けるものの方に非常に強く響くものであります。差別待遇の廃止を為し遂ぐるためには、こちらの方で修養教養の水準を昂めねばなりません。日本朝野は此の事の必要性につき盲目であつたのではありませぬ。道徳や慣習に改むべきものがあつたならば快よくこれを改める必要を認め且その改革を実行いたしてをります。ただ世界の文化は唯一ではなく、民族と人種の数に応じて多数であります。各民族は各々其の歴史と伝統を持つて居ります。従てここに文化は発生し且進化するのであります。
 日本人は東亜諸民族と共に欧米人と対等の地位に進まなければならぬといふことは国民の間に於ける普遍的の念願でありました。このことも亦日本人が人種的優越感を抱きたりとの意味の検察側主張の誤りなることを明かにする為に立証することを期して居るのであります。我々は中国革命の父孫逸仙博士、インド其他の地方の先覚者に於ても、之に対して共鳴の思想を表示さた事実をも併せて明かにするでありませう。


■東亜に於ける発展を願う
 第三の事柄は日本で「外交の要義」と名づけて居つたものであります。明治時代この方、我官民の間に外国との関係に於て普遍的に存在した理想は東洋の平和を維持し、之に依て世界の康寧に寄与するといふことであります。これは公文書や御詔勅では日本国交の要義と書かれて居ります。この意味は日本の外交を指導する根本的理念といふことであります。一人九四年から五年への清国との戦争、一九〇四年、五年の日露戦争も、それが為に戦はれたのであります。このことは各々開戦の詔勅にも明記せられて居ります。当年の東亜の情勢から見ますれば日本は欧米の文明を先きに導入して、完全なる近代国家としての資格を備へた唯一の国家でありました。中国は地大物博の国ではありまするが、当時は各国の勢力範囲に分劃せらるゝ危険に瀕して居りました。南方諸地域は既に西洋各国の支配下に立つに至つて居ります。かゝる状況の下に於て日本人は心から我国が安定勢力たるの使命をもつものと考へたのであります。これは被告等のみに依つて考へられたものではありません。それより二世代も前からの日本国民の基礎的主張であります。此の原則は世界の大国に依つて承認せられて居るものと了解して居ります。何となれば日英同盟は之を承認して結ばれ、又更新されたものであることが立証されます。此の使命遂行のために戦はれた日露戦争には、米国の朝野を挙げて好意を寄せたことは今日に至るも日本人の忘れざるところであります。右の東亜安定の主張は決して侵略的のものではありません。一方に於ては東亜に於ける政治的、経済的の混乱を防止し、他方に於ては亜細亜種族の共通的発達を助け、之に依て究極的には世界人類の進歩発展に寄与するのであります。以上の観念に照すことによつてのみ日本と隣邦との関係が理解し得らるるのであります。


■独伊の世界征服の共同謀議は断固として無し
 起訴状訴因第五に於て、被告等は指導者、組織者、教唆者または共犯者として独伊と相結んで全世界を支配する陰謀(コンスピラシイ)を為し又実行したと糾弾して居ります。これより大きな誤解は世の中にはありませぬ。日本と独伊との関係については防共協定、三国同盟を取扱ふ段階に於て我々の同僚より我々の主張を開陳するでありませう。
 前記の誤解は多分に日独伊三国同盟の前文並に其の締結のときに換発せられました詔書の中に「八紘一宇」の字句を使つてをるその解釈に基くものと考へます。詔書は更に「八紘一宇」の文字を分解をして、「大義を八紘に宣揚し、坤輿を一字たらしむるは実に皇祖皇宗の大訓にして、朕が夙夜拳々措かざる所なり」と仰せられて居ります。先に「大義」といふのは普遍的の真理といふ意味であります。宣揚すといふのは世界に明かにし表現するといふことであります。「坤輿を一字たらしむ」といふのは、全世界人類が一家族中の兄弟姉妹と同一の心持をもつて、交際するといふ意味でございます。前に述べました通り、我国の文化は欧米諸国のそれとは源流を異にしますから、その表現の方法は必然的に違つて居り、また奇異にさへ感ぜられるものでありませう。
 一九四一年ハル長官と野村大使との間の交渉の基礎となつた日米了解案には「八紘一字」は世界同胞主義−ユニバーサル・ブラザフツドといふ翻訳がされて居ります。三国同盟条約の前文も、此の正しき意味に於て解釈すべきであります。此の条約締結の際、独伊に於て如何なる考へをもつて居つたにしても我国の当事者に於て独伊と共同して世界を征服するなどといふ考はなかつたのであります。


■大東亜共栄圏は共存共栄、侵略では無い
 我国には独逸に於けるが如き人種的優越感情は存在いたしませぬ。寧ろ之とは反対に我民族は常に自ら未だ及ばざることを認めて東亜の同胞と共に世界の水準に迄到達せんとの念願に燃えて居るのであります。新秩序は各国の独立を尊重するのでありますから決して世界侵略といふが如き思想を含んでをりません。又個人の自由を制限するが如き思想でもありません。指導といふ用語は同等の者の間の先導者又は案内者としてのイニシアチープを採るといふの意味に外なりませぬ。斯の如き国民的根本思想は条約又は条約の文字の用法に依りて変化するものでは決してありません。其の後満洲国、中国のみならず其他の東亜の諸国をも包含する「大東亜新秩序」「大東亜共栄圏」といふ文字が用ひられるやうになりましたが、根本の考へは右と同一であります。一九四三年十一月東京に於て開かれました大東亜会議に於ける共同宣言中の綱領五ケ条、これが大東亜新秩序の本旨を簡潔に表明して居ります。日く、
  1. 大東亜各国は協同して大東亜の安全を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す
  2. 大東亜各国は相互に自主独立を尊重し、互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す
  3. 大東亜各国は相互に伝統を尊重し、各民族の創造性を伸暢し、大東亜の文化を昂揚す
  4. 大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済の発展を図り大東亜の繁栄を増進す
  5. 大東亜各国は万邦との交誼を篤うし人種的差別を撤廃し、普く文化を交流し、進んで資源を開発し世界の進運に貢献す
 右の決議は右会議に於ける各国代表の演説と共に証拠として提出いたします。この決議は政治生活に於ては東亜の協力を必要とする一の家族と考へて居りますが、各国との交際、資源の開発、文化の交流については、これを世界大に考へて居ることが認められます。特にその第五条に御注意を願ひ上げます。


■田中上奏文は偽物
 或る証人が言及しました田中上奏文などいふものは、全く偽物か控造物であります。以上の事実を証明するため適切な書証と証人が提出せられるでありませう。[田中上奏文はソ連の陰謀]参照。


■侵略、征服の陰謀無し
 第一部に於ては我国の内政を証明する各種証拠が提出せられます。検察官は一九二八年一月一日以前多年に亙つて、日本軍部は日本の青年に軍国主義的精神を教へ込むことを目的とすると共に日本の将来の発展は征服戦争にかかるといふ極端なる国家主義的観念を培養せんとし、軍部は之を日本の公立学枚に実施したのであるとかう主張してをられます。さうして之を以て共同謀議の存在する証拠の一つと致して居るのであります。しかしこれ程我国の教育に関する間違つた見解はありません。我国の公立学校制度は一人七二年、すなはち明治五年、アメリカの組織に倣つて立てたものであります。国民道徳の大本は我国古来の美風を縦糸とし、支那の儒学の教を横糸としこれに配するに西洋道徳の粋を以てしたものであります。後一八九〇年、明治二十三年に教育勅語が発布せられました。このうちに忠と孝と博愛と信義、公益、奉公等の徳目が定めてありまして、決して戦争奨励の趣意は含んで居りませぬ。日本人の崇拝の目標でありまする皇室の御本旨は、常に平和と、愛と仁慈とであります。もっとも華美を排斥して、質実、剛健を奨励いたしましたが、これは戦争奨励とは異なつたものであります。
 一九二九年以後に於てはアメリカや、スイスの例に倣ひまして、学校内に軍事教練を施しましたが、これは青年の心身の鍛練と品性の改善のためであります。そしてこの措置は日本政府に依る軍事予算の削減から生じた欠陥を補ふためでありまして、侵略思想の表現とすべきものでありませぬ。以上は、我国不動の教育方針であります。如何なる文部大臣もこの不動の方針を動かすやうな力を持つことはできません。日本の将来は征服戦争にかかるなどの教は、政府も軍も方針として教授した事は断じてないのであります。


■却下部分
 
東京裁判で
  「平和に対する罪」「人道に対する罪」を裁くことは出来ない


 日本は一九四五年七月二十六日連合固より申入れたポツダム宣言を受諾し其後降服をしたのであります。本裁判所は此の降服文書の条項に基いて創設せられました。国申出のポツダム宣言を全体的に受諾したりといふ意味に於て無条件に降服したりといふことは誤りではありませんが、我々はポツダム宣言それ自身が一の条件であるといふ事を忘れてはなりませぬ。
 ポツダム宣言はその第五条に「以下が我々(連合国)の条件である、我々は断じて之を変更することなかるべし」と明言して居ります。無条件降服といふ文字はポツダム宣言第十三条と降服文書第二項に使用せられて居ります。之はいづれも日本の軍隊に関することでありまして我軍隊は連合国に無条件に降服すべきことを命じて居るのであります。こゝに無条件降服といふ文字を使用したるがためにポツダム宣言の他の条項が当事者を拘束する効力を喪ふのであると解すべきではありませぬ。
 本件に於ては同宣言第十条に於て使用せられた「戦争犯罪」といふ文字の意味が重要な問題となつて居ります。そこで弁護人は日本側、換言すればポツダム宣言を受諾するに決定した時の日本の責任者が宣言受諾の時此の問題たる字句を如何なる意味に解したかを証明するでありませう。又一九四五年の七月末又は八月初に於て日本並に世界の文明国に於て此文字を一般に如何に解して居つたかといふことを立証する証拠も提出せられます。これに依り国際法に於て用ひられる右語句は「平和に対する罪」及「人道に対する罪」を包含しない事が明かとなります。以上は当裁判所が之を設定したる基礎たる憲章中の第五条のA及Cの犯罪につき管轄を有せずとの主張を支持するが為に必要であります。
 ポッダム宣言受諾に依り日本は当時現に戦はれつゝあつた太平洋戦争に降服したのであります。降服のときに満洲事件張鼓峰事件ノモンハン事件について降服する考へはなかつたのであります。これを証するため満洲事変が昭和十年迄の間には一段落となつたといふ書証、ノモンハン、張鼓峰事件については各々其の当時妥協が成立したといふ証拠、ソ連と日本との間には一九四一年四月に中立条約が成立したといふ事実を証する書証が提出せられます。中立条約附属の宣言書は最も重要であります。これには共の一部に於て「ソビエツト連邦は満洲国の領土的保全及び不可侵を尊重し」なる字句があります。
 ポツダム宣言の解釈及適用につきなほ之に附加した証拠を提出致します。
 それはかういふ考へから必要なのであります。ある国が、一方においてある種の戦闘方法を使用しっつ相手方に、降服を勧告する場合には自ら便つてをる手段を正当なものとする立前で降服勧告をするものと解釈すべきは当然であります。


■却下部分
 〜国際法上、職務遂行を罪として裁くことは出来ない〜

 国家の意志に依り戦争が行はれた場合にその国家の官職に在つた個人が其の行為のために犯罪者として責任を負ふべきや否やといふことは国際法上実に重大なる問題となります。連合国側は此の戦争は国際法の維持をその目的の一として戦つたと主張して居ります。それ故国際法の厳格なる解釈については連合国側に於ても異存のないことゝ存じます。検察官はその努頭陳述に於て繰返し此の点につき論及せられて居ります。殊に此の事件は未だ前例のなき所に進むことの危険を知ると認めながらなほその主張を支持せんとせられて居ります。我々としては一九二八年より一九四五年迄の間の国際法は国家の行為に対しその官職の地位に在りたる個人の責任を何等問うていないと確信致します。間ふものであるとは信じ得ないのであります。
 国際法の最新の表現たる国際連合の憲章も斯の如き理論を表明しては居りませぬ。従つて本法廷チャーターの此の規定はポツダム宣言が予期せざるものでもあり、遡及法でもあると主張します。従つて起訴に係る期間に於ける国際法が国家の行為に対し個人の犯罪責任を罪と認めざりしとの証拠を提出します。


■法規慣例は厳重に守っていた
 検察官はしばしば太平洋戦争中に起つた事件と独逸の欧洲戦争中に行つた行為とを比較して居られます。殊に太平洋戦争中に発生しましたテロ行為残虐事件は独逸に於て行はれたものと同一型のものであること、又是等の行為は偶然に発生した個人的の不正ではなくして国家の政策として計画せられたものであるとまで極言されて居ります。被告弁護人は日本の中央政府並に統帥部は戦争の法規慣例は厳重に之を守ること並に一般市民並に敵人と雄も、武器を捨てた者には仁慈の念を以て接すべき旨を極めて強く希望したことを証明する用意があります。それがために一九四一席二月には戦陣訓といふものがつくられて、兵卒には一人残らず之を交付いたしました。また海軍ではかねてよりこの点に関する国際法規の徹底には努力いたしました。そして違反者は軍法会議に依つて裁かれたのであります。前線の指揮官は常に此の点を強調して居ります。たゞ戦争の末期にわたりまして本国との交通も杜絶し戦線は分断せられ、その司令官との通信も不能となり、食程は欠乏し自己の生存は刻々危険となつたやうな場合又は現地人の非道なるゲリラ的妨害を受けたやうな場合には非人道的行為が行はれたであらう事は認めねばならぬと思ひます。




第二部:満洲及満洲国に関する事項


■満州事変別途[満洲事件]参照。
 関東軍が自衛のために在満中国兵力と闘争してをりまする間に満洲の民衆の間にいろいろな思想から自治運動が発生しました。此等の思想は保境安民の思想、共産主義に反対する思想、蒙古民族の支那共和国よりの独立運動、張学良に対する各地政権並びに将領の不平不満、清朝の復活希望等であります。一九三二年二月には東北行政委員会が出来まするし、三月一日には満洲国政府の成立となりました。以上の大略は之を証明するでありませう。
 かつて満洲建国後に於ては日本出身者も満洲国人民の構成分子となることが許され又満洲国建設後には満洲国の官吏となつて育成発展に直接参与したことは事実であります。しかしそれは建国後のことであります。
 現に一九三一年九月には日本の外務大臣及陸軍大臣は在満目本官恵に対して新政権樹立に関与することを禁ずる旨の訓令を発して居ります。換言すれば満洲国政権の出現は、リットン報告の如何に拘らず、満洲居住民の自発的運動でありまして、このことは証拠によつて証明致します。
 満洲に於ける事態は一九三三年五月には一段落となりました。一九三五年、三六年の間に
 は中国側に於ても事実上の地位を承認せんとして居ります。世界のほかの各国も逐次滴洲国を承認しました。殊に一九四一年には本法廷に代表検察官を送つて居りまするソビエト連邦は満洲国の領土的保全及不可侵を尊重する契約を致したのであります。




第三部は中華民国に関する事項

 一九三七年七月七日の盧溝橋[盧溝橋事件は中共の謀略 参照]に於ける事件発生の責任は我方には在りませぬ。日本は他の列国と一九〇一年の団匪議定書に依つて兵を駐屯せしめ又演習を実行する権利を有つて居りました。又此地方には日本は重要なる正常権益を有し相当多数の在留者を有つて居つたのであります。もし此の事件が当時日本側で希望した様に局地的に解決されて居りましたならば事態は斯くも拡大せず、従つて侵略戦争がありや否やの問題に進まなかつたのであります。それ故に本件に於ては中国は此の突発事件拡大について責任を有すること、又日本は終始不拡大方針を守持し問題を局地的に解決することに努力したことを証明いたします。近衛内閣は同年七月十三日に「陸軍は今後とも局面不拡大現地解決の方針を堅持し全面的戦争に陥る如き行動は極力之を回避する。之がため第二十九軍代表の提出せし十一日午後八時調印に至つても我方に於ては北支の明朗化と抗日政策の破棄を要求して居つたのです。・・・
 換言すれば事件を拡大して其の範囲及限度を大きくしたものほ中国側であります。我々は以上の事実に関し証人を申出で戦闘開始の賛任の御判定に資せんとするのであります。




第五部は太平洋戦争に関する事項


■三国同盟は太平洋戦争準備のためでは無く、防共協定だった
 戦争前に日独伊三国の密接関係が成立して居りましたがこれは太平洋戦争準備のためではありませんでした。一九三六年の第七回国際共産党大会では其の破壊的目的を先づ日独両国に置くといふことに定めました。それ故両国は自衛上これに対抗するの策を立てねばなりません。殊に日本としてはこれは寒心に堪へぬことでありました。共産主義は隣邦中国に政治的、社会的革命を起こそうとつたのであります。ソ連からは革命技術と人的援助といふかたちで補助の手を延ばして参りました。これは一九二三年の孫文、ヨツフエ間に相互共鳴の共同宣言以来継続されたのであります。これは日本帝国の安寧上長も危険なことでありました。
 斯の如くして日本と第一には独逸との間に共産主義に対する共同防衛が成立して、次には伊太利との間にも同様条約が成立しました。中国と日本との間の共同防共の原則は外相広田氏に依つて提案せられました。後には一九三八年の近衛声明にも包含せられたのであります。赤化防止につき共同の利害を有して居るので、日本と独逸が締結したのが協同防共協定であります。一九三六年十一月二十五日の協定がそれであります。之が後日日米英戦争を予期してつくつたものではないことは説明を要しませぬ。現にこの協定の第二条にはかう書いてあります。「締約国は共産インターナショナルの破壊工策に依り、国内の安寧を脅かさるる第
三国に対して本協定の趣旨に依り防衛措置を採り、又本協定に参加することを勧誘すべし」。又その所謂秘密諒解事項といふものも何等他国の侵略を意味するものではありません。該諒解事項はソ連が締約国の一国に戦を挑んだ場合にソ連の負担を軽からしむるやうなことは為さぬといふ極めて消極的なものでありました。一九三九年に防共協定強化のために日独が交渉をした事がありますが、これは独ソの不侵略条約によつて突如中止されました。これとても英米への反対を目的としたのでは決してありませぬ。
 一九四〇年九月二十七日の日独伊三国同盟は最も顕著な条約でありまするがこの条文は簡単であります。此の条約も日米戦争を目的とするものではありませぬ。この条約に於て考へられました事は寧ろ日米間の戦争を避けることであります。
 独逸と、日本と、伊大利との間に有効な協力のなかつた事を示し、且又独逸が日本に対してソ連に対する戦争に参加すべき事を強調した事を証明するでありませう。しかし日本は之を拒絶してをります。
 独逸は対英戦争につき日本の援助を求めましたが、日本は独逸と協同することをこれまた拒絶してをります。寧ろ独立の行動に出てをります。
 独逸は合衆国を戦争の外に置くべく交渉しました。之は成立しませんでした。証拠はマーシャル将軍が戦時中米国大統領に対する年次報告に於て、日独両国の間に軍事協同は無かつたことを述べて居る事実を証明致します。


■故意の俘虜虐待は無い
 残虐事件及俘虜虐待に関しては被告人中の多くの者は法廷に於て発表せられる迄は之を知らなかつたのが事実であります。被告中の他の者は之を知つたとしてもこれを制止する権能を有つて居りませなんだ。更に他の者は之を制止する為又之を知つた場合に之を処罰するに全力を尽しました。又証拠は犯行が行はるゝ以前に之を止める有力手段のなかつた事も証明するでありませう。更に之は如何なる被告も残虐事件につき協同謀議を為したり、命令を下したり、授権をしたり、許可した事はなく、此点に関する戦争法規慣例を故意に又は無法に律上の義務に反して無視した者のない事を証拠を以て提出するでありませう。


■太平洋戦争の原因を証明する
 我々はこれが真に日本の生存のために止むに止まれぬ事情の下に自衛権を行使するに至つたことを証明するでありませう。
 我方に於ては不明であるが、一九三九年七月二十六日に突如一九一一年以来両国通商の根本であつた日米通商航海条約廃棄を通告したのであります。これより両国間の誤解はだんだん増大して行つたのであります。以来米国は我国に対し種々なる圧迫と威嚇を加へて来たのであります。
以上三つの方法は一九四〇年以来逐次用ひられ益々強度を加へて来ました。

 一九四−年七月二十七日には米国政府は我国の在米全資産の凍結を行ひました。之れは我国の仏印への平和派兵を誤解しての措置であります。英国及蘭印も直ちに之に倣ひました。我国とイギリス及オランダとの間には通商航海条約は当時現存いたして居りました。従つて英及蘭の日本資産凍結今は此の条約に違反して為された違法なものであります。
 裁判所の許可を得て申上げたいことがあります。元来我国は国内生産のみにては全国民を養ふことは全く不能であります。従つて貿易に依つて国民生活必需品を輸入するの外は内地在住者の生命を維持するの手段はないのであります。米、英、蘭の資産凍結に依つて我が貿易の半ば以上は失はれ、過去八十年間の営々たる労苦は一空に帰してしまひました。これが、正当に又は違法に米、英、蘭に依つて実行せられました資産凍結の結果であります。日本国民の不可侵の生存権は先に奪はれたのであります。丁度其時米国は七月二十四日の野村大使 に対する通告通りに、八月一日石油輸出禁止を発令いたしました。日本の海軍は現在貯蔵の油を消費した後は移動性を喪失いたします。支那事変は事実上解決不能となります。我国防は去勢せられたこととなります。こゝに自衛権の問題は冷かな現実問題として全国民の眼前に姿を現はして来たのであります。而もそれは即座の解決を要することであります。


■米国の最後通告ハルノート
 日本の平和への願望、日本の真撃なる努力は遂に実を結びませぬ。一九四一年十一月二十六日の米国の通告は、以上の自衛権構成事実の只の一つをも之を除くことの不可能であること明白疑なきものと致しました。ここに於て日本の政府は部内の各機関の意見及観察を徴し、最大の注意を払ひ遂に自衛権の行使を為すの外なきに立到つたのであります。それは十二月一日でありました。但開戦の現実の期日を決定した後でも軍令には最後の瞬間迄此の急迫事情の一つにても取除かれ米国との関係妥結が成立すれば、総て従前の指令を撤回するの条件が附してありました。この場合には連合艦隊は近海に帰り戻つて来るのであります。

※ハルノートを見れば、米国が宣戦布告していることが明らかになります。そこでハルノートの証拠提出は却下されており、清瀬氏はハルノートに触れることが出来なかったのだと推測されます。如何に、公平を欠いた裁判だったのか明らかです。マッカーサでさえ「日本は資源がない、その資源を絶たれれば他国に依存していかなければならないのは当然の事で、あれは自尊自衛の為の戦いであった」と公式の場で述べている。
  1. アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する
  2. 日本の仏印(フランス領インドシナ)からの[即時]撤兵
  3. 日本の中国からの[即時]撤兵 - 中国(原文China)満州含む
  4. 日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府を認めない
  5. [日本] 英国または諸国の中国大陸における海外租界と関連権益を含む治外法権の放棄について諸国の同意を得るための両国の努力
  6. 通商条約再締結のための交渉の開始
  7. アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
  8. 円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
  9. 第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄 - 日独伊三国軍事同盟の廃棄を含意する、と日本側は捉えていたようである。
  10. 本協定内容の両国による推進    (ウッキペディアより)


※本ハルノートを受けて、日本の通告文について下記のように述べている。

 通告文には、米国の態度を非難し、日本が軍事行動を執るの外、方法がない事を明白にして居ります。即ち日本が米国の態度を了解することは困難なりと陳べた後に、右通告文は次の如く記載して居ります。日く「世界の平和は現実に立脚し且つ相手方の立場に理解を保持した後、受諾し得べき方途を発見することに於てのみ実現し得るものにして、現実を無視し一国の独善的主張を相手国に強要するの態度は交渉の成立を促す所以のものに非ず」日く「合衆国政府は其の自己の主張と理念に魅惑せられ自ら戦争拡大を企図しつつありと謂はぎるべからず」日く「合衆国政府はその固持する主張に於て武力に依る国際関係処理を排撃しっつある一方英国政府其他と共に樫済力による圧迫を加へつつあり。かかる圧迫は場合によつては武力圧迫以上の非人道的行為にして、国際関係処理の手段として排撃せらるべきものである」日く「合衆国政府が帝国に対し要望する所は(中略)いづれも支那の現実を無視し、東亜の安定勢力たる帝国の地位を覆滅せんとするものである。米国政府の此の要求は前記援助行為停止の拒否と共に合衆国政府が日支間に平和状態の復帰及び東亜平和の回復を阻害するの意思あるものなる事を立証するものである」。
 之を要するに、通告の上記部分は、日本は更に交渉を続くるの希望を失ひ、真に自衛の為め最後の手段を採るのやむなき様に追ひ詰められた事を明白にするのであります。
 一九四一年十二月六日夜に、日本の通告の第十三部分迄が大統領に達したときでさへも彼は之を読んで「これは戦争を意味する」と言ってをります。
 通告文の最後の部分に於ては「日米の国交を調整し米国政府と相携へて太平洋の平和を維持確立せんとする帝国政府の希望は遂に失はれたり。よって帝国政府はここに合衆国政府の態度に鑑み今後交渉を継続するも妥結に達するを得ずと認むるの外なき旨を合衆国政府に通告するを遺憾とするものなり」とあるのであります。
 これは外交関係断絶の通告と同一価値であります。又当時存在して居つた緊迫した情勢から見れば、疑ひもなく日本が戦争を開始せんとする意思の表明であります。
 必要なる各種の制限に依りまして私のこの陳述では最も重要なる争点のみに言及しただけであります。其他に多数のほかの事項が残つて居りますが、此等は、前に申上げました通り、他の部門の初めに行はるべき努頭陳述に譲ります。


■宣戦布告の遅延
 検察官は我国の開戦意思の通告に欠くるところがあるがため犯罪を構成するといふ意見を立てゝ居ります。
 重要なる通告交付の時間を指定した電報が大使館に到着して居ります。その時間は同日午後一時であります。そこで野村大使は右交付のために国務長官コーデル・ハル氏に午後一時に面会するの約束をしたのでありました。この約束通りに此の通告が一九四一年十二月七日午後一時に交付されて居りましたならば、此の交付はワシントン時間に換算して午後一時二十五分に始まつた真珠湾其他の攻撃よりも前になるのでありました。
 しかし大使館に於ける電報の解読と印字に時間をとりまして、検事立証の如くに実際は野村大使は二時に国務省に到着したのであります。二時二十分に通告書を交付したのであります。野村大使が国務省到着後直ちに通告書を交付し得たならば、真珠湾攻撃後三十五分となります。二十分待たされたがためこれが五十五分の遅延を生じました。
 ※本文では、米国は日本側電文を傍受しており、日本側の宣戦布告を傍受の自転で既に知っていたこと。加えて、ハルノートを突きつけた時点で、ハル氏から軍に指導権が移されたことを指摘し、宣戦布告について米国は明らかに承知していたことを指摘している。
 我々は十二月七日の午前七時五十五分(ハワイ時間)に於ける真珠湾攻撃がサプライズ・アタクではなかつた事を証明するため、小型潜水艦撃沈の事実を引用するのであります。


■裁判長閣下並に裁判官各位
 私は故に私が被告の為めに為した長き陳述に対し、公正に御聴き取りを賜はりました御寛大と御忍耐に対し深き感謝の意を表します。
 我々は今後多数の証拠を提出いたします。
 我々はこれは貴裁判所の信用と御考慮を賜はるべきものと確信して居ります。我々がここに求めんとする真理は、一歩の当事者が全然正しく、他方が絶対不正であるといふ事ではありませぬ。人間的意味に於ける真理は往々人間の弱点に包まれるものであります。我々は困難ではありますが、しかし、公正に、近代戦争を生起しました一層深き原因を探求せねばなりませぬ。平和への道は現代の世界に潜在する害悪を根絶するに在ります。近代戦悲劇の原因は人種的偏見に由るのであらうか、資源の不平等分配により来るのであらうか、関係政府の単なる誤解に出づるのか、裕福なる人民又は不幸なる民族の強慾又は貪婪に在るのであらうか、これこそ人道の為めに究明せられねばなりませぬ。
 起訴状に依つて示されたる期間中の戦争乃事変の真実にして奥探き原因を発見する事に依り、被告の有罪無罪が公正に決定せらるゝのであります。これと同時に現在又は将来の世代のために恒久平和への方向と努力の方途を指示するでありませう。終りであります。




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