日中問題(謀略・弾圧・侵略の歴史)




 [これだけは知っておきたい日中問題20]から、抜粋致しました。



本書前書きより

 二〇一〇年(平成二十二年)の中国の国内総生産(名目GDP)は、戦後初めて日本を上回り、中国は日本を抜き去って、米国に次ぐ世界第二位の経済大国に成長しました。
 しかし、中国の未来は前途洋々かといえば、とてもそんな楽観の出来る情勢ではありません。
 中国各地では民衆の抗議行動や暴動が頻発しており、胡錦藩政権は二〇〇八年末から再び言論・思想統制の強化に乗り出しています。共産党独裁体制の終結を求める「〇八憲章」を起草し、ノーベル賞の劉暁彼氏の身柄を拘束したほか、「軍事闘争の準備を深化させ、戦争以外の軍事行動能力を強化し、社会の安定維持に努めよ」と軍に指示するなど、国内の緊張は一挙に高まっています。このままでは民主化運動を徹底的に弾圧した天安門事件の二の舞となる恐れさえ、なしとしません。国内問題の矛盾を転嫁すべく、台湾併合への動きも一層加速するでしょう。

※311での支援はほとんど無く、子弟を残し中国に帰国する者が多数で、中国軍人が日本国内を視察してまわりました。(⇒[日本解放第二期工作要綱][李春光スパイ事件])

 ■産経:南京「30万人」固執する中国は「モンゴル人30万人」を虐殺。2015/01/23
 中国が南京事件犠牲者「30万人」に固執しているが、中国現代史のもう一つの「30万人」を見ておこう。
 1966年から中国で吹き荒れた文化大革命で、モンゴル人に対してなされたとされる事例である。主導したのは漢族。欧米の研究者は、拘束されたモンゴル人約50万人、うち殺害された者10万人。殺害された者と釈放され自宅に戻ってから亡くなった人の合計は「30万人」。
  • 内モンゴル自治区政府幹部・ジェリム盟出身のアムルリングイは、地面に押さえつけられて、真っ赤に焼いた鉄棒を肛門に入れられ、鉄釘を頭に打ち込まれました。
  • あるモンゴル人は、マイナス40度まで下がるモンゴル高原の冬に、膝まで水を満たした『水牢』に入れられ、その足は水とともに凍ってしまいました。
  • ブタやロバとの性行為を強制する、燃えている棍棒を陰部に入れるなど、中国人たちはおよそ人とは思えない残虐な行為を行っていました。
  • 妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を引っ張り出すという凄惨な犯罪も行われ、中国人たちは、これを『芯を抉(えぐ)り出す』と呼んでいました。
 楊氏は[狂暴国家 中国の正体]で、モンゴル人にとって文化大革命はジェノサイド=民族抹消行為だったとしている。「毛沢東と、人民の味方たる共産党の首長が断罪した『民族分裂主義者』たちを殺害することは、躊躇ない善なる『革命行為』に発展していった」と。内モンゴル自治区のモンゴル人が「民族分裂主義者」と断罪されたとき、中国人(漢族)は「善」として虐殺をなしたというのである。尚、モンゴル問題に限らずウイグル問題もチベットのそれも、ユーラシア大陸で中国に苦しんできた民族の側から中国を見る目を教えてくれるのである。
 中国はこのようなことを認めようとしない。文化大革命全体の実態も闇に沈んでいるのである。そのような国が南京事件「30万人」を言い募っているということは、南京事件のこの数字が過大なものであると国際社会にアピールする際、紳士的に付記しておいてよいと思う。
 楊氏の提言に学べるところは大きい。日本はモンゴルをはじめユーラシア外交にもっと目を向けるべきだという提言もそうだし、あるいは集団的自衛権をめぐる日本国内の議論について述べた次のようなくだり。「自衛権のない国家は去勢された男のような存在です」。能天気に日中友好を説く日本人へ、「ぜひ、『日中友好論者』たちにも中国共産党支配下の内モンゴル自治区や『反テロの前線』たる新疆ウイグル自治区、焼身自殺による抗議活動が続いているチベットにも足を運んでほしいものです」と。



チベット、ウイグル等への侵略と弾圧

 チベットに対する中国の人権弾圧は、二〇〇八年(平成二十)夏に行われた北京オリンピックを前にして、国際的な非難を呼びました。(⇒[最終目標は天皇の処刑]へ)
 中国はチベットを自国の一部だと言っていますが、そもそもチベットは、歴史的には漢民族とは異なるチベット族の国です。国土は現在の中華人民共和国チベット自治区の他、青海省・甘粛省・四川省・雲南省にまたがる、チベット三州(ウ・ツァン、カム、アムド)から成り、その広さは二三〇万平方キロ、中国全土の四分の一近くにもなります。人口は約六百万人。
 古く(七〜九世紀)はこの地には吐蕃という名の独立王国があり、清の時代には法王ダライ・ラマが清と一種の同盟関係を結んでいましたが、清が滅亡すると独立を宣言しました。しかし、一九四九年(昭和二十四)に成立した中国(中華人民共和国)は翌一九五〇年、チベットを米帝国主義から「解放」すると称して大軍を送り込み、制圧してしまったのです。
 この時、中国がチベットとの問で締結した「十七条協定」には、民族自決権を保証し、ダライ・ラマ体制を維持し、宗教や伝統を尊重することが謳われていましたが、中国側はその全てを反故にし、七千あったチベットの仏教寺院はその九割が跡形もなく破壊されてしまいました。また、僧侶や地主は「支配階級」として糾弾され、「人民裁判」による見せしめの「吊し上げ」によって次々と死んでいきました。
 「子供が親を、親が子を批判することを強制し、夫婦が互いに監祝し合うことを強制する」共産主義独特の恐怖政治の中で、無数のチベット人が命を落しました(ペマ・ギャルポ『中国が隠し続けるチベットの真実』)。
 一九五九年(昭和三十四)三月十日、遂にチベットの人びとはこうした弾圧政治に抗議して立ち上がりました(ラサ蜂起)。しかし、人民解放軍の弾圧により、多くのチベット人が投獄・殺害され、ダライ・ラマ十四世は八万人の民衆と共にインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立、十七条協定の破棄を宣言します。
 その後も中国のチベット侵略は止まず、ラサ蜂起から一年半ほどの問に、八万七千人ものチベット人が虐殺され、一九五〇年以降、一二〇万人以上のチベット人が虐殺されたと言われています。また、漢民族移民の優遇策で大量の漢民族が移住したため、今では漢民族の人口の方が多くなり、チベット語やチベット文化を学校で教えることも禁じられています。

 他方、ウイグルは中央アジアのタリム盆地に居住する民族で、人口一千万人弱です。一九五五年(昭和三十)に中国の新彊ウイグル自治区に編入されましたが、チベット族がチベット仏教を信奉しているように、ウイグル族もイスラム教という強固な宗教的・精神的支柱を持っていますので、当初から激しい独立運動が起きています(東トルキスタン独立運動)。一九七二年までに三十六万人のウイグル人が殺害されたと言われていますが、最近では一九九七年(平成九)の武装蜂起(グルジャ事件)で二百人が殺害され、数千人の若者が労働改造所(強制収容所)送りになったと言われます。
 中国には漢民族以外に五十五の「少数民族」が居住していますが、彼らは一様に漢民族の侵略と弾圧により、民族としての誇りやアイデンティティを失い、消滅寸前の危機にあるのです。


 ◆チベット亡命新首相が中国批判「弾圧あれば抵抗ある」2011/05/13東京
 ダライ・ラマ14世(75)から政治的権限を委譲されるチベット亡命政府新首相のロブサン・センゲ氏(43)が、「チベットは中国の占領下にある。(多数の死者が出た2008年の)チベット暴動と同じようなことが起きる可能性がある」と述べ、中国政府を強く批判した。
 センゲ氏は、中国チベット自治区ではダライ・ラマの写真を持っているだけで刑務所に入れられると指摘し「暴動再発を望んでいるわけでも支持するわけでもないが、弾圧のあるところに抵抗運動はある」と言明。
 さらに自身が世界中の亡命チベット人による選挙で選ばれたことから「亡命政府には民主主義がある。避難民でも自分たちの指導者を選ぶ選挙に参加できる」と強調。チベット自治区では住民自身が指導者を選ぶことができず、チベット人はトップに就けないと体制を批判した。
 一方で、チベット人に自制を求めていることも強調し、中断している中国側との対話再開に熱意を示した。


 ◆チベット:相次ぐ抗議の自殺 厳戒態勢でデモ封じ:2011/10/20HP
 チベット仏教の重要寺院、キルティ僧院がある中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県を中心に、チベット族僧侶らによる焼身自殺が相次いでいる。17日には20歳の尼僧が信仰の自由などを求めて自殺。3月以降、焼身自殺を図った僧侶らは9人となった。デモなどの抗議行動を封じられたチベット族が“最後の手段”に訴えている。
 チベット独立を支援する国際団体「自由チベット」(本部ロンドン)などによると、8月中旬に同省カンゼ・チベット族自治州で29歳の僧侶が「チベットに自由はない」と書いたビラをまき、自らに火をつけた。9月下旬には10代の僧侶2人が焼身自殺を図った。10月に入ってからは、すでに3件が報告されている。
 命をかけた抗議行動は、今年3月にアバ県で起きた大規模デモのきっかけをつくった僧侶の焼身自殺を幇助したなどの罪で、僧侶や親族が懲役刑などを言い渡された8月下旬前後から急増している。
 尼僧は白昼、チベットの自由とチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世の帰還を叫んで火をつけており、チベット族の決意を国際社会に向けて示す意図が伺える。
 中国外務省は19日の定例記者会見で「姿を変えたテロの一種」と罵ったが、20日の会見では「事件が起きているのはチベット自治区ではなく四川省」などと苦しい言い訳を口にし、米欧の干渉に対する懸念をあらわにした。


 ◆チベット僧、相次ぐ焼身自殺の真実[WiLL 2012年3月号]より抜粋
 十一月三日はチベットでは宗教的断食修行「ニュンネイ」の最終日にあたっており、一円から大勢の僧侶や市民が大仏塔内に集まってその修行を行っていた。つまり、パルデンの焼身が、耳目を集める時と場所を選んで決行されたことは疑う余地もない。
 加えて、その一部始終がかなり鮮明な映像で残され、あまり時間を空けずに世界に流れたことから、彼女の行為が、「協力者」を得て行われたことも見て取れる。その協力者にはチベット人、あるいは欧米系の人権活動家のみならず、中内の現体制に反対する中何人が含まれている、とのたしかな筋からの情報もある。
 それにしても、現代のインターネット社会とは何と残酷なものかと思う。極限まで追い詰められたチベット人たちは、ネットの向こうにいる私たちの良心に一緒の望みを託し て、自身を燃やす。一方の私たちはというと、ネットで送られた彼、彼女らの凄絶なメッセージを前にしてさえ、ただただ無力である。
 昨年三月から年末までの問に起きた僧侶らによる焼身は、確認され、外に伝えられただけで十二件。うち十一人は、十八歳から三十五歳の若い僧侶であった。さらに、二〇一二年の年明けからまもなく二人が、十四日にはまた一人が焼身したとの情報が届いた。
 チベット亡命政府のダライ・ラマ法王日本代表部事務所は「現在、チベットの状況はこれまででも最悪のレベル。文化大革命の頃のようだとの報告もある。焼身は、現状を外へ訴える手段はもはやほかにない、との追い詰められた思いからの行動だと理解しています」。殺生を厳しく禁じるチベット仏教では、自殺を「肯定」していない。自らに火を放つ行為は最も重いカルマを背負う罪だと戒められており、ましてや僧侶ともなれば、呵責の意識はいっそう強いはずだと強調する。
 ところが、中国共産党政府は「焼身自殺はテロ行為と見なす」という、なんとも冷酷無慈悲なコメントを放ち、例によって「ダライ・ラマ側が、僧侶らの暴力し的な行為を煽動している」と付け加えることを忘れなかった。
 二〇〇八年、あの北京五輪が開催された年の三月に、チベット全土で起きた抗議行動を中国当局が武力弾圧した件を読者の骨さんはご記憶だろうか。ことに三月十四日、チベットのラサで起きたデモ弾圧に対して世界中から抗議の声があがり、北京五輪の聖火リレーに混乱が生じた。
 あれから三周年となつた昨年三月、キルティ僧院の一人の若い僧侶が、あらためて当局への抗議の意志を表すため、焼身に及んだ。
 ところが、ここでさらなる異常事態が起こる。現場に現れた警官が、僧侶の身体の火を消しつつも激しく殴打し、これが死の一因となつたというのである。
 キルティ僧院には当時、約二千五百名の僧侶が暮らしていた。焼身した僧侶への警察による暴行は当然、他の僧侶らの大きな憤りを招いた。当局への反発も強まるなかで、とうとう当局は僧院を「封鎖」するに至る。
 多数の武装警官隊と人民解放軍が僧院を包囲し、食糧や生活用品を運びこむことさえできない日が続いた。「このままでは僧侶たちが餓死してしまう!」というメールが幾通も届いたが、そのなかには心底驚かされることが書かれていた。
 武装した兵士が僧院を収り囲む。僧院の周囲はなんと、チベットの一般民衆、丸腰の民衆が取り閃んでいるというのだ。付近の道路を埋め尽くすほど大勢で取り囲み、軍車両一台たりとも僧院に出入りさせないようにしているとも書かれてあった。
 何たることか。
 自らの体に火を放った者にさえも容赦なく銃弾を浴びせ、殴りかかる(※天安もでは丸腰の学生や市民を虐殺している)。それほどまでに恐ろしい、中国の武装警察や軍に、チベットの市民たちが丸腰で立ち向かっているというのだ。彼らのこの途方もない強さは一体、どこから湧いてくるものなのか。チベット人は自国を「雪の国」と呼ぶが、その冷たい雪の下に、炎のように熱い思いと魂が秘められている、との意味を込め、つけられた名だ。「私たち雪の国のチベット人は軟弱ではない。宗教や文化という面で誇るべき一民族であり、その尊厳と信念において弱き者ではない」とは、ダライ・ラマ十四世法王の言葉である。
 自身を燃やしてまで、自由と民族の誇りを訴えようとした尼僧パルデン。日頃は「もの静かで修行熱心な尼僧だった」という彼女の内に秘められた「炎」、まさにチベット魂そのものではないか。
厳戒下のラサでチベット僧侶2名、焼身抗議:2012/05/29産経
 昨年3月以降、焼身抗議が20件以上発生。外国勢力が焼身自殺を煽っていると非難。
天安門事件遺族が、抗議の自殺:2012/05/29産経
 シナ当局の冷酷で反人道的な行為を強く非難する。
チベットで焼身抗議 2012年10月6日
 27歳、二児の父。これで2009年以降54人目、この2年で52人目だ。
■チベット族男性2人が自殺、一斉絶食も 2012/11/29共同
 自由アジアは29日までに、18歳のチベット族男性が中国当局の高圧的統治に抗議して焼身自殺したと伝えた。7日には自殺を図った27歳のチベット族男性が、18日に監獄の中で死亡したという。一方、26日〜28日まで、チベット族の大学生や公務員、僧侶ら60人以上が「自殺した同胞への支持を表明し、幸福を祈るため」に一斉に絶食した。



 ◇ウイグル族女性ら7人射殺か 米政府系ラジオ報道:2012/01/09産経
 新華社などは昨年12月、地元警察が2人を人質に取ったテロ集団のうち7人を射殺、4人を逮捕したと報道。イスラム過激主義との関連を示唆していたが、米系ラジオ自由アジアは、地元の住民や当局者に取材した結果、宗教弾圧を逃れるため国外逃亡を図ったもので、人質を取った事実はないとしている。(共同)


 ◇世界ウイグル会議、東京で5月開催、シナ反発:2012/04/03産経
 中国から反体制組織と指定されている世界ウイグル会議(本部ドイツ)の第4回代表大会が5月14〜17日まで東京で開催される。中国関係者は「重大な反中活動が日本で行われれば、日中関係に大きな影響を与える」としており、開催阻止に向け、日本政府への圧力も辞さない構えだ。
 世界ウイグル会議は2004年に設立された最大級のウイグル族組織。ノーベル平和賞候補にもなった女性活動家、ラビア・カーディル氏が議長を務める。ウイグル族の政治的権利の確立などが目的だが、中国からの独立を主張するメンバーも少なくない。
 今回、「会議開催を通じて中国当局の迫害を受けるウイグル族が置かれている厳しい状況をより多くの日本人に知ってもらいたい」と語った。また、欧米と比べて、日本政府が、中国当局による少数民族への迫害をあまり問題視しないことを指摘し、「状況を少しでも改善できれば」と語った。
 チベット亡命政府の首相が訪日していることについても中国外務省は「日本の放任に強烈な不満を表する」との談話を出した。日本の外務省幹部は「民間の活動なので、日本政府は関与しない」としているが、同会関係者は「代表らの日本への入国ビザが下りるかどうか心配だ」と語っている。


 ◇ウイグル会議議長、中国の弾圧非難:2012/05/14 The Liberty
 世界の亡命ウイグル人団体を束ねる「世界ウイグル会議」(本部:ドイツ)の第4回代表大会が14日、東京の憲政記念館で開幕した。議長を務める、女性人権活動家のラビア・カーディル氏は、「日中政府間で、ウイグル問題を取り上げてほしい」などと訴えた。
 3年に一度開かれる代表大会では、世界に散らばる亡命ウイグル人たちが一堂に会し、数日間に渡って活動方針を話し合ったり、意見交換などを行う。アジア初開催となる東京では、17日16時から、地下鉄「六本木」駅近くの三河台公園に集まり、中国政府の弾圧を非難するデモ行進を行う。
 関係者約250人が詰めかけた開会式で、ラビア氏は、中国に侵略されたウイグル自治区で日常的に行われている、いわれのない拘束や拷問、虐殺を非難。「中国式の共産主義・人権は、もう通らない時代になっている。それはウイグル人、チベット人、モンゴル人だけでなく、中国人ですら受け入れられない」と訴えた。
 司会を務めた日本全権代表のイリハム・マハムティ氏は、4月のセミナーに登壇。「毎日毎日、中国政府によってウイグル人が殺されている。それは日本政府も知っているはず。中国との経済利益を優先させて人権問題を無視していたら、いざと言うときに日本を助けてくれる国がなくなる。日本政府は、ウイグルの人のためにも、将来の日本の人々のためにも、しっかりとした政治を行ってほしい」などと語っていた。
※日中韓首脳会談で、胡主席が野田首相との個別会議を拒否。

■英紙に暴露、ダライラマ14世、「中国が毒殺計画」:2012/05/15共同
 中国が自身の毒殺を計画し、女性スパイを訓練しているとの情報があることを明らかにした。


◇チベット首相招き中国非難決議採択 超党派議連:2012/04/05産経

 民主、自民両党などの超党派議員約60人が4日、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相との会合を国会内で開き、中国政府に亡命政権との直接対話の再開を求め、中国によるチベット人弾圧を非難する決議を採択。センゲ首相は「チベットは中国の侵攻後、ずっと苦しんできた。抗議の焼身自殺を図るチベット人が選んだ悲劇的な死を無駄にしない」と述べた。



毒入り冷凍餃子事件

 日本で販売された冷凍餃子に毒が入っていた事件は、平成二十二年(二〇一〇)三月、注射器で毒を混入した中国人の男が中国の公安当局に逮捕され、二年ぶりにようやく解決することになりました。
 そもそもこの問題は、冷凍食品会社JTフーズが輸入販売していた中国製(天洋食品)冷凍餃子からメタミドホスという農薬が基準値の百〜四百倍にも達する高濃度で検出されたことに端を発しています。これを口にした三家族・十人が中毒症状を起こしたため、平成二十年(二〇〇八)一月三十日、JTフーズは冷凍鮫子を自主回収すると発表しますが、その後も同じ会社の冷凍餃子からジクロルポスその他の有機リン系農薬の混入が次々と発見され、一時は同製品を食べた千七百名から健康被害が報告される等、我が国の食生活の安全を根本から脅かす大事件に発展しました。
 検出されたメタミドホスは不純物が多く、日本で流通している高純度のものとは違うことから、警察庁は「日本国内で混入した可能性は低い」と発表しましたが、二月二十八日、中国の担当局長は「中国国内で殺虫剤メタミドホスが混入された可能性は極めて小さい」と述べ、両者の主張は平行線を辿ります。しかし、中国の発表に対して福田首相(当時)は、「日本と共同して、しつかり調査したいということを言っていたんじゃないですかね。非常に前向きですね」と述べ、多くの日本人はあっけにとられました。中国を擁護するかのような首相の発言に、不信感を抱いた国民は少なくなかったと思います。
 福田首相は、その後の日中首脳会談でもこの間題を積極的に取り上げることをせず、問題はウヤムヤの内に葬り去られるかに見えましたが、中国側は北京オリンピック直前の同年(二〇〇八)七月初旬になつて、突然掌を返したように「中国国内でメタミドホスによる中毒事件が発生した。とりあえずお知らせします」と伝えてきたということです(八月七日、高村外相の記者会見)。
 これは、製造元の天洋食品が冷凍餃子を事件後に回収したものが中国国内で出回り、それを食べた中国人が六月中旬、メタミドホスによる中毒症状を起こしていたことが発覚したもので(八月六日付読売新聞)、このことからも問題の震源地が中国にあることは、当初からはっきりしていました。
 それならそれで、政府は当然、中国に対して正式に抗議するなり、厳重注意すべきところでしょう。ところが、中国側からその事実を知らされた日本政府は、中国側の要請に応じて一箇月もの間、この事実をひた隠しにしていたというのですから、お話にもなりません。中国からこの情報がもたらされたのは、洞爺湖サミットの最中で、オリンピック前の中国に「配慮」したというのですが、首相の「配慮」すべきは、餃子中毒に実際に苦しめられた、千七百人もの日本人被害者ではなかったのでしょうか。
 この事件以後もこの種の問題はひつきりなしに起こつています。有害物質メラミンを含む中国製牛乳を使用した菓子、有機リン系殺虫剤ジタロルポスを基準濃度の三万四千五百倍(原液に近い)含んだ中国製冷凍インゲンなど、枚挙に暇がないほどです。
 現在の日本の食糧自給率は四〇%(カロリーベース)に過ぎませんが、この辺で中国にどっぷり依存してしまっている食糧輸入構造を根本的に見直し、信頼できる固からの食糧輸入と、自給自足を一層促す食程政策に転換すべきでしょう。




東シナ海ガス田開発問題

 日中の国益が激しく対立している懸案の一つに、東シナ海のガス田開発を巡る問題があります。
 この間題は、東シナ海における日中の境界線をどこに引くかという問題とも密接に関係していますが、その前に「排他的経済水域」という概念を説明しておく必要があるでしょう。

 普通、海に面した国は領土の外側十二海里(沿岸から二・二キロ)までは「領海」といって、その国の主権が及ぶ範囲になりますが、更にその外側の領域、沿岸から二百海里(約三七〇キロ)までは「排他的経済水域(EEZ)」といい、経済的主権の及ぶ範囲とされ、魚などの水産資源及び海底の鉱物資源を独占的に捕獲・採掘する権利があるとされています(国連海洋法条約)。それより外側は「公海」となり、各国の主権の及ばない自由航行の範囲となります。

 ところで、国と国が海を隔てて接近しているような場合はどうなるのでしょうか。これは、両国の沿岸から等距離の中間線までが領海もしくは排他的経済水域の境界線となるというのが最近の国際判例では常識となつており(「中間線論」)、日本も「日中中間線」をもって両国の排他的経済水域の境界線と主張しています。
 ところが中国は、東シナ海は全部自分たちの海だと思っているらしく、中国の大陸棚は日中中間線のラインを超えて「沖縄トラフ」(沖縄を含む南西諸島の西側一帯)まで延びているから、中国の排他的経済水域は沖縄トラフまでだと主張しています。このような考え方を「大陸棚自然延長論」といいますが、こうした主張は国連海洋法条約の制定(一九八二)以来、既に時代遅れとなつているにも拘らず、未だにこれに固執している事実があります。

 実際には大陸棚は沖縄トラフでは終らず、南西諸島を超えて太平洋(琉球海溝)で終っていますし、前述のように現在は中間線論が国際的慣行ですので、日本はこの問題を国際司法裁判所や国連海洋法裁判所に付託するよう中国側に提案していますが、中国は拒否し続けています。恐らく中国は、自国の主張が国際的には受け入れられないことを知っているからこそ、そのような態度に出ているのだと思われます。

 さて、問題の東シナ海ガス田ですが、中国は既に一九七〇年代から東シナ海に眠る石油資源の探査を開始し、八十年代にはボーリングを開始しています。そして九十年代になると平湖ガス田の開発に着手、それと併行して二〇〇〇年代には春暁(日本名しらかば「白樺」)ガス田の開発に着手しました。
 この春暁ガス田は、地下構造が日中中間線をはさんで日本側排他的経済水城と重なっているため、日本側にある石油資源がストローで吸い取られるように中国に取られてしまうのではないかという懸念を生んでいます。
 平成二十年(二〇〇八)六月十八日、日中両国政府は、日中中間線をまたぐ二つの油田(翌槍=龍井占樺=春暁)で今後共同開発を進めることに合意しましたが、これは日中の「境界画定が実現するまでの過渡的措置」であり、中国は日中中間線を「認めない立場に変りはない」、「ガス田は中国主権の範囲内にある」という主張を未だに繰り返しています。

 この間題を考える際、参考になるのはトンキン湾をめぐる、中国とベトナムの境界線紛争です。なんと中国は、この時は中間線論を主張し、二〇〇〇年十二月、中間線で両国の境界線を画定しているのです。自国に都合がよければ中間線論、都合が悪ければ大陸棚論と、勝手に使い分ける中国のこうした理不尽な主張に対して、日本は一歩たりとも譲るべきではありません。




日本は中国を侵略したのか(満洲事変・支那事変

 日露戦争で日本が南満洲に権益を獲得してから大東亜戦争で日本が敗北するまでの約四十年間、日本は中国大陸に深くコミットし、多数の将兵を送り込んでいました。

 今日の中国はこれを日本の「侵略」として非難し、またそのように記述している日本の教科書さえ少なくありませんが、日本が中国大陸に多数の兵を送り込んだのは、元々日本人居留民の安全を確保するためであり、中国を征服するためではありません。その点で、例えばモンゴル(元)が日本を征服するために大軍を送り込んだ、その昔の元尭などとは全く性格を異にします。

 日露戦争の結果として、日本は遼東半島及び東清鉄道南部の経営権をロシアから譲り受け、この地に進出するようになりましたが、これはポーツマス条約(一九〇五)に基づく合法的な権益であり、また清国も認めたものでした。

 その後、満洲事変(一九三一)により日本は満洲全域に進出し、満洲国を樹立しますが(一九三二)、これも「侵略」とは言えない事情があります。というのは、元々この地から起って漢民族を征服した晴国は、辛亥革命(一九二)によって既に滅びており、満洲の地は漢民族の樹立した中華民国の版図の外にあったからです。では、この地を支配していたのは誰かというと、日露戦争以前はロシアでしたが、日露戦争以後は日本の支配していた南満洲地方を除けば、一種の真空地帯であり、軍閥が入り乱れて内乱状態にあり、治安は悪化する一方でした。
 満洲事変後、日本が後ろ盾となり、清朝最後の皇帝薄儀(ふぎ)を押し立ててこの地に満洲国を樹立したのは、「侵略」どころか、この地域の平和と安全に大いに寄与したと言わねばなりません。実際満洲国が出来たことにより、治安は中国本土などと比べても格段によくなり、そのために中国本土からの移民が流人し、満洲国は短期間の内に人口が急増した事実があります。
 今日、満洲は「中国東北部」に編入されていますが、歴史的に言えば満洲は中国(支那)の一部ではなく、中国とは区別して考える必要があります。

 昭和十二年(一九三七)の慮溝橋事件に始まった支那事変(日中戦争)も、日本が中国に一方的に攻め込んだという性格のものではありません。日本軍は、北清事変(義和団の乱)後の北京議定書(一九〇一)により支那の各地に駐兵していたもので、これは国際的合意に基づくものでした。
 事変の発端となった慮溝橋事件は、未だに最初の一発を誰が撃ったか謎とされていますが、当時の日本軍も蒋介石の国府軍も衝突を望んでいなかったことは明らかです。では、何故事変は拡大の一途をたど辿ったのでしょうか。

 事件直後、北京大学の構内と思われる通信所から延安の中国共産党軍司令部に宛てて、「成功した」という意味の電報が打たれた事実が明らかになっています(平成六年九月八日付産経新聞)。両軍の衝突により、漁夫の利を得る立場にあったのは中国共産党であり、それを操作していたのはソ連のコミンテルンであったことを思えば、事件は中国共産党もしくはコミンテルンの謀略によって起こされ、拡大した可能性が大きいと言わねばなりません。
 そもそも、「侵略」の定義からして当時は存在しなかったのであり(「侵略」の定義が定まったのは一九七四年の国連総会決議三三一四号)、満洲事変や支那事変を「侵略戦争」と呼ぶのは、日本を叩くための政治的プロパガンダに過ぎないと知るべきです。
        




南京大虐殺記念館大拡張の背後にあるもの

            [冤罪の南京大虐殺]へ

 昭和十二年(一九三七)十二月、日本軍が南京を占領した直後に起こつたとされる南京事件は、日中間の懸案とされる事件の中でも最大の一つでしょう。

 中国は、この時の「南京大虐殺」により三十万人以上が日本軍によって殺害されたとしています。例えば、中国の歴史教科書の記述は、小学校でさえ次の通りです。「日本軍は南京を占領すると、なんと公然と五週間にもわたる血なまぐさい大虐殺を行った。日本侵略軍は中国の兵士と民衆を縛りあげ、機銃掃射し、生き埋めにさえし、さらに南京城内で人を殺して楽しみ、殺人競争を行った。南京大虐殺では、三〇余万の中国人民が無惨に殺我された。日本侵略軍は中国で極悪非道の罪を犯した。」(一九九六、人民教育出版社)

 しかし、こうした中国の主張を史実に即したものと見ることは到底できません。

 第一に、当時の南京の人口は二十万しかいなかったことが判明しています。二十万人しかいないところで三十万人以上殺したというのですから、これでは話になりません。また、実際に「大虐殺」が起こつたとすれば、人口は激減していなければならない筈なのに、南京陥落からほぼ一カ月後の南京の人口は二十五万人と、逆に増えていることも事実として判明しています。

 第二に、当時の南京には日本軍に従軍していた新聞記者が多数おり、また外国人記者も多数いた筈なのに、南京で「大虐殺」が起こつたということが全くと言っていいほど報道されていません。唯一の例外は、ティンパーリという人の書いた『外国人の書いた日本人の暴行』(一九一二八)という本ですが、これは中国国民党の中央宣伝部が出したプロパガンダの書物であったことが、後に判明しています(東中野修道『南京「虐殺」研究の最前線・平成十五年版』)。

 こうしたことから、最近では中国自身が「三十万人」という数字にこだわらない、柔軟な姿勢を見せることもありますが、その一方では南京にある南京大虐殺記念館(「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)を大幅に拡張したり、歴史教育で南京事件を一層強調するなど、現在も中国政府の格好のプロパガンダとして利用されていることは否定できません。

 南京大虐殺記念館は一九八五年(昭和六十)に開館しましたが、事件から七十年後の二〇〇七年
(平成十九)十二月にリニューアルし、敷地面積は以前の三・五倍、展示面積は以前の十倍以上にも拡張されました。その狙いははつきりしており、ユネスコの世界遺産の基準を満たすように、敷地面積を拡張したのです。即ち、中国政府はこの記念館を世界遺産に登録することで、アウシュビッツや広島の原爆ドーム並みに、世界的に認知されることを求めているのです。
 しかし、ちょっと待ってくれと言わないわけにはいきません。アウシュビッツその他の強制収容所で、ナチは六百万人ものユダヤ人を殺害しました。広島と長崎に投下した原爆で、アメリカは罪もない日本人三十万人以上を殺害しました。しかし、南京「大虐殺」と言われている事件は、それらとは全く性質を異にします。畢寛中国のプロパガンダの所産でしかなく、研究者の間でも極端に見解が分れているのが現状です。記念館が「世界遺産」になれば、「大虐殺」が世界史上の史実として確定することになり、正に中国はそれを狙っているのでしょう。
 現に中国の執拗なプロパガンダやアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』によって、多くの米国人も南京で「大虐殺」があったことを信じているという憂うべき現状があります。日本も、今後は世界に向けて、史実を粘り強く発信していくことが求められています。




靖国神社参拝問題 − 首相は堂々と参拝すべし

 靖国神社に日本の首相が参拝することは、今日でこそ中国や韓国が反発して大きな外交問題になつていますが、戦後長い間、問題にされることは全くありませんでした。実際、吉田首相は五回、池田首相も五回、佐藤首相などは十一回も在任中に参拝しています。

 靖国神社は明治二年(一人六九)に創建された、国家のために戦って戦死した英霊の御霊を祀る神社です。どの国にもこうした国立の戦没者追悼施設はあり、例えば米国ではアーリントン国立墓地が有名です。
 ところで、アーリントン墓地に米国大統領がお参りすることに対して、かつて他国が問題にした例があるでしょうか。ありません。戦没者を弔うという最高の国家儀礼に対して、他国が口を出すことは明らかな内政干渉であり、国家の尊厳を侵す、許し難い非礼と見倣されるのは目に見えているからです。
 ところが、近年の中国は、それと同じ行為を平気で日本に対して繰り返しています。何故でしょうか。

 第一の理由は、靖国を問題にすることで国内に鬱積した不満を対日ナショナリズムに転化させようという政治的思惑からくるもの、と思われます。

 第二の理由は、靖国に「A級戦犯」が合祀されていることを理由に反対することで、「A級戦犯」を断罪した東京裁判の論理の固定化を図り、敗戦国日本に対する道義的優位を誇示することが出来るからです。

 例えば、江沢民前主席は一九九人年八月、「日本軍国主義者は非常に残忍だった。中国人の死傷者は三五〇〇万人に達した。戦後、日本の軍国主義は清算されていない。軍国主義思想で頭の中が満たされている者が存在する。警戒すべきだ」「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない」等と語っていますが(『江沢民文選』)、これなどは靖国という「歴史問題」を利用せんとする彼らの政治的意図を、あからさまに示したものと言えるでしょ、つ。

 第三の理由は、こうした中国の内政干渉に対して、日本がまともな抗議一つしないからです。福田元首相に至っては、「他人の嫌がることはしない。それが友達というものではないか」と述べ、靖国参拝を自粛しましたが、こうなればもう、日本は中国の嫌がることは何も出来ない、何もしないということで、これでは中国の属国と変らないことになつてしまいます。
 因みに、一時期あれほど執拗に首相の靖国参拝反対を呼号していた中国も、「(日中間の)氷を融かす旅」と位置付けた二〇〇七年四月の温家宝首相訪日以来、靖国の「や」の字も言わなくなつています。このことは、靖国参拝問題が中国政府の都合次第でいつでも引っこめたり、押しっけたりする中国の「歴史カード」に過ぎないことを如実に示しています。

 靖国参拝問題は国家主権の問題であり、中国に気兼ねして首相が自由に参拝できないようなことでは、日本は国家主権を放棄したに等しいと言われても仕方がないのです。
 小泉元首相は中国と激しい摩擦を起こしながらも、在任中六度参拝しています。安倍元首相は内心では参拝の気持がありながら、とうとう一度として参拝しませんでした。同じ辞任するなら、参拝してから辞めていただきたかったというのが、多くの国民の共通した思いではなかったでしょうか。中国の意向などは気にせず、首相は堂々と胸を張って靖国に参拝すべきでしょう。




遺棄化学兵器に投じられた、膨大な無駄遣い

 「遺棄化学兵器」というのは、昭和二十年(一九四五)の敗戦時に、日本軍が中国大陸に不法に「遺棄」したとされる化学(毒ガス)兵器のことです。

 一九九〇年(平成二)、中国はこの遺棄化学兵器を処理するよう、日本に非公式に要請します。翌年から日中政府間協議が開始されますが、一九九二年(平成四)、中国政府は遺棄化学兵器の廃棄責任は日本にあると公式に表明しました。当時の外務大臣は河野洋平でしたが、両国政府は化学兵器禁止条約(一九九七発効)に基づき、覚書を交して、「中華人民共和国国内に大量の旧日本軍の遺棄化学兵器が存在していることを確認し」、日本は「遺棄化学兵器の廃棄のため、すべての必要な資金、技術、専門家、施設及びその他の資源を提供」する義務を負うことになりました。

 しかし終戦当時、日本が化学兵器を「遺棄」したというのは、本当なのでしょうか。中国側は一方的にそう主張していますが、そもそも敗戦直後に日本軍が化学兵器だけをわざわざ「遺棄」しなければならない理由がありません。

 日本軍は、当時条約で禁止されていた化学兵器をこつそり開発し、隠し持っていたので、その後ろめたさから「遺棄」したに違いないと思っている人も多いと思いますが、それは誤解です。
 当時、化学兵器を所有することは少しも国際法違反ではありませんでした。一九二五年のジュネーブ議定書は、毒ガスとその類似物質を戦争で使用することを禁止していましたが、毒ガスの開発・製造・貯蔵まで禁止していたわけではありません。もっと言えば、この議定書は当時の戦争当事国の多くが批准しておらず(日本が批准したのは一九七〇年、アメリカは一九七五年のことです)、たとえ毒ガスを戦争で使用したとしても、国際法違反にはなりませんでした(勿論、現在では前述の化学兵器禁止条約により、全て禁止されています)。
 従って、わざわざ化学兵器だけを通常兵器から分離して「遺棄」しなければならない理由が、日本軍には全くないのです。

 敗戦時に、満洲の日本軍はソ連軍に、それ以外の中国大陸にいた日本軍(支那派遣軍)は中国国民党軍に降伏し、現地で武装解除されています。支那派遣軍の武器弾薬は、武装解除によって国民党軍に接収され、満洲でソ連が接収した旧日本軍の武器は、大量に八路軍(中国共産党軍)の手に渡ったというのが、歴史の真実です(宇野重昭「中国大陸における『終戦』(敗戦)と国共内戦」、『占領史録』第二巻)。

 日本軍「遺棄」の事実が証明されない限り、そうした化学兵器の処理責任まで日本政府が負う必要はありません。しかも中国政府は、日中共同声明(一九七二)で戦争賠償の請求を放棄しています。これは、仮に戦争に起因する問題が起こつたとしても、中国が自国で処理するということを意味します。

 日本政府は、「遺棄」化学兵器処理のために、平成十一年度から十年間で既に五四〇億円という巨額の予算を投じています。将来的には何千億円という額になるところでしたが、平成十九年秋、日本政府が事業を全面的に委託していた遺棄兵器処理機構をめぐる巨額詐欺事件が発覚、政府は二十年三月に同機構との契約を打ち切り、事業計画は大幅に縮小される見通しとなつています(産経新聞、平成二十一年一月二十三日付)。

 中国側の思惑に乗せられて、これまで国民の貴重な税金を湯水のように使ってきたわけですが、今回の詐欺事件でもその一端が明るみに出たように、そのお金は実際には何に使われていたのか、知れたものではありません。中国の軍事施設建設に転用されたり、近年頓に話題になつているアフリカ諸国への中国の膨大な資金援助に転用されている恐れもあります。
 既に三兆円以上を投じている中国へのODA(政府開発援助)同様、中国を利するだけの膨大な国費の無駄遣いは、一刻も早く中止すべきでしょう。

■ 産経妙 2012/02/18
 最も無駄なのが、旧日本軍が中国に捨てたとされる遺棄化学兵器の処理事業だ。来年度予算案には約208億円も計上されているばかりか、既に約861億円もの大金が支払われ、しかも出費はこれから最低10年続くという。
 化学兵器禁止条約に基づいた事業だが、旧日本軍は終戦時にほとんどの砲弾を中国軍や旧ソ連軍に引き渡しており、本来なら必要はない。この事業をめぐってはさまざまな輩が徘徊し、逮捕者まで出ている。こんなお人よしで不明朗なカネのばらまきをやっているのは世界広しといえども日本だけなのを納税者はもっと知るべきだろう。

 日本軍も、使用禁止の化学兵器を持ってはいたが、使用はしなかった。支那軍は日本軍や住民に対して当時国際条約で禁止されていた化学兵器を使用したが、日本軍は「あか」というくしゃみ剤だけ使用して当時国際条約で禁止されていた化学兵器を使用しなかったというのが事実だ。
 日本軍は、終戦時に、化学兵器だけではなく、全ての兵器をソ連軍や支那に引き渡した。平成18年(2006年)には、「兵器引継書目録」や「兵器引継書」まで発見されている。





際限なき対中支出、歯止めを
                     論説委員石川 水穂  2012/03/03産経
 ■処理事業を10年再延長
 旧日本軍が中国に遺棄したとされる化学兵器の処理事業で、日中両政府は先月16日、化学兵器禁止機関(OPCW)に対し、処理期限を10年後の平成34(2022)年まで再延長することを申請し、受理された。
 この事業は化学兵器禁止条約(CWC)に基づき、12年9月から始まった。当初は発効から川年の19年が完了期限だったが、5年間延長され、それでも完了の見通しが立たないための再延長だ。
 これまでに4万8千発の遺棄化学兵器を発掘し、3万6干発の廃棄を終えた。しかし、大量に遺棄されたとされる吉林省ハルバ嶺には、まだ30万〜40万発が残っているといわれる。
 今回の日中間の合意には、ハルバ嶺での廃棄計画を3年以内に作成することも含まれているが、このペースだと、事業がいつ完了するかのメドは全く立っていない。日本はすでにこ初事業に861億円を投じ、24年度予算案にも208億円を計上している。際限のない中国への税金の支出が延々と続くことが懸念される


 ■河野洋平氏が深く関与
 この遺棄化学兵器の問題には、宮沢専一内閣の官房長官で村山富市内閣の外相を務めた河野洋平氏が深くかかわっている。
 化学兵器禁止条約は、イペリット、ホスゲンなどのいわゆる毒ガス″兵器の開発、製造、貯蔵、便用の禁止を目指したものだが、中国の強い希望で「廃棄条項」(第1条3項)が盛り込まれた。世界で化学兵器の遺棄を認めている国はなく、事実上の「日本専用条項」ともいわれた。
 終戦時、旧日本軍はほとんどの化学兵器を中国軍や旧ソ連軍に引き渡しているはずで、「遺棄」には当たらないとの見方が政府内にあった。しかし、河野氏は旧日本軍が引き渡したことを証朋する書類がないとして、中国に有利な処理策を推し進めた
 日本は宮沢内閣の5年1月、この条約に署名し、村山内閣の7年9月に批准した。さらに、小渕恵三内閣の11年7月に締結された遺棄化学兵器処理に関する日中覚書は、日本が処理費用をすべて負担し、将来の事故も日本が補償するという内容だった。


 ■引き渡した文書を発見
 だが、その後、旧日本軍が中国軍や旧ソ連軍に化学兵器を引き渡したことを証明する資料が、月刊誌「正論」編集部やジャーナリストの取材で次々と見つかった。
 山形県のシベリア資料館に、中国で日本軍が武装解除された際に引き渡した化学兵器を含む武器・弾薬類を詳細に記した「兵器引継書」が600冊残っていた
 防衛省の防衛研究所には、日中両政府が化学兵器の「あか筒」や「みどり筒」を台湾で中国軍に引き渡したことを記した「引渡兵器目録」が保管されていた。
 終戦後、中国大陸で旧日本軍が化学兵器を引き渡したことを示す「支那方面艦隊引渡目録」など3点の文書が防衛研究所に保管されていることも明らかになった。
 化学兵器をめぐる訴訟でも、化学兵器が旧月本軍製でないとする証拠が示された
 1974、82、95年に中国・黒竜江省で起きた遺棄化学兵器による3件の事故をめぐる訴訟で、一審・東京地裁は国に1億9千万円の支払いを命じた。国側は、うち1件の事故原因となったイペリット入りのドラム缶が旧日本軍のものより一回り大きく、旧日本軍製にはないアルファベット文字の表記があることを突き止め、平成16年4月の控訴審第1回口頭弁論で、「旧日本軍の丘舘とする証拠は十分ではない」とする控訴趣意書を提出した。
 はかにも同種の訴訟が継続しているが、この訴訟は中国人原告の敗訴が確定している。
 18年2月の衆院内閣委員会で、当時の内閣府遺棄化学兵器処理担当室長は「正式に中国やソ連に化学兵器が引き渡されたという文書が発見されれば、基本的な枠組みが変わってくる」と答弁した。しかし、政府は今も、「引き渡したことを明確に証明する書類は依然、見つかっていない」と言い続けている。
 遺棄化学兵器処理事業で日本が中国に払い続けなければならない費用は、償還が前提の円借款と異なり、無償援助に近い。しかも、総額は皆目、見当がつかない。処理事業が予想以上に困難であることが分かり始めた17年ごろ、「処理事業が長期化すれば、1兆円規模の巨大プロジェクトになる」「第2のODA(政府開発援助)になるのではないか」との指摘もあった。その懸念が現実のものとなりつつある。際限のない中国への支出に歯止めをかけるため、事業の見直しが急務である。

  ※下記の訴訟に関して、日本に責任はない、責任はシナ側にある。
■中国人の請求棄却…旧日本軍の毒ガス兵器で負傷:2012/04/16読売
      http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120416-00000359-yom-soci
 中国・吉林省敦化市で2004年、旧日本軍が遺棄した砲弾の毒ガスで負傷した中国人の少年2人が、日本政府に慰謝料など一人当たり3300万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は16日、請求を棄却する判決を言い渡した。
 小林久起裁判長は「被害のあった場所で、砲弾は差し迫った危険として認識されておらず、事故防止の措置をとっていなかった日本政府の対応が著しく不合理だったとは言えない」と述べた。
 原告の周桐さん(19、当時12歳)と劉浩さん(16、同8歳)は遊んでいて砲弾の毒ガスに触れ、皮膚がただれるなどした。日本政府は中国国内で遺棄化学兵器処理事業を進めており、原告側は「住民に危険区域を知らせれば被害を防げた」と主張した。
 判決は、中国側が「敦化市内に遺棄された砲弾がある」と日本側に伝えていたものの、現場が市中心部から約50キロも離れていることなどを挙げ、日本政府に対策の義務はなかったとした。
 中国国内の遺棄化学兵器を巡る同種訴訟は他に3件あり、2件は原告側敗訴が確定。もう1件も同地裁で請求が棄却され、控訴中。




「愛国主義教育」という名の反日教育

 二〇〇五年(平成十七)に起こつた中国の反日デモは、中国という国の本質を知る上で忘れられない事件となりました。

 インターネットの呼びかけに応じて集まった若者たちが、日本大使館や領事館に投石したり、ペットボトルを投げつけていましたが、中国の警察はそれを制止するでもなく、遠巻きにして見ているだけでした。明らかにヤラセの「官製デモ」でしたが、中国当局は「デモは日本の侵略の歴史に対する誤った対応を不満に思った民衆が自発的に起こしたもの」であるとして、日本側に対する謝罪を拒否しました。
 しかし、筆者の印象に強く残ったのは、暴徒と化した若者が、口々に「愛国無罪」を叫んでいたことです。「愛国」を口にすれば、何をやっても許されると言わんばかりの彼らの言動には、正直驚かされました。中国では「愛国」が免罪符か何かのようになつているのでしょうか。
 調べてみると、その通りでした。中国の「学校教育の現場では、愛国主義は教育目的の最優先事項として位置づけられ」「徳育の根本として位置づけられ」ている事実があります(西村克仁『日本は中国でどう教えられているのか』)。そしてこの場合の「愛国」とは、具体的には「反日」的な歴史認識を意味しているのです。

 中国の愛国主義教育は、江沢民政権下の一九九四年に定められた「愛国主義教育実施要綱」が元になつており、ここには次のように書かれています。
 「中国歴史、特に近代史と現代史の教育を通じて、
  …中国人民が外来からの侵略と圧迫に反対し、…血
  を浴びて奮闘した精神と業績を理解させ、中国共産
  党が全国人民を指導して新中国を建設するために勇
  敢に戦った崇高な精神と栄光ある業績を特に理解さ
  せる」(第七項)
 「幼稚園から大学に至る教育、つまり教育の全過程で
  愛国主義教育を貫かねばならない」(第十六項)

 この「外来からの侵略」というのが日本を指すことは言うまでもありません。つまり、近現代の日本の「侵略」と勇敢に戦い、これを斥けて「新中国を建設」したというのが、現在の中国共産党の正当性の根拠となつているのです。
 日本が中国大陸で戦った主敵は、実は共産党(毛沢東)ではなく国民党(蒋介石)で、これは一種のフィクション(作り話)に過ぎませんが、空中分解寸前の今の中国を一つに束ねるためには、中国人のナショナリズム感情に訴え、日本という共通の“敵”を作り出して政権を維持しようという中国共産党の思惑が、背後にはあるものと思われます。

 石平氏はこのことについて、次のように指摘しています。「もし戦争中の日本軍の残虐行為が、こうした日本憎しの感情を作り出した原因であれば、終戦からずっと、この戦後の時代を通してわが中国人民は日本のことを憎み続けてきたはずである。しかし、事実は決してそうではなかった。」「私たち若者を含めた中国国民の大半は、日本に対して『憎しみ』を持つよりも、むしろ多大な好意を寄せて親しみを感じていた。」「中国国民に蔓延している、激しい反日感情の形成の原因、…それは、まさしく組織的な反日教育と、煽動的宣伝が継続して行なわれてきた結果として、人工的に作り上げられたものである。」(石平『私は「毛主席の小戦士」だった』)

 今の中国が崩壊し、共産主義と訣別しない限り、こうした中国の反日的「愛国主義教育」は今後も続くと見なければなりません。しかし、その背後にあるのは「史実」ではなく、政権延命のための政治的ご都合主義に過ぎないということを知った上で、日本は毅然とした態度で中国に対峠すべきです。




中国における「言論の自由」と民主化運動の弾圧

 中国における「言論の自由」の現状を示す一つの指標として、パリに本部を置く国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」が作成した世界報道自由度ランキングがあります。
 これを見ると(二〇一〇年のランキング)、中国は全世界一七八カ国中、一七一位(因みに日本は十一位、韓国四二位、北朝鮮一七七位)となつています。つまり、中国は北朝鮮と並んで世界で最も「言論の自由」「報道の自由」がない国だと、世界中のジャーナリストが認識していることが解ります。

 というのも、中国におけるあらゆる言論活動は共産党中央宣伝部の厳重な監視統制下にあるからで、これは大学とて例外ではありません。例えば、中山大学教授衰偉時氏は次のように述べています。「中国大陸の大学に勤務した人なら誰でも知っているよぅに、いろいろな学術会議やキャンパスで、ボスと密告者は、虎視耽々、硬直したいくつかの教条を振り回し、後ろ盾を笠に着て何かと騒ぎを起こす。…イデオロギーの抑圧は学術まで飲み込んでしまう。このような状況に多くの人が嫌悪を催しているが、諸条件に制約され、泣き寝入りし、沈黙するほかない。」(哀偉時『中国の歴史教科書問題』)

 この点で、一つの象徴的な事件となつたのが二〇〇六年春に生起した『氷点』停刊事件でした。中国共産主義青年団の機関誌『氷点』の編集主幹をしていた李大同氏が、前掲の衰偉時教授の論文「近代化と中国の歴史教科書問題」を同誌に掲載したところ、党中央宣伝部報道検閲班によって、『氷点』の停刊及び幹部更迭を余儀なくされたという事件です。
 この論文は、「自らの近代史に対する深い反省を欠いている」点については、日本も中国も同じだと論じ、中国の国定歴史教科書が偏向していることを正直に指摘したものでした。
 また、最近ではこういった事件もありました。上海大学中文系教授で作家の葛紅兵氏が中国各地にある抗日戦争記念館について、「復讐心を煽るような展示はやめるべきだ」とする論文をブログで発表したところ、非難が殺到し(当局の圧力が掛かった可能性もある)、論文の撤回を余儀なくされたというのです(産経新聞、平成十九年六月二十五日付)。
 要するに、中国には「反日」に偏向した自国の歴史教育を批判する自由一つないわけで、中国における民主化運動の弾圧もこれと軌を一にしています。

 一九八九年に起こつた天安門事件は、中国の民主化運動を徹底的に弾圧した事件として有名ですが、その正確な被害者数は現在も不明のままとなつています。中国当局は死者三一九人としていますが、当時の国家主席だった故楊尚昆氏は生前、死者は六〇〇人以上と語っていたそうですし、当時の病院関係者の証言を元に、死者は千人を超えると主張する遺族もいます(産経新聞、平成二十年六月四日付)。
 この武力弾圧を機に、中国の民主化運動家の多くは国外亡命を余儀なくされました。現代の中国の若者は、少なくとも二千万人と言われる餓死者を出した毛沢東の「大躍進」政策(一九五人〜六〇)も、推計三千万〜七千万人の犠牲者を出したと言われる文化大革命(一九六六〜七六)も知らず、天安門事件も知らず、民主化運動に対する「手ぬるさ」から総書記の地位を追われた胡耀邦や趨紫陽の名さえ知らないと言われています。これらは全て、共産党一党支配の下で情報と教育がコントロールされている結果に外ならず、共産党一党支配の打倒なくして中国の民主化は有り得ないことを示しています。

 ■産経:「笑いながら無差別発砲」 機密解除の米公文書。2014/06/04
 米ジョージ・ワシントン大の国家安全保障公文書館は4日までに、中国で1989年に起きた天安門事件をめぐる米国防情報局(DIA)の機密文書の内容を公表、民主化運動を武力弾圧した兵士らが笑いながら無差別に発砲していたとの証言などを明らかにした。
 同大が情報自由法に基づき、機密解除された文書を入手。文書によると事件当時、地方から送り込まれた標準語を話せない兵士が無差別発砲したとの目撃者の証言があったという。
 別の文書では事件後、中国銀行上海支店で取り付け騒ぎが起き、軍に外貨を運ぶよう要請したとする話が記録されている。文書によると事件前、当時の李鵬首相が指導部会議で趙紫陽共産党総書記を「ゴルフばかりしている人は何も分からない」とあざけったとの情報があったといい、指導部内に権力闘争があったことを米側が把握していたことを示した。

⇒[YouTube 天安門事件の写真 サクラチャンネル
◆戦車に引き殺された死体
   
  



日中「友好」に踊らされてきた戦後の日本人

 昭和四十七年(一九七二)の日中国交回復以来、日中関係を常に規定してきたのは「日中友好」という合言葉でした。
 例えば、同年に締結された日中共同声明では、「両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させる」(前文)ことや「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄すること」(第五項)を謳っています。
 また、昭和五十三年(一九七人)に締結された日中平和友好条約では、「両国間の恒久的な平和友好関係を発展させる」(第一条)としています。
 また、この日本には以下の通り「日中友好」を標模する「日中友好七団体」が存在しています。
 1.日中友好協会(一九五〇設立・会長加藤紘一)
 2.日中友好会館(一九五三設立・会長林義郎)
 3.日本国際貿易促進協会(一九五四設立・会長河野洋平)
 4.日中文化交流協会(一九五六設立・会長辻井喬)
 5.日中経済協会(一九七二設立・名誉会長御手洗富士夫)
 6.日中友好議員連盟(日中貿易促進議員連盟を一九七三に改称・会長高村正彦)
 7.日中協会(一九七五設立・会長野田毅)

 会長の顔ぶれを見ると、案の定と言うべきか、親中派の政治家や財界人が名を連ねていますが、日中関係筋によると、中国の対日政策責任者が「七人のサムライ」と呼んで頼りにしている現役の自民党議員は次の七人だそうです。一、河野洋平、二、福田康夫、三、野田毅、四、二階俊博、五、加藤紘一、六、山崎拓、七、高村正彦。この順位は「親中」の度合いと期待度だそうで(産経新聞、平成十人年四月二日付)、前述の「日中友好七団体」会長の政治家の顔触れとも一致しているのが頗る興味深いところです。
 言うなれば日本側は、こうした政治家や財界人が中心となつて、中国の歓心を買おうとして、「もみ手」をしながら「友好」をお願いしてきたというのが、この三十年の偽らざる姿でした。例えば、日本は一九七八年のケ小平の来日以来、中国に累計三兆円以上の経済協力(ODA)を実施してきました。これは、世界の対中国経済協力の総額の六割以上を占めています。今日、中国が爆発的に経済成長を遂げたその基盤となる インフラ整備の大部分は、日本の経済援助によっていると言っても過言ではないのです。また、教科書問題で中国が内政干渉すれば、“御無理御尤も”と「超法規的」に歴史教科書の記述を修正したり、検定基準に「近隣諸国条項」まで設けて中国の意を迎えるなど、いぢましいほどの努力を傾注してきたのが、「日中友好」下の日本の姿でした。

 しかし、朝野を上げて推進してきたこうした「日中友好」政策によって、「友好」の実は挙がったと言えるのでしょうか。
 日本の莫大な経済協力に対して、中国人が日本に対して感謝したことが一度でもあったでしょうか。答はノーです。中国の教科書かと見紛うほどに卑屈な教科書で、今日本の若者は歴史を学んでいますが、中国は「日中友好」の名に相応しい「友好的態度」を、かつて一度でも日本に対して示したことがあったでしょうか。「愛国主義教育」という名の徹底した反日教育を推進しているのは、一体どこの国でしょうか。全く逆ではありませんか。
 「日中友好」のかけ声は、中国にいいように政治的に利用されただけで終ったのです。この冷徹な現実を直視し、“百害あって一利なし”の「友好」のお題目には終止符を打つべきです。




天皇訪中」の政治的利用を二度と許すな

 一九八九年(平成元)六月の天安門事件は、中国にとっては一大打撃でした。というのは、「民主化」を叫ぶ学生や市民を軍靴で踏みにじったというので、世界中の非難を浴び、中国は欧米諸国の経済制裁によって完全に孤立してしまったからです。
 この苦境を脱すべく、中国政府が思いついたのは、隣国・日本を利用することでした。当時の外交部長・銭其環は、引退後に出版した回顧録の中で次のように述べています。「日本は西側の村中制裁の連合戦線の最も弱い輪であり、中国が西側の制裁を打破する際におのずと最もよい突破口となった。当時、われわれは日本がこの方面で一歩先んじていくように仕向けていた。」(『銭其深回顧録−中国外交20年の証言』)

 では中国はどのようにして、日本を西側の対中制裁を打破する「突破口」にしたのでしょうか。それは、日中国交正常化二十周年である一九九二年(平成四)に「天皇訪中」を実現することによってでした。
 平成三年八月には、海部首相が訪中し、いち早く対中制裁を全面解除、その後任である宮沢首相は党内の根強い反対論を押し切って天皇陛下ご訪中を閣議決定したのです。銭氏は「中日二〇〇〇年の往来の中で、日本の天皇が中国を訪れたことはなく、天皇訪中が実現すれば、西側各国が科した中国指導者との交流禁止令を打破できる」と書いていますが、正にその通りになつたのでした。「日本の天皇がこの時期に訪中したことは、西側の対中制裁を打破するうえで、積極的な作用を発揮したのであり、その意義は明らかに中日の二国間関係を超えたものだった」と、銭氏は同書で述べています。
 歴史上初めての天皇陛下ご訪中は、こうして中国の政治的思惑に乗せられ、まんまと利用されただけに終ったのです。なんとも情けない話ではありませんか。当時、天皇訪中の実現に奔走したのは渡辺美智雄外相で、天皇訪中は平成四年一月、訪中した渡辺に銭外相が訪中時期を指定して招請したことから具体化しました。
 中国側は、事前に東京の中国大使館から、「渡辺が外交上の大きな成果を上げて、それを手土産にして次期総理の座を狙いたいという野心がある」という報告を受けていたそうで、銭外相は「渡辺外相に天皇訪中というニンジンをぶら下げれば、食いついてくることは間違いない」と党の重要会議で述べたそうですから、また何をか言わんやです(衷翔鳴「史上最大の対日工作『天皇訪中』に秘められた中国の野望」、『SAPIO』平成十九年六月十三日号)。
 北京オリンピックの際にも中国側は、天皇陛下や皇太子殿下ご夫妻の開会式ご出席を打診してきましたが、中国の置かれた状況は天安門事件後とうり二つでした。というのは、今回も中国はチベットヘの人権弾圧で世界中の非難を浴び、聖火ランナーは各地で妨害されるわ、開会式ボイコットの動きは出るわで、一大ピンチに陥ったからです。この劣勢を挽回するため、又しても中国は「天皇訪中」を利用しょうとしたのでしょう。


◆民主党政権:小鳩→管仙→野田政権へ
 2009年9月16日、「官僚支配の打破」「国民の生活が第一」をスローガンにした鳩山政権が発足した。鳩首相は、中国の覇権は眼中に無く、友好の海、日本は日本人だけのものではない、米国抜きの東アジア共同体などと、無責任にも好き勝手に話しまわった。二酸化炭素削減については25%削減を公式に発表したが、単なる人気取りでしかなかった。更に、オバマ大統領に2度もTrustMeを連発し、同盟国である米国からも相手にされず、沖縄県民から強い反発を受けた。
 小沢幹事長は、幹事長室にすべての事業分担を集中させ、権益の独占体制を固める。同時に、中国に訪問し、自らを「解放軍の野戦司令官」とし日本国民の反感を買った。
 その直後、習氏から陛下との謁見要請を受け、陛下の病状を伝え中国も納得した。しかし、小鳩両氏は陛下の病状と慣例を無視し、陛下を政治利用した。
 加えて、鳩山氏は故人献金事件も含め平成の脱税王と呼ばれ、小沢氏は献金疑惑で追訴される状況となった。実績としては、高校授業料無償化、子供手当交付。ついに、支持率は20%を下回り、小鳩両氏のW辞任、鳩氏の議員辞職表明と共に、2010年6月06日に幕を下ろした。
 6月に発足した管政権だが、これほど酷く世界から愚弄されたこともないと思います。履歴を照会しますが、唯一草の根デモが日本人としての面目を保っていると思います。
2009年
 09月16日:小鳩政権誕生
 09月30日:温室効果ガスを1990年比で2020年までに25%削減を表明。
 11月20日:日米首脳会談で、米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、
       オバマ米大統領に対し「私を信頼して(Trust me)」と述べていた。
 12月10日:小沢一郎氏を中心とした民主党議員143名、その他民主党支持者500
       名あまりが訪中に参加。小沢は自らを「解放軍の野戦司令官」とした。
 12月15日:小沢一郎、中国共産党・解放軍司令官による天皇陛下を政治利用する
2010年
 01月08日:千葉法務大臣落選。死刑を見たくて、死刑に署名。
 05月28日:社民党党首を罷免
 05月21日:【北教組起訴】民主・小林議員辞職
 06月06日:小鳩政権終幕
 06月15日:庶民派リーダとして管政権発足
 07月04日:宮崎口蹄疫(赤松口蹄疫)は3月頃発生し、7月4日終息。
       28万8643頭を殺処分した。…政府対応遅れが主因。
 09月07日:中国船が日本の領海である沖縄県尖閣諸島付近で海保の巡視船に衝突。
       中国の圧力に屈し、船長他を無罪釈放。船体をも返還する。
       その上、仙谷氏が証拠ビデオを封印した。
 10月02日:東京で反中デモ、一般市民約2700人参加。
       日本のマスコミ無視:反中感情を煽る恐れがあり報道は控えたい。
       中国の報道:ナチスのマークをつけた右翼だと紹介。
 10月16日:東京デモ第二弾、参加者3000人以上。
       中国報道:4千人もの右翼分子が反中集会。我が大使館を包囲。
            中国で反日デモ。
 11月01日:菅内閣支持率15.1%。 …日経読者アンケート
       ロシア大統領の北方領土上陸「日本の外交無策」81%。
 11月06日:東京デモ第三弾、参加者3800人以上。
 11月13日:APEC首脳会談で、中国側に首脳を懇願要請。中国側立ち話と表明。
       横浜デモ、参加者約3500人。
 11月14日:街頭集会に、2000人以上が集まる。
       中国代表団の記者会見は、中国から取り止めた。
 11月15日:sengoku38が、尖閣事件ビデオを公表。
 11月23日:北朝鮮韓国を砲撃、軍人と民間人に死傷者。首相おどおど、無策露呈。
 11月27日:仙石・馬淵氏の問責可決、参院。
2011年
 03月11日:大震災から、人災へ。
 08月30日:第95代首相、野田氏。  野田:215、海江田:177
2012年
 04月  :小沢氏無罪判決。虚偽記載認めるも、故意や共謀の証明不十分。
      北ミサイル失敗、国民へ通知遅延。
      二閣僚問責(田中防衛相と、前田国土交通相)。
      都知事、米国で尖閣購入発言。
 05月01日:支持率は22.0%(発足当時60%)
      憲法改正必要57%集団的自衛権容認6割。
 10月16日:衆議院解散





四川大地震の教訓と今後の日中関係

 二〇〇八年五月、四川省を襲った大地震の被害は死者・行方不明者合せて九万人、負傷者三十七万人、倒壊家屋二十二万棟、損壊家屋四百十五万棟という甚大なものでした。
 中でも被害の大きかったのは学校の校舎で、倒壊した校舎は四川省だけでも七千棟近くに上っています。校舎倒壊による教師と生徒の犠牲者も二万人近くに上っており、死者・行方不明者全体の二割以上を占めています。
 学校校舎だけがこのように脆かったのは、所謂「おから工事」という手抜き工事が原因で、役人が業者と癒着して賄賂を取り、建設費を浮かせるために鉄筋の数を減らしたり細くしたりして、建物の強度が決定的に不足していたためだと言われています。
 日本では考えられないことで、正に今の中国社会の腐敗ぶりを絵に措いたような悲劇でしたが、一方では日中関係に影響する感動的な出来事もありました。それは、地震で派遣された日本の国際緊急援助隊をめぐつてのことです。

 当初は外国からの援助隊派遣を頑なに拒否していた中国政府ですが、地震から三日経った五月十五日、ようやく日本政府の派遣する救援チームを受け入れると発表しました。とはいえ、地震発生後七十二時間も経過した時点での受け入れ表明は、人命救出の観点からは既に手遅れと言えるものでした。それも日本チームの案内されたところは、人命救出の可能性があるとはとても思えないようなところばかりでした。
 中国側のこうした面子のため、結局日本の救援チームは遺体しか搬出することはできませんでし
た。それでも、中国側を驚かせるようなことが、実際に起こつたのです。遺体に向かって整列し、黙祷を捧げる日本の救助隊の姿が、中国人の間で感動の輪となつて広がったのです。
 日本人の宗教観からすれば当然のことに過ぎませんが、人間をモノとしか考えない中国の風土に育った彼らにすれば、よほど心に残る出来事だったのでしょう。重慶の日本総領事館には、「祖父から日本軍の蛮行を聞かされ日本が大嫌いだったが、今回の件で日本に対する嫌悪感が感謝と尊敬の念に変わった」と感謝の電話があったそうですし、普段は反日的な書き込みで溢れるインターネットの掲示板にも親日的な書き込みが相次ぎ、「日本人民は非常に礼儀正しい。日本の救助隊はプロフェッショナルで、規律正しい」「中国人は日本人の質(人格)を学ぶべきだ」といった賛辞が次々に寄せられたそうです。

 平成二十三年(二〇一一)の東日本大震災の際にも、ネット上には同様の書き込みが数多く見られました。このように、日本人の本当の姿に接すれば、幼時から「反日」を刷り込まれた彼らとて変るのだという一繚の希望が、ここにはあるのです。

 しかし、共産党の一党支配が終焉し、中国に完全な言論の自由がもたらされない限り、そうした期待も結局は空しいものに終るでしょう。中国はその抱える深刻な国内的矛盾により、今や崩壊寸前だという人もいますが、中国の一党独裁体制が旧ソ連のように突然瓦壊すると期待するのは、甘い観測だと言わねばなりません。
 中国は、本書第十二節でも紹介したように、勿論深刻な内部矛盾を抱えていますが、他方ではその矛盾を糊塗するためにこそ、執拗な反日教育を必要としていますし、国内に鬱積した不満のはけ口を求めて、軍拡を推進し、台湾併合に向かってひた走っています。
 日本は隣国中国のこの脅威から目をそむけることなく、冷静に備えなければなりません。我が国の今後の平和と安全は、その一点にかかっているのです。





毛沢東の大飢饉』書評:草思社(フランク・ディケーター,中川治子)
             http://d.hatena.ne.jp/founder/20110823/1314083823

 本書は2011年に英国でもっとも権威のあるといわれるノンフィクション賞を受賞。過去の授賞作は、『密封国家に生きる』(邦訳2011年6月)などがある。
 本書は中国人からの評判が悪い。次期総書記と目される習近平が2010年7月の党史工作会議において、中国共産党の歴史を歪曲、誹謗してはならないと説いたという。また一般の中国人からも評判が悪いく、中国人にとって焚書の対象となっているような本なのだから、つまらないはずがない。
 本書では毛沢東と中国共産党の人類史上最大の愚挙によって4500万人もの国民が死亡し、250万人が拷問・処刑死したと主張するのだ。ユン・チアンの『マオ』によれば、当時のナンバー2であった劉少奇はソ連大使に対して、大飢饉が終息する前に3000万人が餓死したと話していたらしい。
 そもそも毛沢東は1957年5月17日の党大会で「世界大戦だといって大騒ぎすることはない。せいぜい、人が死ぬだけだ。人口の半分が殲滅される程度のことは、中国の歴史では何度も起こっている。人口の半分が残れば最善であり、3分の1が残れば次善である」と言っている。これが毛沢東の誇張表現なのか、中国共産党の統治意識なのか、中国人の宇宙観なのか、不明というしかない。
 死者4500万人という数だけが問題なのではない。あとに紹介するように、文字通りの愚策・愚行によって耕作地、木、鉄、住居、衣服、生産物まで、あらゆる資源が無駄に浪費されたため、大飢饉後には中国の多くの農村は、比喩ではなく石器時代の生活に戻ってしまったのだ。その後の文化大革命でも中国は大打撃を受け、20世紀中は米欧の資本主義国も近隣諸国も中国の脅威を気にする必要がなくなった。日本が近隣防衛まで米国任せにすることができ、それゆえに資源を経済に投入することで、高度成長できたことは毛沢東によって担保されたといっても良いかもしれない。・・・
 たとえば、農産物の生産量を増やそうとして、無謀な肥料作りを始める。糞尿だけでなく女性の髪まで切って使われる。泥と藁で作った建物も肥料にされる。麻城県というところでは肥料にするために何千軒もの家が解体されたのだが、『人民日報』が成功例として紹介したため、気を良くして、年末までに5万軒の家屋や牛舎、鶏舎が壊された。しまいには肥料にするといって農地に白砂糖を撒くという倒錯ぶりだ。
 中国共産党は愚かにも、土地を深く耕し、作物を密集して植えると収穫が増えると思いこんだ。何千万人もが自分の家を燃やして暖を取りながら夜を徹して掘り続けた。最大3メートルもの深耕は無駄であっただけでなく、結果的に表土が損なわれるという事態にも陥った。飢饉の真っ最中にもかかわらず、食糧でもある苗や種を密集して植えつけ、苗が呼吸できずに枯らしてしまうことも行った。
 いっぽうで、鉄を増産しようとして「土法高炉」なる手製溶鉱炉を作りはじめた。全国4000万人の労働者を使い50万基を建設した。所詮鉄器時代に近い製法である。クズ鉄だけでは足りず、鍋釜、農機具まで原材料として投入されたのだが、出来上がったのはやはりクズ鉄だった。クズ鉄を使って作った農機具は1年も持たなかったため、農家は文字通り素手で耕作することになる。それ以上に深刻なのは燃料だった。国内の山々は丸裸になり、しまいにはなぜか果樹まで燃やしてしまう。南京では7万5000本の果樹が倒された。
 これらの愚行で餓死者がでているにも関わらず、地方政府や官僚は毛沢東に水増しした生産量を報告していた。そのために毛沢東は大豊作だと思い込み、休耕地を増やすように指令する。余剰物は輸出に回そうということになり、農産物や木綿などの繊維製品まで輸出した。結果的に農民たちは衣服まで手に入らなくなってしまう。驚くことに千万人単位の餓死者が出ているにも関わらず、毛沢東の国際的な対面を保つために輸出は続けられ、他国からの援助は断りつづけた。
 三門峡ダムを始めとして多数のダムが作られたが、ほとんどが欠陥工事だった。1961年までに40万個の小さなダムが破損した。115の大型ダムが洪水を引き起こし、1975年には時限爆弾となったこの時期に作られたダムが決壊し、23万人が亡くなっている。
 バカバカしいことに害鳥だとしてスズメを全国一斉に退治した。当然のことながら害虫が増えた。空が暗くなるほどのイナゴに襲われ、南京付近では農地の60%が虫害にあった。やっと気づいたときにはすでに遅く、スズメが絶滅しかかっていたため、あわててソ連からスズメを輸入するという始末だ。
 自然に対してこれほどのことをやってのけた毛沢東と中国共産党である。当然、国民に対しての仕打ちは過酷を極めていた。農家は肥料や燃料として家を燃やされ、人為的な飢饉が起こっているうえに、鍋釜にいたる鉄器も取り上げられ、布団どころか衣服もないのである。文字通り石器時代に戻ったのである。その結果人々がどうなったのかは本書を読んでみてほしい。4500万人が死亡したということはその数倍以上が死の淵をさまよったはずである。当時の中国の人口は6億5千万人だった。




沖縄は日本侵略の第一歩 2011/07/03 朝刊

 中国が世界戦略の下、三軍を増強しているのは世界が周知している。実質武力で以て他国と交戦する事を前提として行動している。昨年の尖閣事件では、日本の海上保安庁の巡視船に衝突を繰り返している。南シナ海の支配、ベトナムやフィリッピンとの間でもトラブルを起こしている。自大意識ばかりで、何と質の悪い国だろう。尖閣と沖縄は日本の国土ですが、中国が虎視眈々と狙っている。
 日本は全くその逆で、お人よしと言われたらそれまでであるが、戦前戦中戦後には中国・台湾・韓国の近代化に尽力をしている。その事は、事実を知る中台韓の人々からは国の基礎を創ってくれたと感謝されている。しかし、日本が韓国と台湾を立ち直らせる為に多額の国家予算を費やして来たかは歴史の教科書には殆ど載っていない。
 日本が韓国併合をしなければ、とっくに中露の支配を受け赤く染まっていた。現在の韓国と言う国の基礎が出来上がったのも日韓併合のお蔭で有る。韓国を共産化から守ったのは日本とアメリカと言って間違いないと思う。
 その恩を忘れ、中韓は歴史4点セットを出してくる。虚偽の4点セットとは、慰安婦問題、教科書問題、靖国問題、竹島問題である。政治家が国を守る気概が無いからいつも押しまくられ、尻尾を巻いて逃げ出している。国民として恥ずかしい限りである。
 ここで、6月30日に産経新聞に載った西原正氏(平和安全保障研究所・理事長)の記事を紹介しなければならない。内容は民主党の政策で、沖縄に中国人を呼び込む為のビザの緩和を決めた事である。政府は沖縄からの要請としているが、日本の国益を損なうにもかかわらず、中国の言うがままに門戸を開いただけである。中国人への「入国ビザ緩和内容」は7月1日から施行されている。

◆新入国ビザ内容
 a.3年以内なら何度でも日本に質入国できる数字査証(ビザ)の発給
  (中間層でも一定の収入が有る者が対象)
 b.沖縄に必ず1泊する
 c.1回の日本滞在期間は最大90日(従来の観光ビザよりが15日で有ったのに
   比べ6倍も長い) 

 何故民主党政権下でこれが許されたか、規制が段々緩んで来て、仕舞いにはビザ無での入国を可能にする事を目的としているのは言うまでもない。又隠れて見えない点は、国防上重要な沖縄と言う軍事基地を中国にオープンにした事で有る。日本征服の1歩を印したと言える。
 A.沖縄に中国人が増えれば土地が買い荒らされる。特に基地周辺。
 B.観光客に紛らせてスパイを侵入させ、軍事偵察される。
  ※すでに常駐している。311でも救援そっちのけで探査していた。
 C.沖縄本島ばかりか石垣島などの情報を探り、尖閣諸島の防衛に向けた自衛隊や
   海上保安庁の動向を探る。
 D.那覇―北京間の定期航空路の実現に努力する
 E.中国の民間機が那覇空港に進行すれば那覇空港を共有する。
   航空自衛隊の活動が中国政府に筒抜けになる。
 F.沖縄が中国への依存度を高めれば高める程、政治的に利用される。
   米軍基地へのミサイルや特殊無人機などの配備を中止に追い込む為、
   沖縄への観光客の訪問中止の政治的圧力を掛ける。
 G.沖縄に中国総領事館設置の要請
 H.中国共産党による沖縄独立、併合への働きかけ
  ・反米軍基地の工作が容易になる
  ・沖縄県民の反米親中感情を醸成する
  ・沖縄大学への中国語講座開設、中国留学制度設置の誘導。
   中国人留学生(軍人)を使い尖閣諸島の領有権を主張させる。
  ・中国のデモでは「収回琉球」「解放沖縄」のスローガンが掲げられている。
   現地で沖縄独立へと導くための工作が加速する。

 沖縄の2大新聞の沖縄タイムスと琉球新報社は赤化しており、沖縄は既に日本共産党に乗っ取られてつつある。これが中国の日本支配の周到な下準備である。
 日本政府・政治家、新聞は日本人を賢く導く為に、醜い中国のやり方を国民に伝えるべきで有る。




中国では「古より沖縄は中国固有の領土」もはや常識となった:SAPIO 2011年7月20日号  提供:NEWSポストセブン

 東日本大震災・福島原発事故で混乱する日本を尻目に、中国の反日活動家たちが、尖閣諸島の実効支配を強行しようとしていたことをご存じだろうか。
 それは6月17日、1000隻の船団で尖閣諸島を包囲、上陸する計画だったのである。計画は東日本大震災などを理由に中止されたが、その裏で進む中国の領土的野心を作家・黄文雄氏がレポートする。

 昨年9月、尖閣諸島沖の日本領で違法操業していた中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりした「尖閣事件」は記憶に新しい。その時に中国で行なわれた反日デモには、「収回琉球、解放沖縄」と書かれた横断幕を掲げて行進する若者の姿があった。かつてのデモでは見られなかった文言である。中国は尖閣諸島ばかりか、沖縄にまで手を伸ばそうとしているのだ。
 中国で沖縄(琉球)は中国の固有領土であるという主張が出始めたのは、1989年の天安門事件以降である。2000年代に入ってからは沖縄を日本領と認めない言論が目立ち始めた。
 中国の雑誌『世界知識』の2005年8月1日号では「沖縄が日本の領土になったのは琉球王国に対する侵略の結果だ」「アメリカの日本への琉球返還は国際法的には根拠はない。それはアメリカと日本2か国だけの授受であって、中国は承認しない」などと主張している。
 2011年6月17日に1000隻の船団を組み尖閣諸島を包囲、上陸するという作戦「千船保釣」は資金面の問題から不発に終わったが、この行動は日本に対する、アメリカの沖縄施政権返還反対40周年を記念する「愛国活動」行事の一つだった。
 さらに中国紙『環球時報』の2010年9月19日号には「琉球は明治政府が中国から強奪したものだ。今でも日本政府は琉球独立を弾圧している。琉球人は中国の福建と浙江、台湾の人間だ」という論文が掲載された。今や中国では、尖閣諸島も沖縄も「古より中国の固有領土」であるというのは「常識」になっているのである。
 そういう中で、中国が打って出てくる次なる手は2つ。
 巡視船や武装船護衛の下で、外国漁船を包囲し、略奪するという「海賊」まがいの行動である。これはすでに台湾海峡で台湾漁船が襲撃される事件が頻発しているが、同様に尖閣・沖縄諸島周辺で日本の漁船に対する嫌がらせ、略奪行為が発生する可能性が高い。
 もう1つは、旧商船、客船を尖閣近海に座礁させ、海上ホテルをつくって、尖閣の実効支配を展開するというものだ。尖閣の実効支配と同時に観光開発による役人の「金儲け」のチャンスでもある。
 さらに注意すべきは、沖縄には今、中国共産党の統戦部の指令を受けたスパイたちがすでに潜入していることだ。「沖縄の住民自決」や「沖縄の独立」などの工作に携わっているのだ。
 日本に危機的状況をもたらしたであろう6.17「千船保釣」運動は中止された。しかし中国はいつでも尖閣・沖縄を自国のものとするための手段を講じていることを、日本人は忘れてはならない。



◇中国が用意している[沖縄占領憲法]:WiLL2012年5月号

 中国海軍の動きを見ると、彼らが狙っているのは尖閣諸島だけではなく、太平洋へ自由に航行するために必要な沖縄海域全てであり、南西諸島全ての島々ではないかと思われる。
 筆者の手元に、「琉球復国運動基本綱領」と「琉球臨時憲法九条」という中国が謀略を駆使して沖縄を奪い取ろうとしていると推測させる文書がある。尖閣諸島への上陸運動を行っている「中国民問保釣連合会」の公式サイトに書きこまれたものである。

(原文:中国語)http://www.cfdd.org.cn/bbs/thread-69800-1-1.html 2007年10月8日
−、琉球は古来より主権を持つ独立国家である。
  琉球人民は日本の琉球群島に対する植民地統治を承認しません。
ニ、琉球国の主権と独立と領土を完全に取り戻し、琉球共和国を建設します。
三、必要な時期にその他の政治組織或いは団体と
  ‘琉球国臨時政府’の建設を協議します。
四、琉球回復後の政治制度は各政党の共通認識と民衆の願望を広く募集する事を
  求めます。
五、いかなる個人、団体、党派、国家の琉球国の独立に対して疑問を持つことに
  反対します。
  琉球復国運動は終始一貫して琉球が独立を回復するために奮闘します!

 まず驚くのは、琉球復国運動基本綱領の一条「琉球人民は日本の琉球群島に対する植民地統治を承認しません」との文言である。
 「沖縄は日本から独立すべき」と考えている沖縄県民は、一%にも満たないごく一部の琉球独立派だけである。ましてや、沖縄県民の知らないところでこのような運動文書を出すこと自体、言語道断である。
 「琉球臨時憲法」を見ても、独立とは名ばかりで、条文からは沖縄を実質的に中国の自治区[琉球特別自治区]にしようという意図が透けて見える。たとえば、第七条の言語と文字に関する条文。「琉球共和国では中国語・日本語・英語を通用言語として使用できる」と書いているが、公式言語は中国語であり、公式文字は中国語繁体文字と定めている。
 琉球王国の歴史を遡っても、沖縄の日常会話で中国語が使われたことなどない。百歩譲って、沖縄が日本から「独立」するとしても、中国語を公式語にするわけがない。
 そして、琉球自治区を設立する理由として、「米国政府と日本政府はカイロ宣言とポツダム宣言に基づいて沖縄の主権を放棄せよ!」と主張する。さらに、ポツダム宣言、カイロ宣言、降伏文書の全条文を小さな中国語繁体文字で記載し、これらの条文が沖縄を中国に返す国際法的な根拠と主張している。
 重要なのは、この広告が共産党の主導の下マスコミを通じて、沖縄ではなく香港で広められているという点である。つまり、沖縄で琉球独立運動を起こさせるのが目的ではなく、中国国民から琉球自治区設立への賛同や協力を得る世論づくりを目的としているのだ。「沖縄が中国の自治区ルになる」とは、中国による沖縄の侵略といっても過言ではない。それも、あえて沖縄県民には知られないように進めている。
 中国のプロパガンダと戦う武器は、正しい沖縄の歴史、すなわち「沖縄正史」である。紙幅の関係上、詳細は別の機会に譲るが、まず「沖縄県民は日本民族である」「明や清の属国になったことはない」「沖縄は日本の被害者ではない。日本を支え続けてきた」という確信を持つことだ。
 特に、日本政府が公式に日本国民にも中国国民にも見える場で、嘘の報道をやめるよう厳重に抗議し、中国の工作を徹底的に阻止することだ。


■琉球独立運動の四大理由

 番組がどのようにして「琉球独立」と「琉球自治区設立」の正当性を捏造しているか。番組の冒頭に、見所として四つの要点が表示される。
 @日本は犯罪の歴史を全て覆い隠している。かつて琉球大虐殺があった。
 A琉球経済は立ち遅れている。日本は米軍の存在を言い訳にしている。
 B琉球独立は五年から十年の間に実現する。
 C米国は琉球の管理権のみを日本に与えた。

 番組は冒頭から日本の歴史と現状を控遺し、視聴者に沖縄が独立するのは当然と思わせる。「米国は管理権のみを日本に与えた」という詰も、事実と一八〇度異なる。沖縄が米軍の施政統治下におかれていた当時も沖縄の潜在主権は日本に残され、沖縄県民は日本人であり、施政権のみを米国に与えたのだ。これを捏造するのは、沖縄返還協定の無効を正当化するためだと考えられる。
 そして、番組の最後に「中国が琉球独立運動を支持するべき四大理由」として、次のテロップが表示される。
 @日本が第二次大戦で投降したのは事実であり、それを覆すことはできない。
 A日本ではかつて琉球の大虐殺があり、大衆の支持を得ていない。
 H日本は琉球に対して植民地統治を実施したが、世界はそれを容認していない。
 C現在でも、琉球人の七五%が独立を指示している。
 多くの嘘を積み上げて「歴史的にも国際法的にも人道的見地からも、中国は琉球を取り返すべき」という理論を作り上げ、中国国民に広げているわけだ。

 読者は「琉球独立運動は実際、沖縄の何処にも存在していないのだから、さすがの中国人も信じるわけがない」と疑問を呈するかもしれない。しかし、中国人なら信じてしまう巧みな捏造を中国共産党・唐洋風は行っている。  ⇒続き(シナの謀略U)


⇒(日中問題事系列)
⇒(大東和戦争の真実)
⇒(シナの謀略U)
⇒(民族の滅亡T:ウイグル)
⇒(民族の滅亡T:ウイグル)
⇒(民族の滅亡U:チベット)
⇒(民族の滅亡U:チベット)
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