世界の偉人達が伝える日本の誇り


 [世界の偉人達の驚き日本発見記]及び続から、抜粋致しました。
 是非、お子様にも読ませてあげたい良書で、一生の宝となることでしょう!




本書前書きより

 「ニッポン人には、日本が足りない」
 東北の老舗旅館に嫁いだ外国人女将の言葉です。
 日本には世界中がうらやむほどの精神的宝があるのに、当の日本人がそれに気付かず、外国の物まねばかりして、自分自身の良さを消してしまっている。それが残念でならないとの嘆きが聞こえてくるようです。・・・
 しかし、このすばらしい日本文化の連続性、普遍性は今、危機に瀕しています。明治以降の西洋近代化と、戦後のGHQによる占領・戦後体制、あるいは高度経済成長によって、日本人本来の姿が見失われつつあるのです。
 「もったいない」という言葉が世界中に受け入れられたように、日本の価値観を積極的に発信していくことこそ、これからの世界に必要とされているのではないでしょうか。その期待に応えるためにも、まず私たち自身が自らの内にあるその価値に気づき、それを取り戻して行きたいものです。



ゴッホ
日本芸術を研究すると、明らかに賢者であり、哲学者であり、知者である人物に出会う。その人は何をして時を過ごしているのだろうか。
地球と月との距離を研究しているのか。ちがう。ビスマルクの製作を研究しているのか。いや、ちがう。その人ほただ一本の草の芽を研究しているのだ。
   ・・・
まるず台身が花であるように、自然の中に生きる、こんなに簡素なこれらの日本人が、われわれに教えてくれるものこそ、まずは真の余教でほないギろうか。・・・
もっともっと幸福ににならねば日本の芸術を研究することはできないだろうとぼくは思う。またぼくらほ、自然にたち蕗らなければいけないと思う。
※印象派のモネ・ドガは浮世絵を百枚以上、ゴッホは四百枚以上所有し、日本を研究していた。



小泉八雲
いったい、日本の国では、どうしてこんなに樹木が美しいのだろう。
西洋では、梅が咲いても、横がほころびても、格別、なんら目を驚かすこともないのに、それが日本の国だと、まるで美の奇蹟になる。
その美しさは、いかほど前にそのことを書物で読んだ人でも、じつさいに目のあたりにそれを見たら、あっとロがきけなくなるくらい、あやしく美しいのである。



トインビー

 今後の世界平和は宗教観で仲良くすることと考えていた。三度目の来日のおり、伊勢神宮を参拝した時、毛筆で綴ったそうです。また、「西洋がどうしても学び、心に留めなければならない教訓」は、人間と自然の調和を保つ方法で、人間が生き残るための必須条件であり、「これはまぎれもなく神道の教えですとしていた。
−−−伊勢神宮にて−−−
私は、ここ、聖地にあって、諸宗教の根源的統一性を感じます。



フィッセル
 長崎のオランダ商館のオランダ人事務官で、帰国後「日本風俗備考」をオランダで出版した。

上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたつていることを知ることができよう。各人はそれぞれの境遇において幸福である。

 ◆和の国 日本
 江戸時代、日本は専制国家と聞いてやってきた外国人は、意外にも上下が親和的な国であることに驚きます。18世紀後半来日したスウェーデンの医学者ツンベルグは、「専制政治は正義を全然排するものではない」とし、法は「正しく厳重で」「すべての日本人は法に対して平等」と述べています。同様に、フィツセルも、「専制主義は名目だけであり、実際には存在しない」と言い、どんな人も法の上に立たない実態を見て、「各人は法の前に完全に平等」と結論。さらに、「上級の者が下級の者を高慢に取り扱うことがなく、親切心をもって扱っている」、このような幸せを日本と同等程度に西欧は実現してきたか、と疑問を投げかけています。
 カッテンディーケ(勝海舟などを教えた幕末の海軍伝習所教官、オランダ人)は、「町人は個人的自由を享有している。しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でもあまりその比を見ないほどの自由である」と驚嘆。
 アメリカの社会学者スーザン・B・ハンレーは、1850年の時点で住む場所を決めるなら、庶民であれば恵まれた日本を選択。一方、上流階級は、日本は質素すぎるため贅沢ができたイギリスがよいといいます。
 ハンレーは江戸の行政行為が効果的だった理由は、武士道があり、上の者が下を慈しむ心が一因であると説きます。ただし、上下相和す親和性は、もっと以前から存在していました。3世紀の魏志倭人伝では、「会同・坐起には父子男女の別」はなく、身分の上下はあるが、「互いに臣服するに足りる」とあります。聖徳太子の十七条の憲法では、「百姓におさめとることなかれ」(十二条)と書かれ、百姓を「おおみたから」と読むなど、民は国の宝として大事にされてきました。その第一条にいうように「上和ぎ、下睦」んできた日本は、まさしく世界に冠たる「和」の国でした。




三浦按針

 英国人の航海士で、その豊かな知識故に、家康に仕えた。
日本島の住民は、性質温良にして礼儀を重んずることはなはだしく、戦に臨みては勇敢、国法厳にして、犯したる者は豪も仮借するところなし。
いまや国内平和なり。けだし内政よろしきこと他国に比を見ざるところなり。



ケンベル

 独人の医師、植物学者。二回江戸に行き、将軍に謁見した。帰国後、「日本誌」を出版した。
世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人にまさるものはない。のみならず彼らの行状は、身分の低い首姓から最も身分の高い大名に至るまで大へん礼儀正しいので、われわれは国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう。



モース

 米国の動物学者(東京帝国大学教授)で、大森貝塚を発見し、日本考古学の父と呼ばれる。

 亭主に、私が帰るまで、時計と金とをあずかってくれぬかと開いたら、彼は快く永如した。召使いが一人、蓋の無い、浅い塗盆を持って私の部屋へ来て、それが私の所有品を入れる物だといった。(中略)
 私ほ主人を呼んだ。彼もまた、ここに置いても絶対に安全であり、彼ほこれらを入れる金庫も、他の品物も持っていないのであるといった。いまだかつて、日本中のいかなる襖にも、錠も鍵も(かんぬき)も見たことが無い事実からして、この国民がいかに正直であるかを理解した私は、この実験をあえてしようと決心し、恐らく私の留守中に何回も客が入るであろうし、また家中の召使いでも投宿客でもが、楽々と人り得るこの部屋に、蓋の無い盆に銀貨と紙幣とで八十ドルと金時計とを入れたものを残して去った。
 我々ほ一週間にわたる旅をしたのであるが、帰って見ると、時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至るまで、私がそれ等を残して行った時と全く同様に、蓋の無い盆の上にのっていた。
 ◇ ◇ ◇

 外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ら彼は、日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になつている尊徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。
 衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あつさりして魅力に富む芸術、拳動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・
 これ等ほ恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。


タゴール

 インド最高峰の詩聖、アジア初のノーベル文学賞受賞者で、来日五回。
 日本人ほ美の王国を全面的に手に入れた。
 彼らはどこにあっても、目に入るものほ何一つおろそかにはしないし、無視することもない。いたるところで、見ることの修行を完全なものにしてきた。
 他の国でほ、有能で鑑賞眼のある人たちの間にのみ、美を味わう能力が見られるが、この国では、全国民の間にそれがひろがっている。



シーボルト

 独の医学者・博物学者で、長崎で塾を開き、洋学の発展に寄与した。

  凪と晴れ渡った空とが一つになつて、この地を輝くばかりに美しくみせていた。
  心地よい住居のある、なんと魅力的な海岸であろうか!
  なんと実り豊かな丘、なんと神々しい神苑であろうか!
  この生気に満ちた火山性の姿の緑の峯ほ、まるで絵のように美しい!
  傾斜地の常緑の柏、月植樹は、なんと豊かに繁茂していることであろうか!
  そこの人の手で仕立てられたかに見える自然は、彼らの活動性と勤勉とを示すものだ!

◆日本人の勤勉誠実
 シーボルトは、日本の風景美を称えつつ、樹木や田畑がよく手入れされているところにも注視し、他国を凌駕する勤勉な日本人の国民性を見て取ります。
 「驚嘆すべき勤勉努力によって火山の地域力を克服して、山の斜面に階段状の畑をつくりあげているが、これは注意深く手入れされた庭園と同じで、十年に及ぶ開墾の成果が、旅行者を驚かす」。この農民の勤勉さは他国には稀有なことなのか、他の外国人も多く言及します。
 イザベラ・バードは、「わずかな田畑も(中略)すばらしくきれいに整頓してあり、全くよく耕作されており、風土に適した作物を豊富に産出する。これはどこでも同じである。草ぼうぼうの『なまけ者の畑』は日本には無い」。
 シュリーマンも、「世界のどの国にもまして、よく耕された土地が見られる」。
 ウズベキスタンの首都タシケントにナヴオイ劇場という建物があります。これは第2次大戦後、旧ソ連に抑留されていた日本人捕虜の方々が建てたものです。昭和41年(1966)、この地に大地震がありました。多くの建物が次々と崩壊していく中で、この建物は無事に残ったのです。捕虜であるのに手抜きをせず、誇りを持ち確かで誠実な働きをした日本人に、ウズベキスタンの人々は非常な感銘を受けました。このことは今でも語り継がれ、日本人は大変尊敬されているといいます。
 日本人は質を大事にします。労働の対価の分だけ働けばよいとは考えず、自分自身が納得できるまで仕事を追求し完遂します。みな勤勉で誠実、ゆえに日本には「世界一の一般人」がいる、と言う外国人もいます。「勤勉」に付随される特徴は、責任感、前向きな姿勢、誠実、努力などがありますが、これに日本特有の和の心で、皆で仕事や問題解決にあたっている事が成功の秘訣、とみる外国人が意外にも多いものです。



イザベラ・バード

 私達は三等車で施行した。「平民」のふるまいをぜひ見てみたかったからである。客車の仕切りは肩の高さしかなくて、たちまち最も貧しい日本人で満員になつた。三時間の旅であったが、他人や私達に対する人々の礼儀正しい態度、そしてすべてのふるまいに私はただただ感心するばかりだつた。それは美しいものであった。とても礼嵐正しくしかも親切。イギリスの大きな港町でたぶん目にするふるまいと比べて何という違いだろう。
 さらに日本人は、アメリカ人と同様、自分やまわりの人への気配りから清潔で見苦しくない服装で旅行している。老人や盲人に対する日本人の気配りもこの旅で見聞した。私達の最も良いマナーも日本人のマナーの気品、親切さにほ及ばない。

  ◇ ◇ ◇

 私は、これほど自分の子ビもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないと、いつもつまらなそうである。
 他人の子どもに対しても、適度に愛情をもつて世話をしてやる。父も母も、自分の子に誇りをもっている。

◆思いやりの美風
 明治11年、女性旅行家のバードは来日。汽車のなかで見たものは、マナー大国イギリスさえも乃ばぬという美しい日本人の礼儀正しさや思いやり、気品でした。
 「奥地や北海道を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも無作法な目にもあわず、安全に旅行できる国はない」、「ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国女性の一人旅は、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすり取られるのであるが、ここでは一度も失礼な目にも、真に過当な料金をとられた例もない」。世界でも突出した日本の稀有な治安の良さ・安全性にも感嘆しています。
 暑がっていると、女性たちが団扇で扇いでくれたので、お金を払おうとすると全く受け取りません。そして言うには、「少しでも取ることがあったら恥ずべきことだ」。
 紛失物を道を戻ってまで探してくれた馬子に骨折り賃をさしあげようとしましたが、「旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受け取らなかった」。
 自己の責任を全うし、富よりも誠実さを重んじる。自分優先・権利優先の利己主義ではなく、他人への気配り・礼儀を持った品性、そうした自分以外を尊重する日本人の品格を感じます。
 このような日本を見て思わず吐露した言葉は、「この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように−−−残念ながら実際にはそうではない」。
 バードはその後5回ほど来日。以前に比べ産業は活発化、鉄道や法律・制度も整備されました。一方、20年たっても変わらないものは、「熱烈で自己犠牲をいとわない愛国心、国家の長[天皇]への愛着の普遍性、祖先崇拝、家族愛、魅力的な礼儀正しさ」などを列挙します。ソフトである日本人の心を変えず、ハードを神業的に変革しえたのは、見事というほかありません。

◆日本は子供の天国
 バードは明治11年(1878)、東北・北海道を巡り、日本人の生活をつぶさに観察しました。感動したものの一つが、日本人が子供へかける愛情の探さです。とにかく、子供を可愛がる。父親も、朝から「子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり」、夜には赤ん坊に顔を寄せながら、一家団欒している様子も微笑ましいものです。
 子供を愛でる行為は万国共通と思いますが、日本は飛び抜けているといいます。モースは、「外国人の筆者達が、一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである」、「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」と述べ、幕末の初代英国駐日公使のオールコックが言うには、「まさしくここは子供の楽園だ」。
 バードが表記でいうように、他人の子供を可愛がるのも日本人の特徴の一つです。
 江戸時代、寺子屋で悪さをして子供が叱られていると、どこからともなく、おばさんが現れ一緒になって謝ります。「私に免じて」などと言ってかばい、とりなします。また、一人の子にはたくさんの「親」が存在しています。乳母・名付け親・元服親などで、子の育成に従い大勢になり、これはユニークです。このように地域の多くの人間が、一人の人間の育成に深く関わっていました。
 馬を走って先導するいつもはいさましい別当も、通りは子供らでごつた返しているので、たえず「馬の足もとで子供を両腕で抱きあげ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」(ブスケ・法律顧問として明治初期来日したフランス人)。勇猛な別当も見ず知らずの子供を大切に扱います。
 みんなから温かく見守られている様子が目に浮かぶようです。



チェンバレン

 英国の日本学者で、著書に「日本人の古典詩歌」「英訳古事記」などがある。

 一つは日本人の性格の芯の強さであり、この特殊な民族は古くから学問教育を漣綿として続けており、新しい先に直面しても眼がくらむようなことはなかったのである。

◆連綿たる日本の教育
 娘と同じ幼稚園に通っていた中国人の男の子が使用する中国の学習ドリルを見て驚きました。英語・算数・歴史等多くの問題があり、漢字は幼稚園で多くをマスター。親御さんに聞けば、その子は中国に帰るのはいやだという。勉強がきついから。日本は、「ムシキングもあるし、楽でいい」とのこと。唖然! 台湾のお母さんも、「日本は楽だ、甘すぎる」と指摘。
 チェンバレンは日本の脈々たる学問教育を讃美。ゆえに、他国とは違い幕末維新に西欧文明に接しても面食らわず、対応できたと。そう、日本は教育立国であったのです。勉学に勤しむ様は日本の美徳でありました。しかし、「ゆとり」を持ちすぎ、ぬるま湯に浸かっている間、他国はどんどん教育で鍛え、追い抜こうとしています。
 「ドイツの教育は、個人主義が横行し、贅沢・享楽を求め生存競争が熾烈。共存の安らぎがない。日本は家族の粋が強く、教育を通し会得している徳、生まれながらに十分備わっている心ばえの美しさがある」と、アインシュタインはこのように植民地獲得競争にあけくれた欧米列強の縮図のようなドイツの実情を述べる一方、日本の優れた道徳教育を尊んでいます。
 前マレーシア首相マハティールは、「愛国心、勤勉さ等」で日本が成功したと洞察。しかし、徳育、躾教育の拠点であった大家族制は今や崩壊。では、それに代わる何かをみつけたか? 育ててきたか?


フランシスコ・ザビエル

日本の人々は慎み深く、また才能があり、知識欲がが旺盛で、道理に従い、その他さまざまな優れた資質がある。

◆高い文化水準と知識欲
 ザビエルはこう言います。「彼らの大部分は読み書きを知っておりますので、すぐに祈りを覚えます」。学問を学ぶようにキリスト教義をも吸収していきました。
 「この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高であり、
  日本人より優れている人々は、異教徒のあいだでは見つけられ
  ないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意があ
  りません。驚くほど名誉心の強い人々で、他の何ものよりも名
  誉を重んじます。
  大部分の人々は貧しいのですが、武士も、そうでない人々も、
  貧しいことを不名誉とは思っていません」。

 高い文化性や道徳性を讃えますが、注目したいのは、日本人の価値観は貧富の度合いにあらず、という点です。誇りや名誉こそ重要で、お金ではない。武士は大変貧しくとも、大層尊敬を受けていました。



ブルーノ・タウト

 日本にほなお太古以来の建築物が存している。二千年にわたつて西洋建築に影響を及ぼしているアテーネのアクロポリスにたとえることを許されるならば、日本には今もつてそのアクロポリスが現存している。
 しかもその伊勢神官、ことに外宮ほアクロポリスの如き廃墟でほない。ぞれは二十一年目毎(原文ママ)に必ず繰り返される造営によって、絶えず新鮮な姿で日本人の眼前に立っている。これは世界のどこにも見ることのできない事実である。

◆万世一系の日本
 タウトは建築家ゆえ、表記のように建築物から日本の恒久性を見て取り、太古より今現在も稼動する伊勢神宮を「現代における最大の世界的奇蹟」と表現します。また、将来の日本は全世界に対する価値を持つことになるとし、以下のように述べています。「『日本』という問題は、もはや日本のみの問題ではなくして、世界全体の問題である。この国もまたその国民の自覚の低下にともなって、次第に退屈に、無味乾燥になり始めるとしたら、それは全世界にとっても恐るべき損失であろう」。
 ユダヤ系フランス人の文化人類学者レヴイ=ストロースは、「私は、自分の育った文化から言っても、自分の生まれから言っても、九州よりもイスラエルと聖地パレスチナの方に感動するはずです。ところが実際はまったく逆でした。ダヴィデの神殿の跡と考えられる場所や、ベツレヘムの洞窟や、キリストの聖墓や、ラザロの墓よりも、ニニギ尊が天下った霧島の山や天照大神が身を隠した洞穴の前にある天岩戸神社の方に、私はより深い感動を覚えたのです」。西欧人は過去の根源とは断絶しているといい、一方日本は、「最も遠い過去との杵を持続し続けている」。過去から現在に繋がっている感覚こそ稀有なものです。その象徴である長久なる皇室や国柄は、日本の誇りであり、世界の宝です。


ドナルド・キーン

 明治天皇の伝記を書き始めたときに、どのように書くか、私に決まった態度ほありませんでした。
 しかし調べが進むにしたがって、明治天皇という人物に感心するようになる。そして最終的には、当時の皇帝の中で世界一の存在だった、ゆえに明治大帝と言ったほうがいいのではないかという結論に達したのです。

◆明治天皇
 明治の怒濤の荒波は、明治天皇がおられたがゆえ、乗り越える事ができました。しかしそのお素顔は意外に知られていません。キーン氏が「大帝」と尊ぶ明治天皇は、一体どのようなお方だつたのでしょうか。
 明治6年(1873)、皇居は火災にあい灰燵に帰します。新皇居建設が急務と側近は考えますが、「自分の居室の為に人民を苦しませてはならない」、と天皇は厳しい財政事情を考えられ、お許しにならず、結局、仮皇居で十数年問お過ごしになります。
 日清戦争時、明治天皇は大本営の広島にお移りになりました。住まいは粗末な木造二階建て。机・椅子等数点の他に家具はなく、壁には八角時計のみ。あまりに殺風景なので壁に何か掛けることを側近が献言しますが、天皇は、第一線にいる軍人達には絵などない、とお斬りになります。安楽椅子や暖炉を勧められても「戦地にこのような物があろうか」、と固辞されます。手狭ゆえ増築が提案されますが、「出征将卒の労苦を思えば不便などない」。
 全国に別荘がありましたが、一度もお行きになりません。寒暑に人民が立ち働いている中、ご自分だけゆっくりなされる事には、ご自身がお許しにならなかったようです。楽や贅沢が、できるお立場なのに全くなされませんでした。
 キーン氏が特に強調する事は、明治天皇が十分な権力をお持ちであったにも拘わらず、それを行使されなかったという点です。権力を持てば行使したくなります。現にロシアやドイツの皇帝は恣意的で我僅な命令が多い。しかし天皇は、特に軍に関しては最高権力者ゆえ、人事・戦略に権力を行使しようと思われれば、できたものの、全くなされない。
 明治天皇は、無私の心で国民の事を考えられ、日本と世界の平和を思われた、世界史上に傑出した正真正銘の名君であられました。
 今の日本がこうしてあることに、明治天皇に衷心より感謝の念を捧げたいと思います。



ツンベルグ

 国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にじて礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公平、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にじて不屈である。

◆誇り高き民
 ツンベルグはリンネの弟子で、帰国後にはウプサラ大学長になりました。 そのツンベルグはこうも言っています。日本人は、「心和やかで、かつ、親切であり、(中略)しかし侮辱されたり威喝されたりする時は、毅然として立つ」。
 このような指摘は多く、ザビエルも、「侮辱されたり、軽蔑の言葉を受けて黙って我慢している人々ではありません」。
 外国人は、西洋諸国や東南アジア、中国、朝鮮を見て来て、それらとは判らかに適う日本にびっくりします。その一つは、普段は礼儀正しく従順でやさしいのに、一旦誇りを傷つけようならば、一命を賭してでも断固として立つ自尊心の物凄い高さです。私もこのギャップにいつも驚いていました。性質的には相対するものと思うからです。
 しかし我々は、元冠や日露戦争など、時折歴史上で見られるこの誇り高き気概を知っています。それはまた、戦国や幕末時に、外国勢に容易ならぬ相手と思わせ、西洋からの侵略を抑止しました。彼らの記述を見るに、この自尊心は、外国人に一目も二目も置かせています。
 誇りの高さを持っていなければ日本はとうに消滅していたことでしょう。しかし戦後、歴史・文化・伝統は否定され、誇りも解体の憂き目にあっています。その衿持をどのように保ってきたか、ケンペルはその秘訣を以下のように述べています。
 「日本人は常に祖先の偉業を記憶して、自己練磨の糧
  とし、それによって常に勇気を養い胆を練る」。



考古学者・シュリーマン

 荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(二・五フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて「日本男児」と言い、これを拒んだ。
 日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがとろにするのは尊厳にもとる、というのである。



駐日米大使・ライシャワー

 十九世紀の半ば、圧倒的な欧米の経済力、軍事力に直面したとき、日本人はひとりとして自分の利益のために外来者と手を組んで、同胞たる日本人に敵対しょうとはしませんでした。
 日本が経験したのと同じ危機や災厄に直面した他の開発途上国の指導者の多くほ、彼らの同胞の犠牲において巨額の個人資産を海外につくり上げましたが、このような行動に出た日本人は一人もありません。

◆明治維新にみる日本と諸外国の心性の相違
 明治維新は日本にしかできなかった傑出した革命でした。ライシャワーは、19世紀の日本と他の非欧米諸国の歴史を比べると、欧米からの衝撃は一緒であったにもかかわらず、日本ほど速やかに巧みに、欧米の経済・軍事技術に対処した国はなく、中国やアジア諸国とは全く異なって非凡さが際立つ、とします。
 維新の成功原因は、つまり、欧米からの衝撃という外的要素ではなく、日本人の内的な面によるというのです。
 なかでも特筆するのは、日本人が私心を持たない事。いかにこれが稀有で驚きの対象だつたか、ライシャワーは表記の他にも別の言葉で繰り返し述べる程です。
 自らの特権を犠牲にして椎新をやり遂げた事も偉大。英国の歴史学者トインビーは、「彼らは、ほとんど崇高といってよいほどの、高い自己抑制の境地に到達した。(中略) 日本が独立を推持してゆくためには、自分たちが犠牲をはらわなければならないと確信し、みずから進んでその特権を放棄したのである」。武士は、自らの特権を国の将来を思い、なげうったのです。
 ベルツは明治22年の明治憲法発布の式典の際、慶喜の次期将軍予定者であった徳川家達公が参列しているのを見て驚きました。維新の敗軍の将が、現政権担当の明治天皇と一緒に式に参列しているからです。西欧では考えられません。西欧では敗者の方は、多く非情な運命が待っているからです。フランス革命しかりロシア革命しかり。中国も同様で、王朝交代の時は、恐ろしい事に、人口が数千万人も減るほどの容赦ない粛清が待っていました。
 この点、日本の場合、一旦負ければそれまでで必要以上の血は流しません。賊軍となった旧幕府側でも、勝海舟や榎本武揚など多くの人材が明治政府に登用されています。
 敗者を許す寛大で大らかな心と、自己を顧みず私心なく国のため尽くす精神、この二点は、西洋や中国とは決定的に違う日本人の美徳といえましょう。



ドイツ人医師・ベルツ

 日本人とほ驚嘆すべき国民である!
 今日午後、火災があってから三十六時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称
すべき程度のものでほあるが、千個以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる。まだ残骸がいぶり、余じんもさめやらぬうちに日本人は、かれらの控えめの要求なら十分に満足させる新しい住居を魔法のような速さで組立てるのだ。
  (中略)
 小屋がけをしたり、焼跡をかき探したりしていないものはといえば、例の如く一服つける楽しみにふけっている。女や男や子僕たちが三々五々小きい火を囲んですわり、タバコをふかしたりしやべったりしている。かれらの顔には悲しみの跡形もない。まるで何事もなかったかのように、冗談をいったり笑ったりしている幾多の人々をみた。かき口説く女、寝床をほしがる子供、はっきりと災難にうちひしがれている男などほどこにも見当らない。

         ◇ ◇ ◇

 もし日本人が現在アメリカの新聞を読んでいて、しかもあちらのすべてを真似ようというのであれば、ぞの時は、その時は、日本よ左様ならである。



米国人教師・アリス・ベーコン

 経験や知識は売買できないものだつた。たとえば、医者は患者から治療費を請求することはなかったし、同じ藩士からは報酬を求めたり受け取ったりすることもなかった。一方、患者も誇り高いので、無料で治療をしてもらうことはなかった。自分の収入と治療の手間に応じ、医者に謝礼を渡した。ただし、それは治療に対する報酬でほなく、あくまで感謝のしるしとしての金だつた。
  (中賂)
 教育ほ商売ではなく、あくまで教える側の好意なのである。だからといって、十分な謝礼が払われないことは絶対にないし、教師もその点について気をもむことほなかった。料金を確認する必要がそもそもなかったのである。

◆人に益する心
 寺子屋の師匠は、あくまで子弟を高い志で教育するのであり、対価にお金を要求したりしません。生徒側も、納めるのは「授業料」ではなく、感謝の気持ちの「謝礼」などでした。
 元マレーシア首相マハティール氏が食品公社の会長だった際、現地赴任の日本人が、パイナップル缶の作り方を試行錯誤しながらマハティール氏に無償で教えました。マハティール氏は大変恩義に感じ、職員が他社に輸出権を与えようとすると、「ここまでの商品にできたのは、誰のおかげだと思っているのか!」と一喝しました。
 片や、パイナップルで有名なドールの従兄は、自己利益追求の為、ハワイ王を追い落とし、アメリカのハワイ併呑を助けました。
 日本は欧米と違い、とにかく、人々に益する「経験や知識」をもって、対価を得ようという考えは希薄でした。その精神は今に続き、無償で海外の貧困の人を助ける日本人を、テレビ等で度々見かけます。
 近藤亨氏はその典型でしょう。70歳で財産を投げって、ネパールの秘境ムスタンで不毛の大地と格闘し、とうとう世界最高地の稲作を成功させました。その後もネパールの小学校や病院設立のため力を尽し、86歳になっても活動を続けているのです。
 このような人々救済の日本精神は、世界でますます尊敬を集める事となりましょう。



元台湾総統・李登輝

 若いときに受けた日本教育が持っていた非常に純粋な人間的な側面、つまり、人間とほ何ぞや、われわれはどう生きるべきか、生死とは、といった問題を、あの時代に体得できたことを、個人として私は非常に感謝している。
 日本文化について私に理解があるとしたら、あの時代に私が受け取ったものが非常に大きかったということに尽きるだろう。本当に感謝している。

◆李登輝氏と日本教育
 李登輝氏は、台湾を民主化に導いた殊勲者です。氏は日本の統治下の台湾で生まれ、日本の教育を受け、のち中国式教育を受け、米国にも留学。しかし、人生に一番大きな影響を与えたのは日本時代の教育だった、と言い、感謝を表してはばかりません。
 日本が台湾統治を教育から始めた事は、「世界にも例のないこと」と評し、新知識を得て近代的意識が養成されたと感謝します。
 一方、マレーシアのマハティール元首相は、イギリス統治下時代には十分な教育を受けられず職業の選択肢を持ち得なかった、といいます。これに比べ、京都大学まで進学し、岩波文庫を700冊以上持ち「源氏物語」やゲーテに触れ、様々な勉学に打ち込めたという李登輝氏とは、雲泥の差です。
 戦後60年ぶりの日本は、進歩した社会でも優れた伝統が失われず美徳を保ってい右、と見ました。しかしその美徳を忘れ、伝統を重んじない歩みの方法は、愚の骨頂とバッサリと切り捨てます。伝統の上に進歩があるのであり、伝統なくして進歩なしと直言します。
 氏は日本の美徳や学問重視の姿勢に感銘し、日本愛を持ち、我々に勇気を与えてくれます。「大和心」は人類の危機克服の為の「絶対に必要不可欠な精神的指針」であるとし、国際社会が直面する困難に際し、日本への期待と希望は益々大きくなるとも展望。なぜなら、
 「数千年にわたって営々として積み上げられてきた日本文化の輝かしい
  歴史と伝統が、六十億人余の人類社会全体に対する強力なリーディン
  グ・ネーションとしての資質と実力を明確に証明しており、
  世界の人々からの篤い尊敬と信頼を集めているからです」



インドの初代首相・ジャワーハルラール・ネルー

 アジアの小国である日本の勝利は、アジアのすべての国ぐにに大きな影響をあたえた。わたしは少年時代、どんなにそれに感激したかを、おまえによく話したことがあつたものだ。
 たくさんのアジアの少年、少女、そしておとなが、おなじ感激を経験した。ヨーロッパの一大強国ほやぶれた。だとすればアジアは、そのむかし、しばしばそういうことがあつたように、いまでもヨーロッパを打ら破ることもできるはずだ。

◆世界史的大回天となった日馬戦争
 日露戦争で日本が西欧の大国ロシアに勝利した事は、イギリスの圧政に苦しむインドの人々に勇気を与えました。マハトマ・ガンディーも、「あなたがたがロシアの武力に対してかがやかしい勝利をおさめたことを知って、感動に身ぶるいしました」。ネルーも、一人娘のインディラ(のち首相)への表記書簡に見られるように、感銘し、独立の意志を確固たるものにしています。他の非西欧諸国も同様でした。
 初代ビルマ首相バー・モウは、アジアの民族は日本の勝利により目覚めたといい、
 「私は今でも、日露戦争と、日本本が勝利を得たことを聞いたときの感動を思い
  起こすことができる。(中略)
  ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞い
  たのである。それはわれわれに新しい誇りを与えてくれた」と振り返ります。
 ベトナムもトルコも、エジプトなどイスラム諸国も、ロシアに虐げられていた北欧の国フィンランド(ロシア支配下だった)やスウェーデンをも歓喜し、独立の気運が盛り上がりました。
 このように日露戦争は、様々な国に多大な影響をもたらし、白人の世界制覇を阻止し、世界史を大回天させました。
 一方当時の日本人の気持ちはいかばかりであったでしょうか。いざという時には、「自ら銃剣を撃げて卒伍に投じ、敵兵をして一歩だも我が領土を踏まざらしむべし」と重鎮・伊藤博文でさえも、壮絶な気迫を述べます。侵略の意図ではなく、「ロシアに勝たねば国は滅ぶ」という相当な覚悟であったでしょう。
 日本は勝ちました。今から百数年前、真剣壮絶な覚悟で国の存続を思った、当時の明治人の気骨を思いやります。歴史に学び、世界の脅威を認識し日本の先人の意志を知ることは、現代では一層重要な事と思われます。



親日家・チャップリン

ぼくほ日本へ行ったことがあるのですよ。
日本のように美しい国ほない。
“鵜飼”というのほなんだか知っていますか?
あんな素晴らしいものは世界中どこに行ったつてありませんね。
それにあのてんぷらのうまさ!
日本ほなんでも素晴らしい。
あの歌舞伎の美しさ。
あれだけの広い舞台を使いこなせるのは日本の芝居だけです。
あんな素晴らしい国はない。



米国人日本文学研究家・ドナルド・キーン

 外国のものほ、何でも自分もやってみたいという気持が日本人にはあります。
 外国の料理だつたら、日本人はフランス人に負けないほどおいしいものをつくりたいとか、そういう気持はありますが、外国の日常生活にほぞれほど関心がないような風がします。
 変な例になりますが、外国人で日本研究をしている人の半分以上は、日本人と結婚しています。しかし、日本で英語を教えている人で英米人と結婚する人ほ、非常に少ないと思います。
 つまり、日本人は頭の問題と心の問題とほ別だと思っているのではないかと思います。自分たちがひかれているところがちがうんです。



「日本は神の国であった時
極めて栄光ある日々を知ることを得た。
自分は信じている
犠牲者によって流された血潮は
決して空しいものに終わることなく
日本国民に神の光りをもたらすに違いないことを。
これは今墓場に近い八十歳の老翁が諸君に告げる予言なのだ。
勇気をもて、勇気をもて
日は将に昇らんとしている
ニッポン万歳!」
ポール・クローデルより(大正)


「曙の子らよ、海原の子らよ、花と炎との国、力と美との国の子らよ。
聴け、涯しなき海の諸々の波が、日出づる諸子を讃ふる栄誉の歌を。
諸子の国に七つの栄誉あり、故にまた七つの大業あり。
さらば聴け、その七つの栄誉と七つの使命とを。
曽て滅びざりし唯一の民よ。
一切の人類の幸福の敵を滅ぼすは貴国の使命なり。
新しき科学と古き知恵とヨーロッパの思想とアジアの思想とを自己のうちに統一せる唯一の民よ。これら二つの世界、来るべき世のこれら両部を統合するは貴国の人なり、流血の跡無き宗教を持てる唯一の民よ。
一切の神々を統一して更に神聖なる真理を発揮するは貴国なるべし。
万国に勝りて統一ある民よ。
貴国は来るべき一切の統一に貢献せんために生まれ、また貴国は戦士なれば人類の平和を促さんがために生まれたり。・・・」
ポール・リシャールより(昭和)



アインシュタイン

 日本人が本来もっていた、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、ぞれらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい。

   ◇ ◇ ◇

 私に深い印象を与えているものは、この地球という星の上に今もなお、こんなに優美な芸術的伝統をもち、あのような簡単さと心の美しさとをそなえている国民が存在しているという自覚であります。

◆アインシュタインと日本
 日本が西欧の害悪に蝕まれる事を心から心配し、表記のメッセージを発します。更には表面的な西欧の物質よりも、「自分の精神の方がもっと価値があるのだということを、日本は知るべきです」と述べます。日本文化への熱い思いが伝わります。真撃に耳を傾けるべき直言です。
 日本に親しんできたアインシュタインは徐々に日本に惹かれていきます。
 「日本人は、これまで知りあったどの国の人よりも、うわべだけでなく、すべての物事に対して物静かで、控えめで、知的で、芸術好きで、思いやりがあってひじょうに感じがよい人たちです」
 科学的探究心も日本人は旺盛でしたが、その人柄に感銘し、「私は日本を科学的国家として尊敬するばかりではなく、人間的見地からも愛すべきにいたったのです」
 帰りの船中でアインシュタインは、友人ニールス・ボーア(デンマーク人、アインシュタインの次年度のノーベル物理学賞受賞者)に、手紙をしたためました。「今回の旅行はすばらしいものです。私は日本と日本人に魅せられています。あなたもまた、そうなると確信しています」。憧憶以上に日本は輝いていて、世紀の物理学者の心は完全に魅了されました。


◆比類なき常しえなる日本
 素朴な清らかさ保ち、歴史に培われた芸術性を豊かに持つ日本人は、地球上に稀な民族である、とアインシュタインは感じています。
 まず日本のうるわしい自然美に感動した外国人は、次に、「善徳や品性を、日本人は生れながらに持っている」(モース)、と高い道徳性に感じ入ります。ウィリアム・アダムスやバード、ゴロウニンらは、思いやり深い心に感銘を受けました。上下相和し温和であると見たのはフィツセルやカツテンディーケ。聖徳太子のいう「和をもって貴しとする」日本人の姿でした。
 日本の「美」に一番影響されたのはゴッホでしょう。浮世絵を血肉化し、多くの傑作を作ったのですから。
 これらの事も含め、全てに一貫しているのは、途切れることのない永続性です。雅楽が平安時代そのままに観賞できるように、神社が古の昔から崇敬されているように、日本は断絶なく連綿と常しえに続いている世界に比類なき国柄なのです。しかも神話の神々が現代の天皇陛下まで続いておられる、こんな国は世界にありません!
 傑出した美徳を保ちつつ進歩発展を営々と続けた素晴らしい国。日本は誇りをもってこの美徳を堅持し、さらに弥栄えていくことでしょう。
 最後にアインシュタインの言葉を掲げて終わりと致しましょう。
  「これほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。
   この国を愛し、尊敬すべきである」

「近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には他の国と異なる何ものかがなくてはならぬ。
果たせるかな、この国、三千年の歴史がそれであった。
この長い歴史を通じて、一系の天皇を頂いたという比類なき国体を有することが、
日本をして今日あらしめたのである。
私はいつも世界上どこか一か所位、このような尊い国がなくてはならぬと考えていた。
何故なら世界の未来は進むだけ進みその間 幾度か争いは繰り返されて、
最後に戦いに疲れるときがくるであろう。
そのとき、人類はまことの平和を求めて、世界的の盟主をあげねばならなぬ時が来るに違いない。
その世界の盟主は武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した最も古く
かつ、尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰り、それはアジアの高峰である日本に立ち戻らねばならぬ。吾らは神に感謝する。
天が我ら人類に日本という国を造っておいてくれたことを。」




[大東亜戦争の正体 P255]より

■世界的な歴史学者、英国のアーノルド・トインビー
伊勢神宮に参拝し、感動して次の言葉を毛筆で記帳していかれた。「この聖なる地域(伊勢神宮)で、私はすべての宗教の根源的な統一を感じた」と。神道こそ、人類が求める真の世界宗教だと達感したのである。
■元フランス駐日大使のポール・クローデル
「私が決して亡ぼされないように願う一つの民族がある。それが日本民族だ」と言い残して日本を去っている。
■米国のウエスト法学博士
「絶海の孤島の漁師でもいい。山間僻地の百姓でもいい。私は日本人になって、天皇陛下にお仕えしたい」と。これほどまで日本国と天皇を恋慕している外国の文化人がいることを、われわれは知らねばならない。
■東京裁判のオーストラリアのウェッブ裁判長
「日本の天皇ほ神だ。あれだけの試練を受けても、帝位を維持しているのは、神でなければできない」と述懐している。
■英国の政治学者のラスキ
「王冠は敗戦を生き延びることはできない。ただ一つの例外、それが『昭和天皇』である」と述べ、彼も日本は「天皇を戴く神の国だ」と認めているのである。


■「私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」(ウエスト博士)
      さくらの花びらの「日本人よ誇りを持とう」ブログより抜粋

 昭和51年に発行された難波江通泰氏の著書『天皇陛下にお仕へしたい ウエスト博士の思ひ出』という著書があります。この中の対談でウエスト博士は「日本の繁栄はすばらしい。無限の可能性を持っている」と言うと難波江氏は「あなたの考えでは、日本の繁栄の根本的な原因は何であるとお思いですか?」
 ウエスト博士は、「それは、日本に天皇陛下が居られるからです。・・・・・」「私は日本人になりたい」と言われました。
 「どうしてですか?」
 「それは天皇陛下が居られるからです。天皇陛下が居られる国だから、私は日本へ来たのです。もし日本に天皇陛下が居られないならば、それはドイツやソ連やイギリスやメキシコやアメリカなど、世界のすべての国と同じであって、そんな国ならどこへ行っても同じことです。イギリスやオランダなどにも国王や女王が居られるけれども、それらは日本の皇室や天皇陛下とは違う。天皇陛下が居られるのは日本だけだ。絶海の孤島の漁師でもいい。山間僻地の貧しい百姓でもいい、私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい。・・・」

 ジョージ・ランボーン・ウエスト博士は1929年、米国テキサス州サン・アントニオに生まれ、テキサス大学で法律と歴史を専攻して法学博士の学位を得て、メールランド大学など数校で教授を歴任し、ダラス市で弁護士をしていました。
 少年時代にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手紙を図書館で見てから日本に憧れており、ウエスト博士の夫人もラフカディオ・ハーンと同じく日本人女性でした。ウエスト博士は昭和44年から日本マネージメント協会の顧問として来日してから、たびたび日本で講演を行ってきました。
 博士の講演は「日本が真珠湾攻撃を行ったのはアメリカが仕掛けた罠にはめられた」と述べ、東京裁判の不当性を衝き、米製占領憲法を強制したことを糾弾しておりました。この講演内容については昭和55年『憲法改悪の強要』(嵯峨野書院)を出版しました。

 ウエスト博士が昭和57年に来日した時、元国会議員の会合で講演しこのようにお話ししました。
「日本に何回来ても憲法改正の声が起こっており、その運動も続けられている。少しは改正されたのかと思って今度の来日でも聞いてみたが、全然改められていない。日本人は基本の魂を取り戻さなければならない」
 そして、「私はかねてから一度やりたいと思っていた夢を、ここでかなえさせて貰いたい」と、博士はこのように前置きして、自ら音頭をとって、「天皇陛下万歳」を三唱しました。並みいる日本の元国会議員たちは度肝を抜かれましたが、こぞって呼応したといいます。

 平成6年3月、ウエスト博士は千代子夫人と来日しました。東京に着くと明治神宮、昭和天皇武蔵野陵、東郷神社、乃木神社に参拝しました。同年6月26日には靖国神社に参拝しました。その日、ウエスト博士が靖国神社の遊就館で講演会を行う日でした。講演会の事前の有志との打ち合わせで、博士は「今上天皇は靖国神社に参拝されたことがあるか?」こう聞いてきました。
 これはこの時ちょうど、両陛下は訪米中で、アーリントン墓地とハワイのパンチボール(国立太平洋記念墓地)に参拝しておられました。
 続けて博士は「靖国神社に参拝されずに、アメリカのアーリントン墓地に参られるとは、何事であるか」と言いました。
 この場にいた通訳の足羽雄郎氏は、「日本は天皇の専制国家ではない。君民共治の国だから、首相が参拝して、国民すべてがそれを望むような雰囲気が作られないと参拝はされないのだ」と言おうとしたら、傍にいた名越二荒之助氏が「アメリカが訳のわからない憲法を押し付けたからだ」と言いました。
 すると博士は、「あれは憲法の名に値しない。いやしくも日本人が憲法というなら聖徳太子の十七条の憲法と明治天皇の帝国憲法しかないはずだ。現在の日本国憲法はマッカーサーの押し付けたアメリカ製だから日本人は英語でコンスティテューションと呼ぶべきだ」と。
 名越氏は、「日本では昭和天皇も今上天皇もアーリントン墓地に参拝して花輪を捧げておられる。今度クリントン大統領が来日したら靖国神社に参拝するよう厳しく言いつけてもらいたい」と。
 博士は「それは駄目だ。クリントンはベトナム戦争の時、徴兵を忌避した反戦主義者だ。そんな男が参拝したら英霊の冒涜になる」と。
 これを聞いた足羽氏は、「日本の政治家の中には靖国神社には気の毒な戦争犠牲者が祀られている。私はその人たちを慰霊するために参拝する、と公言する人がある。こんな心根で参ったのでは英霊の冒涜になるのではないか」とこう思ったという。
 その後、遊就館での博士の講演会の締めくくりはこうでありました。
「アメリカの占領政策でジョン・デューイの教育哲学が日本に持ち込まれたことが教育の荒廃をもたらした。個性尊重と称して子供を甘やかし、学校も親も道徳教育への自信を喪失した。それは日米ともに同じである。教育再建のためにはアメリカは開拓者精神に帰り、日本は教育勅語を復活させねばならない。日本人は喪った魂を取り戻すべきである。そのために陛下の万歳を三唱をしよう」
 ウエスト博士は頬を紅潮させながら音頭をとったそうです。


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