朝鮮学校「歴史教科書」を読む より抜粋




参考文献:[朝鮮戦争−金日成とマッカーサの陰謀]文春文庫 荻原遼
     [朝鮮と私の旅ノート]文春文庫 荻原遼
     [朝鮮戦争]文春文庫 荻原遼 

 歴史も含めてニュースもそうですが、要するに革命とか人民共和国の成立とか、共産主義には崇高な目的がある。そのためにはどんな手段をとってもいいというのは、私は間違いだと思うのです。歴史の控造は朝鮮学校の教科書にいくつもあるのです。このこと自体も許せませんが、それに日本の税金を出すということが、より許せない。どんなものにも金を出すと言っておきながら、自分の国の教科書は検定しているわけだから、こんないい加減な話はないわけです。日本の教科書には検定していろいろ文句をつけているのに、明らかな嘘が書かれている朝鮮学校の教科書には検定をしない。読んで確認しようともしない。怠慢な上に倣慢です。
 本当に文部科学省の役人たちは教科書の中身を読んで言っているのか。大新聞の社説で朝鮮学校を無償化しないのは差別だ、といっせいに書きたて、それに反対する声はひとことも紹介しないのもおかしい。それが私が一番言いたいことです。読みもしないのに、この教科書が正しいという。こういう教育が正しいとなぜ言えるのかという、そもそも素朴な怒りから発したわけです。
 国会審議で無償化の方針が出されたのが、二〇一〇年の三月です。当時は三月中にも、その線で決まるかのような情勢でしたから、これはえらいことだと思って、朝鮮語のできる私の友人やメンバーを集めて、一週間で訳して、一週間で印刷して、全部で二週間で世に出しました。その効果もあって、国会でも私たちの翻訳本にもとづいて、朝鮮学校の無償化には重大な問題があるということになって、専門家会議をつくって検討する、となったのです。ですから多少手前味噌かもしれませんけれど、この本があったればこそ正しい立場に立たせたと思っています。

■朝鮮学校、文科省「思想教育問わず」:2010/08/10,13 朝刊
 朝鮮学校授業料無償化で、北朝鮮による独裁政治の思想教育や歴史教育を適用の判断材料としていない。文科省が、産経新聞の取材に対し返答した。文科省が専門家会議に提示した判断基準「教育の内容は問わない」であれば、専門家会議は何を討議するのか、その余地は無い。政府関係者は専門家へ責任転嫁をするばかり。

自民党:朝鮮学校は朝鮮総連の傘下に有り、人事権、財政、学校の方針を指導し、
    主体思想を現場で教育していることを々思うか。
文科省:事実関係は把握して無い。朝鮮学校など各種学校は都道府県の認可で、
    調べる立場で無い。法体制上、制度上、調べる権能も無い。
    どういう教育がされるかは基本的に自由だ。
元教員:すべて朝鮮大学卒業生で、日本の教員免許は持っていない。金正日への忠誠
    度(絶対崇拝)により、教員免許が与えられ、総連への加盟を強制される。
橋下知事:大阪府ではお金の問題だけではなく、朝鮮学校が認可に値するかどうかを
    検討課題としている。権力者崇拝も含め日本の教育から逸脱している。

 日本を弱体化・侵略し、ひいては国民を虐待虐殺する方法を教える学校を認可しても良いのか。そうなれば、亡国機関が大手を振って国内に乱立し、民主主義国家は日本を見放してしまう。遂には、日本人は中華民族の一部となり、皇統も途絶える。
 
 ■朝鮮学校の無償化対象外 文科省令今日改正 2013/02/20産経
文科相は「朝鮮学校は朝鮮総連の影響下にある」と述べた。約1カ月間、一般から意見を公募した結果、約3万件の意見が寄せられ、無償化対象にしない方針への賛成意見が反対意見をわずかに上回った。下村氏は「賛成、反対の多い少ないによらず、政府(第二次安倍内閣)として対象にしないと決定した」と説明した。そして、朝鮮学校10校に無償化対象外を通知した。
 ■朝鮮学校と朝鮮総連との関連 … Netより
 東京都は「総連の強い影響受けている」とし、朝鮮学校への補助金不支給を決定した。全国の自治体が朝鮮学校と朝鮮総連との関係を精査するべきだ。
  
 ■朝鮮総連の前身「祖国防衛隊」とは … Netより
 在日朝鮮人によって1950年に結成された非合法地下組織。略称は「祖防隊」。外国人登録証の更新及び未登録者(密入国者等)の強制送還が行われ、それに対抗するために結成。

 
 ◆日本国民は改めて「北朝鮮の実態」を知るべきです … 十悠のツィートより
 脱北者からのメッセージです。チャンネルは一つしかありません。インターネットはありません。人々は歌いたい歌を歌い、話したいことを話し、着た衣服を着、考えたいことを考える、自由がありません。北朝鮮は、国に認められていない国際電話を使うと処刑される世界でただ一つの国です北朝鮮の人々は今日も恐怖にさらされています
 私が北朝鮮で育った頃、一度も男女のラブストーリーに関するものを見たことはありませんでした。恋愛の本はなく、歌もなく、雑誌もなく、映画もありません。ロミオとジュリエットのようなものはありません。全ての物語は、独裁者キム達に関する洗脳をする、単なる思想の喧伝でしかありませんでした。
 1993年私は生まれましたが、生まれたとともに拉致されたも同然でした。自由、人権といった言葉を知る前にです。北朝鮮の人々は今この瞬間にも自由を求めながら死んでいます私が9才の時、私の友人の母親が人前で処刑されるのを見ました。彼女の罪は、ハリウッド映画を見たことでした政治体制に関して考えを述べることは、3世代全ての家族を投獄、もしくは処刑されることになります
 私が4才の時、私は母に言われました、決してささやくこともしてはいけないと。森、そしてネズミさえも私の声を聞いていると。私は北朝鮮の独裁者達が私の心を読むことさえできると考えていました。私の父は、私達が北朝鮮から逃げた後、中国で亡くなりました。そして私は夜中の三時、隠れて父を埋めなければなりませんでした。私は14才でした。私は泣くことも出来ませんでした。私は北朝鮮に送り返されるのが怖かったのです
 
 ◆北朝鮮の元工作員が来日して記者会見「日本人をなぜ拉致し、どう利用したのか」
 北朝鮮の強制収容所に収容され、脱北したとする人権活動家の姜哲煥(カン・チョルファン)氏(46)と、元北朝鮮の工作員で、韓国に潜入してスパイ活動をしていたとする金東植(キム・ドンシク)氏(50)が来日し、2016年4月15日に東京の日本外国特派員協会で記者会見した。2人は「一時的に北朝鮮を訪問した多くの在日朝鮮人が北朝鮮で抑留され、強制収容や処刑などの目にあっている。日本人の拉致問題同様、日本政府が関心を持って欲しい」などと訴えた。(HUFFPOSTより)
 姜氏の祖父母は在日朝鮮人で、1961年に帰国事業で北朝鮮に移住した。姜氏は平壌出身。9歳だった1977年、祖父が「民族反逆罪」に問われ、姜氏も家族とともに、北朝鮮東北部の耀徳(ヨドク)にある政治犯の強制収容所に収容され、10年にわたって飢餓や拷問などに苦しんだ。脱北し、1992年に韓国に入国。韓国大手紙「朝鮮日報」記者のほか、北朝鮮の人権状況を訴える「北朝鮮戦略センター」の代表を務める。
 金氏本人によると、金氏は18歳で工作員に選抜され、1980年から95年までで労働党対外連絡部で工作員として活動していた。1990年と1995年の2回、韓国に派遣されて工作任務を遂行したが、2回目の任務中に韓国で拘束された。現在は韓国政府傘下の研究機関で研究員として活動している。日本の北朝鮮人権団体「NO FENCE」関係者によると、2013年11月に日本人の拉致被害者を「救う会」の招きで来日し、拉致被害者家族らに情報提供している。
 2人の主な発言と質疑応答のやりとりは以下の通り。

■「10万人の在日朝鮮人が北朝鮮に抑留されている」

姜:国連人権理事会の報告書では、日本人の拉致問題にも多くの記述が割かれているが、10万人の在日朝鮮人が収容所に入れられたり処刑されたりするなどしている問題はぞんざいに扱われている。在日朝鮮人が一時的に北朝鮮を訪問し、一方的に抑留されるケースが多い。日本政府が真相を明らかにして問題化すべきだと考えている。
 私が収容所にいるとき、イ・セボンという友人がいた。その友人は日本から一時訪問団で来て抑留された。父親がすでに収容所に入れられていたので、連座制で捕らえられたのだ。他の事件でも、多くの在日朝鮮人が一時的な親戚訪問などで北朝鮮に行き、北朝鮮当局に一方的に抑留されるケースが多い。かつて在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の金炳植(キム・ビョンシク)副議長も、権力闘争の末に北朝鮮を訪問したまま日本に戻れなくなったことがあったが、日本政府は出入国記録を詳細に見れば、北朝鮮に永住帰国したわけでもないのに戻ってこない在日朝鮮人が多いことがわかるはずだ。日本人の拉致被害者だけでなく、在日朝鮮人の抑留問題も国際社会が関心を持って欲しい。

■「張成沢の部下は高射銃で処刑された」

 金正恩政権になってから人権状況の変化についても申し上げたい。就任初期、父と違う人権政策をやろうとした。北朝鮮の保衛部が人民を収監、処刑するのを制止しようとして、公文書をあげると「再考せよ」「検討せよ」と、父よりは慎重にやろうとした。そのために多くの幹部が、金正恩時代は変わるのではないかと期待した。国際社会がもっとも関心を持つ政治犯収容所についても、どの国にもある刑務所と同じように運営しよう、刑務所と合併して国際社会の批判を避けようと、実際に北朝鮮で最大規模の会寧(フェリョン)収容所を解体した。
 私が収容されていたヨドクが国際社会に知られ、象徴的な場所になったので、ここも解体しようと準備した。しかし突然、2013年末に張成沢(チャン・ソンテク)が粛清された。いろいろ理由はあるが、張成沢が北朝鮮の改革開放を通じて体制変化を試みたと言われる。これによって金正恩の本性があらわになった。部下だった労働党の張秀吉(チャン・スギル)、リ・リョンファは公開処刑されたが、金正恩の指示で「死体をなくせ」と言われた。北朝鮮の処刑方式は普通、頭、胸、足に3発ずつ撃ち込むが、2人は初めて、飛行機を撃ち落とすのに使う高射銃で240発を撃ち込んだ。死体は完全にぐちゃぐちゃになった。北朝鮮の高官たちは皆、これを目撃した。張成沢の最側近だった人民保安省の局長級幹部も火炎放射器で火をつけた。こんな処刑方式は金正日時代にはなかった。それから金正恩の狂気が始まり、粛清を通して5000人の政治犯が新たに生まれた。収監するところがないので、解体するはずだったヨドクはむしろ拡張した。
 そして昨年末、労働党組織部の副局長だった8人が処刑された。張成沢粛清より大きな事件だ。なぜなら金正恩体制の核心幹部だった人々が、中国と内通し、勢力下に入ったからだ。この8人も同じ方法で高射銃で処刑された。今は北朝鮮の高官は「金正恩は気が違ったのではないか」と疑っている。処刑を目撃した人にすれば、無残きわまりないからだ。
 労働党の統一戦線部の対南部署では、国際社会の人権問題の指摘に反論することに集中している。一部の脱北者の証言に間違いを見つけて集中的に攻撃し、国際的にアピールする専門部署ができた。脱北者の証言の信用を墜落させ、人権問題への指摘を防ごうと北朝鮮は努力している。代表的にシン・ドンヒョク氏の問題がある。自身が収容されていた収容所について、「18号収容所」だったのを「14号」と言っていたのを北朝鮮が見つけ、攻撃したのだ。北朝鮮内部では大きな功績と評価されている。しかし政治犯収容所の存在は、1人や2人の証言が間違っていたからといって覆る状況ではない。2300万の北朝鮮人民はみんな見聞きしていることだから、北朝鮮は無駄な努力をしている。
 そして、国際社会は今、北朝鮮の人権問題をやり玉に挙げている。国際社会が核や他の軍事問題で批判しても、北朝鮮は「核はアメリカにもフランスにもあるのになぜ我々は持てないのか」と人民に説明できるが、人権問題は金正恩を除くほとんどの幹部や人民に関わってくるので、人権問題で攻撃されるのはかなわないと思っている。
 北朝鮮は国連でどれだけ追及しても知らん顔だ。影響がないことはないが、体制を圧迫はしない。一方で日本政府がやっている、民間支援を含めた支援中断は非常に効果を上げている。しかしアメリカやヨーロッパは、民間団体が多くの支援をしており、政府も制止しない。日本式の対北制裁を国連中心にやって、国連を中心に北朝鮮の人権改善を目標に制裁をすれば、北朝鮮も圧迫を感じるだろう。

■「拉致被害者は工作員に日本語を教えている」

金:日本の拉致被害者をなぜ拉致し、どう利用したのか、知っていることを知らせたい。
 ご存知の通り北朝鮮は5人の拉致被害者を返し、残りは「死亡した」とした。私は、死んでいないと考える。北朝鮮が戻せないから、戻さないという意味で「死亡通知書」を送ったのだ。返せない理由は、彼らを工作員として利用しているからだ。北朝鮮は日本人も韓国人も拉致したが、もっとも根本的な目的はスパイとして利用するためだ。
 実際にスパイとして活動している日本人もいる。1992年、韓国でスパイ活動して北朝鮮に逃げた夫婦スパイもいる。2人は中国系マレーシア人として、韓国国籍を取得し、マレーシア食堂を営んでいた。しかし仲間のスパイが捕まり、香港経由で北朝鮮に脱出した。その妻は実は日本人だった。日本人はその当時、韓国にいる当時、チョン・オクチョンという中国名を使っていた。今も北朝鮮で生活している。
 そして工作員として活用できない拉致日本人は、日本に派遣する工作員に日本語を教える教師をしている。私がいた連絡部でも、正確に何人かは知らないが、2~3、数人いた。もちろん亀井だろうが、田中という名前を使った日本人教師がいた。彼らは工作員たちが生活する平壌の招待所のある区域で、日本語を教えていた。工作員の名前や顔を知っているから、日本に返したら莫大な国家機密が露出することを恐れて返せないのだ。今後も日本政府がどれだけ努力してもスパイを返すことはないというのが私の考えだ。
 北朝鮮は日本人だけでなく、在日朝鮮人も拉致した。一つの例として、イ・ソンシルという大物工作員が1980年に永住帰国として韓国に入国したが、そのとき使った名前がシン・スンニョといったが、これは日本に住んでいた在日朝鮮人だ。北朝鮮が工作船でシン・スンニョを拉致し、その戸籍を利用して韓国に入国するのに成功した結局、拉致問題を解決しようと思えば、人権問題を包括的に解決しなければならない。私は18歳から南派工作員をしていたが、任務の途中で捕まったことを理由に家族はみんな粛清された。両親にまったく罪はないのに父母や家族を処刑するなど、あってはならないことだ。国際社会が力を合わせなければいけない
 北朝鮮は幼い工作員もいる。日本に住んでいた12、13歳を工作船で拉致して、北朝鮮の同い年の工作員を日本に送り込もうとしたが、失敗した。目的のためなら我々の想像もつかない行動もするということだ。日本に住む在日朝鮮人の家族、北朝鮮に帰国した人の家族もスパイとして最大限活用している。私が工作活動をしていたときも、大阪に住む在日朝鮮人を通信拠点に使ったことがある。みなさんが関心を持ってくれることを期待したい

【質疑応答】

.なぜ工作員に選ばれ、韓国で具体的にどのような任務をしていたのか。
:北朝鮮では毎年、中等学校を卒業する生徒を対象に、エリート層の中から工作員を選抜している。体力検査、身体検査、書類審査、面接などを通じ、選抜だけで1年かかる。選ばれると、卒業の6ヶ月前に労働党に通知される。勉強もできなければならず、身体能力も抜きん出ていなければならない。私のときは5人が選ばれた。おそらく毎年10人前後だろう。その5人に工作員教育をする。私の韓国での任務は1992年5月から約6ヶ月、2つの任務を帯びていた。10年間、韓国でスパイをしているイ・ソンシルという工作員に接触して、北朝鮮に安全に連れてくること。2つめは韓国の反体制的な人物を取り込んでスパイのネットワークを構築することだった。最初は完璧に遂行して、1995年10月、イ・ソンシルと韓国で取り込んだスパイ1人を連れて平壌に帰った。1995年9月から10月まで、工作員として2回目の韓国入国をした。すでに韓国に潜入していたスパイを北朝鮮に連れて帰ることと、また反体制的な人物を取り込んでスパイネットワークを構築する仕事だった。しかし完全に遂行できなかった。僧侶に偽装したスパイに接触しようとして、現場で銃撃戦となり、私は捕まった。

.子供を工作員にしていたという証言について、もう少し具体的に。
:日本に工作船で送って日本語と文化を学ばせようとした。しかし帰国後に「北朝鮮では『日本の暮らしは苦しい』と教わったのに、実際は日本の暮らしはいいじゃないか。なぜ嘘をついたのか」と異議を唱えたので、中断した。

Q.マレーシア人を装った女性が日本人だとどうしてわかったのか。
:私が北朝鮮にいるとき、幹部から伝え聞いた。もっと詳細にいうと、1980年代末にこの夫婦が韓国に入国した。ソウルの江南でマレーシア食堂をしながら、反体制的な人物を取り込んでスパイのネットワークを作っていた。1992年に「中部地域党スパイ事件」という大型スパイ事件が韓国で発覚した。マレーシア人が関わるスパイのネットワークが捕まったので、自分たちに捜査が及ぶことを恐れて香港を通じて北朝鮮に脱出した。北朝鮮で金日成総合大学に行き、夫は1998年に再び韓国に渡ったが、帰任する途中で工作船が撃沈されて死亡した。韓国の政府機関で分析した結果、1998年の死んだのは韓国でチン・ウンバンという名前を使っていたスパイだと確認した。そこで夫婦の名前と人定も確認した。

.北朝鮮はなぜ日本人や在日朝鮮人の拉致について知らないというのか。
:北朝鮮が知らないはずはない。彼らにとって調査する必要もないことだ。拉致日本人と韓国人は労働党で徹底的に管理している。
:在日朝鮮人はたくさん抑留されているが、日本政府が日本人拉致にしか関心を持たないから、北朝鮮はやりたい放題だ。日本政府が出入国記録をもとに調査しなければいけない。同様に、中朝国境で1990年代後半に、韓国人協力者や脱北者を助ける中国の朝鮮族を拉致した。これも中国が関心を持たないからやりたい放題だったのだ。

.シン・ドンヒョク氏が証言の一部を虚偽と認めたという報道について、韓国メディアの責任をどう思うか。
:かつて同様のケースがあった。イ・スンオクという人物は、价川(ケチョン)の女性第1収容所に入れられていたが、シン・ドンヒョク氏と同様「14号収容所にいた」と言った。一般収容所ではなく、政治犯収容所にいたと言えば政治犯となって、国際社会から認められて価値が上がると思ってそんな嘘を言ったのだろう。ただ、彼女の本は韓国で出版されたが、外国語に翻訳されなかった。シン・ドンヒョク氏の本は翻訳されて有名になった。記者が本を書くとき、他の脱北者に何人か集中的に取材すれば確認できることだったが、本人から一方的なことばかり聞いて書いたから、北朝鮮が把握して、格好の攻撃材料となった。韓国に住む脱北者は2万8000人に上るから、誰か嘘を言ってもすぐにばれる。シン・ドンヒョク氏は脱北者社会と折り合えず海外に渡ったので検証する機会がなかった。しかし収容所出身の一部の脱北者が、シン・ドンヒョク氏に対して疑問を提起していた。私自身、「14号収容所から脱出してきた人は未だ一人もいない。そんなの不可能だ」と思っていた。しかし「出てきた」と言うので驚いた。私の疑念が的中したのだ。

.日本の赤十字などがしている北朝鮮への人道支援についてどう思うか。
:家族がいるので人道支援を支持しなければいけないが、私が人道支援に賛成できないのは、北朝鮮に人道主義など不可能だからだ。支援しても(支援が現場に行き渡っているか確認する)モニタリングができない。反人道国家なので人道主義が通じない。1995年からずっと人道支援をやっている。ずっと災害があったということだ。これは体制の問題だ。しかし「人道支援」にしてしまうと、体制の問題だということを北朝鮮の人民も認められないのだ。
 
 ■朝鮮人志願兵
 マズいよ、朝日新聞。こういう記事は図書館で焚書にしたうえ、検索解除のソースを入れておかないと! お仲間の朝鮮総連は、「朝鮮志願兵は強制連行被害者だ!」って主張しているんだよ。採用を懇願した金乗学君の昭和13年記事をそのままにしたら、謝罪と賠償を要求できないじゃないか!
 朝日新聞が39年、志願者訓練所の生徒300名が東京を視察し、陸軍大臣から激励を受けたほか、参謀本部、警視庁などを見学。朝鮮志願兵が都内を行進したとある。嘘がバレバレじゃん!
 
  


 全体を通していえるのは、彼らとして一番教えたいのは、歴史というよりも、金日成の正当化だということです。金日成がいかに偉大な指導者であるかという架空の偶像づくりに、教科書というかたちを利用している。翻訳した私としては、そんな感じを受けました。
 歴史というのは、過去に起こつた事実を教えることで成り立ちます。たとえばアメリカならジョージ・ワシントンとか、モンゴルだったらチンギス・ハーンとか偉大な人物がいますが、そういう人たちは本当に民族の国づくりに貢献しているわけです。ところが金日成はまったく貢献しないで、ソ連にかつがれて途中からひょいと出てきた人です。それをごまかすために歴史教科書が書かれているという感じです。
 金日成の抗日闘争史なるものは、全部中国共産党のためにやっていたわけです。中国共産党の満州省委員会の下にいたわけですから、すべて中国人民のためにやっていて、自国のためにはほとんど何もしていなかったに等しいのではないでしょうか。その後はソ連の傀儡になって北朝鮮に連れてこられた。
 教科書全体から受けた印象のもう一点は、日本を悪者にしているということです。徹頭徹尾、日本というのが悪い。これは韓国の教科書も共通するものがあるけれど、ずっと独立国だった朝鮮の自主性を日本が己の欲望で踏みにじって、その後も圧政を繰り返して何の貢献もしていない、という恨みで貫かれている。これを読んだら日本嫌いになるのは当然ですね。



◆なぜ、教科書が門外不出なのか。

 外部に持ち出してはいけない、見せてはいけないという厳しい統制があるからです。教科書には名前を書かせ、使い終わったら返却することになっています。理由は簡単で、全ての教科書について中身を日本人に知られたくないからです。ですから教科書も機密文書と同様の取り扱いとなっています。

 ■まるで、カルト宗教 … Netより2014/10/29
 朝鮮学校は、小学生の時からこんなの見せられて、教育されてる。学校には、何処に行っても金日正、金正日の肖像画が飾られてる。僕も、見てます。


◆社会主義への幻滅
 一九七二年に赤旗の記者として平壌に行って、一番目が覚めさせられたのは、社会主義への幻滅ですね。つまり社会主義、共産主義と言いながら、何のことはない、人民は奴隷ではないか、と。まるで虫ケラのような扱いではないか。行くときはソ連経由でした。そのときにも、ソ連では、たとえばわれわれ共産党の代表団がエレベーターに乗るとき、向こうの党の幹部も一緒に乗ります。そうしてエレベーターに一般の人が乗ってこようとすると、たぶん「降りろ」という意味のロシア語だと思うのですが、すごい剣幕で怒鳴りつけるのです。怒鳴られた人民のおどおどした姿を見て、「これは何だ、どこが人民主体の国か」と思ってしまった。そんなことを、ソ連ですでにいくつか見聞きしました。そして北朝鮮に行ったら、ソ連を上回るひどさでしょう。人民は奴隷ですよ。


◆朝鮮学校は今

 朝鮮学校の在校生の数は、日本全国にある小、中、高、大学校全部を合わせて七〇〇〇人を割ったといわれます。朝鮮学校自体が秘密組織のように実数を公表しませんので、あくまで推定ですが、かつて三万五〇〇〇人いたのが、いま六九〇〇人ぐらいになっている。統廃合は頻繁で、生徒は一クラスといっても二〇人ぐらいしかいないのです。
 ところで朝鮮学校は今回の無償化とは別に、以前から全国の地方自治休から補助金と称するお金を受け取っていて、その額は全国で約八億円なのです。ちなみに、授業料無償化が行なわれた場合、国から支給される額は二億円弱といわれます。ところが無償化の議論が起こつて、この補助金を凍結する自治体が続出しています。東京都は、一億三〇〇〇万円前後ですが、二〇一〇年に石原都知事は全額カットしました。だから東京の総連は、大きな痛手だと思いますね。高校は二〇〇〇人前後といわれます。
 それで国籍の割合も、韓国籍が増えているというので、八(韓国籍)対二(北朝鮮籍)の割合だと言っていました。
 一九四八年に大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国ができた当初は、在日朝鮮人の国籍の割合は、北朝鮮が九、韓国が一でした。それが日韓基本条約締結の六五年に逆転します。パスポートに しても、韓国籍と北朝鮮籍では、得られる恩恵に大差があります。日本の学校がいいということは在日朝鮮人の親たちはよく知っています。先生も水準が高いし、日本の学校に行けば大学受験資格が得られるでしょう。優秀な子は医者や弁護士になるわけです。それから不動産鑑定士とか、弁理士、公認会計士とかいろいろな国家資格があります。

 ■【小坂英二】無償化より深刻な、外国人学校保護者補助金制度 [桜 H23/10/24]
 朝鮮学校(明確に朝鮮総連の下部組織)への無償化適用審査が問題視されているが、実はそれよりも深刻な「日本人逆差別」ともいえる補助制度が長年運用され、巨額の税金が投入されてきた事実をご存じだろうか?
 小中学校年齢の保護者に対する補助金が全く知られていないが、23区全体に制度が有り、自治体により違う。一番多い江戸川区では、朝鮮学校だと16000/月、中韓学校だと15000/月、以外は支援しない(最低、月6千円)。一人当たり、年間19万2千円の補助がある。昭和58年から制度化された。収入制限ほとんど無し。国立市と鴻巣市が制度廃止を行ったが、全国からの総連の猛烈な抗議があり、廃止した。また、私が議会で廃止を述べると、朝鮮に悪いことしたから当然だ、俺は誰それを知っているから口出ししたら政治生命は無いぞと脅された。
 自分の意思で公立学校へ行けるのに、特殊学校に通うのに、行政支援は必要ない。ましてや国益を損なう朝鮮総連の下部組織の朝鮮学校に支援する必要は無い。
 ■民主政権が一人15万円を在日にばら撒いていた(正論1月号、P98-P103より抜粋)
 社会福祉協議会(以下「社協」)という「民間団体」がある。実質的には、役人お得意の天下り先確保などのための名目上の「民間団体」なのだが、社協には以前から、誰にでも十万円を貸しつけてくれる制度があった。この制度も民主党政権になってから恐るべきバラマキヘと改悪されている。
 貸付額を六十万円、あるいは毎月最低十五万円(最長一年間で計百八十万円)とし、貸し付けの種類もこれ以外にも増やした挙句、保証人なしでも借りられるようになったのである。利率も保証人がいればなんとゼロ%、いない場合でも年1.5%という低利で、返済期間は二十年である。
 私たちの窓口実験で、東京のある区役所の担当者がこの制度について、次のような話を聞かせてくれた。「緊急小口という制度が祉会福祉協議会にあったが予算がない。みんな返してくれないから予算が底をついちゃっている」
 保証人が不可欠だった従来でさえ返済しない利用者が多かったのだから、保証人を不要にすれば、ただのバラマキである。民主党が、予算も考えず無計画に人気取り政策をぶちあげては、現場の役人や本当の弱者を困らせていることを裏付ける証言である。
 更に民主党らしいのは、朝鮮総連や民団などの外国人組織を含む民主党支持団体にしかこれらの制度改悪がほとんど知られていないという点だ。そのため、彼らが予算を食いつぶしてしまい、それ以外の国民が申請に行っても「予算がもうない」と言われる始末なのである。
 以上はあくまでも、私が仲間の協力を得て個人的に、数年かけて調べたり体験してきたりしたことばかりである。他にもバラマキがあっても不思議ではない。今回たまたま本誌編集部から記事化を提案されたが、各マスコミがこの実態を無視するようでは、日本の財政破綻はもはや決定的である。


偽装韓国籍者

 国籍を移して韓国人とはいっても、実質は北朝鮮人という人、いわば偽装韓国籍者がたくさんいるからなのです。朝鮮総連系の活動家の人は朝鮮国籍を変えませんが、北朝鮮出身でも、総連系でない人は便宜上、韓国籍にしてしまう。でもアイデンティティーはあくまでも北朝鮮という人は、まだまだ多い。
 私のある友人は、ずっと朝鮮総連にかかわっていて、国籍も朝鮮で、自分もそれが当たり前だと思っていたところが、専門学校のパソコンか何かの先生になって、修学旅行で学生たちを連れて香港に行ったら、自分だけ入管で二時間足止めされた。入国目的は何か、などといったことをいろいろ聞かれた。その間、二〇人ほどいた子どもたちをみんな待たせてしまって、とんでもない迷惑をかけたから、これからはもう韓国籍に切り替える、と言っていました。そういう事情もあるのです。韓国のパスポートならすんなりと入国させてくれる。それ以外にも、加えて、韓国に工作員として潜入させるためにも韓国籍が必要なのです。
 朝鮮人には当時は金は貸さないというのがあり、相互扶助的な朝鮮信用組合が出来た。その恩恵に浴していたのが金日成や金正日で、彼らが乗り出してきて自分らの資金源にしたために、めちゃくちゃになりました。だけど、元はよかったのです。
 朝鮮学校も、元は子どもたちが掘っ立て小屋のようなところで勉強していて、それを見かねた日本人がわれわれも手伝うと言って、校庭でローラーを押したりして地ならしを手伝った。校舎が雨漏りして、子どもたちが傘をさして授業を受けていると、かわいそうだと言って、東京の大田区などは議会で決議して補助金をあげたり、屋根を葺くお金を出してやったりした。麗しい日本と朝鮮の交流から始まっているのです。差別もあったけれど、逆に日本人もいろいろなことをしてあげた。私もローラーを引いた一人ですからね。


朝鮮学校は、なぜ「各種学校」なのか

 カリキュラムは門外不出で絶対に見せないのです。当時の橋下大阪知事が大阪朝鮮高校に行きました。すると、まったく普段とは別のカリキュラムを持ってきて見せるのです。平壌の観光ツアーと同じで偽装するのです。それはもう秘密組織です。表面的には「こんなふうにやっています、日本と同じです」と言いながら、実態は見せない。
 各種学校ではなくて、なぜ専修学校にならないのかといえば、専修学校では、一応カリキュラムを日本の文科省が決めるからなのです。その点、各種学校だったら、料理学校と同じで、何でも自分たちで好きに決められる。中華街にある中国人の学校も同じですね
 各種学校の認可は自治体ですから、文科省ではなくて、自治体の首長にとりあえず許認可の権限があるわけです。朝鮮大学校にしても、あれは東京都の認可なのです。美濃部さんのときに認可しました。以前ならば朝鮮大学出身者は調練の幹部候補でエリートでした。しかし、現在はただ大学卒という肩書だけで、同胞の間でちょっと威張れる。そんなわけで、パチンコ屋の親父が「おまえ、朝大でも行け」というふうなかたちで無理やり行かせる。それで女遊びはする、ベンツは乗り回すというよたった学生が多いというので、家庭教 師の彼女は嘆いていました。
 朝鮮学校は工作員の養成所であると、気づいた卒業生が言っている。こういう教科書で教えられたら工作員になるんだということをはっきりさせて、朝鮮学校は一旦解散させるべきだと思う。

■拉致幇助と麻薬密売
 朝鮮学校の卒業生のなかから、麻薬の運び人が出ていることはたしかです。実際に麻薬の運び人で摘発された人のことを、私どもの雑誌である「光射せ!」の第5号で川人博弁護士が書いています。一九七八年にヘロイン密輸事件というのがあり、朝鮮学校で教師が生徒にやらせたのです。
 それどころか、拉致幇助は朝鮮学校を出た人間の存在なくしてはありえない。たとえば日本の海岸線には、北朝鮮の接岸ポイントというのが八十何カ所あるらしいです。
 向こうの船には親船がいて、ボートで深夜に来るわけです。それも闇雲に来て、どこへでも行くわけにはいかないのです。接岸ポイントを懐中電灯で案内したりするのは全部、総連の連中なのです。しかも一定の教育を受けて、現地から来た者に「こつちへ来い」と朝鮮語で連絡できる程度の学力のある、そういう連中の手引きなしには拉致などできません。
 拉致をやるには、一人の人間を数年間は尾行しないといけない。対象の人物が毎日、何時にここを通るのか、そこまで調べ上げて、鳥取県米子市の松本京子さんはさらわれたのです。この道を通って六時に帰って来る。母親と夕食をとって七時からは近所の編み物教室に行っている。そのときは、この道を行くと近道である。それを全部調べ上げて、そしてその時間帯に工作員を待機させて、運んでいる。こんなことが、北から来た西も東もわからぬ工作員だけでできますか。

 ■拉致実行犯を初聴取  2013/05/28産経
 〜未発覚は数十人規模か…漁船の若者連れ去り、残りは船ごと沈めた〜
 脱北した朝鮮人民軍元幹部が軍の指令を受けて1980年代に日本海で漁船の日本人乗組員を拉致したと証言している。政府当局が拉致実行犯を名乗る脱北着から聴取したのは初めて。
 元幹部は、軍の工作機関による海上での拉致は60年代から80年代にかけて頻繁にあったとし、「若者だけを連れ去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言した。事実なら、拉致被害者は数十人規模に上る可能性があり、対策本部は調査を始めた。
 元幹部によれば、青森県沖で80年代、5人前後が乗った漁船を襲い、30代男性を連れ去った。残りの船員らは船ごと沈めたという。海上での拉致は「対日漁民作戦」と名付けられ、「対南(韓国)漁民作戦」と並行して、62〜85年まで繰り返し実行された。
 日本海側の元山近くなどを拠点に計約120人の部隊が編成されていたという。作戦に使われた工作船は、船体に漢字で「00丸」と善かれた日本の中型漁船を装ったもので、十数人の工作員が乗船し、2〜5人ほどが乗った中小漁船を標的にしたという。
 ■北、日本で原発テロ計画 〜軍元幹部ら証言韓国開戦直前に〜 2013/05/29産経
 北朝鮮の朝鮮人民軍が対韓国開戦直前に日本全国にある原子力発電所施設に特殊工作員計約600人を送り込み、米軍施設と同時に自爆テロを起こす計画を策定していたことが28日、軍元幹部ら脱北した複数の関係者の証言で分かった。計画実施に向け、工作員を日本に侵入させ、施設の情報収集を重ね、日本近海でひそかに訓練も行っていたといいう。
 原発は福井や新潟など日本海側に加え、太平洋側の施設も自爆テロの対象とされた。
 作戦のため、現地の協力者らが施設周辺を撮影するなどし毎年、情報を更新。特殊工作員が潜水艇で日本に上陸、施設内に忍び込んで情報収集することもあったという。情報を基に施設を忠実に再現した模型が作られ、机上演習が重ねられた。
 北朝鮮による対南侵攻にとって最大の脅威は沖縄などに駐留する米軍だ。元幹部によると、日本全体を米軍を支える「補給基地」とみなし、米軍に先制するため、開戦前の対南テロに加え、対日同時テロが策定されたという。
 原発が最重要ターゲットとされたのは、爆破すれば、「甚大な損害を与えられ、核兵器を使う必要がなくなる」(元幹部)との思惑からだという。さらには、広域に放射能が拡散することで「日韓両国民の間に戦争に反好する厭戦ムードが広がり、日米韓の戦意をそぐ政治的効果を狙った」と元幹部は説明した。
 ■金総書記が原発テロで命令「日本を人が住めぬように」2013/05/29産経
 北朝鮮の朝鮮人民軍元幹部らの証言で新たに判明した原発同時自爆テロ計画は、金正日総書記の指示下に策定されたとされ、金総書記は「決死隊の同時攻撃で日本に人が住めないようにしろ」とも命じていたとぃう。
 元幹部によると、潜水艇による日本への侵入も繰り返され、「日本にはスパイを取り締まる法律もないと聞かされており、日本上陸時は銃も携帯しなかった。韓国に比べ浸透は非常にたやすかった」「発見されずに上陸でき、情報収集のための工作員浸透も90年代に最も頻繁に行われた」とも。テロの脅威を前に原発警備のあり方が問われている。
 元幹部らによると、北朝鮮は日本の原発稼働前から関心を持ち、「1960年代には、攻撃対象として注目していた」という。核開発を進める北朝鮮だが、ミサイルに搭載する核弾頭の軽量化には至っていないとされる。それに比べ自爆テロは「核兵器を使うより威力がある」手っ取り早い手段とみなされたれた。
 元幹部によると、北朝鮮も計画の再考を迫られた。96年9月に韓国の江陵市で北朝鮮の潜水艦が座礁、工作員ら26人が韓国側と銃撃戦を繰り広げた。それ以降は浸透の頻度は低下したが、潜水艇による侵入はその後も続けられたという。元幹部は「金正恩政権になってもテロ計画は生き続けている」と言う。
 拉致被害者については「北朝鮮は絶対、送り帰さないと思う。殺害という犯罪が明るみに出てしまうからだ」と説明。工作機関は「依然、日本や韓国の海岸にひそかに浸透している」とも警告した。
 ■海上拉致「容易だった」を、民主党政権は無視。 2013/06/01産経
元幹部は昨年6月頃、在韓日本大使館の職員に証言を伝えていたが、情報は棚晒しだった。そして、安倍政権が調査に着手したのだ。なんと、金日成は発覚を恐れ「年1〜3回に抑えるよう命じた」と云うではないか。これを聞いて、過去の海難事故、政府が再調査するのは当然だ。だが、民主党は311でも、ここでも日本国民を見殺しにしていたのだ。


◆在日は「朝鮮学校をつぶしてくれ」と思っている

 六〇年代の帰国運動というものがあって、一〇万人が北朝鮮に行きました。向こうでは、いま三世、四世の代になっていて、四〇万人くらいの子孫がいるのです。彼らは北当局に脅されて、向こうで人質にされているのです。それで何やかや、金を送れとかと言ってくるわけです。さらには、「朝鮮初級学校に、孫の何とかを今度行かせろよ」とか、「中学校に行かせるのだろうな」と催促してくる。「朝大に行かせろよ」と北にいる人質に言われて、それを断わったら、その人質に取られている人がどんな目に遭うのか在日の家族や親戚もよく知っているから、嫌々行かせている。
 在日の父母たちが私たちに密かに言ってくるのは、「日本の先生方、頑張って朝鮮学校を早く潰してくれ」ということです。自分の親類縁者が人質に取られているから、表立っては言えない。北朝鮮にいる人質が「朝鮮学校に行かせろ」と言っても、学校自体がなくなってしまえば、もう行かせるわけにいかないから、親は大助かりするわけです。
 余談ですが、実は今回の教科書の翻訳が出て、一番喜んでいるのは、朝鮮学校の生徒なのです。なぜなら、予習する必要がなくなったからです。原本の教科書は、当たり前ですが、全部ハングルで書かれています。在日の彼らにとって、日本語を読むのは何でもありませんが、ハングルを読むのは大変なのです。ハングルで教科書を二ページ読むのに、いまの子どもの水準だと、予習におそらく一時間かかりますから。
 ■産経:地獄の思想教育「祖国守る覚悟示せ」 容赦ない怒声。2016/05/05
 朝鮮大学には特別な学部が2つある。朝鮮総連幹部を輩出する政治経済学部と、日本の小学校に該当する朝鮮初級学校の校長を養成する教育学部(3年制)だ。それぞれ金日成と金正日親子のお言葉によって「特別な学部」と定められた。ただ、同大は公の場で認めたことはない。
 両学部の在校生は卒業が近づくと、決まって研修旅行名目で北朝鮮へ渡航する。北朝鮮当局管理下の訓練所に3カ月以上も籠もり、金一族を神格化した革命史や朝鮮労働党の方針をみっちりとたたき込まれる。つまり、思想教育の総仕上げを本国で行うのだ。
 朝青は全在校生の加入が義務づけられ、思想チェックは熾烈(*毛沢東と同じやり方)を極めた。同大寮の一室。指導員の男性は夕食後、ある班の在校生6人を床に座らせて仁王立ちになると、ある新入生を名指しした。
 「祖国(北朝鮮)を守る覚悟を示してみよ」
 「敬愛する金日成首領様や金正日将軍様が送ってくださるお金で毎日、勉強できることを忘れたのか。明日の夜までに反省文を持ってこい」
 こうしたやりとりが夜まで続いても、飲食すら許されない。自己批判が足りないと何度も書き直し。来る日も来る日も…。些細なことをやり玉に挙げ、長期間の徹底した個人攻撃で相手を支配下に置く。金一族への服従を強いる忠誠心を競わせるためにほかならない。
 ■産経:非公然組織メンバー育成 あらがえない宿命に悲哀。2016/05/08
 朝鮮大学、全寮制で寝食をともにする仲間の不審な行動に興味がわいた。学費・寮費を免除されている「給費生」や、思想・出身成分に優れた「熱誠者」に限って隠密行動が目立つ。
 やがて男性は、彼らが空手やテコンドーの厳しい訓練に明け暮れていることを知る。女性の在校生もいた。北朝鮮の朝鮮労働党に直結するこうした非公然組織は同大内にいくつもある。
 今年2月、同大の元経営学部副学部長が詐欺容疑で警視庁公安部に逮捕された。同大理工学部の教員の多くは、北朝鮮のミサイル開発を後押しする在日本朝鮮人科学技術協会(科協)の会員を兼ねている。そして、同大を起点に、非公然組織メンバーの育成とスパイ工作が疑われる同大元幹部の逮捕が行われたのだ。朝鮮総連が北朝鮮に盲従し、同大を「組織の生命線」として支配下に置く限り、この構造が変わることはない。
 2月に卒業生に配られた創立60周年を記念した朝鮮大学校同窓会会報には卒業生の就職先が列記されている。教員・学校関係34%、同胞団体・機関職員18%、経済団体・金融機関18%。ほとんどが朝鮮総連系の企業・団体だ。
 しかも、卒業生が「金正日同志に捧げる歌」とした合唱公演の写真が掲載されるなど、金一族崇拝の念が随所に垣間見える。




独立門の嘘

■朝鮮学校教科書
 ソウルで最初の近代的な政治団体である「独立協会」が組織された。
 「独立協会」は「迎恩門」を打ち壕し、その場所に独立門を建て、「慕華舘」を独立会館と名前を変えた。これが人民の民族自主精神を呼び起こす上で助けになった。「独立協会」はまた、国文で書かれた「独立新聞」を発刊し、日帝の侵略を防ぎ、国の独立を守るための精神で人民を啓蒙し目覚めさせた。

 これはあきらかに歴史の捏造です。大酒皇帝功徳碑というのがあります。一六四〇年代、大陸で明が清に負けてしまいますが、満というのは北方異民族の国家で、儒教からいうと野蛮人です。当時の朝鮮国王は明を支持しました。明が清に滅ぼされた後で清国が攻めてきて、朝鮮国王は降伏したわけです。
 それを受けて清は、「おまえたちは愚かなことをしたけれど許してやろう」ということで、ソウルのど真ん中に碑を建てたわけです。ばかなおまえたちが逆らったけれど、靖国皇帝はそれを鎮圧し、寛大にも許してやった、ということなのです。
 いまある独立門が建つ以前にあった迎恩門は、靖国の人たちが乗り込んで来たときに、朝鮮の主に、三回額をこすりつけるということを三回繰り返させ、合計九回やらせた屈辱的な場所です。 ところが、日本が日清戦争に勝つことによって下関条約の第一条で、朝鮮国の独立を認めさせた。独立を認められたことで朝鮮人民は喜んで、これで清国に頭を下げなくてもいいということになったわけです。大清皇帝功徳碑は川に捨て、迎恩門は壊して、代わりに独立門を建てた。だからこの独立門の「独立」は、清国からの独立であって、そのバックアップをしたのは日本なのです。
 ところがいま、北朝鮮も韓国も、「朝鮮半島にあるわれわれの国はずっと苦から独立国で、それを初めて侵したのが日本だ」と嘘を言っています。都合が悪いので、清に支配されていたことを教えていない。ぼかしているのです。
 要するに儒学は、理想を過去に持っていくあまりに、過去はこうであったと思いたがる。実際にそうであったかどうかは重要ではない。実際にどうだったかというのが、歴史学です。そうではなくて、儒教は過去において理想の世界があったというふうに、まず決めてしまう。
 日本と韓国の絡みで言えば、<朝鮮半島の国家というのは悠久の苦から中国の影響を受けない独立国家であった。ところが悪辣な日本人が三十五年間だけわれわれの独立を妨害した>としています。過去を理想化して、その分、真実を歪めるという作用を、儒教はどうしても持っているのです。


「金日成」神話の誕生

 十四歳で革命運動を組織して以来、完全無欠の指導ぶりで、祖
国を解放に導いた大英雄として描かれているわけですね。
 ところで、正しい歴史としてまず最初に確認しておきたいのは、金日成は実のところ、抗日独立戦線にかかわっていなかったということです。彼は、満州にあったソ連軍の第八八特別狙撃旅団という軍隊にいました。彼は一九四一年に満州からソ連に逃げこんで以来、この旅団に属していたのです。ですから朝鮮独立には、全然貢献していません。教科書に引用されていることは、すべて後世の創作です。
 四人かどうかはともかくとして、ソ連が戦後の北朝鮮を統治する際に、抗日戦争で活躍した複数の英雄の物語を集約して一人物に仮託した。それが今日「金日成」とされる人物です。その「金日成」は、ソ連軍の中にいて抗日パルチザン運動をしていた。ですから、朝鮮の独立運動に大活躍したというのは大嘘です。ですが、ソ連は、北朝鮮の統治のために、言うことをききそうな当時二十三歳の男を民族的英雄「金日成」に仕立て上げ、傀儡としたのです。一方で、彼が偽者だと知る者や口にする人々は次々と粛正されていった。

■北朝鮮:金正日誕生日直前に住民を現場射殺:2011/06/30中央日報
 金正日誕生日直前にデモ住民を現場射殺「ジャスミン革命警戒で見せしめ」
 北朝鮮が金正日国防委員長の誕生日前の2月、市場で抗議デモを行った住民5−6人を現場で射殺したと伝えられた。中東と北アフリカに反政府民主化デモが広まっていた時期だった。
 29日の米国自由アジア放送(RFA)は「開かれた北韓放送のハ・テギョン代表が、『咸鏡北道鐘城郡の市場で商人30−40人が抗議デモを行ったが、保安当局が現場で5−6人を射殺した』という当時の現場目撃者の話を伝えた」と報じた。
 その間、北朝鮮の市場では取り締まりやわいろ問題などで人民保安省の警察と商人が衝突するケースが少なくなかった。しかしこのように銃器を乱射したのは異例という。中東と北アフリカの反政府民主化デモの影響を憂慮したうえ、金正日の誕生日を控え、普段より強く取り締まったとみられる。
 ハ代表は「ジャスミン革命が起こり始めた時期だったため、住民に厳しく対応する必要があったようだ」と伝えた。

■北朝鮮が住民に献金を強要「ほしいまま収奪か」=韓国メディア
                 2011/09/16提供:サーチナ
 北朝鮮が「強盛大国」をスローガンとして、住民たちに献金を強要していると、対北消息筋が明らかにした。韓国メディアは対北消息筋からの情報を元に「北朝鮮が強住民に献金を強要」「ほしいまま収奪」などと相次いで伝えた。
 「強盛大国」とは金正日体制以降盛んに唱えられるようになったもので、政治思想・軍事・経済のすべての面において社会主義強国を築くことを目標としている。
 韓国メディアは「最近、北朝鮮で犠牲を美化する動きが活発化」、「放送、新聞、集会などあらゆる手段を動員」などと指摘し、来年に控えている故金日成主席誕生100周年と強盛大国の宣言、3代世襲などの政治イベントの資金を国家の財政だけでまかなえず、「必要な資金を住民からの献金で満たすため」と分析した。


◆南北分断と朝鮮戦争

 朝鮮戦争が始まる前、一九四八年に、朝鮮民主主義人民共和国ができますね。その後まもなくソ連は撤兵するのです。武器も全部ソ連からもらって、ソ連軍の軍事顧問によって、ソ連式の軍事訓練を受けたわけでしょう。金日成は負けるわけがないと思い込んでいた。
 金日成というのは一筋縄ではいかない男です。彼は朝鮮戦争を仕組むときに、スターリンを逆に説得するのです。後に明らかになった秘密文書によると、「絶対勝つ。アメリカは出てこない」と思い込んでいて、スターリンに吹き込む。アメリカも極端なことはやらないだろうと、スターリンにも読みの甘さがあった(フルシチョフの回顧録で、朝鮮戦争は北朝鮮が仕掛けたことをはっきり打ち出している)。
 ところがアメリカが出てきて、こてんばんにやられ、しかも北朝鮮はめちゃくちゃに爆撃されました。そうしたらもう、自分が仕掛けたという言い訳が立たないじゃないですか。だから、ソ連に裏切られた、とした。それで停戦になるや、真っ先に国内のソ連派を粛清するのです。中国が人民軍を出してくれたということで、中国は北朝鮮に優遇されます。

■朝鮮学校教科書
 日毎に敗北のみを重ねて行き詰まり窮地に陥った米帝は1953年7月27日朝鮮人民の前に膝を屈し、板門店で停戦協定に調印した。
 朝鮮停戦協定は「名誉の停戦」を言い立てながら軍事的敗北を美化する目的で持ち出した米帝の全ての強盗的な要求と不当な主張を粉砕し、共和国側が提示した基本原則に従って締結された。
・・・ 全世界の進歩的人民は、世界史上初めて米帝に打ち勝ち、祖国解放戦争を勝利に導かれた敬愛する主席様を「偉大な軍事戦略家」、「反帝闘争の象徴」として高く称賛し、わが人民を英雄的人民と称揚した。


悲劇の帰国事業

 朝鮮戦争の後では、ソ連から莫大な援助を受け、中国からもチェコスロバキアからも支援を受けた。当時は社会主義国間のものすごく手厚い国際連帯性があって、チェコスロバキアからも病院を一セット送られたり、東ドイツからプラントを送られたりということがあって、南より北の復興のほうが早かったのです。そこへもってきて人手が足りないということで、在日朝鮮人に目を付けたのが、日本からの帰国運動でしょう。南は依然として失業者があふれていた。
 帰国者の総計は9万3千人というのが日赤などからの発表です。彼等は、帰国に向かう船上で騙されたと言っていた。船が接岸すると、歓迎群衆が来ている。それを見たら、子供はズボンをはいていない、素足の子もいたり、全体にみすぼらしい。そこで、下船を拒否したり、日本へ帰国を希望した人の中には、そのまま収容所に送られた人もいたのです。ある脱北者が「私の兄はそういう目に遭ったんだ」、即、収容所に直行し、そこで動物のような暮らしをさせられ、糞尿まみれになって結局10年後に死んだといいます。
 その後、とんでもないということは、いろいろなやりとりや公的な手紙でもわかってくるのです。赤ん坊のおむつもない、長靴もない。あれを送れ、これを送れと言ってくる。それは日本ではありふれてゴロゴロしているようなものですが、そういうものもないということがわかってくる。そうすると、在日の家族は疑いの目で見るようになり、もう行くのはやめようとなった。
 そこへもってきて本国からは技術者集団を送れとか、知識より技術を持った奴を送ってこいと言ってくる。それでまた総連が必死で駆け回るわけです。最終的には朝鮮大学の子どもを指名して、「あなた行きなさい」と。本人が行きたくなくとも、もう逆らえないのですね。
 普通の日本の大学へ行きたいから朝鮮学校へ行きたくないという子も強制されて朝鮮学校に入ったという詰もあるのですね。だからこういう異常な学校は、まず潰すことです。こんなけしからん教科書によるウソの教育を、こともあろうに日本で真に受けてやっているということは異常も異常です。こういう教科書を使っている学校に税金を投入するということは、とりもなおさず日本国としてこの歴史教科書を認めているということです。それはあってはならないことだ、と私は思います。

 1990年頃、金正日の時代ですが、10万人もの餓死者を出した。これを聞いた父の金日成は息子を批判し始めます。そこで正日は、政権から外される前に、父を殺して政権を奪取したと言われています。
■北朝鮮、食べ残しの人肉を市場で“羊肉”として販売
        提供:中央日報 2011/06/20 各紙
 北朝鮮の司法当局が、ドルのわいろ、韓国文化流入など体制に脅威を与える犯罪を防ぐための内部指針を全国の人民保安部署(警察署に相当)に伝えたことが19までに把握された。脱北者支援と対北朝鮮布教活動をしているカレブ宣教会が入手した「法闘争部門従事者のための参考書」によると、北朝鮮の人民保安省(現人民保安部)は2009年6月に791枚の秘密文書を作成して配布した。
 文書は刑法・民法・刑事訴訟法の3法と関連した721件の不法事件内容を具体的に例示し処罰指針を明らかにした。文書にはこれまでうわさとして飛び交っていた人肉と関連した事件も言及されている。文書は「労働災害で身体障害者になり工場合宿所で生活しながら警備員として勤めるイ・マンソンは、同宿生のハン・ナムホが眠りに就いた時に警備室の斧で殺害した後、一部を食用として食べ、残りは市場で羊肉とだまして売りさばき摘発された」と書いている。文書はまた、薬学大学教員が自分の家に設備をそろえ麻薬生産の原料を購入し、麻薬500グラムを製造・密売して摘発されたと明らかにした。特殊機関の労働者が8000ドルを与えて麻薬1キログラムを購入した後、北部国境地帯に入り1万2000ドルで売り差益を得た事件も指摘した。北朝鮮の司法当局で麻薬密売を摘発したことを示すものだ。
 このほかコンピューター専門家や画家が偽造通貨を製作し使用したり、教職員がわいろを受け取り入学不正を犯した事件、韓国から持ってきたCDをコピーして販売し摘発された事例も掲載されている。
 特にこの文書は罪を犯した人物の所属と職責などが具体的に言及されている。事件の転末も詳しく描写されており、北朝鮮の司法当局が実際の事件を土台にこの文書を作成した可能性が高いという評価だ。
 その他、北朝鮮には「罪にならない殺人」がある。障害をもつ3人の子どもを産んだ女性が、4人目の子どもにも障害あることを知り、飢死させたという事件だ。しかし資料によると「不純な目的のない乳児殺人は、社会的な危険性がないため、刑事処罰の対象にはならない」と説明している。
 ある北朝鮮専門家は、「このように膨大な内部資料が公開されたのは初めて。北朝鮮社会の深刻な経済難にともない猟奇的な生計型犯罪が発生し、韓国と西欧文化の浸透が思ったより広範囲に起きていることを見せてくれる」と話した。この文書の真偽に対してはもう少し調べる必要があるという指摘も出る。

2001/06/26:千葉で227万円ひったくられる 現金をパチンコ店に運ぶ途中強盗
     :酒店員3人縛り現金50万円奪う 愛知・春日井

■世界の難民・避難民は4370万人、過去15年で最多=国連:2011/06/20
提供:ロイター

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は20日、戦争や迫害により住む場所を追われた難民や避難民が2010年末までに世界で計4370万人に上ったとする年次報告書を発表した。前年から40万人増え、過去15年で最も多い水準となった。
 それによると、1540万人が国外脱出した難民で、うち80%が近隣の発展途上国に避難。また国内避難民は2750万人で、そのほかにも亡命申請者が85万人に上るという。 
 最も多く難民を抱える国は、パキスタン(190万人)、イラン(107万人)、シリア(100万人)など。一方、最も多くの難民を出している国は、アフガニスタン(305万人)、イラク(168万人)、ソマリア(77万人)など。全難民の半分強が18歳以下だという。
 UNHCRのグテレス高等弁務官は、「難民がなだれ込むという先進国の恐怖は度が過ぎている」と述べ、先進国に対して問題解決への協力を求めた。
 また、今年に入ってもリビアなど北アフリカをはじめ、コートジボワール、シリア、スーダンなどで紛争が続いていることから、UNHCRは難民発生の要因がなくなりそうにないとしている。

■北朝鮮:明かりとコメをくれ:2011/02/23〜 朝刊
・金正日総書記の誕生日(2/16)を2日後に控え、平壌市内のライトアップのため
 当局が平安北道への電力供給を止めたことが発端という。
 北朝鮮内部の消息筋によると、住民らが「もう生きていけない。明かりとコメを
 くれ」などと叫び始め、最終的には各地で数十人規模に拡大した。
 体制批判を取り締まる国家安全保衛部が調査を始めたという。
・北朝鮮体制批判ビラの即時停止を韓国に求め「核やミサイルで迎え撃つ。
 ソウルが火の海になるような戦闘になる」と威嚇した。(2/28)
・米韓合同軍事訓練開始。昨年、北は哨戒艦を撃沈させている。(03/01)
・北、軍事利用のGPS妨害を狙い韓国に電波攻撃(03/07)

■脱北者韓国移送へ 日韓の連携体制の強化を:2011/09/16北国

 輪島沖で保護した9人の脱北者について、政府は韓国に移送する方向で韓国政府と協議する。韓国は工作員や偽装亡命などの疑いがない限り、脱北者の亡命を受け入れており、2007年に青森県に漂着した脱北者4人は希望通り韓国に移送された。重要な情報源とも言える脱北者から北朝鮮の実相や脱出の実態をつかむ、またとない機会であり、まず事情聴取を厳格に行うことが肝要である。
 韓国統一省によると、同国への脱北者は2000年代に入って急増し、06年以降は毎年2千人以上に上る。累計では2万1千人を超えており、脱北者の定着支援を行う施設の収容能力が限界にきたため、今年7月に新施設の建設に着手するという状況である。
 もし北朝鮮で「急変事態」が起きれば、さらに大量の難民流入が予想される。韓国はそうした事態を想定して難民収容の計画を立てているが、そうなれば日本政府としても、北朝鮮国内の日本人拉致被害者や戦後の帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人の日本人配偶者とその家族らの救出に全力を挙げなければならない。
 菅直人前首相は昨年末、朝鮮半島有事の際、在韓邦人を救出するための自衛隊機派遣について韓国政府と協議に入る考えを示したが、進展している気配はない。朝鮮半島有事を想定して、南北に在住する邦人らの救出計画を立て、韓国政府と協力してその実行体制を考えておくことは政府の務めである。
 中国との関係でも同様の問題がある。中国は脱北者を不法入国者とみなしているため、日本関係の脱北者が2年8カ月にわたって中国遼寧省の日本総領事館で足止めをくい、今年4月にようやく日本への出国が許可されるという事例があった。中朝国境を越えて日本をめざす脱北者の救済はなお難しい課題である。


■能登に脱北者 子ども含む9人乗船「北朝鮮から来た」:2011/09/13富山

 輪島沖で「見慣れない船が航行している」と地元漁船の漁師から118番通報があった。長さ約7〜8メートルの小型木造平船とみられ、船体にはハングルが書かれていた。海上保安本部は船を金沢港に曳航し、詳しい事情を聴く。
 同本部などによると、2007年6月、青森県に家族4人が小型船で漂着し、一時保護された後、韓国に移送。1987年1月には福井県の福井港沖で11人が発見され、台湾に移送された。

◆谷本知事「石川県は北朝鮮と向かい合った位置」と実感:産経

 脱北者とみられる9人が乗った木造船がえい航される予定の金沢港(金沢市)近くにある金沢海上保安部は13日、受け入れのための対応に追われ、船を発見した漁船が所属する漁業協同組合では驚きの声が上がった。
 石川県漁協輪島支所によると、木造船を発見したのは同漁協所属の漁船。漁協を通じ七尾海上保安部(石川県七尾市)に通報、海保の船が到着するまでの2〜3時間、見張りをしたという。
 漁協の総務課長磯野春喜さん(53)は「これまで、韓国船が密漁に来たことは何度かあったが、脱北者とみられる人が乗った船が来たのは初めてだ」と驚いていた。
 石川県の谷本正憲知事は県庁で記者団に「仮に脱北者とすれば、石川県は北朝鮮と向かい合って位置しているんだということをあらためて実感させられる」と語った。

※北朝鮮軍人一家らしき者達の木船での亡命。
 対して、石川県知事は、漁師と亡命者の美談として風化しつつあるが、
 レーダに捕捉されず、しかも武器を持っていたらどうなっていたのか。
 太平洋側の国民にも実情を知ってもらい、日本海側に多くの海保要員
 の配備をと訴えていました。これが良識だと思います。
※ロシア、北朝鮮の債務帳消しへ=110億ドル、年内にも:時事2011/09/14



大韓航空機爆撃事件
■朝鮮学校教科書「南朝鮮旅客機失踪事件」
 南朝鮮当局はこの事件を「北朝鮮工作員金賢姫」が引き起こしたとでっち上げ、大々的な「反共和国」騒動をくり広げ、その女を第13代「大統領選挙」の前日に南朝鮮に移送寸ることによって慮泰愚「当選」に有利な環境を整えた。
 金賢姫は日本人になりすましていたわけですからここまでシラを切るのであれば、日本の陰謀だと書けばいいのに、さすがにそこまでは書いてないのですね。翌年に控えたソウル・オリンピック妨害活動の一環といわれました。それにしても「失踪」事件とは驚きですね。

■【北朝鮮砲撃】予想通りの軍事挑発、韓国兵士3名、市民2人死亡:2010/11/23〜25日
 “海の火薬庫”として南北間で軍事衝突が繰り返されている“西海5島”付近はその格好の舞台だ。この3月、内外を驚かせた北朝鮮の魚雷による韓国哨戒艦撃沈事件も同じ海域だ。北朝鮮ウオッチャーたちによるとこの事件も「金正恩後継体制の業績作り」という見方が一般的だ。北朝鮮は韓国への軍事攻撃について、対外的には決まって「韓国の挑発が先」などと弁明するのは、60年前の朝鮮戦争以来そうだ。


日本人拉致事件
■朝鮮学校教科書
 2002年9月、朝日平壌宣言発表以後、日本当局は「拉致問題」を極大化し、反共和国、反総連、反朝鮮人騒動を大々的にくり広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作り出されていった。
 「拉致された日本人を救う会」いわゆる「救う会」の人たちがカンカンに怒るのは、よくわかります。「一言の謝罪もないじゃないか。金正日ですら拉致は悪かったと言ったじゃないか。それなのに朝鮮総連が運営する朝鮮学校の教科書はまったく謝っていないじゃないか」。しかも正日様が認める前は、朝鮮人を腔めるための日本人の陰謀だと言っていた。
 小泉元首相が行った際に、金正日が「あれは妄動分子がやったことだ。いまは全部処罰した」などと言って、いちおうは悪かったと、自分たちがやったということは認めた。
 それに対して総連の内部からもいろいろな意見書が出てきた。「われわれが実際に謝るべきじやないか」という意見書です。手先になって上陸地点などを在日が調べなければ拉致などはとてもできない。誰かを拉致する場合は、ここの岩場に隠れなさいと手引きする人間なしに、出会い頭の拉致というのはないです。ちゃんと尾行して、何時何分頃にこの人物はこのへんを通るようになっていると、全部調べ上げている。先にも述べた米子市に住んでいた松本京子さんなどは勤めから帰って、お母さんと一緒に夕食をとり、編み物教室へ行く、という日課をずっと尾行されていた。その上で何時何分頃にここを通ると、尾行者は拉敦犯を手引きするわけです。そういうふうに日本における村助者、拉致を助ける人間なしには絶対に成功しないのです。


◆拉致の規模は?

 脱北者にも聞いたのですが、拉致の規模は500人はくだらないと言います。
 拉致の目的として、密航ルートの確保、情報源ということもあるでしょうし、ハイノリ(日本人の身分盗用)もあるでしょう。パスポートが欲しいというのもあるだろうし、いろいろです。対日工作というものに、北朝鮮は非常に力を入れるのです。
 日本で自衛隊、米軍基地の情報が欲しいわけでしょう。在日朝鮮人をけっこう動かしているといっても、在日朝鮮人の中でも誰もかれもスパイになれるわけではないのです。特定の選ばれた人間でないと難しいことがあるのです。
 ある脱北者が私に語ってくれたのは、自分の父親(一九六〇年代のいわゆる在日の北朝鮮帰国者)が北朝鮮の共産大学に留学するといって、国内留学ですが、三年間いなかった時期があったというのです。そこから帰ってきて何かのときに、「実は俺が行っていたのは大学ではないんだ。日本から連れてきた子どもたちの施設の管理人をやっていたんだ。その脱北者が何人ぐらいいたのかと聞くと、一〇〇人はいただろう。子どもばかりで、夜泣くんだ。おかあちゃん、おうちへ帰りたいとか、何とかと言って泣くんだ」と、話したのだそうです。
 子どもたちは日本語で泣きながら言う。それをなだめるのです。よしよし、そのうちお母さんに会えるようにしてあげるから、もう泣くなと言ってなだめる役がその管理人なのです。そういう子どもの面倒をみているわけです。そうした子どもが、一00人ぐらいいた、ということです。




北朝鮮絶望収容所 1997年出版:KKベストセラーより抜粋

 尚、旧ソ連と中国の非道については(⇒[崩壊 朝日新聞][中国:民族絶滅の危機])参照。
 北朝鮮には、政治犯(良心の囚人)用に完全統制区域という収容所があります。収容所は、人間の尊厳を完全に剥奪され、野獣として監視虐待殺傷される生き地獄そのものです。その収容所の警備隊長を務め、目を背けざる得ないような酷さを世界に告発すべく決意し、死をとして韓国に渡った「安明哲」氏の生の叫びです。本書を読み、日本に生まれた幸運と民主主義国家であることに感謝します。同時に、先生が何度も繰り返し“天上界が去られれば日本は坂を転げるように赤化されてしまいまよ”と警告され、“日米欧軍事同盟の堅持を”と強く望まれておられた事か思い出されます。下記に安明哲氏の思いの一部を抜粋しました。
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 1960年代のはじめ、希望を胸に帰国船に乗って北朝鮮に渡った在日同胞たちが、北朝鮮の統制体制に適応できなかったり、日本に帰りたいと訴えて、反国家陰謀罪に問われ、完全統制区域でむなしく死んでいったことを知ったら、同胞・家族や知り合いたちは、どれほど絶望するだろうか。真実を語る事が、彼らの心をずたずたにするかと思うと、私はいたたまれない。

 北では罪は何処にでも落ちている。
 金日正と金正日のバッジを落としたり汚したり、神である金親子以外の神を信じたり、日本からの帰国者達が資本主義思想、あるいは日本での風習を捨てられなかったり、配給所に米が無いのを知らされて「社会主義体制というのは米もろくにくれないのか」とつぶやいたりすれば、もうそれだけで罪になるのだ。
 本人は勿論のこと、幼い子供まで含めたその家族全員が一夜にして消え去る。一度入れば再び生きては出られない「完全統制区域」に収容されるのだ。そこからは、死体になっても出られない(山や谷に放置される)。
 「完全統制区域」で命を永らえる方法は一つしかない。それは、人間であることを捨てることだ。保衛員と警備隊員たちに奴隷以下に扱われ、それでも犬ころのように尻尾を巻き、尻尾を振らなければ生きていけないのだ。年老いた良心の囚人が、保衛員家族の子供に対して「先生様」と丁寧にお辞儀をしなければ殴打され、少しでも反抗すれば残忍な処罰を受け、ささいな“罪”によって虫けらのように殺されてしまう場所――それが北朝鮮の政治犯収容所なのである。

 警備隊員として八年間、私は私なりに精一杯のやり方で彼らを守ろうとはした。しかし同時に、私は自分自身をも守らなくてはならなかった。あれが私の限界だったのかと思うと、とてつもない無力感に襲われるとともに、自分に言い訳する私自身が罪人のようにさえ感じられる。
 その生き地獄から奇跡の脱出に成功した両人に、韓国で会った時の私の気持ちは、あまりにも微妙であった。警備員と囚人(先生様と政治犯)の関係は、北朝鮮ではまさに天と地である。私の告白に対して両氏共に「それはやむをえぬことだ」と、優しく許してくれたのだ。私は慙愧に耐えなかった。

 保安部と政治部の“ご機嫌”をとり、人間らしい感情を抑え、いや、人間性そのものを捨てさせられて生きてきた日々と、北朝鮮収容所の紛れも無い現実、その悪行のすべてを、世界の善良な人々に向けて包み隠さず知らせるべきときが来たのだ。
 地上に再び、北朝鮮政治犯収容所のような地獄が出現してはならない。




北朝鮮、地獄の四十年、脱北日本人妻が激白
        [WiLL 2012年3月号]より抜粋 

 「いっそのこと南朝鮮(韓国)と戦争になつてくれたほうがいい」
 これが先日、私が聞いた朝鮮(北朝鮮)にいる人たちの本当の気持ちです。
 「南朝鮮と戦争になつてくれれば、(朝鮮族のいる)中国に逃げることができる」
 そう考えるほど、今の朝鮮の暮らしは本当に苦しく、朝鮮の人たちはみな中国のほうがいい暮らしをしていることを知っています。
 一九六一年に在日朝鮮人の主人とその両親や兄妹、一歳になる長女と一緒に帰国事業で朝鮮に行き、四十年間暮らしました。二〇〇一年に脱北して現在は日本で生活をしていますが、朝鮮に残っている子供たちのことが心配でなりません。
 金正日の葬儀をテレビで見ていて、いまは冬ですから余計に食料もないなか、毎日お腹をすかせながらも駆り出されていることでしょう。そして、泣かなかったり、下を向いて悲しそうにしなければ連行されてしまう。朝鮮の人たちは本当に辛い状況に置かれていると思います。


■今すぐ日本に帰りたい

 朝鮮に行く前には、朝鮮は「地上の楽園」だと言われ、主人も朝鮮に行って楽をしたいと言っていましたが、四十年の間、生活は苦しくなる一方でした。
 一九六一年に、ソ連船に乗って新潟を出港して朝鮮に着きました。船のデッキから港にいる人たちの姿を見てすぐに、これはとんでもないところに来てしまったとわかりました。上は着ているけれど下は裸で、足は裸足。男の人は麻袋で作ったようなダブダブのズボンをはいている。肌は黒く、それも日に焼けているのではなく、栄養が悪いのと垢で黒いのです。周りの人たちはみな「日本に帰してほしい」「船から降りたくない」「どこが地上の楽園なんだ」と言っていました。
 船から降ろされると、体育館のような建物に集められ、外から鍵をかけられました。夜になって、北朝鮮第二の都市に行くと言われ、汽車に乗せられました。汽車には一般の人は乗っていませんでした。車内は殺風景、座席は南京虫だらけで、子供たちは体中が真っ赤になり、「かゆい、かゆい」と泣き叫ぶ声が聞こえました。
 私たちの家族は恵山に行くことが決まりました。同じ船に乗っていた「帰国者」たちとはそのときから離れ離れになつてしまい、消息すら分かりません。
 十六所帯ほどが住めるアパートに住みました。台所の流しは水道管が通っておらず、ただ穴が空いているだけ。水はアパートの近くの川から汲んでこなければなりません。それも昼間には洗濯に使われますから、朝一番で行かなければなりません。
 トイレは共同で四角くコンクリートが敷いてあるだけ。風呂は大きな洗面器にお湯を沸かし、体を拭くだけ。


■餓死者で溢れる町

 生活は初めから苦しかった。主人は給料をいくら貰っていたのか全然わかりません。配給が給料だったのでしょう。配給はメリケン粉(小麦粉)が90%に米が10%です。
 行った当時はソ連から小麦粉が入っていました。黒っぽい粉です。十月にはキムチ用の白菜が配られますが、冬場はそのキムチだけがおかずです。毎日毎日、主人や六人の子供たちにをどうやって食べさせようかと、そればかり考えていました。
 最初は一カ月に二回、十五日分ずつ配給がありましたが、一九六五年以降はそれが十二日分ずつに減らされました。一九九〇年代半ばからは、その配給まで止まってしまいました。主人が亡くなり、朝鮮側によって日本からの送金が止められました。
 町では死体を避けて歩かなければならないほど、たくさんの人が栄養失調で死にました。おもに子供と年寄りです。家の者がヤミの出稼ぎをしている問、食程が尽きて、残された子供や年寄りが亡くなるのです。
 村では人民班長から、「われわれの生活が苦しいのは、南朝鮮の水害の支援のために、倉庫いっぱいにあった食糧を大最に南に送ったからだ」と教えられていました。
 ・・・朝鮮では、金日成や金正日に直接会った人たちは有名人となり、一生配給を受けられるようになつているのです。日本では想像もつきません。
 公開処刑を強制的に見に行かされたこともあります。最初に見たときに処刑されたのは五人でした。偉い人がスピーカーを使って、三人が政治犯で二人が泥棒だと言い、このように悪いことをしてはいけないと言いました。泥棒というのはたぶん牛泥棒でしょう。朝鮮では牛を盗むのが一番悪く、必ず死刑になります。
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 列車の中で警官が子供を下ろすように言うと、女の人はわっと泣きだしました。警官が赤ちゃんをくるんでいた服を開けると、赤ちゃんのお腹に穴が開けられ、中に銅線が入っていました。銅線を運ぶために使ったのです。
 配給が止まったあと、一九九七年には三女が栄養失調で亡くなり、長女は中朝国境を行き来していたところを捕まり、獄死したことを日本に帰国してから開かされました。次女もヤミ商売で捕まり、三年近く刑務所に入っていたことがあります。
 一九九七年と翌年は、私と同じく帰国事業で朝鮮に行った日本人妻が一時帰国をした年でもあります。朝鮮に行くときは「三年たったら里帰りができる」と朝鮮総連の人に言われ、私はその言葉を信じていました。
 その一時帰帰国の前に、里帰りしたいという日本人妻はまず悪くなった歯を全部抜かれました。そのあとで思想などの審査があります。それに合格して里帰りが決まった人は、きれいな入れ歯を作ってもらいました。それから栄養を与えて体格をよくし、豪華な服を支給されました。私は最終選考に受からなかったので、上下の前歯は抜かれたままになりました。
 一時帰国できる日本人妻には、一カ月以上も前から講習会のようなものが開かれ、日本で話してはならないことなどが教えられたそうです。


■四十年ぶりに母と会話

 中国人ブローカに誘われ、中国に行き母と電話しました。母はお金の代わりに荷物を送ってくれたのですが、中に人っていた衣類はブローカーたちがみな取ってしまい、残ったのは靴下が三足だけでした。これがブローカーたちの商売なのです。
 それから三年後、再度中国に行きましたが、母との電話が繋がらない以上、中国に留まるわけにはいきません。私が「明日にでも朝鮮に帰りたい」と言うと、越境のブローカーは「それなら日本へ行って、二年か三年ほど仕事をして、朝鮮にお金を持って帰ればいい」と言いました。私はそのとき初めて、日本に行けることを知ったのです。
 「どうすれば日本に行けるのですか」と聞くと、「それは自分が手配するが、ひとつだけ条件がある。自分の妹を日本に呼ぶことを約束してほしい」と言われました(実際には妹ではなく、のちに日本でこのブローカーと結婚)。


■もう時問がない……

 こうして、私はその妹を、私の「長女」と偽り、二〇〇一年、二人で日本に帰国しました。
 四十年ぶりの日本。帰国から二、三カ月後には、チラシを見てスーパーマーケットの仕事に応募し、働いていました。
 しばらくして偽の「長女」から、今度は自分の弟を私の次男として日本に入国させるよう要求されました。そのあとは偽の「長女」の従姉の入国です。誰にも本当のことが言えず、いつもいつも心配でなりません。
 でも、いつまでも隠し通せるものではありません。私は信頼できる方に初めてこのことを打ち明け、二〇〇八年十二月八日、警察に行って、これまで不法入国を手助けしてきたことを告白しました。
 二〇〇九年三月八日、私は入管難民法違反(不法入国など)容疑で逮捕されました。八月に裁判が開かれ、判決は懲役一年、執行猶予三年の有罪判決でした。法律的には済んだのかもしれませんが、私の中では一生済むことではありません。
 こうして本を出したり、インタビューに答えれば、北朝鮮にいる子供たちが危険な目にあうかもしれません。
 ただもう時間がないのです。七十歳、八十歳になる日本人妻とその家族たちを一目でも早く帰国させてほしい。一日も早くこの問題を解決してほしい。今はただそのことだけを願っています。

 ■産経:日本人妻 「帰国したい」で収容所送り 2014/06/29
 「『地上の楽園』との宣伝にだまされて行った彼女たちも被害者といえる」。北朝鮮に渡った在日朝鮮人や日本人妻の人権問題に取り組む団体の代表を務める山田文明・大阪経済大准教授はこう指摘する。
 「北の港に着く前に、船からボロをまとった人たちを見た瞬間、来たのは間違いだったと後悔した」と振り返るのは、その後、脱北し、日本に帰国した70代の日本人妻だ。
 日本人妻らは、監視態勢下に置かれ、脱北者らによると、「資本主義思想を流布した」と言い掛かりを付けられ、政治犯収容所に送られた人も少なくなかった。「日本に帰りたい」と漏らしただけで収容されたケースもあったという。
 平成9〜12年に3回、里帰り事業が実施され、計43人が一時帰国したが、体制に忠誠を誓う人だけが選ばれた。実施半年前から平壌に集められて徹底教育され、北朝鮮に戻った後も日本での行動を審査された。
 家族の反対を押し切って北朝鮮に渡り、日本の親族と絶縁している日本人妻も多い。一方、脱北し、日本で暮らす人も数人いる。ただ、生活保護を除き、受け入れ態勢と呼べるものはない。帰国したものの、再び北に戻る人さえ現れた。
 北朝鮮の民族登録では、日本国籍保持者は一般に「日本」に区分けされるが、子供をはじめ朝鮮籍扱いになるケースもかなりあると想定される。北朝鮮が今回どこまで調査範囲とするかも不透明だ。
 山田氏は「日本側には現状のデータがなく、この人を帰せとは言えない」と北朝鮮の主導で進む調査を危ぶむ。「都合のいい調査結果を開示し、見返りを求めてくるだろうが、横田めぐみさんら拉致被害者全員の帰国なしには譲歩すべきではない」と訴えている。

 ■産経:山梨で脱北者が講演「月に2、3回公開処刑が…」 2017/03/05
 戦後の帰国事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世で、2003年に脱北後に日本国籍を取得した川崎英子(ペンネーム・韓錫圭)さん(74)の講演会が3日、山梨県笛吹市石和町八田の映画館「テアトル石和」で開かれた。川崎さんは「世界でいま一番取り払われなければならないがんは北朝鮮」と話し、金日成時代から世襲された独裁体制を批判した。
 講演はロシア人監督が北朝鮮で撮影したドキュメンタリー映画「太陽の下で」(23日まで)の上映後、観客の質問に川崎さんが答える形で行われた。
 トロリーバスを大勢の市民が押すシーンについて、川崎さんは「区間中に停電が起き、電気の通る場所まで押している。ありふれた光景です」と北朝鮮の暮らしを説明した。
 さらに「物心ついたときから、金日成主席らを讃えることを教え込まれる。子供でも思っていることを正直に言うことを怖がる」と話した。
 反体制的な行動をした人らを銃殺する公開処刑に月に2、3回。一般市民も強制参加させられるという。川崎さんは「抵抗できなくなるまで痛めつけた後に銃で撃つ。恐くて直視できなかった」と振り返った。
 川崎さんは京都で生まれ、昭和35年に北朝鮮に渡った。炭坑都市でトラック運転手をしていたが、「実情を世界に伝える必要がある」と2003年3月、家族を残し単身で中国に脱北した。




本当の「性奴隷」を生み出す北と中国を非難しない偽善者
                     [2012年正論5月号]
 2009年4月、私は拉致問題解決のための助力を米国政府、議会などに訴えるため、家族会・救う会・拉致議連の訪米団の一員としてワシントンを訪れた。そのとき米国の民間人権擁護団体「北朝鮮人権委員会」が、『売られる生命(Lives for Sale)』と題する北朝鮮女性の人身売買の実態の報告書を発表した。同報告書は実際に結婚や売春を強制された北朝鮮女性58人からの聞き取り調査をして、以下のように訴えている。
  1. 本国での貧困や飢餓のために中国の吉林省と黒竜江省に出稼ぎのつもりで入り、朝鮮族の中国人のブローカーに強制的な売春や結婚へと人身売買されたというケースが大多数、
  2. 商業結婚の相手は中国人の大幅に年上の男性や身体障害の男性が多く、代金は500ドルから1500ドルの場合がほとんど、
  3. 密入国してきた北朝鮮人は逮捕された後、北朝鮮へ強制送還される場合が多く、送還後はきわめて過酷な懲罰を受ける
 同委員会は報告書発表の記者会見で現在は韓国に定住する脱北老女性2人を紹介し証言させた。
 バン・ミソンさんは「北朝鮮で夫が死に、生計が立てられず2人の子どもに腹一杯食べさせたいという一心で、2004年に中国へ逃げたが、中国へ行くやいなや人身売買団に売られた。身体障害の中国人老人の妻として585ドルで売られ、別の男性に2回転売された。その後、中国当局に拘束され、北朝鮮に送還され、強制収容所でムチで打たれたため今も歩くことが不自由だ」とスカートをたくし上げ、拷問でできた太ももの傷を見せた。
 続いて証言をした金ヨンエさんは、「夫と死別した後、幼い息子を食べさせるために脱北したが、中国への脱北を助ける人が人身売買組職の一味だった。730ドルで精神的に不安定な中国人男性に売られ、娘まで生んだが、男性の暴力に耐えられず逃げ出した。その後も数回にわたって別の中国人男性に売られた」と涙ながらに訴えた。
 今年に入り遅ればせながらではあるが、韓国で脱北者の人権を守ろうという動きが高まってきた。
 しかし、60年以上前の慰安婦問題を「性奴隷」などど取り上げるのなら、なぜいま中国で人身売買されている数多くの脱北者について沈黙する日韓の左派は偽善者である。



餓死−300万人の計画的大虐殺
          [正論2月臨時増刊号]より抜粋

 いま日本に住む脱北老女は、金日成の死去時についてこういう。「強制的な動員でした。割り当てられて泣きにいくのです。その際手向ける花をもってこいというんです。北には花なぞ売ってない。花を探すのにどんなに苦労したか」。共同配信の写真にも、泣くどころか泣く連中を奇妙なものを見るように眺めている人も写っている。
 金正日のやったことは、大量殺人とテロと拉致と麻薬製造販売と偽札つくりと、核による周辺各国への脅しとミサイルなど大量破壊兵器の拡散、父親殺し・・・考えられる限りの悪事であった。金正日の残忍な手口を見ると、同じ独裁者ではあったが父親金日成が神様のように見える。それほど悪魔の生まれ変わりそのものであった。
 金正日は金日成を除去した後、重しが取れたように父親にきびしく叱られた“乞食外交”を実行する。口実は自然災害である。やれ洪水だ、やれ電が降った、やれ早魅だなどさまざまな口実を設けてはその都度、食糧援助を他の国や国連機関に訴えた。金日成が死んだ1994年の9月には雹害で120万トンの穀物が損失をこうむったと発表した。ついで翌95年8月には「100年に一度の大洪水」がおき、全国で200万トンあまりの水稲とトウモロコシの生産が減り、100万トンあまりの穀物在庫が流失した、と主張した。WFP(国連世界食糧計画)は実際の被害は北朝鮮発表の15%に過ぎないと当時のべた。10倍近いサバをよんでいたのだ。金日成が嫌った“乞食外交”が活発に繰り広げられて1995年には73万トンもの食糧が集まるのである。このうちの50万トンは日本からである。
 このとき食糧導入の立役者が先の妻錫柱第一外務次官である。金日成は、“物乞い外交”から平壌にもどった彼を凱旋将軍を迎えるように空港に赤じゅうたんを敷いて迎えたと、現場に立ち会った北の幹部でいま韓国に亡命している人が私に伝えてくれた。こうして96年50万トン、97年幻万トン、98年103万トンなど少ない年で50万トン、多い年は154万トン(2000年)と、食糧が毎年入ってくる。
 このほか北朝鮮は大量に食糧を輸入もしている。94年120万トン、95年252万トン、96年242万トン。餓死者が100万人とピークに達し、苦難の行軍″と称した97年ですら308万トンもの食糧が入っている。この年の支援食糧と輸入を合計すると391万トンになる。北朝鮮ではお年寄りから赤ん坊まで1日400グラム配給するとして380万トンあれば2200万国民は食っていける。支援食糧と輸入食糧の合計391万トンあれば仮に国内生産がゼロでも一国民には1日400グラム以上配給できる。餓死するはずはないのだ。にもかかわらず、餓死者が毎年百万人単位で発生するのである。
 金正日の虚偽宣伝はこうだ。いまわが国は帝国主義者の包囲と経済制裁できわめて苦しい立場におかれている。食糧を買いによその国にいくと2倍3倍に値段を吊り上げて買えなくする。ある国は「あまった食糧は海に投げ込め。北朝鮮に一粒のコメもやることはできない」と憎々しげにほざいている。われわれはいまこういう砲声なき戦争をしているのだ。抗日パルチザン闘争の時期を思ってこの苦難に耐えろ…。
 これがいかに虚偽であるか。年間300万トンもの食糧を売ってもらっているではないか。しかも人道援助ということで各国から毎年100万トン前後の食糧が無償で届けられ ているではないか。
 なぜこんなことが起きたのか。ここに金正日の残忍な性格が出ている。彼は極端な小心者である。自分が人民に殺されるという強迫観念にとらわれて、殺される前に殺さねばならないという階級闘争の理屈を実践した。彼は父親の定義した核心階層、動揺階層、敵対階層の3分割をそのまま活用した。敵対階層の住むところは北朝鮮の北東部、すなわち威鏡北道などである。ここは朝鮮半島の辺境で、酷寒の地で土地はやせ、貧しい。そこには成分(身分制)のよくない敵対階層の人たちを住ませている。その土地の人は反政府の考えが強い。歴史的にも反乱の土地である。金正日は彼らがいると枕を高くして眠れないという小心な恐怖感にとらわれ彼らを抹殺する手を考えた。食糧配給を断つということ。食糧は北人民の生命維持装置である。すべてが配給制であり、配給が断たれたら生きていけない。その配給を1994年から断ち始めた。食糧を断ち切ることで餓死させ殲滅する巧妙な殺人である。その殺人を覆い隠すため、帝国主義者に包囲され極めて厳しい状況におかれているのだと偽った。
 『北朝鮮 飢餓の真実』(扶桑社)の著者アンドリュー・ナチオス氏はいう。「1994年と95年に東部沿岸の平野に対する食糧援助を停止して北朝鮮の北東部地域を切り捨てるという中央政府の決定の結果100万人以上が殺された」
 この異常な政策が国際機関にも知られるようになった。WFPのパティーニ事務局長は部下を北東部の視察に向かわせた。北朝鮮は断固として立ち入りを拒む。これ以上調査を拒むならいっさいの支援を打ち切るという強い姿勢で臨んだ結果、97年7月1日に支援食糧をつんだWFPのチャーター船がようやく北東部の中心地滑津に荷下ろしするのである。北朝鮮が食糧援助を乞い始めた95年から2年間も頑として立ち入らせなかった地域にはじめて国連の手が伸びた。しかしすでに大量の餓死者が出て手遅れだった。
 家の中にも街路にも、駅や市場にもいたるところに餓死者の姿。あまりの多さに人は驚かなくなった。処理もできずに何日も放置されている。夜中に回収のトラックが来て何百体もつんでヤマの中に掘った巨大な穴に放り込んでいく。地獄だったと死体処理にあたった脱北者は回想する。
 この惨状に対し韓国の著名なジャーナリスト趨甲済民はあるキリスト教聖職者との対話を紹介しながらこういった。「金正日は自身の生命のために数百万人の北の生命を犠牲にした。この認識を前提に2人が到達した結論は『金正日暗殺がもっとも人道的で、もっとも効果的、そしてもっとも正義にかなった北韓同胞の救出策』である。北韓同胞の惨状を直接目撃した人なら牧師や僧侶ですらこのような強硬論をためらわないほど、彼らの憤怒がほとばしり出るのだ」(『月刊朝鮮』99年9月号)
 独裁者への私からの言葉としたい。
 弔いの鐘は金正日のためにではなく、金正日に殺された北の人民のために鳴らされるべきだ。




◇北、弾道ミサイル発射予告、2月の米朝合意違反:2012/03/17産経

 中国が北に食料と約80億円の無償援助開始。
 正恩氏「革命遺産である核をもっと活用」「われわれは核を持っている。食料は韓国に献上させろ」。


◇総連11億円献金指示、300人訪朝を計画:2012/04/03産経

 金日成生誕百周年に合わせた計画で、すでに1.3億円が持ち出されている。個人の現金持ち出しに関しては10万円を越える場合申告が必要だが、上限は無く、目的も問わない。ミサイル発射を強行しようとする北朝鮮への資金流出を止められない実情がある。

 ◆日刊SPA!北朝鮮留学で見たものは「絶望」

  ◇ ◇ 在日朝鮮人三世として生まれ

 李英和氏は、在日朝鮮人三世として大阪府堺市に生まれた。李氏は著書『朝鮮総連と収容所共和国』(小学館文庫、1999年、元本のタイトルは『北朝鮮収容所半島』1995年)で次のように書いている。
 彼は高校生の時に、朝鮮人の友人を求め朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会の略称)傘下の朝青(在日本朝鮮青年同盟)に加入した。
 しかし、「(金日成という)独裁者にいいように振り回され、それでも忠誠をささげ続ける。そんな朝鮮総連の姿は、高校生の私の眼にも異様に映った」と記している。
 李氏は関西大学の夜間部に進学し、朝鮮総連系の大学組織である留学同(在日本朝鮮留学生同盟)のサークルに入り、反差別運動や韓国の民主化運動に精を出したが、「金日成主義を信奉する先輩たちとは、どうしてもソリが合わなかった」と述べている。
 その後、就職浪人したこともあり大学院に進学し、朝鮮総連傘下の社協(在日本朝鮮人社会科学者協会)に加盟した。朝鮮総連の体質には何かしら冷めた目を持っていたが、仲間との交流を求めていたのだろう。

 ◇ ◇ 北朝鮮留学、祖国には絶望しかなかった

 人生の最大の転機となったのは、関西大学(経済学部)の助手となり在外研究の機会を得て、1991(平成3)年4月から12月までの8か月間、北朝鮮のシンクタンクである朝鮮社会科学院への留学であった。
 そこで垣間見たものは何だったのか。食糧事情がひどいことは知っていた。それ以上に、「普通の民衆も現状にすっかり失望し、そして将来を絶望していた」「(北朝鮮)労働党の恐怖政治は、民衆に一言の不満の表明も許さない」「食糧危機に喘ぎ、圧政に苦しみ、収容所に囚われる」という北朝鮮の現状であった。
 こうして1993年より李英和氏は、NGO団体「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(略称=RENK)を結成し、金日成父子、さらに労働党政権への批判を明確に打ち出し、北朝鮮の民主化を公然と掲げ活動し始めた。
 ◆日刊SPA!朝鮮総連のすさまじい乱暴狼藉

  ◇ ◇ 北朝鮮の民主化を求める集会に朝鮮総連の乱暴狼藉

 1994(平成6)年4月15日、この日は北朝鮮の金日成主席の82歳の誕生日に当たる日であり、李英和氏は前述のRENKによる「北朝鮮民主化支援・全国集会」を、東京、名古屋に続き大阪で開いた。東京、名古屋でも小競り合いはあったという。
 大阪の集会への朝鮮総連の反撃は、すさまじいものがあった。
 「李英和を出せ」「李英和を殺せ」――こう叫びながら、私をめがけて数十名の屈強な若者が次々に突進してくる。百名近い集団が、…RENKの大阪集会を襲った。襲撃の主は、金日成父子を支持する一団だった。近畿一円を中心に、東京からも動員された朝鮮総連のメンバーたちである。…ただならぬ事態に驚いた大阪府警は、二百名ほどの機動隊員を緊急動員した。だが、…朝鮮総連の突撃隊は、警察官を押し倒し、警備の壁を突き破って襲いかかる。
 主権国家・日本で行われた朝鮮総連による乱暴狼藉である。このRENK事件に関して、大阪府警は4月25日、朝鮮総連大阪本部など8か所を「威力業務妨害」として家宅捜索した。それまで朝鮮総連への家宅捜索はタブーとされていたが、「1955年に朝鮮総連が結成されて以来の出来事」となったという。
 朝鮮総連は、この事件に「無関係だ」として家宅捜索に猛然と反発し、大阪府警や東警察署に対し一か月近くの間、連日数千人規模の抗議デモを行ったという。しかし、事件の指令書や計画書などの大量の証拠品が押収される結果となった。

  ◇ ◇ 左派系文化人は、朝鮮総連を擁護した

 情けないことには、朝鮮労働党と友好関係にあった日本社会党の国会議員や、親北系の日本の知識人や文化人が、不当な家宅捜索だとキャンペーンをはったのである。
 こういう左派系の人々は、一見、正義を装いながら、北朝鮮の民主化を求める人々の言論の自由を貶め、乱暴狼藉という暴力行為を容認し、人権抑圧に加担した罪は重いものがある。さらに、わが国の安全保障の正当な議論を捻じ曲げてきた責任も重大だ。
 警察が家宅捜索で押収した資料の中には、李英和氏の個人ファイルもあった。
 彼の住所・電話番号はもちろん、乗用車の車種とナンバー、詳細な通勤経路、購読新聞名、郵便物の量や内容……といったものである。「尾行と張り込みを続け、郵便受けをあさる」といった行為が、平然と行われていたのである。
 李英和氏には、北朝鮮の民主化を妨害しているのが朝鮮総連であると確信したに違いない。
 2010(平成22)年3月11日、日本での高校授業料無償化に朝鮮学校を含むかどうかが議論されていた際に、李英和氏は文部科学省で記者会見した。
 彼は、朝鮮学校で用いられている独自に編纂された教材『現代朝鮮史』を公開し、「すべての記述に金日成、金正日の功績が出てくる」と述べた。その内容は、民族教育に値しない思想教育であり、「朝鮮学校は朝鮮労働党や朝鮮総連の支配下にあり、……学校が非民主的に運営されていて問題があり、…文部科学省の指導が届かない学校に無償化を適用するのは疑問だ」と語った。まったくその通りである。
 
 ◆日本国民は改めて「北朝鮮の実態」を知るべきです … 十悠のツィートより
 脱北者からのメッセージです。チャンネルは一つしかありません。インターネットはありません。人々は歌いたい歌を歌い、話したいことを話し、着たい衣服を着、考えたいことを考える自由がありません。北朝鮮は、国に認められていない国際電話を使うと処刑される世界でただ一つの国です北朝鮮の人々は今日も恐怖にさらされています
 私が北朝鮮で育った頃、一度も男女のラブストーリーに関するものを見たことはありませんでした。恋愛の本はなく、歌もなく、雑誌もなく、映画もありません。ロミオとジュリエットのようなものはありません。全ての物語は、独裁者キム達に関する洗脳をする、単なる思想の喧伝でしかありませんでした。
 1993年私は生まれましたが、生まれたとともに拉致されたも同然でした。自由、人権といった言葉を知る前にです。北朝鮮の人々は今この瞬間にも自由を求めながら死んでいます私が9才の時、私の友人の母親が人前で処刑されるのを見ました。彼女の罪は、ハリウッド映画を見たことでした政治体制に関して考えを述べることは、3世代全ての家族を投獄、もしくは処刑されることになります
 私が4才の時、私は母に言われました、決してささやくこともしてはいけないと。森、そしてネズミさえも私の声を聞いていると。私は北朝鮮の独裁者達が私の心を読むことさえできると考えていました。私の父は、私達が北朝鮮から逃げた後、中国で亡くなりました。そして私は夜中の3時、隠れて父を埋めなければなりませんでした。私は14才でした。私は泣くことも出来ませんでした。私は北朝鮮に送り返されるのが怖かったのです。(⇒[北朝鮮・脱北者・帰国事業・朝学校についてのまとめ]参照)
 
 ■北朝鮮「安倍は危険なばくちをしている。日本列島はまるごと海中に葬られかねない
 北朝鮮の「朝鮮アジア太平洋平和委員会」が2017年10月28日、衆院選で勝利した日本の安倍政権について「安倍は核脅威論で政治的野心を実現した」などと非難。「アメリカの手先となって軽率に振る舞えば日本列島がまるごと海中に葬られかねない」などと威嚇した。朝鮮中央通信が伝えた内容として、中央日報などが報じた。
 さらに、11月初旬に予定されているトランプ大統領訪日の際に、安倍政権が北朝鮮の核の脅威などを中心議題に据えていることについて触れ、「安倍とその一味はいま島国の前途と自国民の運命を賭けて危険千万なばくちをしている」「このまま老いぼれで異常なトランプの奇妙な言動に調子を合わせてアメリカの手先となり軽率に振る舞えば、日本列島は丸ごと海中に水葬されかねない」などと威嚇した。
 ■産経:「取るに足らない日本列島を核で海中に沈めるべき」北朝鮮が声明
 13日、国連安全保障理事会による対北制裁決議の採択を主導した米国・日本・韓国に対し、「卑劣な国家テロ犯罪を再び働いた」「米国の地を焦土化しよう」「取るに足らない日本列島の4つの島を核爆弾で海中に沈めるべきだ。日本はもはや、われわれの近くに置いておく存在ではない」「集中射撃で親米逆賊集団(韓国)を掃討しよう」と非難する報道官声明を発表した。更に、「信じるものは自分の手で握り締めた自衛的核戦力だけだ」と強調し、米国などに「地球も壊す絶対的力を持つわが軍民の恐ろしい気概を直視し、むやみに狂奔してはならない」と警告した。2017/09/14
※この状況でも、韓国は北朝鮮に8億ドルもの人道的支援を出すとか。その資金が次のミサイルやソウルを火の海にする兵器に使われるのに。日本においては、朝鮮総連及び朝鮮学校を含む関連団体を強制帰国させるべきだ。



北朝鮮政治犯収容所の地獄風景、脱北者が人権状況を告発:2012/05/20産経
     http://sankei.jp.msn.com/world/news/120520/kor12052018000001-n3.htm

 北朝鮮の独裁支配体制を根幹で支える政治犯収容所。その内実を描いた脱北者らのスケッチ集が韓国で編集され話題となっている。すべてのスケッチは、公開銃殺や絞首刑、拷問などの目を覆いたくなる惨状を脱北者自身が描いたもの。金正恩体制となったいまも、大量の住民が強制収容され、暴力と死の恐怖におののきながら暮らしている。
 スケッチ集は「脱北者が直接描いた北朝鮮政治犯収容所」。1975年から2002年までの27年間、収容所に囚われ「最長期の収容者」として知られる女性脱北者、キム・ヘスクさんらが提供したスケッチを韓国の北朝鮮民主化推進団体である「社団法人 北朝鮮民主化ネットワーク」が編集した。
 冊子は「衣・食・住」から「強制労働」、「拷問」そして「死」へ−と、収容所の“恐怖のシステム”の流れに従って編集されている。最悪の衣食住の上に、過酷な拷問と強制労働。そのあげくに待ち受けているのは、死だった。
 ■スケッチ(1)は、「政治犯」の靴下と靴。
 収監者は、ブタの皮革を足に縄でくくりつけて靴下の代わりとしている。そして廃棄タイヤの側面ゴムを針金で縫製した靴を履く。すべて収監者自身が作ったものだという。
 ■スケッチ(2)は、収容所の住居だ。
 5〜6家族が入居する長屋は、藁葺き屋根に泥の壁で作られており、雨が降ればじめじめする最悪の居住環境だ。
 ■その下は「食」。
 収監者に与えられる1日あたりの食糧は主にトウモロコシで350グラム未満。このほか、塩水に漬けた白菜の葉が3切れと若干の塩。ブタのえさも食べる。肉類は供給されないため、収監者たちはネズミを捕獲してタンパク源としている。
 ■スケッチ(3)から(7)は拷問場面の再現だ。
「鳩の拷問」は、天井から弓ぞりにつるす。
「ポンプ訓練」は、意識がなくなるまで下半身の屈伸を繰り返す。
「殴打拷問」は、直径5〜8センチの硬い木材で全身をくまなく殴打する。
「指の切断」は、ミシンをうっかり落として、受けた拷問だった。
「あぶりの拷問」は、家族が逃亡、その責任を負わされ火あぶりを受けた。
   やけどのケロイドがいまも残っている。
 ■収容所では、1週間に1度、監房を出て日光浴が許されていたが、
  その間にも銃床で殴るなどの暴行を受けた(8)。
 ■(9)は、公開銃殺の場面。トウモロコシを盗み食いしたとして処刑された。
 ■(10)も絞首刑の様子だ。収容所内で宗教活動を行った疑い。



飢餓地獄の北朝鮮で人肉食相次ぐ 親が子を釜ゆで

 昨年4月、金日成生誕100年祝賀行事と「祝砲」のミサイル発射で金正恩氏の新体制を内外に誇示した。しかし、北朝鮮南西部の穀倉地帯で、昨春来、数万人規模の餓死者が発生していた(アジアプレス)。金正恩の第一書記就任に向け、首都平壌建設や、北朝鮮人民軍の掌握のための食糧調達を、穀倉地帯から強制収奪した結果の飢餓発生だったもよう。目撃証言は一家自殺や人肉食など凄惨な内容で、今月中にも国連など国際機関に提出する。(2013/01/27:産経)

■麗しい首都平壌と穀倉地帯の飢餓地獄
 北朝鮮人記者による潜入取材などを敢行して証言を集めた。
 ・黄海南道、農村幹部
『私の村がもっともひどかったのは昨年4月と5月でした。飢えて全滅した一家もあれば絶望して全員が自殺した家もあった。毎日5世帯、6世帯と死人が出た』
 ・黄海道の党中堅幹部
『目を覆いたくなるような状況でした。青丹郡というところでは住民の何割が死んだかわからないほど。空腹でおかしくなった親が子を釜ゆでして食べて捕まる事件があった』
 石丸氏が衝撃を受けたのは、取材した黄海道住民の全員から人肉食の証言が出たという凄惨な事態だという。親子殺人や人肉の密売流通などで、多くは保安部(警察に相当)に通報され処罰されているため住民の間で公然化していたという。

■権力による計画的な食糧収奪と強奪
 国中が疲弊するなかで平壌と軍の安定だけは金正恩体制の至上課題だった。黄海道から収奪されたのは、首都再開発事業に全国から動員された学生や青年同盟(金日成社会主義青年同盟)などを養う食糧と、平壌市民への配給用の『首都米』、軍部隊を維持するための軍糧米だ。地方幹部や警察など権力側がチームを組んで農村から強奪していた。一方、軍用は軍糧米の名目で、収奪は収穫前に田畑に入るケースや収穫後に持ち去るケース、さらになけなしの食糧を隠している住民も、家宅捜索までされて強奪された。
 しかし、昨年から始まった飢餓は明らかに金正恩氏デビューに伴う莫大な浪費によるものだ。新しい指導者が出たのに『軍に配給もない』では体制は保てないため穀倉地帯に負担を強制したのだ。われわれが取材した証言には、銃を持った軍人が脱穀所から食糧をすべて奪取した目撃談や、上部からの命令でノルマを課され暴力的に奪取する以外に方法がなかったと語る地方の党幹部などの話が少なくない。
 取材チームは、入手した複数証言の分析から餓死者は数万人と推定した。黄海南北道は中国国境に遠いこともあり、中国への脱出者が全土で最も少なく情報が外部に出にくいという。



◇北の宣伝サイトの会員リスト、韓国の教授や政治家も
            朝鮮日報 ⇒http://www.news-us.jp/article/354077779.html
 国際的ハッカー集団「アノニマス」が2013/04/08日に公開した、北朝鮮の対南(韓国)宣伝用ウェブサイト「わが民族同士」の9001人分の会員リストには、韓国人も数多く含まれていたことが分かった。住民登録番号が必要な韓国国内の電子メールアドレスを使用した会員のリストであるため、徐々に会員の身元が把握され始めているようだ。
 「わが民族同士」は北朝鮮の対南工作機関「祖国平和統一委員会」の声明や談話などを掲載し、北朝鮮で発行される「労働新聞」や「統一新報」などの記事を紹介する対南宣伝サイトだ。現在、韓国国内では国家保安法に基づき有害サイトに指定されているためアクセスはできない。しかし実際は迂回サイトを通じてアクセスは可能で、また海外では自由にアクセスできる。

■ネットでは会員リストを追跡中
 韓国の掲示板サイト「日刊ベスト」ではリストに掲載された電子メールアドレスとその氏名に基づき、その人物がこれまでネットに書き残した内容の検索が活発に行われるなど、人物を特定するための作業が活発に行われている。また別のサイトでは統合進歩党の党員、全国民主労働組合総連盟(民主労総)の幹部、大学教授、全国教職員労働組合(全教組)所属の学校教諭、メディア関係者、大学の元学生会長、航空会社の機長なども会員だったとの書き込みが相次いでいる。しかし警察関係者は「サイトへの加入は本名を使わなくとも可能なので、リストだけでその人物を特定するのは難しい」と説明している。…

■閲覧にとどまらず積極的な会員加入なら、処罰も可能
 国家保安法によると、韓国国内の居住者が「わが民族同士」に加入、あるいは会員として活動することは原則として違法だ。そのためリストの中に韓国の居住者の名前があれば、その人物に対する法的な処罰は避けられない。…国が違法サイトであることを明確にし、アクセスそのものを遮断した状況で、違法な方法まで駆使して積極的にアクセス、閲覧するだけでなく、会員となっていたのであれば、通常は犯行の意志があったと見なされるからだ。…
                柳井(リュ・ジョン)記者
 ■北朝鮮の工作員名簿にNHK職員の名前
 アノニマスが流出させた北の工作機関サイトの会員リストに、NHKソウル支局長「塚本壮一」の名前がある。他にも学習院大学の辻弘範教授、厚生労働省水道課の熊谷和哉など盛り沢山だ。当然、NHKを解約し、解体は当然だ。 Netより
 ■NHKは支那人と朝鮮人に乗っ取られてから
視聴料の取り立ては苛烈を極めるようになった。無数の裁判がそれを物語る。要するにコイツラは日本人ではないのだ。NHKは北朝鮮の日本人拉致に深く関与している。NHKは支那共産党の日本侵略工作最前線拠点なのだ。これは戦争である。 Netより


◇核ミサイル発射準備の北、朝鮮学校補助金を計上する非常識

 G8外相会合で、もっとも強い言葉で北非難声明を採択した「さらなる核実験やミサイル発射を実施した場合、それ相応の重い追加措置を取る」。同時に、米大統領は北朝鮮は「好戦的な取り組みに終止符を打ち、熱を冷ますべきだ」とし、米国防長官は韓国を訪問して同盟国防衛を強調する。その一方で、日米はPAC3を沖縄へ常備を展開し、ミサイル防衛を万全にした。さらに、米財務次官・テロ金融犯罪担当が、久しぶりに北朝鮮の巧妙な偽ドルを公式に批判した。この米国の強い姿勢が、韓国世論を西側に引き留め、日米安保を強固なものとしており、シナの軍事・政治圧力を跳ね返している。だが、北朝鮮を物心両面で支援しているのは「助言聞かない、打つ手無し」と虚言を吐き、影響力の拡大を狙っているのだ。
 しかし、この緊急時に未だに7割の都道府県が、北朝鮮下部組織・朝鮮総連配下の総連学校に約2億5千万円物税金(前年比較、約-3千万)を支給している。1億3702万円の兵庫、2694万円の京都、2048万円の愛知は、世界を脅かし、日本に核を向ける北朝鮮に今年も支給しようとしている。信じられない暴挙だと思う。
    

 ■産経:北迎春講演に121人動員、「個人崇拝」取り込み鮮明。2014/01/21
 北朝鮮で昨年12月31日に開かれた「学生少年の2014年迎春公演」に日本から朝鮮学校の生徒ら121人が動員され、朝鮮中央テレビの映像では、公演後半に生徒らが「私の祖国は金正恩元帥さまだけだ」とたたえる歌舞を披露。「私たちの学校、(朝鮮)総連を守ってくださる金元帥さまがいらっしゃれば怖くない」と歌い上げ、「元帥さまだけを最後まで信じて従う愛国の柱に強く育ちます」と忠誠を誓っていたことが、国営テレビの映像や関係者の話で分かった。
 12、13年に続く動員で、金正恩書記の「唯一指導」と個人崇拝に日本に住む生徒らが取り込まれていることを示しており、日本国内の朝鮮学校に対する各自治体の補助金支給の是非をめぐる議論が再燃する可能性もある。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者らによると、東京や大阪の朝鮮初・中級(小中)学校の児童や生徒と、校長ら引率の職員を合わせ、過去最大規模の128人が昨年12月5日から今月10日に訪朝した。



[ 告 発 ]

 パンジ著[告発]の紹介文と、後書きを紹介いたします。一度手に取り、読んで欲しい。そして、この小説を書くのに、自分を含め家族親族、そしてまだ見ぬ自分の子孫にまで累々と犯罪人としての汚名と苦難が待っているという事実を、私たちは信じることが出来るのだろうか!
 何も知らずに最初に読んだときには、正直に言って『脱北記』以外は、退屈に思った。しかし、彼は暗闘の中でさえ、人としての純粋で清らかな精神を保ち続けている。暗夜の中だからこそ、光もまた輝くのだろう、常人には見ることの出来ないこの輝きを彼は魂の奥底に見ているのだろう。それはソルジェニツィーン氏が「神に帰れ」と、魂の奥底に訴えた輝きと同じだと思う。

推薦の辞

  暗闇の地、北朝鮮に灯りをともす、ホタルの光となり……

 パンジは朝鮮作家同盟中央委員会に所属しており、一九五〇年に生まれ、朝鮮戦争も体験し、両親とともに中国まで避難し幼年時代を送り、再び北朝鮮に戻り生活しました。
 平素から文学の素質を見せたパンジは二十代の一九七〇年あたりから頭角を表し、北の雑誌に文が載ることもありました。一時は文学への夢を諦め労働現場で労働しながら厳しい生活を送り、かたわら様々な文学作品を書いたことが認められ、多くの作品を作家同盟機関誌等に寄稿もしました。
 一九九四年、金日成死去の時点から始まったいわゆる苦難の行軍において、多くの友人・知人たちが死に、食べるため生きるため故郷を捨て去る彼らの後ろ姿を見つめながら、これまで生きてきた北の社会に対する自身の深い省察を、本を通して世に知らしめるべきであると、固く決心することになります。
 北朝鮮式社会主義経済制度の問題点、出身成分(北朝鮮における階層制度の階級)で区分される人類最悪の連座制で呻吟する北の住民の代弁者として自身の役割を設定したパンジは、誰にも訴えることのできない北の住民たちの実際の苦しく悲しい事情ひとつひとつを収集し、自身の作品の中に込めました。それぞれの事情の中に込められた訴えと実際に起きた事実に基づき、すべてのことを自身の作品に取りこみはじめました。
 しかし、北の社会の現実はパンジの作品が世に出るにはあまりにも厚い鉄のカーテンでした。いつかはそのときが来るであろうと信じ数多くの作品をひとつひとつ積み重ねていったその頃、パンジと交流があった成輿に住む親戚のひとりが密かにパンジを訪ね、中国へ行くという決心を打ち明けました。これを聞いたパンジは、妻子がいる身で自身が動くにはあまりにも制約があることを知り、たったひとりで脱出を決心する親戚を見て、「今しかない」と直感し、三日後親戚が去るときに自身の保管していた原稿を渡しました。
 原稿を手渡された親戚は、今は自分も脱出できる確実な保障がないので、脱出の道を用意し再び来るという約束をして去りました。
 がっかりしたもののどうすることもできないパンジでしたが、数ヶ月が経ったある頃、見慣れない青年がパンジを訪れ、何も語らずどニール袋に包まれた手紙を彼に手渡しました。
 手紙の内容は次のとおりでした。
「兄さん、明玉です。連絡が遅れてごめんなさい。
 今、私は平穏な場所に来ています。私が無事にいられるように助けてくれた方が、人を送ることでしょう。
 私の手紙とともに。手紙を確認したら、以前私に渡そうとしたものを彼に渡してください。
 信じて大丈夫です。兄さんと私だけが知ることですから。
 そのときのものは確か二つでしたね。
 兄さんも良い世の中で一度暮らしてみるべきなのに。そんな日がきっと来るでしょう。
 残してきた家族を考えると、泣いてばかりいます。兄さん、きっとまた会いましょう … 。
 身体に気をつけて。
                      明玉より

 手紙を受け取ったパンジはしばらく黙っていましたが、小さなたんすの奥にしまっていた原稿を取りだし、その青年に渡します。どのように死んでも同じだという考えで、その手紙の内容だけを信じてのことです。原稿を受け取った青年は直ちに家を出て、パンジの原稿は今、自由と希望の地・大韓民国にあります。
 『収容所群島』を書いたソ連の抵抗作家ソルジェニーツィンが、自身の作品をこつそり西側で世に出させたのと同じように、北の抵抗作家であるパンジの『告発』は、美しいホタル(朝鮮語のパンジ)の光となり北の暗闇に灯りをともそうとして、世に出ることを待っています。
 今日もパンジは、彼自身が書きたいものを存分に書ける日が来るのか、自由な日が来るのか、統一の日を指折り数えながら、共産主義の終末に向け筆鋒を高く書き続けることでしょう。


あとがき:待ちに待った北朝鮮の短編集だ


 ついに出た! 待ちに待った北朝鮮の短編集だ。
 私が待ったというのは『赤旗』平壌特派員を追放された一九七三年からである。今年で四十三年になる。それまでは北朝鮮に憧れて第二の祖国ぐらいに思っていた。ところがその幻想が破れるのは三カ月ほどのちだったろうか。特派員だから街を自由に歩くことが不可欠だ。それが規律違反とは思いもよらなかった。私は北だけではなく南の韓国も守備範
囲だったため韓国の新聞を見ないと南のことはわからない。『赤旗』編集局から韓国紙の二紙を送らせるからと、労働新聞の幹部に了解を求めた。「取材については便宜を図る」というだけで、これもだめだつた。私は平壌郊外の招待所″という二棟の団地の一室で事実上の軟禁生活だつた。
 私にはもうひとつの目的があった。大阪の定時制高校の同級生で一九六〇年に北朝鮮に帰国″した在日朝鮮人の友人の消息探しだった。一九六六年から消息は途絶えていた。新聞記者なら消息探しなどわけないと思っていちおう北当局に提起はした。同時に日本から持っていった住所をたよりに一人で探しに出かけた。それが重大な規律違反だつたのだ。つまりスパイ行為だった。そして一九七三年二月十六日の夜、私や妻、青田資治さん(日本共産党の平壌代表)の三人が所用で出かけて誰もいない夜に踏みこんですべてを写真で振っていったのだろう。その時の恐怖を、肌身離さず身につけている手帳に自分だけに分かる符牒まじりでこう書いている。
「ついに踏みこまれた。このままでは発狂だ。発狂すれば俺の負けだ。俺は負けはしない」
 こうも書いている。「恐ろしい国。むしろ刑務所といってもいい。しかし刑務所にはまだ思想の自由がある。考える自由が。ここではその自由もない。朝から晩まで金日成一色。ガンガンガンガン。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌。考えるすきも与えない。恐ろしい。人間の心に与える抑圧。そのもとで黙々と羊のようにおとなしい人民。これにも無性に腹が立つ。全土がスパイ網でおおわれている」そして翌月の三月十日私の退去令≠ナあった。
 私のわずか十一カ月の北朝鮮体験ではあるが、日本人では初めての体験である。それに照らしてパンジの『告発』は私なりに「ついに出た」という思いだった。「羊のようにおとなしい人民」とあの時は罵倒したが、今は命がけでこの体制打倒のために告発した人がっいに出てきた! という賞賛の気持ちである。何としてでも彼のたたかいを支えようという気持ちである。
 『告発』は七つの短編からなっている。いずれも私の平壌体験に照らして納得のいく作品である。神様扱いの金日成。それに反して虫ケラのような人民。たとえば、白いご飯に肉のスープを食べ瓦屋根の家に遠からず住めるという金日成の大ウソにだまされた主人公の馬車引き(『駿馬の一生』)。金日成の“一号行事”のために一切の列車を停止させ待合室に閉じこめる。その大混雑の人波に押されて足の骨を折った孫娘と自分の連れ合いの腰を強打したおばあさんの話(『伏魔殿』)。一生を己のことは考えずに人民の幸せのために捧げつくした工場技師を銃殺する話(『赤いキノコ』)。金日成の肖像画が怖いと泣く幼子のために収容所送りのトラックに乗せられてゆく一家(『「幽霊の都市』)。
 私が思わず涙が出そうになったのは『脱北記』である。若夫婦の夫は独学で製図工のぴかいちだが、労働党に入党できない。そうした身分差別を意に介せずまじめに働くその姿に惚れて「同情から」結婚した若い女性。ある日、夫の甥っ子の小学生が家に来る。しよげている。聞くと学級委員になれないと言う。一度はなつたが取りあげられたのだ。妻が手を尽くして得た情報では、夫の父親は解放前の富農で“敵対群衆”にされている。元山で、あるささいな失敗のために“反党反革命分子”とされて死刑になっていた。息子がいくら優秀でも大学に行けず党員にもなれないのはこうした“成分”という名の階級差別のためだったのだ。甥っ子まで学級委員を取り消されたのもそのためだった。木の下で泣いていた。幼い子供でも親戚に一人“反党反革命分子”がいるだけで、一切の役からはじかれる仕組みである。
 北朝鮮の社会が分かりにくいと言われるのはこの成分≠ニ呼ばれる階級差別のためである。社会主義を標模しているため階級はないと錯覚する。ところが実際は、封建時代以上に封建的な国である。神に等しい金日成とその家系。朝鮮労働党と国家保衛部はその神様を守る特別な権限を持つ。そのメンバーは権力を小分けされて威張りかえっている。それに反して人民は虫けらのよう。
 全人口を核心階層、動揺階層、敵対階層の三つの階層に大別する。核心階層は金日成などのパルチザン出身者や朝鮮労働党員、朝鮮戦争時に犠牲になった遺族など北朝鮮で優遇される階層である。十三個に分類される。敵対階層は、植民地時代の地主や資本家とその末商、親日親米分子、韓国に渡ったものやその家族など十一個に分類されている。この中間に位置する動揺階層は朝鮮戦争の際に韓国やアメリカに服務した者、日本からの帰還者、朝鮮労働党を除名された者や宗教関係者など。二十七個に分離されている。合計五十一個に細分されている。こうした差別政策のために生涯にわたって監視と差別と排斥を受ける。この『告発』の中でも、随所にこの階級差別の矛盾と誤りが取りあげられている。
 「羊のようにおとなしい人民」の中からついにこれを根本的に打倒しようという作家が登場した。彼は言う。「あの赤いキノコを、あの毒キノコを引き抜いてしまえ!この地から、いや、地球上から、永遠にー」。赤いキノコとは金日成を頂点とする朝鮮労働党の封建的軍事的抑圧の象徴である。
 この『告発』に私が興奮したのもわかっていただけるのではないか。
才能ではなく
怒りで
インクにべンではなく
血の涙に骨で書いた
私のこの手記
読者よ!
どうか読んでください
 という北朝鮮の作家の命をかけた怒りのこの作品集を、なんとしてでもこの日本で広めることは私の残された時間のすべてである。
 私は四十三年の間、北朝鮮という邪悪の国が崩壊することを願い、彼らとたたかってきた。崩壊しそうで崩壊しない北朝鮮。中国やロシア、日本、アメリカなどの北朝鮮の周辺国は、あの国が崩壊することが自分たちの利益にならないのだ。肝心の韓国も半分ぐらいは崩壊反対ではないか。となると崩壊は簡単ではない。しかしいくら他の国が反対しようが崩壊して、北の国民が自由に朝鮮半島を歩けること、自由に出入国できること、何を言っても上御一人の意向だけで処罰されないこと、政府に餓死を強要されないこと、つまり基本的人権が北朝鮮の国民すべてに与えられること、これが基本である。そうした基本的人
権が国民に与えられない以上あの国を崩壊させることこそ善であり、何物にも優先すると私は思う。
 私は今から四十五年前の一九七一年に韓国の詩人金芝河の作品を日本人として戦後初めて韓国語から翻訳紹介した。私は当時『赤旗』編集局の記者だった。この時の私の思いは、金芝河は朴正煕独裁政権といずれ衝突して殺されるだろう。しかし死なせるにはあまりにも惜しい人物だった。何とかして助けたい。私のできることは金芝河を有名にして朴正煕の手の届かないところに祭りあげようというものだった。そのために彼の詩集や戯曲などを集めて、日本の大手出版社である中央公論社から『長い暗闇の彼方に』と題して翻訳出版された。この時のペンネームは渋谷仙太郎だった。
 それから三年後の一九七四年、不幸にして私の予想は的中して金芝河は死刑の判決を受けた。韓国の公判廷でいつ私の名が出るか毎日が針のむしろだった。日本共産党の支援を受けているとわかれば彼は「反共法」で死刑である。命を助けたいと思ってしたことが逆に彼を殺すことになれば私も生きてはいられないと覚悟を決めて死に場所を探してさまようこともした。金芝河の死刑判決は「詩人を殺すな」とこの日本で轟々の反響を呼び、各国に波及した。その論拠が私の翻訳した『長い暗闇の彼方に』であったことを今、光栄に思う。金芝河の命懸けのたたかいの結果、彼に死刑判決を下した朴正煕は仲間のKCIA責任者に射殺された。
 今、幸い金芝河も私も元気である。一九九三年、金芝河とは二十三年目にして初めて彼の自宅で会った。民主化なって日本共産党の党員でも韓国に行けるようになったのである。金芝河は立派な人物として今も親交をもっている。かつての民主化運動の旗手たちの多くが、たとえば金大中などが北朝鮮の主体思想派や従北勢力になったが金芝河はそうではない。かつての民主運動に属する連中について金芝河はこう評している。
 「最近の彼らの政治形態は主体性なるものはまったくなく、北韓の政治コマンドス(特攻隊)に転落してしまった」と。金芝河こそ民主化の立役者として韓国現代史に残る人物である。そして今、北朝鮮の作家パンジの作品を翻訳した。南の詩人の作品を訳して韓国の独裁を倒したのに次いで北の作家の命懸けの作品集を手掛けることになった。名誉なことである。これでもって北朝鮮が倒れたら私の光栄はこれ以上ない。しかしこれは私ひとりの功績ではない。元の訳者がいる。それを記して感謝を送りたい。
一.脱北記/二.幽霊の都市/三.駿馬の一生/四.日と鼻が万里/五.伏魔殿/六.舞台/七.赤いキノコ
 以上のうち、二と四を除いては雑誌『拉致と真実』に掲載した。二と四を含め七つの作品について萩原遼が一字一旬原文と照らし合わせた。この作品集『告発』を日本で広め、一日も早く、邪悪な軍事独裁政権を打倒し、北朝鮮で苦しんでいる人たちを解放するために全力を挙げる決意である。







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